2006/7/31 22:26
癌との闘い(父の場合) 37、経過 両親のこと
仕事帰りに少し実家に寄ってみた。
既に遅い時間だったので、ほんの十分程度ではあったが。
今日は吐いてしまったそうだ。
食事が腫瘍に引っかかって上手く通らず、苦しくて吐いてしまったとのことだった。
抗癌剤の休止期間のため、私自身は気分的に軽くなっていたのだが、やはり病人の辛さに休みは無いようだ。
いよいよ明日から八月。
今年はまだ、猛暑といった気配が少ない。
それが、体力の無い父にとってせめてもの救いか。
既に遅い時間だったので、ほんの十分程度ではあったが。
今日は吐いてしまったそうだ。
食事が腫瘍に引っかかって上手く通らず、苦しくて吐いてしまったとのことだった。
抗癌剤の休止期間のため、私自身は気分的に軽くなっていたのだが、やはり病人の辛さに休みは無いようだ。
いよいよ明日から八月。
今年はまだ、猛暑といった気配が少ない。
それが、体力の無い父にとってせめてもの救いか。
2006/7/30 21:25
平常という幸せ 心と体
ようやく気分的に少し落ち着いて、ハッと気付けば締め切り間近に迫った仕事の山。
仕方なく、昨日今日と、自宅に仕事を持ち帰り、家事の合間に書類と格闘しておりました。
私の隣に、中2次女が、同じく宿題の山を抱えてやって来ました。
二人、ひとつのテーブルで頭を寄せ合い、難問に呻(うな)ってみたり、脱線して大笑いしたり、励まし合ったり、邪魔し合ったり・・・
なんだか久しぶりに味わったような、穏やかで幸せな時間でした。(仕事の山を片付けるのは大変でしたが・・)
特別なご褒美なんて何もいらない、ただ穏やかな時が流れていてくれれば・・
「平常こそが、極上の幸せ」
と、感じた素敵な休日でした。
仕方なく、昨日今日と、自宅に仕事を持ち帰り、家事の合間に書類と格闘しておりました。
私の隣に、中2次女が、同じく宿題の山を抱えてやって来ました。
二人、ひとつのテーブルで頭を寄せ合い、難問に呻(うな)ってみたり、脱線して大笑いしたり、励まし合ったり、邪魔し合ったり・・・
なんだか久しぶりに味わったような、穏やかで幸せな時間でした。(仕事の山を片付けるのは大変でしたが・・)
特別なご褒美なんて何もいらない、ただ穏やかな時が流れていてくれれば・・
「平常こそが、極上の幸せ」
と、感じた素敵な休日でした。
2006/7/29 11:01
癌との闘い(父の場合) 36、感謝 両親のこと
父の調子が落ち着いているとはいうものの、脳梗塞の前例とその再発の危険性があるので、ここのところ夜になると、一日が無事に過ぎようとしていることに感謝すると共に、まだまだ深夜も油断がならないという気分にもさせられる。
「救急車で病院へ運ばれた」
という電話がくる予感に、いつの間にか怯(おび)えている自分に気付く。
そうやっていつも最悪の状況を思い浮かべて予行しておかないと、それが現実になったとき、即座に対応できないような気がしている。
・・・・・・・・
ところで今回、父の癌再発に際し、不安な気持ちいっぱいでいろいろと綴ってきましたが、そのようなつまらない内容にもかかわらず、毎回読んで下さっている皆様、そしてまた、暖かい励ましや、応援メッセージなどを送って下さる皆様には、本当にいつも助けて頂いております。
父が現在何とか無事に過ごさせて頂いているのも、皆様のお陰だと思っております。
本当にありがとうございます!
