2008/9/15  23:23

おやじブログ アレックス・モールトン博士の足跡と近況 その1  自転車

モールトン博士の邸宅、研究室、工房のあるブラッドフォード・オン.エイヴォンで開催された恒例のモールトン・バイシクル・ウイークエンドに集まったファンたちに挨拶するモールトン博士
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モールトンとハシュレイの共同事業モールトン・バイシクル社の紹介と次期プロトタイプの発表するモールトン博士(左からふたりめ)、ひとり置いて実務担当役員のショーン・モールトン、パシュレイ経営者のエイドリアン・ウイリアムス。台上がパシュレーで製作する新型車のプロトタイップ。シートポストのユニオンジャック旗パターン。
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アレックス・モールトン博士は、自動車では原型ミニからローバー100までのラバー、液体封入、液体/ガス封入サスペンション・スプリング/ダンパー、自転車では小径車輪モールトン車で知られている。技術者としての生涯、家業である鉄道向けのゴム製品会社の研究部長時期以外は、大メーカーに属さず、独立した“革新するエンジニア”を貫いてきた。

モールトン自転車は、自邸敷地にある工房で製作する高性能、高価格モデル、AMとNSシリーズ、そしてストラトフォード・アポン・エイヴォンの英国老舗で現在唯一の自転車生産販売メーカーとなったパシュレー社が製作するAPBから発展したモデルで、いずれも小径鋼管のスペースフレームを採用している。加えて、日本のブリジストン・サイクルとモールトン博士の共同開発、ブリジストン生産のブリジストン・モールトンBSMシリーズがある。

モールトンとパシュレーは、今年6月、共同出資会社The Moulton Bicycle Companyを設立した。モールトン工房の製作台数はごく少数であり、これ以上の拡販派望めない。そこで両社の力を合わせて、小径自転車市場に置ける地位をさらに確たるものにするというのが、設立の趣旨だ。モールトン博士は社長であるが、研究開発に専念する。甥のショーン・モールトンが総支配人として販売など実務に当たる。ブラッドフォードの工房は、従来通り、AM、NS、そして将来モデルを手造りする。

今年のモールトン・バイシクル・クラブ・ミーテイングでは、モールトン博士、ショーン、そしてパシュレーのエイドリアン・ウイリアムスがパシュレーで生産する新型プロトタイプを披露した。ユニオンジャックをパターン化してシートポストチューブに貼付けたスポーテイィなモデルとなる。

パシュレーとは、どういうメーカーか。創業80年のイギリス唯一の自転車生産メーカーであり、製品は多岐にわたる。第2次世界大戦中、イギリスの空挺部隊はヨーロッパ大陸侵攻の際、パシュレー製自転車を降下し、オランダの平原を走破した。このダブルクレードル・フレーム・モデルは、いまも“パラマウント”名で生産している。たいへん魅力的な26インチ径ホイール車だ。実用車では、ロイヤルメール郵便配達用に丈夫な専用モデルを供給している。
もともと家族企業であったが、末裔どもはできがよくなかったらしく、経営危機に陥っていた。買収し再建したのがエイドリアン・ウイリアムスという経営者で、この数年の業績はいいと聞いた。
パシュレーの工場では、モールトン博士が貸与したスペースフレーム溶接を含むジグを用いてモールトン・シリーズを製作している。
これがモールトン自転車の近況である。

ほとんど年1度は、モールトン博士を訪ね、技術から政治まで話しをするのを楽しみにしている。今年は、アレックスと英独ふたりの知人との会話となったが、私の「去年の首相、今年の首相、来年の首相」なる日本の政治話はおおいに受けていた。これほど頻繁に変わるのは稀な出来事なのだ。「よくやってるね」「ヘーッ!」福田首相の言葉を借りると、国際的にたいへん恥ずかしいことだ。

