2007/6/30 23:46
癌との闘い(父の場合) 249.呪縛 両親のこと
『親が死ぬ』
とは、どういうことなのか。
親が元気なうちは、殆ど考えないことかもしれない。
先日、父親を亡くされた友人が言っていた。
「親が死んで初めて、親の偉大さが分かった」
と。
「親が亡くなって初めて、
お前は人間として一人前になれるんだよ」
と、あるドラマのセリフでは言っていた。
ところが、私は、
『呪縛からの解放』
と、思っていた。
何から何まで、親の引いたレールに乗せられ、
遅刻も脱線も許されず、
お人形のように生きざるを得なかった自分が、
もしも解放され得るとしたら、それは、
親が亡くなった時以外に無い、
と、感じていたのだ。
ところが、今、こうして実際に、
「親の死」
を身近に置きながら思うのは、
『呪縛は一生解けないのではないか』
ということである。
良くも悪くも。
私がこうして毎日、無理を押して両親を見舞うのは、
これも呪縛が成せる業であって、
自分の本心は、実はもっと別の所にあるのではないだろうか、
と、自分自身を疑ってみたりする。
自分は最後まで、親から良い子で見られたいのかもしれない。
「ああ、わしはいい娘を持って、幸せだったよ」
「あんたを産んで、本当に良かったよ」
きっとそう言われたいのだろう。
一滴の涙も見せない冷酷な光を放つ母の目に見つめられながら、
遠い昔、私がまだ幼少の頃、
母が、勝ち誇ったように私に放ったセリフを思い出した。
「この子は、どんなにぶたれたって、
やっぱり私の方に寄って来るじゃない」
そりゃそうだ。
殴られようが蹴られようが、
私にとって、母は、アナタただ一人ですから。
どんなに虐待されようと、
幼児は母親にすがり付く。
愛されたいから。
その悲愴な想い、
きっと母は一生気付くことは無いのだろう。
私への呪縛は続く。
きっと、母が亡くなった後にも。
でも、私は泣くに違いない。
母を想って。
・・・・・・・・・・・
今日は、夜遅く、
母のパジャマと下着を買いに行った。
とは、どういうことなのか。
親が元気なうちは、殆ど考えないことかもしれない。
先日、父親を亡くされた友人が言っていた。
「親が死んで初めて、親の偉大さが分かった」
と。
「親が亡くなって初めて、
お前は人間として一人前になれるんだよ」
と、あるドラマのセリフでは言っていた。
ところが、私は、
『呪縛からの解放』
と、思っていた。
何から何まで、親の引いたレールに乗せられ、
遅刻も脱線も許されず、
お人形のように生きざるを得なかった自分が、
もしも解放され得るとしたら、それは、
親が亡くなった時以外に無い、
と、感じていたのだ。
ところが、今、こうして実際に、
「親の死」
を身近に置きながら思うのは、
『呪縛は一生解けないのではないか』
ということである。
良くも悪くも。
私がこうして毎日、無理を押して両親を見舞うのは、
これも呪縛が成せる業であって、
自分の本心は、実はもっと別の所にあるのではないだろうか、
と、自分自身を疑ってみたりする。
自分は最後まで、親から良い子で見られたいのかもしれない。
「ああ、わしはいい娘を持って、幸せだったよ」
「あんたを産んで、本当に良かったよ」
きっとそう言われたいのだろう。
一滴の涙も見せない冷酷な光を放つ母の目に見つめられながら、
遠い昔、私がまだ幼少の頃、
母が、勝ち誇ったように私に放ったセリフを思い出した。
「この子は、どんなにぶたれたって、
やっぱり私の方に寄って来るじゃない」
そりゃそうだ。
殴られようが蹴られようが、
私にとって、母は、アナタただ一人ですから。
どんなに虐待されようと、
幼児は母親にすがり付く。
愛されたいから。
その悲愴な想い、
きっと母は一生気付くことは無いのだろう。
私への呪縛は続く。
きっと、母が亡くなった後にも。
でも、私は泣くに違いない。
母を想って。
・・・・・・・・・・・
今日は、夜遅く、
母のパジャマと下着を買いに行った。
2007/6/29 21:23
癌との闘い(父の場合) 248.心沈没 両親のこと
仕事帰り、いつものように父の病院へ。
一日中、月末の繁雑な仕事に追われ、
夕方の時点で、既に疲れはピーク。
駐車場に停めた車の中から、
ぐったり、なかなか出る気になれない。
出るのは溜め息ばかりなり。
何気無くバッグから取り出したのは、
浅田次郎氏の短編集。
その中から、
『うらぼんえ』
を流し読み。
夫の祖父が亡くなり、
その新盆に帰省した妻に浴びせられる親族たちの冷淡な視線が痛い。
勿論、この小説の主題は別の所にあるのだろうが、
大袈裟で且つ細かい田舎のしきたり、
複雑で煩雑な人間模様などなど・・
どれもこれも、田舎の嫁である自分には、
分かり過ぎるくらい、よく分かる。
・・・・・・・・・・・・
と、物語にのんびり没頭していられるような場合ではなく、
自分には自分の現実が待っている。
車から降り、とぼとぼ歩き始める。
父を見舞って母を見舞って夕食と明日のお弁当の食材を求め買い物をして家に帰れば子らが当然すでに腹を空かしており着替えもままならず夕食を作り子らに用意をしたあと急いで着替え自分も食べ片づけをしてやれやれと思う間も無く夫が帰宅しまた急いで夫の食事の準備をし愛想もし食事終われば片づけをし明日のお米を研ぎ・・・
結構、限界ですよ。
それなのに、母から、
「新しいパジャマ、まだ買ってきてくれんの?
