2005/5/27 22:35
ただいま荷造り中 青熊ラジオ

ミヒャエル・ゾーヴァの講演会の詳細については、右のカテゴリーの「講演会お知らせ」をクリックするか、右下のリンク集「M・ゾーヴァ講演会情報」からお入り下さい。申込み要項のほかにゾーヴァの作品なども随時紹介しています。
精霊降臨祭の連休も終わり、さあ、仕事だと思っていたら、あっというまに月末になってしまった。これから荷造りして、明日は日本行きの飛行機である。
子どもができてから、この荷造りはかなりたいへんで、ふたり分の洋服の量が多い上に、娘たちが幼稚園から戻ってきたら寝るまではほとんど手が付けられない。トランクをひろげようものなら、すぐに船と化し、鬼が島にさらわれたイチゴ姫を救出にでむいたりするので、寝静まるまではストップするからだ。
とはいえ、この荷造りはじつはほとんど奥さんにまかせきりで、青熊はいつもわきで騒いでいるだけだから、とりあえず忙しいふりをしているだけかもしれないけれど・・・。
でも、飛行機の中で、子どもたちとなにして過ごすかと考えると、実際、気は重い。
飛行機の中に、ファミリー向けに、小さなチャイルドルームとか作ってもらえるとよいのにね。飛行機会社も少子化対策としてそろそろ考えて欲しいものである。
p.s. ゾーヴァ講演会のほうですが、一般公開無料登録制の浜松の静岡文化芸術大学のほうもだいぶ埋まってきました。定員になりしだい締め切りになりますので、聴講希望の方で未登録の方はなるべくお急ぎ下さい。また、青山のクレヨンハウス東京店での東京講演のほうは、おかげさまでチケットは売り切れました。
2005/5/13 9:11
5月13日金曜日 日々の雑事 青熊ラジオ
ミヒャエル・ゾーヴァの講演会の詳細については、右のカテゴリーの「講演会お知らせ」をクリックするか、右下のリンク集「M・ゾーヴァ講演会情報」からお入り下さい。申込み要項のほかにゾーヴァの作品なども随時紹介しています。
カレンダーをみたら13日の金曜日だった。
ただ、それだけなんだけどね。ベルリンはひさしぶりの快晴で、なにも不吉なことは起きそうもない。
それで、朝、子どもたちを幼稚園まで自転車で送って、気分よく戻ってきてさあ仕事と思ったのだけど、PCを立ち上げたとたんにブログに入ってしまった。
長編小説を書くときは青熊の場合はいつもたいていそうなのだけれど、気持ちが高まって、原稿に集中できるようになるまで少し時間がかかる。その物語世界に心が重なっていかないとだめなのだ。
昨日ぐらいからすっと入れるようになってきたので、傾向的には悪くないのだが。
でも集中するまでは、机のまわりをやたらに整理したり、コーヒーをていねいにいれてみたりと、感覚的には受験生の受験勉強にはいる前に似ているのではないだろうか。
やるべきことはすべてやってしまって、あとはもう原稿に打ち込むしかないというところまで自分を追い込むわけだね。と、書いて、これ、どこかで同じセリフをきいたことがあると思ったら、かの画家のゾーヴァ氏もそうだった。インタヴューしたときに同じようなこと言ってましたね。
講談社から、青熊が構成を担当した「ミヒャエル・ゾーヴァの世界」がもうじき刊行されるけれど、詳しくはその中で・・・とちょっと宣伝してしまった。
カレンダーをみたら13日の金曜日だった。
ただ、それだけなんだけどね。ベルリンはひさしぶりの快晴で、なにも不吉なことは起きそうもない。
それで、朝、子どもたちを幼稚園まで自転車で送って、気分よく戻ってきてさあ仕事と思ったのだけど、PCを立ち上げたとたんにブログに入ってしまった。
長編小説を書くときは青熊の場合はいつもたいていそうなのだけれど、気持ちが高まって、原稿に集中できるようになるまで少し時間がかかる。その物語世界に心が重なっていかないとだめなのだ。
昨日ぐらいからすっと入れるようになってきたので、傾向的には悪くないのだが。
でも集中するまでは、机のまわりをやたらに整理したり、コーヒーをていねいにいれてみたりと、感覚的には受験生の受験勉強にはいる前に似ているのではないだろうか。
