2008/4/25 19:47
ドイツ語1 8) ドイツ語勉強中です!
seing 動詞
----- Auf dem Bahnsteig プラットホームで
Tetsuo: Entshuldigung. Ist das der Zug nach Basel?
哲夫:すみません。これはバーゼル行きの列車ですか?
Bahnbeamter: Ja, das ist der Zug nach Basel.
駅員:はい。バーゼル行きの列車です。
Tetsuo: Danke schoen!
哲夫:ありがとう。
--- Im Zug 列車の中で
Tetsuo: Ist der Platz hier noch frei?
哲夫:この席はまだ空いていますか。
Frau Haller: Ja, der ist frei. Bitte!
ハーラー夫人:ええ、空いてますよ。どうぞ。
Tetsuo: Danke!
哲夫:どうも。
---------------------------------------------------------------------
Trackback73
----- Auf dem Bahnsteig プラットホームで
Tetsuo: Entshuldigung. Ist das der Zug nach Basel?
哲夫:すみません。これはバーゼル行きの列車ですか?
Bahnbeamter: Ja, das ist der Zug nach Basel.
駅員:はい。バーゼル行きの列車です。
Tetsuo: Danke schoen!
哲夫:ありがとう。
--- Im Zug 列車の中で
Tetsuo: Ist der Platz hier noch frei?
哲夫:この席はまだ空いていますか。
Frau Haller: Ja, der ist frei. Bitte!
ハーラー夫人:ええ、空いてますよ。どうぞ。
Tetsuo: Danke!
哲夫:どうも。
---------------------------------------------------------------------
Trackback73
2008/4/20 2:20
シトワ エン ドュ モーンド 3) アイデンティティー
シトワ エン ドュ モーンド(世界の住人)
私は日本人でありながらイギリス人と結婚し、今はフランスで生活している。そんな親を持つ子供達にとって、こんな事はとても迷惑な話だ。本当の意味でうちの子供達はイギリス人でもなく、日本人でもなく、フランス人でもない。だから自分のアイデンティティーを持てなくて可愛そうだという見方もできる。
そのため我が家では子供達に、「じゃあ、お前は一体、なに人なんだ?」と聞かれたら、「シトワ エン ドウ モーンド」つまり、「世界の住人だ」と答えなさい、と教えている。先ほどと逆の見方をすれば、うちの子供達はイギリス人でもあり、日本人でもあり、文化的にはフランス人でもあるという、欲張りで恵まれた環境にあるという見方もできるわけだ。
過去の歴史を振り返って見れば、これまでに引き起こされた戦争はすべてこのアイデンティティー、つまりグループ意識が原因となっている。そしてそれはある時は宗教として、ある時は国民として、またある時は肌の色など、種類は様々であるが、すべてはこの「アイデンティティー」に起因している。自分と同じグループの人々さえ幸福ならば、あとの人はどうなってもいい。死のうが苦しもうが、ざまあミロ、というわけだ。
本来、宗教というものは、人間が幸福になるためにあるべき物なのに、これまでの戦いの殆どがこの宗教上の問題から発足しており、それは現在でも続いている。自分の信者だけを救い、信者以外はどうなってもいいなんて、ふざけた話だ。神格の高い本当の神様であれば、信者であろうがなかろうが、世界人類、ネコも杓子も、すべてを救って下さるはずだ。信者以外を排斥しようというのなら、それは神様の意図ではなく、時の指導者の意図によるものであり、信者は利用されているだけに過ぎない。
外敵をつくる事で内部を団結され、その仲間意識を利用して、時の支配者は自分の勢力をつけて来た。ヒットラーはユダヤを、日本人は中国人や韓国人を、白人は黒人を、それぞれ虐待した。これらも全ては自分達以外の人種は人間ではないという考え方、つまりは「アイデンティティー」に起因している。
ところがうちの子供達のように世界各国に血のつながった親戚や、友人がいたらどうだろう。イギリスに祖父母や叔父、叔母、イトコ達がいるのと同様に日本にもいる。オーストラリアにもイトコがいるし、アメリカにも遠縁があり、フランスにもイギリスにもベルギーにも大勢のお友達がいる。私とて、その他にはポーランド人、ドイツ人の友人もいるし、その他にも色々な国の知り合いがいる。自分にとって「この人が傷ついたら直接悲しい」という人達が世界各国に散らばっていたら、どこの国とも戦争なんてする事はできない。
人類愛とか世界平和といった哲学的な言葉を使うと実感のわかない概念だったとしても、うちの子供達に「もし、イギリスと日本が戦争になったら、日本のじいちゃんやばあちゃんが死んでも、イギリスのグラニーとグランダディーが死んでもどっちも悲しいでしょ?」と聞けば、迷わず「うん」と答えが返って来る。そして、「人間には誰にでも家族がいて、それと同じ気持ちを皆が持っている」と説明すれば、世界中の人達の幸福を願うべきなのだという事を単純に理解する事ができる。
とかく狭くて閉鎖的な環境の中だけに暮らしていれば、気心の知れた「うちわ同士」には安心感を持ち、「よそ者」に対しては排他的になるものだ。そしてその「よそ者」にも家族がいて、親戚がいて、愛する人達がいるのだという、余りにも当たり前の事実を忘れてしまう。
但し、ここで忘れてはならないのが、このアイデンティティーには、「他のグループに対して自分のグループの方が優越である」という思い込みが誰にでも根底にあるという点だ。
西洋諸国では「自分達は世界のリーダーであり、世界中の平和は自分達の肩にすべてかかっているのだ」という傲慢な自尊心の元に無関係な他国の問題に武力介入しては余計に状況を悪化させて来たし、また「自分達の優れた文化を可愛そうで劣っているほかの文化の人に教えてあげて、幸せにしてあげなければならないのだ」という使命感までをも伴うおせっかいのために、多くの国の人々が価値観を喪失させられ、迷惑を被ってきた。
日本は戦争に負けた事によって、突如として西洋式の生活習慣や考え方を押し付けられた。それによって戦後、日本人はアイデンティティーを失い、価値観の拠り所を求めてずっと苦悩して来た。民主主義とか自由とか個性の尊重とか、これらの思想は元々が自分達の社会から必然的に生み出された概念ではないから、表に掲げているだけで、実際には誰にもよく理解できていなかったため、「自由イコール自分勝手」という単純な方式をもってして、多くの人々が利己的になり、物欲主義に陥ってしまったのだ。
しかし、これらはたまたま西洋人が時の権力を握ったからそうなっただけで、日本人が権力を握れば日本式に、ユダヤ人が握ればユダヤ式に、アラブ人が握ればアラブ人式に、それぞれが同じ事をしたはずだ。
だが本当の意味で「アイデンティティーを持つ」という事は、他人のアイデンティティーの存在をも認め、それを尊重しなければいけない。うちの子供達は日本の家では玄関で靴を脱ぎ、お風呂は外で洗うが、イギリスでは靴のままで、お風呂の水は外に出してはいけないという事を身体で知っている。
靴を脱ぐ方がいいのか悪いのか、お風呂は外で洗う方が良いのか悪いのか、優劣をつけようとすれば争いとなる。こうした違いに優劣をつけるのではなく、違いは違いとして理解する事が他人のアイデンティティーを尊重する第一歩だ。
「世界の住人」である私達はそれを「人権の尊重」とか「相互文化の理解」などといった哲学的概念としてではなく、もっと低次元で身近な、当たり前の常識として知っている。つまりは、人と人、文化と文化をつなぐ架け橋となる事のできる素晴らしい人種なのだ。だから「あなた達は世界の住人である事に誇りを持って生きていきなさい」と、私は子供達にそう教えている。
