2008/8/31 15:39
アホな自分へ 言葉に想いを込めて
自分って案外くだらないヤツだなぁ
と思うと、
そう思いだした途端、
坂道を転げ落ちるように、
どんどんくだらなさが増幅されて、
途轍もなく自分がイヤになるのであります。
一旦イヤになり始めると、
これがまたとことんイヤに成り下がって、
どうしようもなく孤独に陥るのであります。
この世に、
自分を救ってくれるものなど何も存在せず、
ただひたすら孤独で、
胸の奥底から哀しくなるのです。
一体何が楽しかろう。
自分が信ずるものも、
自分を信ずるものも、
この世のモノ全てが虚偽に満ちて、
ただ無為に、うつらうつらと時を誤魔化し生きること。
それに気付いてしまったなら、
一体何が楽しかろう。
が、しかし、
この世にたった一つ、
信じられるものがあるとすれば、
それは自分自身に他ならないのでありましょう。
自分を信じましょう。
自分を信じましょう。
そして決して自分を裏切らないよう、
自分の力を信じましょう。
どんなにくだらない自分であっても、
決して自分を裏切ってはなりませぬ。
もっと自分を労わって、
もっと自分をねぎらって、
「あなたはちゃんとやっている。
ちっともくだらないヤツなんかじゃないよ」
と、声を掛けてやりましょう。
この世でたった一人、
自分だけは、
自分の味方でおりましょう。
自分いう味方がおれば、
絶対に孤独ではないのでありますから。
と思うと、
そう思いだした途端、
坂道を転げ落ちるように、
どんどんくだらなさが増幅されて、
途轍もなく自分がイヤになるのであります。
一旦イヤになり始めると、
これがまたとことんイヤに成り下がって、
どうしようもなく孤独に陥るのであります。
この世に、
自分を救ってくれるものなど何も存在せず、
ただひたすら孤独で、
胸の奥底から哀しくなるのです。
一体何が楽しかろう。
自分が信ずるものも、
自分を信ずるものも、
この世のモノ全てが虚偽に満ちて、
ただ無為に、うつらうつらと時を誤魔化し生きること。
それに気付いてしまったなら、
一体何が楽しかろう。
が、しかし、
この世にたった一つ、
信じられるものがあるとすれば、
それは自分自身に他ならないのでありましょう。
自分を信じましょう。
自分を信じましょう。
そして決して自分を裏切らないよう、
自分の力を信じましょう。
どんなにくだらない自分であっても、
決して自分を裏切ってはなりませぬ。
もっと自分を労わって、
もっと自分をねぎらって、
「あなたはちゃんとやっている。
ちっともくだらないヤツなんかじゃないよ」
と、声を掛けてやりましょう。
この世でたった一人、
自分だけは、
自分の味方でおりましょう。
自分いう味方がおれば、
絶対に孤独ではないのでありますから。
2008/8/30 17:55
嗅覚障害 言葉に想いを込めて
世の中いろんな障害があるもんだ。
外的障害もありゃ内的障害もある。
で、俺なんだけど、
今、とんでもない障害に悩まされている。
ひとたびそいつに取り憑かれたならば、
恋人も生ゴミも殺虫剤も、
みんな同じになっちまう。
俺の鼻腔の中で、
それらは、全くおんなじで、
恋人の艶(なまめ)かしい香水の香り、
腐った生ゴミ、
ゴキブリに振り掛けた殺虫剤、
そいつらが、まるで同じ匂いに変換されて、
おれの鼻腔に届けられるのだ。
いや、それらはむしろ、
俺の鼻腔というフィルターを通して、
新たな一つの匂いに精製される。
そういうことなのだ。
医者はそれを、
嗅覚障害、と言うのかな。
果たしてそれが、
便利なのか不便なのかは、
よくわからない。
ただ一つ、救われるのは、
その、新たに精製された匂いが、
それほど不快なものではない、ということだ。
この世には、いろんな匂いがあるけれど、
そして、俺は生まれてこの方、
それら全てを経験してきたように思っていたのだけれど、
この匂いにだけは、いまだ嘗て出逢ったことがなかった。
この障害ゆえに、
艶かしい恋人も、生ゴミも、殺虫剤も、
俺には全く区別が付けられなくなってしまった。
一体全体これは、不幸なことなのか。
いや、案外、幸せなことかもしれない。
恋人に逢えない淋しい夜、
俺は生ゴミを枕元に置いて寝た。
それはまるで、愛しい恋人が、
一晩俺にずっとに寄り添ってくれているようで、
カラダが熱くなった。
ところが或る夜、うっとりまどろむ俺に、
ライバルが出現した。
艶かしい俺の恋人の匂いに誘われて、
そいつは俺に遠慮もなく、
恋人を略奪しにきたのだった。
俺は、絶対に負けるわけにはいかない。
そいつと闘うしかなかった。
愛しい恋人を守るため、
とうとう俺は、そいつを殺害してしまった。
俺にはそれしか方法が無かったのだ!
