2007/5/31 21:33
癌との闘い(父の場合) 219.母のひと言 両親のこと
「なんやら夢みたいやわ」
え?
母のそのひと言に、思わず父と顔を見合わせた。
・・・・・・
ここのところ、父の様態があまり芳しくなく、終末期病棟の婦長さんから、
「なるべくお父さんとお母さんを会わせてあげた方がいいですよ」
と言われていた。
といっても、母の精神科病棟の面会時間は5時まで。
会社帰りの私には、到底その時間には間に合わない。
そこで、婦長さんがわざわざ精神科病棟に掛け合って下さり、時間に拘らず、母を車椅子に乗せて父の病室へ連れて行っても良い、という許可を取って下さった。
早速、今日の夕方、母を精神科病棟まで迎えに行き、車椅子に乗せ、父の元へと連れて行った。
父は、母が来ると、必ず手を差し伸べ、握手を求める。
それに答えて、母も手を差し出す。
母を見る父の目が優しい。
目を細めながら、
「あんた、どうや、元気やったかいのぅ?」
と声を掛ける。
そんな様子を見ながら、なんだか二人っきりの時間を作ってあげたくて、
「私、ちょっと一階の売店で紙おむつ買って来るネ」
と、病室を出た。
父が話せるうちに、もっと母にも会わせてあげなくちゃ。
・・・・・・・
紙おむつを買って、病室に戻ると、父が母にクッキーをご馳走していた。
「おう、あんたも一緒に食べられや」
と、父のか細い手が、私にも一枚、差し出してくれた。
サクサクとして、甘く柔らかいクッキー。
父と母と私の三人きり・・・
久しぶりに流れる優しい時間。
そんな時間にうっとりしていると、母が突然、
「ねえ、ここにハサミある?ちょっと襟足の方の髪、切ってくれんかねぇ」
と、私にせがんだ。
元気な頃は、いつも髪に気を使っていた母。
が、今となっては、もうそのような面影など微塵も無い。
精神科病棟では、カミソリは勿論のこと、ハサミや爪切り、鏡、化粧瓶・・などなど、刃物や割れ物は持ち込み厳禁だ。
持ち物検査で見つかると、没収されてしまう。
考えてみたら、女性には非常に辛い病棟だ。
・・・・・
「うん、いいよ!」
母の首周りにタオルを当て、ゴミ箱を引き寄せ、ハサミを手に、即席の美容師に変身だ。
襟足の部分を重点的に、手際良く。
サク、サク、サク・・・
白髪染めがすっかり抜け、パサパサに剥げたままの、薄茶とグレーの疲れ切った薄い髪が、パラパラと落ちる。
サク、サク、サク・・・
「おお、いいのになったなぁ、スッキリしてきたのぅ〜」
私の手に持つハサミが進むにつれ、父が嬉しそうに、母の髪を褒める。
「はい、出来上がり!」
「おお〜、いいのになったなぁ〜、スッキリしたなぁ〜」
父の賞賛を浴びて、母も、
「ああ、スッキリしたわぁ」
と、喜んでくれたような気がした。
そして、
「なんやら夢みたいやわ」
と、母がつぶやいた。
え?もしかしたらまた幻覚??
・・と、同じことを思ったのか、父も怪訝な顔をして、思わずお互いに顔を見合わせた。
続けて母が言う。
「なんやら夢見とるみたいやわ・・あんたに髪切ってもらえるなんて・・。ありがとう。」
え?お母さん、ありがとうって・・
それって、幻覚じゃなくて、
『夢みたい』って・・
もしかしたら、本当に喜んでくれてるの?
ああ、良かった!
鏡を見た母が、
「ああ、ホンマや。いいのになっとるわ、スッキリしとるわ。美容師顔負けや。ありがとう」
母の『ありがとう』
たったこのひと言。
けれども、
私にとっては、
ダイヤモンドより輝けるプレゼント!
え?
母のそのひと言に、思わず父と顔を見合わせた。
・・・・・・
ここのところ、父の様態があまり芳しくなく、終末期病棟の婦長さんから、
「なるべくお父さんとお母さんを会わせてあげた方がいいですよ」
と言われていた。
といっても、母の精神科病棟の面会時間は5時まで。
会社帰りの私には、到底その時間には間に合わない。
そこで、婦長さんがわざわざ精神科病棟に掛け合って下さり、時間に拘らず、母を車椅子に乗せて父の病室へ連れて行っても良い、という許可を取って下さった。
早速、今日の夕方、母を精神科病棟まで迎えに行き、車椅子に乗せ、父の元へと連れて行った。
父は、母が来ると、必ず手を差し伸べ、握手を求める。
それに答えて、母も手を差し出す。
母を見る父の目が優しい。
目を細めながら、
「あんた、どうや、元気やったかいのぅ?」
と声を掛ける。
そんな様子を見ながら、なんだか二人っきりの時間を作ってあげたくて、
「私、ちょっと一階の売店で紙おむつ買って来るネ」
と、病室を出た。
父が話せるうちに、もっと母にも会わせてあげなくちゃ。
・・・・・・・
紙おむつを買って、病室に戻ると、父が母にクッキーをご馳走していた。
「おう、あんたも一緒に食べられや」
と、父のか細い手が、私にも一枚、差し出してくれた。
サクサクとして、甘く柔らかいクッキー。
父と母と私の三人きり・・・
久しぶりに流れる優しい時間。
そんな時間にうっとりしていると、母が突然、
「ねえ、ここにハサミある?ちょっと襟足の方の髪、切ってくれんかねぇ」
と、私にせがんだ。
元気な頃は、いつも髪に気を使っていた母。
が、今となっては、もうそのような面影など微塵も無い。
精神科病棟では、カミソリは勿論のこと、ハサミや爪切り、鏡、化粧瓶・・などなど、刃物や割れ物は持ち込み厳禁だ。
持ち物検査で見つかると、没収されてしまう。
考えてみたら、女性には非常に辛い病棟だ。
・・・・・
「うん、いいよ!」
母の首周りにタオルを当て、ゴミ箱を引き寄せ、ハサミを手に、即席の美容師に変身だ。
襟足の部分を重点的に、手際良く。
サク、サク、サク・・・
白髪染めがすっかり抜け、パサパサに剥げたままの、薄茶とグレーの疲れ切った薄い髪が、パラパラと落ちる。
サク、サク、サク・・・
「おお、いいのになったなぁ、スッキリしてきたのぅ〜」
私の手に持つハサミが進むにつれ、父が嬉しそうに、母の髪を褒める。
「はい、出来上がり!」
「おお〜、いいのになったなぁ〜、スッキリしたなぁ〜」
父の賞賛を浴びて、母も、
「ああ、スッキリしたわぁ」
と、喜んでくれたような気がした。
そして、
「なんやら夢みたいやわ」
と、母がつぶやいた。
え?もしかしたらまた幻覚??
