2008/5/13  21:41

もう一つの日本文化(アイヌ工芸品のすばらしさ)  文化・芸術

 4月、職場に2年間の期限付きで、福島県から33歳の男が交流人事でやってきた。
 2人の子持ちであるが、もうすぐ3人目が生まれるとのことで、8月までは単身赴任である。自由な時間があるとのことで、ニ風谷のアイヌ文化を観にいかないかと誘ったところ、「行きたい」とのことで、5月11日に案内した。

 札幌からニ風谷までの車での移動の間、どのくらい「アイヌ」や「アイヌ文化」について知っているか聞いた。
 萱野茂さんが国会議員だったことや、テレビでのニ風谷の特集(萱野さんの資料館やミニFM局、アイヌ語教室など)を知っていた。

 私が、「アイヌの木彫り」について、どんなものがあるか聞いてみた。
 「ニポポ人形」や「アイヌ夫婦木彫り人形」「木彫り熊」を挙げた。
 私が、それらは、少なくとも「アイヌの伝統的な木彫りではない。」と説明するとびっくりしていた。

 彼は、一般的な評価でいうと、教養のある人間の部類に入る。
 だから、萱野茂さんの国会議員や、テレビでのニ風谷特集も知っている。
 ただし、この日本では、よほど自分から突っ込んで「アイヌ(文化)を調べないと、正確な知識を得ることができない」のが現状だ。

 彼の挙げた「ニポポ人形」や「アイヌ夫婦木彫り人形」「木彫り熊」についても、一般的な情報としては誤っていない。
 実際、阿寒湖(アイヌコタン)の30軒ほどの民芸品店をざっと回れば、彼のことばどおりだと思う。

 「本物のアイヌの木彫り文化」を知ってもらうには、論より証拠。
 二風谷を観てもらうしかない。次の施設(店)を回った。
 @北の工房つとむ(貝澤徹さんの店) TEL:01457-2-3660
 Aニ風谷工芸センター
http://www.ainu-museum-nibutani.org/html/kougN.htm
 Bニ風谷アイヌ文化博物館
http://www.ainu-museum-nibutani.org/html/haku0N.htm
 C萱野茂・ニ風谷アイヌ資料館
http://www.ainu-museum-nibutani.org/html/sryo0N.htm
 Dつとむ民芸店(貝澤幸司さんの店) TEL:01457-2-2694

 『イタ(お盆)』や『マキリ』、『パスイ』などを観ることは、彼にとって初めての経験だった。
 だが、全国の伝統工芸品(例えば、会津の漆工芸品)に精通している彼にとっては、その工芸的価値はすぐ理解できたようだ。とても驚き感激していた。

 彼は、2つの理由があるという。
 1つは、日本文化と隣り合った文化で、日本とは全く異なる洗練されたデザインを持つ文化があったということ。
 もう1つは、「うろこ彫り」など、高度な木彫り技術についてだ。
 彼によれば、アイヌの木彫り品は彩色をしない。その分、彫る技術が進んだのはないかとのこと。

 私は、「ここに観ている作品は、普通の日本文化でいえば[人間国宝]級の工芸家が作ったもので、アイヌの木彫り品の全てが、このレベルではない。」と弁解するほどだった。

 *札幌への帰路、新千歳空港ターミナルへ寄って、3Fのアイヌ工芸品のワゴン販売を見せた。
 彼も、普通のアイヌ工芸品は、単なる土産品的なものですね、と言っていた。

 ニ風谷の木彫り品については、さきのように高い評価をしていた彼であるが、次のような指摘もしていた。
 北の工房つとむ(貝澤徹さんの店)の木彫り工芸品については、とても気に入った様子であったが、その価格(採算性)に疑問があったようで、徹さんに「制作日数」について質問していた。

 新千歳空港ターミナルから札幌への帰路、彼から「普通の土産品」と「高度な工芸品」との価格の差があまりないのはどうしてなのか、と聞かれた。

 私は、「日本の現状として、アイヌ文化に興味を持ったり、高い評価をつけたりする人間が少なすぎる」と答えるしかなかった。

 話は変わる。
 私は、昨年6月5日のブログなどにも書いたように、アイヌ木彫り工芸品を生活の中で使用している。
 理由は単純である。優れたものだからだ。

 今回の二風谷で、もう1つ優れた工芸品を見つけ、買い求めた。
 貝澤幸司さんの作品で、『第31回全国伝統的工芸品コンクール(平成18年度全国伝統的工芸品公募展、主催:(財)伝統的工芸品産業振興協会、後援:経済産業省ほか)』で『生活賞』に入賞した『アイヌ工芸品・メノコイタ(まな板)』だ。
 *つとむ民芸店(貝澤幸司さんの店)01457-2-2694

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 早速、我家では使用している。
 このメノコイタの優れているところは、装飾性だけでなく、使用に当たって、切った具材を転がらないよう溜めておける窪みがあることだ。
 このメノコイタは、アイヌの伝統を踏まえた生活用具でもあるが、それがこのように合理性があって日常生活に使用できるのは、すばらしいことだと思う。

2008/5/5  23:46

もう一つの日本文化(マキリ・その9)  文化・芸術

 『マキリ』〜アイヌの木彫工芸品のすばらしさを通して、アイヌ文化のすばらしさを紹介していくことを基本に昨年3月から始めたブログであるが、マキリ関係の記事が少なくなっている。

 これにはいくつかの理由があるが、最大のものは、この1年間によって私なりのマキリに対する価値観というものが固まってきたことによる。
 あくまで個人的な好みという範疇ではあるが、「本当にいい」「すばらしい」と思えるものは、少なくなってきている。

 私の価値観に最大の影響を与えてくれたのは、言うまでもなく浦川太八さんであり、学んだ価値観〜評価の基準(基本)は、次の3点である。

 @マキリは、あくまで実用の道具である。飾っておくものではない。
  実用に使えない作り(柄の材質、刃の実用性など)は、評価外である。

 Aマキリは、アイヌ文化の重要な1つである。
  制作方法、文様などにおいて、伝統を踏まえないものは、評価できない。

 Bマキリ(ナイフ)の機能性を追及して出来上がった形状とデザインの美しさを有していること。
  機能美の問題。例えば、アクセサリーのような文様は、マキリにふさわしくない。