「救急車で病院へ運ばれた」
という電話がくる予感に、いつの間にか怯(おび)えている自分に気付く。
そうやっていつも最悪の状況を思い浮かべて予行しておかないと、それが現実になったとき、即座に対応できないような気がしている。
・・・・・・・・
ところで今回、父の癌再発に際し、不安な気持ちいっぱいでいろいろと綴ってきましたが、そのようなつまらない内容にもかかわらず、毎回読んで下さっている皆様、そしてまた、暖かい励ましや、応援メッセージなどを送って下さる皆様には、本当にいつも助けて頂いております。
父が現在何とか無事に過ごさせて頂いているのも、皆様のお陰だと思っております。
本当にありがとうございます!
2006/7/28 21:55
癌との闘い(父の場合) 35、余命宣告 両親のこと
父の誕生日は8月末である。
今回の癌再発で、もう手術の手立ては無いと主治医から告げられた時、真っ先に想像したのが、この誕生日を父がどのような状態で迎えているのだろうかということだった。
いや、もしかしたら迎えることなどできないのではないか、とも思った。
前回、胃全摘手術を受けるかどうかを迷っていた時、
「この手術を受ければ、かなり高い確率で助かりますが、もし受けなかったら、1年は持ちません」
と、主治医からはっきり言われた。
が、今回は、
「もしこの抗癌剤治療を受けなかったら」
というような余命宣告を受けていない。そこから、この治療が他に手段の無いダメ元の治療なのだといったようなニュアンスを感じ取っていた。
上手くいくのか行かないのかは、やってみないとわからない。
だから、余命宣告も出来なかったのだろう。
こうして1クール目を何事も無く終えられたということで、もしかしたら誕生日も無事に迎えられるのではないだろうか、といったような希望が、おぼろげながらも湧いてくる。
いずれにしても、もう何年も命の猶予を与えられているとは思い難い。それは、父自身が一番よくわかっているのだろうけど・・。
しかし、やはり余命宣告は受けたくない。
あまりにもダメージが決定的過ぎるから・・
そうなった時でも、果たして父は前向きに闘えるのだろうか?
いや、その前に、母がとことん悲観して参ってしまうだろう。
でも、いつかきっと余命宣告を受ける日がやってくるのだろうな・・
だからこそ、なおさら今に感謝したい。
今回の癌再発で、もう手術の手立ては無いと主治医から告げられた時、真っ先に想像したのが、この誕生日を父がどのような状態で迎えているのだろうかということだった。
いや、もしかしたら迎えることなどできないのではないか、とも思った。
前回、胃全摘手術を受けるかどうかを迷っていた時、
「この手術を受ければ、かなり高い確率で助かりますが、もし受けなかったら、1年は持ちません」
と、主治医からはっきり言われた。
が、今回は、
「もしこの抗癌剤治療を受けなかったら」
というような余命宣告を受けていない。そこから、この治療が他に手段の無いダメ元の治療なのだといったようなニュアンスを感じ取っていた。
上手くいくのか行かないのかは、やってみないとわからない。
だから、余命宣告も出来なかったのだろう。
こうして1クール目を何事も無く終えられたということで、もしかしたら誕生日も無事に迎えられるのではないだろうか、といったような希望が、おぼろげながらも湧いてくる。
いずれにしても、もう何年も命の猶予を与えられているとは思い難い。それは、父自身が一番よくわかっているのだろうけど・・。
しかし、やはり余命宣告は受けたくない。
あまりにもダメージが決定的過ぎるから・・
そうなった時でも、果たして父は前向きに闘えるのだろうか?
