2006/7/28 10:04
勘人間 分類なし
何だか痒いんだけど・・・
この忙しいのにと思っても口には出さない、そして曖昧な笑顔、
確かに聞いてあげたからねという雰囲気だけは作る、この技を
会得して頻繁に使う相棒。
蚊がいたのかな〜
「そうだね」
聞いてないっ!
ま、出勤前だもの無理もない許そう。
見た訳ではないし蚊に刺された場所も見つからないのに勘で言っている。
このハッキリしないいかにも蚊の好きそうな空。
陽のないベランダはやけにわしゃわしゃ葉が多くなりこの感じは蚊も
きっと好きだろう。
そういうイロイロが頭の中でしゃしゃっと組み上がり居ない蚊を探す。
刺されてもいないの痒い気のする朝。
気がするといつも当たる、きっと居るぞ〜
この忙しいのにと思っても口には出さない、そして曖昧な笑顔、
確かに聞いてあげたからねという雰囲気だけは作る、この技を
会得して頻繁に使う相棒。
蚊がいたのかな〜
「そうだね」
聞いてないっ!
ま、出勤前だもの無理もない許そう。
見た訳ではないし蚊に刺された場所も見つからないのに勘で言っている。
このハッキリしないいかにも蚊の好きそうな空。
陽のないベランダはやけにわしゃわしゃ葉が多くなりこの感じは蚊も
きっと好きだろう。
そういうイロイロが頭の中でしゃしゃっと組み上がり居ない蚊を探す。
刺されてもいないの痒い気のする朝。
気がするといつも当たる、きっと居るぞ〜
2006/7/27 7:11
ひぐらし 分類なし
昨日はいっぺんに暑い日でした。
それでもまだ梅雨は明けていないという。
先週の土曜日重い雲の下、時折パラパラ降る雨の合間に今年初めての
蝉の声。
じょわ〜〜んじょわ〜んと懐かしい声が夏の葉に包まれたケヤキの木の
どこからか聞こえた。
梅雨明けが待ちきれず出てみたらまだ雨模様でガッカリした?
それでももう引き返せない。
短い地上生活の大切な一日が雨で可哀想だったね。
そして一昨日夕方。
カナカナカナカナ・・・!!ひぐらしです。
夏の終わりが出番のはずなのに。
規則正しくカナカナカナカナ・・
あまりに長い梅雨。
もしかしたらボクが気づかないうちに夏は終わったのかしら。
きっと、そうだ。
秋がすぐ近くに来ているに違いないと思うの。
だから・・・カナカナカナカナ・・・
孤独を音にしたらこうなるのだろうと耳を傾ける。
2006/7/26 10:35
引け際は? 分類なし
自然に帰れと、ルソーよろしく大上段に構える気持ちはない。
ましてや今風にロハスな生活を気取る気もない。
ふと、本当にふと思ったのです。
企業30年とよく言われる。
大概の大手企業でも30年すれば曲がり角に来る、翳りも来る。
30年という年月は、変化の一区切りになる時間なのでしょう。
最初の30年足らず、私は車に5分乗れない三半規管にまいっていました。
車、電車言うに及ばず、ブランコだめ、シーソーだめ、滑り台だめ。
子ども向きの遊具は全滅。
遊園地に見向きもしないかわいくねぇ〜、の子ども時代を経て、渋谷まで
30分弱の通勤電車も途中下車の保険をかけ早めに家を出る始末です。
赤ん坊だった娘の乗り物酔いは母親から伝わるものと医師に催眠療法を
勧められ何とか自己暗示の法を習い覚える。
その頃、町外れに住む不便さで免許を取ろうと決心。
取ってみると自己暗示など不要になり毎日運転席の私。
それから30年過ぎるまで車は必要不可欠、車検を待たず好きなH社の新車に
変えるという何やらヤンキーの走り屋的風情。
乗った車は何台になるのだろう。
車内の6スピーカーはどこよりも音楽向き、殺風景な車内にMDだけは沢山
積んで土日は必ず車を走らせるのは相棒と二人の楽しみとなっている。
ふと、思ったのです。
車を捨てたらどうだろう?
2006/7/25 9:06
新月 分類なし
ものみな浄化の日ですってね。
今日は新月、NEW MOON。
弧のかけらもなく黒い枠をうっすら見せる新しい月。
ものの始まりはゼロなのだろうか?
