2008/8/2  14:26

おやじブログ 鈴鹿8耐  バイク

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すさまじい暑さの一日、鈴鹿のモーターサイクル世界耐久チャンピオンシップレース、通称『スズカ8耐』を観戦に出かけた。スタート前に来年のF1開催に備えたコースと施設改装のブリーフィングがあった。メインスタンドは、ベンチシートから独立シートに代わるのだそうだ。視界について質問したが、最近のレーシングカーは低くなっているので、よくなるとはいえないが、従来の視野は維持し、大型スクリーンの設置でカバーするとのこと。ピットスイートは、正面がガラス張りとなり、しかもその外にはシートが設けられとのこと。今年を含め何回か灼熱のピットスイート観戦をしてきたが、うっかりしてチケット価格上昇率を聞かなかったのは残念。

耐久世界選手権EWCは、全6レースで戦われる。生産型スーパーバイクをベースにしているが、EWCとSSTの2カテゴリーがあるらしい。オフィシャル・プログラムには、車両規則のページはない。世界4大耐久レースのひとつを見に来る観客だから、判っているという前提か。去年、S-GTを何戦か見たが、プログラムにはちゃんと記載されていた。だいたい8耐のプログラム自体、がちゃがちゃしていて読みづらいこと、この上もない。レース後、モーターサイクル・ジャーナリストおふた方に解説をお願いしたが、改造程度の差ということ。結局帰って国際競技団体FIMのホームページでどうやら理解できた。

メインフレームは、ガセット、パイプの追加以外の改造は許されない。フロントフォーク角度は差し込み部品による変更はいい。前後サスペンション形式は生産型だが、部品の改造、交換は許される。ブレーキ構成部品の交換は許されるが、ディスクは鉄系材でなければならない。

エンジンは、基本的には生産型だが、燃料ポンプ、制御メモリーはかえてもいい。カムシャフトは材質さえ同じなら改造、交換は許される。タイミングは変えられるということ。圧縮比は自由。ピストン、コンロッド、クランクシャフトは、ホモロゲ部品で、研磨などもしてはいけない。となると、圧縮比を上げるのはヘッドを削るのだろうが、ピストン干渉をしないような設計としてあるのかなア?FIM規則は、それ自体、興味ある読み物であることを発見した。

まあ、しかし走る姿を見ていると、ひと昔前のGPマシーンなど足下にも及ばないスゴさ。リーン角度など、旧知のバイクOBとふたりでため息をつほど。

レースは、ホンダ・ワークスが勝ち、ヨシムラ・スズキが2位。大昔、故ポップ吉村が九州で主に米駐留軍人相手にチューニングショップを開き、私がBMW, BSA輸入商社に居た時期、知己を得たことがあった。吉村さん、板付基地のドラッグレース本番前、「ひまだったら、その辺、バイクで観光してきたら」と下取りのドイツ車アドラーを貸してくれたことがあった。2ストローク2気筒のヤマハのお手本になった、よく走るクルマだったが、みごとにねずみ取りにひっかかった。ヨシムラ・チーム、たしか息子さんが指揮されているはず。

レース後の夕食会に登場したのが、元ホンダ・ライダーで、GP世界チャンピオンのアメリカ人フレディー・スペンサー。ホンダNSR500にはじめて乗ったのは20歳の時だったと話していたが、いいオジさんになっていた。モーターサイクル・レースも大きく変化してきた。8耐ウイナーのベースマシーン、CBR1000RRが150万円とは、その性能からヤスーイと思ったが、速すぎる。もはや、私の手にはおえない存在となった。

モーターサイクルといえば、ハーレイ・ディヴィドソン社がイタリア名門MVを傘下に収めた。最新の市販メガバイク、12万ドルするらしい。


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2008/7/5  22:58

おやじブログ バイクリモ  バイク

これがVirgin BIkelimo ヤマハFJR1300スーパーバイク。
Photo courtesy of Virgin Bikelimo
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前々回、ロンドン・ヒースロウ空港のヴァージンアトランティックのアッパークラス正規料金客へのバイクリモに触れた。

ひんぱんに旅行する者にとり、空の旅はそれほどエクスサイティングでもなく、エンターテイニングでもなくなっている。その中では、ヴァージンはけっこう面白い。バイクリモは、是非利用したいと思っている。慢性的渋滞の空港、大都市間交通の手段として自動車誌のコラムに書くかなと思った。

まず画像が必要だ。正攻法は、ヴァージン・アトランティック航空の日本支社広報に頼む手だ。写真はあるという。だが、どの雑誌、どういう内容など、けっこう面倒なことをいう。もの書き屋が面白い話題と思っても、掲載の最終決定をするのは編集長さんだ。ボツになることもある。私のポリシーとして、取材にあたって掲載はコミットはしないことにしている。そこで日本の広報さんへの依頼は撤回した。そうそう、いつか広報論でもぶとうかと思っている。