やるべきことはすべてやってしまって、あとはもう原稿に打ち込むしかないというところまで自分を追い込むわけだね。と、書いて、これ、どこかで同じセリフをきいたことがあると思ったら、かの画家のゾーヴァ氏もそうだった。インタヴューしたときに同じようなこと言ってましたね。
講談社から、青熊が構成を担当した「ミヒャエル・ゾーヴァの世界」がもうじき刊行されるけれど、詳しくはその中で・・・とちょっと宣伝してしまった。
2005/5/9 20:19
お風呂が怖い? 青熊ラジオ
ミヒャエル・ゾーヴァの講演会の詳細については、右のカテゴリーの「講演会お知らせ」をクリックするか、右下のリンク集「M・ゾーヴァ講演会情報」からお入り下さい。リンク集の「講演会情報」ではゾーヴァの作品なども紹介してときどき更新してます
今日は一日、体調がすぐれずPCに向かって数行原稿を書いては、「あーだめだな」と寝室に戻ってごろりという感じで、あっという間に子どもの帰宅時間と相成ってしまった。どうやら奥さんに風邪をうつされたようである。もっとも青熊の場合、なかなか寝込むまでにはいたらない。(なんとやらは風邪をひかない、のくちか)今回もなんとなくこのまま乗り切りそうである。ただ、ちょうどいま長編小説に取りかかっているのだけれど、体調がイマイチだとなかなか集中できず仕事のほうはあまりはかどらなかった。まあ、こういう日もあるでしょう。
夕食をすませ、子どもたちと遊んでから風呂にいれ、今、奥さんが寝かしつけに子ども部屋に入ったところ。午後8時5分過ぎ。今日はこのまま2、3メールをうってから寝ちまいましょうと思っている。読みかけの本もあることだし……。
ところで、また子育ての話で恐縮だけれど、青熊一家はこの一週間ぐらい下の子の風呂騒動で、夕食後にもうひとヤマあった。それまで風呂は大好きで、入れたらいいが出すほうに苦労していたのだけれど、突然に「ナイン!(いや)」と叫びだしたのだ。この子の場合言葉はまだ片言で、感情表現はドイツ語である。こうなるときかん気の強い娘だから、服を脱がすのもたいへんで、ふたりがかりで強引にしても一瞬のすきをついてオムツ一枚で脱出し、家じゅうを逃げまわることになる。追いかけまわして、なんとかつかまえいれようとすると風呂場で号泣。タイル貼りのバスルームだから泣き声の反響もすさまじく、アパートの中庭じゅうに聞こえたのはまちがいない。それが毎日続いたので、あそこは幼児虐待している、なんていう噂がそのうち飛ぶのではとびくびくしていたぐらいだった。
そこで、どうして風呂がいやなのかを理由をじっくりきいてみようじゃないかと緊急青熊会議を招集して、4歳の上の娘澪(みお)を通訳に立て、二歳になったばかり瑛(あき)をなるべく刺激しないように問いかけてみたのである。するとわあわあだあだあ、ナイン、やーという姉妹の応酬のあとで、「あきちゃんは、こわいんだよ」と澪が青熊たちに教えてくれたのである。「怖い?」 青熊は一瞬お化けでもでるのかと思ってぞっとした。なにしろ我が家は築105年目である。水周りやそのほかの設備は新しいが、天井とか壁のすきまとかになにかがひそんでいてもおかしくはない。「でるの?」奥さんもいやそうな顔をしている。中年と呼ばれる年月まで生きてきて曇ってしまった目にはみえないものが、純な子どもの目には見えるのかもしれない。そう思っていると、「そうじゃないよ、あきちゃんは水が怖いの」と澪がまた通訳して教えてくれた。「水が怖い?」青熊は奥さんと思わず顔を見合わせた。「それって…」「なに?」「狂犬病かも」青熊はオオカミの小説を書いたので、そのあたりのことは一通り詳しくなっているのである。狂犬病にかかったオオカミは水を恐れるため、狂犬病は恐水病とも呼ばれるのだ。だが、青熊のその心配は、奥さんの「ば」と「か」という短いセンテンスによって否定され、「もしかして皮膚病かも。お風呂に入るとしみるのかもね」と奥さんは瑛を裸にしてさっそく点検をしてみた。でも、きれいなものである。うーん、首をひねっていると、その当人が、おむつをふりふりひとりでのこのこ風呂場に行き、棚の上を指差すのである。そこにあったのは…「おまる」
