2007/1/27 23:43
一週間 日常
月曜に会議と講演(異文化理解講座だ)、火曜日にはゼミの学生(3年)と新年会、水曜にまた会議、木曜金曜は授業だが、夜は同僚(木)や卒論の学生(金)と慰労会。これが私の一週間。来週は金曜には試験だというのに。
火曜に学生との待ち合わせ場所に出向く前には数枚のCDを買ったがどれも素晴らしかった。特筆すべきは沖仁、Nacimiento (東芝EMI)。以前、ろるさんのところに呼んでもらったときに、この人のリサイタルが控えているとかで、「彼がいいのよ」と推薦を受けていたのだが、その彼のメジャーデビュー(どこかでそう言っていたけど本当なのかな? 既に2枚ほど出しているが)アルバム。サイゲンジらとのコラボレーションもあり、ヴォーカル曲の詞も書いたりしている。
火曜に学生との待ち合わせ場所に出向く前には数枚のCDを買ったがどれも素晴らしかった。特筆すべきは沖仁、Nacimiento (東芝EMI)。以前、ろるさんのところに呼んでもらったときに、この人のリサイタルが控えているとかで、「彼がいいのよ」と推薦を受けていたのだが、その彼のメジャーデビュー(どこかでそう言っていたけど本当なのかな? 既に2枚ほど出しているが)アルバム。サイゲンジらとのコラボレーションもあり、ヴォーカル曲の詞も書いたりしている。
2007/1/20 23:38
プレッシャー下の余裕 読書
タイトルはラッシュのアルバムのタイトルから。Grace Under Pressure だ。入試でも余裕を持とうね、ということ。今日はセンター試験初日。監督に当たった。
監督業務の無聊を慰めるために(いや、本当は忙しいのだけど、時おり暇を見て、プレッシャーの下でも余裕を持って)、問題を読んだりする。昼の最初の試験、国語でのこと。現代文の二問目、堀江敏幸「送り火」に、不覚にも落涙しそうになった。
こんな状態なのは体力が落ちているからで、事実、いつもより早く起きたのだから、つまりは睡眠不足で、疲れていたことはいた。しかしそうした条件を差し引いても、その文章には感服してしまった。出題は、つまり試験問題の質としては、いまひとつだったように思うが。
監督業務の無聊を慰めるために(いや、本当は忙しいのだけど、時おり暇を見て、プレッシャーの下でも余裕を持って)、問題を読んだりする。昼の最初の試験、国語でのこと。現代文の二問目、堀江敏幸「送り火」に、不覚にも落涙しそうになった。
こんな状態なのは体力が落ちているからで、事実、いつもより早く起きたのだから、つまりは睡眠不足で、疲れていたことはいた。しかしそうした条件を差し引いても、その文章には感服してしまった。出題は、つまり試験問題の質としては、いまひとつだったように思うが。
2007/1/19 22:42
その前日 読書
センター試験の前日で、休講。ちょっと前からまた寒くなりそうだ、今年も雪が降りそうだと色めき立ち、センター試験廃止論者のぼくとしては憤死しそうだった。が、最新の予報では、雪はまぬかれそうだとか。
先日告知の「異文化理解講座」の担当の日が近づいてきたので、資料を作成し、送付。このところのぼくは、人前で話すときは、授業同様、素材となるテクストをハンドアウトとして渡すことが多い。だって、ぼくの話なんかより、素材となるテクストの方が面白いんだものな。そして、そんな意識がなければ、こんな仕事、やってられない。つまり、素材となるテクストが面白くて仕方ないという意識。
今回のポイントは、カルペンティエールの『キューバの音楽』(1945)の一部を訳して資料として提示したこと。今回、話をいただいて、漠然とその本のことを思い出した。久しぶりに読んでみるとやはり面白く、考えるところ大であったという次第。以前読んだときの記憶はそんなにないように思っていたのだが、思いの外その内容をぼくは内面化していたようだ。話全体の内容は、前回のどこかでの話から、ごくわずかに陣地を広げた、という程度のこと。ため息が出る。
過去のエッセイ群から「ごくわずかに陣地を広げた、という程度」に見えなくもないが、高橋源一郎『ニッポンの小説:百年の孤独』(文藝春秋、2007)は、しかし、9・11の翌年にコロンビア大学で行った講演を日本語の文章にしたプロローグで、すっかりぼくの心を捉えてしまった。本のサブタイトルのとおり『百年の孤独』を引きながら、その書き出しに見られるマコンドの成立に日本近代文学の成立を見立てている。ぼくがただゲラゲラと笑って過ごしただけのホセ・アルカディオ・ブエンディーアがはじめて氷に触れるエピソードに託して、はじめて未知のものに触れる人物の態度というもののあり方を分析してみせるのは、つまりこれが筆力、語り口というもの。ここを比喩の軸として近代文学成立の話を展開するのは、近年の彼の仕事の成果。
精読。またはひとつのパッセージの読みから話を広げていく想像力。この二つは当然、背後に当該のパッセージについての分析を要求し、ほぼ同じことなのだけれども、読者の生命線。想像力に富んだ読者の精読を展開した批評こそが、読んでいて面白い書物。
ぼくは果たして『キューバの音楽』に叙述された16世紀キューバのソンから、マヌエル・デ・ファーリャ(/セルバンテス)の『ペドロ親方の人形芝居』のレチタティーボや大サバンナのテーブルマウンテンに話がつなげられるだろうか?
