2008/5/16  22:41

発見  業務

4月はかなり頻繁に記録を残していたのに、5月は滞りがちだ。あてにしていたメキシコ行きがだめになったショック……ではない。

編者のひとりとしてある本を作っている。ほとんど惰性のようにして作っていた本だ。が、ゲラを読みながら、なんだこの面白さは、と発見。取り合わせの豪華。バラエティ。なかなか良い。秋には出るはず。

もちろん、ぼくも稿を寄せている。半分アルモドーバル論みたいなもの。

明日は研究会。明後日は学会理事会。やれやれ。

2008/5/11  17:45

彼我の差  読書

さて、昨日届いた『現代思想』に寄せた文章「丘に挟まれた渓谷での、さして緊迫してもいない一日」でぼくは、あるテクストのスペイン語版と英語版を比較し、断りなしに一部を削除している英語版について、「彼(カストロ――引用者註)の論理展開を無視していると言うほかはない。これでは英語でカストロを読む者には、カルペンティエールやガルシア=マルケスが強調した彼の演説の魅力が伝わらないのではないかと、私は危惧する」(168ページ)と書いた。

その20ページばかり先、「自分自身の独裁者」という一文を寄せた越川芳明は、元CIA職員ブライアン・ラテルの『フィデル・カストロ後のキューバ』を引き、「カストロの長演説は「退屈な凡庸な言葉使い」にすぎず、なぜ人々が魅了されるのか、理解に苦しむという」(187ページ)と紹介している。

示し合わせたわけでもないのに、期せずして越川論文とぼくの文章が対話している。すばらしい、と自画自賛。

一方でラテルの断定は、基本的にバロックであるスペイン語による思考をついぞ理解しない、味気ないアングロサクソン的精神(なのか?)によって特徴付けられ、ぼくが挙げるカルペンティエールやらガルシア=マルケスやらと好対照をなしている。

ちなみに、ぼくのテクストは、どさくさに紛れてもうすぐ出る翻訳の宣伝にもなっているという次第。カストロがゲバラについて語ったり書いたりしたものを集めたアンソロジーだ。同じ時期の作業だったから、そうしたのだ。

2008/5/10  22:46

出来  告知

昨日はとある本に関して打ち合わせ、そして飲みに。今日はマンション管理組合理事会。午後、イスパニヤ学会理事会に関係してちょっとした打ち合わせ。理事会だらけだ。

酒を飲み、家に帰ると着いていた。これ。
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『現代思想 5月臨時増刊 総特集 フィデル・カストロ』。ここに「丘に挟まれた渓谷での、さして緊迫してもいない一日」という文章を寄せている。よろしかったら、ぜひ。

2008/5/8  20:09

肩の荷をひとつ降ろす  業務

今日で「表象文化とグローバリゼーション」の授業、担当回を終えた。やれやれ。一息つける。

2週目となる先週は『スターウォーズ ジェダイの復讐』。今日はジョン・ヒューストン『王になろうとした男』、メル・ギブソン『アポカリプト』、ジム・ジャームッシュ『デッドマン』。どうですか? ジャームッシュはやはりすてきだし、『王になろうとした男』のマイケル・ケインはいい。

昼前には大学時代の友人が来訪。調布飛行場の《プロペラ・カフェ》で食事。コロンビアのこと、次の仕事のこと、平和構築やら南南協力やら、ドクター論文やらの話。

これ、よろしくどうぞ。
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2008/5/3  23:50

せこい喜び  日常


昨日からの雨にさらしたまま大学に車を乗り捨てていったので、今日取りに行ったら、洗車は不要かと思われた。金が少し浮いた。わびしい話だが、それが本音。そしてガソリンは、事実、高かった。

なんだか生活を根底から変えたくなった。危機だ。こうした衝動を抱き、ある日突然、取り返しのつかない行動に出るというのが、ぼくのこれまでの人生だった。取り返しのつかない行動は、たいていの場合、以前の取り返しのつかない行動を償うものだ。それが償いになどならないから取り返しがつかない。

ぼくはこうした状態を表す実に的確な格言を知っている。

小人閑居して不善を為す、だ。

連休なのだった。連休だから、仕事をしよう。翻訳、執筆、翻訳、そして読書。


2008/4/30  16:32

やせ我慢  話題

親譲りなのかは知らないが、やせ我慢を重ねて損ばかりしている。たとえ安くておいしい店でも、死んでも行列など作るまいと思う。

そろそろガソリンを補給しておきたかったし、なによりも窓ガラスが汚れて視界が濁る、だから洗車せねばならないのだが、例のガソリン税を巡る狂騒に流され、スタンドの周りは本当に順番待ちの車に溢れていた。君たちよりもぼくの必要性の方が切実なのだけどな、などと無根拠なつぶやきをつぶやきながらあきらめ、仕事に向かう。

