2008/11/23 16:01
本を読むのに素人も玄人もないよね。 本
"Beyond Reach"もそうだったケド、本を読んで面白かったとしても、「ここがちょっと残念」ポイントがあったりする。
Blogにそういうことを書いたりすると「素人が何をぬかす」だよね、と思いはするが、と同時に「本を読むのに素人も玄人もないもんね」とも思う。ダケド、また書いちゃうが、北上次郎さんの書評が私は好きで、それは私が椎名誠ファンだったからという要素もあるし、北上さんの書評は「本」というか、「読書」ってものを愛してる批評だと思えるからだ。
20代の頃はよく本を読んだ。でも、「本が好きなんです」なんて人に言う気はさらさらなかった。趣味は?なんて聞かれても。だけど、子どもの頃から周りには自分以上に本を読んでいるという人がいなくて、自分は読書好き本好きなんだろうな、って思ってた。
椎名誠さんファンとなり、椎名さんの友人である「大の本好き」目黒考二さん(=北上次郎さん)の存在を知るようになってみたら、本当にハタと「私なんて全然読書好き本好きの範疇には入らなかったんだ」と気づいて、知って、少し本気で愕然とした。
10代の学生時代は1年で365冊以上の本を読んでいた。同じ本を3ヶ月、半年経ったらまた読んだりもしつつ。20代のピークを過ぎ、30代もなんとかそれに引き続き、しかし、40代になってから読む本が減った。それはアメリカ暮しとなって、電車通勤通学をしなくなったから、ってのもあるかな。結婚して、家にいても忙しくなったってのも少しあるかも。
「アタシなんて全然本好きに入らない…」のプチ愕然以降、逆に「趣味は?」的質問に「本を読むのが好き」って答えるようになった。自分はそんなたいした本好きじゃなく、普通の本好きだから、そういう人はいっぱいいるから別に言ったってイインダって思って。
今日、書こうと思ったのはホントはこんなことじゃなく、「だって残念ポイントが見つからない本だってあるもん」ってこと。それが、最近読んだ「容疑者xの献身」だったり、「手紙」だったり、なのだ。東野圭吾さんで言えば。そう書いてて思い出したのが、浅田次郎さんの短編集「ぽっぽや」の中の「うらぼんえ」もそうだったっけ。そういえば、この解説(文庫本)も北上次郎さんが書いてたな。
「手紙」はつい最近読み終えて、グッと来た。でも、帯に「泣ける本」的ことが書いてあって(日本中が泣いた、というような)、勘弁してくれよって思った。泣きゃいいのかよ。違うでしょ、って。そこ大事な基本だよ、って。「泣ける本」が「いい本」であることはあり得るけれど、これら二者は等号では結ばれない。もっともっとのおおもとは「自分の好きな本」が「自分のいい本」だけど、そのもう少し上辺りで考えたなら、「泣ける本の中にはいい本もある」ってのが正しいと思うんだけど、どうだろう。
ところで、日本の文庫本には「解説」がついてる。「手紙」には解説はいらないよね、って思って、解説を書かされた人はお気の毒に、なんて勝手に思ってた。「手紙」を読み終わってから、最後から2章目をまた読み直したくなった。被害者の息子の言葉を、何度も何度も読みたく、「この本に他人の解説はいらないよね、ここを何度も何度も自分で読み直す本だよね」。そう思ったのだ。
解説を書いてたのは井上夢人さん。ということで、井上さんの検索をしてみたら……。
えっ!!!!!!
なんと岡嶋二人さんのお一人だった。名作「クラインの壷」は、共著(と言うのか?)ではありながら、ほとんど井上さんが書いたってウィキぺディアには書いてある!へぇぇぇぇっ。そして、井上さんがコンビを解消し、一人で再デビューしたのは91年だって書いてある。まだ私日本にいたじゃん。やっぱ、私の読書は幅も限られてたんだなぁ。チェッ。
Blogにそういうことを書いたりすると「素人が何をぬかす」だよね、と思いはするが、と同時に「本を読むのに素人も玄人もないもんね」とも思う。ダケド、また書いちゃうが、北上次郎さんの書評が私は好きで、それは私が椎名誠ファンだったからという要素もあるし、北上さんの書評は「本」というか、「読書」ってものを愛してる批評だと思えるからだ。
20代の頃はよく本を読んだ。でも、「本が好きなんです」なんて人に言う気はさらさらなかった。趣味は?なんて聞かれても。だけど、子どもの頃から周りには自分以上に本を読んでいるという人がいなくて、自分は読書好き本好きなんだろうな、って思ってた。
椎名誠さんファンとなり、椎名さんの友人である「大の本好き」目黒考二さん(=北上次郎さん)の存在を知るようになってみたら、本当にハタと「私なんて全然読書好き本好きの範疇には入らなかったんだ」と気づいて、知って、少し本気で愕然とした。
10代の学生時代は1年で365冊以上の本を読んでいた。同じ本を3ヶ月、半年経ったらまた読んだりもしつつ。20代のピークを過ぎ、30代もなんとかそれに引き続き、しかし、40代になってから読む本が減った。それはアメリカ暮しとなって、電車通勤通学をしなくなったから、ってのもあるかな。結婚して、家にいても忙しくなったってのも少しあるかも。
「アタシなんて全然本好きに入らない…」のプチ愕然以降、逆に「趣味は?」的質問に「本を読むのが好き」って答えるようになった。自分はそんなたいした本好きじゃなく、普通の本好きだから、そういう人はいっぱいいるから別に言ったってイインダって思って。
今日、書こうと思ったのはホントはこんなことじゃなく、「だって残念ポイントが見つからない本だってあるもん」ってこと。それが、最近読んだ「容疑者xの献身」だったり、「手紙」だったり、なのだ。東野圭吾さんで言えば。そう書いてて思い出したのが、浅田次郎さんの短編集「ぽっぽや」の中の「うらぼんえ」もそうだったっけ。そういえば、この解説(文庫本)も北上次郎さんが書いてたな。
「手紙」はつい最近読み終えて、グッと来た。でも、帯に「泣ける本」的ことが書いてあって(日本中が泣いた、というような)、勘弁してくれよって思った。泣きゃいいのかよ。違うでしょ、って。そこ大事な基本だよ、って。「泣ける本」が「いい本」であることはあり得るけれど、これら二者は等号では結ばれない。もっともっとのおおもとは「自分の好きな本」が「自分のいい本」だけど、そのもう少し上辺りで考えたなら、「泣ける本の中にはいい本もある」ってのが正しいと思うんだけど、どうだろう。
ところで、日本の文庫本には「解説」がついてる。「手紙」には解説はいらないよね、って思って、解説を書かされた人はお気の毒に、なんて勝手に思ってた。「手紙」を読み終わってから、最後から2章目をまた読み直したくなった。被害者の息子の言葉を、何度も何度も読みたく、「この本に他人の解説はいらないよね、ここを何度も何度も自分で読み直す本だよね」。そう思ったのだ。
解説を書いてたのは井上夢人さん。ということで、井上さんの検索をしてみたら……。
えっ!!!!!!
