2008/8/3  18:36

聖地巡礼 (1)  旅行
毎月1度、祈りを捧げに行くところがあります。
そこは、前にこのブログで少し書いた、「ある能力をお持ちの方」のお住まいに隣接する祠です。場所は申し訳ありませんが、信頼できる方にしかお教えできません。

その「ある能力をお持ちの方」は、もうず〜っと前にお亡くなりになられているので、直接その方のお話を聞くことはできません。予知を得るとか、除霊してもらうとか、そういう分かりやすい、目に見える効用、というものは得ることができません。というわけで、これはもうハタから見れば宗教的な装置に向かってひたすら祈りを捧げているだけ、という意味での偶像崇拝でしかありません。


ぶっちゃけ、今まで生きていて、いわゆる「超常的」な出来事が起きたことは一度たりともありません。

(いや、もしかして、自分が気付いていないだけで、そういうことが起こっていたのかもしれません)

(ただ、そうすると、自覚のない「超常的」な出来事というのが、自分にとって数回起こっていた、もしくは普遍的に起こっていたならば、きっと、その場所で祈りを捧げる他の人達にも同じように、そういうことが起こっていた可能性が極めて高い、と考えることができそうです)

(例えば、今日○○に行こうと思っていたのに、急用が入って行けなくなり、残念だなあと思っていたら、なんと、今日行こうと思っていた○○で火事が起きたとか・・・、あるいは、そこに行っていたならば転んでケガをすることになっていた、とか、いろいろ考えられます)

(祈りを捧げることによって、気付く気付かないは別とする危険、を回避できたのであれば、それは祈りの効用なのでしょうか???)

(しかし、祈りを捧げなくとも、気付く気付かないは別とする危険、を回避できた可能性だって同じくらいあると考えても悪くはないと思います)

(すると、人は何のために祈りを捧げるのでしょうか???)

一つだけ言えるのは、月に一度、そういった空間でひたすら手を合わせ、何かを祈る。この行為自体が私にとっての癒しになっていることは間違いありません。

それってもしかして、自己満足???


このままでは、祈りを何のために捧げるか、という問いに対しては、「要するに自己満足を得たいから。」というのが結論になりそうです。

個人的に、これではチト納得がいかないので、もう少し考察することにします。 (続く)
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