いや、その前に、母がとことん悲観して参ってしまうだろう。
でも、いつかきっと余命宣告を受ける日がやってくるのだろうな・・
だからこそ、なおさら今に感謝したい。
2006/7/27 22:08
癌との闘い(父の場合) 34、気の力 両親のこと
父は幸い調子が良いらしい。
明日からは、おかゆではなくてご飯を食べてみようかなんて言っている。
自転車で、近所の用事にも出かけたらしい。
勿論、全て無理は禁物なのだが・・
すっかり高齢社会が定着してしまった状況の中、以前は「一病息災」などと言っていたものが、最近では「多病息災」と化しつつあるようだ。
医学の進歩により、昔ならば、即、命取りだったような病気でも、現代では、上手く行けば何とかそれらの病気と慢性的に仲良く付き合いながら生きる道が用意されている。
本当にありがたいことだ。
ありがたいことではあるが、その「多病息災」と上手く付き合うには、それなりの「気」が必要であろう。
気の力、すなわち、「気力」が無ければ、この長きに渡る多病と仲良く暮らすことなど出来ない。
ただでさえ老化と共に低下していく気力を、病気に対抗し続けるまでのレベルに上げることができる原動力とは一体なんなのだろう。
今後も、両親を見守りつつ、探っていきたい。
明日からは、おかゆではなくてご飯を食べてみようかなんて言っている。
自転車で、近所の用事にも出かけたらしい。
勿論、全て無理は禁物なのだが・・
すっかり高齢社会が定着してしまった状況の中、以前は「一病息災」などと言っていたものが、最近では「多病息災」と化しつつあるようだ。
医学の進歩により、昔ならば、即、命取りだったような病気でも、現代では、上手く行けば何とかそれらの病気と慢性的に仲良く付き合いながら生きる道が用意されている。
本当にありがたいことだ。
ありがたいことではあるが、その「多病息災」と上手く付き合うには、それなりの「気」が必要であろう。
気の力、すなわち、「気力」が無ければ、この長きに渡る多病と仲良く暮らすことなど出来ない。
ただでさえ老化と共に低下していく気力を、病気に対抗し続けるまでのレベルに上げることができる原動力とは一体なんなのだろう。
今後も、両親を見守りつつ、探っていきたい。
2006/7/26 20:58
癌との闘い(父の場合) 33、無事 両親のこと
1クール目が終わってしばらく抗癌剤が休止されるのは、実にありがたい。
ここまで随分長かったような気がする。
が、当初、あれこれ心配していたことがウソのようだ。
私の朝の憂鬱感や絶望感も、かなり和らいできた。
人間の心理状態と現実には、何か目に見えない相関関係が存在しているような気がする。
あることに対し、予め大きな危惧の念を抱いていると、意外と現実はあっさり過ぎ去っていったりする。
一方その逆に、別に大したことは無かろうなどと安閑としていると、思いのほか厳しい現実が待ち構えていたりする。
そういえば以前、父が突然脳梗塞を起こし救急車で運ばれた時、周りの誰もが全くそれを予想をしていなかった。胃全摘に向けて決心し、入院日も決まり、ホッとした隙間に起きた出来事だった。
そう考えると、今回も無事に1クール目が終わったからといって、決して安閑とはしていられないような気にさせられる。
極端に言えば、いつも最悪の事態をイメージしている方が気楽・・なのである。
常に最悪の事態を思い描いておれば、一日一日の無事が、とても感謝に感じられる。
「無事」とは、その文字の通り、「事が無い」ということ。
何事も無い無事な日々のありがたみが、心に沁みる。
ここまで随分長かったような気がする。
が、当初、あれこれ心配していたことがウソのようだ。
私の朝の憂鬱感や絶望感も、かなり和らいできた。
人間の心理状態と現実には、何か目に見えない相関関係が存在しているような気がする。
あることに対し、予め大きな危惧の念を抱いていると、意外と現実はあっさり過ぎ去っていったりする。
一方その逆に、別に大したことは無かろうなどと安閑としていると、思いのほか厳しい現実が待ち構えていたりする。