なんと岡嶋二人さんのお一人だった。名作「クラインの壷」は、共著(と言うのか?)ではありながら、ほとんど井上さんが書いたってウィキぺディアには書いてある!へぇぇぇぇっ。そして、井上さんがコンビを解消し、一人で再デビューしたのは91年だって書いてある。まだ私日本にいたじゃん。やっぱ、私の読書は幅も限られてたんだなぁ。チェッ。
2008/11/17 9:58
カリン(かキャリン)の他の本も読まねば。 本
Karin Slaughter (カリン・スローターかキャリン・スローター)の"Beyond Reach"を読んだ。勝手に邦題を「手の届く向こう」としちゃいますが。
おぉっ!おぉっっ!おぉっっ!
すげぇ出だしで始まって、期待大。その期待を裏切らず物語は進んでく。高校の校庭で炎上した車の中にあった"body(死体)"は生きたまま火を放たれていた!その場にいた刑事Lenaが謎を、誰が火をつけたのか、その死体は誰なのか、一身に背負っているはずなのだが、病院から逃亡。彼女の上司Jeffreyは、どうしようもなく敵愾心旺盛の、しかし刑事魂だけは超一級の部下Lenaのためにその事件に関わる。傍らには、何の非もないまま医療過誤で訴えられ、自らの診療(所の営業)を中断している妻Sara。その医療過誤訴訟部分の理不尽さにも最初は苛立ちつつ、お話の方向は事件の謎の核心にせまってく。
白人優位主義だの、Meth(メスアンフェタミン、1回やったらもうほぼダメ、後は激しく速く激しく急な落下階段が待ち受けてるという本当に危険なドラッグ)だのが出てくる、出てくる。その恐ろしさも出てくる、出てくる。刑務所に入った大物悪にはもう怖いものなし。何故なら、何をしたって(死刑のない州なら)たとえば6つの終身刑にさらにもう1つ終身刑が加わるだけ(アメリカでは刑が加算される)だから。そんな彼らの恐ろしさも出てくる、出てくる。そして、その事件の黒幕は誰?誰?誰?
唯一の難点は、女性が書いたってことがハッキリわかる、女性の描写。お話中では男性からの視点としての描写なんだけど、それが女性の視点で書かれたものだってハッキリわかってしまうのが、なんだか少し…なんだろう?…なんだか少し…鼻につく?そして、女性の描写には作者の劣等感の痕跡が感じられるのだ。更に、今、自分には多分ないものを、だけど自分がほしいものをサラとジェフリーという夫婦に投影させてるような気がしちゃうのだ。
またもや言いたい放題書いてますが、そして黒幕暴露部分ちょっと納得いきませんが、そして結末にもまだ可否の判断を下せずにいますが、この結末でこの小説を絶対忘れないことは確か。そして、他のカリンさん(キャリンさん?)の本を是非読まねば、と思わせられたことも確か。だって最後に、やっと改めて本の題名を見直しちゃったよ。
おぉっ!おぉっっ!おぉっっ!
すげぇ出だしで始まって、期待大。その期待を裏切らず物語は進んでく。高校の校庭で炎上した車の中にあった"body(死体)"は生きたまま火を放たれていた!その場にいた刑事Lenaが謎を、誰が火をつけたのか、その死体は誰なのか、一身に背負っているはずなのだが、病院から逃亡。彼女の上司Jeffreyは、どうしようもなく敵愾心旺盛の、しかし刑事魂だけは超一級の部下Lenaのためにその事件に関わる。傍らには、何の非もないまま医療過誤で訴えられ、自らの診療(所の営業)を中断している妻Sara。その医療過誤訴訟部分の理不尽さにも最初は苛立ちつつ、お話の方向は事件の謎の核心にせまってく。
白人優位主義だの、Meth(メスアンフェタミン、1回やったらもうほぼダメ、後は激しく速く激しく急な落下階段が待ち受けてるという本当に危険なドラッグ)だのが出てくる、出てくる。その恐ろしさも出てくる、出てくる。刑務所に入った大物悪にはもう怖いものなし。何故なら、何をしたって(死刑のない州なら)たとえば6つの終身刑にさらにもう1つ終身刑が加わるだけ(アメリカでは刑が加算される)だから。そんな彼らの恐ろしさも出てくる、出てくる。そして、その事件の黒幕は誰?誰?誰?