どうも、下の娘は、おむつをはずして風呂に入ると、急にもよおす。でも、自分のつかっている風呂の中でおしっこをもらすのはまっぴらだ。ということでお風呂ストライキをしていたらしいのだ。衛生観念の芽生えというか自尊心のめばえというやつかもしれない。その解決策がおまるだった。したくなったらそこにすわれるよういつでも準備しておけという。上の子がおむつがはずれたのは三歳になるかならないかで、まだトイレトレーニングなんて一年も先と考えていたので、油断であった。この二歳の瑛も幼稚園に通っていて、同じクラスの歳が少しの上の子たちがおまるをつかっているのを見ているせいだろう。
ともかくその夜から、したくなったらいつでもどおぞーと風呂場に「おまる」を用意してやったら、嬉々として再び風呂に入るようになった。そしてまた長風呂が始まったのである。「ねえ、もうそろそろでましょうよ」「ナイン!」
写真は、たまには青熊本人からのご挨拶。春に農場にいったときのもの。
2005/5/8 23:07
昨日は何の日? 青熊ラジオ
ミヒャエル・ゾーヴァの講演会の詳細については、右のカテゴリーをクリックするか、右下のリンク集からお入り下さい。リンク集の「講演会情報」のほうもときどき更新中です
昨日の5月8日の日曜日は、もちろん母の日だった。
じつのところ子どもができて、再び「母の日」というのを再認識しているような気がする。
子どもにとっての母親という存在の重さは、比べるのもナンセンスだけれどある意味で父を越えていると思う。うちは共稼ぎで、しかも家がどちらも仕事場なので、よその家よりは自然、父としての青熊も子育てにかかわる頻度は高いだろう。それでもうちの奥さんが風邪をひいたりしてちょっと寝込んだりすると、「ああ、まいったなあ」とあわて、子どもに「パパは片づけが苦手だから、澪がてつだってあげるね」と言われつつ、やけにくたびれ果てている自分を発見する。そのときなにがという具体的なものではないが、母親である奥さんに対する子どもたちの依存度の高さみたいなものを実感しているのである。まあ、父親は母親にはなれないし、なることもないのだと思えば救われるけれど。
ところで、この5月8日は、ドイツでも母の日だが同時に敗戦の日である。敗戦60年目の今年、新聞には一面焼け野原となったベルリンの町が載せられた。無残としかいいようのない思わず絶句する光景である。住んでいるベルリンが、この瓦礫の中からよくここまで復興したと感じるとともに、戦争というものの罪をあらためて感じた。
子どもたちにはこういう体験は絶対にしてほしくないと思うし、そのためにはできる限りの努力はしたいとも思う。それが親というか、人間の責任でもあるだろう。
中国で反日暴動が起きたのは記憶に新しい。多くの日本人にとって、どうして中国が日本をそんなにも嫌うのかよくわからなくて戸惑っているというのが正直なところではないかと思う。これは日本における対中国と、中国における対日本の感覚にあきらかな温度差があるせいだけれど、ひとつには日本人の国民性にもよるだろう。良くいえば「お人よし」、悪くいえは「甘い」のである。もう一つは太平洋戦争に対する歴史観の違いではないか。世界の認識では、日本はドイツとともに戦争の加害者である。しかし、ナチスの対ユダヤ撲滅政策という決定的な犯罪を背負ってしまっているドイツと比較して、日本人の相対的な罪の意識はかるいと言わざるを得ない。アジア侵略がそのほんのわずか前の欧米の植民地政策との類似性もあり、戦後の民主化教育の中で、戦争は軍部の間違った独走というイメージを強調してきたために、どちらかというと戦後の日本人も戦争の被害者であるという意識さえ持っているのではないかと思う。そのことがドイツのイスラエル政策や他のヨーロッパ諸国への涙ぐましいまでの配慮と比べて、日本の外交のにぶさ、厚顔さ(事実ではないにしてもそう感じられる)につながるのである。国内での教育にしても、反ナチが徹底しているドイツに比して、日本はあいまいである。そこに空襲あるいは原爆の被害を重ねるために、総合的な反戦を掲げていても、反省というカタチにはなりにくい。「戦争」はもちろん双方向に原因があり、短絡的にどちらか一方に罪を押し付けるのはおかしいとは思う。しかし、だからといって侵略という罪が消えるわけではないのだ。
