2008/1/31 20:39
不意の出会い 読書
あるスペイン人作家の書いた小説を読んでいて、思わず「かっこいい!」とうなったのだけど、残念ながらそれが誰の何という小説のどんなパッセージだったかは言うことができない。試験問題に出したからだ。残念。試験が終わったら、そのうち……
そのかわり、これ。

大学が午後の授業だけだったので、出講前にこれを買いに吉祥寺へ。駐車場に車を停めて通りにでたところで卒業生に出くわす。近くのレストランで働いているのだ。そのうち行く約束をして、目的の本を。
ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録/十二の遍歴の物語』野谷文昭、旦敬介訳(新潮社、2008)
フリオ・コルタサル『愛しのグレンダ』野谷文昭訳(岩波書店、2008)
《ガルシア=マルケス全小説》最後の配本。作家のノーベル文学賞受賞講演「ラテンアメリカの孤独」が鼓直訳で併載されている。これがかつて『すばる』に掲載されたことは知っていたけど、読んだことはなかったのだった。マゼランに随行してその記録を残したアントニオ・ピガフェッタやアルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカの残した文物にラテンアメリカの小説の萌芽を示唆する、今のぼくにとって実に有益な内容。
野谷さんによる解説も充実。『予告された殺人の記録』のジル・ヴィセンテ(15-16世紀のポルトガルの作家。スペイン語でも著作がある)からのエピグラフに触れて解説しているくだりなど、参考になる。
『愛しのグレンダ』は原題は「ぼくたちはこんなにもグレンダを愛している」Queremos tanto a Glendaという程度の意味。この表題作は邦訳があったような気がしたのだが、それは勘違い。『海に投げこまれた瓶』(鼓直と立花英裕の共訳で白水社から出ている)の表題作がこれを話題にしていたのだった。
そのかわり、これ。
大学が午後の授業だけだったので、出講前にこれを買いに吉祥寺へ。駐車場に車を停めて通りにでたところで卒業生に出くわす。近くのレストランで働いているのだ。そのうち行く約束をして、目的の本を。
ガブリエル・ガルシア=マルケス『予告された殺人の記録/十二の遍歴の物語』野谷文昭、旦敬介訳(新潮社、2008)
フリオ・コルタサル『愛しのグレンダ』野谷文昭訳(岩波書店、2008)
《ガルシア=マルケス全小説》最後の配本。作家のノーベル文学賞受賞講演「ラテンアメリカの孤独」が鼓直訳で併載されている。これがかつて『すばる』に掲載されたことは知っていたけど、読んだことはなかったのだった。マゼランに随行してその記録を残したアントニオ・ピガフェッタやアルバル・ヌニェス・カベサ・デ・バカの残した文物にラテンアメリカの小説の萌芽を示唆する、今のぼくにとって実に有益な内容。
野谷さんによる解説も充実。『予告された殺人の記録』のジル・ヴィセンテ(15-16世紀のポルトガルの作家。スペイン語でも著作がある)からのエピグラフに触れて解説しているくだりなど、参考になる。
『愛しのグレンダ』は原題は「ぼくたちはこんなにもグレンダを愛している」Queremos tanto a Glendaという程度の意味。この表題作は邦訳があったような気がしたのだが、それは勘違い。『海に投げこまれた瓶』(鼓直と立花英裕の共訳で白水社から出ている)の表題作がこれを話題にしていたのだった。
2008/1/27 23:50
二週連続の日曜出勤 業務
博士後期課程の試験で大学へ。
ぼくは博士後期課程は担当していない。4月からは担当する。でも今は担当していないから、元来、その入試に関わる必要もない。が、今回はよんどころなき事情があって、参加せざるを得ない。