Trackback72
私は日本人でありながらイギリス人と結婚し、今はフランスで生活している。そんな親を持つ子供達にとって、こんな事はとても迷惑な話だ。本当の意味でうちの子供達はイギリス人でもなく、日本人でもなく、フランス人でもない。だから自分のアイデンティティーを持てなくて可愛そうだという見方もできる。
そのため我が家では子供達に、「じゃあ、お前は一体、なに人なんだ?」と聞かれたら、「シトワ エン ドウ モーンド」つまり、「世界の住人だ」と答えなさい、と教えている。先ほどと逆の見方をすれば、うちの子供達はイギリス人でもあり、日本人でもあり、文化的にはフランス人でもあるという、欲張りで恵まれた環境にあるという見方もできるわけだ。
過去の歴史を振り返って見れば、これまでに引き起こされた戦争はすべてこのアイデンティティー、つまりグループ意識が原因となっている。そしてそれはある時は宗教として、ある時は国民として、またある時は肌の色など、種類は様々であるが、すべてはこの「アイデンティティー」に起因している。自分と同じグループの人々さえ幸福ならば、あとの人はどうなってもいい。死のうが苦しもうが、ざまあミロ、というわけだ。
本来、宗教というものは、人間が幸福になるためにあるべき物なのに、これまでの戦いの殆どがこの宗教上の問題から発足しており、それは現在でも続いている。自分の信者だけを救い、信者以外はどうなってもいいなんて、ふざけた話だ。神格の高い本当の神様であれば、信者であろうがなかろうが、世界人類、ネコも杓子も、すべてを救って下さるはずだ。信者以外を排斥しようというのなら、それは神様の意図ではなく、時の指導者の意図によるものであり、信者は利用されているだけに過ぎない。
外敵をつくる事で内部を団結され、その仲間意識を利用して、時の支配者は自分の勢力をつけて来た。ヒットラーはユダヤを、日本人は中国人や韓国人を、白人は黒人を、それぞれ虐待した。これらも全ては自分達以外の人種は人間ではないという考え方、つまりは「アイデンティティー」に起因している。
ところがうちの子供達のように世界各国に血のつながった親戚や、友人がいたらどうだろう。イギリスに祖父母や叔父、叔母、イトコ達がいるのと同様に日本にもいる。オーストラリアにもイトコがいるし、アメリカにも遠縁があり、フランスにもイギリスにもベルギーにも大勢のお友達がいる。私とて、その他にはポーランド人、ドイツ人の友人もいるし、その他にも色々な国の知り合いがいる。自分にとって「この人が傷ついたら直接悲しい」という人達が世界各国に散らばっていたら、どこの国とも戦争なんてする事はできない。
人類愛とか世界平和といった哲学的な言葉を使うと実感のわかない概念だったとしても、うちの子供達に「もし、イギリスと日本が戦争になったら、日本のじいちゃんやばあちゃんが死んでも、イギリスのグラニーとグランダディーが死んでもどっちも悲しいでしょ?」と聞けば、迷わず「うん」と答えが返って来る。そして、「人間には誰にでも家族がいて、それと同じ気持ちを皆が持っている」と説明すれば、世界中の人達の幸福を願うべきなのだという事を単純に理解する事ができる。
とかく狭くて閉鎖的な環境の中だけに暮らしていれば、気心の知れた「うちわ同士」には安心感を持ち、「よそ者」に対しては排他的になるものだ。そしてその「よそ者」にも家族がいて、親戚がいて、愛する人達がいるのだという、余りにも当たり前の事実を忘れてしまう。
但し、ここで忘れてはならないのが、このアイデンティティーには、「他のグループに対して自分のグループの方が優越である」という思い込みが誰にでも根底にあるという点だ。
西洋諸国では「自分達は世界のリーダーであり、世界中の平和は自分達の肩にすべてかかっているのだ」という傲慢な自尊心の元に無関係な他国の問題に武力介入しては余計に状況を悪化させて来たし、また「自分達の優れた文化を可愛そうで劣っているほかの文化の人に教えてあげて、幸せにしてあげなければならないのだ」という使命感までをも伴うおせっかいのために、多くの国の人々が価値観を喪失させられ、迷惑を被ってきた。
日本は戦争に負けた事によって、突如として西洋式の生活習慣や考え方を押し付けられた。それによって戦後、日本人はアイデンティティーを失い、価値観の拠り所を求めてずっと苦悩して来た。民主主義とか自由とか個性の尊重とか、これらの思想は元々が自分達の社会から必然的に生み出された概念ではないから、表に掲げているだけで、実際には誰にもよく理解できていなかったため、「自由イコール自分勝手」という単純な方式をもってして、多くの人々が利己的になり、物欲主義に陥ってしまったのだ。
しかし、これらはたまたま西洋人が時の権力を握ったからそうなっただけで、日本人が権力を握れば日本式に、ユダヤ人が握ればユダヤ式に、アラブ人が握ればアラブ人式に、それぞれが同じ事をしたはずだ。
だが本当の意味で「アイデンティティーを持つ」という事は、他人のアイデンティティーの存在をも認め、それを尊重しなければいけない。うちの子供達は日本の家では玄関で靴を脱ぎ、お風呂は外で洗うが、イギリスでは靴のままで、お風呂の水は外に出してはいけないという事を身体で知っている。
靴を脱ぐ方がいいのか悪いのか、お風呂は外で洗う方が良いのか悪いのか、優劣をつけようとすれば争いとなる。こうした違いに優劣をつけるのではなく、違いは違いとして理解する事が他人のアイデンティティーを尊重する第一歩だ。
「世界の住人」である私達はそれを「人権の尊重」とか「相互文化の理解」などといった哲学的概念としてではなく、もっと低次元で身近な、当たり前の常識として知っている。つまりは、人と人、文化と文化をつなぐ架け橋となる事のできる素晴らしい人種なのだ。だから「あなた達は世界の住人である事に誇りを持って生きていきなさい」と、私は子供達にそう教えている。
Trackback72
2008/4/20 1:46
子供の自尊心を育てるには 4) ペアレンツリンク
子供の自尊心を育てるには
〜イギリスの子育てサポートグループ
「ペアレンツリンク」の研究レポート〜
親家業ほど重要ではあるけれども疲れるものはありません。天使のようなお子様に恵まれた方ならいざ知らず、我が家の様にギーギーガーガー動物園状態になっている場合は、どうやって怒鳴らずに日々子供と付き合って行ったらよいのかが重要な課題となります。子供との関係がうまく行かない、子供がどうも自信がない等といった悩みは、親にとってはとてもつらいものです。その上、親が元気でないと子供にも反映します。
そこで、私が参加した「ペアレンツリンク」という英国人の母親セミナーの内容を日本語で簡略にご紹介致します。
自分を鏡に写すとき、鏡の中の自分を他人の目から見る実態より、その時の自分の心の状態によって、自分にとっての事実が異なるものです。私なりに定義すれば自尊心とは「いかに自分が自分に満足するか」という事だと思います。
生まれたての赤ちゃんは自分を知りません。自分に送られるメッセージから自分がどんなものなのかを判断しようとします。ですから愛情を注げば「自分は愛情を注ぐに値するもの、大切なもの」と信じ、それが精神の安定と発達に重要な役割を果たします。逆に、常に否定され批判され続けた経験は「自分は駄目で価値のないもの」と信じさせ、自信を失わせます。
役に立つからとか、いい子だからとかいった条件付きではなく、ただ自分の存在自体が価値のあるものだと信じる事が自尊心の第一歩なのです。英語ではGolden Centreと呼ぶ自分の奥底に存在する実態の価値を認めることです。
親がどんなに願っても、子供が苦痛を味わう経験を阻止し切れるものではありません。魚を与え続ける事と、魚を取る道具や手段を与え、自分で魚が取れるようにしてやる事と、どちらが真の意味での手助けとなるのでしょうか。
