2006/1/31  22:15

エクステ vs 校則  子育てネタ

エクステ・・・
これ、Mステ(ミュージックステーション)ではない。(当たり前)

お年頃のお嬢様、オシャレなお姉さまならよくご存知の、早い話が一種の付け毛。
これをつければ、ショート・ヘアでもいきなりロングに変身可。

我が家のオシャレなお嬢様、高一の長女もいきなり変身〜

美容院のお試し価格で、クラスの友人と一緒に行ってきたのだそうで・・・
いつもの肩辺りの髪が、いきなり背中まで伸びている。

これはスゴイ!!
何しろ色も地毛に馴染んでいて、質感も全く違和感が無い。
オシャレだ。似合う。素敵だ。

どんな仕組みになっているのか見せてもらった。

地毛に細かく器用に付け毛が編みこんである。
シャンプーもブラッシングも普通に出来るのだ。

でも・・・
これって・・・
大丈夫なの?
いきなり髪が長くなったら・・・
学校で・・・
すぐ先生にバレちゃって・・・
これって、もしや・・ダメなんじゃ・・??

と心配する私をよそに、長女はあっけらかんとしている。

「大丈夫、大丈夫〜。絶対にバレないように中に入れ込んできっちり結んでいくから。」
「ええ〜??本当に大丈夫なの??それにしても、何もそんなエクステなんて、わざわざ付けてこなくてもいいのに・・・」

「だって、私、ママみたいに素敵になりたいんだもん!! 」

・・いや・・・そんな風に言われちゃうと・・怒れないなぁ・・・

と、まんまと長女に乗せられてしまった。
(親をおだてて意のままにするのが彼女の得意技)

・・・と、そのまま先生にバレることなく4ヶ月が過ぎた。

それが・・だ。
昨日、クラスの誰かが先生に告げ口をしたらしい。
早速放課後先生に呼び出され、結んだ髪の中からエクステを引っ張り出された。

「明日すぐ取ってきなさい!! 」
と、即、注意されたそうだ。

が、長女は従わず、先生にこう言ったそうだ。
「エクステのどこがいけないのですか?学校ではきちんと結んでいます。だらしいないことも見苦しいことも全くしていません。校則にも載っていません。どうしてこれがいけないのかはっきり説明して下さい。納得できる理由が無い限り、取りません」

な〜るほど・・・

確かにエクステ禁止とは校則には載ってない。(そもそもそんなものが流行るなんて予見してない。)
髪を染めたり脱色するのは禁止だが、長女は黒。当然エクステも黒。

きっちり髪を結んでいるのだから、シャツ出しや超ミニのような見苦しい校則違反とは全然違う。
どこから見ても、とても上品な普通のお嬢様(?)だ。

こうなると、「アデランスだったらどうなんだ?」という新たな疑問も湧いてくる。
髪を足すのがいけないのなら、スキンヘッドはいいのか??

この新しく出現したアイテム、エクステ。
長女の「納得できる理由が無い限り、取りません」発言のため、近々職員会議が開かれることになったらしい。

とりあえず、私の彼女への助言は、
「自分が間違っていないと思うのなら、納得がいくまで話し合えばいい。でも、絶対に感情的になってはダメだよ。感情的になったら絶対に負けるから。きちんと論理的に筋を通すことが大切だよ」

ふと、以前の携帯没収事件を思い出す。

まあ、勝っても負けても、きっと良い経験になるだろな。
(と、達観する、いけない親)

   (結果はこちらへ続く)

2006/1/30  16:11

こんな日もあり・・か??  子育てネタ

昨夜、中一の次女が39度近くの熱を出した。
次女は、
「あ〜どうしよ〜・・明日1時間目だけ出てもいい?」
と嘆願。

「ほう、好きな科目なのかい?」
「違う。数学」

「へえ〜〜〜、発熱を押してまで受けなきゃいけない重要な授業なんだ?」
「いや、全然」

????

