2008/6/29  19:41

長男の大地も私達から巣立った。  DIARY

2008/05/25
【JAPANESE IN JAPAN -2】
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グランドホテル静風というホテルは、結婚式場のあるホテルというよりも、宿泊設備がある結婚式場、と言うか、催事場とかセレモニーホールとかだろうと思う。
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娘婿が運転するワンボックスカーに乗って来て、昨日の夕方3時にチェックインした、私たち夫婦は3階の308号室、孫を連れた娘夫婦は隣の310号室に泊まった。
http://www.gh-seifu.com/index.html
両方バストイレつきで6畳の和室だったが、ホテル感はなかった。
クレームはつけなかったが、地元の栃木放送以外のTV番組は映りが悪くて観られなかったし、館内のホストコンピューターの調子が良くないという理由で各部屋で出来るはずだったインターネットも出来なかった。

今日3時からの結婚式のためにカミさんと私は貸衣装を借りることになっていて、正午前に娘婿一家と5人で近くのファミリーレストランに行き、早い目の昼食をとってもどって来て、12時30分までに私は更衣室に、カミさんは美容室に入った。

私が男性更衣室に用意されていた貸し衣装のモーニングを着て、そのすぐ前のロビーのソファーにかけていると、この式場のお姉さんが来て、自分が今日の宴会の世話係なので宜しくといい、新郎のお父様の私に会場を案内すると言ったので、私はそのアトについて歩いた。
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3階に親族待合室があって、そこに2時半までに集まる。そこで、新郎新婦を交えて両家の親族を紹介する。そのアト1階に下りて、同じ敷地内で向かいに建っている教会で3時から結婚式とその庭でのパーティーと、こちらの建物に戻って、1階の宴会場での披露宴。
カミさんが髪を結って黒紋付に着替えるのにずいぶん時間がかかってしまっているようなので、一旦宿泊室の方に戻り娘夫婦に着替えを持参するように言い、更衣室に案内した。

親族紹介、結婚式、披露宴とすべて予定通り進められ、すべてが順調に済んだ。
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長男が先方のお父様から結婚を許してもらった後、長男の親代わりとして、つまり私たちの代わりに、茨城県に住んでいるカミさんのお兄さんご夫婦が応援してくれた事もあって、フォートウエインで離れて暮らしている私たちが何も出来ないのに、長男の結婚式が無事に出来た事をありがたく思う。

私は子供の教育にあまり口出しをしなかった、てか、躾けなかった。
カミさんが教育熱心だった事もあったが、もともと私は、子供は勝手に育つものだと思っていたし、今でも、子供たちの人生は、子供たちのもので、親が邪魔をしてはいけないと思っている。躾けない事が私の躾けだった。
子供達は何度も何度も、躓き、涙を流し、自分を傷つけ、それでも何とか自分なりの答えを出して、自分の道を歩いて来てくれた。

昨日の夕方、栃木県真岡市のアパートで彼にあって、今日の結婚式と披露宴で彼を見ていて、口には出さなかったが、私が願っていた通りの優しい青年に彼が育ってくれたことを私は彼に感謝した。
私の長男はどちらかと言うとひ弱な子だと思っている。
今でもその長男に関するその印象はあまり変わってはいないが、昨日と今日の大地は「ひ弱な子」ではなく、「優しい青年」だった。
よく育ってくれた。
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親族紹介のときに、自分の番で娘が椅子から立ち上がって「妹の美咲(仮名)です。」と自己紹介したアト、声を詰まらせながら「とてもやさしい、自慢の兄です。」と、私達の長男の大地を自慢してくれたのが印象的だった。

2008/5/7  23:05

漢方薬も高いけれど  DIARY

今日の写真は会社の駐車場で見つけたうれしい通勤車。
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でもこの写真は今夜のブログに関係ないし。

花粉症かクレアのアレルギーか、それとも風邪か、ここ2、3日、鼻の炎症がひどくて、毎朝起きたら鼻の奥が非常に痛いのと、気管支がはれて呼吸がしにくい。

最近どうも医者にかかるのが面倒くさいというか、ホームドクターに払う診察料がもったいないという気持ちがあって、以前より内科にかかることをしなくなった。
午前中のデスクワークで少しつらい感じがあって、昼休みに帰宅したとき、以前台所の棚でのど飴を見たことがあったのを思い出した。
ただ、今は鼻の奥が痛くて、のどが痛いわけではない。
午後からは現場仕事だったので、のど飴をなめるわけには行かなかったので、お昼に持ち込んだのど飴をなめたのは、5時30分過ぎの帰宅途中の車中だった。
その時、帰宅したらツムラの葛根湯を探そうと思った。