ご自分が自信を失っている時、どんな事が助けとなり、逆にどんな事が不快だったかを時には見直す事も大切です。子供が感情的になっている時には理屈で諭そうとするよりは、まずは勘定の問題に焦点を置くと良いでしょう。嫉妬や怒り等のマイナス感情も、感情を持つ事自体を否定してしまうのは良くありません。子供はその感情を持つ自分がおかしいと思い、自分の感情や自分自身の価値を否定する事になります。
まずは子供がその感情を持っている事に対して理解を示してやりましょう。その上で、そういった感情に対処する方法を教えてやると効果的です。子供は自分を認めてもらったことで満足し、合理的な解決策を納得できるものです。こうした経験の積み重ねにより、子供は思い通りにならない事に対する自分なりの感情処理方法を身につけて行きます。
頭の中にピンクの象を描いて下さい。そして次にそれを打ち消してください。まだ象は頭の中に残っていますか? 人間は言葉で行動のイメージを作るものです。そのため、子供に注意する時には「走るな、こぼすな」等の否定文を使うより、「歩きなさい、両手で持ちなさい」と言った肯定文を使う方が言葉による自己暗示を効果的に利用できます。
すべての行為は時と場合によってすべきであったり、してはいけなかったりするもので、「投げる、走る
などの行為も、それ自体が「禁止の行為」なわけではありません。行為自体を罪悪視するのではなく、「投げるのはボールね。走るのは運動場でね」といった肯定的な行動と併せて子供に想像しやすいイメージを与えてあげましょう。
「あなたのせいでお母さんは頭が痛い」など、子供を攻める叱り方は子供に「責任を他人に押し付ける方法」を教えているようなものなので、注意しましょう。逆に、「お手伝いしてくれたから、お母さんは嬉しいわ」というような言い方は、一見、褒めているように見えますが、実際には「条件付の愛」という印象と、「常にその行為を繰り返す事を期待されている」というプレッシャーを子供に与える可能性もあるので、要注意です。
褒める時は「上手ね、偉いね」と言うだけでなく、どんな事をしたどんな点がどのように良かったのかといった具体的な褒め方を心がけると、子供の自尊心を育てるのに大変効果的ですので、ちょっと試してみて下さい。
Trackback71
--------------------------------------------
フランクフルト、ドイツでコンピュータのことなら⇒ コマツ・コンピュータ
〜イギリスの子育てサポートグループ
「ペアレンツリンク」の研究レポート〜
親家業ほど重要ではあるけれども疲れるものはありません。天使のようなお子様に恵まれた方ならいざ知らず、我が家の様にギーギーガーガー動物園状態になっている場合は、どうやって怒鳴らずに日々子供と付き合って行ったらよいのかが重要な課題となります。子供との関係がうまく行かない、子供がどうも自信がない等といった悩みは、親にとってはとてもつらいものです。その上、親が元気でないと子供にも反映します。
そこで、私が参加した「ペアレンツリンク」という英国人の母親セミナーの内容を日本語で簡略にご紹介致します。
自分を鏡に写すとき、鏡の中の自分を他人の目から見る実態より、その時の自分の心の状態によって、自分にとっての事実が異なるものです。私なりに定義すれば自尊心とは「いかに自分が自分に満足するか」という事だと思います。
生まれたての赤ちゃんは自分を知りません。自分に送られるメッセージから自分がどんなものなのかを判断しようとします。ですから愛情を注げば「自分は愛情を注ぐに値するもの、大切なもの」と信じ、それが精神の安定と発達に重要な役割を果たします。逆に、常に否定され批判され続けた経験は「自分は駄目で価値のないもの」と信じさせ、自信を失わせます。
役に立つからとか、いい子だからとかいった条件付きではなく、ただ自分の存在自体が価値のあるものだと信じる事が自尊心の第一歩なのです。英語ではGolden Centreと呼ぶ自分の奥底に存在する実態の価値を認めることです。
親がどんなに願っても、子供が苦痛を味わう経験を阻止し切れるものではありません。魚を与え続ける事と、魚を取る道具や手段を与え、自分で魚が取れるようにしてやる事と、どちらが真の意味での手助けとなるのでしょうか。
ご自分が自信を失っている時、どんな事が助けとなり、逆にどんな事が不快だったかを時には見直す事も大切です。子供が感情的になっている時には理屈で諭そうとするよりは、まずは勘定の問題に焦点を置くと良いでしょう。嫉妬や怒り等のマイナス感情も、感情を持つ事自体を否定してしまうのは良くありません。子供はその感情を持つ自分がおかしいと思い、自分の感情や自分自身の価値を否定する事になります。
まずは子供がその感情を持っている事に対して理解を示してやりましょう。その上で、そういった感情に対処する方法を教えてやると効果的です。子供は自分を認めてもらったことで満足し、合理的な解決策を納得できるものです。こうした経験の積み重ねにより、子供は思い通りにならない事に対する自分なりの感情処理方法を身につけて行きます。
頭の中にピンクの象を描いて下さい。そして次にそれを打ち消してください。まだ象は頭の中に残っていますか? 人間は言葉で行動のイメージを作るものです。そのため、子供に注意する時には「走るな、こぼすな」等の否定文を使うより、「歩きなさい、両手で持ちなさい」と言った肯定文を使う方が言葉による自己暗示を効果的に利用できます。
すべての行為は時と場合によってすべきであったり、してはいけなかったりするもので、「投げる、走る
などの行為も、それ自体が「禁止の行為」なわけではありません。行為自体を罪悪視するのではなく、「投げるのはボールね。走るのは運動場でね」といった肯定的な行動と併せて子供に想像しやすいイメージを与えてあげましょう。
「あなたのせいでお母さんは頭が痛い」など、子供を攻める叱り方は子供に「責任を他人に押し付ける方法」を教えているようなものなので、注意しましょう。逆に、「お手伝いしてくれたから、お母さんは嬉しいわ」というような言い方は、一見、褒めているように見えますが、実際には「条件付の愛」という印象と、「常にその行為を繰り返す事を期待されている」というプレッシャーを子供に与える可能性もあるので、要注意です。
褒める時は「上手ね、偉いね」と言うだけでなく、どんな事をしたどんな点がどのように良かったのかといった具体的な褒め方を心がけると、子供の自尊心を育てるのに大変効果的ですので、ちょっと試してみて下さい。
Trackback71
--------------------------------------------
フランクフルト、ドイツでコンピュータのことなら⇒ コマツ・コンピュータ
2008/4/20 1:44
子供にレッテルを貼る 4) ペアレンツリンク
子供にレッテルを貼る
〜イギリスの子育てサポートグループ
「ペアレンツリンク」の研究レポート〜 TB007
日常の生活を振り返ってみると、頭の悪い子だの駄目な子だのと、私達は何の抵抗もなく子供の人格に対して単純に分類わけして、子供にレッテルを貼っているものです。
では、ここでご自分が子供だった頃のことを思い出してみましょう。悪いレッテルを貼られた時、どのように感じられたでしょうか。
「劣等感を持ったり、自分を過小評価するようになった」、「そう言われて頭に来たから、わざとそうしてやれと余計に悪くなった」、など、マイナスの結果が殆どでした。中には「奮発してそうじゃないと証明しようと努力した」という前向きな意見はあったものの、これもいくら努力しても否定され続けてしまうと、結局は自信を失う結果となってしまうようです。
では、逆に良いレッテルを貼られた時はどうでしょうか。「自信をもった」、「自分を過大評価して鼻が高くなりすぎた」等という意見の他に、「そう言われてそうせざるを得ないプレッシャーに苦しんだ」という人もいました。
ある人は『親切な子』と言われて来たので、弟や妹が自分達の分のお菓子を食べ終えてなお、彼女に「ちょうだい」とねだって来ても、「これは私の分よ」と断る事が、つい最近になるまでできなかったのだそうです。