「オキベンばれたら、数学の先生に叱られるぅ〜〜〜〜〜〜」

※オキベン〔置き勉〕
 学校の机の中に、教科書・ノートなど、勉強道具一式を置いていくこと。
 主に、家で勉強しない子・重いカバンが苦痛な軟弱な子が使う単純な技。

「ばれないように高熱でも学校行かなきゃならないなんて、オキベンも命がけだね。でも、登校願いは当然却下!! おとなしく休んで明日は朝から病院行くべし!! 」

・・・というわけで、明けて今日は朝から病院へ。

こんな日は出社も諦めねば・・溜まった仕事が更に溜まって、ガラガラ音を立てて崩れ落ちそうだ・・・

幸い熱は落ち着いてきた。
インフルエンザかどうかは、今の時点ではまだわからないと病院では言われたが・・・

夕方、クラスの友達が連絡物を持って来てくれた。
今日の分のノートまでとってくれている。

「いい友達だねぇ〜〜」
「えへへへ・・・」

なんだかよくわからないけど、仕事をサボって次女の病気に付き合った一日、これはこれでまた良い一日だったような・・・

(でも、明日は学校へ行っておくれ。)←母、心の叫び

2006/1/29  20:22

「手鏡・スカート・覗き見」からの脱却  記事・ニュースから思うこと

ここのところ、耐震偽造やら、ホリエモンやら、一夫多妻男やら・・とにかくトップ記事が目白押しだ。
また関連記事も膨大な量に達している。
そのため、それらの影に隠れ、あまり広く知れ渡らないままに消えていく記事もさぞかし多いに違いない。

そんな中、ふと目に付いた小さな記事があった。

「植草一秀氏が教壇に復帰へ」

植草氏といえば、「手鏡・スカート・覗き見」の三つのキーワードで、即思い出すことが出来る、元早稲田大学大学院教授(45歳)だ。
東京都迷惑防止条例違反で、有罪が確定している。

その氏が、4月から、名古屋商科大学大学院の客員教授として再び教壇に立つというのだ。
「国家の経済戦略」などをテーマに、社会人大学院生対象の週末集中講義を担当するそうだ。

事件は2004年4月8日JR品川駅高輪口の上りエスカレーターで起こった。
手鏡で女子高生のスカートのなかを覗いていたとして神奈川県鉄道警察隊に東京都迷惑防止条例違反容疑で現行犯逮捕されたのだ。

これにより、氏は大学教授の職を失うが、一旦認めた罪をその後、「天地神明に誓って無実である」と犯行を否認していた。

最終的に東京地裁は2005年3月23日、罰金50万円、手鏡1枚没収(求刑懲役4カ月、手鏡1枚没収)の判決を言い渡している。

氏の経歴は実に華々しい。
都立両国高校出身。東京大学経済学部卒業後、野村総合研究所に入社。大蔵省財政金融研究所研究官、京都大学経済研究所助教授、スタンフォード大学フーバー研究所客員フェロー、野村総合研究所主席エコノミストなどを経て、2003年4月から早稲田大学専門職大学院公共経営研究科教授。

2002年に「現代日本経済政策論」で石橋湛山賞受賞。
テレビ番組にもコメンテーターとして出演しており、お茶の間でもよく知られていた。(参照:はてなダイアリー)

そして、今回ひっそりと(?)、客員教授として復帰するのだ。

目白押しの前述トップ記事が無かったなら、もしかしたらもっと大きく取り上げられていたかもしれない。
が、人道的にはどう考えたら良いのだろう。

一応、一旦教授から退いて、世間の好奇の目にもさらされ社会的制裁は十分受けたのだから、もうそろそろ社会復帰しても良いと考えるべきか?

一方、最初からこの事件は冤罪であるとの見解もあり、氏の支援者が多く存在するのも事実。

名古屋商科大学大学院の早川京子事務局長は「植草氏の実績や能力をこのまま埋没させてしまうことは社会的損失。本人も熟慮の上、再起の場として活動できるチャンスととらえて決心した」と話しているそうだ。

確かに能力のある人物なのだろうけど・・

となると、あの事件は一体なんだったのかと不思議に思う。

「手鏡・スカート・覗き見」・・・

氏をハメるために誰かが用意した舞台とはなかなか考えにくいのだが、少なくとも人を教え導く高貴な立場の教授として、今後その事件を見事に覆すぐらいの威厳ある働きをして頂き、私達を充分納得させて欲しいものだと思う。

2006/1/28  15:43

倖田來未から得た真理  言葉に想いを込めて

今日明日は休日なのですが、在宅勤務にしようと仕事をたっぷり持ち帰ってきました。
とにかく溜まっているのです。決算資料の作成が、山のように・・。

が、これがまた自宅ではなかなか集中できない。
ま、最初から予想はしていたことですが・・。

集中できない頭というのは、大概どうでも良いことを考えているものです。

今も、どうでも良いことを考えていました。
考えようによってはどうでも良くないことかもしれませんが・・・

このごろ流行りの女の子♪倖田來未さんをTVで何気なく見ておりました。

彼女の衣装の露出度の高さは言わずもがなですがな。

さて、なぜに彼女はあのように露出するのでしょうか。

答えは簡単。
彼女のボディが類稀な魅力を持っているからです。

ここからが本題です。

人間は本能として、自分の悪い部分は隠し良い部分は見せようとします。
特に女性の場合、一般的にどうしても外見的な部分に重点を置かれてしまう傾向が強いので、そういったことがより顕著になります。