政治家の靖国参拝問題にしても、日本人の宗教観みたいなものと国際感覚は切り離して考えるべきだろう。単純に、ナチス幹部の墓に政治家として詣でるものはドイツにはいまい。そういうことをしたら政治家として糾弾されるし、国際世論も許さないだろう。追悼するということは、その人の死を惜しみ悲しむということである。戦争の責任者を惜しむということは、戦争を反省していないということになる。日本の戦犯もまた政治システムの犠牲者であるという認識をもししているのであれば、そういう論拠をきちんと相手に理解できるようあらためて提示していくべきなのだ。罪を受けて死んだら、それで浄化されるという考えを政治に組み入れてよいものだろうか。これはあくまで政治、外交の問題なのである。
青熊は個人として中国は好きだし、その歴史にはロマンも覚える。だからこそ今回の暴動は個人的にはショックだったし、本音を言えば同時に腹も立った。大使館が襲われ、個人も攻撃されるということは同じ外国に住む身としても恐ろしいし、あってはならないことだと思う。国交とは何か・・・。われわれのパスポートにはその国に対して保護扶助を要請すると明記してある。それが蹂躙されるのであれば、国交など成立しない。そのことを考えつつ、世界における日本人としての「私」というものをもう一度考えてみたいと思っている。
昨日の5月8日の日曜日は、もちろん母の日だった。
じつのところ子どもができて、再び「母の日」というのを再認識しているような気がする。
子どもにとっての母親という存在の重さは、比べるのもナンセンスだけれどある意味で父を越えていると思う。うちは共稼ぎで、しかも家がどちらも仕事場なので、よその家よりは自然、父としての青熊も子育てにかかわる頻度は高いだろう。それでもうちの奥さんが風邪をひいたりしてちょっと寝込んだりすると、「ああ、まいったなあ」とあわて、子どもに「パパは片づけが苦手だから、澪がてつだってあげるね」と言われつつ、やけにくたびれ果てている自分を発見する。そのときなにがという具体的なものではないが、母親である奥さんに対する子どもたちの依存度の高さみたいなものを実感しているのである。まあ、父親は母親にはなれないし、なることもないのだと思えば救われるけれど。
ところで、この5月8日は、ドイツでも母の日だが同時に敗戦の日である。敗戦60年目の今年、新聞には一面焼け野原となったベルリンの町が載せられた。無残としかいいようのない思わず絶句する光景である。住んでいるベルリンが、この瓦礫の中からよくここまで復興したと感じるとともに、戦争というものの罪をあらためて感じた。
子どもたちにはこういう体験は絶対にしてほしくないと思うし、そのためにはできる限りの努力はしたいとも思う。それが親というか、人間の責任でもあるだろう。
中国で反日暴動が起きたのは記憶に新しい。多くの日本人にとって、どうして中国が日本をそんなにも嫌うのかよくわからなくて戸惑っているというのが正直なところではないかと思う。これは日本における対中国と、中国における対日本の感覚にあきらかな温度差があるせいだけれど、ひとつには日本人の国民性にもよるだろう。良くいえば「お人よし」、悪くいえは「甘い」のである。もう一つは太平洋戦争に対する歴史観の違いではないか。世界の認識では、日本はドイツとともに戦争の加害者である。しかし、ナチスの対ユダヤ撲滅政策という決定的な犯罪を背負ってしまっているドイツと比較して、日本人の相対的な罪の意識はかるいと言わざるを得ない。アジア侵略がそのほんのわずか前の欧米の植民地政策との類似性もあり、戦後の民主化教育の中で、戦争は軍部の間違った独走というイメージを強調してきたために、どちらかというと戦後の日本人も戦争の被害者であるという意識さえ持っているのではないかと思う。そのことがドイツのイスラエル政策や他のヨーロッパ諸国への涙ぐましいまでの配慮と比べて、日本の外交のにぶさ、厚顔さ(事実ではないにしてもそう感じられる)につながるのである。国内での教育にしても、反ナチが徹底しているドイツに比して、日本はあいまいである。そこに空襲あるいは原爆の被害を重ねるために、総合的な反戦を掲げていても、反省というカタチにはなりにくい。「戦争」はもちろん双方向に原因があり、短絡的にどちらか一方に罪を押し付けるのはおかしいとは思う。しかし、だからといって侵略という罪が消えるわけではないのだ。