つまり、周囲から「この子は常にこうする」と期待されてしまうと、そうしなかった、またはそうできなかった時に自分の存在価値を失ってしまう事を意味するわけで、子供にとってそれは大変なプレッシャーなのです。
この場合、得に危険な事は「自分自身に嘘をついている事に本人すら気がつかないこともある」という点で、親が本人の意思を確認したりしても、子供は「親が子供にそう答えてもらいたい」と思っている答えを本能的に読み取ってその通りに答えたりするので、隠された子供の本心を本人から聞き出す事ができない場合もあるという点です。
子供にとって親から褒められる事や親の感心を引く事は死活問題であり、その為にはそれにそぐわない自分の性格や感情は存在すべきものではなく、心のバケツに突っ込んで蓋をしてしまい、なかった事にしてしまうものなのです。
しかし、それを長年くり返していくうちに、バケツの中に閉じ込められた本当の自分は行き場もなく蓄積されていく一方ですから、そのうちに中で腐食し、ガスまでたまり、いずれ大爆発を起こしたりする事もあるわけです。こうして「ある日突然、人が変わってしまって周囲がびっくりする」という事が起こったりするものだと思います。
人間には誰にも様々な側面があるものであり、環境や立場、相手によっても、また、その日の気分によってすら正確も態度も能力までも変化するものです。にもかかわらず、「お前はこういう奴だ」と一方的に決め付けることは、子供の微妙な変化を受け止めてやる努力を怠っている事でもあります。
つまりは一つの事象ですべての人格を評価するのではなく、その場その場でやった事や出て来た結果に対してのみ、叱ったり褒めたりするように心掛ける事が、子供にへんなコンプレックスを与えたり、性格をゆがめたりせず、子供の素直な成長を促す為にとても大切な事なのです。
叱る時は単に「悪い子だ」と言うのではなく、「今、あなたのした事は悪い事であり、直して欲しいから注意しているのであって、貴方を嫌いになったわけではない」という点を明確にして叱る事が大切です。
一方、褒める時は、その結果や行為を繰り返す事を期待しない、そうでなかったからと言って親からの愛情が変わるわけではないという逃げ場を子供に与えてやるなどの配慮をしながら褒めると良いでしょう。
レポーターより:
親の側からすれば、誰もが子供に良かれと思ってやっている事なのに、ほんの少しの言葉の使い方の違いで、こんなにも違った結果を招くものだとは、、、子育ては奥が深く、また、これは子育てだけではなく、職場のボスと部下の人間関係にも通じるものがあり、大変関心させられました。
Trackback70
〜イギリスの子育てサポートグループ
「ペアレンツリンク」の研究レポート〜 TB007
日常の生活を振り返ってみると、頭の悪い子だの駄目な子だのと、私達は何の抵抗もなく子供の人格に対して単純に分類わけして、子供にレッテルを貼っているものです。
では、ここでご自分が子供だった頃のことを思い出してみましょう。悪いレッテルを貼られた時、どのように感じられたでしょうか。
「劣等感を持ったり、自分を過小評価するようになった」、「そう言われて頭に来たから、わざとそうしてやれと余計に悪くなった」、など、マイナスの結果が殆どでした。中には「奮発してそうじゃないと証明しようと努力した」という前向きな意見はあったものの、これもいくら努力しても否定され続けてしまうと、結局は自信を失う結果となってしまうようです。
では、逆に良いレッテルを貼られた時はどうでしょうか。「自信をもった」、「自分を過大評価して鼻が高くなりすぎた」等という意見の他に、「そう言われてそうせざるを得ないプレッシャーに苦しんだ」という人もいました。
ある人は『親切な子』と言われて来たので、弟や妹が自分達の分のお菓子を食べ終えてなお、彼女に「ちょうだい」とねだって来ても、「これは私の分よ」と断る事が、つい最近になるまでできなかったのだそうです。
つまり、周囲から「この子は常にこうする」と期待されてしまうと、そうしなかった、またはそうできなかった時に自分の存在価値を失ってしまう事を意味するわけで、子供にとってそれは大変なプレッシャーなのです。
この場合、得に危険な事は「自分自身に嘘をついている事に本人すら気がつかないこともある」という点で、親が本人の意思を確認したりしても、子供は「親が子供にそう答えてもらいたい」と思っている答えを本能的に読み取ってその通りに答えたりするので、隠された子供の本心を本人から聞き出す事ができない場合もあるという点です。
子供にとって親から褒められる事や親の感心を引く事は死活問題であり、その為にはそれにそぐわない自分の性格や感情は存在すべきものではなく、心のバケツに突っ込んで蓋をしてしまい、なかった事にしてしまうものなのです。
しかし、それを長年くり返していくうちに、バケツの中に閉じ込められた本当の自分は行き場もなく蓄積されていく一方ですから、そのうちに中で腐食し、ガスまでたまり、いずれ大爆発を起こしたりする事もあるわけです。こうして「ある日突然、人が変わってしまって周囲がびっくりする」という事が起こったりするものだと思います。
人間には誰にも様々な側面があるものであり、環境や立場、相手によっても、また、その日の気分によってすら正確も態度も能力までも変化するものです。にもかかわらず、「お前はこういう奴だ」と一方的に決め付けることは、子供の微妙な変化を受け止めてやる努力を怠っている事でもあります。
つまりは一つの事象ですべての人格を評価するのではなく、その場その場でやった事や出て来た結果に対してのみ、叱ったり褒めたりするように心掛ける事が、子供にへんなコンプレックスを与えたり、性格をゆがめたりせず、子供の素直な成長を促す為にとても大切な事なのです。
叱る時は単に「悪い子だ」と言うのではなく、「今、あなたのした事は悪い事であり、直して欲しいから注意しているのであって、貴方を嫌いになったわけではない」という点を明確にして叱る事が大切です。
一方、褒める時は、その結果や行為を繰り返す事を期待しない、そうでなかったからと言って親からの愛情が変わるわけではないという逃げ場を子供に与えてやるなどの配慮をしながら褒めると良いでしょう。
レポーターより:
親の側からすれば、誰もが子供に良かれと思ってやっている事なのに、ほんの少しの言葉の使い方の違いで、こんなにも違った結果を招くものだとは、、、子育ては奥が深く、また、これは子育てだけではなく、職場のボスと部下の人間関係にも通じるものがあり、大変関心させられました。
Trackback70
2008/4/20 1:42
理想的母親像という名の罠 4) ペアレンツリンク
理想的母親像という名の罠
〜イギリスの子育てサポートグループ
「ペアレンツリンク」の研究レポート〜 TB006
初めて子供が生まれた時には喜びと感動に満ち溢れ、「この子がただ健康で幸福ならそれで充分だ」と思ったのも束の間、他の子供の成長と比べて焦ったり悩んだりと、いつの間にか競争社会の中にはまってしまうという事はよくある事です。
世に言われる「理想的な母親」というのは、具体的にどんな要素が上がるでしょうか? 「常に子供がお行儀がよく親の言う事をきく」、「常に規則正しい生活をさせる」、「早く読み書き勘定ができるようにさせる」、「常に子供と一緒にいる」、「早くおむつをはずさせる」、「離乳食はすべて手作り」、「母乳だけで育てる」など色々と挙げられますが、これらのすべてを実際に実行なさっている方がいらしたら、その方はそれこそ偉大です。
私はと言えば、全部が失敗。私なりにがんばったのですが、やっぱり無理でした。「理想」実行できない事を「失敗」と呼びますが、この「敗北感」が「理想的な母親像」という名の罠に陥る最大の原因となるのだそうです。
もう一度、理想像の要素を振り返ってみましょう。「常に」とか「絶対に」ではなく、「できるだけ」とか「なるべく」という言葉を添え直してみると、自分でも何とか達成できていた事も増えるのではないでしょうか?
