2008/7/24 22:11
もう一つの日本文化(アイヌプリの結婚式) 文化・芸術
先の3連休に浦川(太八)さんを訪問しようと考え、電話で都合を聞いたら、「7月20日は知り合いの結婚式に出るので、21日がいい」とのことで21日にお伺いした。
浦川さんの工房(作業場)に近づくと、外で浦川さんが何かの作業をしている。何かと思ったら、「マレク」の鉤(かぎ)を5個ほど作っているとのこと。
*マレクとは、サケをとる時に使うアイヌの代表的な漁具のひとつ。魚に刺さる鉄の部分(マレクイペ)、それをとり付ける台木、そして実際に使う時に台木をしばりつける長さ4〜5mの柄の三つの部分からなる。
鉄の部分は、先端がサケに刺さる時は「銛(もり)」であり、引き上げるときは「鉤(かぎ)」の役目に変わる。
紹介HP
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/kawaryou/kawaryou_01.html
浦川さんは、直径8oほどの鉄棒を鏨(たがね)で25pほどに切り、万力でUの字に曲げ、七輪で加熱、鉄台の上でハンマーで叩いて、一方の先端を尖らせる作業を行っている。
聞けば、明治11年(1878年)に「アイヌの鮭漁の禁止」となって以来、近年、アイヌが伝統的なサケ儀礼をおこなう際に北海道(道庁)が儀礼用として鮭の採捕を許可する(特別採捕)まで、公式には鮭は獲れなかった。
現在の特別採捕にしても、道内の数ヶ所においてのみであり、数量的にもたいした数ではない。
「マレク漁」は、生簀(川をせき止めたものも含めて)でやっているだけで、実際の川でやっていない。
今年はウタリ協会として数ヶ所まとめて採捕申請するので、浦河町の川で出来るのだそうだ。
そのような話をしているうちに、その「マレク漁」を実際に行うという浦川さんの友人(アイヌ)がやってきた。
現在、59歳。浦川さんと同じく猟銃を持っているハンターである。
「マレク漁」を含む鮭漁は、過去においても禁止されていたが、高校生の頃はやっていたとのこと。
40年以上前の話だが、鮭を引き上げるときの感触がたまらないという。
その友人は、「マレク」ではなく「マレプ」と発音する。浦川さんの答えも「マレプ」だ。
私一人「マレク」と言っているのも不自然なため、私も「マレプ」になった。
標準アイヌ語?では「マレク」だが、ここ浦河では「マレプ」らしい。
二人とも高校生の頃(本州に働きに行く前)までは、川漁を遊びでやっていたとのこと。
「流し鉤」やら「ポン鉤」などの言葉と話を盛んにしている。
アイヌ語ではないのだが、その会話は、私には50%も理解できなかった。
その友人も帰って、浦川さんと二人になり、前日の結婚式の話になった。
私の予想どおり、朝日新聞に載っていた「アイヌプリ(風)結婚式」に出席したのであった。
2008年07月17日 朝日新聞
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000807170001
『次世代へ継ぐ文化 アイヌ民族風挙式

日高支庁浦河町の夫婦が20日に地元でアイヌプリ(アイヌ民族の風習)の結婚式を挙げる。年長者が伝えてきたアイヌ文化を次世代に継承する機会になればという。アイヌプリでの式は、同支庁管内では四半世紀ぶり、浦河では昭和初期以来と言われており、珍しい。政府が先住民族と認めるなどアイヌ民族に注目が集まる中、夫婦には民族の存在感を広く知らせたいとの思いもある。(神元敦司)
式を挙げるのは、同町堺町生活館の生活相談員、八重樫志仁さん(45)と配送業の由美さん(41)。ともにアイヌ民族の系統だ。アイヌの人たちが人口の1割弱を占める同町だが、アイヌ民族であることを公言できない人も多く、アイヌ古来の式を身近に見聞きする機会は途絶えていた。
八重樫さんが知人でグループホーム勤務の赤尾悦子さん(57)に5月14日朝、由美さんと結婚する届け出をしたというメールを送ったことがきっかけ。赤尾さんは「ならば結婚式をプレゼントしよう」と有志を募った。話し合ううち、「アイヌプリでやってはどうか」と持ち上がった。赤尾さんや八重樫さんの職場仲間ら8人が実行委員会をつくり、準備してきた。
