2008/9/23 23:06
協会その伝統と歴史 その9 協会について
第33回本場所では新横綱となった三津知が連続優勝し、照の花は遂に東正横綱の座を三津知に明け渡すことになってしまいました。
十両では新星の勝間田部屋より入門した一発と栃二匹が共に全勝で優勝決定戦で争い、一発が勝って優勝を遂げました。後の名大関が華々しいデビューを飾ったのでありました。
昭和48年になって、新たに九十九部屋が誕生し、新鋭、巨漢力士が押し寄せる波の中で、小柄の照の花は圧倒的に不利な立場におりました。
ここで谷の戸親方は思い切って照の花の相撲スタイルを180度変える方式を取りました。本来であるならば照の花はがっぷり四つから投げに出る相撲が主流でありましたが、体力のない照の花の消耗は激しいものでありました。そこで右のオッツケを強くし、左を深く差して一気に前に出る速攻相撲ができるように何番も何番も稽古に明け暮れました。
しかしこれは照の花にとっても親方にとっても、大きな大きな一か八かの賭けでありました。力士をいじるというのは、失敗すると取り返しのつかないことになり、まして照の花は横綱の地位にありましたので、即引退ということも念頭におかなければなりません。
そしていよいよ運命の第34回本場所が開催されました。
照の花は復活することができるのでしょうか?
(つづく)
十両では新星の勝間田部屋より入門した一発と栃二匹が共に全勝で優勝決定戦で争い、一発が勝って優勝を遂げました。後の名大関が華々しいデビューを飾ったのでありました。
昭和48年になって、新たに九十九部屋が誕生し、新鋭、巨漢力士が押し寄せる波の中で、小柄の照の花は圧倒的に不利な立場におりました。
ここで谷の戸親方は思い切って照の花の相撲スタイルを180度変える方式を取りました。本来であるならば照の花はがっぷり四つから投げに出る相撲が主流でありましたが、体力のない照の花の消耗は激しいものでありました。そこで右のオッツケを強くし、左を深く差して一気に前に出る速攻相撲ができるように何番も何番も稽古に明け暮れました。
(かつて大相撲で横綱千代の富士も、脱臼癖のある肩と体力差を克服するために、マエミツを取り一気に走る相撲に切り替え、名横綱と言われるまでに大成しました。時代は昭和48年、照の花はなんと小柄な力士が勝つための手口を先に取り入れ、新世代が台頭する荒波の紙相撲界に真っ向勝負で挑んでいったのです)
しかしこれは照の花にとっても親方にとっても、大きな大きな一か八かの賭けでありました。力士をいじるというのは、失敗すると取り返しのつかないことになり、まして照の花は横綱の地位にありましたので、即引退ということも念頭におかなければなりません。
そしていよいよ運命の第34回本場所が開催されました。
照の花は復活することができるのでしょうか?
(つづく)
2008/9/17 20:15
協会その伝統と歴史 その8 協会について
第32回本場所九日目、照の花と同じ谷の戸部屋の大器が大関三津知に土を付けました。照の花一歩リードで迎えた十日目の直接対決では三津知に軍配があがりました。
遂に一敗相星で千秋楽を迎えることになったのです。照の花には悲願の初優勝、三津知には優勝と同時に横綱昇進がかかっていました。どちらも譲ることのできない大事な千秋楽となったのです。
そして千秋楽。三津知は新大関逆波との大型同士の対決に敗れ悔しい2敗を喫しました。いよいよ照の花にチャンスは巡ってきました。対するは前回でもご紹介しました風雲児の鯉昇です。
結びの一番、軍配がかえる!
まだ決定戦が残っていました。支度部屋で気分を一新し、立会い一気の寄りで勝負するしかないと判断した照の花は、作戦通り立会い一気に三津知を土俵際まで寄り詰めました。やや気負い気味の照の花。土俵際で体を捻りながら堪える三津知。
その瞬間 「えっ!?」
勇み足ありと判定が下り、悲願の優勝はアッという間に飛び去ってしまいました。
照の花はガックリと肩を落として東支度部屋へ。場所後、三津知は満場一致で横綱に推挙されました。まさに天国と地獄!勝負の世界とは何と厳しいのであろうか。
照の花、まさにどん底の紙相撲人生でありました。
果たして立ち直ることはできるのでしょうか・・・・・?