そいつを殺した後の俺の部屋には、
恋人の匂いが充満していた。
俺の武器は、殺虫剤だった。
恋人の艶かしい香水の香り、
腐った生ゴミ、
ゴキブリに振り掛けた殺虫剤。
そう、その夜、
俺の恋人を略奪しに来たのは、
生ゴミにたかる、ゴキブリだったから。
外的障害もありゃ内的障害もある。
で、俺なんだけど、
今、とんでもない障害に悩まされている。
ひとたびそいつに取り憑かれたならば、
恋人も生ゴミも殺虫剤も、
みんな同じになっちまう。
俺の鼻腔の中で、
それらは、全くおんなじで、
恋人の艶(なまめ)かしい香水の香り、
腐った生ゴミ、
ゴキブリに振り掛けた殺虫剤、
そいつらが、まるで同じ匂いに変換されて、
おれの鼻腔に届けられるのだ。
いや、それらはむしろ、
俺の鼻腔というフィルターを通して、
新たな一つの匂いに精製される。
そういうことなのだ。
医者はそれを、
嗅覚障害、と言うのかな。
果たしてそれが、
便利なのか不便なのかは、
よくわからない。
ただ一つ、救われるのは、
その、新たに精製された匂いが、
それほど不快なものではない、ということだ。
この世には、いろんな匂いがあるけれど、
そして、俺は生まれてこの方、
それら全てを経験してきたように思っていたのだけれど、
この匂いにだけは、いまだ嘗て出逢ったことがなかった。
この障害ゆえに、
艶かしい恋人も、生ゴミも、殺虫剤も、
俺には全く区別が付けられなくなってしまった。
一体全体これは、不幸なことなのか。
いや、案外、幸せなことかもしれない。
恋人に逢えない淋しい夜、
俺は生ゴミを枕元に置いて寝た。
それはまるで、愛しい恋人が、
一晩俺にずっとに寄り添ってくれているようで、
カラダが熱くなった。
ところが或る夜、うっとりまどろむ俺に、
ライバルが出現した。
艶かしい俺の恋人の匂いに誘われて、
そいつは俺に遠慮もなく、
恋人を略奪しにきたのだった。
俺は、絶対に負けるわけにはいかない。
そいつと闘うしかなかった。
愛しい恋人を守るため、
とうとう俺は、そいつを殺害してしまった。
俺にはそれしか方法が無かったのだ!
そいつを殺した後の俺の部屋には、
恋人の匂いが充満していた。
俺の武器は、殺虫剤だった。
恋人の艶かしい香水の香り、
腐った生ゴミ、
ゴキブリに振り掛けた殺虫剤。
そう、その夜、
俺の恋人を略奪しに来たのは、
生ゴミにたかる、ゴキブリだったから。
2008/8/29 13:43
実はずっとピンチが続いていた 仕事ネタ
実はこのところ、仕事が絶不調です。
といっても、会社が倒産するわけではありません。
私の仕事なんてものは、所詮、総務やら税務やらですから、直接業績を左右するようなものではないのです。
しかし、それをいいことに、いつまでも放っておくわけにはいかないのが我が仕事。
で、何が絶不調かと申しますと・・
パソコン内の数字が全然合っていない!!
ということでして・・・
これは、はっきり言って大問題なのです。
経理部一世一代の大問題!なのです。
いや、サボってたわけじゃないですよ。
毎日毎日、きちんと真面目に業務を遂行してますとも。
ま、確かにここんとこ仕事中にブログをアップしたりしておりますが、これとて決してサボってるわけじゃないですよ。(眠気覚ましの効用)
・・・で、数字が合わない原因は・・・
おそらく、プログラムの故障で・・・
決算期の変更による更新のズレによって・・・
プログラムがパニックに陥ったと・・・
それしか考えられんのです・・・
そんなわけで、今期首6月分からの数字が・・・ハチャメチャに・・・
ああああああああああああああああああ
どうするんだぁぁぁぁぁぁぁ
・・・と、悩みに悩み、
工夫に工夫を重ね、それでも直らない数字群。
プログラマーに電話をしても、一向に返事の連絡が来ないし・・
ああああああああああああああ
・・・と、悩める現状です・・・・
と、その数十分後、催促の電話を入れるやいなや、ひょっこりプログラマーが御来社。
悩める現状を察知して、来週、修正プログラムを持ってきて下さるとのこと。
果たしてなんとかこれで一件落着となるか?!
最近の憂鬱の原因、ひとつはこれだったようで、プログラムがうまく直れば、こおろぎにならなくてもいいかも・・。
といっても、会社が倒産するわけではありません。
私の仕事なんてものは、所詮、総務やら税務やらですから、直接業績を左右するようなものではないのです。
しかし、それをいいことに、いつまでも放っておくわけにはいかないのが我が仕事。
で、何が絶不調かと申しますと・・
パソコン内の数字が全然合っていない!!
