2007/2/28  22:16

癌との闘い(父の場合) 127.流れに任せる  両親のこと

「あと2〜3口が食べれんなぁ・・・」

いよいよ、七分粥が半分も食べられなくなった。
あと2〜3口食べることが出来れば、主治医がおっしゃっている合格ラインの5割に達するのだが、その僅か残り2〜3口が、胸に詰まって食べられないのだ、と父が悔しがる。

真綿で徐々に首を絞められているような日々。

それが一体どのような心理状態をもたらすのか、私には想像が付かない。

父は、今日も30分ほどの時間を掛けて、私に自分史を語った。
今まで、全く知る機会の無かった父の生涯。

その数々の数奇な運命と背中合わせに存在する強運。
幾度もの絶体絶命からの生還。

「わしがこうして生き長らえてこれたのは、両親がわしのことを見守ってくれとるからやと、いっつも感謝しとる」

父の本当の両親は、父がまだ一歳に満たないうちに、スペイン風邪によって続いて亡くなっている。
その両親が、自分のことを心配していつも見守ってくれているお陰なのだと・・・
当時まだ乳児だった父、本当の両親のことは、当然顔も覚えていないし、写真さえ無い。

自分が養子だと知ったのは、大学入試の手続きのために自身で取り寄せた戸籍抄本。

「養子」の記載に激しく動揺した当時の父の様子が、かすれた声から窺えた。

・・明日も、今まで明かされることの無かった父の話を聴こう。

・・・・・・

今日の夕方、母は、気だるそうにコタツで横になって休んでいた。
精神科病棟での入院体験が余程身に応えたのか、以前のような、身体的辛さの周りへのアピールは、少なくなっている。