唯一の難点は、女性が書いたってことがハッキリわかる、女性の描写。お話中では男性からの視点としての描写なんだけど、それが女性の視点で書かれたものだってハッキリわかってしまうのが、なんだか少し…なんだろう?…なんだか少し…鼻につく?そして、女性の描写には作者の劣等感の痕跡が感じられるのだ。更に、今、自分には多分ないものを、だけど自分がほしいものをサラとジェフリーという夫婦に投影させてるような気がしちゃうのだ。
またもや言いたい放題書いてますが、そして黒幕暴露部分ちょっと納得いきませんが、そして結末にもまだ可否の判断を下せずにいますが、この結末でこの小説を絶対忘れないことは確か。そして、他のカリンさん(キャリンさん?)の本を是非読まねば、と思わせられたことも確か。だって最後に、やっと改めて本の題名を見直しちゃったよ。
2008/11/13 16:33
林さんの喝破。 本
昔の言葉で言えば「ぶりっ子」にひっかかる男子が信じられないという流れがある。女子の中に。
それよりも、もっと大昔のクロマニョン、いや、そこまでいかないか、私が中学生だったとき、ハーフみたいにかわいい礼子ちゃん(本名)は、男子にだけ甘ったるいそのしゃべりで女子に、そのワガママさで男子にも女子にもどちらかと言うと嫌われてた。数人の女子に特に嫌われ、全体からは少し敬遠の対象。
だって、礼子ちゃんって礼子ちゃんの好きな田中君(仮名)が私のことを好きだったからって、授業参観後に母親同士(礼子ちゃんの母と私の母)がおしゃべりしてたら、「しゃべっちゃダメっ〜!」ってお母さん(もちろん自分の)に抱きついて連れてっちゃったぐらいなのだ。自分が嫌いな子には意地悪しちゃうし。
敬遠されてるよね、ワガママだもんね、というのが皆の共通認識だったある日、高橋君(仮名)が礼子ちゃんのことを大好きだと判明!高橋君曰く、「性格はどうでもいい、かわいいからいい」。中2の私の目からウロコが落ちましたね。
「あっ、そういうのってありなんだ」。
もう一つの同様体験は、時は経ち、私はもはや30歳。勤めていた会社の受付女子の吉田さん(仮名)はお化粧とファッション命の26歳(ぐらい)。少しカーブを描いている廊下で、私の少し前を営業の佐々木さん(仮名、男性、30歳ぐらい)が歩いてた。と、向こうから吉田さんがやって来た。その瞬間、吉田さんの首や身体が微妙に曲がり、とてつもなく甘えたその笑みの中で目だけが一直線に佐々木さんを見ている、という顔で佐々木さんに微笑みかけたのだ。それは二人がこっそりつきあってての甘え顔じゃなく、男性という存在に媚びている女性の笑顔だった。こう書くと嫌味に聞こえるかもだけど、自分でも不思議なことに嫌悪感はなかった。ただ、思ったのが…
「あっ、そういうのってありなんだ」「そういのがありって世の中が存在してたんだ!」。
もう今は読まなくなってしまったケレド、林真理子さんが昔書いてた。「女性同士では、苦手(嫌い)の得意不得意がある。私(林さん)はぶりっ子派は苦手で嫌いだけれど、威張る人派は平気みたい」(記憶引用)って。これって喝破ってヤツじゃないかな?
前にも書いたケド、林さんの目を見張る二喝破として私がいつも思い出すのは、「松田聖子が叩かれる世の中は女が生きづらい世の中だと女自身が気づいていない」(叩かれてたのは15年ぐらい前か)ってのと、「老いは階段状でやってくる」っていうの。
林さんが偉く立派な存在になっちゃったから、私はもう読まなくなっちゃった。
それよりも、もっと大昔のクロマニョン、いや、そこまでいかないか、私が中学生だったとき、ハーフみたいにかわいい礼子ちゃん(本名)は、男子にだけ甘ったるいそのしゃべりで女子に、そのワガママさで男子にも女子にもどちらかと言うと嫌われてた。数人の女子に特に嫌われ、全体からは少し敬遠の対象。
だって、礼子ちゃんって礼子ちゃんの好きな田中君(仮名)が私のことを好きだったからって、授業参観後に母親同士(礼子ちゃんの母と私の母)がおしゃべりしてたら、「しゃべっちゃダメっ〜!」ってお母さん(もちろん自分の)に抱きついて連れてっちゃったぐらいなのだ。自分が嫌いな子には意地悪しちゃうし。
敬遠されてるよね、ワガママだもんね、というのが皆の共通認識だったある日、高橋君(仮名)が礼子ちゃんのことを大好きだと判明!高橋君曰く、「性格はどうでもいい、かわいいからいい」。中2の私の目からウロコが落ちましたね。
「あっ、そういうのってありなんだ」。
もう一つの同様体験は、時は経ち、私はもはや30歳。勤めていた会社の受付女子の吉田さん(仮名)はお化粧とファッション命の26歳(ぐらい)。少しカーブを描いている廊下で、私の少し前を営業の佐々木さん(仮名、男性、30歳ぐらい)が歩いてた。と、向こうから吉田さんがやって来た。その瞬間、吉田さんの首や身体が微妙に曲がり、とてつもなく甘えたその笑みの中で目だけが一直線に佐々木さんを見ている、という顔で佐々木さんに微笑みかけたのだ。それは二人がこっそりつきあってての甘え顔じゃなく、男性という存在に媚びている女性の笑顔だった。こう書くと嫌味に聞こえるかもだけど、自分でも不思議なことに嫌悪感はなかった。ただ、思ったのが…
「あっ、そういうのってありなんだ」「そういのがありって世の中が存在してたんだ!」。
もう今は読まなくなってしまったケレド、林真理子さんが昔書いてた。「女性同士では、苦手(嫌い)の得意不得意がある。私(林さん)はぶりっ子派は苦手で嫌いだけれど、威張る人派は平気みたい」(記憶引用)って。これって喝破ってヤツじゃないかな?