ということでして・・・
これは、はっきり言って大問題なのです。
経理部一世一代の大問題!なのです。
いや、サボってたわけじゃないですよ。
毎日毎日、きちんと真面目に業務を遂行してますとも。
ま、確かにここんとこ仕事中にブログをアップしたりしておりますが、これとて決してサボってるわけじゃないですよ。(眠気覚ましの効用)
・・・で、数字が合わない原因は・・・
おそらく、プログラムの故障で・・・
決算期の変更による更新のズレによって・・・
プログラムがパニックに陥ったと・・・
それしか考えられんのです・・・
そんなわけで、今期首6月分からの数字が・・・ハチャメチャに・・・
ああああああああああああああああああ
どうするんだぁぁぁぁぁぁぁ
・・・と、悩みに悩み、
工夫に工夫を重ね、それでも直らない数字群。
プログラマーに電話をしても、一向に返事の連絡が来ないし・・
ああああああああああああああ
・・・と、悩める現状です・・・・
と、その数十分後、催促の電話を入れるやいなや、ひょっこりプログラマーが御来社。
悩める現状を察知して、来週、修正プログラムを持ってきて下さるとのこと。
果たしてなんとかこれで一件落着となるか?!
最近の憂鬱の原因、ひとつはこれだったようで、プログラムがうまく直れば、こおろぎにならなくてもいいかも・・。
2008/8/28 13:10
蟋蟀(こおろぎ)に想ふ 言葉に想いを込めて
私は、今頃の季節が一番好きだ。
盛夏を過ぎた晩夏・・
昼間はまだ暑さが残り、蝉の声もするのだけれど、
夕暮れあたりになると、肌に触れる風の温度が下がり、
虫の音も、いつの間にか蝉から蟋蟀(こおろぎ)に主役がバトンタッチしている。
が、まだ秋ではない。
夏から秋にかけての、
ほんのほんの短い、線香花火の煌きのような、
一瞬の季節である。
一晩鳴き明かした蟋蟀が、
明け方になっても未だコロコロと鳴いている様子を、
そっと耳をそばだてて窺っていると、
いつの間にか自分も、その見えない姿に引き込まれ、
草むらを彷徨っているかのような錯覚を覚える。
私にとってそれは、憂鬱で慌ただしい毎日からの、
ささやかな逃避行為なのである。
そして、この時期必ず思い起こすのは、
きりぎりす 鳴くや霜夜のさむしろに
衣片敷きひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣(藤原良経)
の一首である。
(当時の「きりぎりす」とは、今でいう「こおろぎ」のこと)
この歌が詠まれたのは、今からおよそ800年以上も前。
秋も深まった晩秋。
一人寝の、寒く寂しい夜長、
あたりの空気を静かに震わせ鳴き続ける蟋蟀の声。
この歌に詠まれた情景が、800年の時を経てもなお、
蟋蟀の鳴き声ひとつによって、
鮮やかに思い浮かべることができるのである。
虫の音に、これほどまでに強い情感を抱くのは、
やはり日本人であるがゆえ。
(雑音としか認識できない国もあるという)
そして、この時期になると、時々思うのだ。
「人間じゃなくて、蟋蟀として生まれてきても良かったかな」
と。
盛夏を過ぎた晩夏・・
昼間はまだ暑さが残り、蝉の声もするのだけれど、
夕暮れあたりになると、肌に触れる風の温度が下がり、
虫の音も、いつの間にか蝉から蟋蟀(こおろぎ)に主役がバトンタッチしている。
が、まだ秋ではない。
夏から秋にかけての、
ほんのほんの短い、線香花火の煌きのような、
一瞬の季節である。
一晩鳴き明かした蟋蟀が、
明け方になっても未だコロコロと鳴いている様子を、
そっと耳をそばだてて窺っていると、
いつの間にか自分も、その見えない姿に引き込まれ、
草むらを彷徨っているかのような錯覚を覚える。
私にとってそれは、憂鬱で慌ただしい毎日からの、
ささやかな逃避行為なのである。
そして、この時期必ず思い起こすのは、
きりぎりす 鳴くや霜夜のさむしろに
衣片敷きひとりかも寝む
後京極摂政前太政大臣(藤原良経)
の一首である。
(当時の「きりぎりす」とは、今でいう「こおろぎ」のこと)
この歌が詠まれたのは、今からおよそ800年以上も前。
秋も深まった晩秋。
一人寝の、寒く寂しい夜長、
あたりの空気を静かに震わせ鳴き続ける蟋蟀の声。
この歌に詠まれた情景が、800年の時を経てもなお、
蟋蟀の鳴き声ひとつによって、
鮮やかに思い浮かべることができるのである。
虫の音に、これほどまでに強い情感を抱くのは、
やはり日本人であるがゆえ。
(雑音としか認識できない国もあるという)
そして、この時期になると、時々思うのだ。
「人間じゃなくて、蟋蟀として生まれてきても良かったかな」
と。
2008/8/27 15:36
思春期・反抗期への対処法 子育てネタ
先日、ある本の一節にハッとさせられた。
それは私にとってはまさに、目からウロコというに十分値するものであった。
もしかしたらこれによって、子育てに悩める誰かを、ほんの僅かでも救えるかもしれない。
生意気なようだが、そんな想いでこの記事をアップしている
内容は、ズバリ!