ぼくの勤める東京外国語大学大学院は博士後期課程の担当に関しては意外に厳しい条件がある。その条件のために昨日まで担当していたはずなのに突然、翌年からの担当を外されるということがある。学生がいないならそれもいいが、指導する学生がいながら担当を外されるなどということになったら、なかなか大変だろうなと思う。逆に指導する学生もいないのに担当するということは、それに伴う仕事が増えるということでもあるのだが……。
さあ、今いる修士(博士前期)の教え子が進学してくるときまでぼくは後期担当の資格を有し続けていられるだろうか? それが問題だ。
2008/1/26 14:14
自己を憐れむ 日常
人は誰しも自分自身を哀れむ。自らの意志を阻害するような事実に出くわすと、世界中が自分をじゃましようとしているのではないかと、いぶかしんでみたりする。
そうした自己憐憫の念を差し引いても、それにしてもぼくはトラブルに見舞われることが多いと思う。
昨日、ほろ酔い気分で午前様に帰宅してみれば、部屋のドアの前にこれがドカッと腰を据えていた。
集合住宅である。集合住宅のエレベーター隣だ。2階ではあるが、ここからは駐車場2階に通じる通路に出られる。だから、だれかが何かを間違ってちょっと置いてしまう可能性はなくもない。しかし、それにしても……
まだこんな形だからいい。爆発物の可能性を疑うことはない。これが不審な箱などだったら、と思う。
逆に、こんな形である。たぶん、子どものおもちゃの滑り台だ。こんなものを、いくらエレベーター脇だからといって、間違えて置いたままその場を離れることが可能だろうか? しかも、仕切りを隔てたぼくのドアの真ん前にきれいに置かれていたのだ。……確信犯かと疑いたくなるゆえんだ。
確信犯だとすれば、次に問題になるのは、そこがぼくの部屋の前だと知っての犯行か、それとも無差別な置き去りか、ということ。後者ならばモラルの低下を嘆けばいい。前者なら?
これはあなたの子となるはずの存在が使うはずだったおもちゃの滑り台、というメッセージか?
まさか! ぼくには心当たりなどないぞ。
では来るべき大犯罪の予告か? ――この次はのぼり棒が、そしてうんていが、次に砂場の砂がばらまかれ、……1日ごとに我が家の玄関前は小公園の子どもの遊び場の道具立てをそろえていく。そして、……いったいどこへ向かうのか? やはり次に現れるのは、そこで遊ぶ子どもか?
そう。いずれにしても子どもなのだ。ぼくには子どもはいない。こんなもの、ドアの前に置かれても迷惑なのだった。
2008/1/22 23:34
疲れた…… パソコン・インターネット
マイクロソフト社の横暴を告発する……とでも書きたいところ。
Windows Vista以後、ぼくが恐れていることは、「えっ、".docx"ではなく".doc"の形式で送ってこい? それって何のこと? わかんない」などといいながら、せっかくあれだけの紆余曲折の末に打ち立てられた互換性という人類の達成(それは「人権」とか「民主制」とかと比肩しうるような人類史上の達成のひとつなのだ! ……なんちゃって)を無視するかのように、".docx"ファイルでレポートを送ってくる学生がいつ現れるか、ということなのだ。
そんなわけで、意外にはやく出たので、これを買った。

Office:mac2008。これで".docx"ファイルも難なく処理でき、めでたしめでたし、……
と思ったら、やはり話はそんなに簡単ではなかった。縦書きにしたときに、オンビキ(ー)や句読点、カッコなどが縦書き仕様にならないのだ!
事前に評判などを確認の上、決断すべきだった。後悔してOffice:mac2004に戻そうとすると、手遅れだった。そこでも既に縦書きは表示に不具合が生じるようになっていた。
マイクロソフト社の相談ページを確認したら、この問題に苛まれている方が既に多くいるらしく、いくつか同様の質問が寄せられていた。
なになに……そうか! この不具合はMS明朝など、つまりはMS社向けのフォントで生じるのだな。
で、ヒラギノ明朝などにしてみた。すると、たちどころに解決。
めでたし、めでたし、……
ではない!
