2008/5/7  18:14

No.5:コウモリとカメレオン  1) 川の流れに身を委ね

2000年の1月にイギリスからフランスに移住して丸8年。イギリス人の父と日本人の母を持つ子供たちの心の故郷は、ここノルマンディーなのです。  筆:滝つぼ

心の故郷ノルマンディー

三人の子供たちも16歳、12歳、10歳となり、それぞれに親しいお友達も近所にいて、ソーシャル・ライフも充実している様子です。近所の子供達は我が家が気に入っている様子で、次々と子供達が我が家に集まってきます。

私も夫もフランス語ができないし、私はいつも働いているしで、親達は子供達のお友達作りにはまったく貢献しませんでした。イギリスにいた頃は私もイギリス社会に溶け込もうと努力したものですが、フランスに来てからは、すっかり手抜きをしていたので、この人間関係は親の力を一切借りず子供達が自分達の力で築きあげたものです。

移住した当時7才だった長男はフランス語もまったくできない状態で学校に放り込まれ、母国語を変更させられ、自力でお友達を作って、この社会に溶け込んで、今の人間関係を確立させるまでに、並々ならぬ苦労をしたのだそうで、「もう、二度とあんな思いはしたくない」のだということです。

イギリス人でもなく、日本人でもなく、フランス人でもない子供達は、どこの社会にも完全には属する事ができません。でも、子供達は自分達の力でノルマンディーの人々に受け入れられ、このノルマンディーを「心の故郷」と感じているようです。

コウモリとカメレオン

私が思うに、異文化の中で生活する時、「コウモリ方式」を取る人と「カメレオン方式」を取る人と、2つに分かれるような気がします。「コウモリ方式」というのは自分の都合に合わせて方針がコロコロと変化する事。「カメレオン方式」というのは、自分の置かれた環境に同化して、そこでの常識に従う事です。方針が変化する点では両者は似ていますが、この2つは大きく異なります。例えばこんな例がありました。

以前、レストランで、ある事について日本人のお客様に「ここはドイツなんだから、ちゃんとドイツ式にやって下さい!」というご指摘を受けました。「そうでしたか。それは失礼しました」という事で、ドイツ式を取り入れました。

しかしその方は、あれほどドイツ式を主張したにも関わらず、レストランではチップを置くのがドイツ式ですが、それについては日本式に切り替えてチップは置いて行きませんでした。

つまり「コウモリ方式」というのは、自分の都合や利害に合わせて「いいとこ取り」をすることです。一方「カメレオン方式」は、たとえそれが自分の元々の文化や常識とは異なり、自分にとっては不利だったり不都合だったりする事でも、潔くその環境のしきたりに従うやり方です。こういう生き方をすればたとえ外国人やよそ者であったとしても、その社会ではきちんと受け入れてもらえるものなのだと思います。

カメレオンに徹した子供達

うちの子供達は小さい頃から「みんなと違う事」を強いらされて生きて来ました。イギリスでも日本でも片親は外国人。フランスでは両親ともが外国人。「みんなと違う事」は子供達にとっては「耐え難い苦痛」なのです。

そんな環境の中で周りから「なんだ、僕らと同じだね」と扱ってもらう事は、子供にとっては死活問題。自己防衛本能が働いて、瞬時にその環境ではどんな風に振舞うべきなのかをいち早く察し、その環境の中に同化して「皆と同じになる」事をうちの子供達は本能的に学び、身に着けたのだと思います。

イギリス人のお父さんと日本人のお母さん。こんな特殊な家庭でも周囲から「仲間はずれ」にされる事なく、自分達の幸せを自分達の手で勝ち取った子供達。フランス語もドイツ語もできるようにならず、日本人社会の中だけで生きている私としては、そんな子供達に我が子ながら、「アッパレ!」と、褒めてやりたい心境です。


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2008/5/5  0:53

No.4:日本への里帰り  1) 川の流れに身を委ね

日本への里帰り

先日KHSの蝉しぐれさんのお供で、一週間ほど日本に出張して来ました。海外で暮らすようになって早19年。里帰りする度に両親が年老いて行くのを実感し、「生きている
うちに親孝行してあげたい」という思いが強まった私でした。


日本大好き!

