2007/9/30 21:05
『アサッテの人』 諏訪 哲史の魅力 VOL.7 本
そろそろここら辺りで、受賞作『アサッテの人』の内容について言及した方がいいかな、とも思うのだが、何しろ、当シリーズのメインテーマは、あくまでも、『諏訪哲史の魅力』。
作品については追々論じるつもりではあるが、従来の読書感想文的な内容とは、少々趣を異にする点をお許し頂きたい。
ただ、ひとつ、確実に言えることは、この『アサッテの人』という作品を、たった一度きりで読み捨ててはもったいない!ということである。
例えば音楽にしても、一番最初に聴いたときは、「なんだかなぁ・・」と思っても、二度三度、四度五度・・と聴き重ねるうちに、おっそろしくハマってしまう類のモノがある。
そして、一度ハマったならば、そのハマり方といったらもう、半端じゃないのだ。
そんな魅力が、『アサッテの人』にはある。
が、但し、それにしたところで、必ずしも作品を読んだ全員が全員そうかというと、それは、絶対に断定などできない。
そもそも、本の読み方や感じ方に、正解不正解など有り得ない。
読者が十人居れば十種類の、百人居れば百種類の感性が存在するのである。
しかも、もともと『アサッテの人』は、選考時点で既に感じ方が真っ二つに割れた作品である。
それを、
村上龍『限りなく透明に近いブルー』以来の衝撃!!
などという、一括りな広告文句は、なんだか違うぞ??(特に、村上氏)と思ってしまうのである。
勿論、群像新人文学賞と芥川賞のW受賞は、村上龍氏以来31年ぶりという衝撃は事実なのだが、
『両賞選考委員激賞の新しい文学!』
などとと加えられると、あれ?そんなコピーでいいのかな?と、少なくとも石原氏以下数諸氏は、さぞかし呆れておられるのではないかと、余計な心配をしてしまう小心者の私に気付くのである。
それならいっそのこと、
「作者の持って回った技法は不明瞭でわずらわしいものでしかなかった」
(石原慎太郎氏)
「退屈な小説だった」
(村上龍氏)
「言語についてのある種の哲学的論考が、所詮観念にすぎない思考の遊びに思える」
(宮本輝氏)
などという、批判的ご意見も同時に列記し、
『さあ、キミはどちら派?!』
ぐらいカマしたっていいんじゃなかろうか??
絶賛の言葉だけを載せた広告は、消費者基本法に触れたりして??
読者(消費者)は、広告の言葉を信じて1575円(税込)の投資をするわけで・・
いや勿論、この作品ならば、そうした負の評価の暴露にも、充分耐え得ると思うからこそ、の提案なのだが。
(母性の女ゆえ)

※VOL.8 に進む※
作品については追々論じるつもりではあるが、従来の読書感想文的な内容とは、少々趣を異にする点をお許し頂きたい。
ただ、ひとつ、確実に言えることは、この『アサッテの人』という作品を、たった一度きりで読み捨ててはもったいない!ということである。
例えば音楽にしても、一番最初に聴いたときは、「なんだかなぁ・・」と思っても、二度三度、四度五度・・と聴き重ねるうちに、おっそろしくハマってしまう類のモノがある。
そして、一度ハマったならば、そのハマり方といったらもう、半端じゃないのだ。
そんな魅力が、『アサッテの人』にはある。
が、但し、それにしたところで、必ずしも作品を読んだ全員が全員そうかというと、それは、絶対に断定などできない。
そもそも、本の読み方や感じ方に、正解不正解など有り得ない。
読者が十人居れば十種類の、百人居れば百種類の感性が存在するのである。
しかも、もともと『アサッテの人』は、選考時点で既に感じ方が真っ二つに割れた作品である。
それを、
村上龍『限りなく透明に近いブルー』以来の衝撃!!
などという、一括りな広告文句は、なんだか違うぞ??(特に、村上氏)と思ってしまうのである。
勿論、群像新人文学賞と芥川賞のW受賞は、村上龍氏以来31年ぶりという衝撃は事実なのだが、
『両賞選考委員激賞の新しい文学!』
などとと加えられると、あれ?そんなコピーでいいのかな?と、少なくとも石原氏以下数諸氏は、さぞかし呆れておられるのではないかと、余計な心配をしてしまう小心者の私に気付くのである。
それならいっそのこと、
「作者の持って回った技法は不明瞭でわずらわしいものでしかなかった」
(石原慎太郎氏)
「退屈な小説だった」
(村上龍氏)
「言語についてのある種の哲学的論考が、所詮観念にすぎない思考の遊びに思える」
(宮本輝氏)
などという、批判的ご意見も同時に列記し、
『さあ、キミはどちら派?!』
ぐらいカマしたっていいんじゃなかろうか??
絶賛の言葉だけを載せた広告は、消費者基本法に触れたりして??
読者(消費者)は、広告の言葉を信じて1575円(税込)の投資をするわけで・・
いや勿論、この作品ならば、そうした負の評価の暴露にも、充分耐え得ると思うからこそ、の提案なのだが。
(母性の女ゆえ)
※VOL.8 に進む※
2007/9/29 22:32
『アサッテの人』 諏訪 哲史の魅力 VOL.6 本
『諏訪氏には、女性を惹き付けるフェロモンが存在する!』
嗚呼、我ながら、なんと大胆不敵な仮説!
そして、なんとエキセントリックな!
通り一遍なもっともらしい批評は、プロの皆様に任せておけば良いのだ。
何に迎合することも無い。
私は私の感ずるままに綴るのみ、である。
これぞ、一般読者の特権!
というわけで、今回も独自の持論を・・・
と思ったのだが、その、『若者にしか聴こえない音』の如くの諏訪氏のフェロモン、「ほら、聴こえるでしょ、ほら、ほら!」といくら若者たちから言われても、ある年齢を超えてしまった人々には全く聴こえないのと同じく、「ほら、感じるでしょ、ほら、ほら!」といくら私が言ってみたところで、感じない人には感じないものを、如何にして証明すべきか。
これはかなりの難問である。
自分から言い出したにもかかわらず、相当な難問である。
が、諏訪氏には、間違いなく、その手のフェロモンが存在するのである。
それを裏付けるに相応しいかどうかは、個々人の感じ方次第だが、私は、諏訪氏の、『受賞の言葉』にグッと(good)きた。
発表当日の記者会見の後、ドナドナの仔牛のような瞳をして、僕は選考委員会の方々がいらっしゃる市場(バー)へ、ものがなしく売られて行きました。荷馬車(タクシー)に揺られる道中、あれだけの梁山泊にぐるりを包囲されるのかという恐怖で、僕の尻尾は内股に心細く隠れていました。
この出だしに、思わず、守ってあげたい感情が沸々と湧き上がって来るとしたら、それは、間違いなく、母性である。
すると、次に、
バーのドアをくぐると、まっさきに憧れの山田詠美さんが祝福して下さり、ようやくそこが牛市場でないことを知りました。
とあり、ホッと胸をなでおろす母性の女。
たおやかな御手で握手して下さった小川洋子さん、スラリとした川上弘美さんからも握手、そして、黒井千次さんの三倍ほどの力で握手して下さった豪快な高城のぶ子さんも・・・僕はとても嬉しかった。
ああ、本当に良かったネ、みんな諏訪氏を推した母性ある女性陣たちだ。
そして、ここからが極めつけ。
最後にしたたかに酔っていらした詠美さん、恐る恐る差し出した僕の手を振り払い、両腕をすりすり×3、背中までの強烈なハグハグ×6(いや8? 9?)をして下さり、僕は本当に恐かっ、いや、ちが・・・、嬉しかった。
山田詠美氏は、氏の選評を読む限り、選考委員中、最も強く『アサッテの人』を推していたようだ。他の候補作全てをはっきりとした論調で否定しているのは、氏だけである。
『アサッテの人』について山田氏は、
選考委員になって以来、初めて候補作を読んで吹き出した。それも何度も。愉快で、馬鹿馬鹿しく、やがて哀しいゲームに身を投じた気持。この受賞が、作者の<アサッテ>になってくれたら、嬉しいな。
と、評している。
このハグハグの様子は、まさに、心細き仔牛ちゃんを愛情たっぷりに慈しむ母性の成せる業。
それを受ける諏訪氏の反応もまた、コミカルでまるで嫌味がない。
(この時の様子を想像しながら、「嗚呼、私もハグハグしたいわ!」と思われた母性溢れる女性も多いのでは??)
