2008/1/19 20:04
もう一つの日本文化(アイヌ文化は日本文化か?) 文化・芸術
この3連休(1月12〜14日)、東京に行ってきた。
前々から行きたいと思っていた中野にあるアイヌ料理店「レラ・チセ」に行ってみた。
http://www2.odn.ne.jp/rera/

私が一番好きなアイヌ料理「ユックオハウ」(鹿肉の具沢山のスープ)がないのは残念だったが、鮭のオハウ、「チェプ・オハウ」や「ムニニ・イモ」(発酵させたジャガイモをダンゴ状にして焼いたもの)、「チポロ・イモ」(マッシュポテトにイクラを散りばめたもの)、「ラタシケプ」(カボチャと金時豆をゆでてつぶして混ぜたものにシケレペ(キハダの実)で味つけしたもの)、ユック・ステーキ(鹿ステーキ)など、すっかり堪能させていただいた。
さて、その日、私は「レラ・チセ」と同じ鉄道沿線・武蔵小金井にある「江戸東京たてもの園」を見た帰りであった。
http://tatemonoen.jp/
園は、東京都に所在した「江戸時代以降の文化的価値の高い建造物」を30棟弱、移設・復元・展示しているものである。
その展示の一角に「奄美の高倉」という奄美大島にあった高床式の茅葺の倉庫もあり、私は深く考えないで、「だったら、アイヌのチセ(茅葺の家)も展示してくれればいいのに」と考えたが、この考えは的外れなものであることがすぐわかった。
「高床式の茅葺の倉庫」は、同じようなものが八丈島(東京都)にもあったらしいが、移設できるいいものがなく、類似の奄美大島の高床式倉庫を移設したとのこと。
園内を散歩しながら、本州にある「アイヌ・チセ」について、つらつら考えていた。どこにあったろう?
25年ほど前、愛知県の「屋外民族博物館・リトルワールド」で見たな、3年前、大阪の「国立民族学博物館(通称:みんぱく)」でも見たななどと考えていて、ふと、「リトルワールド」や「みんぱく」での展示ということは、「アイヌ」は異文化扱いだなと考え、次に2つの考えが浮かんだ。
http://www.littleworld.jp/
http://www.minpaku.ac.jp/
1つは、「異なった文化である」から当然、別扱いするべきであるというものと、もう1つは、「広い意味での日本文化の構成員として位置づけできないものか」というもの。
こんな定義はどうでもいいような気もするが、ここ数年、アイヌ文化を調べたりしたときに感じてきたことである。
例えば、アイヌ民話やアイヌ音楽などを探すとき。
アイヌ民話は、図書館では「外国の物語」に分類されている場合があるし、ある出版社の「日本の民話全集」には入っていない。(沖縄は入っていた。)
確かに沖縄の言葉は日本語系であり、アイヌ語は日本語系ではないのだから理屈には合っているのかもしれないが、それでいいいのかなという違和感を感じた。
音楽についても、例えばタワーレコードでは、アイヌ音楽は、日本の伝統音楽コーナーではなく、エスニック音楽コーナーだったりする。
この問題は結局のところ、「位置づけ」「グループづけ」など分類を行う側の意識の問題だと思う。「何と何が同じグループか」という基準である。
「グループづけ」の例であるが、日本と韓国は、文化も人間も言葉もまったく異なっているという事実があるが、日本や韓国から遠く離れた国(民族)〜例えば、アメリカ、ヨーロッパ人から見るとは、「ひどく似ている文化を有する国」という扱いを受けることがある。
2002年開催のFIFAワールドカップが「KOREA/JAPAN」となったのもその1つだと思う。
逆の事例として、私は10数年前、仕事の関連でベルギー人からの抗議を聞いたことがある。
それは、日本では、「ベルギーワッフル」と「フライドチキン」を一緒に同じ店(屋台)で売っている、というものだった。
彼によれば、ベルギー文化の薫り高い「ベルギーワッフル」と、アメリカの低俗文化である「フライドチキン」を同列に扱っていることが我慢できないということだったらしい。
だが、私も含め、多くの日本人は、この2つを一緒に売っている店が、ベルギー文化を侮辱しているとは考えないと思う。
ここいらへんが、分類する(位置づけ、グループづけ)側は悪意を持っていないのに、分類された側は不満を持つ(場合によって侮辱や屈辱と感じる)という事実の実態だと思う。
話を戻して、アイヌ文化を(広義の)日本文化にどう位置づけるか?ということについて、私は次のように考える。
@文化の問題は、物理学の問題とは異なり、人間の意識上の認識であることから、絶対的な基準は作ることができない、つまり、誰も絶対的なことを決めるべきでない。
A先ほど、分類〜「何と何が同じグループか」を行う側の意識の問題と述べた。
その考え方でいうと、「アイヌ人」と「普通の日本人(*あえて使用しています)」は、「日本人という大きなグループ」に属しているか?