「辛い、苦しい」と言えば、また入院させられる、という恐怖感の方が強いのかもしれない。

父も母も、この先のことはさっぱり分からないが、とにかく焦っても仕方が無い。
流れに任せて行こう。

2007/2/27  21:51

癌との闘い(父の場合) 126.自分史  両親のこと

「今日からちょっと、話しておきたいことがあるんやけど・・」

父がベッドの上に身を起こし、急に改まった表情になった。

確か、以前にもそんなことがあった。

癌の転移が見つかった昨年夏、高カロリー点滴抗癌剤タキソール(パクリタキセル)点滴とで何とか生命を持ち直したとき。

そのときだ。
そのときに、私に打ち明けてくれた夢。

「自分史の作成」

そして、今。
今こそが、それをやり遂げる最後のチャンス、今を逃したらもう後は無い。

しかし、長時間ペンを持ち続ける体力も、既に無い。

「だから、せめて、わしの話を聞いておいてくれんか。わしのことを知っとって、覚えといてくれる人間が、この世に一人でも居ってくれれば、わしはそれでいいんや」

「うん。わかった。お父さんの話、しっかり聴いて、ちゃんと覚えておく」

そう答えるやいなや、父の講演が始まった。

幼少の頃から青年期までの出来事、会社勤めをしていた頃の仕事の内容、出征で体験した偶然の命拾いの数々・・・

ポイントだけをざっとかいつまんで、30分間ほどの講演だったろうか。

「ハイ、今日はここまでや〜。明日はアッと度肝を抜くような話が待っとるぞ〜」
「うわ〜、そりゃ楽しみやわ〜」

・・・・・・

今日はまた、お粥の通りがあまり芳しくなかったようだ。

身近に迫った死とどう向き合うのか。

自分が生きた証を少しでも遺そうと、精魂込めて私に語りかける父。

病室の空気を通して伝わる微かな振動。
それは、父の発する言霊。
それら一つ一つを脳にたたき込む。

一言でも聴き漏らすのが惜しい。
ヴォイスレコーダーが欲しくなる。

私に能力があれば、文字に起こして、小冊子にでもまとめてあげられるのに・・・

・・・・・・・

その後、実家に寄る。

久しぶりに、コタツにすっぽり埋もれていない母の姿を確認する。
それだけで、十分ありがたい。

2007/2/26  21:37

癌との闘い(父の場合) 125.母の退院  両親のこと

「退院する時間になったら呼んでや〜。わしも荷物運ぶの手伝うからな〜」

昨日、母の退院のことを話したとき、父の口から出たセリフである。

「這ってでも手伝いに行くから絶対に呼んでや〜」

父は本気である。

「お父さん、大丈夫、大丈夫。荷物運ぶのは私一人で大丈夫だから任しといてネ」

何度もそう言って、ようやく納得してくれた父。

「おお〜そうかぁ〜?そんなら宜しゅう頼んます」

どこまでも母のことを心配している父。
自分の体のことだけでも大変なはずなのに・・・

・・・・・・・

二月とは思えない好天の今日。
雲ひとつ無い青空が、母の退院を祝ってくれているような気がした。

退院に際して、先週のうちに薬剤師の服薬指導をお願いしておいた。
母がまた勝手に薬を止めたりしないように。

母のような症状の場合、きっちり薬を飲み続けることが最も重要であることを、しっかり指導して頂く。

ドグマチール錠50mgを始め、ハルシオン、コンスタン0.4mg、ノズレン・・などなど、以前から飲んでいた錠剤・散剤含めて、9種類ほどある。

朝・昼・晩・寝る前と、薬の管理だけでも大変だ。

精神神経科の初診から丁度二週間が過ぎ、特にここ2〜3日辺りから、胃のむかつきが消失し、味覚も回復してきている。
おそらく、ドグマチール錠のお陰であろう。
最低二週間はきっちり飲み続けないと効果が実感できないというのは、まさに真実であった。

母はもう、検査を受けることは拒絶している。
つまり、父とは正反対の闘病生活を送ることになるのだ。

精神の回復が、肉体をも回復させる・・
そう信じて、また新たな一歩を踏み出した母。

入院した時は車椅子だった母が、今日は自分の足で歩いての退院だ。
ゆっくりゆっくりの、少々危なっかしい足取りではあるが。

「わあ、退院?うらやましいわぁ〜〜」
と、羨望の眼差しで母を見送る同室の患者さんたち。

「ゆっくりゆっくりでいいですから、ちゃんと食べて元気付けていって下さいね」
頭を下げる母と私に、優しく声を掛けて下る主治医の先生、そして看護師さんたちの笑顔。

一週間の精神科病棟入院が、母の確かな回復の兆しと共に、終わりを遂げた。

春を思わせるような陽光が、薄化粧をした母に降り注ぐ。

「刑務所を出てきたような気分やわぁ〜」

車に乗り込んだ母の一言で、思わず笑い合った。

2007/2/25  21:08

癌との闘い(父の場合) 124.老い  両親のこと

例年に無い冬の晴れ間とはいえ、冷たい風に、やはり二月という季節を感じさせられる。

ここのところ、休日といってもなかなか気が休まらず、やるべきことが山積み状態で身近に迫って来ている割には、特に何が出来たということも無い、実に収穫の少ない不発感いっぱいで一日を終えることが断然多くなった。

