2008/8/29 22:44
よい本との出会い 2 火怨−北の燿星アテルイ 本
書店で1時間くらい色んなジャンルの本を立ち読みして、「あ、この本いいなあ」「この本もいいよなあ」なんて思いながら結局何も買わずに店を出てくることがママあります。このようなことを2〜3回繰り返した後で初めて本を買います。このように私は、なかなか物を買わないことを良しとしています。お陰で仕事用以外の服や靴は10年選手です。買う店も鹿島台のメルシーとかです。メルシー、う〜ん、いいですねえ。メルシーで最低10分は語ることができます。(10分って微妙だね、っていうか大したことないね)
そんなことはどうでもいいのですが、

この「火怨」という作品を初めて手に取った時、この時ばかりは別でした。この作品が「オレを買ってくれー!四の五の言わずにとりあえず買ってくれー!絶対買ってくれよなー!」そう訴えかけてくるのです。私としては珍しい衝動買い。お金を払うその瞬間まで何かに憑り付かれていたかのようでした。そしてお金を払って品を受け取った瞬間に「あちゃー!!やっちまったなー」という思いが全身を駆け巡りました。
が、が、いざコレを読んでみると止まらなくなってしまいました。こんなに血のタギるような作品を、そして爽やかな涙を誘う作品を、未だかつて読んだことがありません。
アテルイ(阿弖流爲)、モレ(母禮)、この二人をご存知でしょうか?
アテルイは歴史の教科書にも出ていましたし、水沢でアテルイ生誕1200年というキャンペーンをやったことがあるらしいですから、ご存知の方も多いのではないかと思います。私もアテルイが坂上田村麻呂によって征伐された、ということは知っていました。
が、モレについてはこの作品を読むまで全く知りませんでした。モレは史記でいうところの韓信、三国志演義でいうところの諸葛亮孔明、太閤記でいうところの竹中半兵衛、黒田如水、そして甲陽軍鑑でいうところの・・・もうエエっちゅうねん!!つまりは名軍師サマというワケです。
この作品は、正史では朝廷によって「征伐」されたアテルイやモレが、実は「征伐」されたのではなく「征服」されたのだ、ということを主張しています。そう、悪いのは朝廷の方です、と。平和に暮らしていた先住民に色々と難癖をつけては従わせ、そこで産出する金をホシイママにしようという、理不尽極まりない行為をしたのは朝廷の方です、と。
蝦夷(エミシ)、俘囚(フシュウ)と呼ばれ、朝廷から蔑視されていた人々は、当然のことながら「オレ達が一体いつ、どこで、どんな悪いことをしたんだい!どうしてオレ達が軽蔑されなきゃあならないんだ!ちゃんと説明してみろよ!」こう思うのは当然です。その思いや征服されてしまった無念さに併せて、蝦夷と軽蔑されていた人達が、実はごくごく普通の、血の通った温かい人間なんだ、そのことは当然に認められてしかるべきだ、ということをこの作品は訴えかけています。
高橋先生の「炎立つ」「天を衝く」「火怨」は「みちのく三部作」と呼ばれることがあって、その特徴は?と問われたときには必ず「中央政権からの独立」というテーマで語られます。前述の、中央政権から蔑視された陸奥の人々の怒りと怨みが高橋先生に宿り乗り移って、素晴らしい作品が世に出たのだと私は信じています。それ以前に高橋先生のポテンシャルがズバ抜けていることは申し上げるまでもありませんが。
思うに正史とは、時の権力が決めるものなのでしょう。ならば、自由に学問が許されている今の日本で歴史を語るならば、単に「○○年にこういうことがあった。」と語られてしかるべきではないでしょうか。誰が官軍で誰が賊軍かを決めるのは当時の権力者であって、現代の人はそれらを客観的に見ているべきです。
ひるがえって今の教科書の書き方を見てみると、「XX年にAさん勢力がBさん勢力を征伐した。」という書き方が多くて、これはその時その時の正史に基づいたときの書き方なのだと推察できます。
ま、長々と述べてまいりましたが、この「火怨」が映像化されることを大いに期待してやみません。
そんなことはどうでもいいのですが、
この「火怨」という作品を初めて手に取った時、この時ばかりは別でした。この作品が「オレを買ってくれー!四の五の言わずにとりあえず買ってくれー!絶対買ってくれよなー!」そう訴えかけてくるのです。私としては珍しい衝動買い。お金を払うその瞬間まで何かに憑り付かれていたかのようでした。そしてお金を払って品を受け取った瞬間に「あちゃー!!やっちまったなー」という思いが全身を駆け巡りました。
が、が、いざコレを読んでみると止まらなくなってしまいました。こんなに血のタギるような作品を、そして爽やかな涙を誘う作品を、未だかつて読んだことがありません。
アテルイ(阿弖流爲)、モレ(母禮)、この二人をご存知でしょうか?
アテルイは歴史の教科書にも出ていましたし、水沢でアテルイ生誕1200年というキャンペーンをやったことがあるらしいですから、ご存知の方も多いのではないかと思います。私もアテルイが坂上田村麻呂によって征伐された、ということは知っていました。
が、モレについてはこの作品を読むまで全く知りませんでした。モレは史記でいうところの韓信、三国志演義でいうところの諸葛亮孔明、太閤記でいうところの竹中半兵衛、黒田如水、そして甲陽軍鑑でいうところの・・・もうエエっちゅうねん!!つまりは名軍師サマというワケです。
この作品は、正史では朝廷によって「征伐」されたアテルイやモレが、実は「征伐」されたのではなく「征服」されたのだ、ということを主張しています。そう、悪いのは朝廷の方です、と。平和に暮らしていた先住民に色々と難癖をつけては従わせ、そこで産出する金をホシイママにしようという、理不尽極まりない行為をしたのは朝廷の方です、と。
蝦夷(エミシ)、俘囚(フシュウ)と呼ばれ、朝廷から蔑視されていた人々は、当然のことながら「オレ達が一体いつ、どこで、どんな悪いことをしたんだい!どうしてオレ達が軽蔑されなきゃあならないんだ!ちゃんと説明してみろよ!」こう思うのは当然です。その思いや征服されてしまった無念さに併せて、蝦夷と軽蔑されていた人達が、実はごくごく普通の、血の通った温かい人間なんだ、そのことは当然に認められてしかるべきだ、ということをこの作品は訴えかけています。
高橋先生の「炎立つ」「天を衝く」「火怨」は「みちのく三部作」と呼ばれることがあって、その特徴は?と問われたときには必ず「中央政権からの独立」というテーマで語られます。前述の、中央政権から蔑視された陸奥の人々の怒りと怨みが高橋先生に宿り乗り移って、素晴らしい作品が世に出たのだと私は信じています。それ以前に高橋先生のポテンシャルがズバ抜けていることは申し上げるまでもありませんが。
思うに正史とは、時の権力が決めるものなのでしょう。ならば、自由に学問が許されている今の日本で歴史を語るならば、単に「○○年にこういうことがあった。」と語られてしかるべきではないでしょうか。誰が官軍で誰が賊軍かを決めるのは当時の権力者であって、現代の人はそれらを客観的に見ているべきです。
ひるがえって今の教科書の書き方を見てみると、「XX年にAさん勢力がBさん勢力を征伐した。」という書き方が多くて、これはその時その時の正史に基づいたときの書き方なのだと推察できます。
ま、長々と述べてまいりましたが、この「火怨」が映像化されることを大いに期待してやみません。