満たしてゼロに至る感覚の私は終りがゼロだと思いたい。
ゼロより少しでも踏み出すところから何でも始まって欲しい。
そして安息のゼロに至って終って欲しい。
一息目を吸い込むところから「生きる」を始めて
吸い込む息だけ一つ、それから吸うも吐くもなくゼロ。
そこで終わりと思いたい。
数字に疎いのです。
女子ばかりの教室に新卒の男先生、耳まで赤くして目を合わせない
一回目の授業。
「・・・おおそれた考え方で・・」と仰った。
ん?おおそれた?大それたのこと?
後、担任に呼ばれ叱られた「最後列の目の大きな子が反抗的な目をして
授業を受けている、って仰るの、貴女のことよね」
気をつけなさいと優しい声で注意を受けたけれど、私は目に出さない
ようにしてお腹の中で怒った。
名前ぐらい調べろ!告げ口するな直接言ってくれ!それにそれに、
おおそれたじゃない!!
高校二年で数学との決別。
もともと理数に弱い私、別れはいとも簡単でした。
数字も文章で考えている。
ゼロの定義・・・私の中では終りの始まりです・・END MOON
始まりだろうが終わりだろうがどちらにしても今日の新月はきっと見えないね。
2006/7/24 8:25
映るものは・・ 分類なし
足りないものはたくさん有るけれどゼロよりマイナスの範囲まで
いってしまうと問題かな〜
私のマイナス、人の為になるということが皆無です。
ボランティア精神皆無。
言葉だけでも恥ずかしく、逃げ回って目を閉じ、耳を塞いでいる。
ところが、多分、きっと、絶対、私の方はその精神をもつ方からの
お世話は受けているに違いないのです。
人さまのお役に立つって?と不明ばかりで我が身だけでも御しきれない
自信のなさ、我が身だけで手いっぱいという貧しい精神。
人生すべて一、との持論に照らせばこれから走り回って何かのお役に
立たなければマイナスの今までを取り返し一にならない。
と、手の内を広げてみてもお役立ちの種は一つもない。
人の力になることができないまま終わりまで行ってしまいそうで
「ごめんなさい」の人生になる予感いっぱい。
反省に時間をかけないのが刹那主義の悪いところ、雨の空を見ながら
楽しめそうなことを思い巡らせている・・露一粒に映るのは何かな〜
自分のことばっかり。
2006/7/23 9:55
鏡 分類なし
プラス一枚。
ふすま大の鏡をもう一枚取り付けた。
お家フラをこの前で踊る、この中にも一人踊っている。
ソロではない意識が生まれるから不思議。
私、鏡を初めて見た原始の人か?
映る目を正面きって見ることはできない。
アチラの私もこちらを見ないようにしている、恥ずかしいからネ。
アチラの一人を薄々勘付いているという見方しかできない。
ですから二人で踊る意識がうまれるのでしょう。
もともと鏡が好き。
我が身を映すためではなく光の場所になることが魅力です。
出来るだけ、どの部屋にも大きなものを置きたいのですけれど
問題が一つ。
鏡は光も集めるけれどごちゃごちゃを倍にもする。
鏡の前はできるだけ何もない壁、映り込む細々を排除して取り付けたい。
そこが難しく頭の痛いところです。
鏡一枚の為に時には模様替えなどと大騒動になる。
私は自分の映っていない鏡を見ることが好きです。
中の部屋は見慣れた我が家ではなく静かな別人の住む似ているけれど違う
部屋。
奥行きがないけれど実はず〜っと深い場所に思えることも好きです。
お話のようにするんとアチラに行けそうな気もしてくる。
本来の鏡の仕事は「客観」という言葉の実在化。
他人の目で「わたくし」を観ることができる唯一の道具。
頭の中で思う自分は実物よりきっと大きく膨らんでいるのでしょう。
どんな人も我を良しとする自惚れを大なり小なり持つもの。
外面の不足、あるいは過多は不承不承認める、内面の我は頑固に依怙地に
「正」と自惚れる。
「実は・・」と教える他人も少なくなる年齢に至ると未熟の確認は難しい。
ところが
私に似ているアチラの人は私の内外の不足や過多をそっくり見せている。
あ〜あ、再確認、他人に映る私は自分が思うよりず〜っと・・・・・
2006/7/19 15:37
明るい方へ 分類なし
木や草花が好きなのは立派で頼りがいがありそうとかきれいで儚いとか
側にいると気持ちが良いとかいろいろ。
もう一つの大きな理由は希望。
『明るい方へ』金子みすヾ
明るい方へ
明るい方へ