この日、石原慎太郎氏・池澤夏樹氏・宮本輝氏・村上龍氏は欠席であった。
ハイ、この状態なら、良かったです、欠席で。
(池澤氏を除いて、推した委員と推さなかった委員が真っ二つ)
そして、『受賞のことば』、最後の締めは、
懐中時計がいつか質屋に並ぶことのないよう、精進致します。
懐中時計とは、芥川龍之介賞の正賞である。(ちなみに、副賞は百万円。)
嗚呼、それを質屋に入れないように精進します、だなんて・・
と、ここでも母性全開になること請け合いである。
・・・と、
大方の男性からは、相当アサッテな論理、いや、論理などという以前のマユツバもんだ、と揶揄されるのがオチであろう。
そうです。
何しろ、若者にしか聴こえない音のようなもの、ですから。
※VOL.7 に進む※
嗚呼、我ながら、なんと大胆不敵な仮説!
そして、なんとエキセントリックな!
通り一遍なもっともらしい批評は、プロの皆様に任せておけば良いのだ。
何に迎合することも無い。
私は私の感ずるままに綴るのみ、である。
これぞ、一般読者の特権!
というわけで、今回も独自の持論を・・・
と思ったのだが、その、『若者にしか聴こえない音』の如くの諏訪氏のフェロモン、「ほら、聴こえるでしょ、ほら、ほら!」といくら若者たちから言われても、ある年齢を超えてしまった人々には全く聴こえないのと同じく、「ほら、感じるでしょ、ほら、ほら!」といくら私が言ってみたところで、感じない人には感じないものを、如何にして証明すべきか。
これはかなりの難問である。
自分から言い出したにもかかわらず、相当な難問である。
が、諏訪氏には、間違いなく、その手のフェロモンが存在するのである。
それを裏付けるに相応しいかどうかは、個々人の感じ方次第だが、私は、諏訪氏の、『受賞の言葉』にグッと(good)きた。
発表当日の記者会見の後、ドナドナの仔牛のような瞳をして、僕は選考委員会の方々がいらっしゃる市場(バー)へ、ものがなしく売られて行きました。荷馬車(タクシー)に揺られる道中、あれだけの梁山泊にぐるりを包囲されるのかという恐怖で、僕の尻尾は内股に心細く隠れていました。
この出だしに、思わず、守ってあげたい感情が沸々と湧き上がって来るとしたら、それは、間違いなく、母性である。
すると、次に、
バーのドアをくぐると、まっさきに憧れの山田詠美さんが祝福して下さり、ようやくそこが牛市場でないことを知りました。
とあり、ホッと胸をなでおろす母性の女。
たおやかな御手で握手して下さった小川洋子さん、スラリとした川上弘美さんからも握手、そして、黒井千次さんの三倍ほどの力で握手して下さった豪快な高城のぶ子さんも・・・僕はとても嬉しかった。
ああ、本当に良かったネ、みんな諏訪氏を推した母性ある女性陣たちだ。
そして、ここからが極めつけ。
最後にしたたかに酔っていらした詠美さん、恐る恐る差し出した僕の手を振り払い、両腕をすりすり×3、背中までの強烈なハグハグ×6(いや8? 9?)をして下さり、僕は本当に恐かっ、いや、ちが・・・、嬉しかった。
山田詠美氏は、氏の選評を読む限り、選考委員中、最も強く『アサッテの人』を推していたようだ。他の候補作全てをはっきりとした論調で否定しているのは、氏だけである。
『アサッテの人』について山田氏は、
選考委員になって以来、初めて候補作を読んで吹き出した。それも何度も。愉快で、馬鹿馬鹿しく、やがて哀しいゲームに身を投じた気持。この受賞が、作者の<アサッテ>になってくれたら、嬉しいな。
と、評している。
このハグハグの様子は、まさに、心細き仔牛ちゃんを愛情たっぷりに慈しむ母性の成せる業。
それを受ける諏訪氏の反応もまた、コミカルでまるで嫌味がない。
(この時の様子を想像しながら、「嗚呼、私もハグハグしたいわ!」と思われた母性溢れる女性も多いのでは??)
この日、石原慎太郎氏・池澤夏樹氏・宮本輝氏・村上龍氏は欠席であった。
ハイ、この状態なら、良かったです、欠席で。
(池澤氏を除いて、推した委員と推さなかった委員が真っ二つ)
そして、『受賞のことば』、最後の締めは、
懐中時計がいつか質屋に並ぶことのないよう、精進致します。
懐中時計とは、芥川龍之介賞の正賞である。(ちなみに、副賞は百万円。)
嗚呼、それを質屋に入れないように精進します、だなんて・・
と、ここでも母性全開になること請け合いである。
・・・と、
大方の男性からは、相当アサッテな論理、いや、論理などという以前のマユツバもんだ、と揶揄されるのがオチであろう。
そうです。
何しろ、若者にしか聴こえない音のようなもの、ですから。
※VOL.7 に進む※
2007/9/28 21:18
『アサッテの人』 諏訪 哲史の魅力 VOL.5 本
昨日の記事で、私は、大失言をやらかしてしまった。
「めちゃくちゃ彼らしく、サマになって、カッコいいのである」
とは、何事ぞ!
このような率直な表現では、単に、ジャニーズタレントに群がる女子と変わりないのである。
そこで、ここらで少々論点を整理してみたい。
まず、そもそも芥川龍之介賞とはナニモノぞ、ということだ。
簡単に言えば、「純文学の新人に与えられる文学賞」なのだが、じゃあ、純文学って何よ?
という点で躓(つまづ)く。
手持ちの辞書には、
「純粋に文学思想を表現し、芸術性を第一とする文芸作品。通俗的でない、純粋な芸術である文芸作品」
とあり、反対語として、『大衆文学』があげられている。
さあ困ったぞ。
純粋な文学思想、純粋な芸術・・・
じゃあ、『純粋』とは一体なんなんだ!