・・と、同じことを思ったのか、父も怪訝な顔をして、思わずお互いに顔を見合わせた。
続けて母が言う。
「なんやら夢見とるみたいやわ・・あんたに髪切ってもらえるなんて・・。ありがとう。」
え?お母さん、ありがとうって・・
それって、幻覚じゃなくて、
『夢みたい』って・・
もしかしたら、本当に喜んでくれてるの?
ああ、良かった!
鏡を見た母が、
「ああ、ホンマや。いいのになっとるわ、スッキリしとるわ。美容師顔負けや。ありがとう」
母の『ありがとう』
たったこのひと言。
けれども、
私にとっては、
ダイヤモンドより輝けるプレゼント!
2007/5/30 21:59
癌との闘い(父の場合) 218.母の現実 両親のこと
母が精神科に入院してから、二ヵ月半。
そろそろ入院期限を迎える。
退院か転院か。
来月にはどちらかを選択しなければならない。
母はもう、自力で歩けなくなっている。
体中あちこちの痛みを訴える。
昼夜を問わず、二時間おきのトイレ。
お風呂は勿論のこと、介助無しでは到底何もできそうに無い。
そのような状態でも、
今月初めに下りた介護認定は、要介護1。
判定基準は、なかなか厳しい。
これで要介護1ならば、最も重い要介護5とは、
どのような状態のことをいうのだろうか。
つまり、現状を超える厳しさが、今後次々と待ち受けている、
というわけだ。
とりわけ母の場合、通常の身体的障害に加え、
精神的な障害も負っている。
そのため、父のような、
周りに対する感謝の言葉などは一切無く、
母のためにどのように心を尽くそうとも、
返ってくるのは、
不平不満の言葉や態度・表情ばかりである。
介護者にとって、これが一番辛いことかもしれない。
夜中に何回起こされようと、
どんなに過酷な世話を要されようと、
「ありがとう」
の、ひと言で、私たちは救われるのである。
意識が無いのなら、無いで、
それは仕方がないと諦めもつく。
が、心を尽くしたことに対して、
ことごとく不満の態度を顕わにされると、
さすがに落ち込む。
だから、母と面会する時は、緊張する。
どうすれば、母に喜んでもらえるのか。
そして、どうすれば、
自分自身に悲しい思いをさせないで済むのか、
・・と。
そんな母を、兄嫁は自宅で看ることが出来るのだろうか。
そして私は、
どのくらいの時間を母に費やすことが出来るのだろうか。
他の病院など、そう簡単に見つかるとは思えない。
・・・・・・・
そんな話を父としてみたが、
父自身の体の方が、
もっと危うい・・
そろそろ入院期限を迎える。
退院か転院か。
来月にはどちらかを選択しなければならない。
母はもう、自力で歩けなくなっている。
体中あちこちの痛みを訴える。
昼夜を問わず、二時間おきのトイレ。
お風呂は勿論のこと、介助無しでは到底何もできそうに無い。
そのような状態でも、
今月初めに下りた介護認定は、要介護1。
判定基準は、なかなか厳しい。
これで要介護1ならば、最も重い要介護5とは、
どのような状態のことをいうのだろうか。
つまり、現状を超える厳しさが、今後次々と待ち受けている、
というわけだ。
とりわけ母の場合、通常の身体的障害に加え、
精神的な障害も負っている。
そのため、父のような、
周りに対する感謝の言葉などは一切無く、
母のためにどのように心を尽くそうとも、
返ってくるのは、
不平不満の言葉や態度・表情ばかりである。
介護者にとって、これが一番辛いことかもしれない。
夜中に何回起こされようと、
どんなに過酷な世話を要されようと、
「ありがとう」
の、ひと言で、私たちは救われるのである。
意識が無いのなら、無いで、
それは仕方がないと諦めもつく。
が、心を尽くしたことに対して、
ことごとく不満の態度を顕わにされると、
さすがに落ち込む。
だから、母と面会する時は、緊張する。
どうすれば、母に喜んでもらえるのか。
そして、どうすれば、
自分自身に悲しい思いをさせないで済むのか、
・・と。
そんな母を、兄嫁は自宅で看ることが出来るのだろうか。
そして私は、
どのくらいの時間を母に費やすことが出来るのだろうか。
他の病院など、そう簡単に見つかるとは思えない。
・・・・・・・
そんな話を父としてみたが、
父自身の体の方が、
もっと危うい・・
2007/5/29 21:26
癌との闘い(父の場合) 217.二つの死 両親のこと
「ZARD」のボーカル 坂井泉水さん(40)の転落死と、松岡利勝農林水産相(62)の自殺。
今日のニュースは、これら二件の死の話題で持ちきりだ。
酒井さんの方は、がん闘病中だったという状況も、非常に衝撃的だった。
昨年六月の子宮頸がんの治療も虚しく、肺への転移。
今年4月に再入院、放射線治療などを受けていたとのことだが・・
手術によって、一時は完治したとしても、再発や転移を繰り返すのが癌の恐ろしいところ。
若く美しく、そして、類稀な才能ある彼女を、容赦無く襲った癌・・
状況から、事故か自殺かの判定がなかなか付かないでいるようだが、どちらにせよ、彼女を死へ追いやったのは、間違いなく癌のせいである。
癌に罹らなければ、あの慶応大病院の非常階段に居るはずもなかっただろう。
本当ならば、今頃は、レコーディングやステージに向けて、活動を進めていたに違いないのだから。
もう一つの死、松岡農相の自殺。
こちらは用意周到に、各方面への遺書まで整えての、覚悟の死だ。
自ら命を絶つことで、全ての問題をクリアーできると思ったのか、あるいは全面責任放棄か。
何かを訴えるための死というより、単なる現実逃避にしか見えないというのが正直なところ。
遺体が、故郷の熊本へと飛行機で輸送される映像は、哀しかった。
大臣として大出世して故郷を出たはずの彼が、「政治家」という奇異な職業に犯され、殺(や)られ、変わり果てた姿で故郷へ戻らねばならなかったのだから。
