2008/1/20  13:16

もう一つの日本文化(アイヌと伊福部昭・その4)  文化・芸術

 昨年7月7日、9日、22日の3回のブログで「アイヌと伊福部昭」について、紹介してきた。
 伊福部昭とアイヌとの関わりについては、そちらを読んでいただきたいが、昨年に続いて、本年も3月16日「第2回 伊福部昭音楽祭」が開催される。
 http://ifukube-fes.com/

 昨年の音楽祭は、15:00開演、終演19:00超という長丁場の演奏会であったが、本年は、映画上映、シンポジウムも加えて11:00開演、終演(予定)18:30という「伊福部昭大会」となる模様。

 30年を超える伊福部ファンの私としては、行かざるを得ない内容である。
 といった個人的なことはさておき、今回演奏されるアイヌに関わりのある曲は、次の2つである。
○ 室内オーケストラのための「土俗的三連画」 
○ コタンの口笛(オーケストラ版/“アイヌの叙事詩に依る対話体牧歌”より)   

 前者の「土俗的三連画」は、3つの楽章のタイトルのうち2つがアイヌ語である。
 *詳しくは昨年7月22日ブログを参照のこと。
 後者は、昭和34年製作の「アイヌ民族の子供の苦悩を描いた」同名映画のタイトル曲である。

 伊福部昭は、その生い立ちなどから、アイヌ関係の曲を多数作っている。
 その一部を[youtube]で聞くことができるので紹介する。

 まず、伊福部が昭和27年にHBCラジオ(北海道放送)のために作曲し、平成14年までの50年間、放送開始及び終了を告げる曲として流されていた「ウポポ」をお聞きいただきたい。この35秒の曲の中に、伊福部のがアイヌ観が凝縮されているように思う。
 http://jp.youtube.com/watch?v=I-13A8SuoSA

 この曲が気に入ったなら、次に「シンフォニア・タプカーラ 第三楽章」(タプカーラはアイヌ語である)をお聞きいただきたい。
 http://jp.youtube.com/profile_videos?user=hach78&p=r

 あらかじめお断りしておくが、伊福部のアイヌ関係の曲は、一部を除いて、アイヌのメロディーを借りてきて作った曲ではない。
 伊福部がアイヌに対する敬意を込めてイメージ(作曲)した曲である。
 これらの曲を聴いて、アイヌ音楽は云々いうことは的外れである。

 これらの曲は、アイヌが住んでいた(いる)地域〜北海道、サハリン、千島、古くはシベリア大陸やカムチャツカ半島という、雄大な北アジア地域におけるアイヌ(人間)の活動と自然をイメージしたものだと思う。

 伊福部は、アイヌに深い敬意を抱いているが、その背景・理由は、物理的なものと精神的なものの2つがあると思う。

 昨年7月9日のブログで紹介したとおり、伊福部は9〜12歳を、アイヌ語で「シャアンルルー」(大海原という意味)と呼ぶ十勝平野の真只中で、自然と共におおらかに暮らし、自然への畏敬の念を忘れないアイヌと、その背景にある北アジアの風土に直に接した。その影響は計りしれないものがある。これが、物理的な背景・理由である。

 次に、精神的な背景・理由というのは、「老子」である。
 伊福部昭は、因幡国の豪族である伊福吉部氏の末裔(伊福部昭は67代目)で、伊福部家は家系を1300年以上辿れる旧家であり、家学は「老子」である。

 伊福部昭の「昭」という名は、「老子・第20章[異俗]」の中にある「俗人昭昭」(俗人昭昭たり〜俗人は勉強ばかりして才走りすぎる、小賢しい)の一語から取られている。 そういった人間にならないよう戒めをこめた命名だという。

 伊福部昭は、平成元年11月1日付けの『浄土宗新聞』に次の寄稿をしている。
 『神道の家に育ったわが家には家学というものがあり、小学校のころから,「老子」を読んでいました。もちろん、子供に何が書いてあるのかわかるはずはありません。教育勅語ではありませんが暗唱させられたわけです。しかし、青年になり色々な注釈書を読み、その「道徳」に私の生きかたを変えたものがありました。
 特に「無為にして成らざるなし」という言葉は、いつも自然に行えば成り、きばっては成らず、ということで、私の座右銘にもなっています。…』

 ご承知のとおり、「老子」の教えは、儒教(孔子の教え)と相反するものである。
 儒教において「礼」は、「仁(人を思いやる気持ち)を形に表したもの〜人間の道徳心に訴えるもの」として尊ばれ、「礼による統治」が最高とされている。
 我が国初の憲法『十七条憲法』の第4条は、「礼による統治」である。

 *四に曰く、群臣百寮、礼を以て本とせよ。其れ民を治むるが本、必ず礼にあり。上礼なきときは、下斉(ととのわ)ず。下礼無きときは、必ず罪有り。ここをもって群臣礼あれば位次乱れず、百姓礼あれば、国家自(みず)から治まる。

 これに対し、「老子」では「礼の厚きは信の薄きにして乱の始めなり」という。
 「礼は真心というものが薄くなって初めて生ずる。礼は実態として国ごとに違った形となっており、それがぶつかれば争いになるのは必定」と考える。

 伊福部昭の「昭」という名も、老子第20章異俗「俗人昭昭」から取られていると紹介したが、第20章の究極の教えは「学を絶てば憂いなし」である。
 では、「老子」では単純に「学」を否定しているのかというと、そうではなく「書を読むのは、身にも心にも溜まってしまった塵〜俗塵を洗い流し、無為自然に返るため」という。

 では、「老子」の究極の教えは何かというと、それは「無為自然に返る」ということになる。
 無為自然を体現した生き方とは、端的にいえば「自然の大道をゆったりと生きていく。(この生き方を理解できないものには、愚か者のようにも見える。)」ということになる。

 『自然と共におおらかに暮らし、自然への畏敬の念を忘れないアイヌの生き方』と共通する点が多いと思う。
 つまり、「老子」を家学とする伊福部家では、アイヌの生き方は敬意を払うべきもの、尊敬すべきものだった、ということである。
 このことは、伊福部昭がアイヌに深い敬意を抱いている大きな背景になっていると私は考える。

 伊福部は、平均的な日本人ではなかった。
 意識ではむしろ、アイヌに近かったといえるのかもしれない。

 伊福部の音楽の弟子が次のように言っている。
 『老子を友に大自然の中で暮らしていた氏の時間の尺度は長い。百年千年で物を考え、目先のちょっとした間を埋めるために、あくせくしない。悠然としている。若輩がそれに付いていくのは大変だった。』

 写真がないのさびしいので、「土俗的三連画」を演奏した最近のコンサートのチラシと、伊福部が9〜12歳を過ごした「シャアンルルー」と呼ぶ十勝平野の真只中に建てられた記念碑を紹介する。

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