2008/4/30  23:12

散らかり自慢  好きに語る

明日、深夜高速バスにて長男が帰省するというので、寝床を用意せねばならんのである。
到着は翌2日の早朝とのことだが、あいにく明日もあさっても通常通りの出勤日である。

そんなわけで、昨日の昭和の日、一日勝負で部屋を片付けようと試みたのであった。

結果から言うと、試みは見事に失敗したのである。

やはり、これだけ溜め込んだ散らかし具合は、一日や二日でどうなるものではないのだ。

はっきり言って、むしろ散らかった。

いや、もう致命的状況だ。

例えて言えば、

『引き出しの中を整理しようとして、はりきって全部中味をぶちまけたところで、ハイ!タイムアップですよ〜』

てな感じだ。

いや、例えなんかじゃない。
まさにそのまんまの話だ。

昨日の昭和の日、唯一、明らかにされたのは、

『一家に一人、専業主婦は必要である』

これだ。

まさに、昭和の日に相応しい結論である。

それにしても、あんまりである。
おそらく、おひなさまの掛け軸がいまだ掛ったままの床の間を持つ家は、日本中どこを探しても、我が家だけなのである。



どうだ、参ったか!

2008/4/29  23:05

撮ろう  好きに語る

「連休中、子どもたちが帰ってきたら、写真館で家族写真を撮って貰おうじゃないか」

夫がのたまふ。

確かに、巷では最近そういうのが流行っているらしい。

続けて夫、

「俺さ、もうすぐ死にそうだから。きっと今を逃したら、もう家族で写真を撮るチャンスなんて来ないと思うよ」

更に、続けて夫、

「そしてさ、その写真を俺の遺影にしてくれればいいから」


・・いや、あんた、今朝も早よから元気にゴルフに出かけてますけどね・・・

でもまあ、私だっていつなんどきその日がやって来るかは分からない。
むしろ私の方が、それを遺影にして貰わねばならんのかもしれん。

いや、子どもたちだって果たしてどうなるのか、誰にも予想は付かんのである。

てことは・・

家族写真=それぞれの遺影

ってことか。

ううむ・・・

そんじゃ、せいぜいオシャレして撮ろう。

・・いや、なんだか結局、徒労に終わりそうではあるが・・。




註:ま、いちおう、

  『撮ろう』 と 『徒労』 を掛けてみました。

  ・・みたいな・・

2008/4/28  20:55

死臭へのくちづけ  

『死臭が漂う』
という表現がある。

果たして、『死臭』 とはどのようなものなのであろうか。

確信は無かったが、もしかしたらこういうのを『死臭』 というのかもしれないな、と思ったことが二度あった。

一度目は夫の祖母、二度目は実父。
どちらも、いよいよ死期迫る数日〜数時間前のことだ。

大鐘 稔彦氏は、著書『外科医のセレナーデ』の中で、末期消化器系癌患者の発する死臭について、このように表現している。

「息を吐く度、末期の消火器癌特有の、魚が腐ったような口臭が鼻をつき始め、顔には出さぬが思わず『ムッ!』 となる。言うなればこれは“死臭” であり、生物が朽ち果てようとする断末魔の兆候である」

大鐘氏は、外科医として多くの癌患者を手術で救い、また、多くの末期癌患者の最期をも看取っておられる。

ひとつひとつの人生、それぞれの人生、
一人ひとりがまるで別の人生を歩みながらも、
最期を迎えるそのときは、
みな同じ『死臭』 を漂わせながら、死に至るのだ。

医者でさえも、顔には出さぬが思わず『ムッ!』 となるその死臭は、確かに、他人には耐え難い悪臭かもしれない。

しかし、身内にとっては、大切な人。
その呼吸一つ一つさえも、愛おしいのだ。

死臭漂う夫の、最期の最後の一呼吸を、懸命に吐き出そうとしているそのまだ若き夫の、その口に、
「あんた・・・あんたァ・・・・!」
と叫ぶなり、自分の口を激しく押し付けた若き妻の心情が、切なく胸に突き刺さる。

その時、大鐘氏は、臨終を告げる責務を覚えながらも、居たたまれず、そっと部屋を出たのだそうだ・・・。

2008/4/27  21:51

癌告知の是非  

『癌は告知されるべきか否か』

この問いに対する回答が、ここ数年で確実に、

『告知されるべきである』

に傾いてきているように思う。

その要因のひとつとして、

『癌は必ずしも死の病ではない』

との認識が挙げられるであろう。

そして、もうひとつ挙げるとすれば、こうである。

『病気は誰のものでもなくその人固有のものであり、何人(なんびと)もこれにとって代われるものではない。癌にせよ何にせよ、事実は事実として厳粛にこれを受けとめることから全ては始まるのである』
(『外科医のセレナーデ』大鐘 稔彦 著 より抜粋)