5時半過ぎに帰宅して、少し迷ったが、電話して今日の英語の勉強は休む事にした。
風邪を引いている時は、アイアムキャッチングコールド(I am catching cold)で、疲れたはアイガットタイアード(I got tired)。
私はそれと、今日は行かない(I will not come there.)の3言だけで、電話を済ませた。

帰宅して心当たりの引き出しを捜してみると、ツムラ1番葛根湯2.5gが150包くらいあって、心強い気持ちになった。
==> http://kanpo.biz/product_info.php/products_id/71
その事実だけで、少し症状が回復したような気分になる。
インターネットで葛根湯の服用方法を検索したら、一緒に値段も書いてあった。
2.5g42包が税込み3,500円と書いてあるからこの引き出しには10,000円分以上の葛根湯が入っているのだ。これはもう心強いどころではない。けれども心強い以上でもないかも知れない。

おまけに、それを見つける前に他の薬箱に入っていた「くしゃみ鼻水、鼻づまりにエスタック、ニスキャップ12」を見つけた。
==> http://www.ssp.co.jp/products/apf/c2/nys12/prod.html
今の風邪の症状で早く直したいのは鼻づまりだから、これを飲んでもよいかもしれない。
もし何日か葛根湯をのんで、鼻づまりが直らなければこれをのんでみよう。
うー、楽しみだ。
そうか、昔からよく言う、「アホは風邪引かない」というのは、こういうことなのかも知れない。
鼻づまりと、気管支の炎症で今結構苦しい思いをしているのに、薬の効能書きを読んだだけで、なんだか治ったところを想像して楽しくなってしまっている。
そして、葛根湯の顆粒2.5gを食事前にお湯で服用しただけで、なんだか鼻づまりの息苦しさが少し改善されたような気がしている。

ただ、そんな気がするだけで、そうたやすくは、鼻の奥の痛みと鼻づまりと気管支炎の息苦しさは改善されない。
今夜もそれらの症状はリアルにある。

昨年夏に日本から持ってきた花粉症用のマスクをして、今夜は早く寝よ。

この写真も今夜のブログと関係なく、昨夜娘の共有フォルダからダウンロードした孫の寝顔。
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2008/3/30  21:55

そして私たちの桃太郎は4月に退院する。  DIARY

最初の家来との記念写真。
どっちがサルだか、桃太郎だか。
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4月2日(水)が出産予定日だったのに、娘の美咲(仮名)達夫婦の長男は、45日早い2月12日(火)に生まれてきた。

1週間後の2月18日(月)に母親になった娘の美咲(仮名)が先に退院した。
ちょうどそれにあわせて、こちらからカミさんが1時帰国した。
急だったのでカミさんが持ち帰るお土産の買い物を金曜日の夕方と土曜日の夕方だけで済ませた。
遠くへ買いに行く時間も無かったのですべてを近所の、それもスーパーマーケットで済ませた。
土曜日の夕方にマイヤー(mijer)のベビー服売り場をカミさんと2人で結構長い間うろうろして、涎掛けや、シャツ、パンツを選んでいた時に、私たちに孫が出来たのだと実感したような気がする。
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私たちの子供たちの時は、勤務先の先輩や友人から出産祝いをもらった事は覚えているが、後は、カミさんにまかせっきりで、私は多分ほとんど子供たちの洋服を選んだ覚えが無い。
カミさんが子供服を選んでいるそばで、どうせすぐに着られなくなるのだから、もっと安いものにすれば良いのに。
てか、どうして、子供服がこれほど高いのだろうかと私は一人で思っていたような気がする。
ま、良くは覚えていないのだけど。
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そして、早産から3週間ちょっと未熟児用の保育器に守られて2000gになるまで育ったコーキ君は、3月7日(金)に保育器を卒業した。
その後また少しずつ大きくなっていて(当たり前だけど)、先週あたりは2240gまでになった。

そして出産予定日だった、4月2日(水)に退院できることになったらしい。
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出生届けは滞りなかったのだろうか。