思春期・反抗期に於ける子どもに、親はどう対処したらよいか。
これは、子育て経験者ならば必ず通るであろう・・いや、むしろ通らねばならない重要な難関である。
とはいうものの、本の中では、その対処法が具体的に記されているわけではない。
ただ、次の一文が目に焼きついたのである。
「子どもは、親を困らせながら親を試している」
つまり思春期の子どもたちは、親に反抗し、いろいろな悪さをして親を困らせることによって、自分がどれほど親から愛されているのかを試している、ということなのだ。
おそらくそれは、子どもが意識してやっていることではない。
子ども自身、なんだかよく分からないのだけれど、とにかく無性に親に反抗したくなる、それが思春期・反抗期の特徴だ。
「うるせぇ、このクソばばあ!!」
などと暴言を吐く子もおれば、親の問いに一向に答える気配無く自室に閉じこもりっきりの子もいる。
挙句の果てには深夜徘徊、喧嘩に盗み・・・
親にとって、この年頃の子どもへの心配は尽きないのである。
が、どうだろう、これら心配の種が、全て親自身の子への愛情を試すためのテストであったとしたら・・・
「たとえどうあろうとも、決してお前を見捨てたりしない!」
そんな親の姿を子どもが確かに感じ取ったとき、子の反抗期は終わりを告げる。
つまり、この時期というのは、本物の親子の絆を結ぶための大きなチャンスと捉えるべきなのである。
親はオドオドオロオロする必要など一向に無い。
どっしり構えて受け止めてやろう、愛する我が子を。
反抗が大きければ大きいほど、きっと絆も深まるはず。
(むしろ、何事も無くすんなりこの時期を過ぎた子の方が、親子の十分な絆が出来ず、あとあと怖いかも・・)
それは私にとってはまさに、目からウロコというに十分値するものであった。
もしかしたらこれによって、子育てに悩める誰かを、ほんの僅かでも救えるかもしれない。
生意気なようだが、そんな想いでこの記事をアップしている
内容は、ズバリ!
思春期・反抗期に於ける子どもに、親はどう対処したらよいか。
これは、子育て経験者ならば必ず通るであろう・・いや、むしろ通らねばならない重要な難関である。
とはいうものの、本の中では、その対処法が具体的に記されているわけではない。
ただ、次の一文が目に焼きついたのである。
「子どもは、親を困らせながら親を試している」
つまり思春期の子どもたちは、親に反抗し、いろいろな悪さをして親を困らせることによって、自分がどれほど親から愛されているのかを試している、ということなのだ。
おそらくそれは、子どもが意識してやっていることではない。
子ども自身、なんだかよく分からないのだけれど、とにかく無性に親に反抗したくなる、それが思春期・反抗期の特徴だ。
「うるせぇ、このクソばばあ!!」
などと暴言を吐く子もおれば、親の問いに一向に答える気配無く自室に閉じこもりっきりの子もいる。
挙句の果てには深夜徘徊、喧嘩に盗み・・・
親にとって、この年頃の子どもへの心配は尽きないのである。
が、どうだろう、これら心配の種が、全て親自身の子への愛情を試すためのテストであったとしたら・・・
「たとえどうあろうとも、決してお前を見捨てたりしない!」
そんな親の姿を子どもが確かに感じ取ったとき、子の反抗期は終わりを告げる。
つまり、この時期というのは、本物の親子の絆を結ぶための大きなチャンスと捉えるべきなのである。
親はオドオドオロオロする必要など一向に無い。
どっしり構えて受け止めてやろう、愛する我が子を。
反抗が大きければ大きいほど、きっと絆も深まるはず。
(むしろ、何事も無くすんなりこの時期を過ぎた子の方が、親子の十分な絆が出来ず、あとあと怖いかも・・)
2008/8/26 14:36
或る男の敗北 恋愛
え?ウソだろ!?
