2006/11/5  6:33

我が師、ポールモーリア死去  音楽

いつかは来ると思っていましたが・・新聞にポールモーリア死去の報。
11/3 に81歳でとのこと。

想えば、10歳の時、学校の放送部員であった僕は、学校の放送室で見つけた一枚のLPレコード。それが、ポールモーリアとの出会いでした。忘れもしない、その時の曲が「エーゲ海の真珠」初めて聴いた時は、振るえを憶えるような感動を受け、もちろん、当時まだ10歳でしたから、そんな感動の仕方も初めてでした。そしてその年の内に、来日公演があったので、初めて行ったコンサートも神奈川県民ホールでのポールモーリアグランドオーケストラだったのです。それ以来、多分10年くらいは、ほぼ毎年行ってと思います。

考えてみると、ポールモーリアは、自分の人生に本当に多大なる影響を与えたと思います。彼は、「ピアノは小さなオーケストラ」と言いました。その言葉通り、ピアノは様々なことを表現でき、ピアノに魅了された原点でもあります。ピアノ自体は4歳くらいから習ってましたが、嫌々なものでしたから。ピアノをベースに、チェンバロをユニゾンで多用し、リズムをとても大切にし、低音域から高音域までとてもバランスがとれててサウンドが重く、メリハリの利いた曲調が特徴でした。リズムに魅了されたのも、ポールモーリアがきっかけ。特に、中南米音楽を取り入れた時はカリブ海のソーカ、ブラジルのサンバ、ボサノバ は本当に新鮮で、いつか中南米に行きたいという夢も生まれました。夢はかないましたが・・ポールモーリアは世界各国の音楽を彼のアレンジで紹介してきた為、行きたい国は増えるばかりでした。そのほとんどは結局行けたと思いますが。

1980年に入ってからは、だんだん曲調、スタイルが違うものになっていった為(どんどんバンド編成を軽くし、メリハリが無くなっていった)、自然と聴かなくなりましたが、逆にそれをベースに、ジャズフュージョンの世界にはまっていきました。それでも、自分の中での原点に変わりはなく、ピアノをベースにして、リズムにメリハリの利いたものが中心。ちょうど良く飛び出してきた Shakatak は、ちょうど 1980年頃デビューですから、ポールモーリアに代わるものとしては格好のバンドでした。

アルバムが出るたびに、ベースのところはしっかり維持しつつ、あっと驚くような「変化」があったので、長年飽きず、しかも変化することの大切さを実感できたのも良かったと思います。人はいつか死ぬので仕方はありませんが、一つの時代の流れを感じさせるニュースでした。


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2006/11/11  12:01

Vol. 63 ポール・モーリア    [ビートルズな気分]

 先日の日曜日の早朝、テレビをぼんやり見ていたところ思わぬ訃報が流れ驚きました 

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