「アイヌ文化」と「本州文化」は、「日本文化という大きなグループ」に属しているか?
ということにどう考える(判断する)かだと思う。
そして、判断には、知識(この場合は、日本や日本文化、そしてアイヌやアイヌ文化への知識・理解)が必要だということである。
そして、最も論理的・合理的でないダメな考えの事例を示すと、「アイヌ人は、もうほとんど同化していて普通の日本人と変わらなくなっているのだから、日本人ということでいい」とか、「アイヌ文化は、数値的には無視していいくらいの小さい存在だから、日本文化の中に入れても入れなくても、誤差の範囲、支障ない」といった類のものである。
1月10日のブログで取り上げた網走開発建設部の行為も、このダメな考えに属している。

*最後に、先ほど大阪「みんぱく」のチセの話を出したので余談をひとつ。
みんぱくのチセでは、年に一度、カムイノミ(儀式)が行われている。
チセ完成から27年間は、萱野茂さんが執り行っていたが、一昨年の5月、ご逝去された。
一昨年の11〜12月、浦川太八さんが、たまたま「みんぱく」に研究派遣(木彫り工芸技術・デザイン技術の習得)されていたとき、その年のカムイノミが行われた。
浦川さんも立ち会うことになったが、その時、アイヌ文化の地域差について驚いたそうだ。
そのカムイノミは、萱野茂さんの息子・志朗さんによって執り行われたのだが、浦川さんによれば、2つの点で「浦河アイヌなら絶対に行わない」ことを平気で行っていた、という。
1つは、志朗さんが父親が亡くなって1年も経っていない(喪が明けていない)時期にカムイノミを執り行っていること。
もう1つは、カムイノミには「イナウ(逆さ削りの御幣のようなもの)」を使用するが、そのイナウを志郎さんが渡す役を志郎さんの妻が行っていること。
浦河では、イナウは女性が触れてはならないものとされているとのこと。
浦川さんは、他地域のアイヌ文化に口出しするわけにはいかないことから黙っていたという。
前々から行きたいと思っていた中野にあるアイヌ料理店「レラ・チセ」に行ってみた。
http://www2.odn.ne.jp/rera/
私が一番好きなアイヌ料理「ユックオハウ」(鹿肉の具沢山のスープ)がないのは残念だったが、鮭のオハウ、「チェプ・オハウ」や「ムニニ・イモ」(発酵させたジャガイモをダンゴ状にして焼いたもの)、「チポロ・イモ」(マッシュポテトにイクラを散りばめたもの)、「ラタシケプ」(カボチャと金時豆をゆでてつぶして混ぜたものにシケレペ(キハダの実)で味つけしたもの)、ユック・ステーキ(鹿ステーキ)など、すっかり堪能させていただいた。
さて、その日、私は「レラ・チセ」と同じ鉄道沿線・武蔵小金井にある「江戸東京たてもの園」を見た帰りであった。
http://tatemonoen.jp/
園は、東京都に所在した「江戸時代以降の文化的価値の高い建造物」を30棟弱、移設・復元・展示しているものである。
その展示の一角に「奄美の高倉」という奄美大島にあった高床式の茅葺の倉庫もあり、私は深く考えないで、「だったら、アイヌのチセ(茅葺の家)も展示してくれればいいのに」と考えたが、この考えは的外れなものであることがすぐわかった。
「高床式の茅葺の倉庫」は、同じようなものが八丈島(東京都)にもあったらしいが、移設できるいいものがなく、類似の奄美大島の高床式倉庫を移設したとのこと。
園内を散歩しながら、本州にある「アイヌ・チセ」について、つらつら考えていた。どこにあったろう?
