2008/10/13  13:35

月へ往くひと  家族

私の同居人は、話が要領を得ない。
話している最中、話題が急に変わる。ところで、とか、さて、という言葉も無ければ、息継ぎさえも無く、違う話が始まる。

最初は、私の語学力の問題なのかと思っていた。しかし、どうやらそうではなさそうなのだ。

彼はよく月へと旅立つ。勿論本当に月まで旅行するわけではない。自身の思考の中へ入ってしまって、上の空の状態を、そう言うのである。私に話題を振っておきながら、私が意見を述べると、もう聞いていない。既に別の話題について、考えをめぐらせている。周囲の声が聞こえなくなるほどの集中力があるのかと言えば、それはまた別の話で、同じ日の同じ時間に、複数の人と会う約束をするのも常習なほど、注意力散漫なのである。


最近、彼の作成した志望動機書を翻訳した。

仮にも、詩人を志している人である。文章力はあると信じていた。詩もいくつか訳したことがあるが、これは通常の作文とは違い、明確に筋が通っている必要は無い。言い切らず、含みを持たせ、解釈は読み手の想像力に委ねることが出来る。それに、フランスは紙社会であり、銀行や役所、電話会社など、あらゆるところに手紙を送らなければならず、私はいつもその作成の際、助けられている。

それが、その志望動機書、どうもそのまま訳しただけではよろしくなかった。主題が文章ごとにあちこちへ飛んでしまい、まとまりが悪いのだ。私の解釈が誤っているのだと思い、本人に確認したが、概要はあっている。仕方が無いので、少々内容の訂正を提案してみた。段落の順番を並べ替え、不明瞭な表現に説明を書き加える。結局、元の原稿から、大きく手入れすることになってしまった。

果たしてこれで良いのだろうか。応募するのは、彼であって私ではない。しかし、審査には通って欲しいし、そのためには、原本のままでは拙い。


最終的に、出来上がった文章は、私の言葉遣いで、本人の意向を取り入れたものになった。実際、フランス語を直訳したところで、そっくり日本語で意味が通じるかというと、そういうものでもない。日本に向けて送るのだから、これでいいのだろう。けれど、何だか、彼の書く詩にまで、不安を感じてしまった。

詩の場合は、日本語訳はあくまで、こういうことを言っているんですよ、という補助的なもので、日本人は洋楽を聴いても、歌詞の内容は重視していないだろう。しかし、フランス人はどうなのだろう。韻を踏んでいて、音の響きがよければ、何を言っているのかは問題ではないのだろうか。彼が志す、スラムというジャンルが、詩の意味に重点を置いているものであるとしても?

いや、文学界では、難解なものほど読み手の興味を引くものだ。宮沢賢治や中原中也、あるチュール・ランボーなど、生涯をかけて研究する学者もいるほどである。現代では、草野正宗もいる。全く脈絡の無い行間に、自分なりの解釈を見つけ出そうと、読者は何度も読み込むのかも知れない。

ただの非常識人か、天才肌か。親の欲目ならぬ、連合いの欲目。
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