目に自信がある人は目力を強調し、耳の形に自信がある人は耳を出し、おでこに自信がある人はおでこを出し、足に自信がある人はミニスカートをはき、腕に自信がある人はノースリーブを着て、ヒップラインに自信がある人はピッタリフィットのジーンズで決め、髪に自信がある人は長く風になびかせ・・・

それぞれきっとどこか、自分なりに気に入っているポイントというのはあるものです。

が、しかし・・しかしですよ・・・

もしも、もしも、もしも、もしも・・・

決して人目につかない部分、人目にさらしてはいけない部分に自信がある人は・・・

このような人は一体どうしたらよいのでしょう。

顔とか手足とか、普通にさらけ出せる部分はものすごく醜いのだけど、絶対に見せてはいけない部分だけがものすごく魅力的な人は・・・

きっといらっしゃるはずです。そのような方が。

美しさのポイントがずれてしまったのは運命と諦めるしかないのか・・・
その類稀な、見せることの出来ない魅力は、一生封印されたまま終わってしまうのか・・・

そう考えると、「外見の美しさ」なんてのは、もしかしたらあまり意味のないことなのかもしれません。
見える部分にだけ惑わされていたのでは、隠された部分に潜む本当に美しいものに、一生気付くことができないわけですから。

つまり、見える部分が醜いからといって、全てが醜いとは限らないのです。
若き男性諸氏よ、女の子を、単に見える部分だけで選んでしまってはいけません。
もしかしたら、見えない部分に素晴らしい美しさが・・そしてその美しさは、見えないがゆえに、それを選んだあなただけのものとなるのです。これってとても素敵なことでしょう?

・・・って、また馬鹿なことをアップしてしまいました・・・

はよ仕事しよ・・・

2006/1/27  22:28

「ソッコウ」の悟り  言葉に想いを込めて

最近ちょっと悟った。

今までの自分は、時間の使い方が極端に下手だった。
早い話が、能率が悪いということで・・
何をやるにも結構だらだらしている。
シャッキリ感が無いというか・・テキパキしていないというか・・・
が、一見のんびりしているようで、実は心の中では焦りまくっているのだ。
その結果、脳内、常に時間不足感が存在している。

つまり・・もっと早い話が、「能力の無い人」そのものということである。

なぜ自分はこうも無能なのか。
何かここから脱却できる妙案はないものか・・と、いろいろ考えてみた。

そしたら・・ある日パッとひらめいた。
それは、こうだ。

「今日できることは今日やる」

当たり前といえば当たり前。
多分、私以外の方々にとっては至極当然なことで、すでに実行中のことに違いない。

でも、私はこれが出来ていなかった。

「今日できるけど、明日でもいいものは明日やる」

これが今までの私だった。

「明日できる。あさってでも良い。明々後日でも・・」

などと言っているうちに、一週間があっという間に過ぎ去る。

こんなことをやっているから能率が落ちる。能力も落ちる。(ついでに器量も落ちる。)

「今日できることは今日やる」
「今できることは今やる」

何事も、即行で速攻すれば即効なのだ。

ああ、この同音異義語、なんだかシャッキリする。テキパキ感がある。

「ソッコウ」

これが、これからの私のキーワードだ!
これぞ悟りだ、悟り。

しかし・・・
即行で速攻といっても、くれぐれも慌て過ぎてはいけない。

にわか仕込みの悟りでは、
「側溝」に落ちかねませんから〜

(完璧に滑ったか?)

2006/1/26  22:23

闘病記の意義  

今回、幸いなことに当ブログが闘病記に変身することはなかったのだが、いろいろ考えたことがある。

「闘病記」・・・世の中にたくさん出版されている。

私も何冊か過去に読んだが、とにかく内容が壮絶だ。

私がベッドから起き上がることが出来ずに携帯からアップした1月21日〜23日。
実はこのとき、あんな短い文章とはいえ、次々と襲ってくる吐き気から、とても一度には入力できず、一節づつ何回にも分けてようやくアップしている。
で、そのとき考えた。