現実の時間は、あっという間に過ぎ去っていくというのに、病室に一歩足を踏み入れた途端、まるでそこだけ世俗から取り残されたかのように、ゆるい空気が流れている。

が、そのゆるさは、決して優しくはないゆるさ。
辛い時間だけが、いつまでたっても過ぎ去ることなく、その白い空間に停滞しているのである。

・・・・・

先日の父の検査結果が出た。
幸い、腫瘍の大きさにあまり変化は見られなかった。

経口抗がん剤 ユーエフティーカプセル が、癌の成長を抑えてくれているのだろうか。

一時通りにくくなっていた七分粥も、父が1時間半も掛けて、少しづつ、少しづつ流し込むことによって、何とかクリアできている。

「食べとる最中、いつの間にか居眠りしとった〜」
というくらい、時間を掛けている。

父にとって、お粥を三度三度食べきることが、毎日の大きな仕事だ。

「これが食べられんようなったら、今度こそ終わりやなぁ〜」

だから、一生懸命食べている。
生きるために。

・・・・・・・・

母は、いよいよ明日退院だ。
味覚もかなり戻り、胃のむかつきも殆ど無くなったようだ。

一週間の入院生活。
母にとって、屈辱的な日々だったかもしれない。

しかし、これで良かったのだ。

明日から兄嫁はパートに出る。
母は、現実の世界に戻る。

老いをどう受け止め、どう生きるのか。
決して他人事ではない。

2007/2/24  23:58

癌との闘い(父の場合) 123.母に下した決断  両親のこと

気持ちが不安定になると、ついつい頼ってしまうのが、各種運勢欄。

母のことで迷路に入り込み、今なお抜け出す道が見つからないでいる自分。
ふと見た今週の運勢が背中を押してくれた。

2月24日(土)〜3月2日(金)のあなたの運勢

今週は普通の週ではありません。

今、あなたは難問に直面しているか、誰かの意見に従うようプレッシャーをかけられているか、もしくは自由を剥奪されているか、のどれかに相当するのではないかと思います。
これほど追い詰められた気分になったのはかつてなかったかも。
 
すでに起こったことを気にしても仕方ありません。
今回、事態は驚くほどうまくいくでしょう。
過去の体験を参考にしてください。
自分の勘を信じてください。

誰かまたは何かに「ノー」という答えを返す気分になったのでしたら、一瞬たりともその気持ちを疑わないように。強くなってください。

そうしたらあなたは安全圏に入るでしょう。



・・素人目には何の根拠も無いと思われる運勢。
しかしこれが、大きな力や決断力を与えてくれることもある。

それが、この今週の運勢だ。

きっと大丈夫!
母を退院させよう!

自信を持って決断をした。

月曜日。
母を迎えに行こう。

・・・・・

いつものように、精神科病棟の入り口で、看護師さんに鍵を開けてもらう。
が、今日は面会室ではなく、直接母の病室を訪ねさせてもらった。

母の足が浮腫んで、少ししか歩けないでいるらしかったからだ。

母はうっすら化粧をしているようだった。
鏡の持ち込みは禁止されているはずだが、母は化粧品と共に、こっそり引き出しに隠し持っている。

本当の母は、いつも身だしなみに気を使うオシャレな母なのだ。
落ち窪んだ目をしたどす黒いかさかさ肌の母ではない。

私の姿を見るなり、

「来てくれたん?ありがとう」
と発した。

「ありがとう」
の言葉。

ここへ来てから、発したのは今日が初めてだった。

いつも母の口から出ていた恨みつらみの言葉が消えていた。

「あんたにいろいろ迷惑掛けてしもうて済みません・・」

痩せてまたひと回り小さくなったか細い体の母が、いきなりベッドの上にちょこんと正座して私の方に向きを変え、手を付いて謝った。

「何しとるのお母さん、そんなことしなくていいよ〜」
突然の母の所作に焦って、母の肩をそっと撫でた。

「月曜日、お母さんを退院させてあげることに決めたからね。お兄ちゃん達にもちゃんと許可を得たから」

母の表情が初めて和らいだ。

「まだ、明日一日ここにいなきゃいけないけれど、もう少しだから我慢してネ」
「わかった、もうちょっと我慢しとる」

母の笑顔、久しぶりだ。

「退院したら、家でリラックスしようね。そしてまたオシャレして、いつものお母さんに戻ってネ」
「そうなりたいねぇ・・。あ、それから、今日、ここに来て初めてお粥とおかず全部食べれたわ」

「え〜、良かったねぇ〜〜。味覚はどう?胃のむかつきは?」
「味も少しづつわかるようなった。むかつきは殆ど無いようなった」

もしかしたら、ドグマチール錠が効いてきたのかもしれない。

あの占い、当ってくれると嬉しい!

