2008/5/13  19:34

友人たち  

2年近く帰っていない間に、友人たちの生活事情は大きく変わっていた。

結婚した人、子供が出来た人、仕事を変えた人。忙しい上に、多くの人が東京を離れて暮らし始めたりして、以前と比較しても、非常に会いにくい状況になった。

中にはかなり無理をして会うための計画を立ててくれた人もいて、有難い反面申し訳ない。


フランスと日本を往復する生活を始めたのが、2000年。
フランスに住んで日本に帰る生活2年半、日本に住んでフランスへ遊びに行く生活3年、もう一度フランスに移って日本に帰る生活3年。
この日記を更新するまでは、月に一度程の頻度でフランス滞在報告を送り続けていたけれど、送る対象の人々は、少しずつ変わっている。もう連絡を取らなくなった人、新しく知り合った人。帰国を知らせるメールも、送る相手は少しずつ変わってきた。
毎回必ず返事をくれる人もいれば、あるときを境に連絡が途絶えてしまった人もいる。
連絡をくれても、都合がつかず会えない人もいる。

始めの頃は自分がどうしても会いたいと思った人には、無理に連絡を取ったりもしたけれど、最近はそこまでしない。反対にこちらはそんなに気が進まないけれど、熱心に会ってくれる人に、連絡をするのをやめた。


人との付き合いは、全てご縁だと思っている。

以前は、出会った人は全て自分に何かをもたらしてくれる人なので、私が好きか嫌いかということは我儘であって、私に好意を持って近づいてくれる有難い人たちなのだから、来るものは拒まず、相手の気が済むまで、付き合いを続けるべきだと思っていた。しかし、嫌いな人と無理して付き合うのは、体にも心にもあまり良くない。実際、嫌いな人はそれ程いないのだけれど、何だか私を便利に利用している人、特に、私の本質ではなく、フランスに住んでいるから、という理由で近づいてくる人はもう問題外として、考え方や価値観が違って、話をしていて辛い相手というのがいる。意外にも、先方は私と過ごす時間が心地よいらしく、戸惑うのだが、私は居たたまらないのだから仕方ない。私から去って行った人たちは、実は逆の立場であったかも知れない。

ご縁というのは、運命の出会いとは違う。
この人と出会えて、運が良い、ということはある。でも、出会うべくして出会った、とは思わない。
どちらかといえば逆で、この世に生まれて生活している以上、誰かに出会うのであって、そういう人々に対して、ご縁がある、と言うのだと解釈している。
それで、以前は、一度ご縁を持ったからには、と、自分の意思に係わらず、続けることこそ大事だと思っていたのである。
でも、続けるのもご縁、離れるのもご縁、と考えるようになった。
会いたいのに、なかなかお互いの都合が合わず、会えない人とも、今はそういうご縁なのだ。いつか時期が来れば、そのうち会えるかも知れない。

もうずっと会えなかったとしても、かつて私の横を通り過ぎて行った人たちは、今日もどこかで、彼らの生活を営んでいる。それでいい。

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2008/5/7  17:37

帰ってきた。  生活

約二年振りの、日本帰国。
密度の濃い一ヶ月を過ごしてきた。

今回の一番大きな目的は、人生のパートナーと決めた相手に私の生まれ育った国をみてもらうこと。今後暮らすことになるかも知れないため、下見も兼ねて。
そして家族との初対面。

後はまあどうしてもと言う用事ではないけれど、帰って来たならついでにすることは沢山ある。友人と会う、書類の手続き、歯医者の検診、指圧、本屋巡り、画材屋巡り、織物教室や織物業者巡り。細かい生活用品を買ったり、頼まれた物を買ったり。


しかし、今回は他に、連れ合いのライブハウスツアーなんかもしてしまって、大変だった。これは弟のコネで実現したのだが、何しろ弟が仕事仲間に「姉がフランス人アーティスト連れてくるのでライブさせてくれ」と言って廻った手前、私が一緒について行かなくてはいけない。それでなくとも、東京の土地勘が全くない、日本語も話せない人を各日各所に時間通り送り届けるには同行するよりないのだが。

