2007/4/30  21:07

癌との闘い(父の場合) 187.好物断ち  両親のこと

「チョコレート断ち」
というのを実行している。

完全に止めたのは、昨年の秋ぐらいからだろうか。

チョコレート。
実はこれが大好物で、以前は一日最低100〜200g(板チョコ1〜2枚)は食べていたかも。(いえ、食べていました。)

私は、喫煙や飲酒の習慣が全く無いので、それに代わるものといえるかもしれない。(止めると禁断症状が出る。笑)

それを、全く口にしなくなった。

以前、バレーボールのチームに入っていたとき、メンバーにコーヒーを断っている女性がいた。
彼女は大のコーヒー好きだったので、皆が不思議がった。

しばらくして、彼女が1ヶ月ほどの休部を申し出た。
お母さんが癌を患っておられ、その看病をするため、田舎に帰ることになったのだ。

お母様が亡くなられてから知ったのだが、彼女の「コーヒー断ち」は、母親の回復を願ってのことだった。

彼女は、自分の大好物を断つことで、「願掛け」をしていたのだ。

そんなことしたって結果は同じだよ。
そんなのただの迷信だよ。

当時はそう思っていた。

でも、今、自分がそれと同じことをしている。

迷信だっていい。
結果が同じだっていい。

自分が何かを我慢することで、病人の痛みを少しでもシェアできれば・・
いや、到底分け合えるようなレベルの痛みではないことは分かっている。
それでも、何かを自分に課さなければ、申し訳ないような気がしている。

もう半年以上断っているけれど、やはり今でも時々禁断症状に陥る。(笑)
でも、ここで負けちゃ〜元も子もない!

いつなんどき病院から電話が掛ってきてもおかしくないような状態だというのに、もし私がここで一口でもチョコレートを食べてしまったら父や母は・・
そう思うと、絶対に口には出来ない。