この「達成感」が大切なのだそうで、「この位できれば、まあいいか」とか「できなかったけど、人生、このくらいの事は重大な過失ではないから、まあいいか」といった気持ちを持つ事によって、ゆとりを持って子供に接する事ができます。
逆に「敗北感」を感じて子供に接するとどうでしょう? 極端なケースになると、自分を敗北者に追いやった原因である子供に憎しみさえ感じられるケースもあるのだそうです。
もともとは自分でも、そんなにまで高い理想を掲げていたわけではなかったのに、姑や母親、先生や医者、近所の人や会社の人などのアドバイスや中傷、本で読んだり人に聞いたりしてできあがる価値観などによって、いつの間にか他人からのプレッシャーに操られてしまい、自分で自分を苦しめてしまうのです。
特に真面目で教育熱心な人がこの罠にはまる事が多く、ヘビのトグロのように縛り付けられてしまいます。
私もその昔、1歳までにオムツを取ったという姑と義姉からさんざん責め立てられ、幼稚園の入園までに取らなければと焦って、「おだてても駄目ならぶつしかない」と、毎日特訓を続けたのですが、どうしても取れなくて、焦りと敗北感で疲れ切ってしまいました。
ところが、できないものは仕方がないと、ついに諦めて幼稚園の入園を遅らせて欲しいと電話を入れた途端、信じられないほど簡単に歩ロッとおむつが取れてしまいました。
それまでは「うちの子はこれもまだできない、あれも遅れている」と、できない事ばかりに目が行っていたものが、私自身が焦りと執着を捨てることによって、「昨日できなかった事が今日はできるようになった」と、できりょうになったという事実の方に注目でき、褒めてあげる事が増えた為、子供も敗北感から解放されて自由な成長を遂げられたのだと思います。私自身も「偉い母親」より「幸せなお母さん」でいる方が自分にはあっているので、ずっとラクになりました。
よくよく考えてみると、実はご主人がプレッシャーを与える最大の原因となっていた、、とい場合もあるようです。妻にばかり責任を押し付けて追い詰めず、夫婦でよく話し合い、協力しあうことが何よりも大切です。
私もこのセミナーをきっかけに夫と話し合って、我が家では私達の理想像を「頭がよいとか、いい子だとかいう条件付きではなく、子供をあるがままに愛する」、「子供からのサインを敏感にキャッチする」、「一人の人間として子供の人格を尊重する」という3点に絞りました。
人それぞれの考え方や価値観、性格などによって各家庭で理想とするものは異なると思いますが、夫婦がよく話し合って協力し合い、同じ方向に一緒に歩んでいれば、子供は安定して成長していくものではないかと思います。
まずは自分がはあってしまっている罠に自分で気づき、自分をその罠から解放してあげることから始めましょう。あなたを裁いているのは他でもない、あなた自身なのかも知れません。
Trackback69
----------------------------------------------
フランクフルト、ドイツで健康と美容のことなら⇒ KHSヘルスケア
〜イギリスの子育てサポートグループ
「ペアレンツリンク」の研究レポート〜 TB006
初めて子供が生まれた時には喜びと感動に満ち溢れ、「この子がただ健康で幸福ならそれで充分だ」と思ったのも束の間、他の子供の成長と比べて焦ったり悩んだりと、いつの間にか競争社会の中にはまってしまうという事はよくある事です。
世に言われる「理想的な母親」というのは、具体的にどんな要素が上がるでしょうか? 「常に子供がお行儀がよく親の言う事をきく」、「常に規則正しい生活をさせる」、「早く読み書き勘定ができるようにさせる」、「常に子供と一緒にいる」、「早くおむつをはずさせる」、「離乳食はすべて手作り」、「母乳だけで育てる」など色々と挙げられますが、これらのすべてを実際に実行なさっている方がいらしたら、その方はそれこそ偉大です。
私はと言えば、全部が失敗。私なりにがんばったのですが、やっぱり無理でした。「理想」実行できない事を「失敗」と呼びますが、この「敗北感」が「理想的な母親像」という名の罠に陥る最大の原因となるのだそうです。
もう一度、理想像の要素を振り返ってみましょう。「常に」とか「絶対に」ではなく、「できるだけ」とか「なるべく」という言葉を添え直してみると、自分でも何とか達成できていた事も増えるのではないでしょうか?
この「達成感」が大切なのだそうで、「この位できれば、まあいいか」とか「できなかったけど、人生、このくらいの事は重大な過失ではないから、まあいいか」といった気持ちを持つ事によって、ゆとりを持って子供に接する事ができます。
逆に「敗北感」を感じて子供に接するとどうでしょう? 極端なケースになると、自分を敗北者に追いやった原因である子供に憎しみさえ感じられるケースもあるのだそうです。
もともとは自分でも、そんなにまで高い理想を掲げていたわけではなかったのに、姑や母親、先生や医者、近所の人や会社の人などのアドバイスや中傷、本で読んだり人に聞いたりしてできあがる価値観などによって、いつの間にか他人からのプレッシャーに操られてしまい、自分で自分を苦しめてしまうのです。
特に真面目で教育熱心な人がこの罠にはまる事が多く、ヘビのトグロのように縛り付けられてしまいます。
私もその昔、1歳までにオムツを取ったという姑と義姉からさんざん責め立てられ、幼稚園の入園までに取らなければと焦って、「おだてても駄目ならぶつしかない」と、毎日特訓を続けたのですが、どうしても取れなくて、焦りと敗北感で疲れ切ってしまいました。
ところが、できないものは仕方がないと、ついに諦めて幼稚園の入園を遅らせて欲しいと電話を入れた途端、信じられないほど簡単に歩ロッとおむつが取れてしまいました。
それまでは「うちの子はこれもまだできない、あれも遅れている」と、できない事ばかりに目が行っていたものが、私自身が焦りと執着を捨てることによって、「昨日できなかった事が今日はできるようになった」と、できりょうになったという事実の方に注目でき、褒めてあげる事が増えた為、子供も敗北感から解放されて自由な成長を遂げられたのだと思います。私自身も「偉い母親」より「幸せなお母さん」でいる方が自分にはあっているので、ずっとラクになりました。
よくよく考えてみると、実はご主人がプレッシャーを与える最大の原因となっていた、、とい場合もあるようです。妻にばかり責任を押し付けて追い詰めず、夫婦でよく話し合い、協力しあうことが何よりも大切です。
私もこのセミナーをきっかけに夫と話し合って、我が家では私達の理想像を「頭がよいとか、いい子だとかいう条件付きではなく、子供をあるがままに愛する」、「子供からのサインを敏感にキャッチする」、「一人の人間として子供の人格を尊重する」という3点に絞りました。
人それぞれの考え方や価値観、性格などによって各家庭で理想とするものは異なると思いますが、夫婦がよく話し合って協力し合い、同じ方向に一緒に歩んでいれば、子供は安定して成長していくものではないかと思います。
まずは自分がはあってしまっている罠に自分で気づき、自分をその罠から解放してあげることから始めましょう。あなたを裁いているのは他でもない、あなた自身なのかも知れません。
Trackback69
----------------------------------------------
フランクフルト、ドイツで健康と美容のことなら⇒ KHSヘルスケア
2008/4/20 1:39
我が家の選択 5) 日本との適応
我が家の選択
海外に住む日本人にとって「親のキャリア」と「子供の教育」を両立させる問題は常について回るものです。
日本国内で転校をするだけでも、新しい学校の学習進度や環境に溶け込むのは大変な事です。ましてやそれが、言葉や文化のまったく異なる外国への移転は、人間関係や環境、教育システムの変化だけでなく、状況によっては子供の「母国語」までをも変えさせなければならない場合もあり、海外生活は来る時も大変だが、帰る時もまた大変です。
こと教育の問題に至っては、子供の持って生まれた資質や能力、何歳で来て何歳で帰るか、親は両親とも日本人か、そうでないか等、それぞれの状況によって異なるので、「これが一番正しい方法」というものが存在しないものです。だからこそ、教育に対する親の正しい知識や認識、判断力が必要不可欠となります。
そんな時「よその家では何を決め手とし、どんな選択をしているのだろう。」という実際例をちょっと覗いて見るのも、時には大変参考になるものです。そこで今回は実際の「選択例」を幾つかご紹介致します。
田中家の選択
ドイツに駐在して5年になる田中さん
ご一家は、奥様と3人の娘を引連れて2000年8月に着任し、長女(17歳)がインターナショナルスクールを卒業する2006年6月に家族共々帰国する予定でした。しかしながらこの春に本社のある部門のポジションをオファーされ、熟考の末に受入れることを決められたのだという事です。従って、田中さんは長女、三女(小6)奥様の3名と犬一匹を来年6月迄ドイツに残し、単身での帰任となります。
