2006/9/30  14:50

癌との闘い(父の場合) 80、トーナメント戦  両親のこと

今日あたり、自宅に外泊するのではないかと思い、早めに病院へ寄ってみた。

丁度、昼食時間。
父はベッドサイドの備え付けのテーブルで、食事中だった。

メニューはお粥、ハンバーグ、なすびの煮物、お味噌汁、漬物、フルーツ・・・

かなり豪華だ。
普通の食事と比べ、お粥以外なんら遜色は無い。
これが、約一ヶ月前には水一滴も、唾液さえ飲み込めずに吐いていた癌患者の食事なのか?

この劇的な回復振りには、ただもう驚くばかりである。

そして更に驚いたことに、退院が3週間ばかり早まって、来月早々、10月4〜5日あたりに決まったらしい。

自宅の手すり取り付け工事など、全く間に合っていない。

父の様子だと、幸い車椅子も電動ベッドも今のところ慌てて準備するほどではないようだ。
こんなに順調に進むとは思いも寄らなかった。

一つ一つの闘いをなんとかクリアーし、勝ち抜いてきた父。
そんな父の姿を見ていると、人生が、あたかもトーナメント戦のように見えてくる。

これからも、次々と現れる強豪に立ち向かっていかねばならない。
勝つか負けるか・・・

次は退院後の闘いが待っている。

2006/9/29  21:02

癌との闘い(父の場合) 79、命を喜ぶ  両親のこと

驚いたことに、今日は既に高カロリー点滴が取り外されていた。
カラカラカラと、どこへ行くのも一緒だった点滴用のキャスター付きスタンドが、父の病室の片隅に、ポツンと置かれていた。

「週末には、退院後の生活の予行演習のつもりで、自宅外泊してもいいですよ」
と主治医の先生。

点滴の外れた父は、今日はスタスタと病棟内の廊下を歩き、身軽な散歩を楽しんだようだ。

顔色は、極めて良好。

思い起こせば先月半ば、もう二度とこの病院から、生きた姿で出ることは出来ないだろうと、誰もが予想していた。
それが、たった一ヶ月半でこの回復振りである。

高齢だからもう無理、平均寿命はとっくに過ぎている、そんな年寄りが何を今更頑張るの?そんなに長生きしてどうするの?

外野はいろいろ言うかもしれない。

しかし、
「まだまだ生きたい、生きたいから可能性に賭けて頑張りたい」
と思っている高齢者も存在する。
そんな高齢者にきちんと向き合い、適した治療を探り、施し、実際に効果を上げるということは、なかなか至難の業であろう。

そしてそれは、単なる「延命」ではなく、「生きていることを喜べる命」でなければならない。

自分で食事が摂れる、お風呂に入れる、本が読める、人と話せる・・・

そんな当たり前のことが、とても嬉しい。
何も難しいことではない。
「生きている喜び」とは、そういうことなのだろう。

父が実証してくれている。

2006/9/28  21:42

癌との闘い(父の場合) 78、抗癌剤の効果  両親のこと

夕方、父の病室に着くなり、主治医の先生がひょっこりカーテンの隙間から覗かれた。

「いやあ、お元気になられて良かったですね。この抗癌剤がとても体に合ったようですね。先日の検査では、腫瘍がふた周りほど小さくなっていましたよ」

一般的に抗癌剤は、「副作用が強く、その割りに効果があまり期待できない」というような印象がある。
実際、私もそのように思っていた。

が、抗癌剤は、上手く症状や体に適合すれば、劇的な効果をもたらすのだ。
といっても、抗癌剤治療で腫瘍が半分以下の大きさになる率は、患者数全体の2割程度であるとのことだから、残りの8割は、あまり芳しい効果は望めないということになる。

また、一口に抗癌剤と言っても、現在では数多くの種類が揃っている。
父も、TS−1⇒ユーエフティ&カルボクリン⇒ランダ(シスプラチン)と試して全てダメ。
が、今回のタキソールで、ようやく効果が現れ、九死に一生を得たようなものだ。

また副作用でも、脱毛が無いもの、吐き気が無いものなどなど、いろいろあるようだ。

但し、本来、抗癌剤治療(化学療法)を専門とする診療科は「腫瘍内科」
今後増えていくだろうとは思われるが、まだまだ数が足りないのが現状である。

・・・・

父は、今日から全粥になった。
そろそろ退院に向けて、体力も付けて行かねばならない。
高カロリー点滴も、そろそろ外す方向に向かっている。
が、今後あり得る緊急時に備えて、肩下に穴を開けて通した点滴用管は抜かないでそのまま残しておくのだそうだ。
自宅の手すり工事も、そろそろ始めなければならない。