先日告知の「異文化理解講座」の担当の日が近づいてきたので、資料を作成し、送付。このところのぼくは、人前で話すときは、授業同様、素材となるテクストをハンドアウトとして渡すことが多い。だって、ぼくの話なんかより、素材となるテクストの方が面白いんだものな。そして、そんな意識がなければ、こんな仕事、やってられない。つまり、素材となるテクストが面白くて仕方ないという意識。
今回のポイントは、カルペンティエールの『キューバの音楽』(1945)の一部を訳して資料として提示したこと。今回、話をいただいて、漠然とその本のことを思い出した。久しぶりに読んでみるとやはり面白く、考えるところ大であったという次第。以前読んだときの記憶はそんなにないように思っていたのだが、思いの外その内容をぼくは内面化していたようだ。話全体の内容は、前回のどこかでの話から、ごくわずかに陣地を広げた、という程度のこと。ため息が出る。
過去のエッセイ群から「ごくわずかに陣地を広げた、という程度」に見えなくもないが、高橋源一郎『ニッポンの小説:百年の孤独』(文藝春秋、2007)は、しかし、9・11の翌年にコロンビア大学で行った講演を日本語の文章にしたプロローグで、すっかりぼくの心を捉えてしまった。本のサブタイトルのとおり『百年の孤独』を引きながら、その書き出しに見られるマコンドの成立に日本近代文学の成立を見立てている。ぼくがただゲラゲラと笑って過ごしただけのホセ・アルカディオ・ブエンディーアがはじめて氷に触れるエピソードに託して、はじめて未知のものに触れる人物の態度というもののあり方を分析してみせるのは、つまりこれが筆力、語り口というもの。ここを比喩の軸として近代文学成立の話を展開するのは、近年の彼の仕事の成果。
精読。またはひとつのパッセージの読みから話を広げていく想像力。この二つは当然、背後に当該のパッセージについての分析を要求し、ほぼ同じことなのだけれども、読者の生命線。想像力に富んだ読者の精読を展開した批評こそが、読んでいて面白い書物。
ぼくは果たして『キューバの音楽』に叙述された16世紀キューバのソンから、マヌエル・デ・ファーリャ(/セルバンテス)の『ペドロ親方の人形芝居』のレチタティーボや大サバンナのテーブルマウンテンに話がつなげられるだろうか?