馬鹿だと思われても構わない。
無粋な他人の忠告など必要無い。

大切な人を想うということは、そういうことなのだから。

・・・・・・・・・

ゴールデンウィークも早、前半が終了。
夫は相変わらずゴルフ三昧。
子らはそれぞれの友人達との予定を楽しんでいる。

私は、病院と家事が中心。
毎日、病室で父とコーヒーが飲める僅かな時間の幸せに浸っている。

2007/4/29  21:56

癌との闘い(父の場合) 186.命の炎  両親のこと

父の余命宣告が下されてから、今日が二度目の外出となった。

前回、父が見たであろう桜並木も、すっかり新緑に生まれ変わっている。
今回も、あの日に負けないくらい、外出日和の晴天だ。

いつもなら夕方までかかる点滴も、今日はお昼で外して貰った。

父は、病院のパジャマから私服に着替えるだけで体力が消耗してしまうので、今回はパジャマの上から直接セーターを被り、スーツのズボンを穿き、ジャケットを羽織った。

父の痩せ細った体にとって、それは、一向に窮屈な着方ではなかった。

今回の外出の目的は、父の愛用品などの整理。
私は、その父の貴重な時間を邪魔したくなかったので、お昼をかなり過ぎてから実家に寄ってみた。

昨日、父は、私に見せたいものがあると言ってた。
それは、父がまだ赤ん坊だった頃の写真。
それが、たった一枚だけ残っているというのだ。

そのような写真があろうとは、今の今まで全く知らなかった。

父が指示した場所から、父が教えてくれた通りの、A4サイズほどの缶が出てきた。
父に促され、中を開けて確認してみたが、それらしい写真は見当たらなかった。

その代わりに出てきたのは、私が結婚後、転勤先から両親宛に送った手紙や写真だった。
その他、まだ父と母が活き活きと暮らしていた頃(50代辺り)のものも何枚か。

趣味の三味線や舞踊の発表会で見せてくれた、キリリとした表情の母の姿も。

ああ、そうだったね・・
こんな日もあったんだよね・・

父と兄夫婦と私とで、それらの写真をのぞき込み、懐かしんだ。

「そうだ!これをお母さんにも見せてあげようよ!」

きっと、母が喜んでくれるに違いない。

そんな思いで、四人の頭の中は一つになった。

四時。
もうそろそろ病院へ戻らなければならない。
父も、口には出さないが、相当疲れているはずだ。

そこで、父の病室へ戻る前に、全員で母に会いに行くことにした。
父も、力を振り絞った。

母の病棟の面会室で待つこと数分。
いつものように、車椅子を手押し車代わりに摑まって、少しづつ少しづつヨチヨチ母が歩いてきた。
久しぶりに揃った5人。

車椅子の母と車椅子の父。

二人とも、本当によくここまで生きていてくれた。
今はもう、これ以上のことは何も望まない。

ただ二人、こうして生きてくれていること。
これが全てだ。

取って置きの写真を母に見せたが、母は一瞥しただけで特に喜んだようなそぶりは見せなかった。

「病室に持って行って、たまに眺めてるといいよ」
「看護師さんにも見せてあげたらいいよ、きっとビックリして、お母さんのことすっかり見直しちゃうんじゃないかな〜」

私の提案に母は、

「そんなもん、病室で見とる元気無いわ」
と、そっけなく断った。

ま、いい。
嫌なら無理強いすることはない。

父は、そんな母に、とても残念そうな表情を見せていたが・・・

そろそろ体力の限界を超え始めた父の様子に、
「さあ、もう病室に帰ろう。お父さんとお母さん、握手、握手〜」

その声に押されて、父と母が握手を交わした。

「手、冷えとるねぇ・・」
父の手に触れた母が、そう呟やきながら、父の頬を優しく撫ぜた。

今にも消え入りそうに、細く揺らめく二本の命の炎。
その弱々しい揺らめきが、一本に重なった瞬間だった。

2007/4/28  22:30

癌との闘い(父の場合) 185.災いから福へ  両親のこと

「災い転じて福と成す」
という言葉が好きだ。

大体、人生を形成している成分というのは、『災い』が主体のようなもので、順風満帆などといった甘い味覚は、最初から含まれていないと思っておいた方が良い。

もしも人生に、「幸福」と「不幸」の二種類があるとしたら、それは、それぞれに配給された災いを、そのまんま災いとして食らったか、あるいは、好みのスパイスを振り掛けたり、盛り付けなどにアレンジを施したり、自分なりの工夫をして食す、といったような行為の違いが、結果として現れただけのことなのである。

・・・・・

先月起きた能登半島地震では、地元の伝統工芸品 輪島塗の工場も大きな被害を受け、輪島の漆器業界に打撃を与えた。

が、この災いを見事に福と転じた業者がいる。

「震災」に掛けて、「新彩椀(しんさいわん)」と名付け量産化の研究に乗り出した輪島・稲忠漆芸堂 である。

工場で乾燥中に能登半島地震が発生し、製品全滅かとの絶望的危機の中、奇跡が起こった。

上塗りを施した器を回転させながら乾かす「回転風呂」に、地震によって機械の回転や温度・湿度を調整する機能が止まったまま放置された状態の碗に、漆がにじみながら流れたような模様が生まれていたのである。

30個中、7個に出来ていたそれらに、
「人の手ではできない奇跡的な作品」
という大きな評価を受け、量産化により漆器業界の巻き返しを図る。

震災の災いを、災いのままで終わらせないぞ!との意気込みが、福を呼び込んだのに違いない。

また、輪島で被災された方々の多くが高齢者だったようだが、絶望的な状況の中にあってもなお、感謝の気持ちを忘れないご様子には、本当に頭が下がる。

・・・・・

「災い転じて福と成す」

家族の病気や怪我も、大きな災いの一つだ。
が、これも、己の味付けや盛り付け次第で、きっと福と成すことができるに違いない。

・・・・・・

明日の午後から、父は二度目の外出予定。
今回も、点滴を途中中断して、夕方5時までの外出だ。

自宅にある父自身の品々の整理をするのだそうだ。
きちんと身辺整理をしてから永遠の旅立ちをする・・
実に父らしい。

2007/4/27  21:50

癌との闘い(父の場合) 184.粋な設計士  両親のこと

心と体というのは、実に密接な繋がりが存在することを実感する。

今朝の爽やかな目覚めといったら!

昨日、病棟のエレベーター前で、ニッコリ笑いながら手を振ってくれた父の姿が、幾度となく私の脳内をふわふわ包み込んでくれている。

つい数日前までは、絶望で毎日泣き腫らしていたというのに!