今日持ってきてくれるかと思っとったのに!」
と、言われると、かなり応えます。
お母さん、
私の努力、まだまだ足りませんか?
一日中、月末の繁雑な仕事に追われ、
夕方の時点で、既に疲れはピーク。
駐車場に停めた車の中から、
ぐったり、なかなか出る気になれない。
出るのは溜め息ばかりなり。
何気無くバッグから取り出したのは、
浅田次郎氏の短編集。
その中から、
『うらぼんえ』
を流し読み。
夫の祖父が亡くなり、
その新盆に帰省した妻に浴びせられる親族たちの冷淡な視線が痛い。
勿論、この小説の主題は別の所にあるのだろうが、
大袈裟で且つ細かい田舎のしきたり、
複雑で煩雑な人間模様などなど・・
どれもこれも、田舎の嫁である自分には、
分かり過ぎるくらい、よく分かる。
・・・・・・・・・・・・
と、物語にのんびり没頭していられるような場合ではなく、
自分には自分の現実が待っている。
車から降り、とぼとぼ歩き始める。
父を見舞って母を見舞って夕食と明日のお弁当の食材を求め買い物をして家に帰れば子らが当然すでに腹を空かしており着替えもままならず夕食を作り子らに用意をしたあと急いで着替え自分も食べ片づけをしてやれやれと思う間も無く夫が帰宅しまた急いで夫の食事の準備をし愛想もし食事終われば片づけをし明日のお米を研ぎ・・・
結構、限界ですよ。
それなのに、母から、
「新しいパジャマ、まだ買ってきてくれんの?
今日持ってきてくれるかと思っとったのに!」
と、言われると、かなり応えます。
お母さん、
私の努力、まだまだ足りませんか?
2007/6/28 21:32
癌との闘い(父の場合) 247.精神科とは? 両親のこと
母の精神状態が、少しずつ回復してきているように感じる。
精神科病棟にいたときと最も違うのは、
私との会話中、しっかり目を見て話してくれるようになった、
ということだ。
精神科に入院していた頃の母の視線は、常に斜め下。
全く目を合わせようとしてくれなかった。
また、先日は、ようやく私の夫の母(義母)との面会も受け入れてくれた。
以前は、家族以外、近所は勿論のこと、
たとえ親戚や兄弟が遠方からわざわざ訪ねてこようが、
母が全て門前払いをしてしまっていた。
母にとって、今回、何が良かったのだろう。
母の閉ざされた心が、少しずつ開かれいる。
真心?
現在入院させて頂いている病院には、
温かい真心が感じられる。
精神科病棟にいた頃、母は何かに怯えていた。
その、『何か』というのが一体何だったのか、
この病院に来てようやく見えてきた。
母は、精神科病棟の、医師や看護師に怯えていたのだ。
その病棟では、母は、人間としての扱いを受けていなかった。
少しでも便を洩らせば、
「ああ、汚い、汚い!」
と罵られ、
少し手を貸して貰いたいようなことも、
「そんなことぐらい自分でやりなさい!」
と、突っぱねられ、
入浴は、
数人を横に並べてザバっとホースでお湯を掛ける程度。
精神科を退院した頃の母の体は、
全身が白いウロコのようなもので覆われ、痒みが止まらず、
下着との摩擦程度のことで、
大きなうろこの表面がガザガザ剥がれ落ち、
あっという間に辺りが一面、真っ白な粉に覆われた。
精神を病んだ人間は、人間ではないのか?
家族とさえ目を合わせることも出来ないくらいに怯えきった哀れな母の姿に、何度泣けたことか。
そして、今回の病院。
最初の入浴の日、母のウロコ状の体を見て、看護師さんが、
「何て酷い・・こんな酷いのは見たことが無いです・・でも、退院されるまでに、絶対に、ツルツルのお肌にしてあげますから、楽しみにしていて下さいネ」
と、おっしゃって下さったそうだ。
丁寧な入浴介助と、入浴後の全身ローションの塗布。
「こんなによくしてもらったのは、初めてやわ〜」
と、母が感動して私に話してくれた通り、
もう既に、母の全身は、見違えるほどのツルツルだ。
ここに来てから、母は少しづつ少しづつ、
人間性を取り戻し始めている。
『精神科』は専門医が揃っているはずなのに、
母を変えることができなかったのはなぜなのか。
変えるどころか、回復の兆しも見られず、
悪化の一途を辿っていたのはなぜなのか。
精神を病んだ人間が、本当に求めているものは、
なんだと思っておられるのですか?