2008/2/17  22:29

おばあさんは日本へ洗濯に  DIARY

私たちが授かった初孫の名前は、晃希(こうき)に決まったらしい。
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先月中旬の産まれる直前は、「みつき」という名前で、ニックネームをミッキーにすると聞いたのだが、母親になった娘の美咲(仮名)は、未熟児で産まれてきた自分達の長男の顔を見た途端に、この顔にミッキーは似合わないと感じたらしい。
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それで、2、3日夫婦2人で考えて、晃希という名前に決めた。美咲(仮名)夫婦2人ともの名前に「き」がつくので、長男の名前にも「き」という1字をつけたかったらしい。
2月12日に出産した美咲(仮名)は、1ヶ月以上入院が必要な未熟児の晃希を残して、2月18日に、埼玉医科大学病院を退院した。
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おばあさんになったカミさんは、リーチンさんにお願いして、出産予定日の4月上旬に一時帰国する予定だったのだが、2月18日の美咲(仮名)の退院にあわせて50日早く帰国することにした。
リーチンさんは、ノースウエスト航空のキャビンアテンダントをしている美人で、彼女の話だと、うまく日程が合えば、家族割引のようなサービスを利用できることもあるそうだ。
そして、カミさんの今回の日程だと、行きのティケッツは家族サービスのティケッツを利用できたらしい。
もし、往復とも割り引きティケッツを利用できたら、航空運賃が半額かそれ以下になるらしい。
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ノースウエストの家族割引ティケッツを使うには、CAのリーチンさんが同行しなければならないらしく、2月17日の朝6:40にフォートウエインを出るデトロイト経由の成田行きでカミさんと一緒に彼女も日本まで同行してくれた。
以前の予定では10:21発の便で出発するはずだったのだが、前日の午前中にリーチンさんから電話があって、デトロイトからの国際便に間に合わなくなってしまってはいけないので、安全を考えて4時間早い朝一番のフライトにしようと言われてそうした。
これは、リーチンさんではなく、彼女たちのスケジュールを心配性のご主人のディックさんが心配して提案してくれたらしい。
なので、カミさんと私は5時40分に空港に到着するため、朝4時半に起床した。
カミさんの化粧を待って、クレアに留守番を頼んで、カミさんのスーツケースをエクスプローラに乗せて家を出た。
5時20分にウエストレイクのご自宅でリーチンさんをピックアップして、フォートウエインインターナショナルエアポートに到着した時。

そうそう、リーチンさんが住んでいる住宅はウエストレイクと言うが、その住宅のメインストリートはノースウエストレイクドライブと言う。そして、彼女はノースウエスト航空のキャビンアテンダントをしている。それがなにかすこし笑える感じがする。

閑話休題
フォートウエインインターナショナルエアポートにはポーターがいて、車寄せに停まって荷物を降ろした時に台車を押して近寄ってきたので、カミさんのスーツケースを頼んだ。
リーチンさんにティップはいくらが妥当ですかと尋ねたら、3ドルくらいという答えが間髪を入れず返ってきたので、私はポケットのお財布を出し、1ドル札3枚をすばやくつかんで、サンキューといいながら彼に渡した。

前夜私がカミさんのスーツケースを持って体重計に乗り、持たないときの体重との比較で、23kgの制限重量以内に抑えたつもりだったのだが、ノースウエストエアラインのチェックインカウンターで実際に量ったら52lb(ポンド)だった。ノースウエスト航空の手荷物1個の重量制限も普通に50lb(22.7kg)なので2lb(907g)オーバーしていた。
しかし、リーチンさんが言ってくれて、詰め替えなしでそのまま日本まで運んでくれることになった。
カウンターのお兄ちゃんに、いいの?と聞いたら、ほんの少し渋い顔をして見せた後、笑顔で、構わないよ見たいな事を言いながら引き取って、カウンター奥のベルトコンベアに乗せてくれた。

2008/2/12  22:52

おじいさんはフォートウエインヘ芝刈りに  DIARY

私達の初孫は未熟児で産まれた。
名前はまだない。
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日本時間の2月12日に美咲(仮名)達に長男が産まれた。
出産予定日は4月2日と言っていたから、50日くらいの早産だった。
産まれたといっても、未熟児だからしばらくは保育器に入っていなければならないし、それも含めて40日くらいは入院が必要なのだそうだ。
美咲(仮名)の妊娠中、かなり以前から出血があって、切迫流産の症状があったようだが、何とか流産せずに2月まで持ちこたえた。
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出血があるということは、決して安心していられる状態ではなかっただろうに、私の娘はそのたびに、まだ出血はあるけれど前回の診察では大丈夫だったし、今度は何日に通院して検査してもらえるから大丈夫だというようなことを言って、私たちに心配するなと言い続けていた。
もっとも、時差14時間の遠くで暮らしているわたしたちには何もできないのだから心配させても仕様が無いと考えていたのかも知れない。