勿論、父の今の状態がいつまでも続くなどとは決して思っていない。

けれども、そうやって、悪化の一途を辿る螺旋(らせん)階段の途中途中に、ちゃんと息継ぎをするに相応しい踊り場を設けてくれている父の人生の粋な設計士(神?)に、感謝したい気持ちでいっぱいである。

徐々に徐々に、私が父との別れを受け入れていけるように、父との別れを、ただ単に悲しみとして受け止めるのではなく、最期まで父を生かし切って下さった目に見えぬ偉大なる力への感謝、そして、それを見事に生き切ってくれた父を感謝で送リ出せるように・・と、そんな風に私を変えてくれているのではないか、とさえ感じる。

・・・・・・

今日の夕方の父は、まだ点滴中だった。
残り約一時間かという辺り。

それでもちゃんと、コーヒーの香りに誘われ、今日も自力で上半身を起こした。

まさか、コーヒーが癌の新薬になるとは思えないのだが、父がコーヒーに救われているのは確かだ。

今日も10cc 程を、時間を掛けてゆっくりゆっくり飲み干した。
以前は、唾液も吐くくらいだったのが、病室でコーヒーを楽しむようになってから、全くと言っていい程、そうした現象が見られなくなった。

たとえ末期癌患者であろうとも、何か一つでも口に合うものが有るのと無いのとでは、大違いである。

昨日は、本当に嬉しかったのだろうな。
脳神経外科の先生に「コーヒー」を褒められたのが。

・・・・・・

今日は点滴中だったためか、コーヒーを楽しんだ後、父はまたベッドに横になった。

そう、無理をする必要なんて無い。

2007/4/26  21:18

癌との闘い(父の場合) 183.驚異の医師力  両親のこと

廊下をそろりそろり、今日もホッとコーヒーを片手に携え、父の病室へ向かう。

三回に一度は眠っていることがあるので、
「今日は目を開けてくれてるかなぁ・・コーヒーが冷めるとがっかりだろうしなぁ・・どうか起きてておくれよ〜」
と願うのが日課でもある。

カーテンの囲いからそっと覗いてみると、今日の父は、バッチリ目を覚ましていた。

そして、コーヒーの香りに誘われて、
「おお〜、コーヒーの良い香りがするのぅ〜」

・・と、ここまではいつもと同じだ。

が、今日は・・

「あれ??あれれれ!!」

なんと、父が、私の手を全く借りずに、ささっと上半身を起こしたのだ。

「あれ〜〜〜〜?お父さん、一人で起きれたね??」
驚く私に、いたずらっぽっく笑う父。

いつものように父とコーヒーを分け合って・・・

「あれれれ???」

なんと、父が、ちびりちびりとコーヒーを飲み始めた。
途中、少々咽(むせ)てドッキリしたが、とうとう10cc 程を飲み干した。

「わお!」

父が言うには・・・

「今日、脳神経外科の診察があってのぅ。そこで先生から言われたんや」
「なんて?」

「コーヒーは体にとってもいいんやと。香りや成分が、脳に大変良い刺激を与えてくれるんやと。だから、毎日コーヒーを楽しんどるのは、大変良い事やと褒められたんや〜」

久しぶりの、父の満面の笑みだ。

「今度の日曜日に、また外出してちょっと家に行こうかと思うとる」
「うん、そりゃいいね!」

しばらく話した後、

「さ、そろそろ帰りなさい。わしも一緒にそこまで行くかいな〜」
「え?一緒にって・・大丈夫なの??」

そう言うか言わないかのうちに、父はベッドサイドの下にあるスリッパに足を入れた。

マ、マジですか?

ええええ???????

細い細い、もうこれ以上の細さは無いというくらいの細い体で、父が歩き出した。

手すりにさえ摑まらず。
病棟の長い長い廊下を、私と肩を並べて・・

ああ、こんなこと、もう二度と無いと思っていたのに!

「お父さん!これ、スゴイよ!こんなに歩けるなんて信じられないよ!」

驚嘆の声を上げる私に、

「いやあ〜、今日、脳神経外科の先生に言われてのぅ〜」
「なにを??」

「『歩かないと足がダメになって、体がすぐに弱っていってしまいますよ。じゃんじゃん歩いて下さいね』じゃと。じゃから、今日からまた歩く練習せんならん思うてなぁ〜」

うわぁ〜、本当に、エレベーターまでの長い道のりを、手すりにも摑まらずサッサッサッサと歩き切った。

そして、エレベーターに乗り込んで「じゃあ、またネ!」と手を振る私に、
「ハイ、また宜しくな〜」
と、手を振り返してくれた。

その父の笑顔といったら!