あの時、母を汚れ物扱いにした医療スタッフたちに、
そう尋ねてみたい。
精神科病棟にいたときと最も違うのは、
私との会話中、しっかり目を見て話してくれるようになった、
ということだ。
精神科に入院していた頃の母の視線は、常に斜め下。
全く目を合わせようとしてくれなかった。
また、先日は、ようやく私の夫の母(義母)との面会も受け入れてくれた。
以前は、家族以外、近所は勿論のこと、
たとえ親戚や兄弟が遠方からわざわざ訪ねてこようが、
母が全て門前払いをしてしまっていた。
母にとって、今回、何が良かったのだろう。
母の閉ざされた心が、少しずつ開かれいる。
真心?
現在入院させて頂いている病院には、
温かい真心が感じられる。
精神科病棟にいた頃、母は何かに怯えていた。
その、『何か』というのが一体何だったのか、
この病院に来てようやく見えてきた。
母は、精神科病棟の、医師や看護師に怯えていたのだ。
その病棟では、母は、人間としての扱いを受けていなかった。
少しでも便を洩らせば、
「ああ、汚い、汚い!」
と罵られ、
少し手を貸して貰いたいようなことも、
「そんなことぐらい自分でやりなさい!」
と、突っぱねられ、
入浴は、
数人を横に並べてザバっとホースでお湯を掛ける程度。
精神科を退院した頃の母の体は、
全身が白いウロコのようなもので覆われ、痒みが止まらず、
下着との摩擦程度のことで、
大きなうろこの表面がガザガザ剥がれ落ち、
あっという間に辺りが一面、真っ白な粉に覆われた。
精神を病んだ人間は、人間ではないのか?
家族とさえ目を合わせることも出来ないくらいに怯えきった哀れな母の姿に、何度泣けたことか。
そして、今回の病院。
最初の入浴の日、母のウロコ状の体を見て、看護師さんが、
「何て酷い・・こんな酷いのは見たことが無いです・・でも、退院されるまでに、絶対に、ツルツルのお肌にしてあげますから、楽しみにしていて下さいネ」
と、おっしゃって下さったそうだ。
丁寧な入浴介助と、入浴後の全身ローションの塗布。
「こんなによくしてもらったのは、初めてやわ〜」
と、母が感動して私に話してくれた通り、
もう既に、母の全身は、見違えるほどのツルツルだ。
ここに来てから、母は少しづつ少しづつ、
人間性を取り戻し始めている。
『精神科』は専門医が揃っているはずなのに、
母を変えることができなかったのはなぜなのか。
変えるどころか、回復の兆しも見られず、
悪化の一途を辿っていたのはなぜなのか。
精神を病んだ人間が、本当に求めているものは、
なんだと思っておられるのですか?
あの時、母を汚れ物扱いにした医療スタッフたちに、
そう尋ねてみたい。
2007/6/27 20:47
癌との闘い(父の場合) 246.死に場所 両親のこと
一体何を祈れば良いのか、分からなくなった。
もう十分苦しんでいる父を目の前にして、
『どうか一日でも長く、父を生かして下さい』
と、祈るのは、何か間違っているような気がする。
かといって、
『どうか楽に死なせてあげて下さい』
と、祈るのも、違う。
『安らかな時間を少しでも、父に!』
と言ってみたところで、
一日一日、加速度的に増す父の辛さを止めることは、
もう不可能だ。
・・・・・・・・・・・・
今日、父に、婦長さんから打診があったらしい。
「もうトイレは使っておられませんから、
トイレ無しの病室に替って頂けませんか?」
と。
トイレ付きの部屋を要望している患者さんが、
病室が空くのを今か今かと待っているのだそうだ。
確かに、父はもう寝たきり同然。
完全に紙オムツなので、トイレは不要だ。
婦長さんは、おそらく、
父をあの病室へ入れようとしているのだろう。
ドアの名札の下に、赤いテープの貼ってある、あの病室に。
機械音が響く、あの部屋に・・・
父は、この婦長さんのお願いを突っぱねた。
「・・わしは・・この・・部屋で・・死ぬことに・・決めとるんや・・・」
苦しそうに、途切れ途切れのかすれた声で。
渾身の力を振り絞って。
魂だけが辛うじて宿る、あの枯体で。
もう十分苦しんでいる父を目の前にして、
『どうか一日でも長く、父を生かして下さい』
