2008/10/13 21:07
作文かエッセーか 好きに語る
『文を作る』とは、いわゆる、『作文』である。
しかし、『作文』などと言うと、なんだか小学生っぽい。
そこで大人は、自分の作った文章のことを『随想』とか『随筆』とか、あるいはちょいと洒落て『エッセー』などと名付けてみたりする。
その方が何となくカッコいい。
しかし、そうは言っても所詮は、
「筆に任せて思うままを書いた文章」
といった意味であるから、随筆と言ってみたところでもともと大した脈絡など無いものなのである。
となると『エッセイスト』なんて職業は、相当いい加減なものであって、大体が文章に責任など負っていないようなものなのだ。
何しろ、筆に任せてるんだもの。
何かあれば、そりゃ筆のせいだと言っておけば良い。
しかし、その点、『作文』はちょいと違う。
何しろ、文を作っているのは自分なのだもの。
何かあっても、筆のせいになんてできない。
つまり、そういった意味では小学生の方がよっぽど自分の書いた文章に責任を持っていると言えるのだ。
ふん。
だから大人は自分の書いた文章を、『随想』やら『エッセー』やら言って澄ましているのか、責任逃れのように。
ところで、私の文章は何でしょう。
これは、作文です。
「文章を飾っているだけで内容の無い文章」
『作文』には、そういう意味もありますからねぇ。
別名、『似非(えせ)エッセー』とも言いまッセー。
しかし、『作文』などと言うと、なんだか小学生っぽい。
そこで大人は、自分の作った文章のことを『随想』とか『随筆』とか、あるいはちょいと洒落て『エッセー』などと名付けてみたりする。
その方が何となくカッコいい。
しかし、そうは言っても所詮は、
「筆に任せて思うままを書いた文章」
といった意味であるから、随筆と言ってみたところでもともと大した脈絡など無いものなのである。
となると『エッセイスト』なんて職業は、相当いい加減なものであって、大体が文章に責任など負っていないようなものなのだ。
何しろ、筆に任せてるんだもの。
何かあれば、そりゃ筆のせいだと言っておけば良い。
しかし、その点、『作文』はちょいと違う。
何しろ、文を作っているのは自分なのだもの。
何かあっても、筆のせいになんてできない。
つまり、そういった意味では小学生の方がよっぽど自分の書いた文章に責任を持っていると言えるのだ。
ふん。
だから大人は自分の書いた文章を、『随想』やら『エッセー』やら言って澄ましているのか、責任逃れのように。
ところで、私の文章は何でしょう。
これは、作文です。
「文章を飾っているだけで内容の無い文章」
『作文』には、そういう意味もありますからねぇ。
別名、『似非(えせ)エッセー』とも言いまッセー。
