そうして作成した文書をウィンドウズ・マシンで表示しようとすると、こんどは逆の症状が発生するのだ。つまり、ヒラギノなどのフォントでは、縦書きの一部の記号が縦にならない。MSならば縦になる。
やれやれ。マイクロソフト社は、くれぐれも言うが、基本的人権にも匹敵する人類史上の達成を、自ら踏みにじり、世界を再びの混沌に陥れようとしているのだ。サブプライム問題に端を発する株価の連鎖的下落で世界はまた恐慌の時代に突入しようとしている。マイクロソフト社のおごりから来る自家中毒で、コミュニケーション不全の時代がまた訪れようとしている。
……ま、腹立ち紛れに大げさに言っているだけなのだけどね。
ちなみにぼくは、かつては日本語だって横書きになればいいじゃないかと思っていたのに、日本語ワープロソフトが安定したパフォーマンスを示すようになってから、徐々に縦書きを発見してきたのだ。
Windows Vista以後、ぼくが恐れていることは、「えっ、".docx"ではなく".doc"の形式で送ってこい? それって何のこと? わかんない」などといいながら、せっかくあれだけの紆余曲折の末に打ち立てられた互換性という人類の達成(それは「人権」とか「民主制」とかと比肩しうるような人類史上の達成のひとつなのだ! ……なんちゃって)を無視するかのように、".docx"ファイルでレポートを送ってくる学生がいつ現れるか、ということなのだ。
そんなわけで、意外にはやく出たので、これを買った。
Office:mac2008。これで".docx"ファイルも難なく処理でき、めでたしめでたし、……
と思ったら、やはり話はそんなに簡単ではなかった。縦書きにしたときに、オンビキ(ー)や句読点、カッコなどが縦書き仕様にならないのだ!
事前に評判などを確認の上、決断すべきだった。後悔してOffice:mac2004に戻そうとすると、手遅れだった。そこでも既に縦書きは表示に不具合が生じるようになっていた。
マイクロソフト社の相談ページを確認したら、この問題に苛まれている方が既に多くいるらしく、いくつか同様の質問が寄せられていた。
なになに……そうか! この不具合はMS明朝など、つまりはMS社向けのフォントで生じるのだな。
で、ヒラギノ明朝などにしてみた。すると、たちどころに解決。
めでたし、めでたし、……
ではない!
そうして作成した文書をウィンドウズ・マシンで表示しようとすると、こんどは逆の症状が発生するのだ。つまり、ヒラギノなどのフォントでは、縦書きの一部の記号が縦にならない。MSならば縦になる。
やれやれ。マイクロソフト社は、くれぐれも言うが、基本的人権にも匹敵する人類史上の達成を、自ら踏みにじり、世界を再びの混沌に陥れようとしているのだ。サブプライム問題に端を発する株価の連鎖的下落で世界はまた恐慌の時代に突入しようとしている。マイクロソフト社のおごりから来る自家中毒で、コミュニケーション不全の時代がまた訪れようとしている。
……ま、腹立ち紛れに大げさに言っているだけなのだけどね。
ちなみにぼくは、かつては日本語だって横書きになればいいじゃないかと思っていたのに、日本語ワープロソフトが安定したパフォーマンスを示すようになってから、徐々に縦書きを発見してきたのだ。
2008/1/20 21:22
疲れた〜 業務
センター試験の監督。土地柄なのか、少子化時代だからなのか、センター試験は通常、2日間のうちの1日だけ監督すればいい。が、たとえ1日だけでも疲れる。ぼくはたとえうるさがられようとも、毎日でもつぶやいていたいな。センター試験は夏にやれと、そして全員が五教科すべて受験しなければならないと。