これも、手持ちの辞書によると、「まじりけが無い様子」「利害打算や曲がった気持ちが無い様子」とある。
なんでも、明治の作家 北村 透谷氏が、評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(文学界二号・1893年2月28日)の中で、純文学のことを、「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」と、定義なさったのだそうだ。
それに比べ、直木三十五賞は、大衆文芸作品が対象となるのであるから、芥川賞と直木賞は、いわば、反対語みたいなもの、ということになる。
そこで、今回の受賞作、諏訪哲史氏の『アサッテの人』だが、この作品が、果たして芥川賞に値するのかどうか、その判断が、選考委員内であまりにも大きく割れてしまったのだ。
ここ数年、純文学不毛の時代と言われ、もはや純文学の定義すらあやふやで、純文学自体、意味を成さなくなっているのではないか、と懸念されている。
純粋に考えると、『アサッテの人』は、その純文学たる定義、あるいはもっと簡単に言えば、純文学とはこうであろうという思い込みを、あっさり裏切ってくれる作品である。
つまり、「芥川賞らしからぬ作品」、端的に言うと、「芥川賞には相応しくない作品」
ということになる。
石原慎太郎氏の選評、
「創作とは作家はあくまで己の感性で主題を捉えて表現する作業だが、それが作品として発表される限り読者という他者との何らかの関わり、それは感動であったり反発であったりもしようが、今回の候補作の大方は読者の代表の一人たる私にとっては何とも退屈、あるいは不可解なものでしかなかった」
おそらく、今回はこれが正解だったのではないかと思う。
それならば、なぜ、『アサッテの人』が選出されたのか?!
私は、そこに、ある種独特の、フェロモンを感じるのである。
女性選考委員全てがこの作品を推した所以が、ここにあるのだ。
最近話題になってる、「若者にしか聞こえない音」。
もしかしたらこの作品には、そういった類の、「女性にしか見えない感性」が、あちらこちらに散りばめられているのではないだろうか。
これは、あたかも、龍之介の文才を最も受け継いだといわれながらも22歳で戦死した芥川龍之介の次男・多加志の幻の原稿を熱望する中、奇跡的にそれと巡り会い、「星座」になった人―芥川竜之介次男・多加志の青春(新潮社)を著し、世に多加志の才能を知らしめた、天満 ふさこ氏(46歳)の如くである。
そこには女性を強烈に惹き付ける、『何か』というものが、確かに存在するのだ。
それも、「母性ある女性」を惹き付ける、何かが。
次回は、この点にも少々迫ってみたい。
※VOL.6 に進む※
「めちゃくちゃ彼らしく、サマになって、カッコいいのである」
とは、何事ぞ!
このような率直な表現では、単に、ジャニーズタレントに群がる女子と変わりないのである。
そこで、ここらで少々論点を整理してみたい。
まず、そもそも芥川龍之介賞とはナニモノぞ、ということだ。
簡単に言えば、「純文学の新人に与えられる文学賞」なのだが、じゃあ、純文学って何よ?
という点で躓(つまづ)く。
手持ちの辞書には、
「純粋に文学思想を表現し、芸術性を第一とする文芸作品。通俗的でない、純粋な芸術である文芸作品」
とあり、反対語として、『大衆文学』があげられている。
さあ困ったぞ。
純粋な文学思想、純粋な芸術・・・
じゃあ、『純粋』とは一体なんなんだ!
これも、手持ちの辞書によると、「まじりけが無い様子」「利害打算や曲がった気持ちが無い様子」とある。
なんでも、明治の作家 北村 透谷氏が、評論「人生に相渉るとは何の謂ぞ」(文学界二号・1893年2月28日)の中で、純文学のことを、「学問のための文章でなく美的形成に重点を置いた文学作品」と、定義なさったのだそうだ。
それに比べ、直木三十五賞は、大衆文芸作品が対象となるのであるから、芥川賞と直木賞は、いわば、反対語みたいなもの、ということになる。
そこで、今回の受賞作、諏訪哲史氏の『アサッテの人』だが、この作品が、果たして芥川賞に値するのかどうか、その判断が、選考委員内であまりにも大きく割れてしまったのだ。
ここ数年、純文学不毛の時代と言われ、もはや純文学の定義すらあやふやで、純文学自体、意味を成さなくなっているのではないか、と懸念されている。
純粋に考えると、『アサッテの人』は、その純文学たる定義、あるいはもっと簡単に言えば、純文学とはこうであろうという思い込みを、あっさり裏切ってくれる作品である。
つまり、「芥川賞らしからぬ作品」、端的に言うと、「芥川賞には相応しくない作品」
ということになる。
石原慎太郎氏の選評、
「創作とは作家はあくまで己の感性で主題を捉えて表現する作業だが、それが作品として発表される限り読者という他者との何らかの関わり、それは感動であったり反発であったりもしようが、今回の候補作の大方は読者の代表の一人たる私にとっては何とも退屈、あるいは不可解なものでしかなかった」
おそらく、今回はこれが正解だったのではないかと思う。
それならば、なぜ、『アサッテの人』が選出されたのか?!
私は、そこに、ある種独特の、フェロモンを感じるのである。
女性選考委員全てがこの作品を推した所以が、ここにあるのだ。
最近話題になってる、「若者にしか聞こえない音」。
もしかしたらこの作品には、そういった類の、「女性にしか見えない感性」が、あちらこちらに散りばめられているのではないだろうか。
これは、あたかも、龍之介の文才を最も受け継いだといわれながらも22歳で戦死した芥川龍之介の次男・多加志の幻の原稿を熱望する中、奇跡的にそれと巡り会い、「星座」になった人―芥川竜之介次男・多加志の青春(新潮社)を著し、世に多加志の才能を知らしめた、天満 ふさこ氏(46歳)の如くである。
そこには女性を強烈に惹き付ける、『何か』というものが、確かに存在するのだ。
それも、「母性ある女性」を惹き付ける、何かが。
次回は、この点にも少々迫ってみたい。
※VOL.6 に進む※
2007/9/27 22:04
『アサッテの人』 諏訪 哲史の魅力 VOL.4 本
ここらでいいかげん、諏訪氏の略歴なんぞを・・
1969年 愛知県名古屋市に生まれる
愛知県立名古屋西高等学校を経て、
1992年 國學院大學文学部哲学科を卒業
大学在学中より種村季弘氏に師事
現在、名古屋市在住。
と、大体こんなところ。
ほか、『現在、会社勤務』とある。
が、「今年の夏は、第二作目執筆のために引きこもります!」
という内容の宣言を、NHKのインタヴュー番組でなさっていたので、もしかしたら、夏場は長期休暇を取っておられたのかもしれない。
さて、今回は、昨日予告した通り、諏訪氏の女性魅了フェロモンについて、解き明かさねばならない。
そんなわけで、画像も用意せねばならんのである。
「なんだとぉ?!作家は見た目かよ!」
と、お怒りの輩も多いことかと思うが、『見た目』は、良くも悪くも相乗効果である。
つまり、良いは良いで相乗効果をもたらすし、逆に、悪いは悪いでも、やっぱり相乗効果をもたらすのである。
じゃあ、結局どうでもいいのか、というと、さにあらず。
なんだかややこしくなってきたので、ここらでサッサと諏訪氏にご登場願おう。

(文藝春秋H.Pより)
じゃんじゃん行こう。
次に、これは、7月17日、芥川賞に決定した後、東京 丸の内の東京会館で行われた記者会見時のもの。

(新聞記事を携帯撮影)


(右におわしますは、『吉原手引草』(幻冬舎)で直木賞を受賞なさった松井今朝子氏。)
もっともっと行ってしまおう。
こちらは、8月22日、同じく東京会館で行われた第百三十七回芥川賞・直木賞の贈呈式のもの。

(新聞記事を携帯撮影)

更に駄目押しのエピソードをひとつ。
諏訪氏、受賞者挨拶で演歌を歌う!