「なんで、こんなに辛いのにわざわざこんなことしてるんだろう」
「おとなしく寝ていればもっと楽なはずなのに」

でも、どうしても・・短くてもいいから、リアルタイムの自分を残しておきたいと思った。
たった一行でもいいから。

そして同時に、過去に読んだたくさんの闘病記を思い出していた。

どれも、究極の状況の中で記されている。

例えば、

「痛みを無くすため、強い麻酔を使っている。だが、そのため眠気が強くなり、意識をはっきりさせるために、さらに眠気ざましの薬を飲む。最後の力をふりしぼり、少しでも本の原稿を書き進めようとあせるため、薬の量がふえてくる。そのせいで、とうとう中毒症状をおこしてしまったようだった。」
(『涙のアンパンマン・マーチ』 原島久美子 著 より)

とある。

吐き続けて、食べ物も飲み物も一切受け付けられなくなっても書く。
吐血しても書き続ける。

その原動力は一体何なのだろう。

残した家族のため、病気と闘う人々を励ますため、自分自身のため、自分が生きたという確かな証を残すため・・・

自分の命を削ってまでも書き続ける意味とは何なのだろう・・・

伝えずにはいられない命の叫びなのだろうか・・・

以前、当ブログで、
「医者が末期がん患者になってわかったこと」についてアップしたが、やはりそこにも究極の命の叫びが存在していた。

それらを読んで思うことは、
元来人間は、「生きるために生きている」のではないかということだ。 

人間は、本当は、死のうと思えばいつでも自分で死ぬことができる生き物だ。
辛ければ死ねばいいんだ。
適当な道具もある。薬もある。

でも、それら闘病記の中に存在するのは、「死ぬ姿勢」ではなく、「生き抜く姿勢」だ。
この世に生かされている人間として、「最後まで生き抜く」という本来の姿を、強烈に見せてくれている。

どんなに才能ある作家でも、それらにかなう小説など、決して書けないであろう。

※    ※    ※    ※

「涙のアンパンマン・マーチ」原島久美子 著(書苑新社)
1995年発行(33歳 スキルス性胃癌により1994年7月11日 亡くなる)

本との出逢いというのは、いつも不思議なもので、
この本との出逢いも、偶然というより、当時子育て真っ最中の私にとっては、むしろ、必然と言えるものだったかもしれない。

出逢いのきっかけは、極々小さな雑誌広告だったが、気になってすぐに書店へ行き、取り寄せてもらったものだ。

今まさに育児の真っ只中で悩める日々、肉体的にも精神的にも大変な思いの日々を過ごしておられる若いお母さんお父さん方を始め、これから育児に取り組む予定のご夫婦など、特にお薦めしたい。

如何に自分の悩みがちっぽけなことか、慌しく騒々しい毎日の中でも、子供たちと過ごせる時を与えて頂いていることがなんとありがたいことかと、感謝せずにいられない。

また、育児の時期はどうしても子供のことばかりに気を取られ、自分自身のことは後回しにしてしまうが、お母さん自身の体が健康であることは、何ものにも代え難い宝である。
早期発見、早期治療の大切さも教えてくれる一冊である。

2006/1/25  22:05

他人の痛みを理解できる幸せ  恐怖・悲哀体験

朝、普通にベッドから起き上がることが出来る。

ただこれだけのことなのに、とても嬉しい。

立ち上がる、歩く、階段を下りる・・・

長女のお弁当を作る。
夫のお弁当を作る。
自分のお弁当を作る。

いつも通りの朝だ。

久しぶりにお化粧をする。
3日間も寝ていたのだから、チャン・ツィイーぐらいになれたかと期待したが、それは無かった。(当たり前か・・)

出社。

随分久しぶりのような気がする。

デスクトップとノートPCを立ち上げる。
溜まった書類に目を通す。

どれからやろうか・・・

やはり脳みそがまだ活動を停止しているようだ。
余り良い考えが浮かばない。
浮かばないなら、地道にひとつずつやっていくしかないか・・

脳が働かないと、余計な焦りも感じないようだ。
まあ、その方がいい。

なんだか全てに寛容な気分だ。

命拾いをしたような。

診察を受けたのは「脳神経外科」だった。
体の具合が悪くなって検査を受けるとき、人は2種類に分けられる。

タイプ1、最悪の場合を考える
タイプ2、どうせ大したこと無いとタカをくくる

私はいつもタイプ1だ。

イメージするのは、入院⇒手術⇒失敗⇒死

なんて悲観的な性格なのだろう。

でも、初めから最悪の場合を覚悟しておかないと、本当に最悪な場合に陥ったときに、事実を絶対受け止めることが出来ない弱い自分が発露してしまうのは明白だ。

たとえば・・・
本田美奈子. さんは、どうせ風邪ぐらいだろうの軽い気持ちで検査を受けてあのような結果になってしまった。
彼女は最初、検査結果を聞いて泣き崩れたが、病気と闘う決心をし、そして見事に最後まで闘い抜いた。
本当に素晴らしい闘いぶりだった。