(つづく)
遂に一敗相星で千秋楽を迎えることになったのです。照の花には悲願の初優勝、三津知には優勝と同時に横綱昇進がかかっていました。どちらも譲ることのできない大事な千秋楽となったのです。
そして千秋楽。三津知は新大関逆波との大型同士の対決に敗れ悔しい2敗を喫しました。いよいよ照の花にチャンスは巡ってきました。対するは前回でもご紹介しました風雲児の鯉昇です。
結びの一番、軍配がかえる!
〜当時の実況中継〜
「立った!両者五分に立った!土俵中央でガップリ四つに組みました。おっと照の花、鯉昇を起こしにかかった!鯉これを堪え、必死に廻しを引き付ける。引き付ける!強力な引き付けだ!今度は照が苦しい!あっ照の花体が反り返った〜!危ない危ない危ないぞ〜!鯉のど輪だ!これも強烈なのど輪!照駄目だ!押した押した押し倒し〜!!鯉昇の勝ちぃぃぃ〜!!」
まだ決定戦が残っていました。支度部屋で気分を一新し、立会い一気の寄りで勝負するしかないと判断した照の花は、作戦通り立会い一気に三津知を土俵際まで寄り詰めました。やや気負い気味の照の花。土俵際で体を捻りながら堪える三津知。
その瞬間 「えっ!?」
勇み足ありと判定が下り、悲願の優勝はアッという間に飛び去ってしまいました。
照の花はガックリと肩を落として東支度部屋へ。場所後、三津知は満場一致で横綱に推挙されました。まさに天国と地獄!勝負の世界とは何と厳しいのであろうか。
照の花、まさにどん底の紙相撲人生でありました。
果たして立ち直ることはできるのでしょうか・・・・・?
(つづく)
2008/9/16 20:12
協会その伝統と歴史 その7 協会について
その後、「せんべい館事件」は、力士数を増やし前向きに取り組むということで、ほぼ解決の方向に向かい出だしました。ようやく四日目が開かれたのは昭和46年秋になっておりました。
3年ぶりに開催した第31回本場所、その六日目に突如として新勢力が出現しました。六人の力士を引き連れて日本紙相撲協会に勝間田部屋が誕生したのです。後に勝間田部屋は、若波部屋で元大関の鯉昇を部屋に招き入れ、一大勢力となっていくのですが、当時の鯉昇の発言に、その自信の程が伺えます。
そう意気込んで鯉昇は第33回本場所より勝間田部屋所属となり、部屋の躍進に大きな貢献をすることになるのです。
第31回本場所は、千秋楽優勝したのは関脇の逆波。場所後大関に昇進しました。横綱鯉ヶ瀧は6勝5敗に終わり、品格・力量共に横綱にふさわしくないと圧力がかかり、廃業を余儀なくされました。
実力がありながら、なかなか優勝に縁が無かったもう一人の横綱、照の花にも遂に優勝のチャンスが巡ってきました。続く第32回本場所、鯉ヶ瀧の引退で一人横綱となった照の花は、初日から9連勝と猛威を振るい、優勝に向けて驀進しました。
しかし勝利の女神は、またもこの横綱に微笑み返すことななかったのです。
(つづく)
3年ぶりに開催した第31回本場所、その六日目に突如として新勢力が出現しました。六人の力士を引き連れて日本紙相撲協会に勝間田部屋が誕生したのです。後に勝間田部屋は、若波部屋で元大関の鯉昇を部屋に招き入れ、一大勢力となっていくのですが、当時の鯉昇の発言に、その自信の程が伺えます。
鯉:「勝間田の力士を鍛えなおして、冨士浪一門を向こうにまわして大暴れさせるってのも愉快な
ことだからね」
そう意気込んで鯉昇は第33回本場所より勝間田部屋所属となり、部屋の躍進に大きな貢献をすることになるのです。
第31回本場所は、千秋楽優勝したのは関脇の逆波。場所後大関に昇進しました。横綱鯉ヶ瀧は6勝5敗に終わり、品格・力量共に横綱にふさわしくないと圧力がかかり、廃業を余儀なくされました。
実力がありながら、なかなか優勝に縁が無かったもう一人の横綱、照の花にも遂に優勝のチャンスが巡ってきました。続く第32回本場所、鯉ヶ瀧の引退で一人横綱となった照の花は、初日から9連勝と猛威を振るい、優勝に向けて驀進しました。
しかし勝利の女神は、またもこの横綱に微笑み返すことななかったのです。
(つづく)