故郷には、86歳になる一人暮らしの母親がいるという。
母親にとって、彼は大臣でも政治家でも無い。
大切な大切な、ただただ愛する一人の息子、なのだ。
年老いた母親を、大きな悲しみに陥れてしまった彼の罪は、政治家としての罪よりも、重いものかもしれない。
・・・・・・・・
この二つの死。
まるで違うタイプではあるが、「死」には違いない。
病室のベッドに横たわる父は、もう歩くことも出来なくなってしまったが、それでも、生きている。
「生きている」ということは、
ただそれだけで、尊い。
今日のニュースは、これら二件の死の話題で持ちきりだ。
酒井さんの方は、がん闘病中だったという状況も、非常に衝撃的だった。
昨年六月の子宮頸がんの治療も虚しく、肺への転移。
今年4月に再入院、放射線治療などを受けていたとのことだが・・
手術によって、一時は完治したとしても、再発や転移を繰り返すのが癌の恐ろしいところ。
若く美しく、そして、類稀な才能ある彼女を、容赦無く襲った癌・・
状況から、事故か自殺かの判定がなかなか付かないでいるようだが、どちらにせよ、彼女を死へ追いやったのは、間違いなく癌のせいである。
癌に罹らなければ、あの慶応大病院の非常階段に居るはずもなかっただろう。
本当ならば、今頃は、レコーディングやステージに向けて、活動を進めていたに違いないのだから。
もう一つの死、松岡農相の自殺。
こちらは用意周到に、各方面への遺書まで整えての、覚悟の死だ。
自ら命を絶つことで、全ての問題をクリアーできると思ったのか、あるいは全面責任放棄か。
何かを訴えるための死というより、単なる現実逃避にしか見えないというのが正直なところ。
遺体が、故郷の熊本へと飛行機で輸送される映像は、哀しかった。
大臣として大出世して故郷を出たはずの彼が、「政治家」という奇異な職業に犯され、殺(や)られ、変わり果てた姿で故郷へ戻らねばならなかったのだから。
故郷には、86歳になる一人暮らしの母親がいるという。
母親にとって、彼は大臣でも政治家でも無い。
大切な大切な、ただただ愛する一人の息子、なのだ。
年老いた母親を、大きな悲しみに陥れてしまった彼の罪は、政治家としての罪よりも、重いものかもしれない。
・・・・・・・・
この二つの死。
まるで違うタイプではあるが、「死」には違いない。
病室のベッドに横たわる父は、もう歩くことも出来なくなってしまったが、それでも、生きている。
「生きている」ということは、
ただそれだけで、尊い。
2007/5/28 20:06
癌との闘い(父の場合) 216.終末期病棟の真実 両親のこと
ここのところ、気温が上がっているせいか、終末期病棟の殆どの個室のドアが、開け放しにされている。
といっても、ベッドの手前に、中を遮るカーテンが引かれてあるので、直接患者さんの顔を見ることは全く無いのだが。
ところが、顔は見えなくとも、中の患者さんが、どのような状態なのかというのが、大体想像できる。
想像の根拠は、『音』。
以前から感じていた、酸素などの機械音よりも、もっと衝撃的な音。
それは、患者さんたちの大小様々な呻(うめ)き声だったり、激しく嘔吐する音だったり・・・。
今まで全く気付いていなかった。
静かな静かな終末期病棟。
ただそれだけの印象ばかりしかなかった。
しかし、その閉ざされたそれぞれのドアの向こう側では、壮絶な苦しみとの闘いが、存在していたのだ。
父のベッドサイドで話をしている間にも、5分おきぐらいに、まるで地の底からの呻きのような叫びのような声が、病棟廊下の空気を震わせ、私の耳に届いてくる。
その度に私は、
・・ああ、この苦痛を訴える呻き声が、父の耳に届いていなければよいのだけれど・・
と、危惧する。
・・いや、父は耳が遠いから、きっと大丈夫。
聞こえてなんかいないよ・・
と、思い直しては、自分の心を落ち着かせる。
そしてまた、
・・もしも、父がこういう状態になってしまったら、果たして私は、父をまともに見舞うことが出来るのだろうか。
そんな状態になっても、まだまだ頑張って生きていて欲しいと望むことが出来るのだろうか・・
と、近い将来の現実に自問する。
「今後、我慢できないような痛みが出た場合は、痛みを取る方向で、全力を尽くします」
と、主治医の先生はおっしゃっていた。
そうすると、そのうち意識が混濁してまともに話せなくなり、こん睡状態に陥ることは周知の事実だ。
今、父はまだ話せる。
話していると、父はすぐに疲れてしまうけれど、
それでも十分ありがたい。
今日は、山が綺麗だった。
病室の反対側の窓から見えた遠くの山の頂には、まだ白い雪が、まだらに覆われている。
父の入院中、初めて見えたその雄々しく麗しい山脈を、ベッドから一緒に眺めた。

(残念ながら、携帯ではこれが限界・・)
といっても、ベッドの手前に、中を遮るカーテンが引かれてあるので、直接患者さんの顔を見ることは全く無いのだが。
ところが、顔は見えなくとも、中の患者さんが、どのような状態なのかというのが、大体想像できる。
想像の根拠は、『音』。
以前から感じていた、酸素などの機械音よりも、もっと衝撃的な音。
それは、患者さんたちの大小様々な呻(うめ)き声だったり、激しく嘔吐する音だったり・・・。
今まで全く気付いていなかった。
静かな静かな終末期病棟。
ただそれだけの印象ばかりしかなかった。
しかし、その閉ざされたそれぞれのドアの向こう側では、壮絶な苦しみとの闘いが、存在していたのだ。
父のベッドサイドで話をしている間にも、5分おきぐらいに、まるで地の底からの呻きのような叫びのような声が、病棟廊下の空気を震わせ、私の耳に届いてくる。
その度に私は、
・・ああ、この苦痛を訴える呻き声が、父の耳に届いていなければよいのだけれど・・
と、危惧する。
・・いや、父は耳が遠いから、きっと大丈夫。
聞こえてなんかいないよ・・
