2006/8/31  21:01

癌との闘い(父の場合) 52、やはり副作用  両親のこと

今朝、出勤前に電話があった。
どうせセールスかなんかだろうと思い、いいかげんな返事で出てみると、父が入院している病院の看護師さんからだった。

慌てて挨拶をし、お話を伺うと、父からの伝言だとおっしゃる。

「下痢がひどいので、紙おむつを持って来て欲しい」

とのこと。

急いで紙おむつを用意し、出社前に病院へ寄ると、父のベッドサイドには、ポータブルトイレが置いてあった。

とにかく、少量の水様便が、予想する間も無く何十回も出るのだそうだ。
とても辛そうだ。

会社が月末の支払日なので、夕方また病室に寄ることにして、とりあえず出勤。

これは間違いなく抗がん剤の副作用だ。
夕方、一緒に話している間も、しきりに顔をゆがめる父。
水様便の回数が、朝に来たときよりも頻繁になっている。

明後日、担当医と腫瘍専門医が、次回の抗癌剤の量などの検討をするそうだ。

・・・・

今日は父の誕生日だった。
この日はもう来ないのではないかと思っていたが、
やはり、生きてくれていることは嬉しい。

とても辛い状況ではあるのだが・・・

2006/8/30  20:24

癌との闘い(父の場合) 51、下痢?  両親のこと

今日は、父にひとつ、大きな変化があった。

それは、水様排便があった、ということである。
なにしろ、口からは水一滴も入らない状態が続いて2週間。
栄養剤の点滴のみでは、排尿はあっても排便は無い。

が、抗癌剤に耐え得るだけの高カロリー点滴に替えて、一週間目にしてようやく、水様ではあるが排便らしきものがあったのだ。

しかし、回数が多いので、もしかしたら、抗癌剤副作用の「下痢」に相当する現象なのかもしれない・・。

通常の排便ならば喜ぶべきことなのだが、下痢となると・・

良いことなのか悪いことなのか、今はまだ判断が付かない。

2006/8/29  20:52

癌との闘い(父の場合) 50、良好  両親のこと

ああ、医療の進歩というのは本当にありがたい!

今日の父の顔色を見て、心からそう思い、感謝した。

久しぶりに入浴(点滴を付けたまま、介助して頂いて)したという父の、ほんのりピンクに染まった頬。
寒い寒いと言って、起きている時は勿論のこと、寝ている時にまで羽織っていたカーディガンも、今日はベッドサイドの枠に引っ掛けたままだ。

高カロリーの点滴のお陰で、父の体に、確かな生気が蘇っている。

日に日に目に見えて衰弱して、そのまま死を待つだけなのだろうかと絶望して過ごした入院当初。
そんな中、新たな抗癌剤治療の道を与えて下さった担当医に、心から感謝したい。

