2008/7/23 13:20
傷つく権利。 言葉
梨木香歩さんのエッセイ「春になったら苺を摘みに」を読んだ。今は「ぐるりのこと」。
「裏庭」は好きだったけれど「西の魔女が死んだ」は今ひとつだった。前評判の高さ故の落差だったのか、一気呵成に読み終えた「裏庭」の世界を期待していたからか。あまりにも多くの人が口をそろえて「『西の魔女が死んだ』っていいよ」と言うもので、内心「へぇ、そうかね、そんなもんかね」気分だったりもした。
だけれどたまたま手に入って読み始めたエッセイ2冊とお話1冊。エッセイ1冊を読み終えて抱いたイメージは銀色夏生さんをもっと厳しくしたような印象。自分の生き方や、自分の作品に対して(でも私は銀色さんファン)。
エッセイだけれどそこに描かれた世界は、繰り返すけれど現実的なことが書き連ねられたエッセイだけれどそこに見えてくる世界は、「どこかの世界」の風景。童話の中の世界ではなく、だって現実の世界の描写なのだから、だけれど梨木さんのエッセイからは子どもの頃から読んで積み重ねてきた大好きな「お話の世界」の風が吹いてきた。繰り返し書いちゃうケド決してお話もどきのエッセイではなく、厳しさを感じさせもする、あくまでも現実世界のことについてのみ書かれたエッセイだったのだけれど。
さすが童話作家と思った描写は、飛行機の搭乗ゲートから飛行機自体までの蛇腹を「竜のおなかみたいな」と書いていたこと(正確な引用ではありません)。そんなこと思ったこともないけれど、そう言われてみれば「あぁっ」。(繰り返しますが、梨木さんがそういう童話語彙を多用どころか用いているわけではなく、その「竜のおなか」はあくまでも比喩として使われていたダケです。)
本の一番最後の解説も読んだ。エッセイにも解説がいるのか…なんて思いながら。確かに解説は「知識を得る」って意味では便利なこともあるんだけれど。だけど、そんな生意気なことを思いながら驚いた。
解説には、梨木さんが「どこまでも巻き込まれていこう、と意志する権利」と書いたことを受けて、(この言葉は)「英国の歴史小説家、ローズマリ・サトクリフが自伝『思い出の青い丘』に記した『傷つく権利』に匹敵するいいことばだ」って書いてあったのだ。えっえっっえっ〜〜〜〜〜!!!
その驚きは、私も「傷つく権利」って言葉つかってたから。「考える筋肉」と同様、自分で考え出した言葉だと思って。いつ頃からその言葉を使い出したかは覚えてないし、誤解されそうな言葉だとも思えてあまり使わないのだけれど。「子どもにだって傷つく権利がある」と最初は思い始めたのだった。やっぱり誤解されそうな言葉だよね。
しかし、そうなると、(読めるものなら)その「思い出の青い丘」は読まねば。
続くが、しかし、そうなると、私が自分で考え出したと思っていたこの「傷つく権利」という言葉は、いつかの昔に何かで読み覚えた言葉なのだろうか?20代から30代にかけての私を、確かにこの言葉は励まし、私の気持ちを強くしてくれたのだけれど。あのとき築いたと磐石と思えた人生観は今脆弱になってしまっているが、その盤石部分に確かにこの言葉があったのだ。
そりゃ、私だって傷つくのはイヤだけど。イヤどころかなるべくならそこから逃げようと思ってるケド(逃げるだぜ、逃げる、情けない)。だけど、「私には傷つく権利がある」って思うと、そう思った分だけ、強くなれる気がした。いや、強くなってる気がした。笑うのも泣くのも、逃げるのも立ち向かうのも、傷つくのも、私の自由、と、思うと。
ところで、梨木さんのエッセイを読んだら、もっと梨木さんの本を読みたくなった。だから「からくりからくさ」を読むのが楽しみ。
「裏庭」は好きだったけれど「西の魔女が死んだ」は今ひとつだった。前評判の高さ故の落差だったのか、一気呵成に読み終えた「裏庭」の世界を期待していたからか。あまりにも多くの人が口をそろえて「『西の魔女が死んだ』っていいよ」と言うもので、内心「へぇ、そうかね、そんなもんかね」気分だったりもした。
だけれどたまたま手に入って読み始めたエッセイ2冊とお話1冊。エッセイ1冊を読み終えて抱いたイメージは銀色夏生さんをもっと厳しくしたような印象。自分の生き方や、自分の作品に対して(でも私は銀色さんファン)。
エッセイだけれどそこに描かれた世界は、繰り返すけれど現実的なことが書き連ねられたエッセイだけれどそこに見えてくる世界は、「どこかの世界」の風景。童話の中の世界ではなく、だって現実の世界の描写なのだから、だけれど梨木さんのエッセイからは子どもの頃から読んで積み重ねてきた大好きな「お話の世界」の風が吹いてきた。繰り返し書いちゃうケド決してお話もどきのエッセイではなく、厳しさを感じさせもする、あくまでも現実世界のことについてのみ書かれたエッセイだったのだけれど。
さすが童話作家と思った描写は、飛行機の搭乗ゲートから飛行機自体までの蛇腹を「竜のおなかみたいな」と書いていたこと(正確な引用ではありません)。そんなこと思ったこともないけれど、そう言われてみれば「あぁっ」。(繰り返しますが、梨木さんがそういう童話語彙を多用どころか用いているわけではなく、その「竜のおなか」はあくまでも比喩として使われていたダケです。)
本の一番最後の解説も読んだ。エッセイにも解説がいるのか…なんて思いながら。確かに解説は「知識を得る」って意味では便利なこともあるんだけれど。だけど、そんな生意気なことを思いながら驚いた。
解説には、梨木さんが「どこまでも巻き込まれていこう、と意志する権利」と書いたことを受けて、(この言葉は)「英国の歴史小説家、ローズマリ・サトクリフが自伝『思い出の青い丘』に記した『傷つく権利』に匹敵するいいことばだ」って書いてあったのだ。えっえっっえっ〜〜〜〜〜!!!
その驚きは、私も「傷つく権利」って言葉つかってたから。「考える筋肉」と同様、自分で考え出した言葉だと思って。いつ頃からその言葉を使い出したかは覚えてないし、誤解されそうな言葉だとも思えてあまり使わないのだけれど。「子どもにだって傷つく権利がある」と最初は思い始めたのだった。やっぱり誤解されそうな言葉だよね。
しかし、そうなると、(読めるものなら)その「思い出の青い丘」は読まねば。
続くが、しかし、そうなると、私が自分で考え出したと思っていたこの「傷つく権利」という言葉は、いつかの昔に何かで読み覚えた言葉なのだろうか?20代から30代にかけての私を、確かにこの言葉は励まし、私の気持ちを強くしてくれたのだけれど。あのとき築いたと磐石と思えた人生観は今脆弱になってしまっているが、その盤石部分に確かにこの言葉があったのだ。
そりゃ、私だって傷つくのはイヤだけど。イヤどころかなるべくならそこから逃げようと思ってるケド(逃げるだぜ、逃げる、情けない)。だけど、「私には傷つく権利がある」って思うと、そう思った分だけ、強くなれる気がした。いや、強くなってる気がした。笑うのも泣くのも、逃げるのも立ち向かうのも、傷つくのも、私の自由、と、思うと。
ところで、梨木さんのエッセイを読んだら、もっと梨木さんの本を読みたくなった。だから「からくりからくさ」を読むのが楽しみ。