と、思い直しては、自分の心を落ち着かせる。
そしてまた、
・・もしも、父がこういう状態になってしまったら、果たして私は、父をまともに見舞うことが出来るのだろうか。
そんな状態になっても、まだまだ頑張って生きていて欲しいと望むことが出来るのだろうか・・
と、近い将来の現実に自問する。
「今後、我慢できないような痛みが出た場合は、痛みを取る方向で、全力を尽くします」
と、主治医の先生はおっしゃっていた。
そうすると、そのうち意識が混濁してまともに話せなくなり、こん睡状態に陥ることは周知の事実だ。
今、父はまだ話せる。
話していると、父はすぐに疲れてしまうけれど、
それでも十分ありがたい。
今日は、山が綺麗だった。
病室の反対側の窓から見えた遠くの山の頂には、まだ白い雪が、まだらに覆われている。
父の入院中、初めて見えたその雄々しく麗しい山脈を、ベッドから一緒に眺めた。
(残念ながら、携帯ではこれが限界・・)
2007/5/27 21:53
癌との闘い(父の場合) 215.人生の物語 両親のこと
父の病院へ見舞いに行くと、必ず出会う男性がいる。
昨年の夏以来であるから、彼の病院通いも随分長い。
ある時は駐車場で、またある時は病院の入り口で。
売店、アトリウム、待合ベンチ・・・
ただ不思議なことに、エレベーターの中でだけは、一度も出会ったことが無い。
だから、彼が、一体、何階のどの病棟に行っているのか、あるいは勿論、誰を見舞いに行っているのか、などといったことは、一切分からない。
いつもたった一人で、煙草を銜(くわ)えながら駐車場に向かっていたり、あるいは、夕方の、人けのまばらな待合ベンチで、何をするでもなくじっと座っていたり・・
平日も休日も。
いつもと全く違う時間に行っても、やっぱり出会ってしまう。
そんな時は、心の中で思わず噴き出てしまう。
が、彼は私の存在に、きっと気付いていないだろう。
・・と、思うのだが、
案外彼の方も、噴き出しているのかもしれない。
ただ、彼の方が、断然特徴がある。
彼は、おそらく20代後半だろう。
そして、誰もがきっと、彼を一度見たら忘れられないに違いない。
彼のヘアスタイルが・・・
ひと時代昔の、
「突っ張りヘア」(前髪が前方に大きく出っ張っている)
なのである。
なのに、服装は至って普通で、グレーの細かい格子柄のボタンダウンに、ベーシックな型のジーンズだったりする。
10代の頃は、ご両親を随分と泣かせたのかしら・・
・・なんてことを、勝手に想像し、
きっと、お見舞いは、彼のお父さんかお母さんに違いない。
・・なんてことを、更に勝手に想像し、
でも今は、こんなに真面目な大人に成長して、病身の親の見舞いに毎日出かけ、子どもの頃に心配を掛けた分、思いっきり親孝行をしているに違いないわ。
と、自分勝手な物語が、私の頭の中で、既に成立してしまっている。
こうして長期に渡って病院通いをしていると、そこで出会う人々、全ての人生を思う。
いつもエレベーター前のベンチで、気だるそうに俯(うつむ)いている女性は、70代辺りか。
抗癌剤治療のため抜け落ちてしまった髪を隠すため、黒いスカーフを被っている。
彼女は、その小さく細くなってしまった 『今』 という肉体を、どのような思いで受け止めているのだろうか。
病棟の廊下にある電話ボックスで、ニコニコしながら受話器を握っている女性。
「明日退院になったらね〜」
なんていう、弾んだ声が洩れ聞こえてくる。
大きな洗濯物の袋を持った家族連れ、
花や果物の、良い香りを運ぶ見舞いの人々・・
それら一つ一つの人生の中に、父も母も、そして私も、確実に含まれてる。
これら、人生の同士達から脱落していく日が、いずれきっとやって来るのだろうけど、今はただ、こうして、ここで出会う人々の、それぞれの人生の物語を想像していられる日が一日でも長く、と祈るばかりである。
昨年の夏以来であるから、彼の病院通いも随分長い。
ある時は駐車場で、またある時は病院の入り口で。
売店、アトリウム、待合ベンチ・・・
ただ不思議なことに、エレベーターの中でだけは、一度も出会ったことが無い。
だから、彼が、一体、何階のどの病棟に行っているのか、あるいは勿論、誰を見舞いに行っているのか、などといったことは、一切分からない。
いつもたった一人で、煙草を銜(くわ)えながら駐車場に向かっていたり、あるいは、夕方の、人けのまばらな待合ベンチで、何をするでもなくじっと座っていたり・・
平日も休日も。
いつもと全く違う時間に行っても、やっぱり出会ってしまう。
そんな時は、心の中で思わず噴き出てしまう。
が、彼は私の存在に、きっと気付いていないだろう。
・・と、思うのだが、
案外彼の方も、噴き出しているのかもしれない。
ただ、彼の方が、断然特徴がある。
彼は、おそらく20代後半だろう。
そして、誰もがきっと、彼を一度見たら忘れられないに違いない。
彼のヘアスタイルが・・・
ひと時代昔の、
「突っ張りヘア」(前髪が前方に大きく出っ張っている)
なのである。
なのに、服装は至って普通で、グレーの細かい格子柄のボタンダウンに、ベーシックな型のジーンズだったりする。
10代の頃は、ご両親を随分と泣かせたのかしら・・
・・なんてことを、勝手に想像し、
きっと、お見舞いは、彼のお父さんかお母さんに違いない。
・・なんてことを、更に勝手に想像し、
でも今は、こんなに真面目な大人に成長して、病身の親の見舞いに毎日出かけ、子どもの頃に心配を掛けた分、思いっきり親孝行をしているに違いないわ。
と、自分勝手な物語が、私の頭の中で、既に成立してしまっている。
こうして長期に渡って病院通いをしていると、そこで出会う人々、全ての人生を思う。
いつもエレベーター前のベンチで、気だるそうに俯(うつむ)いている女性は、70代辺りか。
抗癌剤治療のため抜け落ちてしまった髪を隠すため、黒いスカーフを被っている。
