2005/6/15  18:41

「金の輪」  分類なし

「金の輪」は小川未明の作品です。

うろ覚えの粗筋です。

『ある男の子が熱を出して寝込みます。そして、夢らしきものを見るのです。
 自分と似た年恰好の少年が、『金の輪』を転がしている夢です。
 二人が、言葉を交わすことはありません。
 熱を出した男の子は、その金の輪を転がす少年をただ見つめています。
 男の子が、その『金の輪』を、少年と共に転がしたその翌日、男の子は亡くなります。』


中学生の頃に、、「小川未明童話集」の中に収められていた「金の輪」を読みました。
不思議な不思議な感じ。

「赤い蝋燭と人魚」も小川未明の作品です。

人魚からの連想なのか、小川未明を思うと、必ずアンデルセンを思い出します。

二人とも、子どもの心にいろいろな小部屋を造ってくれる、
もっのすっごい、ストーリー・テラーだと思います。

2005/6/14  16:21

あの頃のアタシ達  分類なし

教えてあげるね、あの頃のアタシ達。

安心してってば。

あなた達は あれから後も やっぱり笑ってるよ。

だけどね、あ〜あ。

やっぱり泣きもするんだな、これが。長い間にはね。

時にではあれど、だけれどさ。


やっぱり泣いたり、笑ったり。

ナツカシク思うことを正当化したり、前向きになったり。

今の私があの頃の私を応援している。

十年後の私が、今の私を応援しているだろう。

2005/6/13  13:21

神  分類なし

人は、理由がほしくて神を造り出したのだと思う。

大雨で被害を被ったときに、
それを、理不尽な自然の為せる業、と思うより、
なにか、理由があると信じられた方がどんなにか楽だろう。

理由さえわかれば、解決の方に顔を向けられたことになるのだから。

神様がいると信じられれば どんなに楽になるだろ。

2005/6/12  13:38

Live one day at a time.  分類なし

Live one day at a time.

「一日を生きる」「その日だけを生きる」「一度に一日だけを生きる」
「とりあえずその日をしのぐ」「とりあえずその日を生き過ごす」
「先のことは考えない。あとのことも考えない。今日だけを頑張って過ごす。」

自分ではどうしようもないことがあったとき、この言葉を噛み締めます。

世の中には、失恋より、つらいこともあるんだよ。

2005/6/11  13:47

一人ぼっちという気持ち  分類なし

長いつきあいの友人がいます。

それはそれは気持ちのよい空間、が、彼女の部屋でした。

もう、ずっと、ずっと前のこと。
彼女の部屋で、明日は休みで、窓から気持ちの良い風が吹いて、好きな音楽が低く流れて。

そのときの彼女の言葉を、私は二つ覚えています。

一つ目は私にかけてくれた「でも、あんたはやさしいところがあるよ。」という言葉。

「あんたはやさしいよ。」じゃなくて「やさしいところがあるよ。」が
ほんとの言葉に思えてうれしかったな。

二つ目は「こうやって、夜中に一人で部屋にいてボーっとしていると、
あぁ一人ぼっちだぁって思うときがあるよ。」という言葉。

私自身が若くて、見聞が少なかったせいもあるのかもしれません。けれど、
「あぁ、一人ぼっちだ」という気持ちを この気持ちを あの気持ちを 
あんたも知っているのかと 味わったりするのかと、私は思いました。

コイツは信じられる、と、私に思わせてくれた言葉でした。

2005/6/9  14:08

自我  分類なし

あれは幾つの頃だったのかなぁ。

母親に靴下をはかせてもらっていた私。
「車には気ををつけるのよ。」という母の言葉に
「おかあさん、Hitomiがくるまにひかれるわけないよ。
 Hitomiはぜったいくるまにひかれないよ。
 だいじょうぶだよ。Hitomiにはわかるの、それが。」
そんな言葉は知りませんでしたが、
こんな自明の理が母には何でわからないんだろう、と思いながら。


その「わたしはくるまにひかれない」は、幼い私の自我の発露だったと思います。
「自分」という心が既に脳の中にあったのです。が、ありはしたけれど、
その「自分」の境界を認識できない、「現実」に「自分」を当てはめることはまだできない。

そうして。

いつか、私も、自分も事故にあうかもしれない、ということに気づきます。
(万が一のそんなときには、やっぱり『まさか』と言ってしまうだろうけれど。)

自分が他の誰かと同じように、事故にあうことだってあり得る、
という少し悲しい認識が、自我の第二段階。

2005/6/8  15:19

共通  分類なし

人と 共通すること 共通しないこと。

共通することだらけだと 個性がないようでいやになるのに

共通しないことだらけだと 一人ぼっちのようでいやになる。


もっといやなのは 誰かと共通の言葉を話しているつもりだったのに 実はそうではなかったとき。
同じ言葉だから 気づかなかったりするときもあるけれど たいていは やっぱり 気づいちゃう。


気づくのが はやいうちだといいな。

でも それだと あまりにも軟弱かな。

それに 共通のことばだけではなしていると どんどんエスカレートしちゃうし。

2005/6/7  15:27

良い人  分類なし

相手にいい人であることを求める癖がつくと、幸せになれない。

相手にいい人であることを求めるということは、個性というものを尊重していない証。

相手がいい人であるなんて必要ない。

2005/6/6  16:41

「感」と「理」  分類なし

「人間は感性にあやつられる存在であってはいけない。」

大学のとき、一般教養の倫理学の授業での、教授の一言。

言葉の前後はまるっきり忘れてしまったのに、その一言だけが、胸に残っています。

「知」「理」というものが、その文脈にちらついていたのだろうかと思うと
感性を尊んでばかりの寝ぼけた自分の顔を
ぱしゃっと冷たい水で洗ったような気分にさせてくれる言葉です。

2005/6/4  8:04

やさしい、とか、つめたい、とか、ふつう、とか。  分類なし

やさしい、とか、つめたい、とか言うけれど、

人は人にやさしくしたいと思っていたりするんじゃないだろうか、ふつうは。

ふつう、ってのが、問題だけれど。

その基準が曖昧で、いや、曖昧だから、

やさしく「しすぎる」と、甘くみられるとか軽くみられるとか、中途半端に自尊心が関わってきちゃうんじゃないだろうか?


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