大学会館の裏に、それを池と呼ぶにはあまりにも忍びない水たまりがある。そこにカモが泳いでいた。で、一枚。
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そして、昨日届いた、これ。
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ギジェルモ・マルティネス『オックスフォード連続殺人』和泉圭亮訳(扶桑社ミステリー、2006)。

この出版を最近知ったので、遅ればせながら取り寄せたもの。マルティネスはアルゼンチンの作家。1962年生まれというから、ぼくとひとつしか違わない。アルゼンチン人数学者である「私」が留学先のオックスフォードで遭遇した殺人事件を解決するミステリーらしい。未読。

原題を Crímenes imperceptibles という。「気づかれない犯罪」だ。ボルヘス的だ。あ、未読なので、タイトルからそう思われる、というだけのこと。

2008/4/28  20:46

リレー講義ふたつめ  読書

今日もリレー講義。「リレー講義づいてるね」とはある知り合いの学生が言ったこと。ただし、今日のやつは1回だけやればいいもの。つまり、今日限り。授業名は「舞台芸術に触れる」。フェデリコ・ガルシア=ロルカ『血の婚礼』を、いくつかの映像を見比べながら論じた。

ご恵贈いただいたこれ。
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パウロ・コエーリョ『ポルトベーロの魔女』武田千香訳(角川書店、2008)

同僚たちがこうして続々と著書やら翻訳やらを出すと非常に刺激になるというもの。コエーリョはさすがに、アマゾンでも宣伝されている。

あ、ぼくのももうすぐ出ます。

2008/4/24  22:14

リレー講義1週目  読書

リレー講義「表象文化とグローバリゼーション」の1週目。最大の教室101マルチメディアホールでのもので、やはり教室が大きいと疲れるものだと実感。『ウルトラマン』の話。

昨日いただいた、これ。
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カール・クラウス『黒魔術による世界の没落』山口裕之・河野英二訳(現代思潮新社、2008)

非常に興味深いタイトルが並ぶエッセイ集。ちょっと目を通してみるとすぐに感じられる硬質というか、不思議な難解さ、そして気づくと、へへぇ、おもしろいことを言っているじゃないか、というこの感じ。なにやら懐かしい。アルフォンソ・レイェスにも通じる文章作法だ。

2008/4/22  23:01

亜細亜大2週め  業務


非常勤で行っている亜細亜大学、今日が2週目なので、つまりはフルで正式の授業を行う初日。さすがに3コマ(うち1コマは前期のみの科目「ラテンアメリカ研究入門」)も続けてやると疲れる。2ヶ月間遠ざかっていた授業が本格化し、なまっていた授業に必要な筋肉がびっくりして目覚めた、といったところ。

2週連続で「慣れないんですか?」「緊張しているんですか?」と訊いてくる学生がいた。てやんでい。何年やってると思ってやがる。

今週から木曜5時限には3回連続で「表象文化とグローバリゼーション」担当。この授業ははじめてのこと。最大の教室でやるので、どうなることやら。来週の月曜には5時限、「舞台芸術に触れる」。ハードな日々が続く。

2008/4/20  17:30

まだまだ出る  読書

ボルヘス『ブエノスアイレスの熱情――ホルヘ・ルイス・ボルヘス初期詩集成1923-1929』斎藤幸男訳(水声社、2008)

『ブエノスアイレスの熱情』、『正面の月』、『サン・マルティン・ノート』の3詩集に、その後そこから削除された詩を集めた「拾遺」からなる。最初の詩集はかつて『ブエノスアイレスの熱狂』として翻訳されているが、それが「熱情」とされた。原題は Fervor de Buenos Aires。『エル・オトロ、エル・ミスモ』『闇を讃えて』と訳してきた斎藤の「ボルヘス詩集三部作」の完結なのだそうだ。

ガルシア=マルケスとならび、ボルヘスはさすがに出るなあ。忘れられる前にカルペンティエール、訳しておかなければな。

いや、今はカルペンティエールの話ではなかった。ボルヘスがブエノスアイレスに感じる熱fervorとは、たとえばこんなもの。

心もとない若草が
必死の願いを込めて、
石畳の間を縫い生い茂っていて、
西の空の奥深く
彩色トランプの夕映えを認めたわたしは
そこにブエノスアイレスを感じた。
わたしの過去と信じたこの都市(まち)
わたしの未来であり、わたしの現在だ――
ヨーロッパで過した数年は見せかけのもの、
わたしはいつでもブエノスアイレスにいたし、いるだろう。(63ページ)

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