自動車サスペンション、自転車では知る人も多いが、モールトン博士の青年期から壮年期の研究開発に航空機エンジンと蒸気機関がある。今回は、その探索もした。彼がケンブリッジ大学2年の時、第2次世界大戦が勃発した。空軍志願したが、技術専攻学生であることが判ると、自宅待機を命じられた。これが日本軍と違うところで、英政府は戦時中でも人材を大切にしたことがわかる。しかし、いてもたっても居られぬ若き日のアレックスは、伝手を頼り(これも英国的だ)ブリストル航空機会社のエンジン担当チーフエンジニアと面接、その場で見習いエンジニアとして雇われた。

ところがブリストルがドイツ空軍の大爆撃に襲われ、チーフエンジニアのアシスタントが死亡した。後任に選ばれたのが21歳のアレックスだった。ブリストル航空の神のごときチーフエンジニア、サー・ロイ・フェデンは、アレックスにとり技術の最高の師となった。フェデンの最新エンジン、セントーラス空冷星型18気筒についてのアレックスの分析は、とても21歳の青年とは思えない詳細かつ正確なものだ。「いや、サー・ロイの指令といえば、部内のエンジニア全員が微に入り細にわたり教えてくれたおかげだよ」サー・ロイ・フェデンは、第2次大戦終結後の事業として、乗用車開発を開始した。プロトタイプは実走までいったが、航空エンジンと同型式のスリーブバルブ星型3気筒なるユニークなものだった。結局、このプロジェクトは失敗する。
ロイ・フェデンは、非常に気性の激しい人で、経営トップと衝突し、戦時中、それも最新エンジン開発中にもかかわらずクビになってしまう。
(つづく)


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21歳のアレックス・モールトンはブリストル航空機会社のエンジン担当チーフエンジニア、サー・ロイ・フェデンのアシスタントとして空冷星型18気筒セントーラス・エンジンの開発に携わった
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ロイ・フェデンは終戦直前、戦後の自動車製作を目指し、フェデンカーの設計試作をしたが、結実はしなかった。

2006/11/2  17:38

HPV=ヒューマン・パワード・ヴィークル  自転車

[1970年代に集めたHPV 3台]
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1973年、発売されたばかりのシビックを借り出し、ヨーロッパを走った。当時は、日本の新型自動車発表の頻度も少なく、2週間くらい留守して海外を回れた。いまでは、ヨーロッパ4日間、そのうち1日仕事、3日移動が普通のせわしない世の中になった。

シビック・ヨーロッパ旅行では、ドイツ、イタリア、スペイン、そしてオランダのメーカーを訪ね、最新の小型車の試乗した。イギリスでの主な目的は、ミニ、1100などのサスペンション開発で有名なアレックス・モールトン博士を訪ね、自動車サスペンションを論じ、彼の次期新型サス搭載車を含む車群とシビックの乗り比べであった。

私がモールト博士の広大な荘園内の由緒ある建築、"ザ・ホール"邸宅で発見したのが、彼の創造したもうひとつの乗り物、小径ホイール自転車の開発過程モデルであった。翌74年、今度はモールトン自転車取材のため再訪した。モールトン博士の人格と技術に魅せられ、以来30年余の交友が続いていいる。

モールトン自転車を契機として目覚めたのが"HPV"、ヒューマン・パワード・ヴィークル、直訳すれば人力車だ。発想と効率のいいHPVは、エンジンパワー乗り物同等、あるいはそれ以上に魅力と意義がある。

ここでは70年代に集め、いまも所有している3台を紹介する。
*1973年モールトン・Mk3。イギリス最大手自転車メーカーであったラレーがアレックス・モールトン開発のMk3 をライセンス生産した。しかしラレーは、より安価なサスなし小径ホイール車の方向に走り、2者は決別する。74年、モールトン博士を訪問した際、譲ってもらったラレー最後の生産車の1台。これはオリジナル状態の写真であるが、以後フルレストアした。

