2007/10/16 14:14
山是山水是水 禅語
やまはこれやま みずはこれみず
単純に見た通りの素直さを大切にしたい、と改めて感じられる一語ではないでしょうか?
ただ、ここではせっかくの機会ですので、もう少し掘り下げてみたいと思います。
禅において、極地はやはり「老若男女、富める者も貧しい者も、あるいは物の大小、高低、是非」それらを全て超越し、「山は是山に非ず、水は是水に非ず」という境地を求めがちでしょう。
しかしながら、禅宗ではこれを更に修業を重ねた後の境地として、「山是山水是水」であるのです。
すなわち、一度は男女・老幼・美醜・善悪・是非とこれらを平等無差別(=空)として執着心を捨てた上で、やはり、男は男・女は女、美しいものは美しく・醜いものは醜い・・・とまぎれない判断をしうることこそが、本当の境地であるとしているのです。
少しややこしいのですが、このワンクッション置き本当の意に達する、というのが更に高次の境涯といえるのでしょう。
ひとつのものを見るとき、まずその本来の見てくれや働きを全て捨て去り、そして改めてまっすぐに見てみる。
そこに真の姿が見えてくるかもしれません。
秋の夜のひと時、PCから目を離し窓を開けてみると、空には煌々と美しい星が見えます。この星の光は実はもうなくなってしまった星のものなのです。
地球に光が届くのに時間がかかるために起こりうるこの現象。
そこには星は無い。しかし、星の光はあくまで我々の頭上に輝いている。
ひとは、その光を星と呼ぶ。すなわち星なのだ・・・と。
さて、当寺も行楽シーズンを向かえお客様が増えてまいりました。
ご予約の際は、二日前までにお電話賜りますように御願いいたします。
素材を「生かす心を大切にした和尚の包丁」で皆様をお待ちしております。
単純に見た通りの素直さを大切にしたい、と改めて感じられる一語ではないでしょうか?
ただ、ここではせっかくの機会ですので、もう少し掘り下げてみたいと思います。
禅において、極地はやはり「老若男女、富める者も貧しい者も、あるいは物の大小、高低、是非」それらを全て超越し、「山は是山に非ず、水は是水に非ず」という境地を求めがちでしょう。
しかしながら、禅宗ではこれを更に修業を重ねた後の境地として、「山是山水是水」であるのです。
すなわち、一度は男女・老幼・美醜・善悪・是非とこれらを平等無差別(=空)として執着心を捨てた上で、やはり、男は男・女は女、美しいものは美しく・醜いものは醜い・・・とまぎれない判断をしうることこそが、本当の境地であるとしているのです。
少しややこしいのですが、このワンクッション置き本当の意に達する、というのが更に高次の境涯といえるのでしょう。
ひとつのものを見るとき、まずその本来の見てくれや働きを全て捨て去り、そして改めてまっすぐに見てみる。
そこに真の姿が見えてくるかもしれません。
秋の夜のひと時、PCから目を離し窓を開けてみると、空には煌々と美しい星が見えます。この星の光は実はもうなくなってしまった星のものなのです。
地球に光が届くのに時間がかかるために起こりうるこの現象。
そこには星は無い。しかし、星の光はあくまで我々の頭上に輝いている。
ひとは、その光を星と呼ぶ。すなわち星なのだ・・・と。
さて、当寺も行楽シーズンを向かえお客様が増えてまいりました。
ご予約の際は、二日前までにお電話賜りますように御願いいたします。
素材を「生かす心を大切にした和尚の包丁」で皆様をお待ちしております。