挨拶の冒頭、
「名誉な賞を頂き、あつく御礼を申し上げたい」
とかしこまって口上を述べていたが・・・
「お手拍子をお願いします」
と来場者に呼びかけ、
♪私バカよね
と、細川たかし氏の『心のこり』をとうとうと歌い上げ拍手喝采を浴びた。
これは、ダブル受賞となった群像新人文学賞贈呈式での借りを返すためであった。
その、『借り』とは、その際にも歌った演歌で、会場を静まらせてしまったこと、だそうな。
このような贈呈式が、果たして過去にあったであろうか!
いや、無い!
と、まるで反語の好例の如く。
しかも、通常ならば、正装あるいは盛装でもして行きそうな場面に於いて、ジーンズにシャツだなんて!
しかもそれが,めちゃくちゃ彼らしく、サマになって、カッコいいのである。
・・って、やっぱり単なるミーハーじゃないのか??
と、自問しつつ、次回はもっと深い部分にまで考察を進める所存であるからして、今日の所は、どうかどうかお許しを・・・
※VOL.5に進む※
1969年 愛知県名古屋市に生まれる
愛知県立名古屋西高等学校を経て、
1992年 國學院大學文学部哲学科を卒業
大学在学中より種村季弘氏に師事
現在、名古屋市在住。
と、大体こんなところ。
ほか、『現在、会社勤務』とある。
が、「今年の夏は、第二作目執筆のために引きこもります!」
という内容の宣言を、NHKのインタヴュー番組でなさっていたので、もしかしたら、夏場は長期休暇を取っておられたのかもしれない。
さて、今回は、昨日予告した通り、諏訪氏の女性魅了フェロモンについて、解き明かさねばならない。
そんなわけで、画像も用意せねばならんのである。
「なんだとぉ?!作家は見た目かよ!」
と、お怒りの輩も多いことかと思うが、『見た目』は、良くも悪くも相乗効果である。
つまり、良いは良いで相乗効果をもたらすし、逆に、悪いは悪いでも、やっぱり相乗効果をもたらすのである。
じゃあ、結局どうでもいいのか、というと、さにあらず。
なんだかややこしくなってきたので、ここらでサッサと諏訪氏にご登場願おう。
(文藝春秋H.Pより)
じゃんじゃん行こう。
次に、これは、7月17日、芥川賞に決定した後、東京 丸の内の東京会館で行われた記者会見時のもの。
(新聞記事を携帯撮影)
(右におわしますは、『吉原手引草』(幻冬舎)で直木賞を受賞なさった松井今朝子氏。)
もっともっと行ってしまおう。
こちらは、8月22日、同じく東京会館で行われた第百三十七回芥川賞・直木賞の贈呈式のもの。
(新聞記事を携帯撮影)
更に駄目押しのエピソードをひとつ。
諏訪氏、受賞者挨拶で演歌を歌う!
挨拶の冒頭、
「名誉な賞を頂き、あつく御礼を申し上げたい」
とかしこまって口上を述べていたが・・・
「お手拍子をお願いします」
と来場者に呼びかけ、
♪私バカよね
と、細川たかし氏の『心のこり』をとうとうと歌い上げ拍手喝采を浴びた。
これは、ダブル受賞となった群像新人文学賞贈呈式での借りを返すためであった。
その、『借り』とは、その際にも歌った演歌で、会場を静まらせてしまったこと、だそうな。
このような贈呈式が、果たして過去にあったであろうか!
いや、無い!
と、まるで反語の好例の如く。
しかも、通常ならば、正装あるいは盛装でもして行きそうな場面に於いて、ジーンズにシャツだなんて!
しかもそれが,めちゃくちゃ彼らしく、サマになって、カッコいいのである。
・・って、やっぱり単なるミーハーじゃないのか??
と、自問しつつ、次回はもっと深い部分にまで考察を進める所存であるからして、今日の所は、どうかどうかお許しを・・・
※VOL.5に進む※
2007/9/26 21:02
『アサッテの人』 諏訪 哲史の魅力 VOL.3 本
さて、昨日私は、記事の中でうっかり、
「『アサッテの人』が、そうした類のお気楽色などかけらもない作品である」
と述べてしまったが、この表現は、少し誤解を招くかもしれない。
「お気楽のかけらもない」
などとといってしまうと、じゃあ、深刻な内容なのか?猟奇的内容なのか?悲哀に満ちた内容なのか?心温まる内容なのか?悲愴な?悲惨な?陰惨な?と、矢継ぎ早に質問を浴びせられそうだが、実は、それらいずれにも当てはまらない。
そう考えてみると、想いがすっかり振り出しに戻ってしまって、もしかしたら、「お気楽の塊」みたいな作品かも・・と思えてしまうのである。
この不可思議さ、それを、『快感』として捉えることができる感性の持ち主が、諏訪哲史氏の放つ魅力にハメられていくのである。
ゆえに、この作品に対する評価は、両極端だ。
選考委員のうち、石原慎太郎氏は、
「作者の持って回った技法は不明瞭でわずらわしいものでしかなかった」
と散々であるし、村上龍氏は、
「退屈な小説だった」
と、バッサリ。
宮本輝氏も、
「言語についてのある種の哲学的論考が、所詮観念にすぎない思考の遊びに思える」
と、手厳しい。
ところが、小川洋子氏、川上弘美氏、池澤夏樹氏、高樹のぶ子氏、黒井千次氏、山田詠美氏 らは、絶賛だ。
こうしてみてみると、選考委員9名のうち4名が占める女性全員が、諏訪氏を推していることになる。
諏訪氏には、女性を惹き付けるフェロモンが存在する?
これは、案外疑問文ではなく、肯定文、いや、もうこの際だから、ビックリマークもサービスしちゃおう!
諏訪氏には、女性を惹き付けるフェロモンが存在する!
・・というわけで、
次回は、この点をクローズアップしながら(?)諏訪氏の魅力を紐解いてみたい。

※VOL.4に進む※
「『アサッテの人』が、そうした類のお気楽色などかけらもない作品である」
と述べてしまったが、この表現は、少し誤解を招くかもしれない。
「お気楽のかけらもない」
などとといってしまうと、じゃあ、深刻な内容なのか?猟奇的内容なのか?悲哀に満ちた内容なのか?心温まる内容なのか?悲愴な?悲惨な?陰惨な?と、矢継ぎ早に質問を浴びせられそうだが、実は、それらいずれにも当てはまらない。
そう考えてみると、想いがすっかり振り出しに戻ってしまって、もしかしたら、「お気楽の塊」みたいな作品かも・・と思えてしまうのである。
この不可思議さ、それを、『快感』として捉えることができる感性の持ち主が、諏訪哲史氏の放つ魅力にハメられていくのである。
ゆえに、この作品に対する評価は、両極端だ。
選考委員のうち、石原慎太郎氏は、
「作者の持って回った技法は不明瞭でわずらわしいものでしかなかった」
と散々であるし、村上龍氏は、
「退屈な小説だった」
と、バッサリ。
宮本輝氏も、
「言語についてのある種の哲学的論考が、所詮観念にすぎない思考の遊びに思える」
と、手厳しい。
ところが、小川洋子氏、川上弘美氏、池澤夏樹氏、高樹のぶ子氏、黒井千次氏、山田詠美氏 らは、絶賛だ。
こうしてみてみると、選考委員9名のうち4名が占める女性全員が、諏訪氏を推していることになる。
諏訪氏には、女性を惹き付けるフェロモンが存在する?