日本への里帰りは2年ぶりの私。前回帰った時はまだ両親が栃木に引っ越したばかりの頃でした。車がないと何もできない栃木での暮らしは、ずっと都会で暮らして来た両親にとっては不便ですが、今では両親も広い庭で家庭菜園を楽しみながら、二人で仲良く何とか元気で幸せに暮らしてくれています。

「せっかく日本に来たのだから」という事で母はあちこち美味しいレストランに食べ歩きに連れて行ってくれました。私は毎日のご馳走と、好物の揚げ煎餅とアンコの食べ過ぎで、5日間で4キロも太ってしまいました。

日本は安くて美味しいものが沢山あるし、便利だし、外国で暮らしている事が何だかアホらしくなって来て、「日本に帰って両親と一緒に暮らしたい」と思ってしまった私でした。

両親へのお土産

今回、母へのお土産はいつものようにチョコレートとモンサンミッシェルのクッキー、私の庭で取れた果物で作った自家製ジャム。父にはウイスキーとフォアグラの缶詰を持って行きました。

その他、今回は日本での販売プロモーションもかねて、KHSのIP電話と水蒸留器もプレゼントしました。

KHSのIP電話

私のフランスの自宅やドイツの事務所で使っているKHSのIP電話と同じIP電話を両親の家にも取り付けました。KHSのIP電話同士であれば、国際間でも「内線電話扱い」となるので月々15ユーロの固定料金でかけ放題! 母としょっちゅう長電話をする私には電話代がぐーんと節約となります。

更に、この電話を父に使ってもらったところ、耳の遠い人でも良く聞こえる事が発覚しました。実は私の父は最近、耳が遠くなってしまい、普段の会話でも聞こえない事が多いし、ましてや電話では殆ど会話にはなりません。父が電話に出ると「聞こえないから母さんに替わる」と言ってすぐに逃げてしまうのですが、「この電話なら良く聞こえる」と言って大喜び。今では父とも電話で話ができるようになりました。

蝉しぐれさんが言うには、「良く聞こえるのは恐らくこの電話の周波数帯域が通常の電話の倍近くもあるからだろう」という事でした。

水蒸留器

両親の家では近くのスーパーで水を無料でペットボトルに入れて持ち帰る事ができるので、母はいつもこのサービスを利用していたのですが、最近では生協の宅配に加入したので、買い物に出る機会がめっきり減ってしまい、わざわざ車で水を汲みに行くのも億劫になってしまったのだそうです。

そこでKHSの販売する水蒸留器を使ってもらう事にしました。実際に水を飲んでみたら、やはり水道水とはまったく違う事を実感したそうです。今後は水を汲みに行く必要もなく、この蒸留器を愛用してくれるという事です。

この蒸留水は体内の老廃物を流し出し、新陳代謝を良くするそうなので、この水を毎日飲んで両親には健康で長生きしてもらいたいと思います。

残された時間

両親と一緒にいられる時間はあとどのくらいあるのでしょうか。遠く離れた外国に暮らす娘としては、年老いて行く両親が生きているうちにできるだけの親孝行をしたいと思います。

母は、「もうこの年になったら死ぬ事よりも、死ねない事の方が怖い」という事で、「あと10年くらいでポックリ逝きたい」と言っていました。10年なんてあっと言う間です。「今年の夏は久しぶりに3人の子供達を日本に連れて行こう」と決意した私なのでした。


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2008/5/5  0:52

No.3: 神楽が消える日  1) 川の流れに身を委ね

No.3: 神楽が消える日

昨年5月にドイツ公演にやって来た出雲神楽。皆様の暖かいご支援、ご協力によって3回の公演は大成功でした。しかしドイツでの成功は地元ではあまり知られておらず、依然として後継者不足は深刻化する一方です。 

深刻化する高齢化

つい先日、2004年のドイツ公演に参加したメンバーの一人である笠間さんが、まだ60代前半の若さで亡くなったと知らされました。彼は私が個人的に親しかった団員ではなかったのですが、ほんの数年前、元気に大太鼓を叩いておられた姿を思い出し、「人間は永遠には生きる事はできないのだ」という事を改めて痛感させられた思いでした。

デュッセルドルフの公演の際、ダイナミックな舞台を披露した後、お面を取ってずらっと並んだ神楽団達を見て、私が「後継者不足が深刻だ」と言っていた意味を悟ってくれた観客の方々も多かった事だろうと思います。

神楽団のメンバー達は人一倍元気な人達ばかりなので、ついつい錯覚を起こしてしまうのですが、70代、80代のおじいちゃま達を筆頭に60代がリーダー格、50代後半が中堅、50代前半は下っ端、そして40代の私は「若いお姉ちゃん」になってしまうのです。

「あら、私が若いお姉ちゃん?!」などとニコニコしている場合ではありません! これは深刻な問題です。


絶滅の危機

絶滅の危機に瀕しているパンダを救えとか、マグロの漁獲禁止条例だとか、動物や魚を保護するのも大事でしょうが、絶滅の危機に瀕している神楽の事は一体誰が守ってくれるんでしょうか!と、私は声を大にして言いたいのです。

昔は島根には地域ごとに神楽団が存在し、数多くの神楽団があったのだそうです。それが一つ、また一つ、ゆっくりと、しかし確実に消えていきました。

メンバーが揃わないと舞う事ができなくなる神楽です。メンバーの数が少しずつ減り、遂には神楽団として成り立たなくなって消滅する。こうして毎年ひとつづつゆっくりと、しかし確実にその数は減少しています。

もはや今となっては「個人の嗜好や自主性に任す」などと悠長な事を言っている場合ではありません。神楽の舞が身に染みるまで何年もの歳月がかかる事を考えれば、行政が本格介入して強制的にでも神楽の後継者を確保して教え始めなければ、間に合わなくなってしまう寸前にまで来ているのです!