さて、昨日心配していた主人の母の結果だが、胃にできているポリープは、しばらく様子を見ましょうとのこと。
今のところ、緊急にどうこうしなければいけないようなものではないらしい。
ひとまず安心。ホッと、胸をなでおろした。

高齢の親が4人。
病気が重なると、共倒れにもなりかねない。
実に危うい年代である。

2006/9/27  20:16

癌との闘い(父の場合) 77、感謝と不安  両親のこと

「お孫さんですか?」

主治医や看護師など、病院でお会いする方々は皆、私にこう尋ねる。
確かに、見た目はそうかもしれない。
私は、父が40代の頃に生まれた子供である。
父の世代なら、「孫」と言われても決して不思議ではない。

私が10歳の頃、父はとうに50歳を過ぎていた。
きっと、「私を嫁に出すまでは」と、頑張ってくれていたに違いない。

最近は、晩婚化も手伝ってか、40代で子を持つことは、さほど珍しいことではなくなった。
そして、年齢を重ねてから子を持つということも、悪くは無いなぁと思う。

「お孫さんですか?」
と聞かれ、

「いえ、娘です」
と答える父の笑顔が、とても嬉しそうだから。

・・・・

今日は午後、会社に、中2次女の担任の先生から電話。
次女が午前中から体調を悪くしていて保健室で休んでいるが、早退させますから迎えに来て下さいとのこと。

ああ、こういうのが一番困る。

いきなり会社は抜けられないし、退社後には、見舞いついでに父の洗濯物の交換もしなければならない。

かといって、
「具合の悪い我が子を迎えに行かない親」
というのも考えものだ・・・

どうしたものかと迷う私に、先生が子供を直接電話口に出して下さった。
次女に事情を話すと、
「うん・・わかった・・。自分で頑張って帰る・・」
と言ってくれた。

ああ・・なんて冷たい母親なんだ・・
と、自分を責めていると、今度はなかなか仕事に集中できない。

やっぱり、迎えに行ってやるべきだったかなぁ・・
と後悔していたところへ、次女からの電話。
無事に自宅に着いたらしい。

「なるべく早く帰るね」
と言うと、次女は、
「うん、わかった」
と、素直に喜んでくれた。

なかなか言い出しにくかったのだが、主人の母に事情を話し、何とか1時間早く退社。
いつものように、病室の父と明るい会話を交わし、変わりない様子にホッとする。

自宅に戻ると、次女がベッドに横たわっていたが、私の顔を見るなりにっこりしてくれた。
そしていきなり、「おなかが空いた〜」と、次女。
具合が悪かったので、給食を食べていなかったのだ。
早速リクエストのおにぎりを作ってやると、ぺろりと食べた。
その様子に、私もようやく安堵。

ここのところ、当たり前のように思っていた子供たちの健康。
こうして私が父のことに関わっていられるのも、子供たちが無事であってこそ。
感謝を忘れてはいけないと再認識した。

そしてまたひとつの不安。
主人の母が検診で引っ掛かり、精密検査の結果、胃にポリープがあることが発覚。
詳細結果の説明を明日に控えている。

何とか無事であって欲しい・・・
今は、祈るのみである。

2006/9/26  21:46

癌との闘い(父の場合) 76、家族の役割  両親のこと

夕方、いつものように会社帰り、父の病室へ寄ると、
「今、抗癌剤の点滴が終わったところや」
と父が言う。

「あれ?今週は先生のご都合で、一回抜けるんじゃなかったの?」
と尋ねると、どうも主治医の先生が、出かける前日に、別の医師に父の抗癌剤処方の指示をして下さっていたようだ。

というわけで、一日遅れではあるが、無事にスケジュール通り2クール目がスタートした。

今日も微熱は続いている。
加えて、抗癌剤の点滴後は少し寒気がするらしい。
父が、気だるそうにベッドに横になる。

昨夜、実家の母とも電話で話していたのだが、やはり、電動ベッドと車椅子を借りる手配を、退院前に済ませた方が良いのではないかと思う。

昨日の父は、「そんなもの使わなくてもいい!」と言って、母に怒っていたようなので、私が父の説得役を買って出た。

私が話してみると、意外とすんなり父が承諾した。
それから、浴室やトイレ、廊下などに手すりをつけて欲しいとも言った。

が、その反面、自転車に乗る練習をもう一回やってみたいと言う父。


鎌田 實氏が、著書「がんばらない」の中で紹介なさっていた、ヘルマン・ヘッセの言葉、

「人間らしく老いること、そしてそれぞれ私たちの年齢にふさわしい心構えと知恵をもつことは、ひとつのむずかしい技術である。たいていの場合、私たちの心は肉体よりも年とっているか、遅れているか、どちらかである。このずれを修正してくれるもののひとつに、内面的な生の感覚のあの動揺、人生の一区切りや病気の際に私たちを襲うあの根源的な戦慄と不安がある」(『人は成熟するにつれて若くなる』フォルカー・ミヒェルス編 岡田朝雄訳 草思社)