2007/1/16 15:02
una tras otra 読書
ふう。ひとつ終わったと思ったらまたひとつ、世の中に仕事の絶えることはない。二つ前の記事で報告した書評は終わった。その原稿作成に際して、一つ前の記事の書見台、大活躍。
書評は、見えるかな? このタイトルとオビの間のスペースに潜むくぼみについて書いた。

とある同業者のブログを見ていると、ぼくが抱えているにもかかわらずすっかり忘れていたのと同種の仕事をしているらしい。ぼくもそれを思い出し、ブツを忘却のかなたから引きずり出してきた。やれやれ。
書評は、見えるかな? このタイトルとオビの間のスペースに潜むくぼみについて書いた。
とある同業者のブログを見ていると、ぼくが抱えているにもかかわらずすっかり忘れていたのと同種の仕事をしているらしい。ぼくもそれを思い出し、ブツを忘却のかなたから引きずり出してきた。やれやれ。
2007/1/9 21:58
最近導入の新兵器 日常
ある作業をしながらずっと、アレが欲しいなと思っていたのだ。
ただし、その際の「アレ」とは、高校時代に使用していたような、パイプでできた安物でも良かった。むしろ、そういうものがまず、思い浮かんだ。次に、確かメキシコのどこだかで見た木製のものが念頭に浮かんだ。スペイン語ではそれをATRILという。
で、文具屋に立ち寄ったついでに訊いてみた。「書見台みないなものありますかね?」
書見台みたいなもの、だ。曖昧な表現だ。婉曲語法だ。そのせいか、出てきたのが、これ。

名前は《コピー・ホルダー》。「書」ではない。「見」るためのものでもない。本だけではない。A4サイズの書類を挟むこともできる。だからコピー・ホルダー。書類の行をたどるための物差しのようなものつき。不覚にも気に入ってしまい、購入した。
あまり落ち着いてひとつの机で仕事をするタイプではないので、こんなものはさして必要だとも思わなかったのだけど、やはりどうしてもある種の作業だけはじっと座って行わざるを得ず、その際にはやはりこうしたものが力を発揮しそうだと、最近になって思い至ったのだ。「ある種の作業」というのは、入力作業。一定の条件下での。
ただし、その際の「アレ」とは、高校時代に使用していたような、パイプでできた安物でも良かった。むしろ、そういうものがまず、思い浮かんだ。次に、確かメキシコのどこだかで見た木製のものが念頭に浮かんだ。スペイン語ではそれをATRILという。
で、文具屋に立ち寄ったついでに訊いてみた。「書見台みないなものありますかね?」
書見台みたいなもの、だ。曖昧な表現だ。婉曲語法だ。そのせいか、出てきたのが、これ。
名前は《コピー・ホルダー》。「書」ではない。「見」るためのものでもない。本だけではない。A4サイズの書類を挟むこともできる。だからコピー・ホルダー。書類の行をたどるための物差しのようなものつき。不覚にも気に入ってしまい、購入した。
あまり落ち着いてひとつの机で仕事をするタイプではないので、こんなものはさして必要だとも思わなかったのだけど、やはりどうしてもある種の作業だけはじっと座って行わざるを得ず、その際にはやはりこうしたものが力を発揮しそうだと、最近になって思い至ったのだ。「ある種の作業」というのは、入力作業。一定の条件下での。
2007/1/8 23:56
準備 読書
同僚の家にお呼ばれしたり、古くからの友人の家にお呼ばれしたり。
冬休みも終わりで、授業の準備などもあるのだが、その前に一本書評を書かねばならない。シコ・ブアルキ『ブダペスト』武田千香訳(白水社、2006)の献本を頂いたことはかつて報告したが、それについての書評を準備しているということ。
ブアルキはブラジルのポップス歌手で、同年代のカエターノ・ヴェローゾとTV番組のホストも務めたりしていたらしい。そのことはたとえば『ユリイカ』2003年2月号の特集カエターノ・ヴェローゾ、p.100の写真、p.101の文章などに確認される。この写真(シコとカエターノに加え、トム・ジョビン、アストル・ピアソラという大物ぞろい)は、エレーナ・ジョビン『アントニオ・カルロス・ジョビン』(青土社)からの再録らしいが、残念ながら当該の本を参照できていない。
そんなわけで、存在は知ってはいても、実はブアルキの曲は聴いたことがなかった。この書評を書くにあたって、実際にはどれだけ役に立つのか、まったくわからないのではあるが、雨の降りしきる中、新宿のディスク・ユニオン本店まで探しに行ったりしたのが、この連休の活動。
ちなみに、歌手としてのブアルキはカエターノよりも乾いた感じの声質で、投げやりな感じが良い。小説はものすごく面白い。表紙についての話をしようと思う。楽曲について触れることはできるだろうか?
冬休みも終わりで、授業の準備などもあるのだが、その前に一本書評を書かねばならない。シコ・ブアルキ『ブダペスト』武田千香訳(白水社、2006)の献本を頂いたことはかつて報告したが、それについての書評を準備しているということ。
ブアルキはブラジルのポップス歌手で、同年代のカエターノ・ヴェローゾとTV番組のホストも務めたりしていたらしい。そのことはたとえば『ユリイカ』2003年2月号の特集カエターノ・ヴェローゾ、p.100の写真、p.101の文章などに確認される。この写真(シコとカエターノに加え、トム・ジョビン、アストル・ピアソラという大物ぞろい)は、エレーナ・ジョビン『アントニオ・カルロス・ジョビン』(青土社)からの再録らしいが、残念ながら当該の本を参照できていない。
そんなわけで、存在は知ってはいても、実はブアルキの曲は聴いたことがなかった。この書評を書くにあたって、実際にはどれだけ役に立つのか、まったくわからないのではあるが、雨の降りしきる中、新宿のディスク・ユニオン本店まで探しに行ったりしたのが、この連休の活動。
ちなみに、歌手としてのブアルキはカエターノよりも乾いた感じの声質で、投げやりな感じが良い。小説はものすごく面白い。表紙についての話をしようと思う。楽曲について触れることはできるだろうか?