 私所有のマキリで、現在まで紹介してこなかったものを2点ほど紹介したい。
 いずれも、今年になってから入手したものであり、すばらしいものである。

 まずは、ヤフーオークションで入手したものである。
 種々のマキリ関係の図録(関係資料)には、同一制作者のものと思われるマキリが5本以上見うけられる。
 製作年代等は不明であるが、少なくとも昭和初期以前であると思われる。

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 次は、次は、2月17日(日)、新千歳空港ターミナルビルで開催された『アイヌ民芸品展示会(ウタリ協会主催)』で入手した『藤戸幸夫』氏という網走郡在住の現代作家のものである。
 このマキリは、「メノコマキリ」(女性用のマキリ)である。
 当然、通常のマキリ(男性用のもの)とは、用途が異なる。
 例えば、エゾシカの解体に使われることはない。
 大きさについては、浦川さん制作のマキリと比べてほしい。

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 参考まで、藤戸幸夫氏のHPをご紹介する。
 http://www17.plala.or.jp/inokakuru-yuki/

 *藤戸幸夫氏は、著名なアイヌ彫刻家『藤戸竹喜』氏の弟でもある。併せて藤戸竹喜氏のHPもご紹介する。
 http://kumanoya-fujito.ftw.jp/u11704.html

2008/4/30  23:25

もう一つの日本文化(アイヌ文化への敬意)  文化・芸術

 だいぶ前のことになってしまったが、3月16日に開催された「第2回 伊福部昭音楽祭」に行ってきた。

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 1月20日のブログでお知らせしたとおり、今回演奏された曲でアイヌに関わりのあるものは、次の2つであった。

○室内オーケストラのための「土俗的三連画」 
○管弦楽の為の「コタンの口笛」(オーケストラ版/“アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌”より)〜ソプラノ:藍川由美
 
 後者のオーケストラ演奏とソプラノ独唱はすばらしかった。

 オリジナルの曲は、昭和31年にアイヌ語の伝承詩によって書かれた『アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌』の第2曲である『北の海に死ぬ鳥の歌』であり、昭和34年に制作された、アイヌ民族を描いた映画『コタンの口笛』のタイトル曲でもある。
 この曲の詩はアイヌであり北海道大学教授でもあった知里真志保の採録になるものであり、伊福部の曲は昭和20年代後半に採録した釧路アイヌのメロディーを下敷きにしたものとのこと。

 本当にすばらしい曲と演奏・独唱だった。
 ここまでは、私にとっても、あのコンサートに行った多くの人にとっても真実のことだと思う。

 では、この曲を「すばらしいアイヌの曲(音楽)だった。」と書くことはできるだろうか?

 それを判断できるのは、アイヌだけなのだろう。
 その評価は、アイヌに任せよう。

 アイヌによる評価とは別の事柄として、私もある見解を持っている。

 そのことを書く前に、次の事例を紹介したい。

 2002年にサッカーのワールドカップ日韓共催が開催された。
 テレビでの試合放映の度に流されていたテーマ曲(正式には『公式アンセム』)を覚えているだろうか。
 琴のような音色のメロディーと和太鼓、コーラスが印象的で、東洋的な音階と楽器がうまく融和した壮大なオーケストラ曲である。

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 その曲を作ったのは、日本人でも韓国人でもない。
 ギリシャ人で映画音楽で有名な『ヴァンゲリス』という作曲家である。

 *1943年生、シンセサイザー奏者・作曲家。映画音楽では、炎のランナー(1981)、ブレードランナー(1982)、南極物語(1983)などが有名。
 
 彼はきちんと日韓の音楽を研究し、日本人にとっても、韓国人にとっても自国の音楽として感じられる音楽として、そして、他の国の人々には日本と韓国を感じさせる音楽を作ってくれた。

 *日本人には和太鼓が印象的で「日本」感じさせるが、韓国人には「アリラン」を引用した旋律と韓国打楽器サムルノリが「韓国」を感じさせる。

 この曲は、日本の音楽でも韓国の音楽でもない。
 しかし、日本と韓国の音楽に敬意を払った曲であることは断言しても良い。
 アメリカ人やヨーロッパ人などの中には、この曲がきっかけとなって、日本や韓国の音楽(文化)に興味を持った人もいると思う。

 私は、伊福部の『コタンの口笛〜オーケストラ版』も同じように感じる。
 アイヌ音楽ではないが、アイヌ音楽に敬意を払った曲であり、この曲がきっかけとなって、アイヌ音楽(文化)に興味を持つ人もいると思う。

 *個人的なことであるが、私は1970年代後半からヴァンゲリスのファンである。
 彼が1979年に「チャイナ」というアルバムを発表した。
 中国をモチーフにした作品であるが、そのときは、ひどく俗っぽい、安易な音の作り方のように感じ、好きにはなれなかった。
 それから2年あたり経った頃、ヴァンゲリスによるこのアルバムへのコメントを読んだ。
 大筋では次のような内容だったと記憶している。
 『私はアルバム「チャイナ」に様々な批判があることを知っている。
私は東洋人でも中国人でもない。だが、私は、私が感じる中国を、中国に敬意を払って忠実に表現したつもりだ。自分としては何ら恥じるところはないと考えている。』

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 話は変わる。
 「第2回 伊福部昭音楽祭」が開催された日(3月16日)、釧路市にあるレストランがオープンした。
 そのレストランのHPから一部を紹介する。
 http://www.i-omante.com/