明日にはまた授業があるのかと思うと、心底疲れる。
2008/1/19 20:35
リテラシー……なのか? 話題
この2年のぼくを最大に苛んでいるあることがらに関して、昨年の秋口くらいに不思議なメールを受け取った。差出人のメールの文面によれば、なにやら添付ファイルを付しているらしい。しかし、そこに添付されたファイルは、どのアプリケーションに関連づけてもいっこうに開いて閲覧することができないのだ。
他のメンバーからその差出人に送ったアドバイスでは、Windows Vista用の新しいMS Wordを使っているからとのこと。差出人は送り直す。
しかし、まだ開くことができない。そもそもぼくだって".docx"ファイルくらい開くことはできる。ビスタなのだから。だから問題はそこにはないはずなのだ。
で、開けないようなファイルを送ってくる者が悪いのだと開き直ることにして、見ないでおいた。
数ヶ月後、なにやらそれに関連して、その人物特有の卑劣なしかたでいやみらしきことを言われた。ぼくはその場では何のことだかわからなかったので、有効な反論もできずにいた。ただ彼にそうしたことを言われるときの常で、体調が悪くなっただけだ。
そう。今問題になっているのは、悪名高い"winmail.dat"ファイルだ。
ウィンドウズでOUtlookをメーラーに使用している人が、リッチテキストファイル(RTF)を使ったりした場合、他のメーラーにおいて高い確率で現れてしまう"winmail.dat"ファイル。どうやらぼくの使用しているShurikenProの場合、2つ以上の添付ファイルをつけたOutlookからのメールはかなりの高確率で添付ファイル部分がこのファイルに変換されてしまう。メール本文は読めるのだけど。
ストレスなのだ。メールによる業務は。
つい2、3年前のこと、ヴィム・ヴェンダースがどこかに、朝はメールのチェックとその返事に追われると書いていたのを読んだ記憶がある。そのメールの数というのが、平均60通くらいだと書いていた。
我が目を疑った。ぼくなんかより何十万倍の知名度に達するはずのヴェンダースが1日60通しかメールを受け取らないのか! ぼくは30通以上は受け取っているぞ。ダイレクト・メールや企業のメールマガジンをのぞいてもそうなのだ。
たぶんヴェンダースが異常に少ないのではない。ぼくが多すぎるのだ。さしたる根拠もなしにそう考えることにしている。そうでも考えないとやっていられない。
そして、そう考えると仕事のメールとはストレス以外のなにものでもない。だから、そんな仕事のメールで不具合の生じるような処理をする者は無視したい。
ぼくの仕事(ぼくの苦手なタイプの、大学の仕事や書類仕事)を増やすことにかけて天才的な手腕を発揮するある人物に、否応なしに引き込まれた結果、予想していたよりはるかに大変なことになりそうなある仕事(こんなことばかりだ)に関して、あるグループ間でのメールのやりとりで、どうも話しが通じないと思って、もういちどその関係のメールのすべてを点検したら、やはり、あった。"winmail.dat"。
さすがに無視するわけには行くまいと思っていろいろと試した。しかし、やはりうまいかない。
で、実は、このときはじめて検索してみて、"winmail.dat"のなんたるかを知った次第。gmailだとこの問題が発生しないとの情報を得たり(ということは、つまり、gmailに限らず、hotmailなどでも可。つまりはウェブメールなら、ということ)、フリーのソフトがあることを知ったりした。そのソフトをインストールして、やっとのことで添付ファイルが閲覧でき、仕事も進められた。