前にも書いたケド、林さんの目を見張る二喝破として私がいつも思い出すのは、「松田聖子が叩かれる世の中は女が生きづらい世の中だと女自身が気づいていない」(叩かれてたのは15年ぐらい前か)ってのと、「老いは階段状でやってくる」っていうの。
林さんが偉く立派な存在になっちゃったから、私はもう読まなくなっちゃった。
2008/11/11 13:25
彦左衛門って…。 本
東野圭吾さんの「秘密」を読んだ。なんだか前にも読んでたような……。それなのに、最後の最後に「秘密ってこういうことだったのかぁ…」と。っかぁっ!その潔さ。不思議SFだった作品が、そこで一気に昇華した。不思議SF小説の位置づけが下にあるってことじゃないんだけどね。この不思議SF小説の落とし前をどうつけるんだろう?と思いながら読み続けていたので、その落とし前のつけ方が名人芸ということで。
解説を読んだら、北上二郎さんが「この年一番」(初版発行時に)って推してたのがこの「秘密」なんだそうで、そう聞いただけで、既にして作品に感服。だって北上さんのこと、好きなんだもん。北上さんの書評には、「本」に対する愛がある、「読書」に対する愛がある。
その「秘密」の潔さでふと思い出したのが、ストーリーも何もかも全然違うんだけれど、連城三紀彦さんの「恋文」。私は映画を(テレビで放映したのを)見ただけなんだけど。死の病の床に伏す昔の恋人関根恵子さん(役名を覚えてないので)から、倍賞美津子さんと幸せな結婚生活を送っているショーケンのもとに手紙が届く。大事なその経緯は覚えてないんだけれど(えっ!)、ショーケンは関根恵子さんと共に過ごすことを決意するんだよね。倍賞さんのこと、嫌いになったとかってわけじゃなく。で、倍賞さんはショーケンに、既に自分の名前を書いて判子を押した離婚届を渡すの。それを見たショーケンが「俺、こんなすごい恋文、もらったことないよ」って言うの。
その倍賞さんの潔さ。その覚悟のほど。それを東野圭吾さんの「秘密」に見た!
今、連城さんの名前の変換を順番にしていって、最後の「彦」で「ひこまる(彦丸)」では出てこない、じゃあと思って「ひこざえもん(彦左衛門)」にしたら、バッチシ変換。彦左衛門って誰?大久保(さん)以外で…って感じです。
解説を読んだら、北上二郎さんが「この年一番」(初版発行時に)って推してたのがこの「秘密」なんだそうで、そう聞いただけで、既にして作品に感服。だって北上さんのこと、好きなんだもん。北上さんの書評には、「本」に対する愛がある、「読書」に対する愛がある。
その「秘密」の潔さでふと思い出したのが、ストーリーも何もかも全然違うんだけれど、連城三紀彦さんの「恋文」。私は映画を(テレビで放映したのを)見ただけなんだけど。死の病の床に伏す昔の恋人関根恵子さん(役名を覚えてないので)から、倍賞美津子さんと幸せな結婚生活を送っているショーケンのもとに手紙が届く。大事なその経緯は覚えてないんだけれど(えっ!)、ショーケンは関根恵子さんと共に過ごすことを決意するんだよね。倍賞さんのこと、嫌いになったとかってわけじゃなく。で、倍賞さんはショーケンに、既に自分の名前を書いて判子を押した離婚届を渡すの。それを見たショーケンが「俺、こんなすごい恋文、もらったことないよ」って言うの。
その倍賞さんの潔さ。その覚悟のほど。それを東野圭吾さんの「秘密」に見た!