彼女は、その小さく細くなってしまった 『今』 という肉体を、どのような思いで受け止めているのだろうか。
病棟の廊下にある電話ボックスで、ニコニコしながら受話器を握っている女性。
「明日退院になったらね〜」
なんていう、弾んだ声が洩れ聞こえてくる。
大きな洗濯物の袋を持った家族連れ、
花や果物の、良い香りを運ぶ見舞いの人々・・
それら一つ一つの人生の中に、父も母も、そして私も、確実に含まれてる。
これら、人生の同士達から脱落していく日が、いずれきっとやって来るのだろうけど、今はただ、こうして、ここで出会う人々の、それぞれの人生の物語を想像していられる日が一日でも長く、と祈るばかりである。
2007/5/26 22:03
癌との闘い(父の場合) 214.父との時間 両親のこと
父は随分長生きをしているが、実際に同じ屋根の下で暮らした年数というのは、意外と少ない。
父は出張も多かったが、海外も含め、長期に渡って単身赴任もしている。
私が小学校4年生になった辺りから中学校3年に到るまで、私は母と二人暮らしだった。
兄は、私が小学校に上がる頃、既に、遠方で大学生生活を送っている。
思い返せば、まともに父と一緒に居たのは、高校時代辺りだけだったかもしれない。
が、そんな僅かな共有時間であっても、父と一緒に過ごした時間は、とても濃かった。
大学受験のため、生まれて初めて関東地方へ向かった三月の朝、想定外の大雪のため電車が全面ストップし、真っ青になっている私を救ってくれたのは、父だった。
なんとか目的地に辿り着けるようなルートを、行く先々の車掌さんに、あれこれ尋ねてくれ、見知らぬ鈍行を乗り継ぎ乗り継ぎ・・・
結局、通常なら7時間の所、16時間ぐらい掛っただろうか。
大学指定の旅館に着いた頃にはもう深夜。
フラフラで、翌朝の受験どころではなかったのだが、何とか合格できたのは、父が付いていてくれたお陰だ。
これが、一生にたった一度きりの、父との二人旅となったわけだ。
そして、もう一つ。今でも忘れられないのは、
下宿で大病を患い、痛みをこらえながら、ようやく辿りついた電話ボックス、涙で声にならない私の様子を察してくれ、翌日の始発で飛んで駆けつけてくれた父。
優しいばかりでなく、叱る時は殴ることもあった厳しい父ではあったが、いつも尊敬していた。
学ぶことを決して止めようとしない父の姿は、私の誇りでもあり、目標でもある。
父は今でも、枕元には常に本を置いている。
少しでも気分の良い時があると、一文字でも先を追っているようだ。
そんな父のために、婦長さんが、わざわざ病院の図書館から本を持って来て下さっている。
私が大切に思っているのと同じくらいに、父のことを大切に思って下さっている様子が窺えて、とても嬉しい。
・・・・・・
こうして、父のことを綴っていると、
嫁に出た娘というのは、親と過ごした時間は少ないが、心の繋がりは、それに反比例して、一層強くなるものなのかもしれないなぁ・・
・・なんて思ったりもする。
父は出張も多かったが、海外も含め、長期に渡って単身赴任もしている。
私が小学校4年生になった辺りから中学校3年に到るまで、私は母と二人暮らしだった。
兄は、私が小学校に上がる頃、既に、遠方で大学生生活を送っている。
思い返せば、まともに父と一緒に居たのは、高校時代辺りだけだったかもしれない。
が、そんな僅かな共有時間であっても、父と一緒に過ごした時間は、とても濃かった。
大学受験のため、生まれて初めて関東地方へ向かった三月の朝、想定外の大雪のため電車が全面ストップし、真っ青になっている私を救ってくれたのは、父だった。
なんとか目的地に辿り着けるようなルートを、行く先々の車掌さんに、あれこれ尋ねてくれ、見知らぬ鈍行を乗り継ぎ乗り継ぎ・・・
結局、通常なら7時間の所、16時間ぐらい掛っただろうか。
大学指定の旅館に着いた頃にはもう深夜。
フラフラで、翌朝の受験どころではなかったのだが、何とか合格できたのは、父が付いていてくれたお陰だ。
これが、一生にたった一度きりの、父との二人旅となったわけだ。
そして、もう一つ。今でも忘れられないのは、
下宿で大病を患い、痛みをこらえながら、ようやく辿りついた電話ボックス、涙で声にならない私の様子を察してくれ、翌日の始発で飛んで駆けつけてくれた父。
優しいばかりでなく、叱る時は殴ることもあった厳しい父ではあったが、いつも尊敬していた。
学ぶことを決して止めようとしない父の姿は、私の誇りでもあり、目標でもある。
父は今でも、枕元には常に本を置いている。
少しでも気分の良い時があると、一文字でも先を追っているようだ。
そんな父のために、婦長さんが、わざわざ病院の図書館から本を持って来て下さっている。
私が大切に思っているのと同じくらいに、父のことを大切に思って下さっている様子が窺えて、とても嬉しい。
・・・・・・
こうして、父のことを綴っていると、
嫁に出た娘というのは、親と過ごした時間は少ないが、心の繋がりは、それに反比例して、一層強くなるものなのかもしれないなぁ・・
・・なんて思ったりもする。
2007/5/25 22:31
癌との闘い(父の場合) 213.占いを裏返す 両親のこと
相変わらず、朝は憂鬱である。
早朝の、三人分のお弁当作りが拷問のように感じるのだから、主婦失格かも。
おまけに今日は、午前が税理士さんによる会計監査ということで、これもまた何だか気が重い。
こんな時は、せめて、占いで景気を付けて出社しよう。
と、とある占いを読んでみたら、
「万里に風煙なびき落日の愁いある象にて、
何事によらず不順」
こりゃ最悪だ。
何の救済策も提案してない占いは、あんまりだ。
一層、気を落としてしまった。
が、これではいけない。
たとえ占いが最悪でも、一日は確実に過ぎて行く。
やるべきことは、やらねばならん!
