2008/2/29  22:59

竹の箸 memoir -ポール・フレールを偲ぶ その1  竹の箸Memoir

クリックすると元のサイズで表示します
ポール・フレール 1917-2008

訃報に接した。1月30日、91歳の誕生日、ニース近郊のヴァンスの療養所に訪ねた旧友、偉大なるモータージャーナリスト、エンジニア、60年ルマン優勝を含む50~60年代のモータースポーツに活躍したジェントルマン・ドライバー、ポール・フレールが逝去した。

彼に初めて会ったのが1966年モナコGP。彼はすでにレーシングドライバーとしては引退していた。ガスワークス・ヘアピンに巨星フアン・マニュエル・ファンジオと立っていた。鼻先をF1カーが通るヘアピンでは、挨拶の声は聞こえない。目で敬意を表した。と、彼とファンジオが私とアシスタントを務めていたワイフに場所を代わってくれた!

これから何回か、ポールを偲びたい。


2008/2/20  20:45

おやじブログ ウオルターP.クライスラー博物館その2  飛行機

クライスラーの液冷16気筒航空エンジン。燃焼室は半球形HEMIで、戦後自動車に登場する
クリックすると元のサイズで表示します
クライスラー・エンジンを搭載した実験機リパブリックP-47
クリックすると元のサイズで表示します

クライスラーと古今の系統ブランド生産車、コンセプトカー、技術展示の中で、ふたつのエンジンに惹かれた。第2次大戦中の軍用機と戦車用にクライスラーが開発したものだ。
アメリカ自動車メーカー大手は、第2次大戦中、軍需生産に切り替え、軍用車両のみならず、航空機、戦車生産に大きな役を果たした。クライスラーも航空機、戦車を生産した。

XI-2220エンジンは、1944年、陸軍航空隊の要請に応え、クライスラーが独自の技術で開発した液冷倒立(クランクシャフトが上で、ヘッドが下)16気筒エンジンだ。総排気量36.4リッター、最高出力2500hp/1864kW、重量1102kgのスーパーエンジンであった。

XI-2200は、第2次大戦の米陸軍航空隊の最大でもっとも頑強な戦闘機といわれるリパブリックP-47改造機体に搭載し、テスト飛行をした。P-47のオリジナル・エンジンは、プラット&ホイットニー製R2800"ワスプ”空冷星型2列18気筒で、最高出力2000hp/1500kWであった。クライスラーXI-2220搭載実験機は、さぞかし高性能だったのだろう。だが、大戦は終局に近づき、5基が納入されたのみであったと、ミュージアムの説明ボードは記す。すでにジェット・エンジンが実用化されつつあり、戦闘機用の大出力レシプロの時代は終わりに近づいていた。
クライスラーによると、XI-2220の燃焼室形状"HEMI(半球形)" は、戦後の1951年に登場するV8に採用される。現在のクライスラ−300CのV8に継承されているOHV・HEMIである。

1940年、米政府はクライスラーに戦車工場を建設、稼働せよと要請した。ミシガン州ウオーレン工場だ。70年代、GMテクニカル・センターを訪れる度に、その前を通ったが、正面にシャーマンだったかバーシングだったかがドーンとにらみを効かせていたのが記憶に残る。この部門は、82年にジェネラル・ダイナミックスに売却された。

クライスラーは、第2次大戦中25,000台の戦車を生産したが、エンジンは多種多様だった。それでも間に会わない。そこで自動車部門のエンジニアが一案を出した。自動車用水冷直列6気筒エンジンを5基、立体的星形(そんな形容があるかどうか?)に配置し、魚の背骨のような複雑なギアトレインを介して、中心部の出力軸を回すのだ。

30気筒、総排気量26.4リッター、最高出力450hp/336kWを発生する。受注後9ヶ月でこのエンジンを搭載した最初の量産タンク7500台を納入したという。戦時中の文字通りの馬力発揮だ。一部がイギリス軍に引き渡されたというが、評判は上々とはクライスラーの説明だ。

もう一枚、面白い写真が展示されていた。アメリカ自動車初期のカーウオッシュで、AUTO WASH BOWLの店名が見える。浅い円形のプールをぐるぐる走り回り、床下の泥を洗い流すというシンプルな仕掛け。当時のダート路で汚れのは、下半身だからという発想だ。