因みに次女(高1)は田中さんの元々の任期を考慮して、今春に家族より一足先に帰国させ、京都の高校大学一貫教育の高校へ寮住まいで通わせています。今回の田中さんの帰任により、田中家の5人と一匹は、広島、京都、デュッセルドルフと国内外で「一家離散状態」になります。
田中さんがこの意思決定をするに当っては、次の点を考慮されたそうです。
先ず娘たちの教育及び将来について。
長女はインターナショナルスクールで習得した、日本の平均的高校生より若干優るであろう英語力と国際感覚を持って日本の大学へ帰国子女進学を予定。次女は今のペースで勉学と部活動に励み寮生活をエンジョイし、三女はドイツでの生活、日本人学校で学んだことと友達を大切にし、こちらで卒業式を迎えさせてやりたい。他方、田中さんはこれまでの業務経験が充分生かせる広島本社の新たな部門で心機一転頑張りたいとのこと。因みに今回の選択は、グローバルに家族を支える奥様の存在なくしてはあり得なかったとのことです。
ということで、8月末から田中さんご一家の新しい生活がスタートします。家族がそれぞれ、別々の道を歩まれて、それぞれが成長し、更に家族の絆が強くなるであろう事を心から願っています。
タイマンス家の選択
ご主人がベルギー人であるタイマンスさんご一家はご主人の仕事の関係で、しばらくはアメリカに住んでいました。でもアメリカの教育レベルは予想以上に低く、「アメリカ」という文化も歴史もなく、しかも危険な環境で暮らしていくストレスは何事にも変えられないという事で、ご主人は欧州勤務を希望して、英国に転勤となりました。
しかし英国はアメリカに比べて物価も高く、子供の私立の教育費や税金など、生活費全般がとても上がり、あまり満足のできる生活ではありませんでした。と同時に、タイマンスさんは仕事柄、各国を転々とする今の状況と、このままではベルギー人の父と日本人の母を持つ子供の母国語が、両親どちらの母国語でもない「英語」となってしまう事への危惧も強く感じていたという事です。
お子さんも6歳となった今、子供には一貫した教育システムとアイデンティティーを与えてやりたいと決意し、タイマンスさんはご主人の母国であるベルギーを「子供の教育の場」として選択する事にしました。
しかしご主人の仕事場が英国にある事は変えられません。仕方なく、今はご主人は英国に単身で残り、奥様とお子さんはベルギーで暮らして学校に通い、ご主人は週末にベルギーに帰って来るという生活スタイルを取る事にしたそうです。
お子さんはそれまで「英語」で教育を受けてきたので、母国語を変えさせるのは大変だし、言葉ができないことで苛められたり、つらい思いをする事もあったりしたとか。その涙を見た時、タイマンスさんは、「親の都合で、一度は変えさせた母国語だが、もう二度とこんな事はしない。この子が流したこの涙を絶対に無駄にはさせない。」と心に誓ったのだそうです。そして「今後、子供にはベルギーの教育システムで一貫した教育を受けさせ、ベルギー人としての文化と誇りを身につけさせる」と、硬く決意したという事です。
それぞれの家庭で、それぞれの状況に応じ、それぞれの基準によって決めた、それぞれの選択。状況の変化に直面して、あれこれ悩むことはあっても、結局は「何が一番大切なのか」という「人生の急所」さえ押えていれば、自分が選択するべき道は自然に見えてくるものなのだと思います。
Trackback68
--------------------------------------------------------------
ビジネス・パーク・フーフル
フランクフルト、ドイツを中心に、世界を舞台に活躍する人々や
企業を応援するビジネスパーク。役立つ情報が満載です!
海外に住む日本人にとって「親のキャリア」と「子供の教育」を両立させる問題は常について回るものです。
日本国内で転校をするだけでも、新しい学校の学習進度や環境に溶け込むのは大変な事です。ましてやそれが、言葉や文化のまったく異なる外国への移転は、人間関係や環境、教育システムの変化だけでなく、状況によっては子供の「母国語」までをも変えさせなければならない場合もあり、海外生活は来る時も大変だが、帰る時もまた大変です。
こと教育の問題に至っては、子供の持って生まれた資質や能力、何歳で来て何歳で帰るか、親は両親とも日本人か、そうでないか等、それぞれの状況によって異なるので、「これが一番正しい方法」というものが存在しないものです。だからこそ、教育に対する親の正しい知識や認識、判断力が必要不可欠となります。
そんな時「よその家では何を決め手とし、どんな選択をしているのだろう。」という実際例をちょっと覗いて見るのも、時には大変参考になるものです。そこで今回は実際の「選択例」を幾つかご紹介致します。
田中家の選択
ドイツに駐在して5年になる田中さん
ご一家は、奥様と3人の娘を引連れて2000年8月に着任し、長女(17歳)がインターナショナルスクールを卒業する2006年6月に家族共々帰国する予定でした。しかしながらこの春に本社のある部門のポジションをオファーされ、熟考の末に受入れることを決められたのだという事です。従って、田中さんは長女、三女(小6)奥様の3名と犬一匹を来年6月迄ドイツに残し、単身での帰任となります。
因みに次女(高1)は田中さんの元々の任期を考慮して、今春に家族より一足先に帰国させ、京都の高校大学一貫教育の高校へ寮住まいで通わせています。今回の田中さんの帰任により、田中家の5人と一匹は、広島、京都、デュッセルドルフと国内外で「一家離散状態」になります。
田中さんがこの意思決定をするに当っては、次の点を考慮されたそうです。
先ず娘たちの教育及び将来について。
長女はインターナショナルスクールで習得した、日本の平均的高校生より若干優るであろう英語力と国際感覚を持って日本の大学へ帰国子女進学を予定。次女は今のペースで勉学と部活動に励み寮生活をエンジョイし、三女はドイツでの生活、日本人学校で学んだことと友達を大切にし、こちらで卒業式を迎えさせてやりたい。他方、田中さんはこれまでの業務経験が充分生かせる広島本社の新たな部門で心機一転頑張りたいとのこと。因みに今回の選択は、グローバルに家族を支える奥様の存在なくしてはあり得なかったとのことです。
ということで、8月末から田中さんご一家の新しい生活がスタートします。家族がそれぞれ、別々の道を歩まれて、それぞれが成長し、更に家族の絆が強くなるであろう事を心から願っています。
タイマンス家の選択
ご主人がベルギー人であるタイマンスさんご一家はご主人の仕事の関係で、しばらくはアメリカに住んでいました。でもアメリカの教育レベルは予想以上に低く、「アメリカ」という文化も歴史もなく、しかも危険な環境で暮らしていくストレスは何事にも変えられないという事で、ご主人は欧州勤務を希望して、英国に転勤となりました。
しかし英国はアメリカに比べて物価も高く、子供の私立の教育費や税金など、生活費全般がとても上がり、あまり満足のできる生活ではありませんでした。と同時に、タイマンスさんは仕事柄、各国を転々とする今の状況と、このままではベルギー人の父と日本人の母を持つ子供の母国語が、両親どちらの母国語でもない「英語」となってしまう事への危惧も強く感じていたという事です。
お子さんも6歳となった今、子供には一貫した教育システムとアイデンティティーを与えてやりたいと決意し、タイマンスさんはご主人の母国であるベルギーを「子供の教育の場」として選択する事にしました。
しかしご主人の仕事場が英国にある事は変えられません。仕方なく、今はご主人は英国に単身で残り、奥様とお子さんはベルギーで暮らして学校に通い、ご主人は週末にベルギーに帰って来るという生活スタイルを取る事にしたそうです。
お子さんはそれまで「英語」で教育を受けてきたので、母国語を変えさせるのは大変だし、言葉ができないことで苛められたり、つらい思いをする事もあったりしたとか。その涙を見た時、タイマンスさんは、「親の都合で、一度は変えさせた母国語だが、もう二度とこんな事はしない。この子が流したこの涙を絶対に無駄にはさせない。」と心に誓ったのだそうです。そして「今後、子供にはベルギーの教育システムで一貫した教育を受けさせ、ベルギー人としての文化と誇りを身につけさせる」と、硬く決意したという事です。
それぞれの家庭で、それぞれの状況に応じ、それぞれの基準によって決めた、それぞれの選択。状況の変化に直面して、あれこれ悩むことはあっても、結局は「何が一番大切なのか」という「人生の急所」さえ押えていれば、自分が選択するべき道は自然に見えてくるものなのだと思います。
Trackback68
--------------------------------------------------------------
ビジネス・パーク・フーフル
フランクフルト、ドイツを中心に、世界を舞台に活躍する人々や
企業を応援するビジネスパーク。役立つ情報が満載です!