ヴァージン・グループの総帥、サー・リチャード・ブランソンは、超大型アントレプルーナー、
経営者、冒険家で、四角張らないので有名。ヴァージン航空本社広報に頼むのも、おとなげないか(イギリスの自動車もの書き屋ギルドのウン10年メンバーなので、ルートとしては問題はないはず)。
ヴァージン・グループには、オーディオ, ヴィジュアルから鉄道まで多岐にわたる企業を擁する。その中に、ヴァージン・リモバイク社があるのだ!「フリーのライターですが、リモバイクの写真を提供していただけませんか」七面倒な反問はなく、即答「チアーズ、ジャック!」の挨拶と写真がきた。ついでに、ヴァージン・リモバイク社によく寄せられる質問集までくれた。ひとつは「貴方の会社の方、会長さんのサー・リチャード・ブランソンに会ったことありますか?」「いつも立寄ってくれますよ。とてもフレンドリーな方です」

これがヴァージン・リモバイクだ。マシーンは、ヤマハFJR1300スーパーバイク。ライダーは、イギリスのIAM(アドヴァンス・モーサイクリスト協会)の実地検定資格者だ。料金は、ヒースロウ空港/ロンドン中心部が片道75ユーロ。ある程度の携帯荷物は持てる。そのうち、体験談を記すことになるだろう。どの航空会社便でロンドンに入るかは未定だが、Virgin BIkelimoを予約すればいいのだ。


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2、3日の旅行の荷物であれば運べる。両側のパニアケースにも入る。

2007/12/23  17:28

オヤジブログーインディアンが戻ってくる?  バイク

新生インディアン・モーターサイクル・カンパニーの専売店募集広告。2009年エース、威風堂々たるアメリカンVツインだ

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アメリカ自動車業界誌 の広告が目に入った。『インディアン・モーターサイクル再発進』なるタイトルで、2008年にインディアン・モーターサイクル・カンパニーが再発足し、全米50拠点インディアン・モーターサイクル、部品、アクセサリー、一般グッズの専売店の募集している。

インディアンは、アメリカ最初のモーターサイクル・ブランドで、マサチューセッツ州スプリングフィールドに1901年に設立された。第2次大戦前には、ハーレイ・デイヴィドソンとしのぎを削る大手であった。

最近、インディアンの昔日をよみがえらせたのがアンソニー・ホプキンス主演の実在人物を主題とした映画、『世界最速のインディアン』だ。主人公ニュージーランド人バート・マンローは1920年代のインディアン・スカウトの改造車を駆って、1962~67年、ボンネヴィル乾湖でモーターサイクル速度記録を更新した。

第2次大戦後のインディアンは、経営者が何度か代わり、その度のモデル戦略の誤りで凋落する。品質の劣る中小排気量車の方向に走り、1949年には主力大型Vツイン・チーフの生産を止めてしまった。しばらく、英国のロイヤル・エンフィールドにインディアンのバッジをつけ売ったが、これも不成功。1962年には、破産整理となる。

びっくりしたのは、1968年、知己のモーターサイクル自動車本、雑誌出版者の故フロイド・クライマーが英車ヴェロセットにインディアン名を冠して売り出したことだ。フロイドがどうやってブランド権を取得したのかは、聞きそびれてしまった。彼の没後、インディアン名は何人かの手を経て、1999年に再登場する。カリフォルニア州ギルロイのメーカーが他のエンジン・メーカーのエンジンを使い製作したものだが、これも不成功に終わる。

2006年、新インディアン・モーターサイクル・カンパニーを設立したのが、老舗モーターボート会社クリス・クラフトの再生に成功したステフェン・ジュリアス(会長)とスティーヴ・ヒース(社長)の二人組。イギリスのファンドの資金が大半だという。

注目すべきは技術陣で、総支配人クリス・バーナウアは、元ハーレイ・デイヴィドソンのパワートレイン開発エンジニア・スポーツター担当ディレクターであり、技術担当役員ニック・グラジャはハーレイのパワートレイン技術主管。となると技術的にはしっかりしているだろう。

本社と工場をノースカロライナ州キングス・マウンテンに構え、現王ハーレイに挑む。2009年型インディアン・エースの開発は急ピッチで進んでいるという。広告の写真は、往年のフルスカート・インディアン・エースのモダーン版だ。日本のメーカーのように中途半端でなく、盛大にアメリカンができる。面白くなりそうだ。


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一時CYCLE誌出版者の旧知フロイド・クライマーがインディアン名をつけた英車ヴェロセットを売っていた。
CYCLEは、私が最初に日本担当エディターとなり英語でリポートを書いた月刊誌だった。この66年4月号に「HONDA FOUR -ただ一度の勝利のために』を寄稿した

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