2008/5/9  22:58

『太陽を曳く馬』連載弟20回  

by高村薫

 「第二〇章 事故について」というサブタイトルを読んで、そうだった、合田と吉岡君は告訴状の立件ができるかどうかを捜査をしているんだった、と思い出しました。いや、そのくらい、先月までの「僧侶たち」に、目が点状態だった訳です。あー、良かったよぉ、俗世間に戻ってきてくれて!


 吉岡君は好きじゃないんですが、でも、どちらかと言えば、私は吉岡君の感覚に近いのかなと思って、がっかり。彼が僧侶たちの話を要約する場面があって、何となく親近感を(笑)。一つのことを深く追求するのが合田だとしたら、吉岡君は、物事を要約しながら生きてるんだなと。要約しないと、携帯メール打つの大変だろうし。そうそう、ニコ動の長文コメなんて読まない、ていうか読めない(動体視力も追いつかない)。要約人生だよなあ、自分も…。

 もとい。
 でも、オウムと伝統宗教は、やっぱり似て非なるものだと思いました。やはり「芸術」を内包するかどうかの違いは決定的だと思います。言葉を尽くそうとする僧侶たちに対して、ひたすら座る末永、というのも何だか対照的でおもしろかったです。規律を乱される側はたまったもんじゃない、という心情も理解できるし、ひたすら座ることを黙認された末永に対する他の雲水たちの嫉妬も理解できます。この辺りは、お坊さんも(雲水も)人の子だなと。聖と俗が同時に存在しているんだとしたら、「自分たち司法はこの僧侶たちの俗の部分をどうやって聖の部分から切り離すのだろうか。そんなことはそもそも可能なのだろうか。」をを!やっぱり合田って凄いこと考えるなあ。

 お声明は感動しますね。法隆寺の聖霊会でお参りしたときに聴いて鳥肌が立ったことありました。お坊さんたちは、良い声してるんですよね。音楽を文章で表現するときの高村さんは最高だと思うんですが、お声明の表現もお見事で、3人の声が聴こえてきそうだったし、姿までが思い描けそうな勢いでした。

 そして、この土壇場で、末永の行動に重大な謎が浮上!そしてそして、僧侶たちの最後のあれは一体どうしちゃったんでしょうか?自棄?温泉の大浴場で、思わず泳いじゃう俗人と同じかも。

 久しぶりに、来月が待ち遠しいと思いました(爆)



2008/5/14  21:42

投稿者:ゆぅべ

野鍛冶屋さん
こんばんは!

>そういう機能が人間にあるからこそ、生きて行けると思います。
そうですよね!そうですよ、本当に!(なぜか真剣)野鍛冶屋さんに言われると、すごく安心です。良いんだ、要約で!

僧侶たちも、中間管理職のストレスだったんでしょうか…。ちょっとだけ、気持ちわかりますけど(笑)

2008/5/14  6:57

投稿者:野鍛冶屋
http/brogs.yahoo.co.jp/nokaziya/

おはようございます。野鍛冶屋です。

>吉岡君は、物事を要約しながら生きてる

身のまわりは、「どうしてこうなるんだろう」といくら考えても、分からないことが多いですね。しかし、それが良く分かる人とそうでない人という違いは確かにあります。特別な関心を抱かない限りには、「要約」しちゃうか、「忘れて」しまうし、そういう機能が人間にあるからこそ、生きて行けると思います。(笑)。
そうでないと「情報」の海の中で溺れてしまいます。

>僧侶たちの最後のあれは一体どうしちゃったんでしょうか

いや〜。これこそ良く分からないですね〜。エネルギー爆発、ストレス発散、気分転換ですよね。(笑)。

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