2008/9/11 16:07
おやじブログ ー ムカシ風ひとりイギリス旅 1 旅行
広大な敷地の中の見張り塔まであるホテルは、ホンダの所有で、日本料理レストランがある

モールトン・バイシクル週末ツアリングに出かけるアレックス・モールトン博士

10日間ご無沙汰してしまった。洋風にいうと『もの書き屋のブロック』症候でサイショの一行が書き出せなかった原稿を終えて、すぐ旅に出た。原点に戻るかと、駆け出し時代のように探究のひとり旅をやった。目的はある。懸案の旧友アレックス・モールトン博士の生い立ち、人柄、業績を記す本の企画だ。9月5〜7日の週末は、恒例のアレックス・モールトン・ウイークエンドの集まりが博士の自宅、工房である荘園で開催された。彼の85歳記念行事以来、行っていないので、今年はそれに合わせて計画したというわけだ。
まずは何処に行き、何をし、見聞きしたか。ヴァージン・アトランティック航空でロンドン往復をやった。燃料サーチャージ57,000円は時代のキビシさ。年一くらいは乗っているが、これほど空いていた便ははじめて。ヒースロウ空港ではジャガー広報部がXF ディーゼルを持って来てくれた。600km以上の行程なので、ネンピ優先の選択。日本では、販売の予定がない車種だが、こころよく提供してくれた。大雨、M4高速道路の渋滞、典型的田園道路の走りなど、あまり条件がよくなかったが、平均12km/Lはリッパ。
ヒースロウ空港到着が午後だったので、のんびりいくかと途中一泊。ほどほどのところと、M4からさして離れていないブランストンのホテルをインターネットで予約した。すべて高騰しているイギリスでも、ホテルはかなりディスカウントするので、一泊1万円弱。ところがチェックインすると、まわりにやらたに日本人が多く、男性ばかり。そこで思い出した。ここで食事をしたことがあった。なんとホンダが所有しているホテルなのだ。レストランは日本料理で、夕食は天ぷらソバで軽くすませた。まわりを見ると白人。土地の人たちだろう。
週末はアレックス、友人たちとしゃべり、食べ、おおいにウイークエンドを楽しんだが、ちゃんと彼の業績記録をリサーチし、広大な邸宅内の研究室を探索した。何度も訪れているのだが、すべての部屋は知らない。今回も、アレックスは、彼がかつて研究製作した蒸気エンジンを見せてくれた。そこは地下室で、隣に初期自転車のプロトがゴロゴロ転がっていた。その中にエンジンアシストがあったのはびっくり。アレックス、「こいつ、なんだけな。うまくいかなかったと思うよ」その後も電動アシストを試作したが、人力から離れるのは本体の自転車ではないと中止した。
日曜日、アレックスは、自転車クラブメンバーとのサイクリングに出かけていった。とても88歳とは思えない速度でとんでいった。私は、彼が21歳の時、ブリストル航空機会社のエンジン設計チーフエンジニアのアシスタントとして開発に加わったセントーラス空冷星型18気筒エンジンの実物を見に、ブリストル・エアロ・コレクションを訪ねた。そこからバーミンガムに向かい一泊。
翌日8日月曜日はジャガーのカースル・ブロムウイッチ工場でXFの生産工場を見学し、エルス工場長に話を聞いた。この日は、英国政府閣僚がロンドンを離れ、バーミンガムではじめての閣僚会議を行った。工場前は警察のレンジローバーとBMWモーターサイクル、警官だらけ。閣僚は分散して工業都市バーミンガムの数カ所を視察したのだが、ジャガーにはブラウン首相が来たのだそうだ。
バーミンガムからはヴァージン・トレインズでロンドンへ。ヴァージン・グループは、たいへん興味ある企業体で、できるだけ交通部門を探索したかったのがだ、打率は半分。次かその次に
記そう。そう、「Dear Sir Richard」なる会長あての英文手紙を添えて。ロンドン・ユーストン駅からナイツブリッジのホテルまでは地下鉄を使ったが、2、3カ所で故障が起き、運転休止をアナウンスしていたのは、いまも変わっていない。私の乗ったピカデリーラインは、他の路線のどことかで乗客が緊急ボタンを押したかで、しばらく駅で立ち往生。夜は、これも60年代からかわらないロイヤル・アルバート・ホール恒例のプロムス・コンサートへ。シカゴ・シンフォニーのマーラー第6は圧倒的迫力だった。