これは、案外疑問文ではなく、肯定文、いや、もうこの際だから、ビックリマークもサービスしちゃおう!
諏訪氏には、女性を惹き付けるフェロモンが存在する!
・・というわけで、
次回は、この点をクローズアップしながら(?)諏訪氏の魅力を紐解いてみたい。
※VOL.4に進む※
2007/9/25 21:14
『アサッテの人』 諏訪 哲史の魅力 VOL.2 本
『秋の夜長』
この言葉には、なんだかワクワクした可能性が秘められている。
けれどもやっぱり一日は、24時間。
単に暗い時間の比率が長いだけであった。
この事実を知った時は、愕然とした。
秋の夜長・・・
どうかこの季節だけは、一日を26時間あたりにして頂けないものだろうか・・
そんなことを思いつつ、またもや昨日の続きを・・と、
慌しい細切れ時間を継ぎはぎ継ぎはぎしながら文章化しておりますゆえ、相当アサッテな内容になってしまいまするが、どうかご容赦を・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、昨日は、ほんのプロローグということで、諏訪氏独特の、リズミカル&ユーモラスな文体をクローズアップしてみたが、今回は、このエッセイの後半部分、芥川賞候補作品に課せられる、誓約書なるものについての描写である。
誓約書というのは、正確には、
作品「アサッテの人」(群像六月号所載)を以(もっ)て、
第百三十七回芥川賞の候補作品とすることを
承諾する
承諾しない
といったもの。
これを諏訪氏は、
まるでなにか結婚式の出欠うかがいの往復はがきのような体裁
と感じたものだから、冠婚葬祭辞典のセオリーどおりに、まず「承諾しない」を二重線で消し、次に「承諾する」の「する」の部分だけを抹消し、代わりに、「させていただきます」と続ければいいものを、
「(承諾)させていただきたく、なにとぞなにとぞ皆々様方、右や左の旦那様も、つつしんで、御願(おんねが)いたてまつり候ふに・・・またいずれもいずれも」と、筆の勢いにまかせて、あたかも平曲を語り聴かせる琵琶法師さながらに、じょんじょんじょんじょん延々と、とめどもなくあふれるように書きしるしそうになり、だめだ、だめだ、落ち着け、落ち着け、と自身に幾度も言い聞かせ、なんとかかんとかセオリーの軌道をはみださずに書き終えた。ふうー、疲れた。
と、まあ、その時の諏訪氏の尋常ではない心理状況が、ストレートに伝わってくるのである。
そして、このエッセイ、最後の締めは、
後のことは記者の方、おまかせで適当に書いて下さい。あくまでも純然たる平曲の無常観を漂わせた、絢爛(けんらん)優雅な擬古文調で書いてよね。じゃ。
って・・。(笑)
これはもう、芥川賞を獲ったからこそ許されるようなもので、ただのそんじょそこいらのブロガーが書いてよこしたなら、一喝されるところであろう。
そして、何よりも、諏訪氏の受賞作、「アサッテの人」が、そうした類のお気楽色などかけらもない作品であるということが、逆に相乗効果をもたらし、このかけ離れた二種の文体のお互いを際立たせている、と感じるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんなこんなで、まだまだ本題には到達できておらず、またまた次回に続いてしまう運びとなりたてまつり候ふ。
※VOL.3に進む※
この言葉には、なんだかワクワクした可能性が秘められている。
けれどもやっぱり一日は、24時間。
単に暗い時間の比率が長いだけであった。
この事実を知った時は、愕然とした。
秋の夜長・・・
どうかこの季節だけは、一日を26時間あたりにして頂けないものだろうか・・
そんなことを思いつつ、またもや昨日の続きを・・と、
慌しい細切れ時間を継ぎはぎ継ぎはぎしながら文章化しておりますゆえ、相当アサッテな内容になってしまいまするが、どうかご容赦を・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、昨日は、ほんのプロローグということで、諏訪氏独特の、リズミカル&ユーモラスな文体をクローズアップしてみたが、今回は、このエッセイの後半部分、芥川賞候補作品に課せられる、誓約書なるものについての描写である。
誓約書というのは、正確には、
作品「アサッテの人」(群像六月号所載)を以(もっ)て、
第百三十七回芥川賞の候補作品とすることを
承諾する
承諾しない
といったもの。
これを諏訪氏は、
まるでなにか結婚式の出欠うかがいの往復はがきのような体裁
と感じたものだから、冠婚葬祭辞典のセオリーどおりに、まず「承諾しない」を二重線で消し、次に「承諾する」の「する」の部分だけを抹消し、代わりに、「させていただきます」と続ければいいものを、
「(承諾)させていただきたく、なにとぞなにとぞ皆々様方、右や左の旦那様も、つつしんで、御願(おんねが)いたてまつり候ふに・・・またいずれもいずれも」と、筆の勢いにまかせて、あたかも平曲を語り聴かせる琵琶法師さながらに、じょんじょんじょんじょん延々と、とめどもなくあふれるように書きしるしそうになり、だめだ、だめだ、落ち着け、落ち着け、と自身に幾度も言い聞かせ、なんとかかんとかセオリーの軌道をはみださずに書き終えた。ふうー、疲れた。
と、まあ、その時の諏訪氏の尋常ではない心理状況が、ストレートに伝わってくるのである。
そして、このエッセイ、最後の締めは、
後のことは記者の方、おまかせで適当に書いて下さい。あくまでも純然たる平曲の無常観を漂わせた、絢爛(けんらん)優雅な擬古文調で書いてよね。じゃ。
って・・。(笑)
これはもう、芥川賞を獲ったからこそ許されるようなもので、ただのそんじょそこいらのブロガーが書いてよこしたなら、一喝されるところであろう。
そして、何よりも、諏訪氏の受賞作、「アサッテの人」が、そうした類のお気楽色などかけらもない作品であるということが、逆に相乗効果をもたらし、このかけ離れた二種の文体のお互いを際立たせている、と感じるのである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そんなこんなで、まだまだ本題には到達できておらず、またまた次回に続いてしまう運びとなりたてまつり候ふ。
※VOL.3に進む※
2007/9/24 21:12
『アサッテの人』 諏訪 哲史の魅力 VOL.1 本
人間、クソ真面目だけではつまらんのである。
おちゃらけの無い人生なんて、クリープを入れないコーヒーのようだ。
(・・なんて、レトロなコピーはもう通じないか?)