が、今の良好な状態も、ほんの僅かな期間だけのものなのかもしれない。
しかし、少なくとも、父に生きる希望を与えて頂いていることだけは確かである。

今日はひょんなことから、父が最後に成し遂げたかったことを話してくれた。

それは「自分史」の執筆だった。

父は、生まれたときから、波乱万丈の人生を歩んでいる。
生後間も無く、産後の肥立ちが悪く、実母を亡くしている。
戦争の出征での生死紙一重の体験も数多くある。

今の癌闘病などとは比べ物にならないような過酷な時代を生き抜いてきた父。

父の生きた歴史。

完成させてあげられたなら、どんなにかいいだろう・・

しかし、執筆も聴き取りも、今となっては難しい。
父が相当疲れてしまうからである。
抗癌剤と闘うための体力を、他の事で酷使するわけにはいかない・・・

2006/8/28  20:49

癌との闘い(父の場合) 49、タキソール1回目   両親のこと

今日は午前中に血液検査。
午後から、いよいよ一回目の抗癌剤タキソール(パクリタキセル)点滴となった。

数日前から緊張していた様子の父だったが、思いのほか、あっさり終了したようで、夕方、私が病室に寄った時には、明るい表情だった。

逆に、
「たった一週間に一回の抗癌剤点滴で、ほんまに良うなるんやろうか・・」
との不安を抱いているようだったが、

「うん、大丈夫。今日、体の中に入れた抗癌剤が、次の一週間までずっと体の中で癌と闘ってくれているからね。」
と言うと、

「ああ、そうか。そうなんやなぁ」
と、すぐに納得してくれたようだった。

「ちゃんと毎週治療が受けられるように、しっかり体調を整えておかないとネ。」
と言うと、

「そうやな、ちゃんと気いつけんとなぁ」
と、うなづく父。

ああ、本当に。
このままずっと、何事も無く、うまく治療が進んでくれれば・・・

2006/8/27  20:16

癌との闘い(父の場合) 48、貴重な時間  両親のこと

「日曜日ぐらい、ここに来んでもいいから、休んどりなさい」
と、父は言う。

毎日病院に来ていたのでは私が大変だろうから、ということなのだろう。
父のその気持ちだけで充分である。

一日、一日、父と過ごせる時間がどんどん飛び去っていくような感覚でいる。
一日たりとも、顔を見ないではいられない。
一日でも飛ばすことが不安でならない。
だから、何があっても必ず毎日病院へ行く。

・・・・・

現在、管を通って父の体内に運ばれている栄養剤は、かなり高カロリーのものらしく、以前のような腕からの点滴のみのときからすると、顔色も随分良くなってきたように感じる。

これで、抗癌剤に耐え得る体力が付いてくるはずだ。
明日からいよいよ次の抗癌剤治療に入る。

どうか、良い効果が現れますように・・・
せっかく良くなってきた顔色が、また曇ることのないように・・・

2006/8/26  20:34

癌との闘い(父の場合) 47、副作用  両親のこと

来週、月曜日(28日)から、抗癌剤タキソール(パクリタキセル)の点滴が開始されることとなった。

今朝、公衆電話から私の携帯に電話があった。
誰かと不審に思いながらも出てみると、父だった。
病室から、院内の公衆電話まで歩いて掛けているらしい。
驚いて話を聴くと、昨日受けた腫瘍専門医の話の内容の説明をして欲しいとのこと。
耳が遠い父は、どうもあまり理解できていなかったらしい。

早速、昨日医師から頂いた治療方針のメモをコピーして、父のいる病室を訪れた。

治療の内容や薬剤の副作用など、昨日専門医から受けた通りの説明をした。

一通り説明し終えると、父は、

「そうか・・髪の毛が抜けてしまうんやな。そんなら最初から坊主にしといた方がいいかもしれんなぁ」

と、私に同意を求めたが、私は、

「う〜ん・・・」

としか答えられなかった。

果たして、髪が全て抜け落ちるほどの治療回数を、実際に受けることができるのだろうか・・との思いが、頭をよぎったからである。

一番最初に処方された抗癌剤TS−1は、下痢と吐き気の副作用が激しく、2週間ほどで断念しているし、先回の抗癌剤ランダは、体調を崩して1クールのみで断念している。

今回は、肺に影があることが気になる。
となると、投与計画書通りに進むとは考え難い。

そう考えると、抗癌剤治療開始より先に坊主頭にしてしまうのは・・と思ってしまうのである。

勿論、癌によって父の姿がどんどん変わっていくのが受け入れられないわけではない。
しかし、何か大切なものを壊されていくような、なんとも言えない哀しみが、胸に溢れてくるのである。

2006/8/25  21:24

癌との闘い(父の場合) 46、タキソール  両親のこと

今朝、いきなり病院から電話があり、父が腫瘍専門医の診察を受けるにあたり、付き添いを依頼される。

急いで会社に、遅れる旨を連絡し、病院へ急ぐ。

父と病室で待つこと約1時間。
ようやく呼び出され、父を車椅子に乗せ、診察室へ。

腫瘍専門医は予想に反して大変若く、20代に見える。

早速、今までの経過や現状などの問診があり、その後、聴診器などによる診察。
非常に丁寧な説明を交えての、約一時間の診察だった。

様々な観点から、今後父に使用される抗癌剤は、
タキソール(パクリタキセル)に決定された。

治療目的は、現在の病状の緩和と延命
つまり、治癒は目指していない。

それはなぜかというと、治癒を目指すには、それ相応な抗癌剤投与量が必要であり、当然副作用も強烈なものになる。
父の年齢を考えると、病巣が治癒する前に、副作用の方で体が参ってしまうからだ。

正直言って、80歳後半という年齢での抗癌剤使用例が極めて少なく、薬剤使用効果が摑み難いということだった。

タキソールの副作用は、個人差が大きく、使用量にもよるが、脱毛はほぼ100パーセント起こる。頭髪から体毛、まつ毛・眉毛に至るまで全て、だ。

その代わり消化器系の副作用、吐き気・腹痛・下痢といったようなものは比較的軽いとのこと。

血液に関しては、白血球減少(感染症にかかりやすくなる)・赤血球減少(貧血を起こしやすくなる)・血小板減少(出血しやすくなる)などといった症状が出やすくなる。

回数を重ねるごとに、手足の痺れ、肝・腎機能障害などといった症状も現れる可能性がある。

また、タキソール自体にではなく、その溶剤にアレルギーを起こす場合もあり、そうなると、この薬剤は使用不可。
その対策として、タキソール点滴前に毎回アレルギー予防薬剤の点滴が行われる。
よって、点滴時間合計は、一回に付き約二時間となる。