クリックすると元のサイズで表示します
自動車の直6エンジン5基を星状に配した戦車用30気筒エンジン。これは量産した。

クリックすると元のサイズで表示します
ムカシの洗車は、泥道で下が汚れるので、浅い円形プールを自走して洗う。

2008/2/20  20:21

おやじブログ ウオルターP.クライスラー博物館その1  クルマ


1995年型クライスラー・ペイトリオット・ガスタービン/ジャイロ/電動レーシングカー
クリックすると元のサイズで表示します

デトロイト・ショーのプレスデイが終わり、クライスラー・ジャパンの広報担当者に新設のクラスラー・ミュージアムに行ってみないかと誘いを受けた。デトロイトの北方、オーバン・ヒルスのクライスラー本社敷地内にある。正式名は創設者の名前の『ウオルターP・クライスラー・ミュージアム』だ。フォード・ミュージアム、GMヘリテージに比べると小規模だが、興味津々の展示車、物が並んでいる。

とくに興味のあったのが、1995年にルマン24時間レース挑戦を目指して製作されたガスタービン、
ジャイロ、モーターを用いたハイブリッド・レーシングカー、“ペイトリオット(日本風に読むとパトリオット、ミサイル邀撃ロケットと同じ名前)”だ。
液化天然ガスを燃料とした2ステージ型ガスタービンで発電し、交流駆動モーターを回す。もっとすごいのがジャイロ。58,000rpmで回し、蓄えたエネルギーで加速を助ける。ルマン規定に従ったオープン車体はカーボンファイバー製で、車重727kgといわれた。クライスラーの意図したのは、ジャイロ回生システムの生産車への適用実験であった。ところが試験中、2度にわたり高回転ジャイロが吹き飛び破壊する。これでパトリオット計画は中止されてしまう。

昨年のルマンのアウデイ・パドックでウーリッチ・バレツキ・レーシングエンジン開発部長に
聞いた。「ジャイロ・ハイブリッドを走らせようという話がある。10万回転のジャイロがなにかで壊れ、暴走したらとんでもないことになる」2008年のエントリー・リストを見る限り、ジャイロ・ハイブリッドは載っていない。

ペイトリオット計画が進んでいた90年代半ばのクライスラーの技術は、たいへん興味があった。率いたのがフランソワ・キャスタイング。フランス人で、ルノーの最初のターボV6・F1エンジンの開発者だ。ルノーがアメリカン・モータース(AMC)を傘下に収めた時にアメリカに来た。ルノーはアメリカ事業に失敗し、クライスラーにAMCを売却したが、キャスタイングはそのままクライラーに残った。AMCのイーグル、そしてクライスラーの縦置きエンジン、前輪駆動セダン、そしてV6は明らかにキャスタイングのルノー系設計だった。また彼は、プラットフォームごとの車両開発チーム・システムを実施した。

キャスタイングは、先進テクノロジーに力を入れた。アメリカがディーゼル乗用車に見向きもしなかった時期、ディーゼル・ハイブリッドのコンセプトカーを製作した。またプロトン交換膜型燃料電池コンセプトを最初に発表したのもキャスタイングのチームだった。デトロイト・ショーで燃料電池のモデルを見た時には、さっぱり判らなかった。フランソワ・キャスタイングが紹介してくれ、ド素人の私に懇切丁寧に説明してくれた青年科学者がイギリス人のクリス・ボラーニ-バードだった。彼は東大に留学したことのある化学者だ。のちにGMに移り、燃料電池開発に当たっていた。

キャスタイングは、ダイムラーとクライスラーが合併(事実上は前者による吸収)した際、引退の道を選んだ。2、3年前、カリフォルニアのラグナシーカで開催されたクラシックカー・レースできれいにレストアされた30年代のクライスラーで出場した彼を見た。うれしそうに走っていた。


クリックすると元のサイズで表示します
ルノーF1ターボV6、AMC/ クライスラー開発リーダー、フランソワ・キャスタイング

2008/2/2  17:21

おやじブログ バルセローナ、ニースの珍事  日常のもろもろ

この卵型浴槽上の電球から水流が!
クリックすると元のサイズで表示します

1960年の最初のウエーキ島(太平洋のど真ん中。機体のエアコン故障で修理のため)、ホノルル、ロスアンジェルス経由ロンドン行き以来、航空会社、自動車仕事で数え切れない回数、
海外に出た。それが性になったのか、サブマスターの観察によると、モーターショーとエアポートではがぜん張り切るらしい。例えば,便が遅れそうだと、いち早く他便に乗り移る芸当を
身につけた。それが裏目にでたこともある。遅れる筈の便が出発し、こちらの便が空港管制官ストでキャンセルになったなど。

さて今回、フォルクスワーゲンの新型車1.4リッターTSI 99kW+7速ドライクラッチDSGの試乗トリップは、まことにスムーズに運んだ。車自体も時代性、走り、快適ともに素晴らしい出来だった。これについては別に記す。