ということで、
諏訪 哲史氏の、真面目とおちゃらけ比率は、相当いい。
諏訪 哲史とは、
第137回(平成19年度上半期)芥川賞受賞作品
『アサッテの人』 の著者である。
が、私が最初に諏訪氏に興味を抱いたのは、
『芥川賞に選ばれて』
とのサブタイトル(?)で掲載されたエッセイだった。
メインタイトルは、
『大失言』
諏訪氏が、日本文学振興会から入った電話の第一報に対する自分の返答の様子を回想した文章だ。
まずは、「日本文学振興会」を「え?日本船舶振興会?」と、頭の中を巡らせちゃっている。
日本文学振興会というから、はじめ僕はモーターボートの収益金を公共に還元していると聞く、戸締り用心かつ火の用心な、一日一膳しか御飯を召し上がらなかった笹川会長のあの協会のことかと思った。
もうこの書き出しで、一発ガツ〜ンとやられました。
わお、この人イイ感性しとるわ〜、って。(笑)
「は?あの、どこか、おかけ間違いでは・・・」
と思わず言いかけて、あ、ちゃうわ、ちゃうわ、あれは日本「船舶」振興会だわ、ブンガクとセンパク、うーん、似とんなあ、危ねえ危ねえ、と、ようやく思い直し、
「何のご用件でしょうか」
と、あらためて先方の話をうながした。
で、要件というのは、『群像』6月号に掲載された『アサッテの人』を、芥川賞の最終候補作にさせて頂きたいという内容だったのだが、これに対して、諏訪氏が、
「ああ、ええ、はい、どうぞ」
と、思わずひとりでに口がしゃべってしまったこと、これが、後から思えば大失言だった!と反省するのである。
その反省の描写がこれまたイイ。
あとから思えば、「はい、どうぞ」とは、いくらなんでも不躾(ぶしつけ)だった。世にも名高き芥川、えー龍之介賞を、こともあろうに、はい、どうぞ、とは何事ぞ?余を愚弄する了見であるか、おんのれ貴様、群像だか有象無象だか知らねども、ウウーン!とうてい捨て置けぬわ、そこへなおれいっ、たたっ斬ってつかーす、・・・
で、これだけ反省したにもかかわらず、またまたうっかり、
「ええ、ええ。どーぞどうぞ」
と、氏の口が動く。
すると、また、
なんだって?どおーぞどうぞ、だと?どおおーぞどうぞとは何事ぞ?冷めちゃう前にさあさあ粗茶でも召し上がれと勧めるかのごときそのふざけた言い草、ウウーン!おんのれ貴様、余を愚弄する気であるか、ええい、捨て置けぬぞよ捨て置けぬ、いーやいやいや捨て置けぬ、捨て置けぬったら捨て置けぬ、捨て捨てすってん捨ててんてん、てけてんてけてんてんてけてん、そこへなおれいっ、たたっ斬ってつかーす。・・・
・・とまあ、こんな感じで、後には、あわや琵琶法師まで登場か??と思わせるよな脱線振り。
後半は、その後郵送されてきた資料の返信事項に関する描写なのだが・・
その中に、もし万が一にも芥川賞を受賞したあかつきには、断じて蹴ったり斬ったりハッタリ等は致しませぬ、ゆめゆめゆめゆめ致しませぬ、致しませんったらしませんよ、という意味の、ちょっと言い過ぎたが、まあ、ともかくも、いわゆる一筆をしたためさせる誓約書のような紙がまじっていた。
あー、もう彼の言葉遊びは堪らん!
と思っていたら、後日、某論者が、このエッセイに対し、
「ふざけているのか、挑発なのか。それとも高揚のあまり『アサッテの人』を演じたい気分になったのか」
な〜んてこと、おっしゃっている。
いやもう、諏訪氏に関しては、そんなのかんけーねぇんでして。
決して、オッパッピーなわけではありません。
で、肝心の受賞作であるが、これに関しては相当長くなりそうなので、次回ということに。
今回は、ほんのプロローグ、でありましたな。
※VOL.2に進む※
おちゃらけの無い人生なんて、クリープを入れないコーヒーのようだ。
(・・なんて、レトロなコピーはもう通じないか?)
ということで、
諏訪 哲史氏の、真面目とおちゃらけ比率は、相当いい。
諏訪 哲史とは、
第137回(平成19年度上半期)芥川賞受賞作品
『アサッテの人』 の著者である。
が、私が最初に諏訪氏に興味を抱いたのは、
『芥川賞に選ばれて』
とのサブタイトル(?)で掲載されたエッセイだった。
メインタイトルは、
『大失言』
諏訪氏が、日本文学振興会から入った電話の第一報に対する自分の返答の様子を回想した文章だ。
まずは、「日本文学振興会」を「え?日本船舶振興会?」と、頭の中を巡らせちゃっている。
日本文学振興会というから、はじめ僕はモーターボートの収益金を公共に還元していると聞く、戸締り用心かつ火の用心な、一日一膳しか御飯を召し上がらなかった笹川会長のあの協会のことかと思った。
もうこの書き出しで、一発ガツ〜ンとやられました。
わお、この人イイ感性しとるわ〜、って。(笑)
「は?あの、どこか、おかけ間違いでは・・・」
と思わず言いかけて、あ、ちゃうわ、ちゃうわ、あれは日本「船舶」振興会だわ、ブンガクとセンパク、うーん、似とんなあ、危ねえ危ねえ、と、ようやく思い直し、
「何のご用件でしょうか」
と、あらためて先方の話をうながした。
で、要件というのは、『群像』6月号に掲載された『アサッテの人』を、芥川賞の最終候補作にさせて頂きたいという内容だったのだが、これに対して、諏訪氏が、
「ああ、ええ、はい、どうぞ」
と、思わずひとりでに口がしゃべってしまったこと、これが、後から思えば大失言だった!と反省するのである。
その反省の描写がこれまたイイ。
あとから思えば、「はい、どうぞ」とは、いくらなんでも不躾(ぶしつけ)だった。世にも名高き芥川、えー龍之介賞を、こともあろうに、はい、どうぞ、とは何事ぞ?余を愚弄する了見であるか、おんのれ貴様、群像だか有象無象だか知らねども、ウウーン!とうてい捨て置けぬわ、そこへなおれいっ、たたっ斬ってつかーす、・・・
で、これだけ反省したにもかかわらず、またまたうっかり、
「ええ、ええ。どーぞどうぞ」
と、氏の口が動く。
すると、また、
なんだって?どおーぞどうぞ、だと?どおおーぞどうぞとは何事ぞ?冷めちゃう前にさあさあ粗茶でも召し上がれと勧めるかのごときそのふざけた言い草、ウウーン!おんのれ貴様、余を愚弄する気であるか、ええい、捨て置けぬぞよ捨て置けぬ、いーやいやいや捨て置けぬ、捨て置けぬったら捨て置けぬ、捨て捨てすってん捨ててんてん、てけてんてけてんてんてけてん、そこへなおれいっ、たたっ斬ってつかーす。・・・
・・とまあ、こんな感じで、後には、あわや琵琶法師まで登場か??と思わせるよな脱線振り。
後半は、その後郵送されてきた資料の返信事項に関する描写なのだが・・
その中に、もし万が一にも芥川賞を受賞したあかつきには、断じて蹴ったり斬ったりハッタリ等は致しませぬ、ゆめゆめゆめゆめ致しませぬ、致しませんったらしませんよ、という意味の、ちょっと言い過ぎたが、まあ、ともかくも、いわゆる一筆をしたためさせる誓約書のような紙がまじっていた。
あー、もう彼の言葉遊びは堪らん!