2008/4/20 1:28
バイリンガルの科学 6) 教育・セオリー
バイリンガルの科学
小野博著(工学医学博士)
講談社発行 ブルーバックスB-1011
科学的実証例に基づいてバイリンガルの実態を分析した本。
●語学と知能の相関的闊達
海外に住む日本人にとって言語教育の問題は必ずついてまわるものです。しかし子供に多数の言語を習得させる事を子供の性格形成や知能の発達にまで関連づけて考える人は少ないようです。
大学時代、教育心理の授業で教授が突然言い出した言葉に私は愕然としました。それは「バイリンガルの子供は知力の発達が遅れる。何故ならば人間は言葉を使って物事を考えるからで、習得言語を2つに広げると、両方の言語の発達程度が低くなるので、難しい問題を考えようとする時にどちらの言語の発達も未熟となって頭が混乱してしまう。」というものでした。
当時、一生懸命に英語を勉強していた私は「母国語を持たないセミリンガルの弊害」という事をその時、初めて知ってショックを受けてしまいました。
●成功するバイリンガル教育
でも、やはり自分が母親になってみれば、子供をバイリンガルにさせたいという欲も出るし、見栄も働くものです。では、どうすれば、子供に上手に言語を身に付かせ、尚且つ子供が幸せになれるでしょうか。これは誰にとっても是非知りたい事です。この本はそんな疑問に、科学的に実証したデータを使って答えてくれます。
たまたま外地に長く住んでいたからと、自分の狭い経験だけで本を書いたりする人もいますが、個人の知り合える範囲など、たかが知れているし、子供によってまったく違うので、あまりあてにもならないものです。筆者が世間で信じられているバイリンガルに対する常識を敢えて「神話」と呼ぶのも、世間一般のそういった盲目的な信じ込みを比喩しての事です。
●バイリンガルの神話
筆者の説く「バイリンガルの神話」とは:
・帰国子女は皆、英語ができ、発音もすばらしい。
・国際結婚の子供は皆、バイリンガルになれる。
・二つの言語がペラペラ喋れる人は、2言語を使って何でもできる
・日本国内だけの外国語学習でバイリンガルになるのは難しい。
・幼児のうちに外国語を学習させないと発音は良くならない。
●科学的実証例に基づく理論
筆者は自分の工学、理学で得た理系の研究手法をモトに、日本人の日本語と外国語とのバイリンガルに関してより深く探るため、言語学、音響学、外国語教育学、日本語教育学、障害児教育学など、発達と言語にまつわる多くの分野の科学的な根拠を組み合わせて分析し、調査研究で得られた結果が説明できる新しい理論を構築しようとしました。
そのために、人間の言語の習得と教育の始まりとの関係、日本語と外国語間の距離、子供の母国語の習得と感受期の関係、日本人の学校教育にいける外国語学習などについて、従来の外国語学習の研究の視点では欠けていた点にも注目して、海外駐在、帰国子女の調査結果を分析、考察して本書をまとめました。
●科学的実証による結論
その結果、著者が結論として得たものは、
(1)子供の知的な発達が自然に行われるためには、少なくとも小学生の時代は1つの言語で教育を受ける事が望ましい。
(2)将来仕事で使えるバイリンガルになるには、中高校まで日本語で教育を受けた後、海外で必要に応じて外国語学習を実践した人の方が到達しやすい。
というものです。
●バイリンガルの育て方
「とにかくバイリンガルにする事がこの子のため」と、必死にがんばってきた方にとっては、自分が信じていた事を根底からくつがえされたような思いがするかも知れません。でも筆者は「現地の学校には行かせるな、小さい子供に英語を教えるな」と言おうとしているのではなく、「日本人のバイリンガルの問題点」というものを整理して説明し、セミリンガルにならないための対策をも紹介してくれています。
同じ努力をするなら、こういった知識を踏まえた上で、語学を教育していきたいものです。私達は過去に同じように努力した人達が失敗した実例に学び、既に立証されている事と同じ失敗をわざわざ自分の子供にさせないようにしたいものです。
教育に熱心になるあまり、子供から出ているサインを見過ごしてしまうケースは多いものです。この本は海外で子育てをする日本人の必読の書と言えると思います。
Trackback67
--------------------------------------------------------------
ビジネス・パーク・フーフル
フランクフルト、ドイツを中心に、世界を舞台に活躍する人々や
企業を応援するビジネスパーク。役立つ情報が満載です!
小野博著(工学医学博士)
講談社発行 ブルーバックスB-1011
科学的実証例に基づいてバイリンガルの実態を分析した本。
●語学と知能の相関的闊達
海外に住む日本人にとって言語教育の問題は必ずついてまわるものです。しかし子供に多数の言語を習得させる事を子供の性格形成や知能の発達にまで関連づけて考える人は少ないようです。
大学時代、教育心理の授業で教授が突然言い出した言葉に私は愕然としました。それは「バイリンガルの子供は知力の発達が遅れる。何故ならば人間は言葉を使って物事を考えるからで、習得言語を2つに広げると、両方の言語の発達程度が低くなるので、難しい問題を考えようとする時にどちらの言語の発達も未熟となって頭が混乱してしまう。」というものでした。
当時、一生懸命に英語を勉強していた私は「母国語を持たないセミリンガルの弊害」という事をその時、初めて知ってショックを受けてしまいました。
●成功するバイリンガル教育
でも、やはり自分が母親になってみれば、子供をバイリンガルにさせたいという欲も出るし、見栄も働くものです。では、どうすれば、子供に上手に言語を身に付かせ、尚且つ子供が幸せになれるでしょうか。これは誰にとっても是非知りたい事です。この本はそんな疑問に、科学的に実証したデータを使って答えてくれます。
たまたま外地に長く住んでいたからと、自分の狭い経験だけで本を書いたりする人もいますが、個人の知り合える範囲など、たかが知れているし、子供によってまったく違うので、あまりあてにもならないものです。筆者が世間で信じられているバイリンガルに対する常識を敢えて「神話」と呼ぶのも、世間一般のそういった盲目的な信じ込みを比喩しての事です。
●バイリンガルの神話
筆者の説く「バイリンガルの神話」とは:
・帰国子女は皆、英語ができ、発音もすばらしい。
・国際結婚の子供は皆、バイリンガルになれる。
・二つの言語がペラペラ喋れる人は、2言語を使って何でもできる
・日本国内だけの外国語学習でバイリンガルになるのは難しい。
・幼児のうちに外国語を学習させないと発音は良くならない。
●科学的実証例に基づく理論
筆者は自分の工学、理学で得た理系の研究手法をモトに、日本人の日本語と外国語とのバイリンガルに関してより深く探るため、言語学、音響学、外国語教育学、日本語教育学、障害児教育学など、発達と言語にまつわる多くの分野の科学的な根拠を組み合わせて分析し、調査研究で得られた結果が説明できる新しい理論を構築しようとしました。
そのために、人間の言語の習得と教育の始まりとの関係、日本語と外国語間の距離、子供の母国語の習得と感受期の関係、日本人の学校教育にいける外国語学習などについて、従来の外国語学習の研究の視点では欠けていた点にも注目して、海外駐在、帰国子女の調査結果を分析、考察して本書をまとめました。
●科学的実証による結論
その結果、著者が結論として得たものは、
(1)子供の知的な発達が自然に行われるためには、少なくとも小学生の時代は1つの言語で教育を受ける事が望ましい。
(2)将来仕事で使えるバイリンガルになるには、中高校まで日本語で教育を受けた後、海外で必要に応じて外国語学習を実践した人の方が到達しやすい。
というものです。
●バイリンガルの育て方
「とにかくバイリンガルにする事がこの子のため」と、必死にがんばってきた方にとっては、自分が信じていた事を根底からくつがえされたような思いがするかも知れません。でも筆者は「現地の学校には行かせるな、小さい子供に英語を教えるな」と言おうとしているのではなく、「日本人のバイリンガルの問題点」というものを整理して説明し、セミリンガルにならないための対策をも紹介してくれています。
同じ努力をするなら、こういった知識を踏まえた上で、語学を教育していきたいものです。私達は過去に同じように努力した人達が失敗した実例に学び、既に立証されている事と同じ失敗をわざわざ自分の子供にさせないようにしたいものです。
教育に熱心になるあまり、子供から出ているサインを見過ごしてしまうケースは多いものです。この本は海外で子育てをする日本人の必読の書と言えると思います。
Trackback67
--------------------------------------------------------------
ビジネス・パーク・フーフル
フランクフルト、ドイツを中心に、世界を舞台に活躍する人々や
企業を応援するビジネスパーク。役立つ情報が満載です!