モールトン博士が一時熱意を燃やしていた蒸気エンジン。石炭を使う限り、将来なしと中止した。
ロイヤル・アルバート・ホールのBBCプロム・コンサート。フロア中央は、椅子席はない。ムカシはあぐらをかいて聴いたが、いまは皆立っているのは人気ゆえか(開演前なので写真撮影は禁じられていない)
モールトン・バイシクル週末ツアリングに出かけるアレックス・モールトン博士
10日間ご無沙汰してしまった。洋風にいうと『もの書き屋のブロック』症候でサイショの一行が書き出せなかった原稿を終えて、すぐ旅に出た。原点に戻るかと、駆け出し時代のように探究のひとり旅をやった。目的はある。懸案の旧友アレックス・モールトン博士の生い立ち、人柄、業績を記す本の企画だ。9月5〜7日の週末は、恒例のアレックス・モールトン・ウイークエンドの集まりが博士の自宅、工房である荘園で開催された。彼の85歳記念行事以来、行っていないので、今年はそれに合わせて計画したというわけだ。
まずは何処に行き、何をし、見聞きしたか。ヴァージン・アトランティック航空でロンドン往復をやった。燃料サーチャージ57,000円は時代のキビシさ。年一くらいは乗っているが、これほど空いていた便ははじめて。ヒースロウ空港ではジャガー広報部がXF ディーゼルを持って来てくれた。600km以上の行程なので、ネンピ優先の選択。日本では、販売の予定がない車種だが、こころよく提供してくれた。大雨、M4高速道路の渋滞、典型的田園道路の走りなど、あまり条件がよくなかったが、平均12km/Lはリッパ。
ヒースロウ空港到着が午後だったので、のんびりいくかと途中一泊。ほどほどのところと、M4からさして離れていないブランストンのホテルをインターネットで予約した。すべて高騰しているイギリスでも、ホテルはかなりディスカウントするので、一泊1万円弱。ところがチェックインすると、まわりにやらたに日本人が多く、男性ばかり。そこで思い出した。ここで食事をしたことがあった。なんとホンダが所有しているホテルなのだ。レストランは日本料理で、夕食は天ぷらソバで軽くすませた。まわりを見ると白人。土地の人たちだろう。
週末はアレックス、友人たちとしゃべり、食べ、おおいにウイークエンドを楽しんだが、ちゃんと彼の業績記録をリサーチし、広大な邸宅内の研究室を探索した。何度も訪れているのだが、すべての部屋は知らない。今回も、アレックスは、彼がかつて研究製作した蒸気エンジンを見せてくれた。そこは地下室で、隣に初期自転車のプロトがゴロゴロ転がっていた。その中にエンジンアシストがあったのはびっくり。アレックス、「こいつ、なんだけな。うまくいかなかったと思うよ」その後も電動アシストを試作したが、人力から離れるのは本体の自転車ではないと中止した。
日曜日、アレックスは、自転車クラブメンバーとのサイクリングに出かけていった。とても88歳とは思えない速度でとんでいった。私は、彼が21歳の時、ブリストル航空機会社のエンジン設計チーフエンジニアのアシスタントとして開発に加わったセントーラス空冷星型18気筒エンジンの実物を見に、ブリストル・エアロ・コレクションを訪ねた。そこからバーミンガムに向かい一泊。
翌日8日月曜日はジャガーのカースル・ブロムウイッチ工場でXFの生産工場を見学し、エルス工場長に話を聞いた。この日は、英国政府閣僚がロンドンを離れ、バーミンガムではじめての閣僚会議を行った。工場前は警察のレンジローバーとBMWモーターサイクル、警官だらけ。閣僚は分散して工業都市バーミンガムの数カ所を視察したのだが、ジャガーにはブラウン首相が来たのだそうだ。
バーミンガムからはヴァージン・トレインズでロンドンへ。ヴァージン・グループは、たいへん興味ある企業体で、できるだけ交通部門を探索したかったのがだ、打率は半分。次かその次に
記そう。そう、「Dear Sir Richard」なる会長あての英文手紙を添えて。ロンドン・ユーストン駅からナイツブリッジのホテルまでは地下鉄を使ったが、2、3カ所で故障が起き、運転休止をアナウンスしていたのは、いまも変わっていない。私の乗ったピカデリーラインは、他の路線のどことかで乗客が緊急ボタンを押したかで、しばらく駅で立ち往生。夜は、これも60年代からかわらないロイヤル・アルバート・ホール恒例のプロムス・コンサートへ。シカゴ・シンフォニーのマーラー第6は圧倒的迫力だった。
モールトン博士が一時熱意を燃やしていた蒸気エンジン。石炭を使う限り、将来なしと中止した。