一つの葉でも
陽の洩るとこへ。
やぶかげの葉は、
明るい方へ
明るい方へ
・ ・ と、みすヾさんの詩は、まだ続くけれど
ここにある希望を私も木や花から受けます。
しぼむ気持ちを抱える時、木を見てふ〜っと大きな息をつくと胸が開く。
横隔膜の隅々にいっぱいの酸素と希望のようなものが広がる。
伏目勝ちに悩む何かを思う時、花を見て健気な心根に眉の剣もゆるむ。
そして望む方向への道を思い出す。
私のサイクルとは違う命に希望の灯をもらうのです。
今朝の桔梗。
なんてお行儀の悪いと叱る前に薄いベランダの陽射しの中、望む方向に
向ける顔に希望を見よう。
希望を持って少しの光を探し求める姿に我が身を重ね奮い立つ気持ちを
もらおう。
明るい方へ・・・向かう気持ち
明るい方へ・・・・・・湧いてくる希望
明るい方へ・・・・・・・・・・・小さな光を見つけ歩む一歩
今朝の桔梗、薄い陽射しをそれぞれの花がそれぞれの向かい方で何とか
取り込んでよく咲いたね〜
みすヾさんの詩を思い出し、ずっと前、若い友人に戴いた本を開く。
今朝も光の薄い朝でした。
2006/7/18 12:15
大きくなあれ! 分類なし
木の植え替えは梅雨時が良いと聞くので・・・
公園で拾ってきた何種かの実をパンパンと植木鉢の上で叩き、!ん芽?と
発見してから少しも大きくなっていない芽を梅雨真っ盛りのような
今朝、植え替えました。
休み明けの朝一番の仕事にしては地に足のついていない主婦のような
気がするけれど、それは置くことにして。
鉢を前に迷う。
『木』になるはずのこの芽たちの家は大きな鉢にしたいもの。
大きな鉢に1本が理想だな〜・・・でも、メダカ数匹をプールで飼う
ようなのもな〜
取りあえずは苗をもう少し大きくしよう、とテラコッタ鉢に1本づつ。
少し大きめの鉢には4本同居させることにしよう。
爪楊枝と並んで記念写真です。
桔梗の根元で遅々として身長の伸びない芽はツヤツヤの厚い双葉が
3つ、4つと増えてきている。
よく育ったね〜・・・でも・・・誰?
きっと木、多分、大きくなる木。
何年かして孫がやって来て言うだろう「おばあちゃまったらどうして
こんな大きな木をベランダに置いたのかな〜」
私が居なくてもきっと大きく育つ。
私の夢だった、本を読むのはいつでも木の下で、を誰かがするのだ。
涙が出そうにドキドキ嬉しい!
うるうるドキドキしながら芽の周りを竹串で少しづつほぐす。
大切に大切に、気をつけて〜根を切らないように〜
そっとほぐす・・・どこまでも、どこまでも??
長っ!
このちっちゃな芽に似合わない長い根がいつまでも出てくる。
土の中は、地上の見かけのチビより成長していた。
これが大きくなる証拠か?まずは根を張れという自然の摂理か?
都合の良い方向にしか考えの至らないのは私のいつもクセですけれど
これは大きくなる木に違いないと確信の朝でした。
2006/7/17 9:15
棕櫚の木 分類なし
ここに住んで何年も経つ、あの家も同じ年数見下ろしている。
家は建て変わったけれど庭の木は変わらない。
!今、気が付いたのだ、あの家にも1本の棕櫚の木!
蔦に巻きつかれてはいるがまさしく棕櫚。
助手席で相棒に言ったものです。
このあたりどこを走ってもどの家にも棕櫚の木があるのね〜
気がついてから頭を離れない、見れば必ずある・・なんだろう?
家の守り木か?
それから、自分で運転していても歩いていても何となく目は
棕櫚・・・無意識で探している、そして殆ど見つける。
どうも異国情緒ただよう棕櫚と日本の田園風景とは馴染まない
気がして違和感いっぱい。
街中の家の塀の上にあの無作法な葉を見つけても似合わネェ〜と
心の内で毒づく。
嫌なことに気づいてしまったと後悔しても遅い。
なにしろ無意識で探すのだから私の脳みそに責任はない。
やっぱり、と溜息すらつきそうになる。
多分、用の為なのだと自分の説得にかかる。
たとえ外来種であったとしてもその昔この地に場所を得たこの木は
重宝がられ我も我もとみな庭に植えたに違いない。
例えば箒に、例えば束子に消耗される品々の材料としての働きは
寒風吹けば打ち枯れる幅ったい大きな葉の惨めさも払拭するほど
なのだろう。
それにしても棕櫚の木で一代を成した植木屋とう話も聞かない。
どこで誰がどのように手に入れどうやって家々の庭の隅にどっかと
根を張ることになったのか????