八重樫さんは「アイヌの人たちはもう同化された、と思われていることもある。アイヌ民族を誇り、アピールできる場になれば」と実行委からの申し出に快諾。由美さんも「記念になるし、アイヌ文化を記録することにもなる」と好意的に受け止めた。
ただ仕事柄、アイヌの人たちとかかわっている八重樫さんと違い、由美さんはアイヌ文化やしきたりはほとんど知らない。本番に向けて、祈りの儀式である「カムイノミ」の動作などを習得中だ。
過去のアイヌプリの式では山盛りのご飯を夫婦で食べ合う「飯食い」などが催され、新婦は頭に「チエパヌプ」という黒い布をまいていた記録がある。実行委はこうした過去の式を収録したビデオや文献などで予習。式を取り仕切る司祭と相談しながら当日の段取りを調整している。
式には約90人が参加するといい、式後の披露宴では地元や近隣のアイヌの人たちが歌や踊りで2人を祝福する予定だ。八重樫さんは「アイヌ民族の踊りは情熱的。祝福に来てくれる友人にこうしたエネルギーを感じてもらいたい」と本番を心待ちにしている。』
アイヌ料理は、「ラタシケプ」や「ヤム・オハウ(冷たいスープ)」などが出たという。
浦川さんに、「新郎・新婦のどちらと知り合いですか」と聞くと、なんと新婦は、3年前までここの工房にいて、浦川さんの助手として木彫り品を作っていたとのこと。
「その方の彫った作品はありますか」と聞くと、我家にもある(妻愛用の)「手鏡」を出してきた。在庫は100個以上あるだろう。

浦川さんによれば、1個見本を作ってやると、ほぼ同じものを作ることができた木彫りの腕のいい女性だったという。
正直に言うと、私はこの手鏡はあまり好きでない。
なんとなく、デザインが浦川さんらしくないと感じていた。
浦川さんは、自分がデザインしたと言っていたが、彼女風のアレンジがあったのではないだろうか。
*これは、私個人の好みで問題であって、彼女のデザイン力や彫る技術が劣っているということではない。
客観的に見て、デザイン、技術とも完成度は高いと思う。
現に、私の妻はこの手鏡が大のお気に入りで、私が知っているだけでも、自分のもの以外に4〜5個を買い求め、友人等にプレゼントしている。
最後に、浦川さんに「ある依頼」を行って帰ってきた。
その依頼については、後日、明らかにしたい。
浦川さんのところにあった「マキリ」類を紹介する。







浦川さんの工房(作業場)に近づくと、外で浦川さんが何かの作業をしている。何かと思ったら、「マレク」の鉤(かぎ)を5個ほど作っているとのこと。
*マレクとは、サケをとる時に使うアイヌの代表的な漁具のひとつ。魚に刺さる鉄の部分(マレクイペ)、それをとり付ける台木、そして実際に使う時に台木をしばりつける長さ4〜5mの柄の三つの部分からなる。
鉄の部分は、先端がサケに刺さる時は「銛(もり)」であり、引き上げるときは「鉤(かぎ)」の役目に変わる。
紹介HP
http://www.frpac.or.jp/kodomo/html/bunka/kawaryou/kawaryou_01.html
浦川さんは、直径8oほどの鉄棒を鏨(たがね)で25pほどに切り、万力でUの字に曲げ、七輪で加熱、鉄台の上でハンマーで叩いて、一方の先端を尖らせる作業を行っている。
聞けば、明治11年(1878年)に「アイヌの鮭漁の禁止」となって以来、近年、アイヌが伝統的なサケ儀礼をおこなう際に北海道(道庁)が儀礼用として鮭の採捕を許可する(特別採捕)まで、公式には鮭は獲れなかった。
現在の特別採捕にしても、道内の数ヶ所においてのみであり、数量的にもたいした数ではない。
「マレク漁」は、生簀(川をせき止めたものも含めて)でやっているだけで、実際の川でやっていない。
今年はウタリ協会として数ヶ所まとめて採捕申請するので、浦河町の川で出来るのだそうだ。
そのような話をしているうちに、その「マレク漁」を実際に行うという浦川さんの友人(アイヌ)がやってきた。
現在、59歳。浦川さんと同じく猟銃を持っているハンターである。
「マレク漁」を含む鮭漁は、過去においても禁止されていたが、高校生の頃はやっていたとのこと。
40年以上前の話だが、鮭を引き上げるときの感触がたまらないという。
その友人は、「マレク」ではなく「マレプ」と発音する。浦川さんの答えも「マレプ」だ。
