2008/1/21 12:39
年末は忙しいもの!? 随筆
ようやく落ち着きを取り戻してきた。年末年始の日の騒ぎたるや、なぜにあんななのだろうか。年が明けて小一月たち、思うのは。どうしてあんなに騒がしいのだろうか。ということである。
ちなみに初めに断わっておくと、筆者自身、暇を望んでいるわけではない。
「忙しい」という表現が、言うと言わずと、世の中に染まるように広がる時期に、「どうしたら忙しさを低減できるか」という努力・方向性について一切触れられないのはちょっとおもしろいな、と思ったのである。
11月「紅葉はいいね」とか言ってお散歩している人も、12月になるとなんだかジワリと
「多忙感」を出し始める。それは現に予定が詰まってきてそうするのではなく、「12月」に入ったからに他ならない。12月は一年の最後の月。日本では昔から盆暮れは「他の時期とは別」なのである。何が別かはともかく、とにかく「別」にするのが相場である。掃除をして、年内にすべて終わらせることになっている。具体的には、お休みするのである。
私が思ったのは、「締めくくろう」とするのではなく、「忙しくする」ことそのものが、日本の12月の意味なんじゃないか、ということである。ただし、疲弊は見せず、盛況を呈するという意味で。
日本では古来おせち料理を作ってそれで年を越す。保存食だが、同時に縁起物がたくさん詰められて、お正月盛り上がるのだ。これを作ることも年末にやらねばならないことなのだ。無粋と言わずに聞いてほしい。今ではコンビニもあるし、保存食を用意して年末を迎えなくとも、腹ぺこで飢えることはないはずである。
でもおせちはみな用意する。
面白いことに買ってでも用意する。それもかなりいい金子(キンス)で、買うのである。そして、これが興味深いのは「買えば簡便ね」という意味合いで買うのではないということである。まず何にしようか大いに選び、よしと思うものに、相当の労を要して争奪する。市中では、かような需要にこたえるべく、それは華やかで、相応の金額の、おいしいおせちがたくさん作られるのである。中には味にこり過ぎて、保存が効きにくい本末転倒なものも見受けられる。
この一点を取っても、冒頭の疑問はそれほど無理もないことだろう。
日本人はさらに、主にキリスト教の行事であるクリスマスを積極的に、かつミサなど真意の部分ではない手間のかかる、イベント的なところを中心に取り入れていることを忘れてはならない。ちなみにこれをやるヨーロッパでは、別盛りでお正月を仕切りなおしたりはしない。
クリスマスに十二分のイベントを行い、12月25日を過ぎて、本格のお正月にしっかり切り替えねばばらないことになっている、のである。
こうして、簡単に上げるだけでも、かなりめんどうくさい。おびただしく面倒である。
最近の日本の年末年始は、明らかに、「締めくくって気持ちを新たに」ではなく、「なにか盛り上がろう」という意味合いのほうが強くなっているということではないか。
「盆暮れ」だけは特別なのだから、少しでも華やかに、賑やかに、盛りあがることにしているのである。少しでも「あくまで盛り上がる」という決意すら感じる。
何か新たに仕切り直し、というのも大切な気がするのである。
一方でこういうことに日本人のたくましさみたいなものを感じないではいられない。
だって、欧米スタイルを取り入れるだけではなく、自分たちの今まで築き上げてきたしきたりをも、あまり頓着せずに、ともかく自分たちのイベントにしてしまうのには、われながら大したものだと思わずにはいられない。
こうして考えていくと、「どうしたら少しでも忙しくなくなるか」などと考えることは、昔の日本にも失礼だし、今の日本でもとてもネクラな、さみしいことのように思われてくる。こんなスタンスをとる可能性はまずないのだろう。自明である。
したがって、なるほど。
たくましい日本人、年末はもちろん、大忙しに違いない。
来年も、再来年も。
あと340日強。まずは来年のお正月どんななのだろうか。
鬼は笑っても、気になってしまう。
ちなみに初めに断わっておくと、筆者自身、暇を望んでいるわけではない。
「忙しい」という表現が、言うと言わずと、世の中に染まるように広がる時期に、「どうしたら忙しさを低減できるか」という努力・方向性について一切触れられないのはちょっとおもしろいな、と思ったのである。
11月「紅葉はいいね」とか言ってお散歩している人も、12月になるとなんだかジワリと
「多忙感」を出し始める。それは現に予定が詰まってきてそうするのではなく、「12月」に入ったからに他ならない。12月は一年の最後の月。日本では昔から盆暮れは「他の時期とは別」なのである。何が別かはともかく、とにかく「別」にするのが相場である。掃除をして、年内にすべて終わらせることになっている。具体的には、お休みするのである。
私が思ったのは、「締めくくろう」とするのではなく、「忙しくする」ことそのものが、日本の12月の意味なんじゃないか、ということである。ただし、疲弊は見せず、盛況を呈するという意味で。
日本では古来おせち料理を作ってそれで年を越す。保存食だが、同時に縁起物がたくさん詰められて、お正月盛り上がるのだ。これを作ることも年末にやらねばならないことなのだ。無粋と言わずに聞いてほしい。今ではコンビニもあるし、保存食を用意して年末を迎えなくとも、腹ぺこで飢えることはないはずである。
でもおせちはみな用意する。
面白いことに買ってでも用意する。それもかなりいい金子(キンス)で、買うのである。そして、これが興味深いのは「買えば簡便ね」という意味合いで買うのではないということである。まず何にしようか大いに選び、よしと思うものに、相当の労を要して争奪する。市中では、かような需要にこたえるべく、それは華やかで、相応の金額の、おいしいおせちがたくさん作られるのである。中には味にこり過ぎて、保存が効きにくい本末転倒なものも見受けられる。
この一点を取っても、冒頭の疑問はそれほど無理もないことだろう。
日本人はさらに、主にキリスト教の行事であるクリスマスを積極的に、かつミサなど真意の部分ではない手間のかかる、イベント的なところを中心に取り入れていることを忘れてはならない。ちなみにこれをやるヨーロッパでは、別盛りでお正月を仕切りなおしたりはしない。
クリスマスに十二分のイベントを行い、12月25日を過ぎて、本格のお正月にしっかり切り替えねばばらないことになっている、のである。
こうして、簡単に上げるだけでも、かなりめんどうくさい。おびただしく面倒である。
最近の日本の年末年始は、明らかに、「締めくくって気持ちを新たに」ではなく、「なにか盛り上がろう」という意味合いのほうが強くなっているということではないか。
「盆暮れ」だけは特別なのだから、少しでも華やかに、賑やかに、盛りあがることにしているのである。少しでも「あくまで盛り上がる」という決意すら感じる。
何か新たに仕切り直し、というのも大切な気がするのである。
一方でこういうことに日本人のたくましさみたいなものを感じないではいられない。
だって、欧米スタイルを取り入れるだけではなく、自分たちの今まで築き上げてきたしきたりをも、あまり頓着せずに、ともかく自分たちのイベントにしてしまうのには、われながら大したものだと思わずにはいられない。
こうして考えていくと、「どうしたら少しでも忙しくなくなるか」などと考えることは、昔の日本にも失礼だし、今の日本でもとてもネクラな、さみしいことのように思われてくる。こんなスタンスをとる可能性はまずないのだろう。自明である。
したがって、なるほど。
たくましい日本人、年末はもちろん、大忙しに違いない。
来年も、再来年も。
あと340日強。まずは来年のお正月どんななのだろうか。
鬼は笑っても、気になってしまう。