そのとき、俺は思わず目を疑ったよ。
偶然通りがかった街角で、
あんなオマエに出くわすなんて、思っても見なかった。
・・あんなオマエ・・・
それは、単に服装や髪型のことを言ってるんじゃない。
確かにあの日のオマエは、
俺の知らない真っ白なミニスカートをはいて、
今まで見たこともない華奢なハイヒールを、その細い足にフィットさせ、
そして、いつもはストレートのはずの髪でさえも、
緩やかなウエーヴで揺れていた。
オマエが歩くたびに揺れるその長いウエーヴからは、
きっと、俺の知らない香りが漂っているに違いなかった。
だけど、そんなことじゃないんだ、俺が驚いたのは。
それは、オマエが、
今まで一度も俺に見せたことの無い表情を、
そいつに惜しげもなく与えていたからさ。
そこにいたのは、紛れも無く、
そいつのためだけの、オマエだった。
俺はなんにも知らなかった。
なんにも知らなかったんだ。
オマエにそんなヤツがいたなんて。
俺は、オマエに腹が立つというより、
自分が情けなくなった。
オマエにとってこの俺は、
この世で唯一無二の男だと思っていた。
「オマエには俺しかいないだろう」
そう高をくくっていた。
それなのに、なんなんだ!
オマエのことを、
こんなにも魅力的に変えてしまう男が、
俺の知らないところに存在していたなんて!
俺には足りなかった・・
オマエを輝かせるに足りない男だったんだ。
俺は惨めな想いを抱いたまま、街を彷徨い続けた。
彷徨って彷徨って、彷徨い疲れた真夜中、
ようやく自宅に辿り着いた。
「おかえりなさい」
俺の帰りを待ってくれていたのは、妻。
パジャマ代わりのよれよれのスエットに、
伸び切って疲れた髪。
無表情な瞳が、
刃物のように鋭く俺に突き刺さる。
いつもと変わらない。
それこそが、俺の知っている、
いつものオマエの全てなのだから・・
※ ※ ※ ※ ※
恋人であれ夫婦であれ、男であれ女であれ、もしもこんな経験をしたらならば、相手を責めることなどせずに、自分自身の不甲斐なさを反省するべきでありますぞい。
てこってす。
注:体験談か?とかいうナンセンスな突っ込みは間違ってもしないでチョ。
そのとき、俺は思わず目を疑ったよ。
偶然通りがかった街角で、
あんなオマエに出くわすなんて、思っても見なかった。
・・あんなオマエ・・・
それは、単に服装や髪型のことを言ってるんじゃない。
確かにあの日のオマエは、
俺の知らない真っ白なミニスカートをはいて、
今まで見たこともない華奢なハイヒールを、その細い足にフィットさせ、
そして、いつもはストレートのはずの髪でさえも、
緩やかなウエーヴで揺れていた。
オマエが歩くたびに揺れるその長いウエーヴからは、
きっと、俺の知らない香りが漂っているに違いなかった。
だけど、そんなことじゃないんだ、俺が驚いたのは。
それは、オマエが、
今まで一度も俺に見せたことの無い表情を、
そいつに惜しげもなく与えていたからさ。
そこにいたのは、紛れも無く、
そいつのためだけの、オマエだった。
俺はなんにも知らなかった。
なんにも知らなかったんだ。
オマエにそんなヤツがいたなんて。
俺は、オマエに腹が立つというより、
自分が情けなくなった。
オマエにとってこの俺は、
この世で唯一無二の男だと思っていた。
「オマエには俺しかいないだろう」
そう高をくくっていた。
それなのに、なんなんだ!
オマエのことを、
こんなにも魅力的に変えてしまう男が、
俺の知らないところに存在していたなんて!
俺には足りなかった・・
オマエを輝かせるに足りない男だったんだ。
俺は惨めな想いを抱いたまま、街を彷徨い続けた。
彷徨って彷徨って、彷徨い疲れた真夜中、
ようやく自宅に辿り着いた。
「おかえりなさい」
俺の帰りを待ってくれていたのは、妻。
パジャマ代わりのよれよれのスエットに、
伸び切って疲れた髪。
無表情な瞳が、
刃物のように鋭く俺に突き刺さる。
いつもと変わらない。
それこそが、俺の知っている、
いつものオマエの全てなのだから・・
※ ※ ※ ※ ※
恋人であれ夫婦であれ、男であれ女であれ、もしもこんな経験をしたらならば、相手を責めることなどせずに、自分自身の不甲斐なさを反省するべきでありますぞい。
てこってす。
注:体験談か?とかいうナンセンスな突っ込みは間違ってもしないでチョ。
2008/8/25 14:07
幸か不幸か・・ 好きに語る
昨日ほど幸福な休日は無かった。
窮屈な嫁の盆週間を終えた翌週、早速始まる月曜からのビッシリ勤務というのは、相当な苦痛である。
休みたい・・休みが欲しい・・
誰にも邪魔されない休日が欲しい・・・
そんな欲望を抱きつつ耐え抜いた一週間。
嗚呼、ようやくその日が我にやってきたのだ。
夫は早朝ゴルフ。
子どもは朝から外出。
最高だ、最高だ最高だー!!
自分のペースで摂る食事。
自分のペースで読む新聞。
自分のペースで聴く音楽。
自分のペースで掃除に洗濯。
この際、バスルームもトイレも一気に磨きをかけてしまうのだ。
エアコンのスイッチを切り、窓を開け放てば、
草むらから、涼しげな虫の音が聞こえてくるではないか。
かの古(いにしえ)の時代から変わり無き蟋蟀(こおろぎ)の音に脳波を震わせながら書を開くこの幸せよ!