実際、癌という事実を知った上で闘病を続けた患者と、そうでない患者とでは、治癒率も生存日数もはるかに前者が勝っている、という統計的事実が実証されているのだそうだ。

確か、以前、当ブログ内『癌との闘い(父の場合)』のシリーズ中でも触れたような記憶があるのだが、

癌告知を受けた患者の心理推移は、

1、否認
(自分に限ってそんなはずはない)
      ↓
2、絶望
(間違いない、どうにもならない)
      ↓
3、怒り
(なぜ自分だけが!)
      ↓
4、神との取引
(もし助かったら心を入れ替えて世のため人のために尽くしますから!)
      ↓
5、諦め
(神との取引など、所詮は叶わぬこと・・)
      ↓
6、受容
(静かに現実受容へと導かれる)

となる。(『死ぬ瞬間』 キュプラー・ロス 著)

また、大鐘氏は、著書の中で、

『尊厳死とは、人がキチンとそのケジメをつけて人生を締めくくることに他ならず、そのためには、確(しか)と死期を悟ることが肝心であり、大前提でもある』

『医者が嘘を吐き続けて事実をヒタ隠しに隠すのは、“有終の美”を飾って死にたいと願う心ある人々の往生際さえ損ないかねないのである』

と、おっしゃっている。

この著書は、1998年1月が第1刷である。
それから10年の時が流れ、今では、芸能人などが堂々とメディアに自分が癌であると告白するシーンも多く見られるようになった。

まさに、受容である。

そして、自分の状態を受容することによって初めて、可能な限りの医療力が生かされるのであろう。

もし、自分だったら・・

最早、告知を恐れてなど居れないのだ。

キュプラー・ロス女史が掲げる6つの項目の心理推移をシュミレーションしておくことは、決して無駄ではないような気がする。

神から授かった自分の生を、最期までキチンと使い切るために。

2008/4/26  23:08

死を、真実から学ぶ  

世間的には今日あたりからゴールデンウィーク突入らしいが、
我が家の場合は全く普段と変わらず。

それでも、たまには高1次女の要望に応えるべく、
某古本屋に連れて行ったのである。

次女の目的は、何と言ってもコミックでありまして、
店内溢れかえるコミック本の大群に、
大興奮なのでありました。

私はといえば、やはり文庫本の棚に惹き付けられるわけで、
次女が興奮している間、私もとくと拝見。

通り一遍の文芸書の数々にはうんざりで、
何かもっと、現実的且つ真実味があって、
更に、深く心に入り込む書・・となると、
私はどうしても医療現場を扱ったものに目が行ってしまうのだ。
それも、『死』が絡む、逼迫した内容のモノに・・。

人間の死は、免れようの無い真実である。
一口に死といっても、
自殺、事故死、病死・・と様々ではあるが、
可能性として最も高いのは、病死であろうか。

単に、死が恐いとか恐くないとかいったような次元ではなく、
『死』 というものを、様々な視点から捉えてみたいという願望がある。

患者サイドから、家族サイドから、そして、医療従事者サイドから。

今回選んだのは、

外科医のセレナーデ 大鐘 稔彦 著

人間らしい死を迎えるために 宇都宮 直子 著
(『ルポルタージュ終末期医療』の改題)

前者は外科医、後者はノンフィクション作家である。

やはり、死を語るに、真実に勝るものはない。

これが実感である。

2008/4/25  23:18

テン・ショック  仕事ネタ

本日も数字との闘いであった。

昨日も、そのまた前日も、
そのまたまた前日も、そのまたまたまた前日も、
数字と格闘していた。

「数字が好きですか?」

と聞かれれば、

「大嫌いです」

と、自信を持っての、即答だ。

お金を扱うのは恐ろしい。
第一、おつりの計算もおぼつかない。
(引き算、苦手)

世の中に、これほどまでにこの仕事に向いてない人間はおらんのではなかろうか。

日々、そんな思いを抱きつつ、日々疑問に思いつつ、
何とか日々をやり過ごす。

『この仕事、自分に向いてないから辞めさせて下さい』

決して言ってはならぬ、そのセリフ。

田舎の嫁は、運命共同体。

これは最早、義務である。

選択肢など、ありゃしない。

適性無視の、天職。

天職、天職、転職厳禁。
死ぬまで続く、我が天職。

2008/4/24  20:58

イメージ買い  仕事ネタ

会社の来客用に購入したのである。

『炭火焼コーヒー』

少々割高のような気もしたが、
何しろ、来客用だ。奮発しよう。

で、自分自身、その、

『炭火焼コーヒー』

の何たるかを味わった経験は、未だ嘗て無い。

単なるイメージである。

焼肉も、炭で焼くと美味しいんである。

ただそれだけのイメージで購入したのである。

そして、本日いよいよ、封を切った。

極上炭火焼コーヒーを味わうべく・・・

サイフォンが、こぽこぽ音を立てる朝のオフィス。

ご来客人にお勧めする、爽やかな朝の一杯・・・

ああ・・極上のおもてなし・・




さて、ご来客人がお帰りになった後、
残ったコーヒーを捨てるのは惜しく、我も味わうこととした。


ああ・・初めて味わう、炭火焼コーヒー・・・







ま、まじい!!