そういえば以前、父が突然脳梗塞を起こし救急車で運ばれた時、周りの誰もが全くそれを予想をしていなかった。胃全摘に向けて決心し、入院日も決まり、ホッとした隙間に起きた出来事だった。
そう考えると、今回も無事に1クール目が終わったからといって、決して安閑とはしていられないような気にさせられる。
極端に言えば、いつも最悪の事態をイメージしている方が気楽・・なのである。
常に最悪の事態を思い描いておれば、一日一日の無事が、とても感謝に感じられる。
「無事」とは、その文字の通り、「事が無い」ということ。
何事も無い無事な日々のありがたみが、心に沁みる。
2006/7/25 21:34
癌との闘い(父の場合) 32、抗癌剤点滴(2) 両親のこと
私が病院に着いた時、父は既に主治医からの問診を受けている最中だった。
父が、
「お陰様で、今のところ特に目立った副作用は無いようです」
と言うと、
「そうでしょう。だから大丈夫と言ってたんですよ。抗癌剤と言っても、そんなに恐れることは無いんですよ、安心して治療を受けてくださいね」
と、主治医はにっこり笑っておっしゃった。
問診の後、血圧測定、そして前回と同じく、抗癌剤ランダ30分、生理食塩水15分の点滴。(生理食塩水は、血管などに留まった抗癌剤を洗い流すためだそうだ)
父はもうすっかり慣れたようで、前回に比べ、かなりリラックスしている様子。
最近の体調は、わりと良いらしく、練習していた自転車にも、また何とか乗れるようになったとのこと。また、食事に関しても、以前のような食べ物の引っかかり感が幾分和らいだようで、先日は、おかゆではなくて、ちょっと普通のご飯を試しに食べてみたら大丈夫だったなんて言っている。(主治医からはおかゆを指定されているのだが)
とにかく、表情が随分明るくなった。
人間というのは、こんなになってもちゃんと生きることができるのだ。最後の最後まで、絶対に希望を捨てない生き方というのを、今、父に教えて貰っているような気がする。
できることならこのまま上手く治療が進んで、少しでも楽になってくれたら・・と思う。
今日の点滴で、1クール目が終了。
今後2週間は抗癌剤の服薬も休止される。
抗癌剤の連続投与は、健康な細胞にまでダメージを与えてしまうので、こうした休止期間が設けられる。
次回、2クール目の開始は、8月15日の予定。
父が、
「お陰様で、今のところ特に目立った副作用は無いようです」
と言うと、
「そうでしょう。だから大丈夫と言ってたんですよ。抗癌剤と言っても、そんなに恐れることは無いんですよ、安心して治療を受けてくださいね」
と、主治医はにっこり笑っておっしゃった。
問診の後、血圧測定、そして前回と同じく、抗癌剤ランダ30分、生理食塩水15分の点滴。(生理食塩水は、血管などに留まった抗癌剤を洗い流すためだそうだ)
父はもうすっかり慣れたようで、前回に比べ、かなりリラックスしている様子。
最近の体調は、わりと良いらしく、練習していた自転車にも、また何とか乗れるようになったとのこと。また、食事に関しても、以前のような食べ物の引っかかり感が幾分和らいだようで、先日は、おかゆではなくて、ちょっと普通のご飯を試しに食べてみたら大丈夫だったなんて言っている。(主治医からはおかゆを指定されているのだが)
とにかく、表情が随分明るくなった。
人間というのは、こんなになってもちゃんと生きることができるのだ。最後の最後まで、絶対に希望を捨てない生き方というのを、今、父に教えて貰っているような気がする。
できることならこのまま上手く治療が進んで、少しでも楽になってくれたら・・と思う。
今日の点滴で、1クール目が終了。
今後2週間は抗癌剤の服薬も休止される。
抗癌剤の連続投与は、健康な細胞にまでダメージを与えてしまうので、こうした休止期間が設けられる。
次回、2クール目の開始は、8月15日の予定。
2006/7/24 21:12
癌との闘い(父の場合) 31、父の心遣い 両親のこと
お昼過ぎ、いきなり父から電話があった。
会社に掛けてくるなんて初めてだったので、とても驚いた。