2007/2/23  23:46

癌との闘い(父の場合) 122.続く迷い  両親のこと

今日一日のことが、何かテレビドラマのワンシーンのように思い出される。

主治医との面談で、何故か堪らず泣いてしまった。

4畳半ほどの狭い面会室で、主治医と母と私、そして、部屋の片隅に座り、メモを取りながら三人をじっと見守る看護師が一人。

母がしきりに訴える退院。

こんな所にいたらノイローゼになる!
自分の家に帰りたい!
もう耐えられん!

母の気持ちが痛いほどよく分かる。

でも、私の一存で退院させてあげることは出来ない。

主治医は、
「こちらとしては、患者さんに入院を強制させたりは絶対にしません。ご家族でよく話し合われた結果、退院した方が良いと思われるのでしたら、今日でも明日でも、退院なさっていいんですよ」
と、優しくおっしゃって下さる。

母が私に退院を懇願する。

でも、兄夫婦にとっては余計なお世話だ。
私には決定権は無い。

最低一ヶ月は入院させなければ!と言う兄。
来週からまたパート再開の心積もりでいる兄嫁。

どうすればいいんだ!

あの鍵のかかった扉の向こうに、母を閉じ込めておくことは、私にはもう出来ない。
あの病棟に溶け込むことなんて、正常な人間には到底できっこない。
あの病棟に馴染むなんてこと、できなくて当たり前だ。

一刻も早く、あそこから母を連れ出したい!

だけどその決定権が、自分には無い。

隣に座っている哀しい姿の母を、どうしてやることも出来ない自分が歯がゆかった。

退院させて、果たして食べることが出来るのか?
退院させて、果たして歩くことが出来るのか?
退院させて、また兄夫婦を困らせたりはしないのか?

どうやって説得すればいいのだろう。

「ここに入院してみて初めて良うわかった。ちゃんと自分で出来ることは頑張ってやって、しっかり生きていかんなんいうことが。ここに来たからこそわかったんやわ」

私は、母のこのセリフに賭けた。

これで、兄夫婦を説得しよう。

一時間以上も掛けて下さった面談。

母の心の立ち直りを信じよう。

・・・・・

父の病室に寄って、顛末を話す。
そこでも何故か泣いてしまった。

「よし、わかった!そんならそうしよう。賛成や!」
じっと私の話を聞いていた父が、ニッコリ笑って賛同してくれた。

・・・・・・・・

夕方、母を見舞った帰りの兄夫婦に退院の意向を話す。

「それ、騙されとるんやわ」

母の言葉は、退院したい一心で出たでたらめの言葉だと。

今まで過去何回も、入院以外の場面で、そうやって騙されてきたのだと言う。

「さっきまた、この薬のせいで調子悪くなったから飲まんとか言うとったぞ」

きちんと飲むよう先生から処方されているドグマチール錠のことだ。

確か主治医や私の前では、

「この薬のお陰で、胃のむかつきが無くなった」

と言っていたはず・・・

やはり、兄の言う通り、母は私を騙しているのだろうか・・

母の頭は、やはりどこか狂っているのだろうか・・・

・・自分の決断に、自信がなくなってしまった。

2007/2/22  23:25

癌との闘い(父の場合) 121.迷路  両親のこと

父の病室へ行っても、話題は母のことばかりだ。

「今日も昼間、おっかちゃん、ここに来て行ったぞ」
「へえ〜、なんて言ってた?」

「あんなとこにおったら、気ぃ狂う言うとった。食事も何の味もせんから、全然おいしない言うとった。殆ど食べられんと」
「そうなんだ・・・」

でも、父の病室まで歩いて行く元気があるだけまだいいや。

と、思っていた。

父にも、
「まあ、も少し様子見てみた方がいいと思う」
と言うと、
「そうか、そうやなぁ・・。そんならもうチョッとそのままにしておいた方がいいか・・」

と、ひとしきり母について話し合った後、ようやくそんなひとつの結論に達した。

「おおお〜〜〜そやった、そやった、それからなぁ〜〜〜」
と、慌てて付け加える父。

「わし、今日からまたお粥9割ほど食べられるようなったぞ〜。検査結果はまだ出とらんけどな。わしのことはひとまず心配せんでいいからの〜」
「へえ〜、そうなんだ!スゴイね!良かったね!」