政治家の靖国参拝問題にしても、日本人の宗教観みたいなものと国際感覚は切り離して考えるべきだろう。単純に、ナチス幹部の墓に政治家として詣でるものはドイツにはいまい。そういうことをしたら政治家として糾弾されるし、国際世論も許さないだろう。追悼するということは、その人の死を惜しみ悲しむということである。戦争の責任者を惜しむということは、戦争を反省していないということになる。日本の戦犯もまた政治システムの犠牲者であるという認識をもししているのであれば、そういう論拠をきちんと相手に理解できるようあらためて提示していくべきなのだ。罪を受けて死んだら、それで浄化されるという考えを政治に組み入れてよいものだろうか。これはあくまで政治、外交の問題なのである。
青熊は個人として中国は好きだし、その歴史にはロマンも覚える。だからこそ今回の暴動は個人的にはショックだったし、本音を言えば同時に腹も立った。大使館が襲われ、個人も攻撃されるということは同じ外国に住む身としても恐ろしいし、あってはならないことだと思う。国交とは何か・・・。われわれのパスポートにはその国に対して保護扶助を要請すると明記してある。それが蹂躙されるのであれば、国交など成立しない。そのことを考えつつ、世界における日本人としての「私」というものをもう一度考えてみたいと思っている。
2005/5/1 21:33
木曜バトル 青熊ラジオ
ミヒャエル・ゾーヴァの講演会の詳細については、右のカテゴリーをクリックするか、右下のリンク集からお入り下さい。
このところ毎週木曜日は、下の娘の瑛(あき)とふたりきりの晩飯である。
長女の澪(みお)がベルリン日本語補習授業校のこぐまクラスに通っているのだけれど、今学期から編成が変わり一時間ぐらい帰宅が遅くなって七時すぎになった。他の日は、六時頃に夕食をとっているし、就寝時間を一応8時にしているので、帰宅後の食事となるとけっこうせわしくなる。それで、長女にはお弁当を持たせ、青熊と次女はさきに晩飯をすませることにしたのだ。(奥さんは帰宅後、ひとりで食べている…ちょっとかわいそう)。
家事全般のうちで料理を担当している青熊としては、お弁当というのはわりと楽しい。それに娘たちはふたりともドイツの公立幼稚園に通っていて戻ってくるのは4時過ぎで、それまでに仕事の合間をぬって作っておいてしまえば、夕食前のひとときをゆっくり子どもと過ごせるから悪くないのだ。そんなわけで、木曜日の夕方は、二女の瑛との公園や街のぶらぶらデート。だからって関係が一層濃厚になるかというと、べつにそういうこともないのだけれど、散歩から帰ってくるととりあえず満足するらしく、夕食前の三十分ぐらいをフリーにしてくれるのである。
もっともその時間にさっと机に向かえるわけでもなく、結局、その三十分で、もう一品ぐらいおかずを作ることにした。それも自分のために。子どもたちや奥さんのおかずは、お弁当のときに用意してしまうので、ふだんあまり食べれないものをちょこっと。前々回は鳥のモツ煮を、そして前回は鮭の土佐作りとしゃけ皮焼きを作った。こちらにいると生のサーモンは簡単に手に入るので、まとめて買って刺身用の柵にさばいてから冷凍にしておく。そのとき皮が大量に出るのだけど、これを適当に切ってやはり冷凍保存しておき、必要なときに解凍してフライパンで塩焼きにするのだ。青熊は晩酌の習慣はなく、飲むのはお客さんがきたときと深夜のナイトキャップだけだけれど、おつまみふうの惣菜というのはご飯にも合うでしょう? ただ、ちょっとアクセントの濃いものは奥さんも苦手だし、子どもも好まないだろうということで一応、こういう手のものはつくり控えをしていたわけだ。ところが、「さあ、あきちゃん、飯にしようぜ。きみは鳥のから揚げ、いいねえ。パパはしゃけの皮だ」と箸をもったとたん、「えっ、ほしいの、これ? これ、魚の皮だよ。口に合うかどうか…」「おいちい」「好きなのか、まじで? でも、塩味きつくない? 腎臓にもわるいぞ。あっ、泣くな、やるから」「メア(もっと)」「あのさあ、それって四枚目だけども…」この次女の瑛は、くいしんぼうである。自分の好物でも半分は人に分け与えようとする天使のような性格の長女と違って、好きなものは絶対にわけてくれない。一度自分の皿にのったものは、自分のもの。人の皿の上のものも自分のもの派である。ちょっとつまんでみたりしようものなら、とられたあと泣き喚き、下手するとキレて、フォークとか床に落としたりする。こと食べることに関しては超わがまま。しかも、この子は初めてのものもとりあえず食ってみるタイプなので、侮れない。結局、この日は六枚焼いたしゃけ皮のうちに、青熊の口に入ったのは最初の一枚のみであった。朝から楽しみにしていただけにショックは大きい。