2008/9/9 23:37
今年最後の本場所は横綱英に是非ご注目ください。 協会について
皆様、
日本紙相撲協会の六角でございます。
今年の締め括り、
第120回本場所が開催されました。
本協会を愛すべき元力士松輝山として
是非お知らせしたいことがございます。
今場所、横綱英がもし優勝を遂げますと、
昭和29年1月に第1回本場所が開催され、実に54年も続く日本紙相撲協会の歴史に新たな1ページが刻みこまれるのです。
今まで誰も達成したことのない、
まさに前紙人未到の7連覇達成に向け、横綱英が場所入りを果たしました。

過去に強い力士は沢山おりました。
協会の歴史でもご紹介致しました横綱荒登、疾風怒濤の時代を駆け抜けた名横綱照の花、そして昭和終期に圧倒的強さで君臨した横綱扇灘。
しかしながら、
今のように体格や重さも規定された時代において、
6連覇を達成したということさえ凄いことなのに・・・・
まさにこの瞬間に協会に関わることのできる
わたくしは
本当に幸せであります。
全国の報道関係者の皆様、
是非この話題溢れる第120回本場所にご注目くださいませ。
わたくし六角も
熱戦の模様を本ブログにて順次お知らせしていく所存です。
これからも
日本紙相撲協会を宜しくお願い申し上げます。
六角 記
日本紙相撲協会の六角でございます。
今年の締め括り、
第120回本場所が開催されました。
本協会を愛すべき元力士松輝山として
是非お知らせしたいことがございます。
今場所、横綱英がもし優勝を遂げますと、
昭和29年1月に第1回本場所が開催され、実に54年も続く日本紙相撲協会の歴史に新たな1ページが刻みこまれるのです。
今まで誰も達成したことのない、
まさに前紙人未到の7連覇達成に向け、横綱英が場所入りを果たしました。
過去に強い力士は沢山おりました。
協会の歴史でもご紹介致しました横綱荒登、疾風怒濤の時代を駆け抜けた名横綱照の花、そして昭和終期に圧倒的強さで君臨した横綱扇灘。
しかしながら、
今のように体格や重さも規定された時代において、
6連覇を達成したということさえ凄いことなのに・・・・
まさにこの瞬間に協会に関わることのできる
わたくしは
本当に幸せであります。
全国の報道関係者の皆様、
是非この話題溢れる第120回本場所にご注目くださいませ。
わたくし六角も
熱戦の模様を本ブログにて順次お知らせしていく所存です。
これからも
日本紙相撲協会を宜しくお願い申し上げます。
六角 記
2008/8/23 21:42
協会その伝統と歴史 その6 協会について
三横綱の立て続けの引退で、まさに戦国時代の幕開けと思わせた紙相撲界でありました。
ところが、当時の理事長であった富士浪理事長は、引退した富士昇さんに部屋を継がせ、自らは理事長職から身を退き、その置き土産として、何と優勝経験の無い大関照の花と鯉ヶ瀧を同時に横綱へ昇進させてしまったのです。照の花さんは未だ優勝経験は無いものの、大関在位は長く安定した強さを保っていましたが、鯉ヶ瀧さんはギリギリでの勝ち越しや休場も多く、かなり他の力士や親方衆に批判を浴びたそうです。
昭和43年に第31回本場所が開催されましたが、この間両横綱は一度も優勝することができず、三津知さんや三条山さんが優勝、大関に昇進し、横綱を脅かす存在となっていました。
しかしこの年に、紙界は未だかつて無い、長い暗礁の時期に突入していくのです。
昭和43年の暮れに開催された第31回本場所では、今迄幕内11枚、十両10枚という番付を幕内9枚、十両7枚とし、前場所十両で下位となった力士を廃業させるという措置をおこないました。しかも新弟子は一人も入ることはなく、力士の間で
「おい!協会は関取数を減らし、いずれ十両を無くしてしまうらしいぞ!」
という噂が流れ始めました。
そこで力士達は、「力士組合」なるものを発足、待遇改善の騒動を起こし、相撲みやげのせんべい缶に立て篭もるという「春秋園事件」ならぬ「せんべい缶事件」が勃発したのです。この騒動の火付け役だったのは未だに不明ですが、後々になって横綱の鯉ヶ瀧さんが糸を引いていたのではないかということです。