本当に、あと上手く行って1〜2ヶ月の余命宣告を受けている末期がん患者ですか??

エレベーター内で、思わず笑みが・・
病院の駐車場に向かう道でも、車の中でも、帰りに寄ったスーパーでも・・

ああ〜〜〜〜

嬉しい!!


<註>
医師力(医師の適切な言葉の力)
意志力(父の生きようとする力)を掛けてみました・・・

2007/4/25  20:51

癌との闘い(父の場合) 182.慶事と弔事  両親のこと

父の耳が、以前にも増して、かなり遠くなっているようだ。
こちらが相当大きな声を出さないと、話が全く通じない。
が、同室の方々もいらっしゃる手前、大声で話すというのもどうかとも思う。

その結果、あまり複雑な話が出来なくなってきた。
会話を一文節か二文節で終えるには、内容をかなり絞り込まなければいけない。

父の発する声もなかなか聴き取り難く、会話が弾むというより、内容理解のズレによるストレスを感じることが、お互いに多くなってきたように思う。

これはもう、仕方の無いこと。

とにかく、ゆっくりゆっくり、ハッキリと発音することを心掛けよう。

・・・・・・・・

6月の上旬に、義姉の娘さんの結婚式が予定されている。
夫の姉の子、ということで、当然、夫の両親を始めとする我が家一族が招待されているわけだが、さて、その時期というのがかなり問題だ。

主治医から受けた父の余命宣告に間違いがなければ、その頃というのが、まさにその時期に重なってしまうのだ。
たとえ、父が生きていてくれたとしても、相当な状態であることは予想が付く。

結婚式の準備の都合上、早急に返事を出さなければいけなかったのだが、私だけは、いつまででも結論が出せないでいた。

最初から、私だけ欠席にしておいた方がいいのか、または、突然の欠席で迷惑を掛けることを十分念頭に置いてでも、敢えて出席の返事を出しておくべきなのか・・。

慶事を喜ぶ立場と、弔事に怯える立場・・

父の無事を願う意味合いを持たせ、一応慶事に合わせることに決心はしたけれど・・
またもや婚家で一人、浮いてしまった。

2007/4/24  21:32

癌との闘い(父の場合) 181.父とコーヒー  両親のこと

昨夜の真夜中、父は、看護師さんに大変迷惑を掛けてしまったようだ。

父のベッドサイドに、厳重にビニール袋で密封された汚れ物が置いてあったので、もしや・・と思ったのだが・・・

やはり予感的中。

ずっと以前から、自発便が無く、下剤で調整している父なのだが、昨夜はとうとう、想定外の事態に陥ってしまったらしい。

父の話によると、真夜中のコールを受けた看護師さんがすぐに駆けつけ、後始末をして下さり、シャワーで、父の汚れを綺麗に洗い流して下さったとのこと。

仕事とはいえ、看護師さんには、大変頭の下がる思いである。

・・・・・・・

ここのところ、自販機のコーヒー入り紙コップを持って父の病室に行くのが日課になっている。

私が寄る時間帯は、一日の点滴が終了し、ぐったりベッドに横たわった父の姿を見ることが多い。

が、コーヒーを持って行くと、その香りに誘われたように、
「お、コーヒーか。ちょっと起こしてくれんか」
と、言ってくれる。

私は、これが嬉しい。

父の湯飲みに入れるのは、ほんの2〜3ccほど。
たったこれだけを、父は見事なジェスチャーで堪能してくれる。

コーヒーの香りを嗅いでいるときの、幸せそうな父の顔。

ああ、この父のささやかな幸せが、一日でも長く続いてくれれば・・・

そう願いながら、毎日せっせとコーヒーを運ぶ私なのだが、案外、幸せなのは、そんなことをやらせて貰えている自分の方であって、父は、私を喜ばすために、嬉しい反応を見せてくれているのかしら?なんてことを思ったりもする。

そして、それと同時に、近い将来、
「・・もう明日から、コーヒーは持って来んでいいから・・」
と、父が遠慮がちに私に告げる日が来るのだろうな・・といった漠然とした不安も、湧いてくるのだった。

2007/4/23  21:48

癌との闘い(父の場合) 180.『ありがとう』  両親のこと

こうして日々、父と母の全く両極端な「老い」を目の当たりにしながら、さてこれらは、本当に両極端なのだろうか?
とも思えてくる。

孤高な精神の持ち主であろうと、卑屈な精神の持ち主であろうと、「老いる」という事象は、誰にも平等にやってる。
長生きをすればするほど、「老い」というヤツは、ピタリとその身にまとわり付いてくるに違いないのだ。

だから、老いる前に、日々精一杯、今を大切に生きよう!

