2008/11/15  8:38

10年と10年を足すと20年。当たり前だけど。  走る

アメリカで暮らしてて「こういうとこホント日本と違うよね」と思うトコ。

ジムの雑誌。ジムが契約購読してる雑誌もあれば、利用者が置いてった雑誌もある。利用者が契約購読してる雑誌には本人の名前&住所が郵送先として入ってるので、その部分だけ切り取ってある。そう、ここ、違うなって思うのは。日本人だったら切り取るでしょ、鋏か何かで。置いてくかもなんて可能性も想定して、自宅で切り取ってから持参したり。しか〜しアメリカ人はそんなふうに前もって考えやしない。たいていはその場で表紙のその部分をビリビリ破り取るだけ。

さて、雑誌を読みながら歩いたり運動したり。またもやここが違うなって思うトコ。日本人だったら読み終わったら、或いは帰るときに雑誌ラックに戻しとくよね。しか〜しアメリカ人はまずその場に置きっ放し。器材(トレッドミル)のとこなんかに。違うよねぇ…。

昨日、そんな雑誌("Runner"、マラソン雑誌)を読みながらスキーマシン(でいいのかな?)をしてたら、思わず引き込まれたエッセイがあった。タイトルは"Point to Point"(ポイントからポイントへ)。今年60歳になる筆者が、ちょうど10年前の50歳になるときに書いた一文を思い出しながら書いたエッセイ。

「10年前は『これからはもう戻り道の下り坂。戻り道だもん、随分楽になってるはず』と思っていたが、そんなことはなかった。まぁ、下り坂ってことに関しては大きな違いは無かったけれど、この道は戻り道ではなかった。つらいことも楽しいことも経ていろんなことに気持ちが慣れて、これからは楽になるはずなんて思ったけれど、最初の50年で私にとって"hard"だったことが、後の50年では"easy"になるとは今はもう思っていない」。

でも、

「10年前は、新しいシューズ、新しいウェア、新しい距離、新たに走る場所、そういうものに魅力を感じていた。このウェアはどうだろう、シューズの履き心地は?、新しいコースはどんなだろう、もっと速く走りたいな、もっと多く走りたいな。でも、その10年後の私にとっては、走ることは古い友達のような存在」。

それで、「人生は"Point to Point"コースみたいなもの」って続けてるの。マラソンにたとえて。

「ポイントからポイントまでの距離は私たちにはわからない。次のポイントまであとどのぐらい走ればいいのか、角を曲がったところに何があるのか。次の数マイル或いは次の数年は平坦な道で速く走れるのか、起伏がある道なのか。そして、フィニッシュラインがどこにあるかもわからない」。

マラソンはしたことがないけれど、ジムのトレッドミルで或いは近所の公園の周囲を(今、手帳を見たら今年は昨日で160日ぐらい走ってた、あれ、2日弱ぐらいごとか…もっと走ってるって思ってた)だいたい1日4〜8キロぐらい走ってる、そのぐらいの距離なら走ることが大好きなワタシとしては、その"Pont to Point"という表現がすごくよくわかった。ほぼ毎日(いや、2日弱ごとくらい)味わってる感覚なんだもん。

それにね。

"And I know that your lives, like mine, have changed considerably in the last decade."ってトコにぐっと来ちゃったのだ。
「私の人生同様、あなたの人生もこの10年で大きく変わったってことも私は知ってる」

……。

だってホントに変わったんだもん。ホントにホントに変わったんだもん、この10年で。だけど考えてみれば、20歳の10年前は10歳だし、30歳の10年前は20歳だし、40歳の10年前は30歳だし、50歳の10年前は40歳だし、60歳の10年前は50歳だし…。違うよね、10年前と10年後。今の自分は両方を足したら20年分にはさまれてるんだね。

2008/9/7  9:59

「ゆっくり走る」ってのは実はポイント高いのだ。  走る

昨日もジムで走った。今週は久ぶりに気持ちよく走ってる。1ヶ月ぐらい、走っててもツライだけの時期が続いてたので復活がウレシイっす。

友達が日本から遊びに来てた7月末近く、1週間ぐらい走らないでいたら、あぁ何てこと。いつもだったら何でもないその1週間が、何故か影響大だったのか原因は不明のままだけど、1週間後には全然走れなくなってしまってたのだ。1週間ぐらい走らないことなんて今までだってあったのに。年齢のせい?頑張っても今までの80%ぐらいのペースで走るのがやっと。更にゆっくり走っても全然気持ちよくない。何で?何で?