さて、来週はなにを作ろうかとも思うのだが(あっ、来週はキリストの昇天祭で休みか。じゃあ再来週だね。)…この小さな木曜日バトルは当分、続きそうである。
写真は、知人宅で食事中の娘たち。
このところ毎週木曜日は、下の娘の瑛(あき)とふたりきりの晩飯である。
長女の澪(みお)がベルリン日本語補習授業校のこぐまクラスに通っているのだけれど、今学期から編成が変わり一時間ぐらい帰宅が遅くなって七時すぎになった。他の日は、六時頃に夕食をとっているし、就寝時間を一応8時にしているので、帰宅後の食事となるとけっこうせわしくなる。それで、長女にはお弁当を持たせ、青熊と次女はさきに晩飯をすませることにしたのだ。(奥さんは帰宅後、ひとりで食べている…ちょっとかわいそう)。
家事全般のうちで料理を担当している青熊としては、お弁当というのはわりと楽しい。それに娘たちはふたりともドイツの公立幼稚園に通っていて戻ってくるのは4時過ぎで、それまでに仕事の合間をぬって作っておいてしまえば、夕食前のひとときをゆっくり子どもと過ごせるから悪くないのだ。そんなわけで、木曜日の夕方は、二女の瑛との公園や街のぶらぶらデート。だからって関係が一層濃厚になるかというと、べつにそういうこともないのだけれど、散歩から帰ってくるととりあえず満足するらしく、夕食前の三十分ぐらいをフリーにしてくれるのである。
もっともその時間にさっと机に向かえるわけでもなく、結局、その三十分で、もう一品ぐらいおかずを作ることにした。それも自分のために。子どもたちや奥さんのおかずは、お弁当のときに用意してしまうので、ふだんあまり食べれないものをちょこっと。前々回は鳥のモツ煮を、そして前回は鮭の土佐作りとしゃけ皮焼きを作った。こちらにいると生のサーモンは簡単に手に入るので、まとめて買って刺身用の柵にさばいてから冷凍にしておく。そのとき皮が大量に出るのだけど、これを適当に切ってやはり冷凍保存しておき、必要なときに解凍してフライパンで塩焼きにするのだ。青熊は晩酌の習慣はなく、飲むのはお客さんがきたときと深夜のナイトキャップだけだけれど、おつまみふうの惣菜というのはご飯にも合うでしょう? ただ、ちょっとアクセントの濃いものは奥さんも苦手だし、子どもも好まないだろうということで一応、こういう手のものはつくり控えをしていたわけだ。ところが、「さあ、あきちゃん、飯にしようぜ。きみは鳥のから揚げ、いいねえ。パパはしゃけの皮だ」と箸をもったとたん、「えっ、ほしいの、これ? これ、魚の皮だよ。口に合うかどうか…」「おいちい」「好きなのか、まじで? でも、塩味きつくない? 腎臓にもわるいぞ。あっ、泣くな、やるから」「メア(もっと)」「あのさあ、それって四枚目だけども…」この次女の瑛は、くいしんぼうである。自分の好物でも半分は人に分け与えようとする天使のような性格の長女と違って、好きなものは絶対にわけてくれない。一度自分の皿にのったものは、自分のもの。人の皿の上のものも自分のもの派である。ちょっとつまんでみたりしようものなら、とられたあと泣き喚き、下手するとキレて、フォークとか床に落としたりする。こと食べることに関しては超わがまま。しかも、この子は初めてのものもとりあえず食ってみるタイプなので、侮れない。結局、この日は六枚焼いたしゃけ皮のうちに、青熊の口に入ったのは最初の一枚のみであった。朝から楽しみにしていただけにショックは大きい。
さて、来週はなにを作ろうかとも思うのだが(あっ、来週はキリストの昇天祭で休みか。じゃあ再来週だね。)…この小さな木曜日バトルは当分、続きそうである。
写真は、知人宅で食事中の娘たち。