 『あるとき、フランス料理の修業を続ける料理人が、広い東北海道で”アイヌ料理”と出会いました。 
 それは一種の啓示だったのかもしれません。
 この異なる文化圏の、食文化の巡り合いには思わぬ共通点がありました。                                       
 それは、素材が持つ美味しさや旨みを最大限に引き出すこと。
 さらには、地場のものを旬の時期に見た目にも鮮やかにお料理すること。
 そして、素材が生まれる瞬間から朽ちる瞬間まで、その「一瞬」ごとに価値を見出すこと・・・
 料理人として「なんでも器用に作る」は、じつは「なにも作りだしていない」のかもしれない。そう気づかされました。
この「くしろ」で自分が本当に作りたい物をつくる。
それがアイヌ料理とフランス料理とのささやかでも大きな出会いを“創る”こと。
ようやく私たちの”芽”が息吹き始めます・・・・』 

 アイヌ料理の要素を取り入れたメニューは、次のようなものがある。
 『達古武豚スペアリブとトマト、西洋野菜の〜ポネ・オハウ〜』
 『釧路産サーモンとキタアカリピューレの重ね焼 アイヌ料理のコンブシト風』 
 『阿寒産エゾ鹿肉とフォアグラのパイ包み焼、シケレべソース』 

 私は、この情報を知ったとき、2つのことを考えた。
 1つは、店名が「イオマンテ」という奇をてらったものであり、観光客向けの際物かな、というもの。
 もう1つは、アイヌ文化に敬意を払った(和人による)フランスレストランかな、という期待。

 先日(4月24日)に行って、『達古武豚スペアリブとトマト、西洋野菜の〜ポネ・オハウ〜』を食べてきた。

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 私が感じたのは、次のようなことである。

 まず、料理の味は、まったくアイヌ料理ではない。

 *紋別市にも同じような趣向の店(レストラン・ネーフ)がある。
 北海道産の素材を使って、フランス料理の手法を用いて表現した、すばらしい『北海道のフランス料理』店である。

 だが、アイヌ文化に敬意を払っていることは、メニューのデザインをはじめ、店内の随所に少しづつ感じられた。
 決してアイヌ文化とかを前面に出すことはしない。
 だが、『北海道のフランス料理』という『北海道』の中の重要な要素として、アイヌ文化を位置づけしているように感じた。

 この店の料理がきっかけとなって、アイヌ料理に興味を持つ人が増えることを期待したい。

 作年11月18日のブログにも書いたが、本当のアイヌ料理は、阿寒湖などで食べることができる。
 私のお奨めは、阿寒湖の「ポロンノ」の「ユックオハウ・セット」である。
 ユックオハウ(鹿肉の具沢山のスープ)とご飯、メフン(鮭の腎臓の塩から)の3点セットで850円と値段も手頃だ。
 http://jns.ixla.jp/users/taka20001116845/
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2008/3/10  22:13

もう一つの日本文化(浦川さん直伝のアイヌ料理・その2)   文化・芸術

 2月23日に浦川さんにお願いした「マキリ刃の付替え」であるが、一昨日(3月8日)、受取りに行ってきた。
 できについては、論より証拠で、写真を見てほしい。

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 上段が付替え前、下段が付替え後である。
 やはり、浦川さんのすばらしい木彫りがなされた鞘と柄には、下段の刃物の方がふさわしい。

 先日いただいたシカ肉についてもお礼を言って、ブログに、浦川さん直伝のアイヌ料理として、ダイコンのユックオハウのレシピを載せたことを伝えた。
 私が彩りのためにニンジンも入れたことを言うと、浦川さんは、野菜はダイコンにこだわらなくてもいい、ニンジン、ジャガイモなどいろいろな野菜を入れることもあるとのこと。
 本当は、プクサ(ギョウジャニンニク)を入れるとおいしい。
 アイヌは、プクサを春に採り、そのときも食べるが、茎と葉に分けて細かく切って乾燥・保存させ、オハウなどで一年中使っていたとのこと。

 と、ここまでは「アイヌ伝統料理」として紹介できるのであるが、この続きの話は、このブログに載せるかどうか迷った。

 迷ったが、「浦川さん直伝」ということで、そのまま紹介することとする。
 その次に浦川さんの口から出た説明は、「最後にカレー粉を少し入れると、隠し味となっておいしい。」とのこと。
 でもこれでは、「アイヌ伝統料理」ではなく「オヤジの創作料理」である。

 先日いただいたシカ肉(ももとすね)は、一週間の塩漬け後、昨日塩抜きし、ハムとしての加工作業、ラッピング・麻ひもで縛ったところである。
 できについては、10日後あたりに判明する。後日、ご報告したい。

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 昨年から数回、浦川さんからシカ肉をいただいている。
 かたまり(ブロック)でいただいているので、毎回、整形作業(肉の塊から余分な脂肪・スジ等を取り除き、肉を小分けする)を行っているが、少しは慣れてきた。
 シカ肉は、脂肪が少ない肉ではあるが、整形時は、やはり脂肪をかなり捨てることになる。
 少しもったいない気がして、その話を浦川さんにしたら、シカ油の取り方を教えてくれた。
 脂身などを鍋でお湯とともに煮る。きれいな油以外のカス部分は取り除く。
 一晩置くと(この作業は冬に行うので)朝には、真っ白なシカ油が鍋の表面で固まっている。
 前の晩の最後に「糸」を垂らしておくと、朝の油採取が楽にできる。(糸を引っ張るだけで取れる。)

 こうして採ったシカ油は、調味料として、野菜炒めなどに使っていた。
 調味料の油は、他に「タラ油」「クマ油」などを使っていたとのこと。

2008/3/5  23:57

もう一つの日本文化(貝澤徹さんはアイヌ失格か?)   文化・芸術

 昨年夏、ネットで「マキリ」をキーワードで検索していたら『○○○○(人名)・マキリの彫刻展』という展示会を見つけた。
 函館市にある個人経営のギャラリーだという。
 よいマキリであれば見に行かなければならない。(見に行きたい。)
 ただ、その人名に見覚え・聞き覚えがないので、ギャラリーに電話して、どのような人なのか、お聞きした。

 「○○○○さんは、アイヌの方ですか?」との問いに対し、返ってきたのは次のような説明だった。
 「○○○○さんは、一年のうち3分の1を森や川で過ごしています。アイヌではありませんが、もうほとんどアイヌのようなものです。・・・」