やれやれ。仕事以前の問題であるこのことに、いったいどれだけの時間を費やしたと思っているのだ! "winmail.dat"ファイルを送ってしまう可能性のある人には猛省を促したいものだ。
コーヒーを買ったら、「300g以上お買い上げのお客様にマイ箸をプレゼントしています」とのことでいただいた、「マイ箸」。「マイ」をつける必要性はどこにあるのだ? そう訊きたかったけど、からかっていると思われそうなのでやめた。で、だまっていただいた、これが、「マイ箸」。
2008/1/15 17:46
うずたかき山 読書
テーブルにはこのような本の山がいくつかできることになる。いや、床にも。この山は仕事には関係ないけど読まなきゃね、という山。一番上にましますのが、池澤夏樹個人選になる文学全集、第2回配本の作品。
マリオ・バルガス=リョサ『楽園への道』田村さと子訳(河出書房新社、2008)。フローラ・トリスタンとその孫ゴーギャンを扱ったもの。
土曜日に、研究会に出かけて行く途中、吉祥寺で寄った本屋に見いだしたもの。その日の研究会では、次回の発表を仰せつかり、かくしてこのテーブルの別の箇所にはアルフォンソ・レイェスの山ができることになった。
今日は3年の学生たちとの新年会。
2008/1/12 9:54
感涙 日常
学生たちとの打ち上げの際に、彼らからいただいたのが、これ。

ぼくの趣味がすっかり見透かされているみたいでなにやら面はゆいが、でもまあありがたいことにかわりはなく、深夜、酔っ払って帰った居間でひとり泣いた。
なんちゃって。
待ち合わせの前に本屋をのぞくと、サルトル『存在と無』ちくま学芸文庫版、完結の第3巻が出ていた。
ぼくの趣味がすっかり見透かされているみたいでなにやら面はゆいが、でもまあありがたいことにかわりはなく、深夜、酔っ払って帰った居間でひとり泣いた。
なんちゃって。
待ち合わせの前に本屋をのぞくと、サルトル『存在と無』ちくま学芸文庫版、完結の第3巻が出ていた。
2008/1/10 22:16
既決事項 告知
そう。モンテレイ工科大学ではなく、今はヌエボ・レオン州立自治大学の話。ヌエボ・レオンは州の名前。そこの州都がモンテレイ。
それはもう決まっていること(Es un hecho)と言ってくれているのだから、告知してもいいだろう。
ここの文化コーディネーターの方がアルフォンソ・レイェス作品のスペイン語・日本語対訳版を出版したい、ついてはおまえはなにがしか翻訳済みのテクストを持っているそうではないか、それを出さないか、と誘ってくださったのだ。今年5月くらいに出版の見通し。いやあ、生きていて良かった。
いずれも日本語訳、400字詰め原稿用紙換算で60-70枚くらいのテクストを2つほど、翻訳したまま出版できないでいたのだった。
最初は友人たちと企画した翻訳アンソロジーの一部にしようと考えていたが、当て込んでいた出版助成が取れずに、計画は頓挫した。レイェスのテクスト単独で、メキシコの国が出す助成を、とも考えたが、出版社にはこの2本ではまとまりをつけるのが難しいと言われた。別のところに提示したときには、いっしょに提示した他の作品の翻訳はやってくれと言われたが、これは見合わせようと言われた。不幸なテクスト群なのだ。
それが日の目を見るというのだから、嬉しい話じゃないか。そしてその出版を、大学が2005年から毎年行っているアルフォンソ祭Festival Alfonsino(レイェスの形容詞はalfonsinoなのだ)に合わせよう、そしてその本のプレゼンテーションをそのフェスティヴァルでやってしまおう、だから、来る? という話が進行しているのだった。そりゃああんた、二つ返事で行くに決まってるでしょ?