これにより、第31回本場所は昭和46年秋まで開催されることはありませんでした。この暗礁時代は実に3年の歳月を費やしてしまったのです。
(つづく)
ところが、当時の理事長であった富士浪理事長は、引退した富士昇さんに部屋を継がせ、自らは理事長職から身を退き、その置き土産として、何と優勝経験の無い大関照の花と鯉ヶ瀧を同時に横綱へ昇進させてしまったのです。照の花さんは未だ優勝経験は無いものの、大関在位は長く安定した強さを保っていましたが、鯉ヶ瀧さんはギリギリでの勝ち越しや休場も多く、かなり他の力士や親方衆に批判を浴びたそうです。
昭和43年に第31回本場所が開催されましたが、この間両横綱は一度も優勝することができず、三津知さんや三条山さんが優勝、大関に昇進し、横綱を脅かす存在となっていました。
しかしこの年に、紙界は未だかつて無い、長い暗礁の時期に突入していくのです。
昭和43年の暮れに開催された第31回本場所では、今迄幕内11枚、十両10枚という番付を幕内9枚、十両7枚とし、前場所十両で下位となった力士を廃業させるという措置をおこないました。しかも新弟子は一人も入ることはなく、力士の間で
「おい!協会は関取数を減らし、いずれ十両を無くしてしまうらしいぞ!」
という噂が流れ始めました。
そこで力士達は、「力士組合」なるものを発足、待遇改善の騒動を起こし、相撲みやげのせんべい缶に立て篭もるという「春秋園事件」ならぬ「せんべい缶事件」が勃発したのです。この騒動の火付け役だったのは未だに不明ですが、後々になって横綱の鯉ヶ瀧さんが糸を引いていたのではないかということです。
これにより、第31回本場所は昭和46年秋まで開催されることはありませんでした。この暗礁時代は実に3年の歳月を費やしてしまったのです。
(つづく)
2008/8/22 21:14
協会その伝統と歴史 その5 協会について
時代は昭和38年、この年に開催されました第23回、24回本場所は、荒登さんが最後の力を振り絞り優勝。3連覇の偉業を成し遂げました。また丁度この時期は、大関付け出しとなった照の花さんを始めとするブラジル力士勢の本参戦に加え、新しい世代の力士が徐々に台頭し、まさに新旧交代を思わせる時代の幕開けでもありました。
初霜部屋より巨漢の逆波、富士浪部屋より鯉ヶ瀧、新星の荒笠部屋より三津知、そして住之江部屋からは三条山。このなかで最初に頭角を現したのが、後に横綱となり照の花さんの好敵手ともなる三津知さんです。翌年昭和39年の第26回本場所では、上位陣が総崩れのなかで、新入幕ながら好成績を挙げ、見事な優勝を果したのがこの三津知さんでありました。
そして、第27回本場所では、横綱荒登は三津知に、横綱田子の浦は逆波に揃って土を付けられ、場所後両横綱は引退を表明。ここに永きに渡り紙相撲界に君臨してきた三横綱の時代は完全に幕を閉じたのです。
横綱不在の時代はまさに下克上、果たして誰が飛び出すのかという紙相撲戦国時代に突入していくのでした。
(つづく)
初霜部屋より巨漢の逆波、富士浪部屋より鯉ヶ瀧、新星の荒笠部屋より三津知、そして住之江部屋からは三条山。このなかで最初に頭角を現したのが、後に横綱となり照の花さんの好敵手ともなる三津知さんです。翌年昭和39年の第26回本場所では、上位陣が総崩れのなかで、新入幕ながら好成績を挙げ、見事な優勝を果したのがこの三津知さんでありました。
そして、第27回本場所では、横綱荒登は三津知に、横綱田子の浦は逆波に揃って土を付けられ、場所後両横綱は引退を表明。ここに永きに渡り紙相撲界に君臨してきた三横綱の時代は完全に幕を閉じたのです。
横綱不在の時代はまさに下克上、果たして誰が飛び出すのかという紙相撲戦国時代に突入していくのでした。
(つづく)
2005/9/9 7:47
協会その伝統と歴史 その4 協会について
横綱荒登(朝日松)、富士昇(富士浪)そして一足遅れて横綱となった田子浦(住之江)が3横綱を張っていた昭和紙相撲初期が華々しく展開されていた時代に海の向こうブラジルでも紙相撲はおこなわれていました。