美咲(仮名)は市内の南福音診療所の産婦人科に通っていて、ここは産まれてくる赤ちゃんの性別は教えない方針らしい。
結構融通が利かないらしいが、信頼できる産婦人科であるような事は美咲(仮名)から聞いていた。

35週を過ぎたころにもまだ時々出血があり、そのころの症状は切迫早産と言うらしいが、何日か前からそのとおり早産の気配があったらしい。
急にというわけではなかったようだが2月9日あたりはおなかが張って、きつくて仕様がないようなことを聞いた。
その上帝王切開になるかも知れないということもあって、2月12日にはその手術ができる北里研究所メディカル病院という総合病院に転院する予定だった。
==> http://www.kitasato.or.jp/kmc-hp/
しかしその前日におなかの尋常でない張りと、出血があり、切迫早産で翌日まで待てなかったようで、ベットがあいていた埼玉医科大学病院に転院した。
==> http://www.saitama-med.ac.jp/hospital/
2月11日(月)に入院し、2月12日(火)の午後2時51分に1663gの小さな小さな男の子が生まれた。
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私たち夫婦はなにもできなかったが、娘婿がよくしてくれたと感謝している。
私たちにとっては外孫ではあるが初孫はうれしい。

2008/2/6  23:50

ディッチ(ditch=排水溝)からの生還  DIARY

今朝からテレビで、大雨洪水注意報みたいな事を言っていた。

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朝の出勤時にも、会社の駐車場からフロントオフィスまでは10メートルあまりのホンの短い距離なのに、コウモリ傘を使った程の雨だった。
そして、殆ど1日中雨が降り続いたが、夕方近くには小雨になり、その時間になると気温が下がってきたのだろう、小雨は小雪に変わった。小雪と言ってもそれは粉雪ではなく量は少ないが、結構大きめのわた雪だった。

会社から戻って、シャワーを使い、夕飯を済ませて、コロンビアシティまで英語を教わりに行くのに、私は一瞬躊躇(ちゅうちょ)がしたが、4WDのエクスプローラではなく燃費の良いフォーカスに乗って行く事に決めた。
6時30分少し前に出かける時は、まだ、雪の量も少なく道路がスリップする心配はないと思っていた。

私は雪よりも大雨によるフロー(ド)(flooded area=浸水地帯)の方を心配した。
実際に会社帰りにハドリー通りの1箇所1車線が浸水していて片側通行になっている場所があった。

4輪駆動のエクスプローラは雪道には強いのだけれども、燃費が悪いし、路面が濡れている時はタイヤが新しいフォーカスの方が有利だと思った。
カミさんと、クレアと一緒にフォーカスに乗って家を出て、7時近くにジャンセンさん家に到着する手前、US-30から、リンカーン大通りに入り、5分ほど走って右折すると舗装されていない450号道路で、その田舎道の登り坂を登ったアトの下り坂を下り切ったあたりの道の全幅が向こう5、6m程水浸しになっていたが、私のフォーカスは水しぶきをあげて難なく通り過ぎる事が出来た。

7時過ぎに仕事を終えて帰宅したデイビットさんは、私達が通ってきた浸水した道路を避けてそこからリンカーン大通りまで引き返し、次の550号道路に迂回して戻ってきたらしい。
そして、彼は私にフォートウエインまで戻るなら、浸水している450号は危険だから、ホンの少し遠回りになるけれども550号へ迂回した方が良いと教えてくれた。

そして私達は教えられた通り550号目指して、475号を西に向かった。
しかし走り始めて3分もしないうちに私達のフォーカスは側溝に嵌って動けなくなってしまった。

475号を東に500m走ると450号に出る、いつもはその450号からリンカーン大通りに出る。475号を西に1,500m走ると550号に出て、それからリンカーン大通りに出る。
しかし西に500mほどドライブした所で475号は少し右に折れたアト左に大きな円弧を描く。