しかし、この贅沢なひと時はその日限り。
月曜からはまたハードな日々・・・。
と、そのとき、誰かが囁いた。
「あれ?明日も休みなんだよ。キミ知らなかったの?」
「え?明日って月曜日でしょ?会社じゃん」
「バカだなぁ。明日は祭日だよ。ほれ、カレンダー見てみなよ」
思わず振り返り、壁に掛かったカレンダーを見た。
8月25日 月曜日。
あ、確かに25日が赤色になっている!
「な〜んだぁ〜、明日は祭日かぁ〜。知らなかったぁ〜最高や!」
憂鬱な月曜日が祭日だなんて、ああ、なんて幸せなんだ!!
幸福感に浸りきっていたところ、いきなりいつものメロディが耳元を襲った。
あれ??
それは、携帯の目覚まし音だった。
・・そして今、
こうしていつもと同じ、月曜日の憂鬱を抱えながら会社のパソコンに向かっている自分がいる・・・
窮屈な嫁の盆週間を終えた翌週、早速始まる月曜からのビッシリ勤務というのは、相当な苦痛である。
休みたい・・休みが欲しい・・
誰にも邪魔されない休日が欲しい・・・
そんな欲望を抱きつつ耐え抜いた一週間。
嗚呼、ようやくその日が我にやってきたのだ。
夫は早朝ゴルフ。
子どもは朝から外出。
最高だ、最高だ最高だー!!
自分のペースで摂る食事。
自分のペースで読む新聞。
自分のペースで聴く音楽。
自分のペースで掃除に洗濯。
この際、バスルームもトイレも一気に磨きをかけてしまうのだ。
エアコンのスイッチを切り、窓を開け放てば、
草むらから、涼しげな虫の音が聞こえてくるではないか。
かの古(いにしえ)の時代から変わり無き蟋蟀(こおろぎ)の音に脳波を震わせながら書を開くこの幸せよ!
しかし、この贅沢なひと時はその日限り。
月曜からはまたハードな日々・・・。
と、そのとき、誰かが囁いた。
「あれ?明日も休みなんだよ。キミ知らなかったの?」
「え?明日って月曜日でしょ?会社じゃん」
「バカだなぁ。明日は祭日だよ。ほれ、カレンダー見てみなよ」
思わず振り返り、壁に掛かったカレンダーを見た。
8月25日 月曜日。
あ、確かに25日が赤色になっている!
「な〜んだぁ〜、明日は祭日かぁ〜。知らなかったぁ〜最高や!」
憂鬱な月曜日が祭日だなんて、ああ、なんて幸せなんだ!!
幸福感に浸りきっていたところ、いきなりいつものメロディが耳元を襲った。
あれ??
それは、携帯の目覚まし音だった。
・・そして今、
こうしていつもと同じ、月曜日の憂鬱を抱えながら会社のパソコンに向かっている自分がいる・・・
2008/8/24 17:04
『人間らしい死を迎えるために』 読後感 本
こま切れ時間を見つけては細々と読み続けていた一冊を、ようやく読み終えた。
人間らしい死を迎えるために 宇都宮 直子 著
(『ルポルタージュ終末期医療』の改題)
1998年2月15日発行の初版本である。
内容は、主に1990年代前半の終末期医療現場のリポートを元に、将来の緩和ケア医療の重要性を説いたものである。
著者自らが医療現場に出向き、終末期に携わる医師や、実際に残り少ない日々を過ごしている患者たちと向き合ってのレポートは、臨場感に溢れ、かなりの説得力があった。
この本が出版されてから、はや10年が過ぎ去った。
当時は耳新しかったであろう末期に於ける 『緩和ケア』 という考え方も、かなりの率で選択されているのではないだろうか。
当時、厚生省は、1993年8月の「末期医療に関する国民の意識調査等検討会報告書」の中で、
「苦痛などの緩和治療や心身のケアに重点を置く緩和ケア病棟などの医療施設の充実、あるいは一般病棟における末期医療への対応能力の強化、さらには在宅における末期患者を対象としたケアの普及を並行して促進する必要がある」
と提起している。
さて、それから15年の時を経た今、果たして医療現場はその理想を叶えることが出来ているのであろうか。
確かに、全国のホスピスや緩和ケア病棟は増加しているだろうし、インフォームド・コンセントという考え方も一般的になった。
患者は、医師から自分自身の病状の正確な情報を得ることにより、治療の選択も可能となった。
つまりこれは、末期に於いて、自分自身が納得のいく生き方を選択できるということであり、ひいては、自分らしい死を迎えるということにも繋がるのである。
確かに、そのはずなのだった。
ところが、現状はどうなのだろう。
末期の患者を緩和ケアに受け入れてくれるベッドどころか、一般病棟の入院患者でさえ長期入院は不可、リハビリでさえも期限付きである。
1990年代前半、確かに末期患者への緩和ケア医療は普及していなかった。
しかし、『医療難民』という言葉は存在しなかったではないか。
『人間らしい死を迎えるために』、今、私たちにはまた新たな難題が湧き起こっている。
そう感じさせた一冊だった。
人間らしい死を迎えるために 宇都宮 直子 著