その時に横綱を張っていたのが先にご紹介した照の花さんです。
ブラジル力士達は後に日本にやってきて日本紙相撲協会の力士として活躍することになるのですが、それまでは海を渡っての交流が繰り広げられていたと聞いてます。当時から照の花の強さは評判で、記録によると次のようなやり取りが力士達同士の間で噂されていたそうです。
ブラジル紙相撲協会の力士達の何名かが来日し、当時日本で関脇を張っていた山里部屋の沖の石が来日組の一人をつかまえてたずねました。
(以下、著書「負けるな!紙相撲」より本文を引用)
その後、沖の石の夢は現実なものとなりました。昭和30年7月に横綱田子浦、沖の石を中心とした一行が遥々海を渡り、ブラジル紙相撲力士達との交流戦を展開したそうです。
さすがの沖の石も照の花の強さにはカブトを脱ぎ、
「照関、わしより身体は小さいが、あんたは相撲が巧いし強いよ。今度はあんたが日本にきて、荒関と相撲をとってもらいたいねェ。日本でもきっと横綱が勤まるぜい。」
と納得して云ったそうです。
こうした交流戦の実力も認められ、照の花さんを中心としたブラジル紙相撲協会の力士達は昭和31年1月に来日、第19回本場所に付け出しで番付に名を連ね、以後日本紙相撲協会の力士として活躍することになるのです。
一方日本では、これまで昭和31年6月の第20回本場所迄に、荒登は優勝9回、富士昇は5回、田子浦田は4回という成績を残し、時代はまさにこの3横綱を中心に廻っておりました。
しかしながら紙界も栄枯盛衰のある世界です。一つの黄金期を築きあげたこの時代も徐々に新しい世代の台頭により終わりを告げるのです。
まずは切れのある上手投げで定評のある富士昇さんが第24回の本場所を最後に、通算196勝59敗、優勝回数6回という輝かしい成績を残し、現役生活に別れを告げました。一度も休場せず、横綱としての責任を果たし、最後の場所ではボロボロな身体状態で、4勝7敗というはじめての負け越しを経験し屈辱を味わいましたが、最後まで土俵を捨てない精神力は、後に理事長として協会に多大な貢献をすることになるのです。絶えず荒登さんとの優勝争いに加わり、全勝優勝も経験したことのある名横綱が惜しまれて引退しました。
富士昇さんとは同期で連勝記録を持つ大横綱荒登も全盛期の強さと比べるとやや陰りが見え始めますが、人一倍努力をすることを惜しまないこの力士は晩年になっても更なる粘り強さをもって若い世代に挑んでいったのです。
これについては後日またお話しさせていただくこととして、本日はこの辺で失礼させていただきます。
その時に横綱を張っていたのが先にご紹介した照の花さんです。
ブラジル力士達は後に日本にやってきて日本紙相撲協会の力士として活躍することになるのですが、それまでは海を渡っての交流が繰り広げられていたと聞いてます。当時から照の花の強さは評判で、記録によると次のようなやり取りが力士達同士の間で噂されていたそうです。
ブラジル紙相撲協会の力士達の何名かが来日し、当時日本で関脇を張っていた山里部屋の沖の石が来日組の一人をつかまえてたずねました。
(以下、著書「負けるな!紙相撲」より本文を引用)
「おい、杉山、ブラジルで横綱をはっているてぇ照の花つーのはほんとにつえーのかい。」
「そりゃー、ヨなんか足もとにもおよばないでございます。」
「ヨと云うのはやめろ、お前とくらべたって仕方がない。俺の方がつえーだろうと云ってるんだ。」
「でも、照関は横綱になりよったですよ。」
「俺は日本の関脇だ。格がちがうんだ。」
「こればかりは、相撲とりよらないと、ヨには・・・・・わたしにはわからんとでございます。」
「わからんとでございます、だと、まあいい、いつか照の花と相撲とってみたいもんだ。俺のガブリ寄りはのこせんぜい。」
その後、沖の石の夢は現実なものとなりました。昭和30年7月に横綱田子浦、沖の石を中心とした一行が遥々海を渡り、ブラジル紙相撲力士達との交流戦を展開したそうです。
さすがの沖の石も照の花の強さにはカブトを脱ぎ、