間違っていた教育

本来であれば中核になっているべき40代、つまり私の世代の団員が特に欠落しています。思い返せば私が子供の頃は高度経済成長の真っ只中で、日本の目が海外に向いており、「日本古来のものなんてダサイ」という考え方が主流でした。

時代の「流行」というものは政府やマスコミの思惑によって操作されるものです。「海外、海外」と踊らされた私達は「きちんとした日本人になる事」よりもむしろ「国際人になる事」を奨励されたものでした。

そして実際に海外に出てみて初めて私は「自分が日本人である事」を自覚し、「自分は日本の事を何も知らなかったのだ」という事に気づいて自らを恥じ、「何よりも先にちゃんとした日本人になる事が、まずは国際人になるための第一歩である事」を身を持って体験し、「あの時の教育は間違っていたのだ」と痛感しました。

あの時の過ちを私達は今、償うべき時なのです。

「日本文化の原点である神楽」が消える事は私たち日本人全員にとって深刻な問題でなければなりません。「大東町や雲南市、島根県じゃないから私には関係ない!」と、知らん顔をしている場合ではないのです。

パンダちゃんよりも、マグロよりも、アマゾンの森林よりも、神楽の方が先に絶滅するかも知れない事をあなたはご存知でしたでしょうか。

「誰か他の人が考えればいい事」としてではなく、「自分の身近な問題」として神楽の事を一人でも多くの人に考えて欲しい。そんな願いを込めて私は、神楽の活動を続けているのです。


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2008/5/5  0:51

No.2: 小林先生の「魔法の教授法」  1) 川の流れに身を委ね

小林先生の「魔法の教授法」 

世界で最高の音を歌う天才ソプラノ歌手アイリカさんを作り上げた小林教授。先生に出会った時は、声楽を学ぶ一学生に過ぎなかったアイリカさんが、短期間でこんなに成長した秘密は何だったのでしょうか!

●急成長する生徒達

既にプロの声楽家になっている人達でも、実際には「正しい発声法」を完全にマスターしている人は意外と少ないのだそうで、プロでも間違った発声法で声帯を酷使して声を痛め、先生の所に助けを求めに来るのだそうです。

先生にレッスンを受けて、「ベルカント」という正しい発声法を習得すると、どんな人でもまたたく間に上達し、それまでの自分の限界を超越して、急速に成長するのだという事でした。

今でこそ最高音を歌えるまでに成長したアイリカさんですら、出会った時は天才とはまったく程遠いレベルだったのだという事です。

こうした小林教授の「偉大なる先生」としての側面に興味を持った私は実際に体験してみたくなり、「レッスンを体験させて下さい」とお願いしました。

●歌の才能があった私

先生から正しい発声法「ベルカント」の説明を受け、実際に声を出してみました。

「おお、いいですねえ。貴女には歌の才能がありますね。」と先生。

「ええっ、私に才能?きゃあ嬉しい!」いくら取材のためとは言え、プロか上級の学生にしか教えない偉い先生に、歌のレッスンを受けさせて、なんて、ちょっとずうずうしかったかしら、、などと言う心配は吹っ飛んですっかり上機嫌になった私。「豚もおだてりゃ木に登る」とは、よく言ったものです。

本当なら、「素人の貴女に僕がレッスン?僕を誰だと思っているんだ!馬鹿にするな!」と怒られても当然な程、高い肩書きを持つ小林先生ですが、普段の先生は至って気さく。そんな奢った態度は一切ありません。

先生の説明通りに正しく発声する事は実際には大変難しく、言う通りに中々できないので、練習中は変な奇声を発する事もしばしば。「恥ずかしい」なんて言っている場合ではありません。

「先生が私をいいと思ってくれている」という安心感が私をリラックスさせ、先生を信頼し、先生にありのままの自分をさらけ出す事ができた私は、自分でも驚く程、良い声がどんどん出てきたのです。これはまさに先生の人間的な暖かさがなせる業だと思います。

●魔法の教授法

「あなたには才能がある。」たったその一言が、人間にとってどれだけ大きなモーティベーションとなる事でしょう。「お世辞だろうな」とはわかっていても、人間、「誉められる」というのはやはり気分が良いものです。