 あくまで個人的な感想であるが、なんだか、がっかりして結果として行かなかった。
 善意で判断すれば、「アイヌと同じように、自然に敬意を払っている方です。」ということだったのかもしれない。
 ただ、私には、ひどく安易な説明に感じた。

 話は変わるが、私が大きく敬意を払っているアイヌ木彫り工芸家は二人いる。
 一人は浦川太八さん、もう一人は貝澤徹さんである。
 (昨年8月8日のブログでもお二人を紹介している。)

 二人の作風は大きく異なる。
 二人ともマキリもイタ(お盆)も作るが、私個人の好みを言えば、マキリは浦川さん作、イタは徹さん作の方が好きである。
 私個人の独断と偏見で作風を表現すると、浦川さんの作品は『実用に裏打ちされた精緻な美しさ』があるし、徹さんの作品は『アイヌの伝統に裏打ちされた温かみと雅な美しさ』がある。

 2月17日(日)、新千歳空港ターミナルビル2階「センタープラザ」で開催された『アイヌ民芸品展示会(ウタリ協会主催)』に行ってきた。
 徹さん作のすばらしいイタがあり、おもわず買ってしまった。

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 本当に貝澤徹さんは、すばらしいアイヌ工芸家である。

 その徹さんに、さきの函館のギャラリーとのやりとりを話したことがある。
 徹さんに「年に何日ぐらい山に行くのか」聞いてみた。
 徹さんは「いやー、年に3〜4日ぐらいかな。アイヌ失格かな?」と笑っていた。
 私は、徹さんをすばらしいアイヌだと思う。

 徹さんの昨年の活躍をご紹介する。

 タイの首都バンコクから東北に600kmほど行った、ラオスとの国境に近いところに「ウボンラーチャターニー」という都市がある。
 そこでは、毎年7月末、「ろうそく祭り」が開かれる。元々は、出家した僧侶たちが精神の鍛錬のために蝋を使って彫刻をしはじめたのが始まりで、現在は、蜜蝋で作った精密な彫刻を載せた巨大な山車が何百台も出るう大きなお祭りとなっている。
 一昨年から、タイ国政府観光庁の主催で、このお祭りに国際部門ができた。

 昨年2月の札幌雪まつりにタイチームが参加した(日本側が招待した)ことを受けて、7月の国際コンテスト(7カ国参加)には、日本代表として徹さんが参加した。(タイ側から招待された。)
 1m×1m×1mの大きな蜜蝋の塊を3つ重ねたものを彫刻するという豪快なもので、徹さんは、地元の美術大学の学生をアシスタントに3週間かけて作り上げた。

 タイ国政府観光庁で日本語の通訳をされている方のブログと徹さんから提供を受けた写真を紹介する。
 http://blogs.yahoo.co.jp/kentarothailand/4248142.html

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2008/3/2  10:17

もう一つの日本文化(浦川さん直伝のアイヌ料理)   文化・芸術

 2月23日、浦川さんのところに頼みごとに行ってきた。
 昨年夏に譲っていただいたマキリ(函館市立博物館にあるシタエホリのマキリのレプリカ、昨年6月9日のブログで紹介:写真参照)であるが、その時点からどうも刃が気にいっていなかった。

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 柄と鞘の存在感に対し軽すぎるというか、安っぽいというか(浦川さん、ごめんなさい)、好きでない。とずっと思っていたところに、日本刀の残欠から作られた刃(15cm未満の合法品)が入手できたので、付け替えの依頼に行ってきた、ということである。

 以前からご紹介しているように、浦川さんのマキリづくりは、刃や柄を再利用できることを前提に行われている。
 刃の取替え(本来は、刃の磨耗等による取替え)は、当然できる。

 取替え作業は、次のように行うとのこと。
 柄に刃を取り付ける(固定する)にあたっては、松脂を使用している。
 (刃の根元部分を収める柄の穴を松脂で埋めて、刃の根元を加熱した上で差込む。溢れた松脂は冷え固まった後、削り取る。)
 今回、外すにあたっては、刃を万力等で固定して、柄を木槌で注意深くたたく。
 すると、松脂は割れて、刃を取り外せる。

*合成接着剤を使用していると、こうはいかない。柄を壊すことになる。
 昨年9月11日及び10月11日のブログにも書いたが、浦川さんが、アイヌ文化振興・研究推進機構の「アイヌ生活文化再現マニュアル(マキリ・タシロの製作方法)」について、批判的なのは、アイヌの伝統的制作方法を無視しているからだ。

 「急ぎませんから」ということで、預けてきた。
 後日、生まれ変わったマキリをご披露することにしたい。

 今回、刃の付け替えを依頼したマキリは、いわば「シタエホリ(シタエーパレ)写し」である。
 浦川さんもマキリ制作は、ここ2〜3年は年10本程度、それ以前は年3〜4本程度であるが、昨年春以降の制作の半数以上は「シタエーパレ写し」である。
 なぜ、そうなったか?

 浦川さんは、一昨年の末、「シタエーパレ作のマキリ」を持っているという人から、そのマキリを自慢げに見せられたとのこと。
 しかしながら、浦川さんが見るには、シタエーパレ作というには、あまりに彫りが稚拙で、とても本物とは思えなかったとのこと。
 そのとき、こうも考えたとのこと。
 「こんなのが、シタエーパレ作だというなら、俺の方がずっと上手に彫れるぞ!!」
 それで、昨年春以降は、ずっと「シタエーパレ」に挑戦とのこと。

 今回も、訪問当日の2日前に獲ったというエゾシカ肉をいただいた。
 あばら肉1枚と後ろ足1本(ももとすね)、7kgちょっとだ。

 いただいて1週間、我が家(マンション)のベランダに置いて熟成させた。(ここ1週間、札幌の日中の最高気温は、最高でも5℃、マイナスの日が多かった。)
 昨日、「ももとすね」肉は、とりあえず塩漬けし、用途は1週間後に決めることとした。
 あばら肉については、浦川さんの工房で何度かごちそうになっている「オハウ(具沢山のスープ)」を作った。
 前回作ったときに比べ、とてもおいしくできた。
 浦川さん直伝の作り方を紹介する。