と、祈るのは、何か間違っているような気がする。
かといって、
『どうか楽に死なせてあげて下さい』
と、祈るのも、違う。
『安らかな時間を少しでも、父に!』
と言ってみたところで、
一日一日、加速度的に増す父の辛さを止めることは、
もう不可能だ。
・・・・・・・・・・・・
今日、父に、婦長さんから打診があったらしい。
「もうトイレは使っておられませんから、
トイレ無しの病室に替って頂けませんか?」
と。
トイレ付きの部屋を要望している患者さんが、
病室が空くのを今か今かと待っているのだそうだ。
確かに、父はもう寝たきり同然。
完全に紙オムツなので、トイレは不要だ。
婦長さんは、おそらく、
父をあの病室へ入れようとしているのだろう。
ドアの名札の下に、赤いテープの貼ってある、あの病室に。
機械音が響く、あの部屋に・・・
父は、この婦長さんのお願いを突っぱねた。
「・・わしは・・この・・部屋で・・死ぬことに・・決めとるんや・・・」
苦しそうに、途切れ途切れのかすれた声で。
渾身の力を振り絞って。
魂だけが辛うじて宿る、あの枯体で。
2007/6/26 21:51
癌との闘い(父の場合) 245.体力の激減 両親のこと
主治医と婦長の考えが異なると、患者は戸惑う。
父が、婦長さんから、
「このままじゃ、どんどん足腰が衰えてしまいますから、歩行器でも使って、一歩でも二歩でも歩いた方がいいですよ」
と言われたそうだ。
そこで父は、明日から、点滴の始まる前の早朝にでも、看護師さんに付き添って貰って、5分でもいから歩行のリハビリを受けねばならないと考えていた。
が、父の現状は、とてもとてもそのようなことが実行できるものではない。
点滴をしているだけで、体力を相当消耗している。
起き上がることすらままならない体で、
どうして歩くことなどできようか!
それよりも、体力の温存の方が大切だ。
もともと、ベッドで寝ている分の栄養しか、
点滴では摂れていないのだ。
父は生真面目だから、婦長さんに言われれば、
無理を押してでもリハビリをしようとするだろう。
もっと、体力のある時期ならそれもいいだろう。
しかし、今となってはもう無理だ!
その後、主治医の先生が来られ、
婦長さんから言われたことを、どうしたものかと相談すると、
「それは逆に危険ですよ。たとえ看護師が付き添っていたとしても、今の状態では、いつなんどき倒れるか知れませんので、大変危険です。もうそういうことはやめて、なるべく静かに過ごしておられた方がいいですよ」
と、おっしゃって下さる。
これで、父も私もホッとした。
こんな体で歩行訓練など、自殺行為だ。
弱々しくかすれた父の声は、ますます聴き取りにくく、
また、私の声も、父の耳には更に届きにくくなったようだ。
会話をすること自体が、父にとって、かなりの負担。
話せば話すほど、喉に痰や唾液が絡まり、苦しそうに咳き込む。
いや、咳き込む力も無いから、余計に苦しい。
この、絡んだ痰や唾液が排出できなくなると、
肺炎を起こし、確実にヤラれてしまう。
父の身を起こさせ、背をさすり、排出を促す。
もう父とは話さない方がいいのかもしれない。
話すたびに、絡む痰、唾液、排出のための体力消費・・・
余命宣告の期限まで、あと二週間余り・・・
父が、婦長さんから、
「このままじゃ、どんどん足腰が衰えてしまいますから、歩行器でも使って、一歩でも二歩でも歩いた方がいいですよ」
と言われたそうだ。
そこで父は、明日から、点滴の始まる前の早朝にでも、看護師さんに付き添って貰って、5分でもいから歩行のリハビリを受けねばならないと考えていた。
が、父の現状は、とてもとてもそのようなことが実行できるものではない。
点滴をしているだけで、体力を相当消耗している。
起き上がることすらままならない体で、
どうして歩くことなどできようか!
それよりも、体力の温存の方が大切だ。
もともと、ベッドで寝ている分の栄養しか、
点滴では摂れていないのだ。
父は生真面目だから、婦長さんに言われれば、
無理を押してでもリハビリをしようとするだろう。
もっと、体力のある時期ならそれもいいだろう。
しかし、今となってはもう無理だ!