*ヴェッター車椅子。アメリカ人デザイナーで、アフターマーケット・モーターサイクル用フェアリング・"ウインドジャマー”、トライアンフX75モーターサイクルをデザインしたクレイグ・ヴェッターが製作した超軽量車椅子。ヴェッターがパラグライダー事故で脚を折り入院した際、乗せられた車椅子があまりにも情けないスタイルなので、退院後自らデザイン、設計、製作したもの。私は5体満足だったが、彼に会い、デザインとコンセプトに感心、衝動的に注文したもの。

*ホンダ・ローラースルー・ゴーゴ−7。足踏み3輪スクーターで、7はティーン、軽量(60kg)大人用モデル。レストア済みだが、いつかローラーベアリング車輪をつけ走行抵抗を減らしたい。レアなアメリカ向け二輪型も入手したのだが、帰国途中盗まれてしまったのが残念。

それぞれについては、『自転車』のカテゴリーでいきさつを記すことにする。

その他、現在所有ののHPVは次の通り。
1964年型モールトン・シリーズ1自転車
1999年型モールトンAPBシマノ16(常用車)
ブリジストン・モールトンBSM179自転車
Razorスクーター (賞品でもらった)

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[1973年、イギリス・ブラッドフォード・オン・エイヴォンの荘園に訪ねたアレックス・モールトン博士。車は初代シビック]

2006/10/28  15:51

未知との遭遇 1963 グッドウッドのミニとモールトン  自転車

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[グッドウッド・サーキットで開催された1963年ロンドン・モーターショー・テストデーのミニ]


1963年、在英中のことだ。グローバリゼーション以前であり、メーカーの民族アイデンィティがまだ明確であった時代だ。主要モーターショーでは、その国の自動車工業会がメディア対象の新型車テストデーが開催していた。試乗イベントは、フランクフルト・ショーがホッケンハイム、パリがモンレリー、ロンドンがグッドウッド・サーキットで開催された。いまは、モーターショー試乗会はない。

1963年、はじめてロンドン・ショーのテストデーに参加した。これは面白かった。巨大なロールズ−ロイスが小さなMGスポーツカーを追いかけ、サッと抜く。もっとも印象的だったのは、サーキットで乗るミニだった。1959年登場した原型ミニで、アレック・イシゴニスの前輪駆動小型車。62年にイギリスに着いて、まず借り出したのがミニだった。

そのグッドウッドで未知に遭遇した。オフィシャルが小さな車輪の自転車でスイスイ走り回っている。旧軍用飛行場跡のパドックは、かなり荒れたコンクリート舗装なのだが、オフィシャルたちは至極快適そうに見えた。前後にはサスペンションがついている。太い楕円断面フレーム上に"Moulton"の文字が読める。ははァ、これがモールトン自転車だな。アレックス・モールトンは、ミニのラバーサスペンションの構想・開発者として有名になっていた。

それまで私の知る自転車は、父親の実用本位の戦前型、同じく戦後のアルミ・リベットフレームの実用車〜すぐにガタガタになった。。スポーツ、マウンテンバイク以前の時代なので、ベーシック移動手段としか考えず、乗っても歓びは感じなかった。二輪、四輪ともにエンジン付きに渇仰していたせいもある。しかし、モールトン自転車には、興味をそそられた。

10年後の1973年、発売されたばかりのホンダ・シビックを借り出してヨーロッパを走った。民族系大同団結メーカー、BMC/BLの前輪駆動車は、ミニから1100、マキシー、1800と増え、アレックス・モールトンのサスペンションもラバースプリングからラバー+液体封入前後連結のハイドロラスティックへ進化していた。気体封入を加えたシステムを採用した小型車の発売も間近いと報じられていた。イギリスに回った目的のひとつは、アレックス・モールトン博士を訪ね、彼の自動車サスペンション論じ、試乗することだった。以来、33年間続いている交友のはじまりであった。そしてモールトン小径車輪自転車の魅力に目覚める。

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[サーキット・オフィシャルが乗る初代モールトン自転車]

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