と思っていたら、後日、某論者が、このエッセイに対し、
「ふざけているのか、挑発なのか。それとも高揚のあまり『アサッテの人』を演じたい気分になったのか」
な〜んてこと、おっしゃっている。
いやもう、諏訪氏に関しては、そんなのかんけーねぇんでして。
決して、オッパッピーなわけではありません。
で、肝心の受賞作であるが、これに関しては相当長くなりそうなので、次回ということに。
今回は、ほんのプロローグ、でありましたな。
※VOL.2に進む※
2007/9/23 20:47
大わらわ 好きに語る
あんた、今日はもう記事書けんでしょう。
ってくらいに、本日、疲労困憊。
町内の役員は、辛いのである。
休日もへったくれもあったもんじゃーない。
というか、休日だからこそ!の行事が目白押し。
秋ともなれば、運動会に文化祭。
そういや先週は敬老会。
どれもこれも、準備に後片付けにと大わらわ。
ちなみに本日は運動会であった。
運動会といっても、会が終わればハイさようなら、ではない。
後片付けの後に、打ち上げがあるのである。
・・あ〜やれやれ・・
なのであるが、今回は、ちょいと発見。
「もしかして、意地悪な人なのでは・・」
と、いつも恐れおののいていた人が、実はとってもいい人だった、というお話。
要するに食わず嫌い(?)だったわけで、どのような相手でも、大概、
『話せば分かる』
のであった。
これは結構素晴らしい発見でして、今後の人生にも、きっとプラスになるに違いないのである。
自分的には、
『人見知り』
という思い込みがあって、それゆえに、初対面の方との語らいが苦手だったりする。
自分の思い込みというのは、自身の行動に対して、多大なる影響力があるもんだ。
が、これも、単なる思い込みだったようで、他の役員メンバーから、
『社交的』とか『明るい』との評価を得たことは、相当意外なことであった。
確かに。
そういえば、社長婦人業に就いてから、少しはマシになったような気もする。
が、相変わらず、やっぱり、あくまでも、社長婦人であって、社長夫人ではない。
まあ、そんなことを言ってみたところでどうにもならんので、ただひたすら、現状に我が身を慣らすだけのことである。
それにしても、多種多様な方々との出会いは、多くの緊張や恐れもあるが、それゆえに、僅かでも心が通じ合えた時の喜びは格別である。
最近は、母のお陰で、高齢者の方々との交流の機会も得られ、
・・ああ、なんだかアタシも少しは成長できたのかいな?
と、大わらわの一日の終わりに、母の施設にも出掛け、
大わらわの一日が、大笑いの一日になりました。
・・って、オチです。
ってくらいに、本日、疲労困憊。
町内の役員は、辛いのである。
休日もへったくれもあったもんじゃーない。
というか、休日だからこそ!の行事が目白押し。
秋ともなれば、運動会に文化祭。
そういや先週は敬老会。
どれもこれも、準備に後片付けにと大わらわ。
ちなみに本日は運動会であった。
運動会といっても、会が終わればハイさようなら、ではない。
後片付けの後に、打ち上げがあるのである。
・・あ〜やれやれ・・
なのであるが、今回は、ちょいと発見。
「もしかして、意地悪な人なのでは・・」
と、いつも恐れおののいていた人が、実はとってもいい人だった、というお話。
要するに食わず嫌い(?)だったわけで、どのような相手でも、大概、
『話せば分かる』
のであった。
これは結構素晴らしい発見でして、今後の人生にも、きっとプラスになるに違いないのである。
自分的には、
『人見知り』
という思い込みがあって、それゆえに、初対面の方との語らいが苦手だったりする。
自分の思い込みというのは、自身の行動に対して、多大なる影響力があるもんだ。
が、これも、単なる思い込みだったようで、他の役員メンバーから、
『社交的』とか『明るい』との評価を得たことは、相当意外なことであった。
確かに。
そういえば、社長婦人業に就いてから、少しはマシになったような気もする。
が、相変わらず、やっぱり、あくまでも、社長婦人であって、社長夫人ではない。
まあ、そんなことを言ってみたところでどうにもならんので、ただひたすら、現状に我が身を慣らすだけのことである。
それにしても、多種多様な方々との出会いは、多くの緊張や恐れもあるが、それゆえに、僅かでも心が通じ合えた時の喜びは格別である。
最近は、母のお陰で、高齢者の方々との交流の機会も得られ、
・・ああ、なんだかアタシも少しは成長できたのかいな?
と、大わらわの一日の終わりに、母の施設にも出掛け、
大わらわの一日が、大笑いの一日になりました。
・・って、オチです。
2007/9/22 21:16
介護老人保健施設にて 16.高齢者虐待防止法 両親のこと
一人の老女が、
「お腹が痛い・・お腹が痛い・・」
と、顔をしかめている。
施設のスタッフが、
「大丈夫?薬飲もうか?」
と、心配そうに老女の顔を覗き込む。
ここのところ、食欲が無いらしく、食も進まない様子。
「ちゃんと食べんとあかんよ」
手が不自由なその老女に、スタッフが優しく声を掛け、食事の介助をするが、やはり食べたくない様子。
「困ったねぇ・・もうすぐ家族の方が迎えに来られるのに・・。どうする?お腹が痛いんやったら、今日は家に帰るのやめとこか?」
そこへ、丁度、その老女の家族の方々が来られる。
すると・・・
なんと、さっきまで、お腹が痛い痛いと言って顔をしかめていた老女が、あっという間に恵比須顔に大変身!
「あれ?お腹、大丈夫なんですか??」
戸惑うスタッフに、
「もう、痛うない」
ああ、そうなんだ。
やっぱりネ。
家族のお迎えが、妙薬なんだね。
今日から三連休。
この連休を、自宅で家族と共に過ごす入所者も多い。
何と言っても、やっぱり家族と過ごす時間は嬉しい。
家族にとっては大変なことかもしれないが、こんなに簡単に腹痛が治ってしまうくらい、入所者にとっては大きな楽しみなのだ。
・・・・・・・・・・・・・
昨年4月からの一年間に、65歳以上の高齢者が家庭内で家族から暴行や暴言などの虐待を受けていたと自治体が確認した事例が、12,575件に上ったそうだ。
但し、これは、あくまでも自治体が相談や通報を受けた中から、訪問調査によって確認された件数であるから、氷山の一角に過ぎない。
虐待を受けた高齢者の約40%は、介護が必要な認知症。
男女比は、男性 23% 女性 77%
虐待していた人物は、息子 37% 夫 14% 娘 14% 息子の妻 10%
虐待の態様は、身体的虐待 64% その他 暴言などの心理的虐待 介護などの放棄 財産を勝手に処分するなどの経済的虐待が続く。
驚いたことに、中には、介護施設などで職員から虐待を受けていた事例も53件ある。
2006年4月に、高齢者虐待防止法が施行されたが、これは、65歳以上の高齢者に対する虐待を防止するのが目的だ。
1、身体的な暴力
2、長時間放置するなど養護の放棄
3、暴言を吐くなどの心理的虐待
4、性的な嫌がらせ
5、財産を勝手に処分するなどの経済的虐待
これらのいずれか一つにでも当てはまる高齢者を発見した場合、市町村に通報するよう規定されている。
通報を受けた市町村は、自宅や入所施設への立入調査や、虐待を受けた高齢者の一時保護などの対応を行わなければならない。
幼児虐待に高齢者虐待・・・
勿論、そうではない家庭の方が多いに決まっている。
が、哀しいかな、虐待防止法を施行しなければならないほど深刻化しているのが現状なのだ。
家族が迎えに来てくれただけで、一瞬にして腹痛が治り、しかめっ面が恵比寿顔に変化したこの老女・・・
どうか、楽しい連休を過ごせますように・・と、心の中で祈りながら、彼女の後姿を見送った。
「お腹が痛い・・お腹が痛い・・」
と、顔をしかめている。
施設のスタッフが、
「大丈夫?薬飲もうか?」
と、心配そうに老女の顔を覗き込む。
ここのところ、食欲が無いらしく、食も進まない様子。
「ちゃんと食べんとあかんよ」
手が不自由なその老女に、スタッフが優しく声を掛け、食事の介助をするが、やはり食べたくない様子。
「困ったねぇ・・もうすぐ家族の方が迎えに来られるのに・・。どうする?お腹が痛いんやったら、今日は家に帰るのやめとこか?」
そこへ、丁度、その老女の家族の方々が来られる。
すると・・・
なんと、さっきまで、お腹が痛い痛いと言って顔をしかめていた老女が、あっという間に恵比須顔に大変身!