神様は、その人に耐え得るだけの困難や苦難しか与えないというが、つまり、素晴らしい人であればあるほど、与えられる困難は大きいということなのか。

今回、神様が私に与えて下さった検査結果は、
「異状なし」だった。

もしかしたら、脳腫瘍があったって、脳出血があったって、それはそれで決して可能性が全く無かったわけではない。

でも、やはり私にはまだまだそのような大きな困難は受け止めることが出来ない。
神様はそう判断して下さったのだ。

本当にまだまだ未熟で弱い人間だ。
自分でもそう思う。

人間は、病気や苦しみ、悩みや悲しみを経験すればするほど、人に優しくなれる。
そんな気がする。

痛みを経験した人は、他人の痛みも理解できるからだ。

順風満帆な人生は確かに幸せかもしれないけれど、
人の痛みを理解できる優しい心を持てることの方が、本当はもっともっと幸せなことなのかもしれない。

そんな幸せに、少し近付けたような気がする。

2006/1/24  10:57

ぼやぼや  恐怖・悲哀体験

今日は結局仕事を休むことになった。

会社自体が休みになったのだ。
この雪では全く仕事にならんとのことで。
こんな日は、稼動すればするほど経費がかかるのみである。

夫は、
「もう会社なんて行きたくない〜」
とか言っている。
おいおい、社長さん、そんなこと言っちゃっていいんですか?
と思うが、これは日頃からの彼の口癖。

私の方は、現場が動いていようがいまいが関係なく、処理する事務は容赦なく溜まっていく。
これはこれで、また恐怖だ。

しかし、根性がイマイチ出ないのも事実・・・

昨夜も夜中にぐるぐるが始まってちょっと焦った。
処方薬も無く、ただ休んでればいいというのも、なんだか心もとない。

多分、対処療法で薬を出せば、治ったと思って無理するのが目に見えているから、変に薬で誤魔化すよりは、結果的には自分の体に素直に従っていた方がいい・・ということなのだろう。

何となくぼんやりした頭で、溜まった洗濯物などを処理している。

たまにはいいか〜〜〜、焦ってもしょうがない。

2006/1/23  17:17

ぐるり 3  恐怖・悲哀体験

朝。外は吹雪だ。

ああ、病院なんて行けるのだろうか・・

実は、昨夜は一晩中、病院へ行くまでの段取りを考えていた。

ぐるぐるぐるぐる思考と共に、頭も回る。

ダメだ!最悪の場合、救急車だ!

いや待てよ。
うちの階段、狭いから担架は使えんぞ。
となると、一階で寝ていた方がいいのか?
いや、いかん!
一階は散らかっておる。

ああ、やっぱり救急車は却下だ。

・・・なんてことを考えつつ迎えた今朝。

とにもかくにも自力で行くしかない。

こんなときに、暖かい心の方々の励ましって、なんて力になるのだろう。
心配して下さる方の声が背中を後押しして、何とかベッドから起き上がり、
のそりのそりと準備して、病院へ辿り着くことができた。
お会いしたことも無いのに、こんなに偉大な力を私に与えて下さる・・・
本当に感謝だった。

最悪の場合も考えていた検査結果だが、脳腫瘍も脳出血も無く、異状なしとのこと。
メニエール病でもなく、過労による良性の突発性めまいとのことだった。
処方薬も無く、ただひたすら休むのが一番の良薬だと言われた。

現在は軽いめまいと頭痛が残っているが、徐々に治まってくることだろう。

とにかくこの時期は毎年体調を崩すのが習わしのようで・・・
決算書類をまとめる時期だからなのか、やはり気が重い。

明日からまた張り切って仕事を・・と言いたいところだが、
そろそろ手抜き法を身に付けなくてはとも思っている。

ぐるぐるはもう御免だ。

心配して下さった皆様、本当にありがとうございました!!
とてもとても大きな力を頂きました!!

2006/1/22  19:45

御礼と御詫び  恐怖・悲哀体験

励ましやお見舞いなど、嬉しいコメントありがとうごさいます!

携帯から読ませて頂いておりますが、携帯からの返信が上手く行きません。

PC前に復活でき次第、是非お返事させて頂きたいと思っております。

本当に元気がでます!
感謝です!!

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