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<材料>
・エゾシカ肉(あばら肉がおいしい。浦川さんは骨付きのまま。私は骨を外して使った。)
・昆布
・ダイコン
・ニンジン(浦川さんは入れていない。私は彩りの点からも入れる。)
・塩、しょうゆ、一味(七味)唐辛子

<作り方>
1.エゾシカ肉は、食べる大きさ(一口大)に切る。
*アイヌ料理のエゾシカ肉は、副食ではなく主食である。肉を腹いっぱい食べる、といったイメージでの「食べる大きさ」を決める。

2.大きな鍋に湯を沸かして、火を止め、切ってあるエゾシカ肉を入れ、10分ほどそのままにする。
*この作業は、エゾシカ肉のアク出しである。これ以降は、アク出し不要。

3.煮込む鍋に水と昆布を入れ、沸騰したら、ダイコン(適宜:厚み2〜3cm、1/2または1/4)、ニンジン(適宜)、「2」から取り出したエゾシカ肉を入れ、塩で味付けする。
*基本的には、これでおしまいである。しょうゆは、汁に色を付けるといった感じで使うだけ。食べるときに一味(七味)唐辛子を入れるとおいしい。

4.煮込む。(浦川さんは、薪ストーブにかけたまま。私は20分ほど煮込む、具がやわらかくなっておいしい。)

 前回は「もも肉」で作ったが、やはり「あばら肉」の方がずっとおいしい。
 前述したが、アイヌ料理のエゾシカ肉は主食なので、ご飯を食べずに肉を食べるが、私は和人なので、これをおかずにご飯を食べた方がおいしいと感じる。

 アイヌにとって、「肉が主食」なのは、いろいろな文献に記述されているが、浦川さんの話や浦川さんの実際の生活から、それが確認できる。
 本当に文化(生活における価値観)とは、多様なものだと思う。
 (現在においては、「肉が主食」でないアイヌ〜例えば、貝澤徹さん〜の方が絶対的多数派であることも事実だが・・・)

 なお、前述したシタエーパレは、まちがいなく肉食である。
 江戸時代末期、蝦夷地を盛んに探索した松浦武四郎の著述「近世蝦夷人物誌(1858)」に記されている。
 『彫工シタエホリ・・・(択捉島)ナイホといへる処に一人の土人あり、頗る勇あり。卿か会所の令を用いずして、我が親迄は肉食皮服の徒なるに我何ぞ敢えて綿衣穀食を欲せん。肉を喰いて皮を着るべきなりとて、一粒の米を喰はずして唯常に一柄の小刀を以って彫物をなし・・・』

 先日の夕食の際、次のような話があった。
 冬場、アイヌは3〜4日、山小屋を拠点に鹿猟等を行うことがある。
 その際の食事として、ある鍋にサヨ(おかゆ)を炊いておく。山小屋は寒い(日中は人がいない)ので、悪くならない。
 そして、毎食それを食べるのだが、1食分はご飯茶碗に半分程度。主食は獲ってきた獣肉である。サヨは、デザートというか、口直し程度に食べるのみである。

 浦川さんも、オハウを食べるときは、米の飯を食べない。

2008/2/21  6:21

もう一つの日本文化(サンクトペテルブルグにいる兄マキリ)   文化・芸術

 昨年10月9日のブログで私が持っている貝澤徹さん制作のマキリを紹介した際、同じデザインのマキリが5本あることを書いた。
 いわばこのマキリは5兄弟であり、私のマキリは2番目に生まれた。つまり1本の兄と3本の弟を持つことになる。

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 私が浦川さんに作ってもらったマキリも、全て2〜3本は同じデザインのものが作られている。すべて兄弟がいるということだ。
 浦川さんに聞くと、ある時期に同じ(似たような)デザインのものをまとめて作っているという。
 つまり、同じ制作者が同じデザインのマキリを複数本作っているということである。
 これは、作り手からすれば、気に入った作品を複数作ることは、その品質、完成度を高めることになり、合理性があることになるのだろうと思う。

 なぜ、このようなことをくどくどと書いたかというと、以上のことを前提にすると、あるマキリについて、同じ制作者による同じ(似たような)デザインのマキリの素性が判明すれば、その兄弟マキリについても出自を推測することが可能になると思うからだ。

 昨年4月7日のブログで、ヤフーオークションで入手したものを紹介した。
 『そう古いものではないとは思う(50年ほど前、戦後の作と思う〜根拠は、譲っていただいた方の言によれば、1990年頃、白老のアイヌ民芸品店で木彫りに使用していたものを譲り受けた、父親の代から使っていたとのこと)、デザインは、和人の影響を若干受けたアイヌらしいものである。』と書いた。
 この推測は誤っていたかもしれない。

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 昨年秋、札幌の「北海道立アイヌ民族文化研究センター」資料室で、ある博物館の図録(写真資料)を見ていて、あのマキリと瓜二つの写真を見つけた。

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 その博物館はロシアのサンクトペテルブルグにある「ロシア民族博物館」であり、図録は「ロシア民族博物館所蔵アイヌ資料目録」というもので、昨年2月25日に発刊されたものである。(草風社発行:18900円)

 ロシア民族博物館が所蔵するアイヌ資料は、2600点を超え、世界最大のものである。
 この書籍(図録)は、北海道立アイヌ民族文化研究センターが、3年間をかけ行った「ロシアのアイヌ資料調査」の当該博物館所蔵部分をまとめたものである。
 関係識者にお伺いしたが、その方のご意見は、この2本のマキリは、サイズ、デザイン、彫り方まで驚くほど酷似しており、同じ人間が制作したと判断せざるを得ない、といったものだった。