で、こんな時はどうしたらいいのかというと、
占いと勝負することだ。
「フン!こんな占い、絶対に外してみせる!」
・・・というわけで、
逆に気合が入ったからなのか、
会計監査はいつになく良い流れで早々に終了するし、午後からの仕事ははかどるし、
なんと、父の下痢も止まっていたし、少し会話も出来たし。
な〜んだ、占いって、結構外せるじゃん。
と、妙に嬉しかった。
・・・・・・・・
先日来、主治医の先生の勧めで挑戦はしてみたものの、
下痢や吐き気で断念していた高カロリー飲料だが、
今日はまた、別メーカーの商品の試飲を勧められた。
ヘルシーフードから発売されている、
「元気ジンジン」
100mlで、125kcalが摂取できる。
いろいろあるもんだ。
こうした飲料の開発は、自分で思うように食事の摂れない高齢世代のニーズを得て、今後益々盛んになるのかもしれない。
父は、これも、一口ぐらいしか飲めないようだったが・・・
・・・・・・・
一日一日、こうして父のことを記録していると、
父との時間が、とても充実しているような気がする。
たとえそれが、気のせいでも構わない。
一ヶ月、二ヶ月なんて、
きっと、あっという間。
でも、ここにこうして、
父と過ごした時間が、確かに存在していたということ、
その事実の証がここに存在していること、
ただそれだけで、私は、嬉しい。
早朝の、三人分のお弁当作りが拷問のように感じるのだから、主婦失格かも。
おまけに今日は、午前が税理士さんによる会計監査ということで、これもまた何だか気が重い。
こんな時は、せめて、占いで景気を付けて出社しよう。
と、とある占いを読んでみたら、
「万里に風煙なびき落日の愁いある象にて、
何事によらず不順」
こりゃ最悪だ。
何の救済策も提案してない占いは、あんまりだ。
一層、気を落としてしまった。
が、これではいけない。
たとえ占いが最悪でも、一日は確実に過ぎて行く。
やるべきことは、やらねばならん!
で、こんな時はどうしたらいいのかというと、
占いと勝負することだ。
「フン!こんな占い、絶対に外してみせる!」
・・・というわけで、
逆に気合が入ったからなのか、
会計監査はいつになく良い流れで早々に終了するし、午後からの仕事ははかどるし、
なんと、父の下痢も止まっていたし、少し会話も出来たし。
な〜んだ、占いって、結構外せるじゃん。
と、妙に嬉しかった。
・・・・・・・・
先日来、主治医の先生の勧めで挑戦はしてみたものの、
下痢や吐き気で断念していた高カロリー飲料だが、
今日はまた、別メーカーの商品の試飲を勧められた。
ヘルシーフードから発売されている、
「元気ジンジン」
100mlで、125kcalが摂取できる。
いろいろあるもんだ。
こうした飲料の開発は、自分で思うように食事の摂れない高齢世代のニーズを得て、今後益々盛んになるのかもしれない。
父は、これも、一口ぐらいしか飲めないようだったが・・・
・・・・・・・
一日一日、こうして父のことを記録していると、
父との時間が、とても充実しているような気がする。
たとえそれが、気のせいでも構わない。
一ヶ月、二ヶ月なんて、
きっと、あっという間。
でも、ここにこうして、
父と過ごした時間が、確かに存在していたということ、
その事実の証がここに存在していること、
ただそれだけで、私は、嬉しい。
2007/5/24 21:14
癌との闘い(父の場合) 212.優しい看護師さん 両親のこと
先日の新聞の読者投書欄に、
43歳の女性の詩が掲載されていた。
『お父さん』
四月の暖かい日に
天国へ旅立っていった父。
がんも糖尿病も意識障害も
一瞬のうちに燃え尽きてなくなってしまったね
これで楽になったよ
大変な病気とよく闘ったね
私も一緒に頑張らしてもらったよ
本当にお疲れさま
出来ればもう少し会話がしたかったなあ
私達は決して忘れません
これからも辛い時は
病気と闘っていたお父さんを
思い出して生きて行きます
今まで本当にありがとう
これを読みながら、思わず涙が溢れ出てしまった。
・・みんな同じように、同じような思いを抱きながら、
こうして、愛する肉親との別れを、
生きる力と感謝に、変えていくんだ・・
逆に、自分が親の立場になった時、
自分の生き様、そして最期の死に様を見せることによって、
そこから、子どもたちが、確かな生命力と感謝の心を摑んでくれれば、親としての役割は、立派に完遂した、
と言えるのではないだろうか。
・・・・・・・・
終末期病棟の廊下を歩いていて、毎日、気になることが一つある。
それは、個室のドアに掛けてある患者さんの名札。
名前の下に、赤いテープが張ってある部屋と、貼って無い部屋があるのだ。
ちなみに、父のところには、貼ってない。
診療科の違いかと思ったが、どうもそうではない。
でも、それも、いずれ分かる時が来るのかもしれない。
赤いテープの貼ってある部屋からは、
何か得体の知れない機械的な音や酸素音が聞こえてくるから・・
・・・・・・・
今日、父は、介助入浴をさせて頂いたようだが、
更に疲れが増したようで、少し呼吸が辛そうだった。
下痢のため、紙パンツがどんどん無くなる。
しかし、どのような状況になっても、看護師さんは優しい。
先日、たまたま帰りのエレベーターで、
終末期病棟の看護師さんと二人きりになる機会があった。
「看護師の皆さんに、いつも優しくして頂いていると言って、父がとても喜んでいるんですよ」
と言ってお礼を述べると、
「わあ〜そうですか、それは良かったです。私たちも大変嬉しいです!」
と、キラキラとした笑顔で答えて下さった。
そして、父のことを、
「癒し系ですね〜」
と、言って下さり、
その若くて可愛い看護師さんの気の利いたひと言に、
心がポッと温かくなった。
43歳の女性の詩が掲載されていた。
『お父さん』
四月の暖かい日に
天国へ旅立っていった父。
がんも糖尿病も意識障害も
一瞬のうちに燃え尽きてなくなってしまったね
これで楽になったよ
大変な病気とよく闘ったね
私も一緒に頑張らしてもらったよ
本当にお疲れさま
出来ればもう少し会話がしたかったなあ
私達は決して忘れません
これからも辛い時は
病気と闘っていたお父さんを
思い出して生きて行きます
今まで本当にありがとう
これを読みながら、思わず涙が溢れ出てしまった。
・・みんな同じように、同じような思いを抱きながら、
こうして、愛する肉親との別れを、
生きる力と感謝に、変えていくんだ・・
逆に、自分が親の立場になった時、
自分の生き様、そして最期の死に様を見せることによって、
