2006/5/30 11:52
昭和35年4月1日 二級峡吊り橋開通 昭和・郷原
呉市民にとって二河峡と二級峡は身近なオアシスだった。かつては町中からこんなに近くに渓谷があることは誇らしいことであった。いずれもその上流に巨大な住宅団地が出来る以前の話だ。川の水で飯ごう炊さんをしていたのだから。二級峡は二河峡より一段グレードの高い場所だった。二級峡にはその滝や岩の壮大さが子供心に畏怖の念を抱かせた。
2006/5/23 19:34
昭和32年12月15日 大阪銀行 旧市内・中心部
写真の撮影日はこの日付となっている。また説明には「昔の住友銀行」ともある。住友銀行があったのは四ッ道路である。ただ昭和32年10月の「交通整理」の写真は四ツ道路が写し出されているが既に住友銀行が写っている。四ツ道路の一角、住友銀行の前身が大阪銀行との読みははずれた。裏書きの日付が誤りかもしれないが・・・。このレトロな建物は現在のどこにあったものか?
2006/5/21 10:36
昭和34年7月17日 呉中央桟橋 旧市内・中心部
中央桟橋は瀬戸内海航路の呉の海の玄関である。当時の桟橋はこの一つだけ。停泊しているのは午後7時頃、別府・大分に向け出港するつるみ丸。広島、宮島口、柳井を経て早朝、大分、別府に着いた。小学6年の呉市内の小学生の修学旅行はこの船で別府への一泊2日旅行だった。呉と大分はこの航路によって深い結びつきがあった隣接地だった。
2006/5/18 7:36
昭和35年5月19日 旧呉鎮守府司令長官官舎 旧市内・中心部
現在の入船山。建物は国の重要文化財である。小学生の頃、この丘は実に不気味な雰囲気を漂わせていた。鬱蒼とした木立の中にあり鉄条網でガードされていた。くぐり抜けて建物にたどり着くと幽霊屋敷のような威厳ある雰囲気を漂わせていた。大蔵省から呉市の管理となり、一般公開されたのは1967(昭和42)年。現在のように記念館、公園として整備されるのはそれからさらに30年近く後のことだ。
2006/5/17 19:11
昭和33年3月5日 呉ハウス 旧市内・中心部
眼鏡橋のそばにあるおなじみの戦前の海軍施設である。当時は呉ハウスとある。進駐軍の施設として使われていた。その後は海上自衛隊の集会所、宿泊施設として現在に至る。海軍時代そのままの建物で趣があるが取り壊しが近いようだ。いまはどうなっているのだろうか?
2006/5/15 12:56
昭和31年11月3日 吉葉山土俵入り 旧市内・中心部
11月3日とある。亀山神社の祭りだろう。境内で横綱吉葉山の土俵入りである。後ろにやはりやぶが構えている。土俵入りの奉納。大相撲といえば、地方巡業がときどき二河公園に来ていた。公園の木陰でお相撲さんがたくさん稽古していた。土俵はプールに特設されたようだが本物は見たことがない。
2006/5/15 12:51
昭和33年 警固屋の小祭 宮原・警固屋・音戸
警固屋の路地を練り歩くおなじみの祭り風景。やぶと呼ばれる鬼、俵みこし、「奉寄進」の幟・・・。長い列が路地の向こうまで続く。背後の休山、なんと頂付近まで段々畑が続いている。
2006/5/10 23:26
昭和30年代半ば 中央公園東側 旧市内・中心部
現在の呉市役所庁舎と市民会館が完成するのは昭和37年4月。広い中央公園は真ん中を車が通行していた。右手奥に野外ステージが見える。その右手には街頭テレビがあった。市役所と市民会館が出来るのはこれからだ。この広場では学校帰りに野球をしたし、サーカスの公演もあった。呉市の子どもには思い出深い広場だった。
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2006/5/10 23:18
昭和30年代半ば 中央公園 旧市内・中心部
今西通りを隔てて見えるのは裁判所の建物である。広い児童公園は北半分に現在の呉市体育館が建つ場所だ。中央児童公園は呉市がモデル児童公園としてつくった。バラのアーチ、小鳥小屋、公衆トイレ、ブランコ、シーソーが見える。このか細い木が今は大樹となっている。裁判所の南側は今はデオデオである。
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2006/5/8 19:48
昭和30年代半ば 動物園界隈 旧市内・中心部
堺川の中州、現在の市役所前あたり。市立の動物園があった。北側の入り口を入って右側にクジャク舎があった。中央にアシカの池。ぐるりと回るミニ列車。象もいたような気がする。小学校低学年。記憶があいまい。動物園に行くというのは結構、晴れやかなお出かけであったような・・・