「照関、わしより身体は小さいが、あんたは相撲が巧いし強いよ。今度はあんたが日本にきて、荒関と相撲をとってもらいたいねェ。日本でもきっと横綱が勤まるぜい。」
と納得して云ったそうです。
こうした交流戦の実力も認められ、照の花さんを中心としたブラジル紙相撲協会の力士達は昭和31年1月に来日、第19回本場所に付け出しで番付に名を連ね、以後日本紙相撲協会の力士として活躍することになるのです。
一方日本では、これまで昭和31年6月の第20回本場所迄に、荒登は優勝9回、富士昇は5回、田子浦田は4回という成績を残し、時代はまさにこの3横綱を中心に廻っておりました。
しかしながら紙界も栄枯盛衰のある世界です。一つの黄金期を築きあげたこの時代も徐々に新しい世代の台頭により終わりを告げるのです。
まずは切れのある上手投げで定評のある富士昇さんが第24回の本場所を最後に、通算196勝59敗、優勝回数6回という輝かしい成績を残し、現役生活に別れを告げました。一度も休場せず、横綱としての責任を果たし、最後の場所ではボロボロな身体状態で、4勝7敗というはじめての負け越しを経験し屈辱を味わいましたが、最後まで土俵を捨てない精神力は、後に理事長として協会に多大な貢献をすることになるのです。絶えず荒登さんとの優勝争いに加わり、全勝優勝も経験したことのある名横綱が惜しまれて引退しました。
富士昇さんとは同期で連勝記録を持つ大横綱荒登も全盛期の強さと比べるとやや陰りが見え始めますが、人一倍努力をすることを惜しまないこの力士は晩年になっても更なる粘り強さをもって若い世代に挑んでいったのです。
これについては後日またお話しさせていただくこととして、本日はこの辺で失礼させていただきます。
2005/7/31 22:58
協会その伝統と歴史 その3 協会について
横綱荒登(朝日松)の名前は、紙界関係者であれば知らない人はいないと言われているほどで、それこそ初期の日本紙相撲協会の全盛期を担ってきた力士と言えます。
初土俵の時はそれほど目立つた存在ではなかったと聞いておりますが、稽古に次ぐ稽古で鋭い出足を体得し、以来怒涛のような強さを発揮したと言われております。
荒登さんの最初の旋風は昭和29年に開催された第9〜11回本場所でありました。最高位である横綱に昇進していた荒登さんは、初日白星スタートで連戦連勝!この勢いは2場所に渡る連続全勝優勝の偉業を成し遂げました。この時点で紙界関係者やファンの方は
「一体いつまで連勝するのだろう」
ということに興味をモチ始めました。ずんぐりあんこ型の寄りは止まるに止まらない。当時の荒登の寄りをいかに封じるかが当時の関取達の最大課題でありました。
そして迎えた第11回本場所四日目、相手は前頭の羽波山でした。この時の取組をある著書で詳しく紹介してありますので、ご紹介しましょう。
以下、著書「負けるな!紙相撲」より本文を引用
「三日目まで、相手を問題にせず白星を並べた二十六連勝中の横綱荒登は、四日目、富士浪部屋の相撲後者、小兵の羽波山と対戦した。第一回本場所から相撲をとっている羽波山であり、土俵経験は荒登に勝るとも劣らない。荒登がいつものように出足速く、一気に寄って出てくるところ、後退しつつ羽波山は上手から振って体を入れ変え、そのまま足のもつれる荒登を西土俵に寄り切ってしまった。場内は大騒ぎとなり、当日はこの一番の話でもちきりで、親方衆は目をしばたいて、この信じられない光景を何回も頭に思い浮かべた。そしてその後何年もこの一番は語り草となった。荒登は五日目からまた勝ち続け、十勝一敗で三連覇の偉業をなしとげた。連勝は二十六で止まったが、この記録はその後現在まで破られていない大記録として残っている。」
このように、当時この一番に負けたことがいかに大変な騒ぎようだったであることがよくわかります。
実に 26連勝 の金字塔!すごいのはこの記録が50年経った今でも破られていない未到の記録であるということです。
そしてもう一つ、この荒登さんが打ち立てた記録がありますが
これについては後日お伝えするとしまして、
本日はこの辺で失礼させて頂きます。
