2008/2/21 6:21
もう一つの日本文化(サンクトペテルブルグにいる兄マキリ) 文化・芸術
昨年10月9日のブログで私が持っている貝澤徹さん制作のマキリを紹介した際、同じデザインのマキリが5本あることを書いた。
いわばこのマキリは5兄弟であり、私のマキリは2番目に生まれた。つまり1本の兄と3本の弟を持つことになる。

私が浦川さんに作ってもらったマキリも、全て2〜3本は同じデザインのものが作られている。すべて兄弟がいるということだ。
浦川さんに聞くと、ある時期に同じ(似たような)デザインのものをまとめて作っているという。
つまり、同じ制作者が同じデザインのマキリを複数本作っているということである。
これは、作り手からすれば、気に入った作品を複数作ることは、その品質、完成度を高めることになり、合理性があることになるのだろうと思う。
なぜ、このようなことをくどくどと書いたかというと、以上のことを前提にすると、あるマキリについて、同じ制作者による同じ(似たような)デザインのマキリの素性が判明すれば、その兄弟マキリについても出自を推測することが可能になると思うからだ。
昨年4月7日のブログで、ヤフーオークションで入手したものを紹介した。
『そう古いものではないとは思う(50年ほど前、戦後の作と思う〜根拠は、譲っていただいた方の言によれば、1990年頃、白老のアイヌ民芸品店で木彫りに使用していたものを譲り受けた、父親の代から使っていたとのこと)、デザインは、和人の影響を若干受けたアイヌらしいものである。』と書いた。
この推測は誤っていたかもしれない。

昨年秋、札幌の「北海道立アイヌ民族文化研究センター」資料室で、ある博物館の図録(写真資料)を見ていて、あのマキリと瓜二つの写真を見つけた。




その博物館はロシアのサンクトペテルブルグにある「ロシア民族博物館」であり、図録は「ロシア民族博物館所蔵アイヌ資料目録」というもので、昨年2月25日に発刊されたものである。(草風社発行:18900円)
ロシア民族博物館が所蔵するアイヌ資料は、2600点を超え、世界最大のものである。
この書籍(図録)は、北海道立アイヌ民族文化研究センターが、3年間をかけ行った「ロシアのアイヌ資料調査」の当該博物館所蔵部分をまとめたものである。
関係識者にお伺いしたが、その方のご意見は、この2本のマキリは、サイズ、デザイン、彫り方まで驚くほど酷似しており、同じ人間が制作したと判断せざるを得ない、といったものだった。
*正確には、サイズが3〜5o異なっているとか、彫ってある装飾の線が1本異なっているとかがある。
*浦川さんにも意見をお伺いしたが、アイヌはマキリを作るとき、デザインの図面を描いて作ることはしない。
自分としては同じデザインのマキリを作ったつもりでも、装飾の線が1本多いとか少ないとかは、よくあることとのことだった。
この2本のマキリは、そう時期を隔てない(1〜2年以内)で制作されたと思うとのことだった。
ロシア民族博物館所蔵のマキリは、その採集などについて、詳しい記録が残っている。それによると、同博物館職員のヴィクトル・ヴァシーリエフィにより、1912年8月22日、北海道平取町の二風谷で採集したとなっている。
当然、制作はそれ以前であり、私のマキリもそのあたりで制作されたと推察される。
写真でお分かりのように、ロシア民族博物館所蔵のマキリの方が、私の持っているマキリより損傷が激しい。このことことから、「兄マキリ」と推察する。
この兄弟マキリは、少なくとも96年間は、別の国で暮らしており、私の夢のひとつとして、この兄弟の対面をさせることを行いたい。
いわばこのマキリは5兄弟であり、私のマキリは2番目に生まれた。つまり1本の兄と3本の弟を持つことになる。
私が浦川さんに作ってもらったマキリも、全て2〜3本は同じデザインのものが作られている。すべて兄弟がいるということだ。
浦川さんに聞くと、ある時期に同じ(似たような)デザインのものをまとめて作っているという。
つまり、同じ制作者が同じデザインのマキリを複数本作っているということである。
これは、作り手からすれば、気に入った作品を複数作ることは、その品質、完成度を高めることになり、合理性があることになるのだろうと思う。
なぜ、このようなことをくどくどと書いたかというと、以上のことを前提にすると、あるマキリについて、同じ制作者による同じ(似たような)デザインのマキリの素性が判明すれば、その兄弟マキリについても出自を推測することが可能になると思うからだ。
昨年4月7日のブログで、ヤフーオークションで入手したものを紹介した。
『そう古いものではないとは思う(50年ほど前、戦後の作と思う〜根拠は、譲っていただいた方の言によれば、1990年頃、白老のアイヌ民芸品店で木彫りに使用していたものを譲り受けた、父親の代から使っていたとのこと)、デザインは、和人の影響を若干受けたアイヌらしいものである。』と書いた。
この推測は誤っていたかもしれない。
昨年秋、札幌の「北海道立アイヌ民族文化研究センター」資料室で、ある博物館の図録(写真資料)を見ていて、あのマキリと瓜二つの写真を見つけた。
その博物館はロシアのサンクトペテルブルグにある「ロシア民族博物館」であり、図録は「ロシア民族博物館所蔵アイヌ資料目録」というもので、昨年2月25日に発刊されたものである。(草風社発行:18900円)
ロシア民族博物館が所蔵するアイヌ資料は、2600点を超え、世界最大のものである。
この書籍(図録)は、北海道立アイヌ民族文化研究センターが、3年間をかけ行った「ロシアのアイヌ資料調査」の当該博物館所蔵部分をまとめたものである。
関係識者にお伺いしたが、その方のご意見は、この2本のマキリは、サイズ、デザイン、彫り方まで驚くほど酷似しており、同じ人間が制作したと判断せざるを得ない、といったものだった。
*正確には、サイズが3〜5o異なっているとか、彫ってある装飾の線が1本異なっているとかがある。
*浦川さんにも意見をお伺いしたが、アイヌはマキリを作るとき、デザインの図面を描いて作ることはしない。
自分としては同じデザインのマキリを作ったつもりでも、装飾の線が1本多いとか少ないとかは、よくあることとのことだった。
この2本のマキリは、そう時期を隔てない(1〜2年以内)で制作されたと思うとのことだった。
ロシア民族博物館所蔵のマキリは、その採集などについて、詳しい記録が残っている。それによると、同博物館職員のヴィクトル・ヴァシーリエフィにより、1912年8月22日、北海道平取町の二風谷で採集したとなっている。
当然、制作はそれ以前であり、私のマキリもそのあたりで制作されたと推察される。
写真でお分かりのように、ロシア民族博物館所蔵のマキリの方が、私の持っているマキリより損傷が激しい。このことことから、「兄マキリ」と推察する。
この兄弟マキリは、少なくとも96年間は、別の国で暮らしており、私の夢のひとつとして、この兄弟の対面をさせることを行いたい。