 *正確には、サイズが3〜5o異なっているとか、彫ってある装飾の線が1本異なっているとかがある。

 *浦川さんにも意見をお伺いしたが、アイヌはマキリを作るとき、デザインの図面を描いて作ることはしない。
 自分としては同じデザインのマキリを作ったつもりでも、装飾の線が1本多いとか少ないとかは、よくあることとのことだった。
 この2本のマキリは、そう時期を隔てない(1〜2年以内)で制作されたと思うとのことだった。

 ロシア民族博物館所蔵のマキリは、その採集などについて、詳しい記録が残っている。それによると、同博物館職員のヴィクトル・ヴァシーリエフィにより、1912年8月22日、北海道平取町の二風谷で採集したとなっている。
 当然、制作はそれ以前であり、私のマキリもそのあたりで制作されたと推察される。

 写真でお分かりのように、ロシア民族博物館所蔵のマキリの方が、私の持っているマキリより損傷が激しい。このことことから、「兄マキリ」と推察する。

 この兄弟マキリは、少なくとも96年間は、別の国で暮らしており、私の夢のひとつとして、この兄弟の対面をさせることを行いたい。

2008/2/19  21:51

もう一つの日本文化(浦川さんとの夕食会)   文化・芸術

 さきの3連休(2月9〜11日)、札幌の「かでる2・7」というビルで、「北海道アイヌ伝統工芸展」(主催・北海道ウタリ協会)が開かれた。
 浦川さんが出展(実演・即売)すると聞いていたので、初日午前中に行った。
 一般の展示がメインであるが、実演・即売コーナーとして、木彫りでは浦川太八さんと貝澤幸司さん(貝澤徹さんの弟)が出展していた。
 マキリの展示は、浦川さんが3本、幸司さんが2本、徹さんが1本、一般出展者が1本という状況だった。(即売可)

 今回の展示は、どれもすばらしい。1本だけ買おうと考えていたので、迷った。
 迷って、当日決められず、一晩考えて、翌日、浦川さんのを買った。(貝澤幸司さんのマキリの方がすばらしかったような気もする。)
(浦川さん制作のマキリ)
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*根付は「深海松」。深海松は黒珊瑚とも云われ、北洋海域で稀に採取されることがある貴重な珊瑚、深海700〜1000mという深海に生息しているといわれている。

 さて、今回の展示会では、前々から考えていたことがあって実行した。
 それは、私はここ2年ほど何度か浦川さんの作業場を訪問した際、ユックオハウ(鹿肉のスープ)やらトゥレプ(オオウバユリ)のシト(団子)をご馳走になったり、鹿肉、熊肉の加工品(自家製の缶詰、サラミ等)、昨年暮れには鹿撃ち同行と鹿肉20kgをいただいくなど、お世話になりっぱなしであったので、心ばかりのお礼ではあるが当宅で夕食を食べていただこうと考え、浦川さんと幸司さんのお二人をご招待した。

 夕食の内容はさておき、話題は、当宅で使用しているアイヌ調度品、鹿猟や熊猟、キノコ(舞茸、松茸ほか)採りなど、いろいろと盛り上がった。
 ちょっと前に入手した「耳つき盆」(写真参照)などについても、技術的な話をお聞きして、大変参考となった。
*この「耳つき盆」の納品書日付は大正13年、店の住所は現在のパルコ新館のあたり。
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 今回の浦川さんのお話で興味深かったのは、明治の頃の話だろうか。日高の川で砂金が採れていた頃の和人の砂金堀りとアイヌの助け合い・連携の話。
 暗黙の了解として、川とその川の流域の権利は、その川沿いのコタンのアイヌのものとされていた。和人の砂金堀りは、川の上流に小屋を建て、夏場は砂金を採っているが、寒くなると本州に引き上げる。冬場、アイヌは鹿猟等でその小屋を使う。

 その際、夏場、和人の砂金堀りは、ヤマベなどを釣って、腹を割いて燻製にし、アイヌに残していったそうだ。冬場のアイヌは、そのヤマベを食べる。
 そして、冬場のアイヌは、お礼に鹿肉などを残していく。そういった関係が昔は暗黙としてあったそうだ。

 ちなみに鹿肉の残し方は、骨付きの鹿肉を、厚い湯にくぐらせる。そうすると肉の表面だけは加熱した状態になり、それを囲炉裏の上の棚に置いたりや壁の柱にぶら下げておくと、長期保存がきいたそうだ。
 話を聞きながら、このブログに時々コメントをくれる大口のまさんがこの場にいたら喜ぶだろうなと考えていた。

 話はいろいろな話題に飛んでいたが、マキリの制作方法などについても、浦川さんは幸司さんに伝授していた。有意義な食事会だったと思う。


2008/1/20  13:16

もう一つの日本文化(アイヌと伊福部昭・その4)  文化・芸術

 昨年7月7日、9日、22日の3回のブログで「アイヌと伊福部昭」について、紹介してきた。
 伊福部昭とアイヌとの関わりについては、そちらを読んでいただきたいが、昨年に続いて、本年も3月16日「第2回 伊福部昭音楽祭」が開催される。
 http://ifukube-fes.com/

 昨年の音楽祭は、15:00開演、終演19:00超という長丁場の演奏会であったが、本年は、映画上映、シンポジウムも加えて11:00開演、終演(予定)18:30という「伊福部昭大会」となる模様。

 30年を超える伊福部ファンの私としては、行かざるを得ない内容である。
 といった個人的なことはさておき、今回演奏されるアイヌに関わりのある曲は、次の2つである。
○ 室内オーケストラのための「土俗的三連画」 
○ コタンの口笛(オーケストラ版/“アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌”より)   

 前者の「土俗的三連画」は、3つの楽章のタイトルのうち2つがアイヌ語である。
 *詳しくは昨年7月22日ブログを参照のこと。
 後者は、昭和34年製作の「アイヌ民族の子供の苦悩を描いた」同名映画のタイトル曲である。