「あれ?お腹、大丈夫なんですか??」
戸惑うスタッフに、
「もう、痛うない」
ああ、そうなんだ。
やっぱりネ。
家族のお迎えが、妙薬なんだね。
今日から三連休。
この連休を、自宅で家族と共に過ごす入所者も多い。
何と言っても、やっぱり家族と過ごす時間は嬉しい。
家族にとっては大変なことかもしれないが、こんなに簡単に腹痛が治ってしまうくらい、入所者にとっては大きな楽しみなのだ。
・・・・・・・・・・・・・
昨年4月からの一年間に、65歳以上の高齢者が家庭内で家族から暴行や暴言などの虐待を受けていたと自治体が確認した事例が、12,575件に上ったそうだ。
但し、これは、あくまでも自治体が相談や通報を受けた中から、訪問調査によって確認された件数であるから、氷山の一角に過ぎない。
虐待を受けた高齢者の約40%は、介護が必要な認知症。
男女比は、男性 23% 女性 77%
虐待していた人物は、息子 37% 夫 14% 娘 14% 息子の妻 10%
虐待の態様は、身体的虐待 64% その他 暴言などの心理的虐待 介護などの放棄 財産を勝手に処分するなどの経済的虐待が続く。
驚いたことに、中には、介護施設などで職員から虐待を受けていた事例も53件ある。
2006年4月に、高齢者虐待防止法が施行されたが、これは、65歳以上の高齢者に対する虐待を防止するのが目的だ。
1、身体的な暴力
2、長時間放置するなど養護の放棄
3、暴言を吐くなどの心理的虐待
4、性的な嫌がらせ
5、財産を勝手に処分するなどの経済的虐待
これらのいずれか一つにでも当てはまる高齢者を発見した場合、市町村に通報するよう規定されている。
通報を受けた市町村は、自宅や入所施設への立入調査や、虐待を受けた高齢者の一時保護などの対応を行わなければならない。
幼児虐待に高齢者虐待・・・
勿論、そうではない家庭の方が多いに決まっている。
が、哀しいかな、虐待防止法を施行しなければならないほど深刻化しているのが現状なのだ。
家族が迎えに来てくれただけで、一瞬にして腹痛が治り、しかめっ面が恵比寿顔に変化したこの老女・・・
どうか、楽しい連休を過ごせますように・・と、心の中で祈りながら、彼女の後姿を見送った。
2007/9/21 21:58
介護老人保健施設にて 15.母と息子 両親のこと
母がおどおどしている姿を、久しぶりに見た。
怯えた目。萎縮した体。
あの、精神科に入院していた頃の母を思い出させるような・・・
私が施設の部屋に入ると、母のそばに、兄が立っていた。
昨日までの穏やかな母の表情とは、まるで違う!
母は、兄に対して怯えていた。
母の話を何も聞こうとせず、一方的に言いたいことだけを言っている兄。
毎日リハビリを頑張っている母のことを何も知らないくせに、母に対して、
「いっつもいっつも寝てばっかりで、あかんやろ!」
と、叱っている。
母が習字で書いた字になんぞ、何の興味も無い。
というか、母の話は全く聞こうとしないんだから。
兄は、言いたいことだけ言って、さっさと帰って行った。
どうしてなんだろ・・
息子というのはこういうものなのか?
嫁さんが一緒にいるときに、嫁さんの手前、嫁さんの肩を持つのはいいけれど、せめて母親と二人っきりの時ぐらい、母親の息子に戻って、母親の話に相槌を打つぐらいできないものだろうか・・
兄だって、幼い頃、母におしめを換えて貰ったり、ご飯を食べさせて貰ったりしたんでしょ。
そういえば、しげさんもおっしゃっていた。
施設に入った途端、息子さんが、しげさんの通帳を全部自分の物にして何処かへ行ったっきり、一度も姿を現さなくなった、って。
そんなんでいいのかなぁ・・・
親が年老いたら、金目のものだけ頂いて、ハイさようならですか?
母をすっかり怯えさせている兄も、なんだかおかしい。
兄にとって母はもう、大切な人ではなくなったんだね。
・・ま、いいや・・・
私が言っちゃいけない。
これからは、兄の分まで、私が母を愛しましょ。
怯えた目。萎縮した体。
あの、精神科に入院していた頃の母を思い出させるような・・・
私が施設の部屋に入ると、母のそばに、兄が立っていた。
昨日までの穏やかな母の表情とは、まるで違う!
母は、兄に対して怯えていた。
母の話を何も聞こうとせず、一方的に言いたいことだけを言っている兄。
毎日リハビリを頑張っている母のことを何も知らないくせに、母に対して、
「いっつもいっつも寝てばっかりで、あかんやろ!」
と、叱っている。
母が習字で書いた字になんぞ、何の興味も無い。
というか、母の話は全く聞こうとしないんだから。
兄は、言いたいことだけ言って、さっさと帰って行った。
どうしてなんだろ・・
息子というのはこういうものなのか?
嫁さんが一緒にいるときに、嫁さんの手前、嫁さんの肩を持つのはいいけれど、せめて母親と二人っきりの時ぐらい、母親の息子に戻って、母親の話に相槌を打つぐらいできないものだろうか・・
兄だって、幼い頃、母におしめを換えて貰ったり、ご飯を食べさせて貰ったりしたんでしょ。
そういえば、しげさんもおっしゃっていた。
施設に入った途端、息子さんが、しげさんの通帳を全部自分の物にして何処かへ行ったっきり、一度も姿を現さなくなった、って。
そんなんでいいのかなぁ・・・
親が年老いたら、金目のものだけ頂いて、ハイさようならですか?
母をすっかり怯えさせている兄も、なんだかおかしい。
兄にとって母はもう、大切な人ではなくなったんだね。
・・ま、いいや・・・
私が言っちゃいけない。
これからは、兄の分まで、私が母を愛しましょ。
















