2008/6/17 1:22
王様の耳はロバの耳 分類なし
先ほどニュース23で
先日の秋葉原連続殺傷事件座談会が放送されていた
オレはこの事件に対し
言葉にできない違和感を払拭できぬままいるクチなので
事件と膝を突き合わせて本音をディスカッションしている場を
イチ視聴者として本気の参加をしたかったのだ
そこは
ブロガーやアンケートを中から参加者を抽出
一般の方々が顔を並べた
ごくリアルな座談会だった
この事件を語る上で
誰しもが持ち合わせているのは
やり場のなさ であろう
犯人が異常だった
というスケープゴート的な結末には違和感を覚えるし
かといって
一旦彼を庇護してしまえば
じゃあ無残に散っていった被害者の方々を
我々は消化しうる術を持たない
派遣社員 リストラ 2ちゃんねらー オタク
一連の報道を接する上で必ず飛び交う単語だ
劇場型犯罪に駆り立てた狂気は
それらアウトサイダーな条件の積み重ねが
やがて引き金を引いていったに過ぎない
とでもいいたいらしい
だとするならばだ
本音をさらけ出せず
過ぎていくだけの鬱屈した日々を溢し続け
希望の灯を下水道に乱反射させては
首をひしゃげた若者など
世の中にごまんといる算段じゃないのか?
この事件を考察する上で怖いのは
事件を起こしかねない側と
そうでない側との線引きが
報道において核となっている事実である
ちょっと待て
異常なヤツが事件を起こすのではなく
社会の歪みが異常なヤツを生むのだ
正常か否かなんて線引きは
誰かが作った幻想であって
誰にも誰の元でも「起こりうる」事実に
目を向けねばならない
オレは思う
どこかで消せたであろう
犯人の心の闇みたいなモノを
よしんばどこかの若者が
引き金の一歩手前の状態で
抱え込んでいたりするのではないか と
恐ろしいのは
導火線があとちょっとの状態の若者が
当たり前に溢れかえっているのではないか
と思えてしまう社会構図
火がついた導火線に
人々が暖かい水をかけてゆく
そんな日常は
渇いた街の風景にはもはや存在しないのだろうか
彼に共感するつもりもなければ
なんら慈悲の気持ちも持ち合わせていない
ただ
今後こういった事件の類
ありえない場所
ありえない人たちに向けて
狂気の刃が振り下ろされるコトは間違いないだろう
便利になれば
その分不便になる
世の中の常だ
ネットやケータイといったコミュニケーションツールが
当たり前になってまだ10年
便利さの裏側に潜む歪みを
見て見ぬ振りをし続けるワケには
いかない時代に来てしまっているのかもしれない。