不思議は調べたい私、見つけた言葉「自生する棕櫚の木は・・・・」
えぇぇ〜〜〜っ!自生もするの?
そう考えても南方の御陽気な雰囲気こそ似合う棕櫚。
自生ね〜〜
あ〜早く別な不思議にぶち当たらなければ、ずっと不安の棕櫚で占領
されそうな目や脳みそ。
自生する棕櫚か〜
2006/7/16 7:08
『蜘蛛の糸』 分類なし
どこの何が壊れるのだろうか?
クルクルと円を描きチリッと黒い点になって死んでしまった。
ベランダに点が一つ。
ベランダに置く鉢の土は、基本的には新しい土と入れ替える。
地面に住まない悲しさ、この限られた土の中で花を楽しもうというのです。
花と同じように虫を好きになってはいられない、だから清められた土を
使います。
植え込む苗についてきた虫は花を蝕み始めると「ごめん!」と
退治するしかない。
蟻は?蟻から受ける害などないのです。
このグラニュー糖一粒にも満たない小さな蟻がチクチク歩いているからと
言ってどうなのだ。
でも部屋との境のサッシュを乗り越え私のテリトリーに入るのだもの。
何かされたのか?
何も・・でも嫌だから嫌なの!
「蟻が入って困るなら」の薬を買った。
買ったけれど使えないでいました。
4匹目をリビングの床で見つけた時、決心して小さな袋の中身から蟻と同じ
グラニュー糖サイズの粒をパラッと4〜5粒落としてみる。
ベランダのグレーの上でピンクがかった白い粒は石英のように光る。
案の定、チクチク歩いてきた蟻はハタと止まり、思案。
よけて通り過ぎるのをホッとして見ていると「待てよ?」と戻る。
だめ〜っ!
我が身と同じ大きさのものを頬張っているのかどうか、あまりに小さな蟻の
あまりに小さな口など見えやしない。
フラフラ歩いていた蟻は急にクルクル・・・・
何もしていないのに・・・
何もされていないのに・・
身を守り維持するためにこそあやめても許される他者の命です。
カミサマは目をつぶり渋々許すのです。
大きな柄の中の命と点の中の命とどちらが重いかなどと言うまでもない。
憂鬱になる。
後ろめたい暗い気持ちになる。
炎天下働く蟻をよけて歩いた数時間前と、ベランダの点を見つめる私は
同じ人間です。
私の蜘蛛の糸はここで絶たれた。
命乞いなどするなよという声が聞こえる。
クルクルと円を描きチリッと黒い点になって死んでしまった。
ベランダに点が一つ。
ベランダに置く鉢の土は、基本的には新しい土と入れ替える。
地面に住まない悲しさ、この限られた土の中で花を楽しもうというのです。
花と同じように虫を好きになってはいられない、だから清められた土を
使います。
植え込む苗についてきた虫は花を蝕み始めると「ごめん!」と
退治するしかない。
蟻は?蟻から受ける害などないのです。
このグラニュー糖一粒にも満たない小さな蟻がチクチク歩いているからと
言ってどうなのだ。
でも部屋との境のサッシュを乗り越え私のテリトリーに入るのだもの。
何かされたのか?
何も・・でも嫌だから嫌なの!
「蟻が入って困るなら」の薬を買った。
買ったけれど使えないでいました。
4匹目をリビングの床で見つけた時、決心して小さな袋の中身から蟻と同じ
グラニュー糖サイズの粒をパラッと4〜5粒落としてみる。
ベランダのグレーの上でピンクがかった白い粒は石英のように光る。
案の定、チクチク歩いてきた蟻はハタと止まり、思案。
よけて通り過ぎるのをホッとして見ていると「待てよ?」と戻る。
だめ〜っ!
我が身と同じ大きさのものを頬張っているのかどうか、あまりに小さな蟻の
あまりに小さな口など見えやしない。
フラフラ歩いていた蟻は急にクルクル・・・・
何もしていないのに・・・
何もされていないのに・・
身を守り維持するためにこそあやめても許される他者の命です。
カミサマは目をつぶり渋々許すのです。
大きな柄の中の命と点の中の命とどちらが重いかなどと言うまでもない。
憂鬱になる。
後ろめたい暗い気持ちになる。
炎天下働く蟻をよけて歩いた数時間前と、ベランダの点を見つめる私は
同じ人間です。
私の蜘蛛の糸はここで絶たれた。
命乞いなどするなよという声が聞こえる。
