2005/9/7 1:02
つくり手と食べ手の触れ合いこそが料理の味 今日何食う?
日本を出てくる直前の日本での話。
「料理人さんは、美味いもん美味いもんと味の事ばかり言い過ぎますよ!!!」
と言われた。もちろんこの言われた「料理人さん」は当方の事を指すわけですが、言った人ってのは純自然農法の実践者。その人が作る野菜は自然に最も近い農法で化学肥料はもちろん使わないので、虫食いが多い。
それはいいとして、その人は、
「自分が作る野菜は確かに全部美味いものではない。不味いものもあるにはあるが、それは自然だから当たり前だ!!!」
と言う。自然自然と強調されるのは良いんですけど当方はこの人に、
「今や日本の国土での野や畑には自然があるとは到底思えない。山にしたって酸性雨やらオゾン破壊による直射日光やら何やらの影響もあって、純粋な自然とは言えないと思いますが」
と言った。その人は暫く黙っていたんですけど、当方は何やらこの人の言いたい事が解る様な気がしてきました。けど、解りたくない。
例え美味とはいえずとしても、自然の食材でありさえすれば人間にとって必要なものが備わっているのでしょうか。そう考えれば人間の日常の食は味よりも栄養素を求めるべきです。
「人間は確かに他の生物と違うけど、それでも出来る限り自然に添って生きるべきです。贅沢は限度を過ぎれば地球そのものも破壊してしまう」
とはよく言いますし(え?言わない?言う事にしといて)、自然栽培にも一理はある。ただ当方はどうしても納得できない気持ちが心の中でありました。そこで、
「人は誰でも美味しいほうを求めるでしょう。言いたいことは判りますが、我々料理人としての立場と貴方達のスタンスは微妙に違いますね」
と言いながらも、言い逃れの場所を探してるようで何だか後ろめたい気にもなりました。前の記事にも書きましたけど、料理人は味を売る仕事です。しかしその味の捕らえ方も千差万別、十人十色。
その素材そのものの味や、それを調理した食味だけが味ではない。また舌に感じる五味だけが味ではない。
料理を作る人、スタッフやお店のセッティングが醸し出す雰囲気も味だと当方は思う訳です。更に、物、目から入ってくる情報それ自体だけではなく、人様の心を満たす「つくり手」と、その気持ちを汲み取ろうとする「食べ手」の触れ合いの中にこそ、料理の味が生まれると思います。
自然農法をやっているその人は更にこう言います。
「例えあまり美味しくないにしても、命を繋ぐお天道様からの恵みだから文句をつけるべきではない」
阿呆め。そういう考えから生まれた感謝の気持ちもまた味である、とでも言いたいのか。いや、恐らくそこまで考えていないだろうと思われますが、昔、10年くらい前に上司から聞いた言葉で、
「真味只是淡」という言葉があります。
人の味わいも食味も、真の味只々淡(あわ)き中にあり・・・
という意味不明な難解パズルみたいな難しい言葉です。その味わいが理解できて、心が満たされて解る側のひとはこの世に何人居るのだろうか。って言っても当方にもこのパズルは未だ意味不明なので偉そうな事は言えないんですけどね。
この言葉を聞いたときに、あまりに意味不明でその上司にヒントだけ貰った事があります。つまりこれは云わば己が己を料理するってことで感謝の心があれば自ずと満たされる、って言ってました。余計にコンガラガル・・・
ですが、こんな難解パズルが解ける人ばかりだと食べる事への興味も淡い事でしょうし、もちろん料理なんぞしないだろうから当方たち料理人の道はどうなることやら。。
そこで思い浮かぶ言葉が「程・人間万事この一字にあり」。何事も程ほどに考えよう、という事です。それでなくても当方の少ない脳細胞が今年のあまりに寒いアルゼンチンの冬で凍結しにかかってるので。。
いや、既に半分の脳味噌が死んでるっぽい。
春近し・・・だな
「料理人さんは、美味いもん美味いもんと味の事ばかり言い過ぎますよ!!!」
と言われた。もちろんこの言われた「料理人さん」は当方の事を指すわけですが、言った人ってのは純自然農法の実践者。その人が作る野菜は自然に最も近い農法で化学肥料はもちろん使わないので、虫食いが多い。
それはいいとして、その人は、
「自分が作る野菜は確かに全部美味いものではない。不味いものもあるにはあるが、それは自然だから当たり前だ!!!」
と言う。自然自然と強調されるのは良いんですけど当方はこの人に、
「今や日本の国土での野や畑には自然があるとは到底思えない。山にしたって酸性雨やらオゾン破壊による直射日光やら何やらの影響もあって、純粋な自然とは言えないと思いますが」
と言った。その人は暫く黙っていたんですけど、当方は何やらこの人の言いたい事が解る様な気がしてきました。けど、解りたくない。
例え美味とはいえずとしても、自然の食材でありさえすれば人間にとって必要なものが備わっているのでしょうか。そう考えれば人間の日常の食は味よりも栄養素を求めるべきです。
「人間は確かに他の生物と違うけど、それでも出来る限り自然に添って生きるべきです。贅沢は限度を過ぎれば地球そのものも破壊してしまう」
とはよく言いますし(え?言わない?言う事にしといて)、自然栽培にも一理はある。ただ当方はどうしても納得できない気持ちが心の中でありました。そこで、
「人は誰でも美味しいほうを求めるでしょう。言いたいことは判りますが、我々料理人としての立場と貴方達のスタンスは微妙に違いますね」
と言いながらも、言い逃れの場所を探してるようで何だか後ろめたい気にもなりました。前の記事にも書きましたけど、料理人は味を売る仕事です。しかしその味の捕らえ方も千差万別、十人十色。
その素材そのものの味や、それを調理した食味だけが味ではない。また舌に感じる五味だけが味ではない。
料理を作る人、スタッフやお店のセッティングが醸し出す雰囲気も味だと当方は思う訳です。更に、物、目から入ってくる情報それ自体だけではなく、人様の心を満たす「つくり手」と、その気持ちを汲み取ろうとする「食べ手」の触れ合いの中にこそ、料理の味が生まれると思います。
自然農法をやっているその人は更にこう言います。
「例えあまり美味しくないにしても、命を繋ぐお天道様からの恵みだから文句をつけるべきではない」
阿呆め。そういう考えから生まれた感謝の気持ちもまた味である、とでも言いたいのか。いや、恐らくそこまで考えていないだろうと思われますが、昔、10年くらい前に上司から聞いた言葉で、
「真味只是淡」という言葉があります。
人の味わいも食味も、真の味只々淡(あわ)き中にあり・・・
という意味不明な難解パズルみたいな難しい言葉です。その味わいが理解できて、心が満たされて解る側のひとはこの世に何人居るのだろうか。って言っても当方にもこのパズルは未だ意味不明なので偉そうな事は言えないんですけどね。
この言葉を聞いたときに、あまりに意味不明でその上司にヒントだけ貰った事があります。つまりこれは云わば己が己を料理するってことで感謝の心があれば自ずと満たされる、って言ってました。余計にコンガラガル・・・
ですが、こんな難解パズルが解ける人ばかりだと食べる事への興味も淡い事でしょうし、もちろん料理なんぞしないだろうから当方たち料理人の道はどうなることやら。。
そこで思い浮かぶ言葉が「程・人間万事この一字にあり」。何事も程ほどに考えよう、という事です。それでなくても当方の少ない脳細胞が今年のあまりに寒いアルゼンチンの冬で凍結しにかかってるので。。
いや、既に半分の脳味噌が死んでるっぽい。
春近し・・・だな
2008/1/25 14:41
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