今、連城さんの名前の変換を順番にしていって、最後の「彦」で「ひこまる(彦丸)」では出てこない、じゃあと思って「ひこざえもん(彦左衛門)」にしたら、バッチシ変換。彦左衛門って誰?大久保(さん)以外で…って感じです。
2008/11/6 8:38
アメリカの片隅で大絶賛中。 本
Jeffrey Toobinの書いた"The Nine"。
私にとってはもっのすごいa page turner(おもしろくてどんどんページをturnしちゃう本)だった。ということで、ハタとAmaconのサイトで読者評を読んでみたら、総合評価は星4つ。82人が5つ星で、40人が4つ星で、18人が3つ星で、12人が2つ星で、7人が1つ星。
私としては4つ星半か、4つ星だ。5つにしないのは、リベラル(民主党)視点が打ち出されすぎかもと思ったから。案の定、1つ星をつけた人は保守派(共和党)思考なのだろうという人たち。私自身の感覚はリベラルに近く、だから余計面白かったんだけれどね。ただ、自分がよく知らないあることを語った本を読むときに、それが一定の側に寄った視点の本だと、そのよく知らないあることに対する自分自身の判断の材料の集まり方が正しくならない気もして。それでも、「この本はおかしい」とか「なるほど」というふうにそれまでのアレコレで自分は判断していくわけだけど。(この本も、リベラル絶対だぜ的視点というわけでもなく、判事達の思惑のカードはこんなふうになっています、と、ちゃんと読者に見せてくれてる。)
要は(なんて書いちゃっていいのか)「保守派大統領に選ばれ、保守的思考のもと司法判断を下すと思われていた判事たちが、保守派の意向から離れた判断を下すということに強硬保守派が飽き飽きして、強く(判事になるよう)押した(推したというより)二人の判事が強硬保守派の思惑通りの司法判断を下しつつある」ということを書いた本。
そんなのを読むと、マケインに投票しようかなぁに傾いてた私(選挙権無し)は、う〜む、司法が右に偏るなら、大統領は左の道をまっすぐとするリベラルの方に是非…というふうにも思えてきちゃうもんね。事実、マケインはプロ・チョイス派だし。日本では「あの演説はこの文脈の中でこういう主旨で理解すべき」というような解説番組がたくさんあるけど、アメリカには少ない。だから、誰かの演説もそのままの言葉通りに理解してしまいがち。特に、その背景にある事情や文化なんかに疎い私たち外国人は。この本の中の(そりゃリベラル視点なんですけど)「マケインのあの演説はこう理解すべき」という一演説をそういうふうに理解した途端、まだ後ろを向いてマケインの方を見つつも、私はオバマの方に足を踏み出しちゃいましたよ。まっ、私が何と言おうが、圧倒的にオバマが勝ちましたが。
あっ、そうそう、だから、アマゾンの読者票ってのを今日初めて読んだんだけれど、ありゃ、5つ星や1つ星じゃなくって3つ星や4つ星辺りの評を読むべきですね。
ということで、つい最近読んだ「その日の前に」の同じく読者評を見てみたら、こっちは総合評価は5つ星。5つ星51人、4つ星が31人、3つ星が7人、2つ星が4人、1つ星が2人。「泣けた」か「泣けなかった」ということがポイントのように書かれているものも多く、そこら辺りに激しく疑問。本屋さんで「泣ける本」ってことで売ってたりするみたいだが、脱力しちゃうよね、その頭の悪さ。
しかし!2つ星の中に目を見張る評が…。
「すべての作品で泣けたが、それは死を扱っているから当たり前なのではなかろうか。悲しいだけの物語と感動する物語は、勘違いされやすいけれど違う」という主旨。学校の推薦図書ということで読んだとあったけれど、中学生?高校生?素晴らしい評だぜ!素晴らしい感覚だぜ!とアメリカの片隅で大絶賛中。
私にとってはもっのすごいa page turner(おもしろくてどんどんページをturnしちゃう本)だった。ということで、ハタとAmaconのサイトで読者評を読んでみたら、総合評価は星4つ。82人が5つ星で、40人が4つ星で、18人が3つ星で、12人が2つ星で、7人が1つ星。
私としては4つ星半か、4つ星だ。5つにしないのは、リベラル(民主党)視点が打ち出されすぎかもと思ったから。案の定、1つ星をつけた人は保守派(共和党)思考なのだろうという人たち。私自身の感覚はリベラルに近く、だから余計面白かったんだけれどね。ただ、自分がよく知らないあることを語った本を読むときに、それが一定の側に寄った視点の本だと、そのよく知らないあることに対する自分自身の判断の材料の集まり方が正しくならない気もして。それでも、「この本はおかしい」とか「なるほど」というふうにそれまでのアレコレで自分は判断していくわけだけど。(この本も、リベラル絶対だぜ的視点というわけでもなく、判事達の思惑のカードはこんなふうになっています、と、ちゃんと読者に見せてくれてる。)
要は(なんて書いちゃっていいのか)「保守派大統領に選ばれ、保守的思考のもと司法判断を下すと思われていた判事たちが、保守派の意向から離れた判断を下すということに強硬保守派が飽き飽きして、強く(判事になるよう)押した(推したというより)二人の判事が強硬保守派の思惑通りの司法判断を下しつつある」ということを書いた本。
