2008/9/23  23:06

協会その伝統と歴史 その9  協会について
 第33回本場所では新横綱となった三津知が連続優勝し、照の花は遂に東正横綱の座を三津知に明け渡すことになってしまいました。

十両では新星の勝間田部屋より入門した一発と栃二匹が共に全勝で優勝決定戦で争い、一発が勝って優勝を遂げました。後の名大関が華々しいデビューを飾ったのでありました。

 昭和48年になって、新たに九十九部屋が誕生し、新鋭、巨漢力士が押し寄せる波の中で、小柄の照の花は圧倒的に不利な立場におりました。

ここで谷の戸親方は思い切って照の花の相撲スタイルを180度変える方式を取りました。本来であるならば照の花はがっぷり四つから投げに出る相撲が主流でありましたが、体力のない照の花の消耗は激しいものでありました。そこで右のオッツケを強くし、左を深く差して一気に前に出る速攻相撲ができるように何番も何番も稽古に明け暮れました。

(かつて大相撲で横綱千代の富士も、脱臼癖のある肩と体力差を克服するために、マエミツを取り一気に走る相撲に切り替え、名横綱と言われるまでに大成しました。時代は昭和48年、照の花はなんと小柄な力士が勝つための手口を先に取り入れ、新世代が台頭する荒波の紙相撲界に真っ向勝負で挑んでいったのです)


 しかしこれは照の花にとっても親方にとっても、大きな大きな一か八かの賭けでありました。力士をいじるというのは、失敗すると取り返しのつかないことになり、まして照の花は横綱の地位にありましたので、即引退ということも念頭におかなければなりません。

 そしていよいよ運命の第34回本場所が開催されました。

 照の花は復活することができるのでしょうか?


(つづく)
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