朝からの雨が夕方にあがったあと、小雪に変わりそれから夜半まで降り続いた。今夜の様に気温が高い時に道路に積もった雪は溶けやすく、タイヤがスリップしやすい。

私のフォーカスは大きな左カーブを曲がり切った直後、直線に入ってハンドルを右に戻した時にタイヤは進行方向と平行に戻ったのだがそのままズズーッと路肩に寄って行った。スピードが出ている訳ではなかったので、路肩と反対の左へ少しハンドルを切って体勢を整えようとしたのだが、その時はもうスリップは止らずそのままズルズルと右の畑と道路の間の溝に右の前後の2輪が落ちてしまった。

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カミさんの携帯で連絡して、そこまで来てもらった緑のエクスプローラに乗りジャンセンさん家に引き返した。

そこからAAAに電話で、プロトー(PRO TOW)と言う牽引車等を持っている事故処理会社に連絡をしてもらった。ジャンセンさん家で事故処理車が現場に到着するまで待つこと45分。もうすぐ現場に到着すると言う連絡をもらったアト、現場で待つこと5分。
背の高い好青年が牽引車から降りて来てデイビットジャンセンさんと打ち合わせして、左前輪のシャフトにチェーンをかけた。デイビットさんは側溝に嵌ったフォーカスに乗り、エンジンをかけた。そして牽引車のウインチで引っ張りあげようとしたのだが、私のフォーカスの右車輪は側溝に嵌ったままで空回りし続けるだけだった。側溝がわの前輪は溝に嵌っていてチェーンをかけられないからと言って、彼らは同じく溝に嵌っているリアホイル(後輪)に今度はチェーンをかけるらしい。背の高い好青年はトールトラックを向こうまで運転して行き、方向転換して来てから右後ろの車輪の内側にチェーンをかけ、さっきと反対側に引き上げはじめた。
トールトラックが溝に落ちてしまうのではないかと思うほど力の入る瞬間のあと、私達のフォーカスは生還した。
背の高い好青年が出した黄色い紙に私は所要時間1時間と書き、時間的な対応も最高、ドライバーの態度も満足度最高のトコロにチェックしたあとサインして渡した。

彼はサンキューと言ったアト、もしエキストラ費用が(extra fee=追加料金)必要なら、請求書がメールで送られて来ます、と教えてくれた。

直前にジャンセンさんから、彼はとてもよい仕事をしてくれたので、ティップをあげるべきだと思うといわれていたので、私はお礼を言いながら財布から抜いて20ドル紙幣を1枚たたんで渡した。

ティップとして20ドルが多いか少ないかは、とっさに判断出来なかったが、彼は本当に良くやってくれたと私も思った。

プロトウと言う会社と彼の自宅はフォートウエインにあり、それからそちらに戻ると言うので、お願いして、事故現場から、US-30までトールトラックに先導してもらった。

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私達が自宅に戻った時は深夜12時30分を過ぎていた。

2008/2/2  22:17

ワグは今日天国へ旅発った  DIARY

【I’m sorry that he died – 2】

昨日はチェズリーちゃんが我が家に遊びに来ていて、私は会社から戻ったら、そのチェズリーちゃんとカミさんと、アーバンシティのフェラーアンドクリーク葬儀場に一緒に行こうと思っていた。
夕方のビューイングが6時から8時までだから、帰宅してシャワーを浴びたアト出かければ充分間に合うし、その帰りに3人で精進落としの食事をして、コロンビアシティまでチェズリーちゃんを送って行こうと計画していた。

私は会社から帰宅してすぐ、リビングでTVを見ていたチェズリーちゃんに、私達と一緒にビューイングに行かないかと聞いたら、彼女は行かないと応えた。
キッチンで夕飯の支度をしていたカミさんが「女の子がお葬式に付き合ってくれる訳がないじゃありませんか。」と口出しした。

夕飯を済ませ、チェズリーちゃんに留守番を頼んで、私とカミさんは6時10分前に自宅を出た。
その葬儀場は、アーバンシティのワグの自宅近くで、我が家から車で約30分のトコロにある。
カミさんのナビで葬儀場の手前で道を間違えて曲がり角を3つか4つ余分に曲がったため、少しロスがあって、会場に着いたのは6時45分を過ぎていた。
葬儀場に入るとロビーの左に受付カウンターがあり、右がレストルーム。
ロビーの奥のホールがビューイングの会場になっていて、開け放たれた右側のドアから入ると、壁際の何箇所かにテーブルが置いてあり、そのテーブルの上にワグの昔の写真や、アルバムやワグが教師時代に出版した彼の著書が何冊か展示してあった。
ロビーに入ってすぐ左の壁柱のコーナーに大きな液晶パネルがあって、その液晶画面でワグが写っている写真のスライドショーが見られた。