今後も続くと予想される高齢社会。
現代人の殆どが迎えなければいけないであろう「老い」。

最期まで人間らしく、自分らしく。

鎌田氏は、医療サイドからこのようにおっしゃる、
「大事なのはその人の人生で、ぼくの人生ではないということ。その人が生きやすいように、生きたいように生きていくこと。それを支援していくことが大事なんだと思う」

そういう役割を、私も、子として、家族として果たしていきたい。

2006/9/25  21:23

癌との闘い(父の場合) 75、延命の限界  両親のこと

今日は、抗癌剤タキソール、2クール目の開始予定日だった。

が、主治医が今日から学会出席のため、今週は中止。
つまり、休止期間1週の予定が、2週間に延長してしまったわけだ。

「こんなに期間を空けてしもて、大丈夫なんやろか・・」
と、不安そうな父。

また腫瘍が大きくなってしまうのではないかと思ってしまうのは無理の無いこと。
何しろ、素人である患者にはわからない。

が、今日も父は熱が37度5分ある。

「これは、きっと、ちゃんと体の中で抗癌剤が効いている証拠だよ」
と、父に言葉を掛けると同時に、自分自身をも納得させる。

先週の終わり頃から、食事も7分粥に進んでいる。
父が思いを馳せるのは、上手く行けば一ヵ月後になるであろう退院である。

午前中に母が病室に来て、老齢保険や介護保険を使って、車椅子や電動ベッドの貸し出しの手続きをした方がいいのではないかという話を父にして行ったらしい。

父は、そんなものは必要無いと言って、母の機嫌を損ねた。

病室で、父が笑顔で私に言う。
「あと2年は生きられるような気いする。そしたら90歳や」

帰宅後、実家の母に電話して父のその言葉を伝えると、母が冷静に私に言った。
「いっとき元気に退院したと思っていても、持って3ヶ月・・昨日おんなじような症状の癌患者の例をテレビでやっとった・・・」

確かに・・・
主治医からは最初に、これが「延命治療」に過ぎないことだとの説明は伺っている。
そして、抗癌剤を使い続けるのにも限界がある。

父の言葉で、「もしかしたら・・」と思った私だったが、母の言葉で一気に気持ちが沈んだ。

一応、母には、
「でもやっぱり、お父さんの、『生きてみせるぞ!』っていう強い意志が一番大切でしょう?」
と一言、伝えはしたが・・・

2006/9/24  11:12

思い出と暮らす女  恐怖・悲哀体験

最近、日々重ねるごとに、部屋が乱雑になっていくのが気になって仕方がない。
一体どうしたものかと考えていた。

早い話が、散らかったものを目の前から片付け、大切なものは何処かに仕舞ってしまえば良いのである。
ところが、ここからが大変だ。
仕舞うべき場所・・引き出し、倉庫などなど、ありとあらゆる所が、既にモノでいっぱいなのである。

となると、まずは、目の前にある乱雑なモノ達を一旦差し置いて、その、仕舞うべき場所を陣取っている先客たちをどうにかせねばなるまい。

一番手っ取り早いだろうと思って最初に手掛けたのが、リビングの引き出しだった。
そこは、常に生活をしているリビングであるにも関わらず、めったに開けない場所である。

めったに開けないということは、殆ど必要の無いものが入っているに違いなかった。
ならば、いちいち中身を確認することもせず、単にそのままゴミ袋に空ければ良いのだ。

簡単だ。

そして、久しぶりに開けたその重い引き出し。
果たして、隙間無く詰め込まれたその中身は・・・

ああ、やめてくれ〜〜

平成も一桁の年賀状がザクザク出てくる。
その宛先も、転勤時代住んでいた東京や名古屋や四日市(三重県)などの、長ったらしいマンション名の数々。

そして、それらに付随して出てきたのが、これまたその土地その土地で知り合った友人達からの膨大な手紙の数々。

・・捨てればいい。
そうだ、そうなのだ。
このまま引き出しをゴミ袋にひっくり返して・・・

が・・

見てしまった。

一枚。
二枚。
三枚・・・

(いや、別に番町皿屋敷ではないのだが・・・)