その後、主治医の先生が来られ、
婦長さんから言われたことを、どうしたものかと相談すると、
「それは逆に危険ですよ。たとえ看護師が付き添っていたとしても、今の状態では、いつなんどき倒れるか知れませんので、大変危険です。もうそういうことはやめて、なるべく静かに過ごしておられた方がいいですよ」
と、おっしゃって下さる。
これで、父も私もホッとした。
こんな体で歩行訓練など、自殺行為だ。
弱々しくかすれた父の声は、ますます聴き取りにくく、
また、私の声も、父の耳には更に届きにくくなったようだ。
会話をすること自体が、父にとって、かなりの負担。
話せば話すほど、喉に痰や唾液が絡まり、苦しそうに咳き込む。
いや、咳き込む力も無いから、余計に苦しい。
この、絡んだ痰や唾液が排出できなくなると、
肺炎を起こし、確実にヤラれてしまう。
父の身を起こさせ、背をさすり、排出を促す。
もう父とは話さない方がいいのかもしれない。
話すたびに、絡む痰、唾液、排出のための体力消費・・・
余命宣告の期限まで、あと二週間余り・・・
2007/6/25 21:22
癌との闘い(父の場合) 244.小さな逆襲 両親のこと
父の呼吸が荒い。
久しぶりに介助入浴をして頂いたそうなのだが、
それが相当体に堪えたようだ。
ベッドに横になっているだけでも、
辛さで顔をしかめている。
話しかけていいのかどうか、
話すことも辛いのではないだろうか、
天井の辺りをうつろに見つめる父の顔を、
じっと見つめていいものかどうか、
それさえも、迷った。
そして、ただただ、
点滴が、ポトリ、ポトリ、と、
ゆっくりゆっくり落ちるさまを、
ずっと眺め続けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「なんかお菓子持って来てくれたぁ?」
またこの言葉から始まる母。
その言葉に、同室の患者さんが、
「あらあら〜」
と、素っ頓狂な表情で笑って下さる。
この患者さんの屈託の無い笑顔が、私には大きな救いだ。
年齢は、まだ67歳なのだそうだ。
病室のムードメーカーと言ってもいい。
母の奇妙な言動や、激しい感情も、
この患者さんの手に掛かると、笑い話に変換される。
今日も、私ではなく、お菓子を待っていた母。
「お菓子が来るのを待っとった」
母が、私に向かってハッキリそう言い切る。
「おやまあ、お菓子が勝手に歩いて病院に来てくれるといいわねぇ〜」
と、その患者さんが、私に代わって逆襲。
そのひと言で、ちょっと、気分スッキリ。(笑)
久しぶりに介助入浴をして頂いたそうなのだが、
それが相当体に堪えたようだ。
ベッドに横になっているだけでも、
辛さで顔をしかめている。
話しかけていいのかどうか、
話すことも辛いのではないだろうか、
天井の辺りをうつろに見つめる父の顔を、
じっと見つめていいものかどうか、
それさえも、迷った。
そして、ただただ、
点滴が、ポトリ、ポトリ、と、
ゆっくりゆっくり落ちるさまを、
ずっと眺め続けた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「なんかお菓子持って来てくれたぁ?」
またこの言葉から始まる母。
その言葉に、同室の患者さんが、
「あらあら〜」
と、素っ頓狂な表情で笑って下さる。
この患者さんの屈託の無い笑顔が、私には大きな救いだ。
年齢は、まだ67歳なのだそうだ。
病室のムードメーカーと言ってもいい。
母の奇妙な言動や、激しい感情も、
この患者さんの手に掛かると、笑い話に変換される。
今日も、私ではなく、お菓子を待っていた母。
「お菓子が来るのを待っとった」
母が、私に向かってハッキリそう言い切る。
「おやまあ、お菓子が勝手に歩いて病院に来てくれるといいわねぇ〜」
と、その患者さんが、私に代わって逆襲。
そのひと言で、ちょっと、気分スッキリ。(笑)
2007/6/24 21:08
癌との闘い(父の場合) 243.食 両親のこと
父が、ようやく納得してくれた。
今日から、重湯などの経口栄養を一切止めることとなった。
お陰で、吐いたものを受けるボールが、今日は空っぽだ。
イヤでイヤで堪らなくなっていた食事から、
父はようやく解放された。
「これで良かったのよ」
そう言って、もう一度、父を納得させる。
ベッドから身を起こすのも、寝かすのも、
人の手を借りなければならない。
「お父さん、何処か痛いところは無い?」
と、聞くと、
「ここが痛い・・」
と、紙オムツを指差した。
骨が紙オムツに当って、痛いのだという。
こんなに柔らかい材質なのに!
勿論、きつく締めてあるわけでもない。
ペラとめくれたパジャマから、骨が見える。
もう、骨しか、ない・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母は、私の顔を見るなり、また食べ物の催促だ。
昨日、兄夫婦が持って来た3日分のお菓子は、
昨日のうちに全て食べつくしてある。
三度の食事じゃ足りない、
と言う。
同室の患者さんの話によると、
母は、夜中でも、
ベッドでボリボリお菓子を食べているのだそうだ。
食欲中枢がぶっ壊れてしまったのか?
精神を病んで、全く食べ物が喉を通らず、
体重が一気に20キロ近く落ちた反動が、
今、来ているのかもしれない。
母の頭の中は、
食べ物のことでいっぱいなのだ。
手ぶらで見舞いに行くと、暴言を吐かれるのが辛い。
かといって、食べ物を持って行くと、
今度は看護師さんから、キツイお言葉を頂くことになる。
母は、自分の異常に対して全く自覚が無い。
暴言を吐かれて傷付く人がいることも、
全く気が付いていないのだろう。
今日から、重湯などの経口栄養を一切止めることとなった。
お陰で、吐いたものを受けるボールが、今日は空っぽだ。
イヤでイヤで堪らなくなっていた食事から、
父はようやく解放された。
「これで良かったのよ」
そう言って、もう一度、父を納得させる。
ベッドから身を起こすのも、寝かすのも、
人の手を借りなければならない。
「お父さん、何処か痛いところは無い?」
と、聞くと、
「ここが痛い・・」
と、紙オムツを指差した。
骨が紙オムツに当って、痛いのだという。
こんなに柔らかい材質なのに!