 伊福部昭は、その生い立ちなどから、アイヌ関係の曲を多数作っている。
 その一部を[youtube]で聞くことができるので紹介する。

 まず、伊福部が昭和27年にHBCラジオ(北海道放送)のために作曲し、平成14年までの50年間、放送開始及び終了を告げる曲として流されていた「ウポポ」をお聞きいただきたい。この35秒の曲の中に、伊福部のがアイヌ観が凝縮されているように思う。
 http://jp.youtube.com/watch?v=I-13A8SuoSA

 この曲が気に入ったなら、次に「シンフォニア・タプカーラ 第三楽章」(タプカーラはアイヌ語である)をお聞きいただきたい。
 http://jp.youtube.com/profile_videos?user=hach78&p=r

 あらかじめお断りしておくが、伊福部のアイヌ関係の曲は、一部を除いて、アイヌのメロディーを借りてきて作った曲ではない。
 伊福部がアイヌに対する敬意を込めてイメージ(作曲)した曲である。
 これらの曲を聴いて、アイヌ音楽は云々いうことは的外れである。

 これらの曲は、アイヌが住んでいた(いる)地域〜北海道、サハリン、千島、古くはシベリア大陸やカムチャツカ半島という、雄大な北アジア地域におけるアイヌ(人間)の活動と自然をイメージしたものだと思う。

 伊福部は、アイヌに深い敬意を抱いているが、その背景・理由は、物理的なものと精神的なものの2つがあると思う。

 昨年7月9日のブログで紹介したとおり、伊福部は9〜12歳を、アイヌ語で「シャアンルルー」(大海原という意味)と呼ぶ十勝平野の真只中で、自然と共におおらかに暮らし、自然への畏敬の念を忘れないアイヌと、その背景にある北アジアの風土に直に接した。その影響は計りしれないものがある。これが、物理的な背景・理由である。

 次に、精神的な背景・理由というのは、「老子」である。
 伊福部昭は、因幡国の豪族である伊福吉部氏の末裔(伊福部昭は67代目)で、伊福部家は家系を1300年以上辿れる旧家であり、家学は「老子」である。

 伊福部昭の「昭」という名は、「老子・第20章[異俗]」の中にある「俗人昭昭」(俗人昭昭たり〜俗人は勉強ばかりして才走りすぎる、小賢しい)の一語から取られている。 そういった人間にならないよう戒めをこめた命名だという。

 伊福部昭は、平成元年11月1日付けの『浄土宗新聞』に次の寄稿をしている。
 『神道の家に育ったわが家には家学というものがあり、小学校のころから,「老子」を読んでいました。もちろん、子供に何が書いてあるのかわかるはずはありません。教育勅語ではありませんが暗唱させられたわけです。しかし、青年になり色々な注釈書を読み、その「道徳」に私の生きかたを変えたものがありました。
 特に「無為にして成らざるなし」という言葉は、いつも自然に行えば成り、きばっては成らず、ということで、私の座右銘にもなっています。…』

 ご承知のとおり、「老子」の教えは、儒教(孔子の教え)と相反するものである。
 儒教において「礼」は、「仁(人を思いやる気持ち)を形に表したもの〜人間の道徳心に訴えるもの」として尊ばれ、「礼による統治」が最高とされている。
 我が国初の憲法『十七条憲法』の第4条は、「礼による統治」である。

 *四に曰く、群臣百寮、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのわ)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(みず)から治まる。

 これに対し、「老子」では「礼の厚きは信の薄きにして乱の始めなり」という。
 「礼は真心というものが薄くなって初めて生ずる。礼は実態として国ごとに違った形となっており、それがぶつかれば争いになるのは必定」と考える。

 伊福部昭の「昭」という名も、老子第20章異俗「俗人昭昭」から取られていると紹介したが、第20章の究極の教えは「学を絶てば憂いなし」である。
 では、「老子」では単純に「学」を否定しているのかというと、そうではなく「書を読むのは、身にも心にも溜まってしまった塵〜俗塵を洗い流し、無為自然に返るため」という。

 では、「老子」の究極の教えは何かというと、それは「無為自然に返る」ということになる。
 無為自然を体現した生き方とは、端的にいえば「自然の大道をゆったりと生きていく。(この生き方を理解できないものには、愚か者のようにも見える。)」ということになる。

 『自然と共におおらかに暮らし、自然への畏敬の念を忘れないアイヌの生き方』と共通する点が多いと思う。
 つまり、「老子」を家学とする伊福部家では、アイヌの生き方は敬意を払うべきもの、尊敬すべきものだった、ということである。
 このことは、伊福部昭がアイヌに深い敬意を抱いている大きな背景になっていると私は考える。

 伊福部は、平均的な日本人ではなかった。
 意識ではむしろ、アイヌに近かったといえるのかもしれない。

 伊福部の音楽の弟子が次のように言っている。
 『老子を友に大自然の中で暮らしていた氏の時間の尺度は長い。百年千年で物を考え、目先のちょっとした間を埋めるために、あくせくしない。悠然としている。若輩がそれに付いていくのは大変だった。』

 写真がないのさびしいので、「土俗的三連画」を演奏した最近のコンサートのチラシと、伊福部が9〜12歳を過ごした「シャアンルルー」と呼ぶ十勝平野の真只中に建てられた記念碑を紹介する。

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2008/1/19  20:04

もう一つの日本文化(アイヌ文化は日本文化か?)  文化・芸術

 この3連休(1月12〜14日)、東京に行ってきた。
 前々から行きたいと思っていた中野にあるアイヌ料理店「レラ・チセ」に行ってみた。
 http://www2.odn.ne.jp/rera/
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 私が一番好きなアイヌ料理「ユックオハウ」(鹿肉の具沢山のスープ)がないのは残念だったが、鮭のオハウ、「チェプ・オハウ」や「ムニニ・イモ」(発酵させたジャガイモをダンゴ状にして焼いたもの)、「チポロ・イモ」(マッシュポテトにイクラを散りばめたもの)、「ラタシケプ」(カボチャと金時豆をゆでてつぶして混ぜたものにシケレペ(キハダの実)で味つけしたもの)、ユック・ステーキ(鹿ステーキ)など、すっかり堪能させていただいた。