「明日は病院にタクシーで行くから気にせんでいいぞ」
というような内容だった。
私の仕事の邪魔にならないようにという父の心遣いだ。
明日はなんとか一人で行って来ると言う。
父がわざわざ会社にまで掛けてくるということは、相当な決意あってのことだろう。
それと、その発言から、現在激しい副作用の出現も無く、なんとか気力が出てきたような様子も窺える。
が、父は耳が少し遠く、時々、医師や看護師さんのおっしゃることが聞き取れないことがある。先日も、薬に関する肝心なことを聞き逃していたようで、おやっと思うことも何度かあった。
ここはひとつ、父の気力や思いやりを損なわないよう、行きはタクシーで行って貰って、私は少しあとから病院へ寄って付き添い、終了後はそのまま一緒に送って帰ることにしよう。
父も周りも随分副作用を心配していたが、今回はまだ目立った変化も無いようなので、初回に試したTS−1よりは、父の体質に合ってるのかもしれない。
抗癌剤の副作用は、最初のうちは大丈夫でも、治療回数を何回か重ねた頃に突然現れるケースもあったりと様々なので、今のところなんとも言えないが、少なくとも、父の抗癌剤に対する恐怖心が薄らいできていることだけは確かなようだ。
このまま何事も無く上手く治療効果が現れてくれれば・・と祈るばかり。
会社に掛けてくるなんて初めてだったので、とても驚いた。
「明日は病院にタクシーで行くから気にせんでいいぞ」
というような内容だった。
私の仕事の邪魔にならないようにという父の心遣いだ。
明日はなんとか一人で行って来ると言う。
父がわざわざ会社にまで掛けてくるということは、相当な決意あってのことだろう。
それと、その発言から、現在激しい副作用の出現も無く、なんとか気力が出てきたような様子も窺える。
が、父は耳が少し遠く、時々、医師や看護師さんのおっしゃることが聞き取れないことがある。先日も、薬に関する肝心なことを聞き逃していたようで、おやっと思うことも何度かあった。
ここはひとつ、父の気力や思いやりを損なわないよう、行きはタクシーで行って貰って、私は少しあとから病院へ寄って付き添い、終了後はそのまま一緒に送って帰ることにしよう。
父も周りも随分副作用を心配していたが、今回はまだ目立った変化も無いようなので、初回に試したTS−1よりは、父の体質に合ってるのかもしれない。
抗癌剤の副作用は、最初のうちは大丈夫でも、治療回数を何回か重ねた頃に突然現れるケースもあったりと様々なので、今のところなんとも言えないが、少なくとも、父の抗癌剤に対する恐怖心が薄らいできていることだけは確かなようだ。
このまま何事も無く上手く治療効果が現れてくれれば・・と祈るばかり。
2006/7/23 22:53
癌との闘い(父の場合) 30、させて頂く 両親のこと
25日に予定されている二回目の抗癌剤点滴の付き添いに行けるよう、この土日は少しのんびりして、風邪を完全に治しておこうと企んでいたのだが、二日間とも早朝より高2長女のバスケ試合送迎に駆り出されてしまった。
子供というのは、なんと容赦無いことか・・
でも、その子供たちのお陰で、親の気持ちも感じ取ることができるのだと思えば、これもまた感謝である。
あと40年、もしも生きていたなら、私は父と同じ年齢になる。
今はまだ、その時のことなど全く予測は出来ないが・・
でも、もしも、もしも、生きていたなら、
自分の子どもたちも、同じようにいろいろと悩むのだろうか。
そう考えると、何となく哀しくもある。
子供には一切迷惑を掛けたくないからと、自ら施設に入ることを希望している高齢者も最近は少なくない。
考え方は個人個人、様々あるとは思うが、子供が日々の生活の中で、親の愛情をしっかり感じ取ることができていればいるほど、高齢で弱り行く自分の親に対して、「恩返しをさせて頂く好機」と捉えることができるのではないかと思う。
過去に遡れば、親に対する嫌悪感や憎悪感を抱いた時があったことも否めないのだが、感謝の気持ちは、それらを相殺しても余りある。
それが、親子というものなのだろう。