・・といったような結論に達することは容易なのだが、それじゃあ実際にそれが出来るのかというと、これがまた実に怪しい。

若い頃、どんなに輝いていたとしても、「老い」というものはなかなか手ごわい。
それは、輝いていたハズの若き時代を、全て帳消しにしてしまうくらいの勢いを持って襲ってくるからである。

そんな中、唯一救いがあるとすれば、それは、誰かに、あるいは、何かに、
「感謝できる心」
の、存在なのかもかもしれない。

いよいよ死期が近付き、やつれ、枯れ果てた姿になろうとも、「ありがとう」を言える心が宿る肉体は、尊い。

が、果たしてこれは、単なる軽い理想論に過ぎないのだろうか?

否!

たった数ヶ月で、身も心も、「老い」以上の重い枷(かせ)によって雁字搦(がんじがら)めにされた母。
その母が、昨日にも増して、ハッキリとした口調で私に掛けてくれた言葉。

「ありがとう、ありがとう、ありがとう」

今日、母から頼まれていた上着を病室まで届けた帰り際。
私に繰り返し掛けてくれたそれは、母を、単なる病んだ哀しい老人から、たった一人の私の尊い母へと変えてくれていた。

父からの「ありがとう」
そして、
母からの「ありがとう」

どちらもこの身に受けることが出来る私は、かなりの幸せ者である。

2007/4/22  21:33

癌との闘い(父の場合) 179.それぞれの幸せ  両親のこと

昨日、目薬を差しながら、
「もう泣かないぞ!」
と、決意して以来、ようやく自分を取り戻し始めた。

そう思った途端、なんだか母に会いに行きたくなった。

母と、普通の母娘の会話を交わしたい。

以前のように、
「あんたと話しとったら、なんやら気持ちが和らぐわ〜」
と、言って貰いたい。

そして、母に少しでも微笑が戻って来て欲しい・・

どんなにキレイごとで装おうとしても、心のどこかに、母を避けたい、母から逃げ出したい、という気持ちが潜んでいることは、到底隠し切れない。

けれども、それでは絶対にいけないのだ。

母にしたところで、あと、どれだけ生きられるというのだ。
残り僅かな人生を、こんなに姿で終えなければならないなんて、あまりにも哀し過ぎる。

普通の母と娘のように過ごせる時間が欲しい!

そのために必要なことは、私が母を、ありのまま、そのままの姿で丸ごと受け止めること。

今日は、普通の母娘になりたい!

そんな思いで、掃除も洗濯も後回しにして、朝から病院へと向かった。

まずは、父の病室へ。
一階の自販機の、熱いコーヒーの香りを手に携えて。

昨日の帰り際、約束をしていたのだ。
「明日は、コーヒーの香りだけでも嗅がせて貰おうかなぁ〜」
とねだった父と。

・・・・・

朝の病室は、慌しさの中にも、何だか清々しい。

どの患者も、今日一日の新たな始まりへの期待、そしてまたそれと同時に、今日一日の闘いの始まりへの覚悟と決意、そして柔らかな享受の表情を湛えているかのように見えた。

紛れもなく父も、その中の一員だ。

今日一日の点滴のスタートを切ったばかりの父の傍らへ。
コーヒーの香りに、早速嬉しそうな反応の父。

「おお、いい香りや〜。少し起こしてくれるかのぅ〜」

いつものように、身を起こすのを手伝い、湯飲みに少しコーヒーを注いだ。

「コーヒーの香りを嗅いどるだけで、なんやら気持ちが良うなるなぁ〜」
そう言って、湯飲みに鼻を近付け、それだけで満足そうな笑みを浮かべる父。

しばらくそうして香りを嗅いだ後、またベッドに横になった。

たったそれだけのことに幸せを見出せるなんて!