私一人「マレク」と言っているのも不自然なため、私も「マレプ」になった。
標準アイヌ語?では「マレク」だが、ここ浦河では「マレプ」らしい。
二人とも高校生の頃(本州に働きに行く前)までは、川漁を遊びでやっていたとのこと。
「流し鉤」やら「ポン鉤」などの言葉と話を盛んにしている。
アイヌ語ではないのだが、その会話は、私には50%も理解できなかった。
その友人も帰って、浦川さんと二人になり、前日の結婚式の話になった。
私の予想どおり、朝日新聞に載っていた「アイヌプリ(風)結婚式」に出席したのであった。
2008年07月17日 朝日新聞
http://mytown.asahi.com/hokkaido/news.php?k_id=01000000807170001
『次世代へ継ぐ文化 アイヌ民族風挙式
日高支庁浦河町の夫婦が20日に地元でアイヌプリ(アイヌ民族の風習)の結婚式を挙げる。年長者が伝えてきたアイヌ文化を次世代に継承する機会になればという。アイヌプリでの式は、同支庁管内では四半世紀ぶり、浦河では昭和初期以来と言われており、珍しい。政府が先住民族と認めるなどアイヌ民族に注目が集まる中、夫婦には民族の存在感を広く知らせたいとの思いもある。(神元敦司)
式を挙げるのは、同町堺町生活館の生活相談員、八重樫志仁さん(45)と配送業の由美さん(41)。ともにアイヌ民族の系統だ。アイヌの人たちが人口の1割弱を占める同町だが、アイヌ民族であることを公言できない人も多く、アイヌ古来の式を身近に見聞きする機会は途絶えていた。
八重樫さんが知人でグループホーム勤務の赤尾悦子さん(57)に5月14日朝、由美さんと結婚する届け出をしたというメールを送ったことがきっかけ。赤尾さんは「ならば結婚式をプレゼントしよう」と有志を募った。話し合ううち、「アイヌプリでやってはどうか」と持ち上がった。赤尾さんや八重樫さんの職場仲間ら8人が実行委員会をつくり、準備してきた。
八重樫さんは「アイヌの人たちはもう同化された、と思われていることもある。アイヌ民族を誇り、アピールできる場になれば」と実行委からの申し出に快諾。由美さんも「記念になるし、アイヌ文化を記録することにもなる」と好意的に受け止めた。
ただ仕事柄、アイヌの人たちとかかわっている八重樫さんと違い、由美さんはアイヌ文化やしきたりはほとんど知らない。本番に向けて、祈りの儀式である「カムイノミ」の動作などを習得中だ。
過去のアイヌプリの式では山盛りのご飯を夫婦で食べ合う「飯食い」などが催され、新婦は頭に「チエパヌプ」という黒い布をまいていた記録がある。実行委はこうした過去の式を収録したビデオや文献などで予習。式を取り仕切る司祭と相談しながら当日の段取りを調整している。
式には約90人が参加するといい、式後の披露宴では地元や近隣のアイヌの人たちが歌や踊りで2人を祝福する予定だ。八重樫さんは「アイヌ民族の踊りは情熱的。祝福に来てくれる友人にこうしたエネルギーを感じてもらいたい」と本番を心待ちにしている。』
アイヌ料理は、「ラタシケプ」や「ヤム・オハウ(冷たいスープ)」などが出たという。
浦川さんに、「新郎・新婦のどちらと知り合いですか」と聞くと、なんと新婦は、3年前までここの工房にいて、浦川さんの助手として木彫り品を作っていたとのこと。
「その方の彫った作品はありますか」と聞くと、我家にもある(妻愛用の)「手鏡」を出してきた。在庫は100個以上あるだろう。
浦川さんによれば、1個見本を作ってやると、ほぼ同じものを作ることができた木彫りの腕のいい女性だったという。
正直に言うと、私はこの手鏡はあまり好きでない。
なんとなく、デザインが浦川さんらしくないと感じていた。
浦川さんは、自分がデザインしたと言っていたが、彼女風のアレンジがあったのではないだろうか。
*これは、私個人の好みで問題であって、彼女のデザイン力や彫る技術が劣っているということではない。
客観的に見て、デザイン、技術とも完成度は高いと思う。
現に、私の妻はこの手鏡が大のお気に入りで、私が知っているだけでも、自分のもの以外に4〜5個を買い求め、友人等にプレゼントしている。
最後に、浦川さんに「ある依頼」を行って帰ってきた。
その依頼については、後日、明らかにしたい。
浦川さんのところにあった「マキリ」類を紹介する。