その1
これからは、仕事後の珍事の連続。スペイン・バルセローナのホテル、最近の高級ホテルの多くにがそうであるように、デザイナールーム。広いバスルームの真ん中にどんと半卵型の白いバスタブが鎮座まします。欧米人体格に合わせているので、身長174cmの私は、すべって潜らないように気をつけねがならぬ。前夜、水滴が顔に落ちてくるのを感じたが、湯気が冷えて水滴になったのかな、これは換気不足と思った程度。最終日の夜、落ちてくる水量が多く、線を成している。見上げると、天井の白熱電球まわりが水源。それも2カ所あり、シャワールーム側は床にたまっている。とりあえずフロントに連絡すると、保全係がきた。彼、フロントと電話し、話してくれという。
「上の部屋でバスを溢れさせたのが原因と思います。直ぐ、別にお部屋を準備します」「明日早いので、シャワーにするからいいよ」「危険ですので、移って下さい」
教訓 : 220Vの電気と水のコンビ、たしかに危険。これは不可抗力。チェックアウト8時間前で荷造りして引っ越しとなった。

その2
帰途、療養中の旧友ジャーナリス、ポール・フレールを見舞いにニースに立ち寄ることに
していた。
翌朝早い出発なので、ホテルのフロントにウエイクアップ・コールを依頼し、早めにベッドに
入った。電話が鳴り、スペイン語なまりの英語で「ウエイクアップ....」と言っている。腕時計を見ると、12時6分を示している。時計の電池切れで止まったのかととび起き、支度をした。しかし、どうもへんだ。6時間半寝たにしては寝起きが悪い。フロントに降り、ウエイクアップ・コールをしたかと聞くと、「6時を確認したかったのです」「!!!」「申し訳ありません。お詫びに朝食をお部屋にお届けします」「いや、けっこう」ぶつぶついいながら、ベッドにもぐりこんだが、こんどは寝付けない。教訓: 目覚まし時計は持ってくること。

その3
翌朝、バルセロナ空港へ送ってくれた車にターミナルAビルで降ろされた。中で聞くと、便名はイベリア航空だが小航空会社運航なのでCビルだという。徒歩10分。
教訓:しっかり、ターミナル名を確認すべきだった。エアポート勘が鈍ったかな。

その4
ニース空港第1ターミナルに到着。ビル前に人があふれている。タクシーの列は、プラカードやパンフレットをウインドシールドに貼っている。ドライバーに、何かあったのかと聞くと、「全面ストライキだ。あのナントカ野郎に思い知らせてやる」ビル内のインフォメーションは無人。警官らしい姿も見えない。二人乗りのスクーターが乗り付け、ドライバーたちに何かいっている。アジっているのか、叱っているのか判らないが、一斉に怒声が上がる。
比較的穏やかな顔つきのドライバーに時限ストかと聞いた。「午後7時までやる。ニースへいくなら、あの道路の下をくぐり、向こう側に出て、路線バスに乗るしかない」エアポート・エクスプレスバスは、構内をタクシーがブロックしているので運航していない。荷物をゴロゴロ引っ張って、バス停へ。どうやら途中一回乗り換えでホテル所在地の有名な海岸沿い『イギリス人プロムナード通り』近くに行けるらしい。バスドライバーから2ユーロ30だったか50で1時間パスを買い、車内の器械でカチャン。コングレという所で乗り換えろといわれが、もちろん車内アナウンスなし。中年男性が「ストにひっかかったね」と乗り換えストップで教えてくれた。次のバスを降りてから、徒歩10分。バス待ち時間を含め、たっぷり1時間かかり、ホテルにたどりついた。
教訓: ヨーロッパの都市では、何時ストに見舞われるか判らない。ロンドン空港の荷物搭載員、アメリカの空港管制官、フランス鉄道、そしてタクシー。あとできいたら、ニースはましな方。パリはたいへんだったらしい。こんなことになると、フランス人、けっこう親切だ。

帰りのニース空港行きは、ホテル真横にエアポート・エクスプレスバス停があったので、直行だとどのくらいかかるか乗ることにした。30分弱で、料金は4ユーロ。

一日だけの滞在の午後、ニースの北、ヴァンスにポール・フレールを訪ねたが、タクシーは
スト中。ホテルのコンシェルジュに運転手つきのクルマをアレンジしてもらった。来た車がピカピカのメルセデスSクラス、ショウファーは映画『トランスポーター』のジェイスン・ステ ィサムの青年版でダークスーツとタイ。ちょっと高くついたが、快適、安全でとても速かった。
クリニックのポールの部屋で会ったのが、映画俳優アレック・ボールドウイン年齢プラス風のスタイリッシュドレッサー。彼、ポルシェ・ベースの超高性能車製作者、アロイス・ルーフ。しばしポール、アロイスと車(もちろん!)談義に花が咲いた。


クリックすると元のサイズで表示します
ニース空港ターミナル前のタクシースト

クリックすると元のサイズで表示します
ルーフ社長アロイス・ルーフ

RSS1.0