現地に着いても、皆さん思いのほか英語を話せないので、結局全て付きっ切り。友達も沢山出来たし、本人も経験値として貴重な時間を過ごせたようだし良かった良かった。

しかし計画通り廻ることで精一杯だった私には、事前の宣伝と言うものが出来ず、後日「どうしてもっと早く教えてくれなかったの〜。」の声が押し寄せる。すみません。次回があるなら是非そのときはお知らせします。今回の様子も今後報告しますので、見逃した方もお楽しみに。


ツアーの合間に、そろそろ街に慣れてきた連れ合いを一人歩きさせて、上述の雑用を少しずつ片付ける。私が突き放した訳ではなく、本人が「いつも君の後ろについて歩くだけじゃ、本当の意味で日本を体験できない」と言ったからだ。偉いぞ。迷ったら近くの人に訊くんだよ。外国人には優しい人たちだからね。

でもそんな日はほんの1日か2日だけ。
どうしても済ませなければいけない用事は全て終わらせたが、のんびり買い物する時間は殆どなかった。まあ仕方ない。帰国は今回で最後ではないのだ。

友人たちは、どうやら私がフランスに永住するための準備帰国のように捉えていたようなのだが、またすぐ帰って来るんだよー。多分、次は一人で。


詳細については、また追々。
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2008/3/29  22:58

挑戦状  趣味

誰からかと言えば、あの憎き繊維を喰う虫、である。
フランス語ではmiteという。
実物を見たわけではないので、日本でよく遭遇したヒメマルカツオブシムシなのかどうかははっきりしないが、数日前にはなかった穴が開いているのだから、何某かに喰われたことは間違いない。

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彼らだって生きているのだから、食べる必要はあるのだけれど、ちょっと一口くださいと言えば、適当なのを見繕うものを、勝手に物色されるのだから困る。
特に彼らは美食家で、質のよい繊維を好むのだ。
今回のターゲットはカシミヤだった。

このコートは、私が数年前に編んだもので、先日肩掛け鞄の所為で擦り切れたところを直したばかりだし、穴をふさぐことはそれほど難しくはない。問題なのは、やつが今回穴を開けたのが、袖と肩との境目で、引き返し編みという、特殊な技法の部分だったことだ。そうでなければ、発覚した時点ですぐに直していたのだ。

しかし場所が悪かったことと、何しろ擦り切れるくらい長く着ていたことから、そろそろほどいて編みなおそうと思っていた。私は編んだセーターを何度もほどいては別のデザインに変える。つい最近も、去年完成させたカーディガンの、袖丈など気に入らなかったので、毛糸だまにしてしまった。

とはいえ何しろ他のセーターも順番待ちなのと、編み物だけに集中する時間がないので、今年は修復して乗り切ることに決めた。改めて編地を見て、絶妙な位置がほつれている事に感嘆する。これは本当に彼らから挑戦状を叩きつけられた気分である。


最初は刺繍針で、穴の部分を埋めようとした。平編みの部分でなら非常に簡単な作業。ところが、ちょうど引き返し編みのところが抜けていて、ここを再現しないと段数が合わず、上手くつながらない。これは無理かと思ったが、あのほんの小さな虫のお腹を満たしたためにコートを諦めるのなんて、あまりにも代償が大きすぎる。

逆に言えば、ここは袖と肩の境目、つまり袖を少しだけほどいて引き返し編みをし、肩と繋げれば良いのではないか。これが成功。しかも、袖だけをほどくだけでよく、肩の側は一切喰われていない。なんとやつらそこまでお見通しか。本当にそう思うほど絶妙な位置を喰っているのだ。

さすがに数年着ていたので、色が少々変わってはいたけれど、幸い共糸で無事穴は塞がれた。それにしたって夏場はともかく、寒い冬の、まさにセーターを毎日着ているこの時期に、こんな喰われ方するなんて思っても見なかった。今回、自分が編んだ、共糸も残っているものが狙われたのは、不幸中の幸いかも知れない。

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2008/3/26  22:52

遺産相続放棄  家族

最近、織物のアトリエは遺産相続の話で持ち切りだ。

フランスでも遺産と言えば話題に事欠かない。
親が生きているうちに、住んでいる家をどのように相続するかの相談とか、兄弟のうち一人だけ得するような分与があって家族仲が悪くなったとか、そういう話題は聞きたくもないのだが、自分の子供や孫が、働きながら学校に通うのを気の毒に思い、はて両親が残した財産はどうなったのだろう、それがあれば彼らが働く必要がなくなるのではと、急に思い立ち探してみたら、既に時遅く全て銀行のものになってしまっていた、という切ない話もある。