左奥の突き当たりに置いてある棺に、ワグが横たわっていた。
ワグの棺の横にベティさんが立って、その手前に娘さんのジェニファーさんと娘婿のアルバレスさんが立っていて、弔問客の相手をしていた。
その弔問客の列には20人くらいが並んでいて、私とカミさんはホールに入ってしばらく展示されていたアルバムやワグに関する品物を見て、スライドショーを少し見たあとその列に並んだ。

10分か15分して私達は、娘婿のアルバレスさんの前に立った。
私は「覚えていますか?(Do you remember us?)」とアルバレスさんに声をかけた。
彼は、覚えていますよと言う代わりに笑顔でうなずいた。

隣に立っているジェニファーさんにe-mailのお礼を言うと、彼女は「あなた達にもっと早く連絡をしたかったのですが、方法がありませんでした。父が亡くなったあと、父のe-mailの中にあなたのアドレスを見つけたのがラッキーでした。あなた達にお知らせ出来て本当に良かったです。」と言うような事を言ってくれた。

ワグの遺体を前にして、その脇に立っている奥様のベティに「彼は66歳?」と聞いたら、「65歳」だと応えた。
彼は、去年の8月に癌の再発を知るまでは、9月からESLでまた私達に英語を教えるのを楽しみにしていた。
それが出来なくなって、ケンタッキー州の病院で2度目の手術を受けたあと、彼はフォートウエインのナーシングホームに入院していたらしい。
そんな話しを聞いた後、私はベティさんに「健康に気をつけてください(You have to keep your health)」と言ったつもりだったのだが、全く通じなかったようだった。
ただ、カミさんがそのアト「プリーズユーテイクケア(Please you take care of your health=健康に気をつけて)」と言った時、少し涙ぐんで「ありがとう、元気出さなきゃね。(I will try)」みたいなことを言ったので、カミさんの「健康に気をつけてください」は通じたのだろう。

もともと、彼らの教会はフォートウエインにあって、日曜日の礼拝は毎週フォートウエインに来ていると聞いていた。

これは私のかってな推理だが、彼等の教会がフォートウエイン市内にあるので、ワグの葬儀をアーバン市内の宗派の違う教会ではなく、葬儀場でしたのではないだろうか。

そして、今日10時からの葬式は、昨日と同じホールに長椅子を並べて行われた。

午前10時8分に私達は葬儀場についたのだが、もう既に葬儀は始まっていた。
式場に入る前に、受付のお姉さんが昨日のビューイングにも来た私達の事を覚えていたのか、昨日は記帳したかとカミさんに聞いた。もし、昨日していなければ、今、ここにあるノートに記名してから式場に入って、と言われたので、私は1つのランにボールペンで私とカミさんの両方の名前を英語で書いて、式場に入った。

昨日と同じ位置にワグの棺はあって、そのホール内に今日は100人分くらいの長椅子が並べられていた。
そして、その100人分あまりの長椅子は満席で、少し遅れてきた私達夫婦と、私達よりさらに1、2分遅れて入ってきた女性の折りたたみ椅子は前もって並べられていた長椅子の後ろに置かれた。

私達がその補助椅子に着席した時は既に誰かの挨拶が始まっていて、それが終わった後、牧師さんの説教と、その合間にオルガンの伴奏で2曲賛美歌を合唱をして、10分か15分でその告別式は終わった。

2008年1月28日に癌と闘う辛苦から開放されたワグは、今日天国に旅発ち、私達はもう彼から英語を教わる事が出来なくなってしまった。

2008/1/31  23:37

2008年1月28日にワグは癌と闘う辛苦から開放された  DIARY

【I’m sorry that he died – 1】

ワグは今年65か66歳で、ワイフのベティさんは1歳か2歳姉さん女房だったと思う。

ワグナーご夫妻は、2人共ドイツ系のアメリカ人らしい。
彼のおじいさんが昔ドイツからアメリカに移住してきたと言うような事を以前聞いた(ような気がする)。
しかし、ワグとベティーは全く日本語をしゃべらないし、多分「こんにちは」も「ありがとう」も知らない。
だから、彼らが何と言ったのかを私達はいつも大体の感じでしか理解できていないので、本当にそうなのかどうかについては保障の限りではない。

彼らにはジェニファーと言う娘さんがいて、彼女はメキシコ系の男性と結婚してアルバレスというラストネームを持っている。そして、ジェニファーにはアンジェリカと言う7歳の女の子がいて、その子をおばあちゃんのベティーはエンジェルと呼んでかわいがっている。