そんなのを読むと、マケインに投票しようかなぁに傾いてた私(選挙権無し)は、う〜む、司法が右に偏るなら、大統領は左の道をまっすぐとするリベラルの方に是非…というふうにも思えてきちゃうもんね。事実、マケインはプロ・チョイス派だし。日本では「あの演説はこの文脈の中でこういう主旨で理解すべき」というような解説番組がたくさんあるけど、アメリカには少ない。だから、誰かの演説もそのままの言葉通りに理解してしまいがち。特に、その背景にある事情や文化なんかに疎い私たち外国人は。この本の中の(そりゃリベラル視点なんですけど)「マケインのあの演説はこう理解すべき」という一演説をそういうふうに理解した途端、まだ後ろを向いてマケインの方を見つつも、私はオバマの方に足を踏み出しちゃいましたよ。まっ、私が何と言おうが、圧倒的にオバマが勝ちましたが。
あっ、そうそう、だから、アマゾンの読者票ってのを今日初めて読んだんだけれど、ありゃ、5つ星や1つ星じゃなくって3つ星や4つ星辺りの評を読むべきですね。
ということで、つい最近読んだ「その日の前に」の同じく読者評を見てみたら、こっちは総合評価は5つ星。5つ星51人、4つ星が31人、3つ星が7人、2つ星が4人、1つ星が2人。「泣けた」か「泣けなかった」ということがポイントのように書かれているものも多く、そこら辺りに激しく疑問。本屋さんで「泣ける本」ってことで売ってたりするみたいだが、脱力しちゃうよね、その頭の悪さ。
しかし!2つ星の中に目を見張る評が…。
「すべての作品で泣けたが、それは死を扱っているから当たり前なのではなかろうか。悲しいだけの物語と感動する物語は、勘違いされやすいけれど違う」という主旨。学校の推薦図書ということで読んだとあったけれど、中学生?高校生?素晴らしい評だぜ!素晴らしい感覚だぜ!とアメリカの片隅で大絶賛中。
2008/11/1 14:57
重松さんに一読者からのお礼の言葉。 本
重松清さんの「その日のまえに」(文春文庫)を読んだ。連作短編集。
重松さんは昔と今を結びつけるのが本当にうまいなぁ。その技を使って、読者の心に必ずわきあがるだろう「感傷」をうまく利用してる。「利用」って言葉が悪いけど。
もう一つ、重松さんって、「不思議」を多用する気がしてるんだけど、どうだろう?最初に読んだのが「流星ワゴン」だったからそう思えちゃうのかな?なるべく、やめてほしいんだ、「不思議」を使うの。だって不思議を使うと、何でもありになっちゃうもん。
文脈はかわるけど、重松さんは子ども探偵が活躍する小説を書かせたら天下一品な気がする(もしかしたらもう書いてるかな?)。そんなふうに思えるのは、こんな文章から。
「(略)―なんとなく―テストの答案に書けるような、『わかる』とは違う意味で、わかっていたから。」(p.23「ひこうき雲」)
そうそう、って首をぶんぶんふったのは「でも、母ちゃんは『いる』―それだけで、いい。うまく言えないけど、母ちゃんの役目は『いる』ことなんだと思う。『いる』と『いない』の差はとんでもなく大きいけど、『いる』をキープしてしまえば、そこから先のことはどうだっていい。」(p.177「ヒア・カムズ・ザ・サン」)ってとこ。ほんと、そう。私は母の人格批判をよくするケレド、ホントはお母さんはいるだけで十分なんだってわかってる。いてくれるだけで、十分以上、幸せなコト。私にとっては。
「母ちゃんの役目は『いる』こと」って思った母子家庭のトシ君は更に思う。「母ちゃんがいて、俺がいれば、世界中どこでも『わが家』になるのかもしれない」(p.196「ヒア・カムズ・ザ・サン」)
そして、思わず涙がこぼれ出た「その日のまえに」。
そこは全然ポイントじゃないトコだったんだけれど、意識が既にない病んだ子にかけた老いた父の「…じょうぶな子に産んでやれんで、すまんかった」。(p.307「その日)っていうようなトコで泣けちゃうんですねぇ。ググッ。
(私が)拠って立つトコロの支えになってくれそうな一言を見つけた「その日のあとで」。それは「考えることが答えなんだと、わたしは思っています。」(p.343)。
「重松さん、どうもありがとう」という一読者からのお礼の言葉。
重松さんは昔と今を結びつけるのが本当にうまいなぁ。その技を使って、読者の心に必ずわきあがるだろう「感傷」をうまく利用してる。「利用」って言葉が悪いけど。
もう一つ、重松さんって、「不思議」を多用する気がしてるんだけど、どうだろう?最初に読んだのが「流星ワゴン」だったからそう思えちゃうのかな?なるべく、やめてほしいんだ、「不思議」を使うの。だって不思議を使うと、何でもありになっちゃうもん。
文脈はかわるけど、重松さんは子ども探偵が活躍する小説を書かせたら天下一品な気がする(もしかしたらもう書いてるかな?)。そんなふうに思えるのは、こんな文章から。
「(略)―なんとなく―テストの答案に書けるような、『わかる』とは違う意味で、わかっていたから。」(p.23「ひこうき雲」)
そうそう、って首をぶんぶんふったのは「でも、母ちゃんは『いる』―それだけで、いい。うまく言えないけど、母ちゃんの役目は『いる』ことなんだと思う。『いる』と『いない』の差はとんでもなく大きいけど、『いる』をキープしてしまえば、そこから先のことはどうだっていい。」(p.177「ヒア・カムズ・ザ・サン」)ってとこ。ほんと、そう。私は母の人格批判をよくするケレド、ホントはお母さんはいるだけで十分なんだってわかってる。いてくれるだけで、十分以上、幸せなコト。私にとっては。
「母ちゃんの役目は『いる』こと」って思った母子家庭のトシ君は更に思う。「母ちゃんがいて、俺がいれば、世界中どこでも『わが家』になるのかもしれない」(p.196「ヒア・カムズ・ザ・サン」)
そして、思わず涙がこぼれ出た「その日のまえに」。
そこは全然ポイントじゃないトコだったんだけれど、意識が既にない病んだ子にかけた老いた父の「…じょうぶな子に産んでやれんで、すまんかった」。(p.307「その日)っていうようなトコで泣けちゃうんですねぇ。ググッ。