今、自分が出来ることの範囲内で幸福を見つけることが出来る能力の有無こそが、人生の豊かさを握る鍵なのかもしれない。

・・・・・・

その後、いよいよ母の病棟へ。

日曜日だけは、病室までの入室が許されている。

ナースステーションで受付を済ませ、病棟の鍵を開けて貰う。

・・母は、ベッドで目を閉じたままだった。

眠っているのだろうか・・・

乱れた布団をそっと直すと、母が薄目を開けた。

「誰が来とるんかと思ったら、あんたやったんか」
「うん。お母さん、調子はどうかな〜?食事は食べれてる?」

「あれ買うて来て。パンにイチゴとか・・キーウィーとか・・挟んである・・なんやったかいなぁ・・・」
「ああ、もしかしたら、サンドイッチ?フルーツサンド、ね?」

「ああ、それそれ。売店でそれ買うて来て」

また、私の顔を見るなり食品のおねだりかい?!

一瞬、そう思ったが、何だか可笑しくなってきた。
母親としての威厳も何も無く、子どものように食べ物をねだる母。

何だか可愛いじゃないか。

すぐに売店まで走り、フルーツサンドイッチを購入し、袋を開けて母に手渡すと、母は寝たままの格好で、それを貪り食った。

生クリームが口の周りにベッタリ付くのも、中身の果物が首の辺りにボロボロ落っこちるのも構わずに・・

そんな母の姿が、哀しいけれど、愛しくもある。

母の全てを、そのまま丸ごと受け入れる決心が付いたから。

母の姿をニコニコ眺めていたら、母が信じられない一言をくれた。

「あんた、疲れたやろう?ありがと」

そして、何ヶ月ぶりか、母の口元に、ほんの僅かな笑みが洩れた。

今日も、終わってみれば手抜きの一日。

でも、母のその僅かな変化を感じ取れたことが、とても幸せだった。

2007/4/21  20:57

癌との闘い(父の場合) 178.授業参観  両親のこと

今日は土曜日にもかかわらず、中三次女の授業参観と保護者会が、午後から予定されていた。

次女には悪いが、全く気が乗らず、昨夜まで、行こうかどうしようかと迷っていた。

その迷っている理由の一つが、「顔」だった。

朝、昼、晩、いつ見ても、鏡に映る自分の顔が暗い。
ふと目をやったショーウィンドウに映る自分の姿も、何だか冴えない。

こんな姿で学校に行くなんて、次女に申し訳ない。

そこで一念発起。
眼科へ行ってきた。

なぜに眼科か?
というと、
実はここ数日、人知れず泣き過ぎて、目が泣き腫らし状態だったのである。
・・おそらく、他人には感付かれてはいないとは思うが、自分自身にはよく分かる。

眼科で処方された目薬を差して、また一念発起!

もう泣かないぞ!

父がこうして何の不満も洩らさず、家族や周りを泣かさないようにと頑張ってくれているのに、私がこんなに暗いのでは、折角の父の努力も水の泡だ。

これからは、きっちり気持ちを切り替えて、いつもの自分に戻ろう!

・・・・・・

無事に授業参観を終え、保護者会はパスして早々に帰宅後、父の病院へと向かった。

私の足音が、病棟の廊下から段々に近付いてくるのを感じ取っていたのか、病室に一歩足を踏み入れたところで、カーテンの隙間から、父の細い腕の肘から上の部分が、空(くう)を左右に揺らしているのが見えた。

私に手を振ってくれているのだ!

きっと私のことを待っていてくれたに違いない。
今日は少し話せそうだ。

が、声量が少なくなっているからか、言葉がなかなか聴き取れない。

少し体を起こして欲しいと言うので、いつものように、父の手と背中をそっと支えて、身を起こすのを手伝った。

早速、
「おお、ありがとう。やっぱり身内は、起こし方が優しくていいのぅ〜」
と言って、私を喜ばせてくれる。

父が言うには、看護師さんだと、起こし方が随分乱暴なのだそうで・・(笑)

上半身を起こした父は、幾分元気そうに見える。
お茶で口を湿らせると、少し話もしやすくなったようだ。

「今日、おっかちゃんがここまで来てくれたぞ」
「え?そうなの?それは良かったネ!」

なんでも精神科病棟の看護師さんが、母を車椅子に乗せて、父の病室まで連れて来て下さったそうだ。

ここで二人がどんな会話を交わしたのかは知る由も無いが、共に老いて辿り着いた今を、少しでも語り合えたなら・・

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