(『ルポルタージュ終末期医療』の改題)
1998年2月15日発行の初版本である。
内容は、主に1990年代前半の終末期医療現場のリポートを元に、将来の緩和ケア医療の重要性を説いたものである。
著者自らが医療現場に出向き、終末期に携わる医師や、実際に残り少ない日々を過ごしている患者たちと向き合ってのレポートは、臨場感に溢れ、かなりの説得力があった。
この本が出版されてから、はや10年が過ぎ去った。
当時は耳新しかったであろう末期に於ける 『緩和ケア』 という考え方も、かなりの率で選択されているのではないだろうか。
当時、厚生省は、1993年8月の「末期医療に関する国民の意識調査等検討会報告書」の中で、
「苦痛などの緩和治療や心身のケアに重点を置く緩和ケア病棟などの医療施設の充実、あるいは一般病棟における末期医療への対応能力の強化、さらには在宅における末期患者を対象としたケアの普及を並行して促進する必要がある」
と提起している。
さて、それから15年の時を経た今、果たして医療現場はその理想を叶えることが出来ているのであろうか。
確かに、全国のホスピスや緩和ケア病棟は増加しているだろうし、インフォームド・コンセントという考え方も一般的になった。
患者は、医師から自分自身の病状の正確な情報を得ることにより、治療の選択も可能となった。
つまりこれは、末期に於いて、自分自身が納得のいく生き方を選択できるということであり、ひいては、自分らしい死を迎えるということにも繋がるのである。
確かに、そのはずなのだった。
ところが、現状はどうなのだろう。
末期の患者を緩和ケアに受け入れてくれるベッドどころか、一般病棟の入院患者でさえ長期入院は不可、リハビリでさえも期限付きである。
1990年代前半、確かに末期患者への緩和ケア医療は普及していなかった。
しかし、『医療難民』という言葉は存在しなかったではないか。
『人間らしい死を迎えるために』、今、私たちにはまた新たな難題が湧き起こっている。
そう感じさせた一冊だった。
2008/8/23 17:48
第139回受賞作 『時が滲む朝』 (楊 逸) 本
芥川賞って必要ですか?
そんなことをマジで考えた。
一体誰がこれを必要としてるんでしょう。
純文学ってなんですか?
わざわざこれを、お金を払って読む意義とはなんなのでしょう?
そもそも、芥川賞受賞作は、絶対に読まなくてはいけないものなのか?
一読者として、非常に根本的な疑問にぶち当たった今回。
第139回受賞作 『時が滲む朝』 (楊 逸)
この作品に関する如何なる情報を得ようとも、一向に読む気が湧き起こらない。
ちょいと書店に寄って、立ち読みする気にさえもなれない。
読みたいと思えないものを、無理に読む必要は無いでしょう。
私は審査員じゃない。
読むことを強要されてる立場には無いただの馬鹿な一読者。
食わず嫌いと言われようが構わない。
読みたくないものは読みたくないのだ。
作品の価値とはなんなのでしょうね。
何らかの賞を獲ればいい作品なのか。
賞など獲らずとも、多くの人々に買って貰えれば(ベストセラー)いい作品なのか。
それとも、賞も獲れずベストセラーにもなれず、それでもこの世に誰か、たった一人でもいいから、誰かの心を満たすことができたなら、それこそがいい作品であるといえるのか。
わからない・・・
でもただひとつ、これだけはわかる。
『時が滲む朝』 には、読む意欲が湧かない。
一般読者は「我がままでなんぼ」なんじゃ!
そんなことをマジで考えた。
一体誰がこれを必要としてるんでしょう。
純文学ってなんですか?
わざわざこれを、お金を払って読む意義とはなんなのでしょう?
そもそも、芥川賞受賞作は、絶対に読まなくてはいけないものなのか?
一読者として、非常に根本的な疑問にぶち当たった今回。
第139回受賞作 『時が滲む朝』 (楊 逸)
この作品に関する如何なる情報を得ようとも、一向に読む気が湧き起こらない。
ちょいと書店に寄って、立ち読みする気にさえもなれない。
読みたいと思えないものを、無理に読む必要は無いでしょう。
私は審査員じゃない。
読むことを強要されてる立場には無いただの馬鹿な一読者。
食わず嫌いと言われようが構わない。
読みたくないものは読みたくないのだ。
作品の価値とはなんなのでしょうね。
何らかの賞を獲ればいい作品なのか。
賞など獲らずとも、多くの人々に買って貰えれば(ベストセラー)いい作品なのか。
それとも、賞も獲れずベストセラーにもなれず、それでもこの世に誰か、たった一人でもいいから、誰かの心を満たすことができたなら、それこそがいい作品であるといえるのか。
わからない・・・
でもただひとつ、これだけはわかる。
『時が滲む朝』 には、読む意欲が湧かない。
一般読者は「我がままでなんぼ」なんじゃ!