(私が)拠って立つトコロの支えになってくれそうな一言を見つけた「その日のあとで」。それは「考えることが答えなんだと、わたしは思っています。」(p.343)。
「重松さん、どうもありがとう」という一読者からのお礼の言葉。
2008/10/30 15:53
「黒い家」と銀色夏生さんの詩(の一つ)の類似点を見つけた。 本
「黒い家」引用(p.372、角川ホラー文庫)
「若槻はふと金石の言葉を思い出していた。『善意で踏み固められた道も地獄へ通じていることがある』本当にそんな諺があるのかどうか知らないが、ペシミズムもきわまれりという気がする。しかしその逆もまた真かもしれない。つまり『悪意で作られた塀も防波堤となることがある』かもしれないではないか。(以下略)」
銀色夏生さんの詩は記憶の中からの引用で正確ではないんだけれど、『一瞬のうちに全てが不可能になるのなら 一瞬のうちに全てが可能にもなるだろう』というもの。
意味内容は全然違うんだけれど、「転換点」というポイントで見ると位相が同じ気がするのだ。
ところで。
「黒い家」はもう一ひねりあるか…と思って読んでる部分があった、が、それは無く、そこがまたいいなと強く思った。むやみやたらに裏の裏とか、裏の裏の裏とかがあるとなんだか読んでてイヤになっちゃう。作者の「どう?」って言う得意げのズル。ひっくり返せばいいのかよぉ、あっと驚かせればいいのかよぉ。
ホラーではなくミステリーだけど、パトリシア・コーンウェルの検視官スカーぺッタ・シリーズと、ジェームズ・パターソンのアレックス・シリーズにその裏の裏の裏的ひねりが使われたのがあるんだよね。連作シリーズで、1編自体の中にも大なり小なりの「えっ!」があるんだけれど、連作としての「えっ!」が、「それ言ったら何でもありになっちゃうじゃん」の禁じ手の「えっ!」。ジェームズ・パターソンはまだ読み続けているけれど、スカペッタ・シリーズはそれがイヤで読むのやめちゃったぐらいなので、ただ読者を驚かすためだけの「騙しの『えっ!』」が「黒い家」にはなくて本当によかったよ。
「若槻はふと金石の言葉を思い出していた。『善意で踏み固められた道も地獄へ通じていることがある』本当にそんな諺があるのかどうか知らないが、ペシミズムもきわまれりという気がする。しかしその逆もまた真かもしれない。つまり『悪意で作られた塀も防波堤となることがある』かもしれないではないか。(以下略)」
銀色夏生さんの詩は記憶の中からの引用で正確ではないんだけれど、『一瞬のうちに全てが不可能になるのなら 一瞬のうちに全てが可能にもなるだろう』というもの。
意味内容は全然違うんだけれど、「転換点」というポイントで見ると位相が同じ気がするのだ。
ところで。
「黒い家」はもう一ひねりあるか…と思って読んでる部分があった、が、それは無く、そこがまたいいなと強く思った。むやみやたらに裏の裏とか、裏の裏の裏とかがあるとなんだか読んでてイヤになっちゃう。作者の「どう?」って言う得意げのズル。ひっくり返せばいいのかよぉ、あっと驚かせればいいのかよぉ。
ホラーではなくミステリーだけど、パトリシア・コーンウェルの検視官スカーぺッタ・シリーズと、ジェームズ・パターソンのアレックス・シリーズにその裏の裏の裏的ひねりが使われたのがあるんだよね。連作シリーズで、1編自体の中にも大なり小なりの「えっ!」があるんだけれど、連作としての「えっ!」が、「それ言ったら何でもありになっちゃうじゃん」の禁じ手の「えっ!」。ジェームズ・パターソンはまだ読み続けているけれど、スカペッタ・シリーズはそれがイヤで読むのやめちゃったぐらいなので、ただ読者を驚かすためだけの「騙しの『えっ!』」が「黒い家」にはなくて本当によかったよ。
2008/10/29 15:02
黒い家。 本
最高裁判事9人(実際には新旧交代メンバーがいるので9人以上だけど)と、それぞれが深く関わった判決について書かれた"The Nine"。いや、面白いのなんのって。
個々の判決や最高裁ってものがアメリカ(という社会、政治)の中でどういう位置づけにあるのか、が書かれている"The Nine"はあと2章を残すのみ。時は07年までやって来た。右に傾いちゃったよ、という辺り。
最高裁(裁判)というのは、コトの善し悪しや正義というより、「合衆国憲法をどう解釈するのか」という憲法判断の場なのだなぁ、と改めて。下級裁判所もそうだろうけれど、基本的には最高裁が下した判例に基づいて判断するわけだもんね。
ってところで、手に取った貴志祐介さんの「黒い家」。だって、帯に北上二郎さんの「うまいのなんの。読み始めたら途中で絶対にやめられないほどの傑作」なんて書いてあるんだもん。絶大なる信頼と尊敬の対象、北上さんがこんなこと書いてるんだもん。手に取らないわけいかないもん。
ぶっ飛びましたよ、またもや。一気呵成どころか、一夜数時間呵成でしたよ。
少し前に「容疑者xの献身」を初めて読んでぶっ飛んだワタクシの続けてのぶっ飛び。すげぇぜ、日本の文学世界!「容疑者xの献身」ではこういう作品が生まれたなんてスゴイよ、って思ったが、間を置かずの「黒い家」で、あなどれぬ、日本(の文字の世界)と再認識。(って、2冊とも初版から結構経つんだけど。)
手に取ったときは「大竹しのぶが主演して破格の怖さを演じた映画の原作ってコト?」程度にしか知らなかった「黒い家」。なんとなく「お金がらみの人間の執念の怖さが黒い家に表されてるお話(映画ではそこに女優の真髄を見せてくれる大竹さんの演技が加わる素晴らしさ)」って思ってたが、全然違いました、はい。「ホラーって超常(現象)出てきちゃうわけ?」って思いましたが、違いました、はい。