そういう話を聞きながら、そういえば我が家のことを思い返した。私の実家は決して裕福とはいえない家庭だったので、そんなものは無縁だと思っていたのだが、生きていれば何かしら残るものらしい。しかし、祖父の遺産相続について、親戚から連絡が来たのは、当人亡き後20年近く経ってから、しかも私の父も亡くなって数年後だった。

祖父名義のまま残してあった家を老朽のため処分し、土地を売却する際、我々にもその利益を受け取る権利があると言う。ただし、連絡が来たのは、この相続権を放棄してほしい、と言う請願のためだった。

正直なところ、父の死後、我が家の家計は生前よりも却って潤ってしまった。日本の大企業に勤めるということは、最近でこそ安定を約束されるわけでなく、終身雇用こそ将来安泰と考えることもなくなってきた。それでも、いまや破綻すると言われている年金制度と、この企業に25年以上勤務したために、会社から支給された早めの退職金とで、私たち家族は大いに助けられた。私はそうして、大学の授業料、貸与されていた奨学金の返却も済ませ、さらにフランスで暮らす機会まで手に入れることが出来た。父が働いていた恩恵は、本人ではなく、残された家族のみが享受することになった。感謝と申し訳なさが入り混じる。

だから、ここで、頭の片隅にもなかった祖父の遺産なんて、もう必要ないのである。私の家族は全員一致で、放棄を決めた。それは同時に、この祖父名義の家に住んでいた従妹とその母親とを、支援できるからでもある。彼女たちの生活が苦しくなることを知りながら、強欲に分け前寄越せなんて、そんなこと言わなくても、困らない生活を送っているのだ。父がこの二人を案じて、我が家に呼び寄せる計画は、父が死んだことで立ち消えになってしまった。何も与えられないなら、せめて何も受け取らない選択がある。

そう思っていたのに、別の兄弟からは、権利を主張する連絡が入ったらしい。経済的に、我が家より裕福な家にいながら、それでももっと欲しがるなんて、あの二人を見て、本気で考えられるものなのだろうか。そんな人と血縁関係だなんて、私にもそういう要素があるのかも知れない。

アトリエで、作業も忘れて話している彼らの話を、何だか厭な思いで聞き流していたけれど、私も損をしないように、ちゃんと準備しないと、なんて、あの歳になったら、思ってしまうのだろうか。人の欲って、恐ろしい。

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2008/3/23  11:29

本の虫になる  

困ったときは本を読む。
何かを知りたいとき、現実から逃避したいとき、自分の考えに行き詰まったとき。

私が今まで生きてきた中で、一番多くの本を読んだ時代というのは、実は幼稚園に通っていた4から6歳のときだ。

私に文字を教えたのは父だった。
いつも寝る前に、本を読んでくれた。一緒に頁を眺め、爪楊枝で文字をなぞってくれたので、私は自然に文字を覚えた。
自分で読めるようになると、寝る間際の短時間では物足りなくなってきた。
次の夜まで続きが待てず、昼間に一人で読んでしまった。
でも父との夜のひと時は別の楽しみがあり、既に知ってしまっている話を、それを隠して父に読ませた。

昼間に読む本がなくて退屈していたら、母が図書館に連れて行ってくれた。
ちょうど、幼稚園と自宅の間にあるので、そこへ毎日寄って、毎日新しい本を借りては読んだ。自分の年齢向けの本では、字が少なくてすぐ終わってしまうので、小学生向けの本を選ぶようになる。あの頃は、一度読んだだけで、その本の、どの辺りの頁の、どの辺りになんていうフレーズがあるとか、全部覚えていた。

ところが時間の経つうちに、表紙を見て、作家名と本の題名は知っているのに、どんな内容かさっぱり思い出せないとか、この本の存在は知っているけれど、果たして自分が読んだのか、わからなくなるようになった。これが大人になるということかと、愕然としたけれど、それで、何年か前に、児童文学を読み漁った。もう既に読んだものもあれば、新しく見出したものもあった。