2008/8/22 14:20
DOES tour 「曇天の道」 追加公演〜雲の隙間に〜 音楽
いつものように、スーパーレジバイトから自転車をかっ飛ばして帰宅する高1次女。
毎度、真っ先に向かうはアニメの録画チェック。
そうさ。昨夜だって・・
と思いきや!!
彼女が自転車を車庫にしまいもせず、玄関開け放して飛び込んでスイッチオンしたテレビ画面に映し出されたのは!!!
ASAHI SUPERDRAY The LIVE
DOES from 渋谷CLUB QUATTRO
DOES tour 「曇天の道」 追加公演〜雲の隙間に〜
つまり、早い話が、渋谷CLUB QUATTRO からのDOES ライブ生中継なのだ。
こんな番組が予定されていたとはっ!
チャンネルは、MUSIC ON TV!
さ、さすが、次女。
彼女の番組チェックにぬかりは無いのである。
その番組開始時刻、まさに一分一秒の遅れも無く、スイッチオンの神業であった。
ああ、彼女の偉業によって、我が家のリビングは、まさに渋谷CLUB QUATTRO 状態。
一曲目の『曇天』 からオールスタンディングで盛り上がるわ盛り上がるわ。
新曲も含め、二回のアンコールに応えてくれたのだが、時間的には2時間足らずのライヴ。
放送時間枠は9時半までの2時間半を用意してあったようだったので、早過ぎた終了がチト残念。
途中、ヴォーカル&ギター担当の氏原ワタル氏が観客にダイヴなんぞしよって。
会場は約三分の二あたりが女性客のようであったが、ワイヤレスではないギターを抱えたまま女性陣めがけてのダイヴとはこれまた難儀なやっちゃ。
しばらくは氏原氏、シッチャカメッチャカになっとりましたが、皆、嬉しそうでしたな。
一見、いわゆるイケ面バンドとは程遠い(ゴメン!)彼らが、何故にかように若い女性たちからもウケるのか。
う〜〜ん、なんかよう分からん魅力があるんですな、彼らの音楽には。
渋谷CLUB QUATTRO 前売り2,500円の彼ら。
どうかこのあたりの価格路線のままで、全国の(特に地方の)DOESファンを楽しませて欲しいと切に願うのであった。
そして、最後になりましたが・・
我が次女よ、心よりアリガトウ!!
DOES過去記事
毎度、真っ先に向かうはアニメの録画チェック。
そうさ。昨夜だって・・
と思いきや!!
彼女が自転車を車庫にしまいもせず、玄関開け放して飛び込んでスイッチオンしたテレビ画面に映し出されたのは!!!
ASAHI SUPERDRAY The LIVE
DOES from 渋谷CLUB QUATTRO
DOES tour 「曇天の道」 追加公演〜雲の隙間に〜
つまり、早い話が、渋谷CLUB QUATTRO からのDOES ライブ生中継なのだ。
こんな番組が予定されていたとはっ!
チャンネルは、MUSIC ON TV!
さ、さすが、次女。
彼女の番組チェックにぬかりは無いのである。
その番組開始時刻、まさに一分一秒の遅れも無く、スイッチオンの神業であった。
ああ、彼女の偉業によって、我が家のリビングは、まさに渋谷CLUB QUATTRO 状態。
一曲目の『曇天』 からオールスタンディングで盛り上がるわ盛り上がるわ。
新曲も含め、二回のアンコールに応えてくれたのだが、時間的には2時間足らずのライヴ。
放送時間枠は9時半までの2時間半を用意してあったようだったので、早過ぎた終了がチト残念。
途中、ヴォーカル&ギター担当の氏原ワタル氏が観客にダイヴなんぞしよって。
会場は約三分の二あたりが女性客のようであったが、ワイヤレスではないギターを抱えたまま女性陣めがけてのダイヴとはこれまた難儀なやっちゃ。
しばらくは氏原氏、シッチャカメッチャカになっとりましたが、皆、嬉しそうでしたな。
一見、いわゆるイケ面バンドとは程遠い(ゴメン!)彼らが、何故にかように若い女性たちからもウケるのか。
う〜〜ん、なんかよう分からん魅力があるんですな、彼らの音楽には。
渋谷CLUB QUATTRO 前売り2,500円の彼ら。
どうかこのあたりの価格路線のままで、全国の(特に地方の)DOESファンを楽しませて欲しいと切に願うのであった。
そして、最後になりましたが・・
我が次女よ、心よりアリガトウ!!
DOES過去記事
