しっかし、怖かった。この映画の大竹さんも見てみたい。見るのが怖いケド。
個々の判決や最高裁ってものがアメリカ(という社会、政治)の中でどういう位置づけにあるのか、が書かれている"The Nine"はあと2章を残すのみ。時は07年までやって来た。右に傾いちゃったよ、という辺り。
最高裁(裁判)というのは、コトの善し悪しや正義というより、「合衆国憲法をどう解釈するのか」という憲法判断の場なのだなぁ、と改めて。下級裁判所もそうだろうけれど、基本的には最高裁が下した判例に基づいて判断するわけだもんね。
ってところで、手に取った貴志祐介さんの「黒い家」。だって、帯に北上二郎さんの「うまいのなんの。読み始めたら途中で絶対にやめられないほどの傑作」なんて書いてあるんだもん。絶大なる信頼と尊敬の対象、北上さんがこんなこと書いてるんだもん。手に取らないわけいかないもん。
ぶっ飛びましたよ、またもや。一気呵成どころか、一夜数時間呵成でしたよ。
少し前に「容疑者xの献身」を初めて読んでぶっ飛んだワタクシの続けてのぶっ飛び。すげぇぜ、日本の文学世界!「容疑者xの献身」ではこういう作品が生まれたなんてスゴイよ、って思ったが、間を置かずの「黒い家」で、あなどれぬ、日本(の文字の世界)と再認識。(って、2冊とも初版から結構経つんだけど。)
手に取ったときは「大竹しのぶが主演して破格の怖さを演じた映画の原作ってコト?」程度にしか知らなかった「黒い家」。なんとなく「お金がらみの人間の執念の怖さが黒い家に表されてるお話(映画ではそこに女優の真髄を見せてくれる大竹さんの演技が加わる素晴らしさ)」って思ってたが、全然違いました、はい。「ホラーって超常(現象)出てきちゃうわけ?」って思いましたが、違いました、はい。
しっかし、怖かった。この映画の大竹さんも見てみたい。見るのが怖いケド。
2008/10/12 21:52
カッコイイ73歳(多分)。 本
五木寛之の「新・風に吹かれて」を読んじゃった。「読んじゃった」なんて変ダケド。私の世代なら、読んだことはなくても読んだことがあるような気がする五木寛之。
あのぉ。
「新・風に吹かれて」の内容とは全然関係ないけど、またやらかした「あぁ勘違い」漢字の読み方編。それは「ごっかん」の「極寒」。何だってぇぇぇぇっ!今までの人生、「きょっかん」って読んでたってばっ!!!!間違ってるのは自分だとわかりつつインターネットで検索したら、「きょっかん」なんて「居ッ間」って何だそれ…。あぁ、恥ずかしい。
そう、それで五木寛之。
「努力すればできる努力なんてない」(努力すれば努力できるようになるなんてことはない)なんて一文があって、ま、ま、まさに。そんなふうなことを書く73歳(多分)ってカッコイイと思うが、どんなもんだろう。
「風に吹かれて」は、その昔の五木寛之の有名なエッセイのタイトルだ。ふぅん、いいタイトルじゃん。ボブとは違うけど。ディランの方の。
あのぉ。
「新・風に吹かれて」の内容とは全然関係ないけど、またやらかした「あぁ勘違い」漢字の読み方編。それは「ごっかん」の「極寒」。何だってぇぇぇぇっ!今までの人生、「きょっかん」って読んでたってばっ!!!!間違ってるのは自分だとわかりつつインターネットで検索したら、「きょっかん」なんて「居ッ間」って何だそれ…。あぁ、恥ずかしい。
そう、それで五木寛之。
「努力すればできる努力なんてない」(努力すれば努力できるようになるなんてことはない)なんて一文があって、ま、ま、まさに。そんなふうなことを書く73歳(多分)ってカッコイイと思うが、どんなもんだろう。
「風に吹かれて」は、その昔の五木寛之の有名なエッセイのタイトルだ。ふぅん、いいタイトルじゃん。ボブとは違うけど。ディランの方の。
2008/10/8 1:46
判例を読んだぜ。 本
"The Nine"を続けて読んでいる。
最高裁判断=法の判断となるので、そのために裁判を起こすこともあるみたい。そこで意外だったのが、「女性の権利と男性の権利は同等」としたい人が取り組む訴訟が、被差別対象は女性ではなく男性だったりするってこと。
「ある州でアルコール購入に際しての男性にはあって女性にはない規制を合衆国憲法違反で訴える、男性は飲んで問題を起こす、女性は多少飲みすぎても問題ないとする発想にあるのは単なる性差ステレオタイプで実際には裏づけ基盤が無いし、それは憲法違反なのだ」という訴訟。これに勝つと、先例主義(既に下された判決が重要、後からの判決は以前の判決に則る)に従うなら、「性差がどうであろうと、対象が男性であろうと女性であろうと、性差差別は違法」という判例が導かれると言うような。
興味深いぜ。
最高裁判断=法の判断となるので、そのために裁判を起こすこともあるみたい。そこで意外だったのが、「女性の権利と男性の権利は同等」としたい人が取り組む訴訟が、被差別対象は女性ではなく男性だったりするってこと。
「ある州でアルコール購入に際しての男性にはあって女性にはない規制を合衆国憲法違反で訴える、男性は飲んで問題を起こす、女性は多少飲みすぎても問題ないとする発想にあるのは単なる性差ステレオタイプで実際には裏づけ基盤が無いし、それは憲法違反なのだ」という訴訟。これに勝つと、先例主義(既に下された判決が重要、後からの判決は以前の判決に則る)に従うなら、「性差がどうであろうと、対象が男性であろうと女性であろうと、性差差別は違法」という判例が導かれると言うような。
興味深いぜ。