大人になった今、その頃の本を読み返してみると、文字は読めていたし、内容も理解したつもりだったけれど、その言葉の裏側に隠された見えない部分の意味までは、理解できていなかったことに気づく。当時は表面的に、物語として、出来事が起こって、収束していく、ということだけを楽しんでいた。けれど実は、そこに哲学や、人の心理や、感情があって、それは決して他人事の、どこか知らない場所で起きた作り話を読ませるためにあるわけではない。何か、自分が考える上でのヒントを、与えてくれるのだ。
いわゆる児童文学、特に私や父が子供だった頃の、子供に向けて書かれた本は、非常に深く、よく練られていて、大人になって、物事の謎が少しずつ解けてきた今でないと、理解できない内容のものも多い。

本は、読むたびに、また別の意味を読み手に与えてくれる。それはそのときの気分や、それまでに自分が学んできたこと、考え方の変化などによる。そのことに気づいてから、敢えて昔読んだ本を読み返すことも増えた。
それは勿論児童文学には限らない。
読み返す本というのは大抵決まっている。そしてそういう本を読みたいと思ったときは、冒頭にあるような、何かに困っているときなのだ。

それが、今回、帰国目前にして、パリの日系書店にわざわざ赴き、日本円に換算すると、新品を買うよりも高価な古本を、しかも、おそらく日本の実家に帰れば見つけられるであろう本も含めて何冊も買ってしまった経緯なのである。


2008/3/5  17:21

葛藤の末  

最近、ご縁があって、在仏日本人の方と多く知り合いました。
生活の中で行き詰まったことがあり、自分ひとりでは解決が難しかったので、沢山の人の意見を聞いてみようと思ったからです。

そうは言っても、この中の誰か一人、若しくは数人が、私の探している答えを教えてくれる訳ではありません。ただ、一人の人間の思想なんて小さなものなので、外の意見を聞くことで、新しい発見を期待したのです。

以前は、自分以外の他人は全ての答えを知っていて、私が別の人と意見が違う場合、間違っているのは私で、だから私はそのような場合、速やかに意見を変えなければならないと思っていました。大きくなるにつれ、勿論そんなことはなく、ただ、価値観は皆違うもので、この世には白と黒だけが存在するのではないということを学びました。
沢山の意見の中で、私の思想に合うもの、納得のいくものを参考にし、私という一個人が存在すればいい。だから、私とまるで同じ考え方の人を見つけるとか、理想の人を一人見つけて、まるきりその人になるとか、そんなことはしなくていいのです。

家と仕事の往復の中で、狭い世界の中で暮らしていると、そのことを忘れそうになります。また新しい人たちと出会って、いい刺激になりました。

でも今回のことで、自分が人を変えていこうなんていう考えは、思い上がりだと気づきました。私の価値観は、私のものであり、他人を私の価値観に当てはめるなんて、出来ないのです。私は、ただ他人を見守るしかなく、私が嫌いなその人の個性を否定する権利なんて、ありません。

そうは言っても、世の中は不変ではありません。常に動いています。我が家の同居人と私だって、初めて出会った頃とは意見が変わってきました。今、どうしても我慢できないあのことだって、受け容れられる日が来るんです。

挑まず、戦わず、健やかな毎日でいられますよう。



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2008/3/2  15:54

阿吽の呼吸  生活

外国語を使うと口が悪くなる。
あまり直接的でないことと、表現方法が異なることが大きな原因ではないかと思う。

現在は飲食店で働いていて、客への対応なんて自分でびっくりする。
経営者も日本人だが、客は大半がフランス人。
日本のサービス業では、客との口論は絶対禁止事項である。

しかし、ここはフランス。主張するのは客も店員も同じ。
相手もかなり無茶を言うので、そのせいもあるが、交渉という名の言い争いは珍しくない。お互い冷静な物言いではないのである。
しかしその後は、結局笑顔で別れたりして、数日経つと彼らはまたやって来る。


悪いことばかりでもない。ちょっと恥ずかしいような友好的な表現も、フランス語だと言ってしまう。逆に、言わなければ通じないということでもある。
日本のように、黙っていても相手にわかってもらえるなんて奇跡はこの国にはない。
だからじっと耐える美徳もなければ、無言の愛情も通用しない。