こういうときは逆に「ゆっくり走る」ってコトを大事にしなくちゃいけない。ただ速いペースで走るよりも、ゆっくり同じペースで長く走った方が多分心筋だの肺活量だの(よくわかんないケド)は早く復活したり早く慣れたりする(と思う)。

それがわかってはいても、ゆっくり走ってると「もっともっと」となってしまう。そんな毎日だったのだけれど、先週末、近所の一周3マイル(4.8キロ)弱の公園を走ったときは体を軽く感じることができて少し気持ち良く走ることができたのだ。

ハタと思い出すなら、そうだ、先々週、8マイル(12.8キロ)を走ったんだっけ(前後多分1マイル弱を歩いてるので正味7マイル=11.2キロぐらいかも)。1辺1マイル、周囲を走ると従って4マイルという公園があってそこを走ったのだ。1日目は1周のみ。2日目はなんだか急に燃えて2周走ったんだっけ。2日間とも、前なら必ずあった、走ってて「気持ちよいぜ」「このままどこまででも走っていけそうだぜ(ゆっくりなら)」という瞬間は訪れなかったのだけれど、でも後半は殆どゆっくり走った。結局、コレがよかったみたい。今週になったら、復活。またもや少し走れるようになっていた。よかった、よかった。

2008/4/26  15:41

気持ちの良い金曜日。  走る

仕事帰りにジムによって一走り。30分で4.9キロぐらい。気持ちよかった!少し前までは「30分で3マイル(4.8キロ)ってなかなかいかない」と思ってた。最初の5分をゆっくりから早足で歩いていたのだが、ある日ハタと、それじゃ30分で3マイルは私にゃとうてい無理だ!と気づいた。今は歩く時間を減らしてる。スキーマシン(って言うのか?)でゆっくり歩き、その後に柔軟をしてから走るので、歩く必要はないんだがつい習慣で。だったら、5分歩いて合計を35分にすりゃいいじゃんねぇ。あっ、そっか。

基本的にはマラソン(というほど長距離ではないが)が好きかも。そういう延々系(というほど長くもないが)。中学生の頃も校内陸上競技大会とかではとても速かった(って、せいぜい3キロ?だか5キロ?だか)。大人になってからは水泳で1時間ぐらい泳ぐってのにもはまってた。アメリカで暮らし始めてからも走ってたし。

しかし、40歳になろうかという前後に続いたダラダラ生活(人生ずっとダラダラだが)。林真理子さんが「老いは階段上でやってくる」とエッセイに書いていたが、まさにそれ。私にとってはそれがこの40歳だったのだと、今にしてつくづく実感する。ゆるやかにではなく、それはホントに階段を一段上がるよう。

よく「30歳になると云々」と聞くが、それが私にはまったく判らなかった。誰かがそう言ってるのを聞くと、「そう言われてるから自分もそう言ってみる」とか、「そう言われてるからそう思い込む」という限定思考なんじゃないかとも思ってた。が、どのタイミングで階段を上るかは、人によって違うってことだったんだろうな。多分、私の場合は基本的な体力があったので、30歳も35歳も元気に通り越してきたけれど、その分、40歳で来たのかもナ。

そう、それで。

再び走り始めたときは、ひたすらゆっくりだった。年齢を考え、身体に負担をかけたくなくて。今は、「ゆっくり走り」((この『走り』は名詞ってことで)とか、「角度をつけて走り」とか、「速く」とか、「角度と速くの混合」とか、「長く」とか、「緩急混合」とか、その日の気分。

身体が軽いぜと感じるときは「速く走り」。「ゆっくり走り」では、ついペースをあげたくなっちゃうんだけど、そこをグッとこらえて走っていると脂肪燃焼感があるんだよねぇ。走りたい気もするがメンドクサイ気もする(何じゃそりゃ)ときは、「緩急混合」とか「角度つけ走り」とか、変化があると30分はあっという間。そう、それに緩急や角度をつけて走ると、身体が走る方向で鍛えられていると体感するのだ。

そしてときどき、長く走りたい気分が沸き起こってくる。長くって言っても最長でも1時間ぐらい。それを今週したかったのだが、やはりなかなか時間がとれず無理だった。来週こそ!

今日感じたことがあって、それは「速く走り」でも30分(正確には28分ぐらいで)で3.1マイル前後(4.9キロ前後)というペース、これ以上速く走るには何かが足りないような。基本的な何か。どっかの筋肉かも。いや、もしかしたら分岐点なのか。だから走り方かも。着地とかに無理があるのかも。わからないけどとにかく何か。

素人なりにいろいろ体感できて、面白いデス。(プロ以外は素人だけど、私はマラソンというものは走ったことがないので、プロではないマラソン愛好者の中にも入らない素人とい意味です。)

走り終わって帰る夜道があまりにも気持ちよく、続けてバイクに乗ろうかと思ったケド、夕飯を食べたら気持ちが少し余所見してしまって、結局blogを書いている。

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