「七分粥の食事は、5割以上食べられれば合格ですよ」
と、主治医の先生がおっしゃっていたそうだ。

ならば今日は、その基準を軽〜くクリアだ。

父のところで明るい気分を貰い、今度は母の病棟へ。

病棟内での面会は禁止なので、面会室に呼び出して頂く。

母がなかなか来ない。

体がだるくて、思うように歩けない様子。

ようやく姿を現した母は・・・

いつも手入れをしてつやつやだった肌が、どす黒くかさつき、目は落ち窪み、輝きなど全く失っていた。

「こんなとこに、もう居りたない・・。頼むからもうこれで退院させて・・こんなとこに居ったらなおさらノイローゼになってしもう・・もう耐えられん・・こんなとこに居るのなら、うちに帰って寝たきりになって死んだ方がマシや・・」

今日の母は疲れ切っていて、話すのもままならない様子。
時々よだれを落としている・・

そんな・・
いくらなんでも、こんな哀れな姿の母など、見たことがない。

私の頭に、また、「退院」という単語が浮かんだ。

と、同時に、兄夫婦たちが言っていたセリフが渦を巻く。
「これが一番いい選択や。しばらくこのまま入院させて様子を見よう。今何と言われようと、退院させたら絶対あかんぞ!」

・・うん、そうだね。
わかるよ。わかる。

兄夫婦の言っていることも。
そして、母が私に訴えてくることも・・。

でも、目の前にいる母。
生気を失った母の姿。

いいの?このままにしておいて。
この病棟に入れておいたままでいいの?

母が言っていた「全く味のしない食事」を、試しに少し味見してみた。

焼き魚も煮物も・・
しっかり味が付いていて、とても美味しかった・・・

・・・・・・

夕方、母と別れ、病棟を出るとき、思い切って主治医との面談をお願いしてみた。
明日の午前中、先生が時間を作って下さるそうだ。

情に流されて私が勝手に母を退院させれば、兄夫婦に恨まれる。
かといって、このまま入院を継続させて、母に生気が蘇るとも思えない。

母の精神状態が限りなく悪化している。
これは、娘の直感だ。

現状の母にとって、どうしてやることが本当に幸せなのだろう。

これは、年老いた親を、やむなく老人介護施設に入れる心情に酷似している。


・・母の生気のない淋しい姿を思い出すたび泣けてくる・・・

2007/2/21  22:48

癌との闘い(父の場合) 120.哀しみ  両親のこと

今日は母の代わりに葬儀に出席。

脳梗塞から痴呆症。
その後、7年間も病院で寝たきりの最期だったそうだ。

若くして親を亡くすのは悲しみ。
そして・・
老いた親を亡くすのは哀しみ・・

「何のために生きているのか」
という質問ほどくだらないものは無い、ということを思い知らされる。

「生きている」から「生きる」のであって、
「生かされている」から「生きている」のである。

他に一体どんな理由が必要だというのだろう。

「生きている意味が分からない」
などというセリフを吐く若者がもし目の前に現われたならば、迷わず一発食らわせてしまう・・かも・・。

・・・・・・

昨日に引き続き、父はまた検査。
今日はCT検査だったが、昨日の検査と合わせて、主治医からの結果報告は明日。

熱は37度4分。
経口抗癌剤ユーエフティーカプセルが効いているのかもしれない。

どうか少しでも、父の腫瘍の成長を遅らせて!