これを毎週1回、3週連続投与、その後1週休止。
これで1クールとなる。

但し、毎回血液検査が行われ、数値が悪い場合は不可。

抗癌剤の効果の定義は、「腫瘍の大きさが半分以下になった場合」のことをいうのだそうで、それは、抗癌剤治療全体の約二割に当たるのだそうだ。

父の場合はどうなのだろう。
これ以上腫瘍が大きくなったり転移したりしなければ良し・・とした方がいいのかもしれない。

使用量や開始日などの詳細は、担当医と腫瘍専門医との検討の上、決定される。

2006/8/24  19:57

癌との闘い(父の場合) 45、僅かな休息日   両親のこと

最近ますます耳が遠くなったような父。
今いる病室は4人部屋なので、やはり大きな声で話すことは遠慮してしまう。
コミュニケーションが上手く取りにくい状態で、お互いに少々ストレスを感じたりする。

こんな時、補聴器を使用したらどうなのだろう?
装着感は鬱陶しいのだろうか?
自分は勿論のこと、周りにも使用経験者がいないのでよくわからない。

今日の父は、久しぶりに検査も何も無い日で、リラックスしていたようだ。
栄養が体内に回っているせいか、見た目に何となく元気そうだった。
父自身は、
「相変わらず体がだるい」
と言っていたが・・・

昨日レントゲンに映っていた肺の影が気になる。

先日、知人の60代の男性が、たまたま受けた集団検診で大腸癌が見つかり、すぐに手術したにもかかわらず、その1ヵ月後に亡くなっている。
肺炎を起こしたのだそうだ。

明日はいよいよ悪性腫瘍専門医の診察を受け、抗癌剤の種類と量が決められる。
そしてまた、新たな闘いが始まる。

2006/8/23  20:06

癌との闘い(父の場合) 44、チューブ装着  両親のこと

午前中に、鎖骨の下あたりに管を通す手術が終了した。

昼過ぎに父の病室を訪れると、意外と明るい表情の父がいた。
肩の下あたりから細い管が通され、キャスター付きスタンドに吊るした点滴の袋に繋がっていた。

今までずっとしていた腕の点滴がはずされ、両手が自由に使えるようになったことを、父は喜んでいた。

久しぶりに点滴針が抜かれた細い腕は、そこだけが赤く腫れ上がって、相当痛そうだった。

父は、穴を開けた肩下あたりの痛みは別に感じないと言っていた。
これで、抗癌剤に対抗するだけの栄養補給は万全のはずだ。

その手術のあと、レントゲン撮影。

その結果、肺に影があることを知らされる。
今後、肺炎に細心の注意が必要である。

感染予防のため、唾液は必ず吐き出すよう指導を受ける。
もともと飲み込めないのだが、睡眠中など、知らず知らずの内に、微量入り込んでいることも考えられる。

明後日、悪性腫瘍専門医の診察を受け、抗癌剤の種類と量が決められる予定。

2006/8/22  21:07

癌との闘い(父の場合) 43、躊躇   両親のこと

夕方、病院へ寄ると、父は締め切ったカーテンの中、布団をしっかり首までかけ、寝ながら文庫本を読んでいた。

「調子はどう?」
と尋ねると、
「いいも悪いも・・」
と、父は言葉を詰まらせた。

確かにこのままでは、良くなることは絶対に無い。

「明日の午前中に、ここに穴を開ける手術をやるそうや」
と、肩の下あたりを触る父。

栄養を直接体内に注入するための管を通す手術だ。
局部麻酔で30分ぐらいの手術であると担当医はおしゃっていた。

私には、そのような「体の一部分に穴を開けて管を通す」などというイメージが全く湧かない。

非常に恐ろしいような気もする。

本当にこのまま進めても良いのか?
ただただ衰弱して死を待つのみの状態と、痛み苦しみもがきつつも、僅かな可能性に賭けて最期まで闘い生き続ける状態と、一体どちらが幸せなのか?

医学の進歩は、ありがたい。
生きるチャンスを与えてくれているから。

しかし、それと同時に、とても残酷であったりもする。
どこまでも、闘い続けることを強いられているから・・・

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