25年ほど前、愛知県の「屋外民族博物館・リトルワールド」で見たな、3年前、大阪の「国立民族学博物館(通称:みんぱく)」でも見たななどと考えていて、ふと、「リトルワールド」や「みんぱく」での展示ということは、「アイヌ」は異文化扱いだなと考え、次に2つの考えが浮かんだ。
http://www.littleworld.jp/
http://www.minpaku.ac.jp/
1つは、「異なった文化である」から当然、別扱いするべきであるというものと、もう1つは、「広い意味での日本文化の構成員として位置づけできないものか」というもの。
こんな定義はどうでもいいような気もするが、ここ数年、アイヌ文化を調べたりしたときに感じてきたことである。
例えば、アイヌ民話やアイヌ音楽などを探すとき。
アイヌ民話は、図書館では「外国の物語」に分類されている場合があるし、ある出版社の「日本の民話全集」には入っていない。(沖縄は入っていた。)
確かに沖縄の言葉は日本語系であり、アイヌ語は日本語系ではないのだから理屈には合っているのかもしれないが、それでいいいのかなという違和感を感じた。
音楽についても、例えばタワーレコードでは、アイヌ音楽は、日本の伝統音楽コーナーではなく、エスニック音楽コーナーだったりする。
この問題は結局のところ、「位置づけ」「グループづけ」など分類を行う側の意識の問題だと思う。「何と何が同じグループか」という基準である。
「グループづけ」の例であるが、日本と韓国は、文化も人間も言葉もまったく異なっているという事実があるが、日本や韓国から遠く離れた国(民族)〜例えば、アメリカ、ヨーロッパ人から見るとは、「ひどく似ている文化を有する国」という扱いを受けることがある。
2002年開催のFIFAワールドカップが「KOREA/JAPAN」となったのもその1つだと思う。
逆の事例として、私は10数年前、仕事の関連でベルギー人からの抗議を聞いたことがある。
それは、日本では、「ベルギーワッフル」と「フライドチキン」を一緒に同じ店(屋台)で売っている、というものだった。
彼によれば、ベルギー文化の薫り高い「ベルギーワッフル」と、アメリカの低俗文化である「フライドチキン」を同列に扱っていることが我慢できないということだったらしい。
だが、私も含め、多くの日本人は、この2つを一緒に売っている店が、ベルギー文化を侮辱しているとは考えないと思う。
ここいらへんが、分類する(位置づけ、グループづけ)側は悪意を持っていないのに、分類された側は不満を持つ(場合によって侮辱や屈辱と感じる)という事実の実態だと思う。
話を戻して、アイヌ文化を(広義の)日本文化にどう位置づけるか?ということについて、私は次のように考える。
@文化の問題は、物理学の問題とは異なり、人間の意識上の認識であることから、絶対的な基準は作ることができない、つまり、誰も絶対的なことを決めるべきでない。
A先ほど、分類〜「何と何が同じグループか」を行う側の意識の問題と述べた。
その考え方でいうと、「アイヌ人」と「普通の日本人(*あえて使用しています)」は、「日本人という大きなグループ」に属しているか?
「アイヌ文化」と「本州文化」は、「日本文化という大きなグループ」に属しているか?
ということにどう考える(判断する)かだと思う。
そして、判断には、知識(この場合は、日本や日本文化、そしてアイヌやアイヌ文化への知識・理解)が必要だということである。
そして、最も論理的・合理的でないダメな考えの事例を示すと、「アイヌ人は、もうほとんど同化していて普通の日本人と変わらなくなっているのだから、日本人ということでいい」とか、「アイヌ文化は、数値的には無視していいくらいの小さい存在だから、日本文化の中に入れても入れなくても、誤差の範囲、支障ない」といった類のものである。
1月10日のブログで取り上げた網走開発建設部の行為も、このダメな考えに属している。
*最後に、先ほど大阪「みんぱく」のチセの話を出したので余談をひとつ。
みんぱくのチセでは、年に一度、カムイノミ(儀式)が行われている。
チセ完成から27年間は、萱野茂さんが執り行っていたが、一昨年の5月、ご逝去された。
一昨年の11〜12月、浦川太八さんが、たまたま「みんぱく」に研究派遣(木彫り工芸技術・デザイン技術の習得)されていたとき、その年のカムイノミが行われた。
浦川さんも立ち会うことになったが、その時、アイヌ文化の地域差について驚いたそうだ。
そのカムイノミは、萱野茂さんの息子・志朗さんによって執り行われたのだが、浦川さんによれば、2つの点で「浦河アイヌなら絶対に行わない」ことを平気で行っていた、という。
1つは、志朗さんが父親が亡くなって1年も経っていない(喪が明けていない)時期にカムイノミを執り行っていること。
もう1つは、カムイノミには「イナウ(逆さ削りの御幣のようなもの)」を使用するが、そのイナウを志郎さんが渡す役を志郎さんの妻が行っていること。
浦河では、イナウは女性が触れてはならないものとされているとのこと。
浦川さんは、他地域のアイヌ文化に口出しするわけにはいかないことから黙っていたという。