 さて、その日、私は「レラ・チセ」と同じ鉄道沿線・武蔵小金井にある「江戸東京たてもの園」を見た帰りであった。
 http://tatemonoen.jp/

 園は、東京都に所在した「江戸時代以降の文化的価値の高い建造物」を30棟弱、移設・復元・展示しているものである。
 その展示の一角に「奄美の高倉」という奄美大島にあった高床式の茅葺の倉庫もあり、私は深く考えないで、「だったら、アイヌのチセ(茅葺の家)も展示してくれればいいのに」と考えたが、この考えは的外れなものであることがすぐわかった。
 「高床式の茅葺の倉庫」は、同じようなものが八丈島(東京都)にもあったらしいが、移設できるいいものがなく、類似の奄美大島の高床式倉庫を移設したとのこと。

 園内を散歩しながら、本州にある「アイヌ・チセ」について、つらつら考えていた。どこにあったろう?
 25年ほど前、愛知県の「屋外民族博物館・リトルワールド」で見たな、3年前、大阪の「国立民族学博物館(通称:みんぱく)」でも見たななどと考えていて、ふと、「リトルワールド」や「みんぱく」での展示ということは、「アイヌ」は異文化扱いだなと考え、次に2つの考えが浮かんだ。
 http://www.littleworld.jp/
 http://www.minpaku.ac.jp/

 1つは、「異なった文化である」から当然、別扱いするべきであるというものと、もう1つは、「広い意味での日本文化の構成員として位置づけできないものか」というもの。

 こんな定義はどうでもいいような気もするが、ここ数年、アイヌ文化を調べたりしたときに感じてきたことである。

 例えば、アイヌ民話やアイヌ音楽などを探すとき。
 アイヌ民話は、図書館では「外国の物語」に分類されている場合があるし、ある出版社の「日本の民話全集」には入っていない。(沖縄は入っていた。)
 確かに沖縄の言葉は日本語系であり、アイヌ語は日本語系ではないのだから理屈には合っているのかもしれないが、それでいいいのかなという違和感を感じた。
 音楽についても、例えばタワーレコードでは、アイヌ音楽は、日本の伝統音楽コーナーではなく、エスニック音楽コーナーだったりする。

 この問題は結局のところ、「位置づけ」「グループづけ」など分類を行う側の意識の問題だと思う。「何と何が同じグループか」という基準である。

 「グループづけ」の例であるが、日本と韓国は、文化も人間も言葉もまったく異なっているという事実があるが、日本や韓国から遠く離れた国(民族)〜例えば、アメリカ、ヨーロッパ人から見るとは、「ひどく似ている文化を有する国」という扱いを受けることがある。
 2002年開催のFIFAワールドカップが「KOREA/JAPAN」となったのもその1つだと思う。

 逆の事例として、私は10数年前、仕事の関連でベルギー人からの抗議を聞いたことがある。
 それは、日本では、「ベルギーワッフル」と「フライドチキン」を一緒に同じ店(屋台)で売っている、というものだった。
 彼によれば、ベルギー文化の薫り高い「ベルギーワッフル」と、アメリカの低俗文化である「フライドチキン」を同列に扱っていることが我慢できないということだったらしい。

 だが、私も含め、多くの日本人は、この2つを一緒に売っている店が、ベルギー文化を侮辱しているとは考えないと思う。
 ここいらへんが、分類する(位置づけ、グループづけ)側は悪意を持っていないのに、分類された側は不満を持つ(場合によって侮辱や屈辱と感じる)という事実の実態だと思う。

 話を戻して、アイヌ文化を(広義の)日本文化にどう位置づけるか?ということについて、私は次のように考える。
 @文化の問題は、物理学の問題とは異なり、人間の意識上の認識であることから、絶対的な基準は作ることができない、つまり、誰も絶対的なことを決めるべきでない。
 A先ほど、分類〜「何と何が同じグループか」を行う側の意識の問題と述べた。
 その考え方でいうと、「アイヌ人」と「普通の日本人(*あえて使用しています)」は、「日本人という大きなグループ」に属しているか?
 「アイヌ文化」と「本州文化」は、「日本文化という大きなグループ」に属しているか?
 ということにどう考える(判断する)かだと思う。
 そして、判断には、知識(この場合は、日本や日本文化、そしてアイヌやアイヌ文化への知識・理解)が必要だということである。

 そして、最も論理的・合理的でないダメな考えの事例を示すと、「アイヌ人は、もうほとんど同化していて普通の日本人と変わらなくなっているのだから、日本人ということでいい」とか、「アイヌ文化は、数値的には無視していいくらいの小さい存在だから、日本文化の中に入れても入れなくても、誤差の範囲、支障ない」といった類のものである。
 1月10日のブログで取り上げた網走開発建設部の行為も、このダメな考えに属している。

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 *最後に、先ほど大阪「みんぱく」のチセの話を出したので余談をひとつ。
 みんぱくのチセでは、年に一度、カムイノミ(儀式)が行われている。
チセ完成から27年間は、萱野茂さんが執り行っていたが、一昨年の5月、ご逝去された。
 一昨年の11〜12月、浦川太八さんが、たまたま「みんぱく」に研究派遣(木彫り工芸技術・デザイン技術の習得)されていたとき、その年のカムイノミが行われた。
 浦川さんも立ち会うことになったが、その時、アイヌ文化の地域差について驚いたそうだ。
 そのカムイノミは、萱野茂さんの息子・志朗さんによって執り行われたのだが、浦川さんによれば、2つの点で「浦河アイヌなら絶対に行わない」ことを平気で行っていた、という。
 1つは、志朗さんが父親が亡くなって1年も経っていない(喪が明けていない)時期にカムイノミを執り行っていること。
 もう1つは、カムイノミには「イナウ(逆さ削りの御幣のようなもの)」を使用するが、そのイナウを志郎さんが渡す役を志郎さんの妻が行っていること。
 浦河では、イナウは女性が触れてはならないものとされているとのこと。
 浦川さんは、他地域のアイヌ文化に口出しするわけにはいかないことから黙っていたという。

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