そこから、子どもたちが、確かな生命力と感謝の心を摑んでくれれば、親としての役割は、立派に完遂した、
と言えるのではないだろうか。
・・・・・・・・
終末期病棟の廊下を歩いていて、毎日、気になることが一つある。
それは、個室のドアに掛けてある患者さんの名札。
名前の下に、赤いテープが張ってある部屋と、貼って無い部屋があるのだ。
ちなみに、父のところには、貼ってない。
診療科の違いかと思ったが、どうもそうではない。
でも、それも、いずれ分かる時が来るのかもしれない。
赤いテープの貼ってある部屋からは、
何か得体の知れない機械的な音や酸素音が聞こえてくるから・・
・・・・・・・
今日、父は、介助入浴をさせて頂いたようだが、
更に疲れが増したようで、少し呼吸が辛そうだった。
下痢のため、紙パンツがどんどん無くなる。
しかし、どのような状況になっても、看護師さんは優しい。
先日、たまたま帰りのエレベーターで、
終末期病棟の看護師さんと二人きりになる機会があった。
「看護師の皆さんに、いつも優しくして頂いていると言って、父がとても喜んでいるんですよ」
と言ってお礼を述べると、
「わあ〜そうですか、それは良かったです。私たちも大変嬉しいです!」
と、キラキラとした笑顔で答えて下さった。
そして、父のことを、
「癒し系ですね〜」
と、言って下さり、
その若くて可愛い看護師さんの気の利いたひと言に、
心がポッと温かくなった。
2007/5/23 22:49
癌との闘い(父の場合) 211.癌に感謝できますか? 両親のこと
世の中には、素晴らしい方が居られるものだ、
と驚いた。
車で移動中だったので、画面はよく見ることは出来なかったが、ある女性癌患者(50代?)を紹介したTV番組だった。
その女性は、最初に検査を受けた頃、既に、進行性胃癌末期で、余命一年の宣告を受けている。
現在、抗癌剤治療中のようなのだが・・・
私が驚いたのは、彼女が癌に対して、
「ありがとう」
という言葉を捧げておられることだ。
「癌になって、そして、余命宣告を受けて初めて、
『自分が今、何をやるべきなのか』
ということに気付かされました」
「もし、癌に罹っていなかったら、
そして、余命宣告などを受けていなかったら、
私はいつまで経っても、
やるべきことに着手できないまま、
無駄な時を過ごしていたに違いありません」
「だから、今、この癌に感謝しているのです」
キッパリこう言い切ったこの女性には、
迷いなど一切見受けられなかった。
しかし、ここまでの心境に到るまでの葛藤は、
想像を絶するに違いない。
余命宣告を父にすべきか否かを、
父の主治医の先生に相談した時、先生は、
「余命を知って、『じゃあその時までに、やりたいこと、やらねばならないことを遣ってしまおう!』と、前向きに捉えることの出来る方も居れば、『ああ、もうダメだ・・』と、一気に絶望に陥ってしまわれる方も居られます」
と、おっしゃっていた。
自分だったらどうなんだろう。
ダメだからといって、てぐすね引いて死を待っているわけにはいかない。
となると、やはり、出来るだけの治療はしなければならないだろうし、その治療自体が、更にまた、日々の辛さを増強することだろう。
この女性のように、癌に感謝する心を持てるような自信は・・
無い・・。
・・・・・・・・・
今日の父はまた下痢に悩まされていた。
殆ど会話にならない。
耳も更に遠くなったようで、最低2〜3回は聞き返されなければ、内容が理解出来ないようだ。
ブログ上、文字にすると、比較的スムースな会話のように見えるかもしれないが、実は、途切れ途切れで、微かな音量の父の言葉を聞き取ることに、かなりの労力を必要としている。
毎日毎日、不安になったり安心したり・・
でも、一番辛いのは、父。
『不安』 と 『安心』 の割合が、
五分五分から、徐々に崩れ始めている。
・・・・・・・・・
当ブログも、昨日からいよいよ三年目に突入しております。
二年間、一日の休みも無くUPし続けて参りましたが、
その原動力は一体何なのだろうかと考えてみますに、
やはり、温かい読者の皆様に支えられている、
ということは、間違いの無いことだと思っております。
大した内容ではないにもかかわらず、
読んで下さっている皆様、
そして、貴重なお時間を、コメントに割いて下さっている、
素晴らしきコメンテーターの皆様、
感謝の念が絶えません。
三年目がどのようになるのか、
全く想像も付きませんが、
『何かを感じる心』
がある限り、続けていけたら・・
と、思っております。
ありがとうございます。
そして、これからも、
宜しくお願い致します。
と驚いた。
車で移動中だったので、画面はよく見ることは出来なかったが、ある女性癌患者(50代?)を紹介したTV番組だった。
その女性は、最初に検査を受けた頃、既に、進行性胃癌末期で、余命一年の宣告を受けている。
現在、抗癌剤治療中のようなのだが・・・
私が驚いたのは、彼女が癌に対して、
「ありがとう」
という言葉を捧げておられることだ。
「癌になって、そして、余命宣告を受けて初めて、
『自分が今、何をやるべきなのか』
ということに気付かされました」
「もし、癌に罹っていなかったら、
そして、余命宣告などを受けていなかったら、
私はいつまで経っても、
やるべきことに着手できないまま、
無駄な時を過ごしていたに違いありません」
「だから、今、この癌に感謝しているのです」
キッパリこう言い切ったこの女性には、
迷いなど一切見受けられなかった。
しかし、ここまでの心境に到るまでの葛藤は、
想像を絶するに違いない。
余命宣告を父にすべきか否かを、
父の主治医の先生に相談した時、先生は、
「余命を知って、『じゃあその時までに、やりたいこと、やらねばならないことを遣ってしまおう!』と、前向きに捉えることの出来る方も居れば、『ああ、もうダメだ・・』と、一気に絶望に陥ってしまわれる方も居られます」
と、おっしゃっていた。
自分だったらどうなんだろう。
ダメだからといって、てぐすね引いて死を待っているわけにはいかない。
となると、やはり、出来るだけの治療はしなければならないだろうし、その治療自体が、更にまた、日々の辛さを増強することだろう。
この女性のように、癌に感謝する心を持てるような自信は・・
無い・・。
・・・・・・・・・
今日の父はまた下痢に悩まされていた。
殆ど会話にならない。
耳も更に遠くなったようで、最低2〜3回は聞き返されなければ、内容が理解出来ないようだ。