勿論、きつく締めてあるわけでもない。
ペラとめくれたパジャマから、骨が見える。
もう、骨しか、ない・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
母は、私の顔を見るなり、また食べ物の催促だ。
昨日、兄夫婦が持って来た3日分のお菓子は、
昨日のうちに全て食べつくしてある。
三度の食事じゃ足りない、
と言う。
同室の患者さんの話によると、
母は、夜中でも、
ベッドでボリボリお菓子を食べているのだそうだ。
食欲中枢がぶっ壊れてしまったのか?
精神を病んで、全く食べ物が喉を通らず、
体重が一気に20キロ近く落ちた反動が、
今、来ているのかもしれない。
母の頭の中は、
食べ物のことでいっぱいなのだ。
手ぶらで見舞いに行くと、暴言を吐かれるのが辛い。
かといって、食べ物を持って行くと、
今度は看護師さんから、キツイお言葉を頂くことになる。
母は、自分の異常に対して全く自覚が無い。
暴言を吐かれて傷付く人がいることも、
全く気が付いていないのだろう。
2007/6/23 21:44
癌との闘い(父の場合) 242.吐く 両親のこと
父が吐いている。
もうとっくに止めたはずの重湯を、父はまだ頼んでいたのだ。
一日二回、父のベッドサイドに運ばれてくるメニューは、
重湯、スープ、ジュースか牛乳。
ジュースや牛乳は、全くの手付かず。
重湯とスープは、飲めてもせいぜい10cc。
夕方、私が病院に着いた頃、丁度、それらが運ばれた。
身を起こすのを手伝って、ようやくカップを手に取る。
じわりじわりと、口に含みながら、
少量ずつ食道に滲(し)みこませる。
時間を掛けて10cc程飲んだところで、
「今日はもう、これくらいにしとく・・」
と、テーブルに戻す。
その後、ものの五分と経たないうちに、
父が苦しそうに吐く。
吐く力も無いはずなのに、
その、無い力を振り絞って吐く。
数回に渡り、吐く。
そして、結局、全てを吐いてしまう。
もう通る道が無いのだから、体が拒絶するのは当然のこと。
入らないものを体外に吐き出させる力が残っているうちは、
まだいいが、
それすら出来なくなった時には、もう終わりだ。
だから、もう口から栄養を摂るのは止めようよ。
そう言っているのに、
父は止めようとしない。
「お願いだから、もう止めて下さい。
もう体が受け付けていないのですよ。
吐くことで、体力がすっかり消耗してしまいます。
これ以上続けるのは、逆に危険なことだと思いますよ」
ゆっくり、ゆっくり、諭すように話してみた。
「どんなもんかのぅ・・・」
父はまだ考え込んでいる。
その後、また吐いた。
父と話していても埒が開かないので、
看護師さんに直接話した。
今日は土曜日で主治医の先生が不在なのだろう。
返事は後日となった。
・・・・・・・・・・・・・・
その後、母のところへ。
ベッドで寝たまま、お菓子を食べあさっている。
あれほど、
医師や看護師さんたちから禁止されているというのに、
全く言うことを聞かないで、布団に隠しながら食べている。
「なんか食べるもん持ってきてくれたぁ?」
私の顔を見るなり食べ物の催促だ。
看護師さんから注意を受けたので、
差し入れは、重ならないよう、
兄夫婦が担当することになっている。
そう母に説明した。
何も持ってきて無いのを知った母が、暴言を吐く。
更に帰り際、
「たまにはパジャマでも買ってきてよ!」
との言葉を浴びせられる。
パジャマはロッカーに、あと四枚も入っている。
泣きたくなった。
が、ずっとそれらの経緯を見ていた同室の患者さんが、
「あらまあ」
と、私に、同情の笑顔を送って下さったので、救われた。
もうとっくに止めたはずの重湯を、父はまだ頼んでいたのだ。
一日二回、父のベッドサイドに運ばれてくるメニューは、
重湯、スープ、ジュースか牛乳。
ジュースや牛乳は、全くの手付かず。
重湯とスープは、飲めてもせいぜい10cc。
夕方、私が病院に着いた頃、丁度、それらが運ばれた。
身を起こすのを手伝って、ようやくカップを手に取る。
じわりじわりと、口に含みながら、
少量ずつ食道に滲(し)みこませる。
時間を掛けて10cc程飲んだところで、
「今日はもう、これくらいにしとく・・」
と、テーブルに戻す。
その後、ものの五分と経たないうちに、
父が苦しそうに吐く。
吐く力も無いはずなのに、
その、無い力を振り絞って吐く。
数回に渡り、吐く。
そして、結局、全てを吐いてしまう。
もう通る道が無いのだから、体が拒絶するのは当然のこと。
入らないものを体外に吐き出させる力が残っているうちは、
まだいいが、
それすら出来なくなった時には、もう終わりだ。