一枚読むと、もう止まらなくなってしまった。

ハッと気が付くと、既に半日が過ぎ・・・

と、とにかく捨てねば!
捨てねば・・・

と、捨てるに至ったものは・・
定型文を印刷されただけの、仕事関係のハガキ類少々だけであった。

たったそれだけを捨てるためだけに、貴重な休日の半分を費やしてしまった私に残されたものは・・・

ひっくり返した分だけの人生の思い出と、乱雑なまま放り出され、その行き場を失ったままの、なんとも不器用な現在の自分だったりもする。


「処分しなければと思いつつ・・・」←こちらも未解決状態・・

2006/9/23  20:58

自己コントロール法  心と体

時々、自分自身に対して不安になることがある。
この場合、「不安」というより「自信が無い」と言った方が的確かもしれない。

そうなると一体どうなるのか、というと、いつの間にか下を向いて歩いているのである。
ふと見たウインドウに、そんな自分の姿が映っているのを見かけると、ドキッとする。
そして、不甲斐無い自分にため息を吐いたりもする。

こんな時、私の緊急避難所は、鏡のある所である。

鏡の中の自分をみつめながら、
「どうしたんだ?どうしてお前はそんなに自信が無いんだ?」
と、話し掛ける。

そして、
「もっと自信を持て!大丈夫だ!」
と、いわば自己暗示を掛ける。

傍(はた)から見たら、怪しい人(?)かもしれないが、これが意外と効果がある。

鏡を見ることによって自分を客観視し、その結果、自己コントロールが可能になるのである。

心理学者でもあり、作家でもある樺 旦純(かんば わたる)氏の著書の中に、ノイローゼ患者への療法についての話が載っている。

幼児や重度の精神病患者は、自己コントロール能力が極めて低く、自分を客観視することができない。
自分にのめり込んで、外から自分を見ることが出来なくなってしまうからだという。
そういった患者に、サイコ・ドラマ(患者に、自分でない人間の役を与えて自由に演技させる)という療法を施すと、自分を客観視しながら、ものを考える第一歩となるのだそうだ。

煩雑な時が流れる日常生活の中、自分自身と向き合う時間を確保することはなかなか難しい。だが、それ無しに忙しく日々を過ごしていると、いつの間にか自分を見失ってしまう。
そして、下を向いて歩いている自分の姿に、ハッとするのである。

「たまには鏡を直視して、自分の内面と話をしてみましょう」
と、氏は勧める。


「鏡よ、鏡よ、鏡さん。世界中で、一番美しいのはだあれ?」

「それは、あなたです!」

・・で、「美しい」の部分をいろいろ入れ替え、応用してみると宜しいかも・・・

2006/9/22  19:38

癌との闘い(父の場合) 74、親として  両親のこと

今日はCT検査の結果が出ていた。

肝臓に転移していた大きな腫瘍が、前回よりもかなり小さくなっているようだった。

「このまま上手く行けば、退院できますよ」
腫瘍専門医がそう告げた。

「抗癌剤治療をあと1クルーやって(週1回×3&休止期1週)、調子が良ければ退院できます。退院後は、外来での抗癌剤治療の継続になります」
とのこと。

『退院』

またこの言葉を聞けるなんて!!

一番驚いたのは、父自身だったかもしれない。
症状の辛さが本当にわかるのは、父以外にはいないのだから。

「退院できるなんて、夢みたいや」

父も私も、喜びと共に、まさか、信じられないといった気持ちで一杯であった。

今回の入院は、父も周りも、覚悟の入院だった。
今回ばかりは、『退院=死』といった不吉な等式が、頭の中から離れなかった。

父自身も、
「もうここから出ることは無いのやろうなぁ・・と思っとった」
と、初めてその心の内を明かしてくれた。

父はいつも、苦しさや辛さなど、殆ど口にすること無く淡々としていたが、やはり心の中は不安で一杯だったんた・・と気付かされた時、私は以前にも増して父の偉大さを感じた。

親の役割、それは、子供に生きる姿を見せること。
その、『人』としての生々しい生き様を、子供が見て、感じて、そしてまた次世代へと繋げていく。

そんな役割を、私も親として我が子に受け継いでいきたい。

父の姿を見ていて、そう思う。

2006/9/21  21:20

癌との闘い(父の場合) 73、体重  両親のこと

夕方になっても、今日のCT検査の結果は、まだ告げられていなかった。

なんだか真実を見るのが怖いような気もする。

「完治することは望めません」
と、最初から主治医に言われているので、単なる一時的な「寛解(かんかい)」状態であるのは間違い無いのだろうけれど・・

しかし、今日の父も顔色が良い。

昨日、看護師さんが、ベッドサイドまで体重を量りに来られた。

父は、体重計に乗るのを嫌がった。
体重が減っていることを、数字で具体的に知らされるのが怖いのだ。

「42キロですよ」

看護師さんが、他のベッドの患者さんたちに聞こえないよう、父の耳元に小声で教えて下さった。

「おお、良かった。もっと減ってるかと思っとった」
父は少し安心したようだったが、168センチに対してこれでは、さすがにキツイ。

父は、体重計から降りるときに、少しよろけた。
この体重では、無理も無い・・・

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