もっと普通に言えば、

『不味い!!』

お嬢様言葉なら、

『あらいやだ、これ、全然美味しくないわ!!』

なのである。

この味は、まるで拷問。

舌が、不味さで強烈にしびれてくる。

そういえば、香りもまるで違う。
コーヒーというよりも、ゴービーって感じだ。

残りだから不味いのか?

いや、そうではない。
きっと、入れたてでもこんなもんだ。

大切なお客さまに、なんとお詫びしてよいのやら・・・

「爽やかな朝から、こんなもん飲ませやがって!!」

きっとそう思われているに違いないのだ。


ふと、コーヒーのパッケージを見れば、

『お客さまサービスセンター』
の文字と、フリーダイヤルの数字が・・・


こんな不味いもん返品や!!
文句言ってやる!!




受話器を上げ、フリーダイヤルをプッシュ!





・・しようと思ったが、出来なかった・・・・


「お客さま、その味と香りこそが、当社極上炭火焼きコーヒーの特徴なのでございますよ」



・・なんてこと言われそうな気がして・・・

2008/4/23  16:38

たまり放題  仕事ネタ

昨年末以来、
会社の決算やら、町内の会計やら、
長女・次女の受験やら、入学手続きやら、長女の引越しやら、
あれやこれやとやっているうちに、
もう既に4月も終わりを迎えたのである。

そんなこんなで、あっと言う間にゴールデンウィークがやってくる。

ところが、だ。

仕事がちっとも追いついていないのだ。

さっぱりなのである。

いや、それで気分がサッパリするのならそれで良いのだが、
さっぱり仕事が進んでいないのに、気分がサッパリする人は、
おそらく何処にもいないのである。

一体全体、どうしたものでしょう・・

と、一人悶々としておりましたところ、



「そりゃあんた、ゴールデンもへったくれもなく仕事やんなさい!!」



との天の声が聞こえ、

やはりこりゃ、ゴールデンとか言って浮かれておる場合ではないのォ〜
と、さすがの私も覚悟したのである。


『ゴールデンウィークは、仕事の遅れを取り戻す!!』



と決意したところ、
9ヶ月ぶりに長男から電話が掛かってきたのである。


「今度、連休に帰ります」


実家の父の葬儀以来である。

盆も正月も、めったに帰ってこない息子である。

今春、愛媛への転勤が決定した長男である。










ハイ。ゴールデン、
仕事やめときま〜す。

2008/4/22  15:40

このままではいけない  好きに語る

おそらく PC 画面からは、多量の紫外線が発せられているのではないかと思われる。

これは、あくまでも、『思われる』 のであって、単なる私個人の実感である。

実際はどうなのかの具体的数値などは不明だが、安価なPC・お買い得感たっぷりのPC ほど、眼精疲労が激しい、ような気がする。
これまた私個人の実感である。

そんなわけで、市販の、PC画面用紫外線防止フィルムなんぞはとっくの昔に装着済みで、それでもなお、なんら状況は好転しないのである。

おまけにその上から、クリアファイルの半透明タイプを貼り付けて、これでもかっ!てな具合に防御しているのである。
(周囲からは、『なんやこれ?アホか!』と言われている)

真面目な仕事中も勿論そうなのだが、それ以上に眼精疲労が増すのが、ブログで真面目に語ろうとする時である。
やはりこれは、思考と共に視線も入力画面に集中するからなのであろう。

というわけで、ここのところ超〜不完全燃焼。

真面目な私が真面目な話題を真正面から真面目に語ろうとすると、たちまち目が疲れてくるので、敢えて、どうでもいいような、目を閉じたままでも入力できるような(出来ません)、無味乾燥な、味も素っ気も無い(二重表現)、脳ミソが腐っているような話題しかUP出来ないのである。

・・あとは、プロテクターかサングラスか・・・

しかし、そこまで苦労している人は、ここらでは見たことが無い。

美しい瞳の芸能人ブロガーに、その秘訣をお伺いしたいものである。
マジで。

2008/4/21  20:25

本日の収穫  仕事ネタ

昨夜、
『PC と縁を切りたい』
などと口走った(ブログ走った?)ため、バチが当ったのであろう。

先週末、請求書発行プログラムの月更新を掛けるのをすっかり忘れて帰宅してしまった。(データー量が多大なため、更新完了にはほぼ一晩掛る)

お陰で、20日締めの本日発送分請求書を、全て手書きする羽目に陥ってしまった。

PC は視神経が疲れますが、手書きは手と神経が疲れます。

で、結局、どちらも疲れます。

そこで、ついつい、

要するに、自分はこの仕事に向いていないのではないか?

との単純な疑問が湧き上がるのだが、
かといって、他に、何の仕事が出来るというのだろう。


結局のところ、
自分は単なる怠け者なだけでした


これを再認識できたことが、本日唯一の収穫であります。

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