・・でも、父が一番心配しているのは、母のこと。

夕方、今日も母が、少しの自由時間を使って父の病室へ。

「キチガイ病棟」

そんな単語を使いながら、如何に自分が酷い状況に追いやられているかを、父に口説く母。

「おっかちゃんが言うとることはホンマなんか?」

母を病棟まで送った帰り、再び父の病室に戻った私に、父が不安げに尋ねる。

「でもね、あそこに入院してたった二日目で、もう車椅子無しでこんなに歩けるようになったんだよ」

身内に不平不満をぶちまけつつも、母の身体的な回復は目覚しい。

「一刻も早くこんなとこ出んならん!」

母のこの思いが、回復への大きな原動力になっているに違いない。

・・と思いたい。

そうでなければ、哀しくて遣り切れない・・・

2007/2/20  22:44

癌との闘い(父の場合) 119.母の罵声  両親のこと

今夜は、母に代わって、通夜の参列の予定もあり、昼間のうちに仕事を猛スピードで片けねば、と張り切っていたところ、会社に母から電話。

精神科病棟の公衆電話からだ。

「あんた、わしのこと騙したね!?」

いきなりの母のきつい口調に一瞬戸惑った。

「人をキチガイ扱いして!」

次々と、母に罵声を浴びせられた。

厳しい入退室管理や規則、食事が不味い、看護師の扱いが冷たい・・などなど、次々と不満をぶちまける母。

最後には、

「あんたのこと、恨んどるから!」

そう言って、電話は切れた。

・・・・・・・

食べることも動くこともままならず、ただただ「辛い、死にたい」と言いながら衰弱していく一方の母の姿を毎日毎日見ながら、ほとほと困り果てる兄夫婦と共に、考えに考え抜いて出した、苦渋の選択だった。

母が少しでも生きる力を見出してくれれば、少しでも回復してくれればと、みんなが願い、みんなが試行錯誤しながらも、母のことだけを考え、母にとって良かれと思って、あれこれ都合を付けつつ、ようやく辿り着いたスタート地点の第一歩だったはずだ。

それなのに・・・

「あんたのこと、恨んどるから!」

この一言が、私の心の奥深くをえぐった。

「どうした?電話でお母さん、何だって?」
隣のデスクで仕事をしていた夫が私に尋ねた。

その質問に答えようとした途端、涙がわっと溢れ出た。

私は一体何をやっているのだろう?
果たして、私のやっていることは正しいのだろうか?
親から、「恨む」とまで言われるようなことが、孝行と言えるのだろうか?