だから、もう口から栄養を摂るのは止めようよ。
そう言っているのに、
父は止めようとしない。
「お願いだから、もう止めて下さい。
もう体が受け付けていないのですよ。
吐くことで、体力がすっかり消耗してしまいます。
これ以上続けるのは、逆に危険なことだと思いますよ」
ゆっくり、ゆっくり、諭すように話してみた。
「どんなもんかのぅ・・・」
父はまだ考え込んでいる。
その後、また吐いた。
父と話していても埒が開かないので、
看護師さんに直接話した。
今日は土曜日で主治医の先生が不在なのだろう。
返事は後日となった。
・・・・・・・・・・・・・・
その後、母のところへ。
ベッドで寝たまま、お菓子を食べあさっている。
あれほど、
医師や看護師さんたちから禁止されているというのに、
全く言うことを聞かないで、布団に隠しながら食べている。
「なんか食べるもん持ってきてくれたぁ?」
私の顔を見るなり食べ物の催促だ。
看護師さんから注意を受けたので、
差し入れは、重ならないよう、
兄夫婦が担当することになっている。
そう母に説明した。
何も持ってきて無いのを知った母が、暴言を吐く。
更に帰り際、
「たまにはパジャマでも買ってきてよ!」
との言葉を浴びせられる。
パジャマはロッカーに、あと四枚も入っている。
泣きたくなった。
が、ずっとそれらの経緯を見ていた同室の患者さんが、
「あらまあ」
と、私に、同情の笑顔を送って下さったので、救われた。
2007/6/22 22:25
癌との闘い(父の場合) 241.精神科と内科 両親のこと
ここのところ、電話のベルがやたら恐くなった。
鳴る度に、
もしや、父に何か・・・
と思ってしまう。
受話器を取るのをためらってしまうこともある。
まずは、気持ちと呼吸を整えて、
それから、覚悟、だ。
緊張して受話器を上げる。
と、大概はセールスだ。
家庭教師、塾、学習教材・・・
もううんざりだ。
入院している家族がいて、
急変を知らせる電話に怯えている人間もいることを、
どうか、頭の片隅にでも置いて下さい。
などとお願いするのは横柄か。
・・・・・・・・・・・・・
父が、母に会いたがっている。
そのことを母に伝えると、
ふんふん、と分かったような返事をする。
その様子を見ていた看護師さんが、
「じゃあ、今度、
ご家族の方に連れて行ってもらえばいいわネ。
先生にお話しておきましょう」
と言って下さる。
「良かったね、お母さん!」
と言うと、
「醤油、もうなくなったから、持って来てちょうだい」
と、母の返事。
あまりのチンプンカンプンに、
看護師さんも私も爆笑。
まあ、こんな場面で、
精神科病棟にいた頃は、随分がっかりしていたわけだが、
今回の病院では、看護師さんや、同室の患者さんたちの雰囲気が非常に良い。
『内科』というだけで、こうも違ってくるものかと驚く。
それにしても、精神科病棟というのは、
なぜにあれほどまで異様なのか。
勿論、
全ての病院がそうだというわけではないのだろうけれど、
少なくとも、母の入院していた所は酷かった。
あの病棟に一歩足を踏み入れただけで、気が滅入る。
精神病と一口に言っても、症状は様々。
素人の余計な口出しが危険であるということは、
百も承知で言わせて頂くが、
精神を病んでいる方々には、
もっと気持ちの良い環境を提供すべきではないか。
網の目の入ったスリガラスではなく、
太陽の光を感じられるような、
もっと外の景色にオープンで、明るい病室だったら・・・
症状によっては、
それがかえってダメな場合もあるのだろう。
しかし、そうではない症状の患者さんには、
やはり、そうではない入院環境が必要なのではないだろうか。
今なら、母のチンプンカンプンも、
なんだか心穏やかに受け止められる。
鳴る度に、
もしや、父に何か・・・
と思ってしまう。
受話器を取るのをためらってしまうこともある。
まずは、気持ちと呼吸を整えて、
それから、覚悟、だ。
緊張して受話器を上げる。
と、大概はセールスだ。
家庭教師、塾、学習教材・・・
もううんざりだ。
入院している家族がいて、
急変を知らせる電話に怯えている人間もいることを、
どうか、頭の片隅にでも置いて下さい。
などとお願いするのは横柄か。
・・・・・・・・・・・・・
父が、母に会いたがっている。
そのことを母に伝えると、
ふんふん、と分かったような返事をする。
その様子を見ていた看護師さんが、
「じゃあ、今度、
ご家族の方に連れて行ってもらえばいいわネ。
先生にお話しておきましょう」
と言って下さる。
「良かったね、お母さん!」
と言うと、
「醤油、もうなくなったから、持って来てちょうだい」