2005/7/26 3:17
協会その伝統と歴史 その2 協会について
昭和29年の後半から昭和31年にかけては、日本紙相撲協会と当時友好関係にあったブラジル紙相撲協会という協会があり、船を行ききしての交流があったようです。
名横綱の照の花関はこのブラジル紙相撲協会の出身力士であり、後に日本紙相撲協会にて大関付け出しでデビューを飾ったそうです。
その頃は先にもお話ししました通り、富士昇(富士浪)、荒登(朝日松)、田子浦(住之江)の3横綱の時代であり、照の花関はそんな激動の中で9勝2敗の好成績を上げたようです。とは言うものの、この3横綱が君臨している内はなかなか優勝のチャンスには巡り合うことができなかったと聞いています。
中でも強かったのは荒登関であり、この時期に50年近く経った今でも破られていない前人未踏の記録を打ち立てたのです。このお話しは後日お伝えするとしまして、
本日はこの辺で失礼させて頂きます。
名横綱の照の花関はこのブラジル紙相撲協会の出身力士であり、後に日本紙相撲協会にて大関付け出しでデビューを飾ったそうです。
その頃は先にもお話ししました通り、富士昇(富士浪)、荒登(朝日松)、田子浦(住之江)の3横綱の時代であり、照の花関はそんな激動の中で9勝2敗の好成績を上げたようです。とは言うものの、この3横綱が君臨している内はなかなか優勝のチャンスには巡り合うことができなかったと聞いています。
中でも強かったのは荒登関であり、この時期に50年近く経った今でも破られていない前人未踏の記録を打ち立てたのです。このお話しは後日お伝えするとしまして、
本日はこの辺で失礼させて頂きます。
2005/7/21 1:41
協会その伝統と歴史 協会について
皆様、日本紙相撲協会をご存知でしょうか?おそらく30代半ば〜40代の方であれば幼い時に新聞、雑誌やテレビなどで見たり聞いたりした経験が少なからずあるのではないでしょうか。
歴史は古く創立は昭和29年にまで遡ります。第1回の本場所がその年に開催されて現在に至るまで、110回もの本場を継続しております。数々の名勝負や名場面が繰り広げられてきましたが、そのなかでも70年代に横綱として活躍した照の花という力士の名前を記憶の隅にとどめている方もいるのではないでしょうか。
いずれにしても創立当初は、富士浪、住之江、朝日松という3つの部屋で始まり、その後3部屋から分家し、横綱が番付に登場した頃には9部屋、更に小部屋が2つ程加わったようです。私の預かる六角部屋は朝日松一門として分家し、比較的新しい部屋であると聞いております。
やはり歴史ある部屋には名力士が誕生しており、創立初期には富士昇(富士浪)、荒登(朝日松)、田子浦(住之江)といった力士が横綱として凌ぎを削っていたそうです。私にとっても神様のような存在であります。協会からの許可が下りましたら、いずれまたこの伝説の諸先輩方のご紹介をさせて頂きたいと思っています。
それでは本日はこの辺で失礼させて頂きます。
歴史は古く創立は昭和29年にまで遡ります。第1回の本場所がその年に開催されて現在に至るまで、110回もの本場を継続しております。数々の名勝負や名場面が繰り広げられてきましたが、そのなかでも70年代に横綱として活躍した照の花という力士の名前を記憶の隅にとどめている方もいるのではないでしょうか。
いずれにしても創立当初は、富士浪、住之江、朝日松という3つの部屋で始まり、その後3部屋から分家し、横綱が番付に登場した頃には9部屋、更に小部屋が2つ程加わったようです。私の預かる六角部屋は朝日松一門として分家し、比較的新しい部屋であると聞いております。
やはり歴史ある部屋には名力士が誕生しており、創立初期には富士昇(富士浪)、荒登(朝日松)、田子浦(住之江)といった力士が横綱として凌ぎを削っていたそうです。私にとっても神様のような存在であります。協会からの許可が下りましたら、いずれまたこの伝説の諸先輩方のご紹介をさせて頂きたいと思っています。
それでは本日はこの辺で失礼させて頂きます。