自分はどうすれば良いのか、全く分からなくなってしまった。

唯一つ、

「先生に相談して、やっぱり退院させよう」
これだけは決心した。

但し、私の一存では決定できない。
母を退院させて、一番困るのは兄夫婦だ。

食べられない、動けない、辛い、死にたい・・
こんな母の世話を、どうしてまた頼めようか。

まずは相談しようと思い、実家に電話を掛けてみたが、兄嫁は不在だった。

その後、父の検査結果を聞きに病院へ。

父が飲んだのはバリュウムではなく、別の液体だったようだ。
バリュウムは、飲むのも辛いが、出すのも辛い。
父は毎回、下剤を使いながら苦労していた。

で、今日飲んだ液体はというと・・

「これがまた、限りなく苦かったぞ〜」

とのことで、何なのかは不明だった。

結果はまだ出ていないとのこと。

さて、次は母のところへ・・
と、ずっしり重い気分で、扉の開いたエレベーターに乗り込もうとすると、そこからひょっこり母が降りてきた。

「あれ?お母さん!?」
「ああ、今からお父さんのとこ行こうかと思って」

手に、大きな紙袋を持っている。
袋の中から、いい香りが漂ってくる。

「一階の売店で、お花買ってきたんよ。お父さんの病室に飾ろう思うて」

豪華なフラワーアレンジメントだ。

「お昼に、電話できついこと言うて御免ね。ついつい感情的になってしもうて・・」

母の、意外な一言だった。

「今日はね、病棟でボーリング大会あったんよ。新聞紙で丸めたボール作って、点数書いたとこに転がして入れてね〜、初めてやったけど、意外といい点数やったわ〜」

「食事も豪華で美味しそうなんよ。でも、味薄いから、売店で醤油買ってきたわ〜」

「カラオケ大会もあるし、民謡大会もあるんよ」

「今日はね、カラオケの時間に丁度心電図取って貰ってて、歌、歌われんで残念やったわ〜」

・・あれ?常にタオルで拭っていなければいけないほど多かった唾液が、今日は出ていない?

「あ、唾液ね、なんか今朝、うがい薬もらってそれでうがいしたら、唾液の多かったの治ったわ〜」

「看護師さんたちもみんな親切やわ〜」

あれれ??????

もしかして、これは?????

昼間の電話とは打って変わった母の姿に大いに戸惑ったと共に、深くえぐられた心の傷が、ちょっぴり癒えた。

2007/2/19  22:46

癌との闘い(父の場合) 118.厳しい現実  両親のこと

今朝も早い時間に実家から電話。

これも嫌な予感。
“嫌な”予感は当っていたが、その内容は予想外だった。

母に大変近い親族の訃報だった。

ただでさえパニック状態の母が、更にパニックの様態。

全く、悪いことは重なるものだ。

が、母は到底葬儀になど参列できるような状態ではない。

昨日の決心通り、精神神経科へ電話。
事情を話すと、先日診て頂いた先生にコンタクトをとって下さり、意外とすんなり、入院を許可された。

入院の荷物は昨日からまとめてある。
ふらふらの母と、それらの荷物を車に乗せ、いざ出発。

入院をさせて頂けたことは、大変ありがたかった。
ありがたかったのだが・・・

やはり現実は厳しい。

初めて目の当たりにした精神科病棟。
病棟の出入り口は、常にしっかり施錠され、出入りは看護師を通してのみ開錠。

やはり、何か空気が違う。

それは、母が一番敏感に感じていたことだろう。

が、それを口にしてはいけない。
今それを口にしたら、“負け”のような気がした。

母が案内されたのは、病棟内一番奥の四人部屋。

皆、高齢ではあるが、母よりは幾分若いかもしれない。
その部屋の患者さんたちだけは、なんとなくとっつきやすい雰囲気があった。

それにしても、あまりにも殺風景な病室・・・

案の定、夜、か細い声で、
「家に帰りたい・・」
と、電話が掛ってきた。

・・・・・・・・

母の病棟を出た後、父の病室に寄った。

既に母が今日入院したことを話すと、

「おお〜、もう入院できたんか、良かったなぁ」

と、安心したようだった。

「早速、おっかちゃんのとこ、見舞いに行ってくるかな〜」
と、にっこりして言う父に、
「うん、それがいいね」
と即答できなかった私・・。

「う・・ん・・今日は・・止めておいた方がいいかも・・」
と、言葉を濁しながら、母の病室が少し寒かったことを理由にした。

「お父さんの病室は暖かいけど、お母さんの所はなんか寒いんだよね。お父さん、今、抵抗力落ちてるし、風邪引いちゃダメだから・・」

「そうか・・そうやな。実はな、わしもちょっと・・な・・」

少し声のトーンを落とした父。

不安な胸騒ぎと同時に、続く父のセリフ。

「実は昨日あたりから、お粥が上手いこと通らんようなって・・ほんの少ししか食べれんようなったんや・・」

状態を見るため、明日、バリュウムを飲んで検査をすることになったそうだ。

「ま、こんなもんやなぁ・・」

ところどころ、ひょろひょろとまた髪が生え始めた頭を掻きながら、父は苦笑いした。

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