翻訳などやる気ならば、今のうちに気に入った作品は、練習と思って訳を作っておけ、と偉そうに学生に勧めたりすることはあった。ぼくは現実には、ほとんどそんなことをやらずに過ごしてきた。でもこうして、もう仕事に就いた後とはいえ、比較的暇だった時期にやった仕事が、何年かの時を隔てて報われようとしているのだから、自身のアドバイスを身を以て実感しているということだ。
……あ、ちなみに、フリオ・ラモン・リベイロとホルヘ・イバルグエンゴイティア、それにビルヒリオ・ピニェーラの短編がそれぞれ一篇ずつ、ストックがあります。どなたか……
明日は卒論を出し終えた4年の学生たちと打ち上げだ。
それはもう決まっていること(Es un hecho)と言ってくれているのだから、告知してもいいだろう。
ここの文化コーディネーターの方がアルフォンソ・レイェス作品のスペイン語・日本語対訳版を出版したい、ついてはおまえはなにがしか翻訳済みのテクストを持っているそうではないか、それを出さないか、と誘ってくださったのだ。今年5月くらいに出版の見通し。いやあ、生きていて良かった。
いずれも日本語訳、400字詰め原稿用紙換算で60-70枚くらいのテクストを2つほど、翻訳したまま出版できないでいたのだった。
最初は友人たちと企画した翻訳アンソロジーの一部にしようと考えていたが、当て込んでいた出版助成が取れずに、計画は頓挫した。レイェスのテクスト単独で、メキシコの国が出す助成を、とも考えたが、出版社にはこの2本ではまとまりをつけるのが難しいと言われた。別のところに提示したときには、いっしょに提示した他の作品の翻訳はやってくれと言われたが、これは見合わせようと言われた。不幸なテクスト群なのだ。
それが日の目を見るというのだから、嬉しい話じゃないか。そしてその出版を、大学が2005年から毎年行っているアルフォンソ祭Festival Alfonsino(レイェスの形容詞はalfonsinoなのだ)に合わせよう、そしてその本のプレゼンテーションをそのフェスティヴァルでやってしまおう、だから、来る? という話が進行しているのだった。そりゃああんた、二つ返事で行くに決まってるでしょ?
翻訳などやる気ならば、今のうちに気に入った作品は、練習と思って訳を作っておけ、と偉そうに学生に勧めたりすることはあった。ぼくは現実には、ほとんどそんなことをやらずに過ごしてきた。でもこうして、もう仕事に就いた後とはいえ、比較的暇だった時期にやった仕事が、何年かの時を隔てて報われようとしているのだから、自身のアドバイスを身を以て実感しているということだ。
……あ、ちなみに、フリオ・ラモン・リベイロとホルヘ・イバルグエンゴイティア、それにビルヒリオ・ピニェーラの短編がそれぞれ一篇ずつ、ストックがあります。どなたか……
明日は卒論を出し終えた4年の学生たちと打ち上げだ。
2008/1/9 21:17
補足 業務
これが、昨日「モンテ・デ・シージャ」と書いたものの映像。それを写した絵はがきから。絵はがきによれば、正しくは、セーロ・デ・ラ・シージャCerro de la Silla 鞍馬山ではなく、鞍馬丘でした。本当に馬の鞍みたいでしょ?
メキシコ北部の工業都市モンテレイの郊外にはこれがそびえている。モンテレイはアルフォンソ・レイェスの故郷。ハサミ状にクロスする二本の目抜き通りは、一本が彼の父親から取ったベルナルド・レイェス将軍通りといい、もう一本がアルフォンソ・レイェス通りという。ビール工場などが有名。最近ではモンテレイ工科大学という大学がプレステージを高めている。モンテレイ工科大学はここに始まる高等研究・教育機関だが、今では国内のいくつもの都市にキャンパスを構える。
さて、モンテレイ工科大とは無関係に、ちょっとふってわいたような話で、ここでのあるイヴェントに参加できるかもしれない。というのが、昨日の期待。うまく行くと良いな。楽しみだ。

メキシコ北部の工業都市モンテレイの郊外にはこれがそびえている。モンテレイはアルフォンソ・レイェスの故郷。ハサミ状にクロスする二本の目抜き通りは、一本が彼の父親から取ったベルナルド・レイェス将軍通りといい、もう一本がアルフォンソ・レイェス通りという。ビール工場などが有名。最近ではモンテレイ工科大学という大学がプレステージを高めている。モンテレイ工科大学はここに始まる高等研究・教育機関だが、今では国内のいくつもの都市にキャンパスを構える。
さて、モンテレイ工科大とは無関係に、ちょっとふってわいたような話で、ここでのあるイヴェントに参加できるかもしれない。というのが、昨日の期待。うまく行くと良いな。楽しみだ。



