2007/9/7  0:09

昭和63年 倉橋・遣唐使船復元  倉橋・江能

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 倉橋・桂浜の古代船のドック跡で建造中の遣唐使船。朱塗りの船が瀬戸内海に浮かんだ姿を思い出す人も多いに違いない。倉橋に残る木造船の船大工が腕によりをかけた。

2007/9/6  8:20

昭和63年秋 遣唐使船復元  倉橋・江能

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 89海と島の博覧会ひろしまの目玉展示物として復元建造中の遣唐使船。万葉の時代から木造船の伝統がある倉橋島の桂浜でつくられた。朱塗りされ実際に海に浮かべられ、瀬戸内海を大阪まで曳航され、各地で宣伝キャンペーンをしながら会場となった広島市西区商工センターに戻った。



2007/9/5  0:04

昭和63年秋 倉橋・桂浜イベント  倉橋・江能

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 遣唐使船復元を祝う倉橋・桂浜でのイベント。海島博の前景気をあおる意味もあり、船の建造を見学する会を併せて実施した。海と島の博覧会というだけあって広島県内の島々もサブ会場となった。思い出せば全国各地で地方博覧会が目白押しだった。

2007/9/3  23:32

昭和63年秋 倉橋・桂浜  倉橋・江能

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 倉橋島の桂浜で建造中の復元遣唐使船である。翌年(1989年)広島市西区であった地方博覧会「海と島の博覧会ひろしま」の展示物として建造された。現在も桂浜の近くに展示保存されている。
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2007/8/29  10:05

昭和46年 倉橋・鹿老渡  倉橋・江能

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 安芸灘に面した鹿老渡は、その昔は潮待ち風待ちの港として栄えた。いまも旅館を営む宮林家は江戸時代に材木を扱ってきた商家で、頼山陽なども立ち寄ったと伝えられる。この路地に入る込むとタイムスリップした感あり。海水浴場もあったがいまはどうなっているだろうか。


2007/8/28  10:58

昭和46年 倉橋・鹿老渡  倉橋・江能

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 倉橋島の最南の鹿老渡。古くからの港町。九州の諸大名が参勤交代の時、ここに船を泊め、本陣も設けられた。宮林家は当時の宿泊所で現在も旅館を営む。

2007/8/26  9:04

昭和46年 江田島・米陸軍秋月弾薬廠  倉橋・江能

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 在日米軍・第9軍・第17地域支援軍・第83兵器大隊。秋月弾薬庫の入り口。「ようこそいらっしゃいませ」「歓迎秋月弾薬庫・お互いの安全のためマッチ、ライターは警備員に預けて下さい」などの英文、日本語表示がある。秋月弾薬廠の傘下に川上(東広島)、広(広黄幡)もあり、司令部は呉市昭和町の潜水艦基地に隣接した場所にある。

2007/8/25  7:54

昭和46年 米軍秋月弾薬庫  倉橋・江能

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 江田島・秋月にある米軍の拠点弾薬庫。もともとは明治28年、呉に海軍工廠が開設され、対岸に秋月火薬庫が設置された。それ以前の明治21年8月に海軍兵学校が東京から移転開校。兵学校が敷地を拡大し、秋月、切串にも弾薬庫ができるなど、島は各種の軍施設がある「海軍の島」となった。



2007/8/19  0:11

昭和44年11月 江田島・長浜射撃場  倉橋・江能

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 海軍時代からの射撃場。現在は海上自衛隊の射撃場として使われている。上部に射撃の標的がずらりと並ぶ。現在は特殊部隊の訓練場でもあり、秘密のベールに包まれている。青年の家と目と鼻の先である。

2007/8/18  8:40

昭和42年ごろ 建設中の江田島青年の家  倉橋・江能

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江田島町津久茂に建設中の青年の家。現在の独立行政法人国立青少年教育振興機構・国立江田島青少年交流の家。北西を向いており広島湾を望む。独立行政法人以降、さまざまな企画を積極的に外にPRしている。HPに詳しい。

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