ワグは高校の教師を25年間、ベティーは中学校だか小学校だかの先生を30年間勤めた。

一昨年の6月にワグはがんの手術をして大腸を75%切り取った。

手術をする前のワグは、ボランティアでO.L.G.H.教会のフリーのESL教室で私達に英語を教えてくれていた。
ベティーは近くに住んでいる共働きの娘さん夫婦のために、小学校から戻った孫のエンジェルちゃんを、娘さんが仕事帰りに迎えに来るまで自宅に預かって勉強の面倒を見てあげていた。

昨夜(1月30日)7時過ぎに、ワグの他界を知らせるジェニファーからのe-mailをカミさんが受け取った。
カミさんがそのe-mailに気がついたのは今朝早くで、朝食の時にそれを私に伝えた。

「今朝気がついて、昨夜届いていたジェニファーさんからのe-mailを読みました。メロウさんがなくなったそうです。」
カミさんはワグの事をメロウと呼ぶ。
私が呼んでいるワグは彼のラストネーム、ワグナーのニックネームで、通常はファーストネームのメロウと呼ばれているらしい。
彼はESLで3年前に「君達外国人はメロウと発音しにくいだろうから、ワグと呼んでくれ。」と私達生徒に言った。それ以来ズット生徒だった私だけが彼の事をワグと呼んでいる。
実際にメロウは発音しにくい。英語で書くとMerle Wagner, で「r」は舌を口の奥に丸めてアー(ル)で、「l」は舌先を前歯の手前の上あごにつけて(ル)ウと発音する。
最初のMeとあわせて「Merle」を発音すると「メー(アウ)」になる。確かに厄介な発音だ。

「メロウさんが亡くなったそうです。」
私はそれを聞いて「あ、そうだったのか。」と思った。
そして、それを聞くまでの私は、去年の秋にケンタッキー州まで行って生きるための手術を受けた彼がいつになったら「英語を教えるから来い。」と私達に連絡してくるのだろうかとしか考えていなかった。

一昨年の夏にフォートウエインで手術をしたアトも、私は「彼がいつESLに復帰するのだろうか。」としか考えていなかった。

去年の12月14日に、フォートウエインの我が家でキャロリングをするからご夫婦で来られないかと、カミさんがワグに出したe-mailの返信として、ジェニファーさんからのe-mailはカミさんに届いていて、題名は「Fwd: Caroling at our house」だった。

そのe-mailには、
「12月28日に父のメロウが亡くなった。アーバン市のフェラーアンドクリーク葬儀場で、2月1日(金)2~4時と6~8時にビューイング(Viewing=お通夜?) 、翌2日(土)午前10時にフューネラル(Funeral=葬式)をする。」
また、電話番号を書いてあって、
「もしお母さんのベティーに電話したければその番号にかけて。」
と書いてあった。

2008/1/30  23:18

忘れられていた誕生日  DIARY

今年の1月30日は水曜日で、去年の暮れからジュンコジャンセン英会話教室が木曜日から水曜日に変更になった。

私の誕生日と私の隣のデスクで仕事をしている、私より1歳年上のダグさんの誕生日が同じ1月下旬で結構近い。
それで、先週の金曜日にスコットマネージャーのチェアで2人のためのバースデーランチをしてくれた。
先週初めにスコットマネージャーから場所と曜日を決めてくれと言われて、たぶん私に気を使ってくれたのだろう、ダグさんが、タイムズコーナーのモールにある寿司と日本食の「さくら(SAKURA)にしよう」と決めた。
勿論私に否やはなかった。
木曜日の午前中に会議の予定があったので、私は金曜日の昼食をリクエストした。

私の向かいのデスクのクリスさんはみそ汁の身の豆腐はあまり好きではないようだが、わさび味の良さが分かる日本食好きの青年で、私の右隣のデスクのステイシーさんは、とにかく生魚を恐れる生粋のアメリカ人。
ダグさんがさくらが良いと言った時、この生粋のアメリカ人は「ウー、スケアリー(scary=怖い)」と言った。
ジュンコリチャーズさんが横から、さくらには寿司だけではなく、ステーキもテリヤキチキンもある事を説明したら「オーライ(all right)ンじゃイイや、それにするから。」と言って、金曜日は実際にチキンのテリヤキランチボックスを食べた。刺身ランチボックスを頼んだクリスさんが自分のランチのツナの刺身を一切れステイシーさんのランチボックスにパスした時、ステイシーさんは嫌がらずにトライした。そしてクリスさんが、どうだときいたら「うん、悪くはないよ。」と応えたが、アト一切れクリスさんが勧めたら、また食べたかどうかは分からない。