と、母の返事。
あまりのチンプンカンプンに、
看護師さんも私も爆笑。
まあ、こんな場面で、
精神科病棟にいた頃は、随分がっかりしていたわけだが、
今回の病院では、看護師さんや、同室の患者さんたちの雰囲気が非常に良い。
『内科』というだけで、こうも違ってくるものかと驚く。
それにしても、精神科病棟というのは、
なぜにあれほどまで異様なのか。
勿論、
全ての病院がそうだというわけではないのだろうけれど、
少なくとも、母の入院していた所は酷かった。
あの病棟に一歩足を踏み入れただけで、気が滅入る。
精神病と一口に言っても、症状は様々。
素人の余計な口出しが危険であるということは、
百も承知で言わせて頂くが、
精神を病んでいる方々には、
もっと気持ちの良い環境を提供すべきではないか。
網の目の入ったスリガラスではなく、
太陽の光を感じられるような、
もっと外の景色にオープンで、明るい病室だったら・・・
症状によっては、
それがかえってダメな場合もあるのだろう。
しかし、そうではない症状の患者さんには、
やはり、そうではない入院環境が必要なのではないだろうか。
今なら、母のチンプンカンプンも、
なんだか心穏やかに受け止められる。
2007/6/21 21:55
癌との闘い(父の場合) 240.いかなあかん 両親のこと
「こんなダラダラしとらんと、
いい加減、もういかなあかんと思うとるんや」
「え?『いかんなあかん』て、何処に行かなきゃならないの?」
・・と、言いかけて、言葉を飲み込んだ。
父の言う、「いかなあかん」は、
「行かなあかん」
ではなく、
「逝かなあかん」
なのだと気が付いたからである。
私は、それに対応する言葉を持ち合わせていなかった。
父がそんな言葉を吐くことを、
今まで一度も想像していなかったからである。
何も言えなかった。
「そうなんだ・・」
と、妙に納得するのもイヤだったし、
かといって、
「そんなこと言っちゃダメだよ」
と、励ますことなどは、もっと出来なかった。
妙に白けた時間が病室に流れ、
心の中が、ぽっかり空いた。
・・・・・・・・・・・・・・・
ここのところ、母の様子は、一進一退。
母の感情が落ち着いて、まともな会話ができる時もあれば、
全くの無表情・無反応に、がっかりしてしまうこともある。
が、よくよく観察してみると、
以前のような絶望的な感情よりも、
生きることへの意欲が、少しづつ見え隠れしてきている。
精神的に落ち着いているときは、
「こんなことに負けてちゃいかん!頑張らんなん!
と、思うとる」
などと、信じられないくらい嬉しいことを言ってくれたりもする。
父の気力と母の気力が、
徐々に逆転してきている。
「お父さんが頑張っとると思うたら、わしも頑張らんなんわ」
精神科病棟にいた頃には想像も付かなかった母のセリフに、驚かされる。
肉体的機能の衰えはますます顕著だが、
今後、精神が健全になってくれれば、
それだけで、本人も周りも充分救われるはずだ。
いい加減、もういかなあかんと思うとるんや」
「え?『いかんなあかん』て、何処に行かなきゃならないの?」
・・と、言いかけて、言葉を飲み込んだ。
父の言う、「いかなあかん」は、
「行かなあかん」
ではなく、
「逝かなあかん」
なのだと気が付いたからである。
私は、それに対応する言葉を持ち合わせていなかった。
父がそんな言葉を吐くことを、
今まで一度も想像していなかったからである。
何も言えなかった。
「そうなんだ・・」
と、妙に納得するのもイヤだったし、
かといって、
「そんなこと言っちゃダメだよ」
と、励ますことなどは、もっと出来なかった。
妙に白けた時間が病室に流れ、
心の中が、ぽっかり空いた。
・・・・・・・・・・・・・・・
ここのところ、母の様子は、一進一退。
母の感情が落ち着いて、まともな会話ができる時もあれば、
全くの無表情・無反応に、がっかりしてしまうこともある。
が、よくよく観察してみると、
以前のような絶望的な感情よりも、
生きることへの意欲が、少しづつ見え隠れしてきている。
精神的に落ち着いているときは、
「こんなことに負けてちゃいかん!頑張らんなん!
と、思うとる」
などと、信じられないくらい嬉しいことを言ってくれたりもする。
父の気力と母の気力が、
徐々に逆転してきている。
「お父さんが頑張っとると思うたら、わしも頑張らんなんわ」
精神科病棟にいた頃には想像も付かなかった母のセリフに、驚かされる。
肉体的機能の衰えはますます顕著だが、
今後、精神が健全になってくれれば、
それだけで、本人も周りも充分救われるはずだ。
















