2008/7/14 22:55
4年前、そして今。 雑記
音信不通というわけではないけれど、なんとなく会う回数が減っていた知人のお宅に久しぶりにお邪魔しました。4年ぶりになるかと思います。
当時のお話などたくさん盛り上がったのですが、1つ思ったのは『執着』というもの。
「若いうちは死なんて考えないけど、年を重ねていくと死が身近なものになる。人間その感覚を知ってしまったら弱くなるもの」
会うたびにそんな話をされていたように思う。体調を悪くされてからは言葉は違えど「死」への恐怖を延々と語られていたし、回数も増えていった。
「TOSHIKOさんはまだ若いし、なんでもできるしいいじゃないの」
そう、ご本人は気付いてらっしゃらないかもしれないけれど、これが口癖のようになっていた。若いといってもその人から見た私が若いというだけで決して私も若いとはいえない歳である。
しかし 自分より若い=なんでもできる という考えに囚われていらっしゃるようで、「自分は不幸、あなたは幸せ」という想いが見え隠れする言葉に寂しいものを感じたのを覚えている。
あれから4年が経った今年。
ひさしぶりにお会いした。やさしいインド舞踊のプログラムを作ったので身体を動かす機会にと
お伝えしに行ったのだ。
しかし。。4年経った今もまた同じことを話されていた。
「朝に目が覚めると ああ、今日もまだ生きていたと思うの」と。
極論ではあるだろうが、これが『執着』というものかと思った。
生への執着である。
誰だって死にたくはない。だけどそのことばかりに囚われて恐怖に怯えて怯えて毎日を生きるのはしんどくないのかな。。と不思議に思った。
それに彼女が死を意識したのが4年前として確実にそれから4年は「生きて」いるのである。それはほんとにすばらしいことだと思う。恐怖よりもそっちに目をむけてもらいたい。元気に見える私も大きな病気をしたことはあるし、つらくても笑っていたりするんだから。
私も1年に1つ、確実に歳をとっておばあちゃんになっていきます。これは人類すべてに平等に訪れるもの。
執着があるから苦がある と仏教ではいっている。
確かにそうだと思った。自分が何に執着しているのかを分析してみたら、案外、どうでもいいようなものだったりする。
でも、執着があるからこそ、人間でもあるな。。と思うこの頃。ほどほどの執着は人間的スパイスの1つ。なければ物足りないかも。。なんてね。

当時のお話などたくさん盛り上がったのですが、1つ思ったのは『執着』というもの。
「若いうちは死なんて考えないけど、年を重ねていくと死が身近なものになる。人間その感覚を知ってしまったら弱くなるもの」
会うたびにそんな話をされていたように思う。体調を悪くされてからは言葉は違えど「死」への恐怖を延々と語られていたし、回数も増えていった。
「TOSHIKOさんはまだ若いし、なんでもできるしいいじゃないの」
そう、ご本人は気付いてらっしゃらないかもしれないけれど、これが口癖のようになっていた。若いといってもその人から見た私が若いというだけで決して私も若いとはいえない歳である。
しかし 自分より若い=なんでもできる という考えに囚われていらっしゃるようで、「自分は不幸、あなたは幸せ」という想いが見え隠れする言葉に寂しいものを感じたのを覚えている。
あれから4年が経った今年。
ひさしぶりにお会いした。やさしいインド舞踊のプログラムを作ったので身体を動かす機会にと
お伝えしに行ったのだ。
しかし。。4年経った今もまた同じことを話されていた。
「朝に目が覚めると ああ、今日もまだ生きていたと思うの」と。
極論ではあるだろうが、これが『執着』というものかと思った。
生への執着である。
誰だって死にたくはない。だけどそのことばかりに囚われて恐怖に怯えて怯えて毎日を生きるのはしんどくないのかな。。と不思議に思った。
それに彼女が死を意識したのが4年前として確実にそれから4年は「生きて」いるのである。それはほんとにすばらしいことだと思う。恐怖よりもそっちに目をむけてもらいたい。元気に見える私も大きな病気をしたことはあるし、つらくても笑っていたりするんだから。
私も1年に1つ、確実に歳をとっておばあちゃんになっていきます。これは人類すべてに平等に訪れるもの。
執着があるから苦がある と仏教ではいっている。
確かにそうだと思った。自分が何に執着しているのかを分析してみたら、案外、どうでもいいようなものだったりする。
でも、執着があるからこそ、人間でもあるな。。と思うこの頃。ほどほどの執着は人間的スパイスの1つ。なければ物足りないかも。。なんてね。