クリスさんが豆腐をあまり好きになれない理由は、味がはっきりしないかららしい。
ダグさんは、グリンティーにいつもサッカリンのスイ―トンを入れる。

去年の私の誕生日は、カミさんと娘の美咲(仮名)がDSとそのアプリケーションのいくつかを買ってプレゼントしてくれた。
ただ、娘の結婚と出産や、長男の結婚などの事でお金を使ってしまうから、今年の誕生日プレゼントは要らないと、何日か前に私はカミさんに言った。
2度言ったかも知れない。

今朝、出勤してPCのスイッチをターンオンしたら、美咲(仮名)から、誕生日おめでとうと言うe-mailが来ていた。
そのアト出勤して来たジュンコリチャーズさんが、事務所に入ってくるなり私のテーブルのそばまで来て、ハッピバースデーとお祝いを言ってくれた。

今夜、ジュンコジャンセン英語教室で、ジュンコジャンセン先生から今日は何日かとたずねられた時に「今日は1月30日の水曜日で、私の誕生日でした。」と、私は応えた。
その時、「あ、お誕生日おめでとうございます。」とジュンコジャンセン先生はお祝いを言ってくれた。
そして、それと殆ど同時に「あ、今日が誕生日だったのをすっかり忘れていました。」と、カミさんが言った。

今朝から私は、今日が私の誕生日だと言う事をカミさんはたぶん忘れているのだろうとは思っていた。
朝食の時も昼食の時も夕食の時もカミさんは私におめでとうとは言ってくれなかった。
誕生日プレゼントは不要だと以前から言っておいたので、プレゼントがない事に不満はない。
しかし、カミさんが今日のこの時間まで、今日が私の誕生日だと言う事を思い出せなかった事が残念だった。

英語の勉強を済ませた後、私達が帰る前に、丁度メロディさんが作り置きしたチーズケーキがあったからと言いながら、ジュンコジャンセンさんが、4本のキャンドルに火をともしてバースデーチーズケーキを持って来てくれた。

2007/12/3  23:39

ささやかだけどデコレイテッドハウスな我が家  DIARY

エメラルドレイクのサンタクロースと、豪華なデコレイテッドハウスを一昨日の夜見たからと言う訳ではないと思うが、カミさんが「クリスマスツリーだけでも今夜出してくれますか。」と、私に言った。

カミさんが好きだと言って2004年に買ったブルースプリュース(blue spruce)のクリスマスツリーはその翌年に枯らしてしまって、枯らしてしまったままの形でズット玄関脇に置いてある。
それ以来この3年間毎年玄関先を電気で飾る12月の1ヶ月間だけ、その完全に枯れたブルースプリュースにも電球が巻きつけられてクリスマスツリーになる

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2005年のクリスマスに買った、プラスチックのクリスマスツリーを今年も出してきて、夕方からカミさんと2人で飾りつけた。と言っても飾りつけはすべてカミさんがして、私はカミさんに言われて、ツリーをしまってある重いダンボールの箱を、物置にしている2階の部屋からリビングまで引きずり降ろして、カミさんが言った場所に組み立てただけだった。

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カミさんは数時間かけてクリスマスツリーだけではなく、玄関のリースや植木や、例の完全に枯れたブルースプリュースにも電球を這わせた。

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私は、電球のコードを引っ張って長く這わせるよりも、チカチカしてもしなくても、クリアでもブルーでもほかのどんな色の電球でも、テーブルとか棚とかに、ドサッとかためて置くようなボリューム感が出せる飾り付けが好きなのだが、それは単におじさんだからなだけで、女性やおばさんの好みは違うらしい。

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それはともかく、今年も楽しいクリスマスシーズンがやってきた。
今年は、24日、25日が月曜日と火曜日で、22日の土曜日から火曜日までの4日間がクリスマスホリデーになる。
そのアト、水、木、金と26、27、28日仕事をしたら、土曜日の29日から、新年1日の火曜日までの4日間がニューイヤーホリデーになる。

私達、カミさんと、私と、クレアは、アト何回ここでこの飾り付けをして、クリスマスとハッピーニューイヤーを迎えるのだろう。

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