子供というのは、なんと容赦無いことか・・
でも、その子供たちのお陰で、親の気持ちも感じ取ることができるのだと思えば、これもまた感謝である。
あと40年、もしも生きていたなら、私は父と同じ年齢になる。
今はまだ、その時のことなど全く予測は出来ないが・・
でも、もしも、もしも、生きていたなら、
自分の子どもたちも、同じようにいろいろと悩むのだろうか。
そう考えると、何となく哀しくもある。
子供には一切迷惑を掛けたくないからと、自ら施設に入ることを希望している高齢者も最近は少なくない。
考え方は個人個人、様々あるとは思うが、子供が日々の生活の中で、親の愛情をしっかり感じ取ることができていればいるほど、高齢で弱り行く自分の親に対して、「恩返しをさせて頂く好機」と捉えることができるのではないかと思う。
過去に遡れば、親に対する嫌悪感や憎悪感を抱いた時があったことも否めないのだが、感謝の気持ちは、それらを相殺しても余りある。
それが、親子というものなのだろう。
2006/7/22 23:49
癌との闘い(父の場合) 29、慈悲 両親のこと
お母様が認知症で、お父様が癌で入院という友人から連絡があった。
お父様は、胃・胆のう・十二指腸を摘出することになったそうだ。
先日は、
「精神的に疲れました」
とのたった一言のメールを頂いていたので、その後、とても心配していた。
実は友人自身、あまり体調が良くないのだ。
私たちも体調を崩しやすい年代。
体調には十分気をつけないと、共倒れになる可能性もある。
友人には、アドバイスや励ましの言葉など送っても虚しくなりそうだが、愚痴や話を聞かせて頂くことぐらいならできる。
「正しいことは言うな」「相手の言葉聞くのが慈悲」
と題して新聞に掲載されていた、宗教評論家ひろさちや氏のコラムが大変心に響いた。これからも度々読み返して、ずっと心に留めておきたい。(以下太字全文)
正しいことは言わないほうがよい。わたしはそう思います。
どうもわたしはすぐに逆説を語るので、誤解されてしまいます。この言葉も逆説的で、誤解を受けそうです。
正しいことというのは、わざわざ言われなくても、相手はそれをよく知っています。たとえば怠けている人に向かって、
「怠けてはいけない」
と言いますが、それぐらいのことは本人がよく知っています。そして、同時に本人がいちばん聞きたくない言葉がそれなんです。
ですから、その言葉を聞けば、その人はあなたに憎しみさえ感じるでしょう。あなたが正しいことを言えば、あなたは相手から憎まれることを覚悟しておいたほうがよいでしょう。いや、憎まれることを覚悟して、それでもなおかつその言葉を言う必要がある場合だけ、その正しいことを言うべきです。そうでなければ、正しいことは言う必要はありません。
それから、正しいことというのは、相手を裁判にかけて判決を言い渡しているようなものです。
遅刻した者に、
「遅刻をしてはいけない」
と言うのは、まさに判決です。
しかも、普通の裁判であれば、被告には弁護人がついていろいろと被告のために弁護してくれます。裁判長は検察側の意見だけでで裁くのではありません。だが、日常生活においての発言は、あなたは検事と裁判官を兼任して、その上弁護人なしで相手を断罪していることになります。それじゃあ、言われるほうが気の毒です。そう思われませんか?
怠けている人間、遅刻をした人、それぞれに事情があり、理由があるはずです。
その事情・理由を斟酌(しんしゃく)することなく正しいことを言う人は、じつは、
「正義という名の魔類」
になってるのです。
仏教では、その正義という名の魔類を、
「阿修羅」
と呼びます。
阿修羅というのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりが無いために、神界から追放されて魔類になった存在です。
正しいことを言うとき、わたしたちはその阿修羅になっています。だから正しいことは言わないほうがよいのです。
では、正しいことを言わずに、わたしたちは何を言うべきでしょうか?