45年間「才能」という言葉とは無縁に生きて来た私です。今更「才能がある」と言われても、「この年になって過酷な修行を積むのはしんどいし、それに歌手になってどうすんの?」というのが本音ですが、一方では「もし自分に才能があるのなら、その才能を磨いて自分の限界を確かめてみたい」という気持ちが芽生えたのも事実です。

歌えば歌う程、声が良くなっていくのだという「ベルカントの発声法」。私もたった3回レッスンを受けただけで、自分でも驚くほど上達しました。

こうして自分でも上達するのを実感すると、別に歌手になりたいと思っていたわけでもない私ですら「もっともっと歌いたい、先生、教えて下さい」という意欲がフツフツと沸いてしまいました。

恐らく小林先生の「魔法の教授法」の秘密は「生徒の可能性を最大限に引き出す力」なのでしょう。自分が伸びて行く事を実感した時、人は自分自身が「上達したい」という意欲に燃えて、どんどん上達するものです。

きっとアイリカさんや他の生徒さん達も、こうした先生の魔法にかかり、自分の可能性を追求し、どこまでも走ってしまったのだろうと思います。


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2008/5/5  0:50

No.1: 2007年を振り返り  1) 川の流れに身を委ね

2007年を振り返り

早いもので今年も残すところあとわずかとなり、あっと言う間に一年が経ってしまいました。「滝つぼ」の名の通り、川に流されて過ぎてしまった一年。この一年の間、私は何をしてたのでしょうか。     筆:滝つぼ 2007年12月

●単身赴任生活

まず、私にとって今年の大きな変化はKHS社に入社した事で、フランクフルト市民になった事です。以前のような出張ベースではなく、今ではフランクフルトに自分の部屋を借りて住んでいるのでここでの生活が主となり、フランスへは暇を見て時々帰る、つまり「単身赴任」となっています。

男性が単身赴任をするケースは多いですが、女性が、しかも3人も子供がいてするケースは大変少ないと思います。

私の場合、夫が自宅勤務な上、家事もできるので、私が何週間も家を開けても、子供達はちゃんと生きています。

母親が働く時、常に付きまとうのが、「子供に充分にしてやれない罪悪感」。子供達に「お母さん行かないで」と泣かれるのも辛いですが、私がいない事に子供達が慣れっこになってしまうのも、また寂しいものです。

最近では、子供達と一緒に過ごせない時間が長くなってしまっているので、ふとした時に落ち込む事もあります。

●仕事の充実

とは言え、仕事が楽しく生活が充実している事も事実です。今年は仕事でスリランカ、マドリッド、ベルギー、セネガルなどに出張しました。もちろん仕事なので大変なのですが、各国にいる現地のKHS関連の人達との交流により、観光では見る事ができない「素顔の現地」を覗き見る事ができました。

レストランを運営する事になってから、一般のお客様と直に接する機会も増え、色々なご意見に触れる事もできました。

また、マグロやお豆腐、蒸留水など、KHSが取り扱う商品について勉強し、色々と新しい知識も増えました。

KHS社のビジネスの基盤作りの仕事を任される事によって、仕事も充実して来ています。次々と試練を乗り越える度に、自分が確実に成長して行くのを感じる事が、私にとっての「仕事の魅力」なのだと思います。

●仕事と家庭の両立

先日、子供達のハーフタームに夫と子供達が私と一緒に過ごすためにフランクフルトに来てくれました。

家族みんなでレストランの仕事を手伝ってくれたりしたのですが、この方法では仕事もホリデーもどちらも中途半端になって、結果的にはこれはあまり良い方法ではありませんでした。

仕事をしている時は仕事だけに集中しなければ、良い仕事などはできないものです。今の私は家族を犠牲にして働いているのであり、器用に両立などできていない、というのが現実です。

そんな母親を持った子供達は可愛そうですが、でも彼らには良い父親がいるので幸せである、とも言えるでしょう。

●趣味の世界の発展

私にとって2007年の最大の功績は神楽&安来節のドイツ公演を成功させた事です。それはそれは大変でしたが、この公演の成功は私にとって大きな自信となりました。

その他には、コーラス部に入部してコンサートに出演したり、ドイツ語レッスンを開始した事などによって、フランクフルトでの生活がよりいっそう充実しました。

その一方で、最近ではフランスの自宅に帰れる機会が激減したため、私の愛する畑も荒れてしまいました。結局、私は「仕事の充実」と等価交換の代償として、家族と畑を犠牲にしたのです。

●川の流れに身を委ね

私が何故そうまでして働くのか。実はその理由は私にもよくわかりません。ただ何となく、今は川の流れが仕事の方に流れているからだと思います。川の流れに逆らわず、身を委ねて流されてここまで来た私は、これから先もどこに流されるのか、私にとっては、知る由もがな〜、なのでした。


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