ブログ上、文字にすると、比較的スムースな会話のように見えるかもしれないが、実は、途切れ途切れで、微かな音量の父の言葉を聞き取ることに、かなりの労力を必要としている。
毎日毎日、不安になったり安心したり・・
でも、一番辛いのは、父。
『不安』 と 『安心』 の割合が、
五分五分から、徐々に崩れ始めている。
・・・・・・・・・
当ブログも、昨日からいよいよ三年目に突入しております。
二年間、一日の休みも無くUPし続けて参りましたが、
その原動力は一体何なのだろうかと考えてみますに、
やはり、温かい読者の皆様に支えられている、
ということは、間違いの無いことだと思っております。
大した内容ではないにもかかわらず、
読んで下さっている皆様、
そして、貴重なお時間を、コメントに割いて下さっている、
素晴らしきコメンテーターの皆様、
感謝の念が絶えません。
三年目がどのようになるのか、
全く想像も付きませんが、
『何かを感じる心』
がある限り、続けていけたら・・
と、思っております。
ありがとうございます。
そして、これからも、
宜しくお願い致します。
2007/5/22 21:43
癌との闘い(父の場合) 210.吐き気 両親のこと
「大病院で見て貰って下さい」
と、掛り付け医に言われれば、やはり、
父と母が入院している病院への紹介状を頂いた方が、
何かと都合が良い。
と言う訳で、朝から、次女といつもの総合病院へ。
紹介を受けた診療科は、耳鼻咽喉科だった。
紹介状があると、結構待遇が良い(ような気がする)。
が、医師には少々(かなり?)ガッカリ。
話し方や対応、表情などに人間味が全く感じられず、
まるで、流れ作業の機械のよう。
患者が質問出来るような雰囲気は、ゼロ。
抗生物質のクラリス錠200の6日分の処方。
まずは、これで様子見ということ。
そしてまた来週月曜日に診察。
一体何なんだかさっぱりわからなかったが、質問の余地無し。
イマドキでも、
このような旧態依然たる医師は健在のようである。
薬の効果が表われるよう、祈るしかないようだ。
・・・・・・
その後、次女と、最上階の、父いる病棟へ。
昨日空白だった病室に、ついつい目が行く。
ドアには、新しい患者さんの名札が掛けてあった。
こうしてまた、終末期病棟は満床となった。
それぞれの部屋に、それぞれの人生を託して・・・
・・・・・・・
次女と私が父の病室に着いた頃は、とっくにお昼過ぎ。
父は気だるそうにベッドに横たわり、点滴を受けていた。
高カロリー飲料、今日はイチゴ味。
ベッドサイドのテーブルの上に、飲みかけの紙パック。
半分ぐらいは飲めているようだ。
「下痢はどう?」
「ああ、今日は大丈夫のようや」
「え?本当?それは良かったネ!きっと体が慣れてきたんだよ」
「そうやなぁ〜、そうかもしれんなぁ〜」
こんな嬉しい会話を交わし、一旦帰宅した。
こうして半日も過ぎると、何だか出社するのが嫌になる。
しかし、溜まった仕事のことを考えると、サボるわけにもいかず・・・
短時間絶対集中の心で、遣り切るしかない。
なんだかもう、全てが手抜き状態。
全てが中途半端。
「小さなことからコツコツと」
結局の所、これしか無いんだろうけど・・・
・・・・・・・
救いは、父の下痢が快方に向かっているということ。
・・だったのだが、
夕方、仕事帰りに寄った時には、それら全てを吐いてしまっていた。
「急に胸がむかついてしもうて・・もう飲めんなぁ・・」
その後もずっと吐き気が続いているようだ。
「今日はこんな調子やから、もう帰って貰うた方がいいかもしれんなぁ・・」
「うん・・わかった・・」
「ありがとうナ」
吐き気で辛いはずなのに、笑顔で手を振る父に、何か言葉を掛けたかったが、
「お父さん・・・」
と言ったきり、言葉が見つからなかった。
「あまり無理をしないようにね」
長い沈黙の後に出たのは、
結局、ごくありふれた、このひと言、だけだった。
と、掛り付け医に言われれば、やはり、
父と母が入院している病院への紹介状を頂いた方が、
何かと都合が良い。
と言う訳で、朝から、次女といつもの総合病院へ。
紹介を受けた診療科は、耳鼻咽喉科だった。
紹介状があると、結構待遇が良い(ような気がする)。
が、医師には少々(かなり?)ガッカリ。
話し方や対応、表情などに人間味が全く感じられず、
まるで、流れ作業の機械のよう。
患者が質問出来るような雰囲気は、ゼロ。
抗生物質のクラリス錠200の6日分の処方。
まずは、これで様子見ということ。
そしてまた来週月曜日に診察。
一体何なんだかさっぱりわからなかったが、質問の余地無し。
イマドキでも、
このような旧態依然たる医師は健在のようである。
薬の効果が表われるよう、祈るしかないようだ。
・・・・・・
その後、次女と、最上階の、父いる病棟へ。
昨日空白だった病室に、ついつい目が行く。
ドアには、新しい患者さんの名札が掛けてあった。
こうしてまた、終末期病棟は満床となった。
それぞれの部屋に、それぞれの人生を託して・・・
・・・・・・・
次女と私が父の病室に着いた頃は、とっくにお昼過ぎ。
父は気だるそうにベッドに横たわり、点滴を受けていた。
高カロリー飲料、今日はイチゴ味。
ベッドサイドのテーブルの上に、飲みかけの紙パック。
半分ぐらいは飲めているようだ。
「下痢はどう?」
「ああ、今日は大丈夫のようや」
「え?本当?それは良かったネ!きっと体が慣れてきたんだよ」
「そうやなぁ〜、そうかもしれんなぁ〜」
こんな嬉しい会話を交わし、一旦帰宅した。
こうして半日も過ぎると、何だか出社するのが嫌になる。
しかし、溜まった仕事のことを考えると、サボるわけにもいかず・・・
短時間絶対集中の心で、遣り切るしかない。
なんだかもう、全てが手抜き状態。
全てが中途半端。
「小さなことからコツコツと」
結局の所、これしか無いんだろうけど・・・
・・・・・・・
救いは、父の下痢が快方に向かっているということ。
・・だったのだが、
夕方、仕事帰りに寄った時には、それら全てを吐いてしまっていた。
「急に胸がむかついてしもうて・・もう飲めんなぁ・・」
その後もずっと吐き気が続いているようだ。
「今日はこんな調子やから、もう帰って貰うた方がいいかもしれんなぁ・・」
「うん・・わかった・・」
「ありがとうナ」
吐き気で辛いはずなのに、笑顔で手を振る父に、何か言葉を掛けたかったが、
「お父さん・・・」
と言ったきり、言葉が見つからなかった。
「あまり無理をしないようにね」
長い沈黙の後に出たのは、
結局、ごくありふれた、このひと言、だけだった。
