2008/4/13 5:50
ドイツ語レッスン体験談 その3 7) 語学習得
ドイツ語レッスン体験談 その3
ドイツ語のプライベート・レッスンを受けるようになって早5回。最初の頃はまったく効果が感じられませんでしたが、最近では日々の生活の中でも少しづつドイツ語が耳に入ってくるようになって来ました。これはこれまで何ヶ月もドイツで暮らしても、まったく起きなかった現象なので、レッスンの効果だと思います。
まだうろ覚えですが、数字も100まで数えられるようになりました。仕事が忙しくて宿題をする暇もない私は、週一回レッスンに出た時だけがドイツ語を勉強する時間です。それでも先生は根気よく私を教えて下さいます。
語学などは自分が努力しなければ、いくらお金を積んでも意味はないのですが、せめて「レッスンの時だけでもやらないよりはやった方がまし程度」の効果はあるものです。
私の個人的な意見では、毎週同じ日の同じ時間に通えるのであれば、自分のレベルにあったグループ・レッスンに入る方が、経済的にも割安ですし、お友達もできるので、良いと思います。
語学学校には格安なものもありますが、「日本人を対象にしている学校」の方が、授業の質は高いと私は思います。
私は昔、フランスで難民向けの無料の語学学校に通っていた事があるのですが、他の人達とはレベルもニーズも違う私を先生はどうやって教えたら良いのかわからずに途方に暮れていた状態で、いくら無料でも通う意味もあまりなく、時間もガソリン代も惜しくなって辞めてしまいました。
また、安い学校には「それなりの人達」が集まるもので、「この人と親しくなりたいからお茶にでもお呼びしようかしら」なんて思える人はクラスの中には誰もいませんでした。
日本人と欧州人とでは、ドイツ語と母国語間との距離が異なるため、語学習得のスピードに明らかな差が出て来る事も日本人向けが良いと思う理由です。要は自分にあったクラスを選ぶ事が一番「費用対効果」が高
い事だと私は思います。
Trackback65
ドイツ語のプライベート・レッスンを受けるようになって早5回。最初の頃はまったく効果が感じられませんでしたが、最近では日々の生活の中でも少しづつドイツ語が耳に入ってくるようになって来ました。これはこれまで何ヶ月もドイツで暮らしても、まったく起きなかった現象なので、レッスンの効果だと思います。
まだうろ覚えですが、数字も100まで数えられるようになりました。仕事が忙しくて宿題をする暇もない私は、週一回レッスンに出た時だけがドイツ語を勉強する時間です。それでも先生は根気よく私を教えて下さいます。
語学などは自分が努力しなければ、いくらお金を積んでも意味はないのですが、せめて「レッスンの時だけでもやらないよりはやった方がまし程度」の効果はあるものです。
私の個人的な意見では、毎週同じ日の同じ時間に通えるのであれば、自分のレベルにあったグループ・レッスンに入る方が、経済的にも割安ですし、お友達もできるので、良いと思います。
語学学校には格安なものもありますが、「日本人を対象にしている学校」の方が、授業の質は高いと私は思います。
私は昔、フランスで難民向けの無料の語学学校に通っていた事があるのですが、他の人達とはレベルもニーズも違う私を先生はどうやって教えたら良いのかわからずに途方に暮れていた状態で、いくら無料でも通う意味もあまりなく、時間もガソリン代も惜しくなって辞めてしまいました。
また、安い学校には「それなりの人達」が集まるもので、「この人と親しくなりたいからお茶にでもお呼びしようかしら」なんて思える人はクラスの中には誰もいませんでした。
日本人と欧州人とでは、ドイツ語と母国語間との距離が異なるため、語学習得のスピードに明らかな差が出て来る事も日本人向けが良いと思う理由です。要は自分にあったクラスを選ぶ事が一番「費用対効果」が高
い事だと私は思います。
Trackback65
2008/4/8 17:24
ドイツ語レッスン体験談 その2 7) 語学習得
ドイツ語レッスン体験談 その2
プライベート・レッスンを選択する事にした私にとっての悩みは、「一回の授業料が高い事」でした。
しかしドイツとフランスを行ったり来たりする生活の私は、「毎週同じ時間に出席する」というのは至難の業。出席できない授業料を無駄にし、周りの人達のレベルに合わなくなっていく事を考えると、私の都合とレベルに合わせてくれるプライベートは私にとっては最適なのでした。
私の先生は70歳のベテランで、日本に住んでいた事もあり、日本語も多少理解し、英語で説明してくれるので、私には最高です。
そんな最高の先生についたにもかかわらず、私のドイツ語は依然として上達しません。語学は伝染病ではないので、本人が努力をしなければ、自然に上達などしないのです。
特に私の場合は何事についても、相当な努力をしなければ人並みにできるようにはならないので、忙しいスケジュールの中でドイツ語を勉強する時間を作るのは至難の業なのであります。
あちこち忙しく飛び回るビジネス・ウーマンの私の事を先生は「頭が良い人」と誤解したのか、どんどん進もうとするのですが、私の頭はトコロテン同様、新しく覚えた
と思っても次々と忘れてしまうので、「先生もっとレベルを落として下さい!」とお願いしました。
高い授業料を払っても今のところ頭に残っているのは「イッヒハイセ」と「ビゲッツ」だけ。「費用対効果」は最悪ですが、逆に「お金がもったいない」という痛みが私の学習意欲を掻き立るのでした。
自分でやってもできないし、いつかそのうちと思っても月日が過ぎるばかり。今が頑張り時です。
「もう辞めちゃおうかな」と思うたびに「君にドイツ語なんて無理。時間とお金とエネルギーの無駄」とせせら笑う夫が「やっぱり!」とほくそ笑む顔を思い浮かびます。
いつかドイツ語ができるようになる日が来るとは思えない私ですが、もう少し頑張ってみるつもりです。
Trackback64
プライベート・レッスンを選択する事にした私にとっての悩みは、「一回の授業料が高い事」でした。
しかしドイツとフランスを行ったり来たりする生活の私は、「毎週同じ時間に出席する」というのは至難の業。出席できない授業料を無駄にし、周りの人達のレベルに合わなくなっていく事を考えると、私の都合とレベルに合わせてくれるプライベートは私にとっては最適なのでした。
私の先生は70歳のベテランで、日本に住んでいた事もあり、日本語も多少理解し、英語で説明してくれるので、私には最高です。
そんな最高の先生についたにもかかわらず、私のドイツ語は依然として上達しません。語学は伝染病ではないので、本人が努力をしなければ、自然に上達などしないのです。
特に私の場合は何事についても、相当な努力をしなければ人並みにできるようにはならないので、忙しいスケジュールの中でドイツ語を勉強する時間を作るのは至難の業なのであります。
あちこち忙しく飛び回るビジネス・ウーマンの私の事を先生は「頭が良い人」と誤解したのか、どんどん進もうとするのですが、私の頭はトコロテン同様、新しく覚えた
と思っても次々と忘れてしまうので、「先生もっとレベルを落として下さい!」とお願いしました。
高い授業料を払っても今のところ頭に残っているのは「イッヒハイセ」と「ビゲッツ」だけ。「費用対効果」は最悪ですが、逆に「お金がもったいない」という痛みが私の学習意欲を掻き立るのでした。
自分でやってもできないし、いつかそのうちと思っても月日が過ぎるばかり。今が頑張り時です。
「もう辞めちゃおうかな」と思うたびに「君にドイツ語なんて無理。時間とお金とエネルギーの無駄」とせせら笑う夫が「やっぱり!」とほくそ笑む顔を思い浮かびます。
いつかドイツ語ができるようになる日が来るとは思えない私ですが、もう少し頑張ってみるつもりです。
Trackback64