じつは、何も言わないほうがよいのです。
正しいことを言うな、と言えば、まちがったことを言え、と受け取られそうですが、それは勘違いです。
わたしたちは何も言う必要はありません。それは、相手から聞いてあげるべきです。
失敗した人、悲しんでいる人に向かって、わたしたちは何かを言ってあげたい気持ちになります。
しかし、人間の言葉にはにはトゲがあります。
そのトゲでもって相手を傷つける危険が大きいのです。
だから、むしろ何も言わずに、じっと相手の言葉を聞いてあげる。
それが本当の慈悲だと思います。
・・・・・・・・・
じっと言葉を聞いてあげる・・
じっと言葉を聞いてもらう・・
ただそれだけで、救われる。
そんな人がいてくれれば、
きっと辛い病や状況も、少しは軽減されるに違いない・・
お父様は、胃・胆のう・十二指腸を摘出することになったそうだ。
先日は、
「精神的に疲れました」
とのたった一言のメールを頂いていたので、その後、とても心配していた。
実は友人自身、あまり体調が良くないのだ。
私たちも体調を崩しやすい年代。
体調には十分気をつけないと、共倒れになる可能性もある。
友人には、アドバイスや励ましの言葉など送っても虚しくなりそうだが、愚痴や話を聞かせて頂くことぐらいならできる。
「正しいことは言うな」「相手の言葉聞くのが慈悲」
と題して新聞に掲載されていた、宗教評論家ひろさちや氏のコラムが大変心に響いた。これからも度々読み返して、ずっと心に留めておきたい。(以下太字全文)
正しいことは言わないほうがよい。わたしはそう思います。
どうもわたしはすぐに逆説を語るので、誤解されてしまいます。この言葉も逆説的で、誤解を受けそうです。
正しいことというのは、わざわざ言われなくても、相手はそれをよく知っています。たとえば怠けている人に向かって、
「怠けてはいけない」
と言いますが、それぐらいのことは本人がよく知っています。そして、同時に本人がいちばん聞きたくない言葉がそれなんです。
ですから、その言葉を聞けば、その人はあなたに憎しみさえ感じるでしょう。あなたが正しいことを言えば、あなたは相手から憎まれることを覚悟しておいたほうがよいでしょう。いや、憎まれることを覚悟して、それでもなおかつその言葉を言う必要がある場合だけ、その正しいことを言うべきです。そうでなければ、正しいことは言う必要はありません。
それから、正しいことというのは、相手を裁判にかけて判決を言い渡しているようなものです。
遅刻した者に、
「遅刻をしてはいけない」
と言うのは、まさに判決です。
しかも、普通の裁判であれば、被告には弁護人がついていろいろと被告のために弁護してくれます。裁判長は検察側の意見だけでで裁くのではありません。だが、日常生活においての発言は、あなたは検事と裁判官を兼任して、その上弁護人なしで相手を断罪していることになります。それじゃあ、言われるほうが気の毒です。そう思われませんか?
怠けている人間、遅刻をした人、それぞれに事情があり、理由があるはずです。
その事情・理由を斟酌(しんしゃく)することなく正しいことを言う人は、じつは、
「正義という名の魔類」
になってるのです。
仏教では、その正義という名の魔類を、
「阿修羅」
と呼びます。
阿修羅というのは、本来は正義の神であったのですが、自分だけが正義だと思って、他人に対する思いやりが無いために、神界から追放されて魔類になった存在です。
正しいことを言うとき、わたしたちはその阿修羅になっています。だから正しいことは言わないほうがよいのです。
では、正しいことを言わずに、わたしたちは何を言うべきでしょうか?
じつは、何も言わないほうがよいのです。
正しいことを言うな、と言えば、まちがったことを言え、と受け取られそうですが、それは勘違いです。
わたしたちは何も言う必要はありません。それは、相手から聞いてあげるべきです。
失敗した人、悲しんでいる人に向かって、わたしたちは何かを言ってあげたい気持ちになります。
しかし、人間の言葉にはにはトゲがあります。
そのトゲでもって相手を傷つける危険が大きいのです。
だから、むしろ何も言わずに、じっと相手の言葉を聞いてあげる。
それが本当の慈悲だと思います。
・・・・・・・・・
じっと言葉を聞いてあげる・・
じっと言葉を聞いてもらう・・
ただそれだけで、救われる。
そんな人がいてくれれば、
きっと辛い病や状況も、少しは軽減されるに違いない・・
