でも実は、私の場合、日本語でも、これが反映されているようで、友人との交流関係にも、多少影響がある。外国で生活するということは、そういう面でも変化をもたらすものらしい。

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2008/2/14  18:43

すべてこのために  趣味

年末以来、すべてを後回しにして取り掛かっていたものが、ようやく完成しました。
この日記の更新、人との連絡、アトリエでの製作、仕事の出勤回数、家事、あらゆることを怠慢して何をしていたかといえば、これなのです。

で、それほどまでに何もかもを犠牲にして、何故これをしなければいけなかったのか、というと。
期日に間に合わせたかっただけなんです。
これは、ある展覧会のための作品だから。

しかし、上まで織り上げた時点でちょっと息切れしてしまい、現在休養中。
裏をきれいにして、枠から外して、展示できる形にして、発送するまで、まだ作業は残っている。

初心者レベルの私にとって、急いで作品を完成させるのは、少々つらい状況ではあったのですが(ただの怠け者かもとも疑いつつ)、これもひとつの経験値であり、ここから学んだことも多く、既に次回作なんか練り始めています。

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2007/12/29  11:03

ようやく完成  趣味

2006年の5月から、ずーっと私の自宅の織り機にかかっていた豚さんを、ようやく外してあげることができた。

今年の10月に入ってから、空いた時間を全てこのために費やしてきた。
しかしそう上手くいくものではなく、何度もやり直しを繰り返し、予定を大幅にずれ込んで、それでも完成の日はやってきた。大体、ほぼ初心者の自分が、こんなモチーフを選んだ時点で無茶なのだが、始めるまではそのことにすら気付かずにいた。
だから製作のペースと完成見込み時期なんて、何の脈絡もない。ただ「ここら辺の時期に終わってないと困る」とか言う都合によるものだったので、後は気力の問題である。

それというのも、この織り機で、もう一枚別の作品を織りたいからであって、そのために、豚さんにこの場所を占領されるわけにはいかなかったのだ。

しかし、家にいると、「暇な時間を利用して」という趣味的な意気込みでは、こういうものを完成させるというのは、不可能に近いことを学んだ。
本当に持て余すほど暇ならば、そうとは限らないかも知れないが、日々の生活の、優先順位の最後にしてしまっていては、いつまでだって後回しに出来てしまう存在なのだ。
少なくとも私の場合。

編み物を仕事として請け負っている間は、締め切りなんて気にせずに、ゆったり編みたいなあなどと思っているが、実際「どうしてもこの日に編み上げたい」という日が来ない限り、いつまでも編みかけのまましまわれているセーターが何着もある。あれも完成させないと、もう、何を編もうとしていたかもわからなくなって、結局最初から編みなおすことになってしまう。

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2007/11/20  14:31

敗北感  

パリでは先週に引き続き、ストライキの真っ最中。
しかも、今日は鉄道だけではありません。
どうして彼らの表現方法はこんなに極端なのでしょうか。

しかし、今日私が家で静かにしていなくてはいけないのは、地下鉄が動いていないからではありません。
昨日の夜、実に人生4回目のぎっくり腰に見舞われました。
もう出勤どころか、編み物も機織もろくにできません。
鉄道のせいで出勤できないのであれば、家での創作の時間稼ぎになります。
しかし、もう座っても立っても痛い。

現在部屋の小さな織り機にかかっているタピスリーを、今月中には終わらせたいので、これを更新する時間も、新しいセーターを編む時間も、部屋の模様替え(冬支度はそろそろしないといけないが)をする時間も惜しんで、先週はアトリエも休んでひたすら織っていた。しかしこれがいけないのだろう。
どうも、今座っている椅子も、腰への負担が多い気がする。

こういう時期は、大体体に少々不調を感じて、食事や生活リズムを見直そうとしているタイミングと重なる。不調を感じてからでは手遅れなのである。
ありがたいことに、最近風邪を引いたり熱を出して寝込むことはないのだけれど、何となくだるさを引きずった生活をしていたので、もう少し活気のある生活を取り戻したいとここに誓うのでした。

しなやかな心と体を手に入れるのです。

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