2007/1/3 20:10
徒労 映画、その他
たまには休日風に過ごしてみようかと思い、ぶらぶらしていたら、思い立ってレンタルビデオ店に立ち寄ることになった。そこで見つけたのが、ロマン・ポランスキー監督『死と処女(おとめ)』(CICビクター)。
長いこと探していたけど、どこでも見つけられず、残念に思っていたものだ。もちろん、アリエル・ドルフマンの戯曲をポランスキーがシガニー・ウィバーを主演に仰いで映画化(1994)したもの(他の配役はベン・キングズレーとスチュアート・ウィルソン)。ぼくは映画を見逃していたし、VHSのビデオがでたけれども今では流通しておらず、レンタルビデオ屋などでもなかなか見かけない。DVDも発売されていないのか、見当たらない(ポランスキーだぜ!)。それが、いつも利用する最寄のビデオ屋にあったという次第。
借りて来たはいいが、ここで邪念が。せっかくの代物だから、どうにかダビングしてしまおう。授業などで使えるかもしれないし……。しかし、ぼくはビデオデッキはひとつしか持っていない。DVDは再生専用のプレーヤーだ。そのためにレコーダーを買うのもなんだかな……。で、結局、1万円ほどのキャプチャボックス(これがいちばん安上がり)を買った。ケーブルTVのチューナーの関係で配線がいささかややこしい。それをほぐし、せっかちなためにセットアップに一度失敗し(急がば回れとはよく言ったものだ)、設定の間違いが一度あり、それらを乗り越えてやっと接続完了、さあ、録画するぞ、と勢い込んだら、警告音が鳴った。
「コピープロテクトがかかっているので録画できません」だと。
やれやれ。仕方ない。網膜と脳にしっかり刻み込むしかないのか。これから観よう。キャプチャボックスは、無駄になったと考えるのではなく、その他のテープでしか持っていない映像を、これからどんどんディジタル化するのに使っていこう。それが今年の目標。
長いこと探していたけど、どこでも見つけられず、残念に思っていたものだ。もちろん、アリエル・ドルフマンの戯曲をポランスキーがシガニー・ウィバーを主演に仰いで映画化(1994)したもの(他の配役はベン・キングズレーとスチュアート・ウィルソン)。ぼくは映画を見逃していたし、VHSのビデオがでたけれども今では流通しておらず、レンタルビデオ屋などでもなかなか見かけない。DVDも発売されていないのか、見当たらない(ポランスキーだぜ!)。それが、いつも利用する最寄のビデオ屋にあったという次第。
借りて来たはいいが、ここで邪念が。せっかくの代物だから、どうにかダビングしてしまおう。授業などで使えるかもしれないし……。しかし、ぼくはビデオデッキはひとつしか持っていない。DVDは再生専用のプレーヤーだ。そのためにレコーダーを買うのもなんだかな……。で、結局、1万円ほどのキャプチャボックス(これがいちばん安上がり)を買った。ケーブルTVのチューナーの関係で配線がいささかややこしい。それをほぐし、せっかちなためにセットアップに一度失敗し(急がば回れとはよく言ったものだ)、設定の間違いが一度あり、それらを乗り越えてやっと接続完了、さあ、録画するぞ、と勢い込んだら、警告音が鳴った。
「コピープロテクトがかかっているので録画できません」だと。
やれやれ。仕方ない。網膜と脳にしっかり刻み込むしかないのか。これから観よう。キャプチャボックスは、無駄になったと考えるのではなく、その他のテープでしか持っていない映像を、これからどんどんディジタル化するのに使っていこう。それが今年の目標。
2007/1/1 1:18
新春のお喜び 話題
ここを読んでいるかも知れないかたがたに、新年のご挨拶です。
ふう。それにしても、もう何年連続になるだろう。仕事ために机についたまま年を越すのは?
大掃除も年越しそばもお節も何もあったものではないな。
もっとも、そんなものに興味はないのだが。
ふう。それにしても、もう何年連続になるだろう。仕事ために机についたまま年を越すのは?
大掃除も年越しそばもお節も何もあったものではないな。
もっとも、そんなものに興味はないのだが。



