2008/10/31  19:44

紅葉情報  分類なし

今日から紅葉情報を始めました
それに伴い、ブログを書く回数も次第に減ると思いますが御了承下さい

東福寺へ向かう人がいきなりこの光景を見て
「おぉぉ〜!!」と感嘆の声を出す人をよく見かけます

それもそのはず入場する前に一番綺麗な眺めを前触れも無く見てしまったら
びっくりするのは当たり前の事ですね

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しかし綺麗ですね

紅葉はまだまだ先とは言え地元にいてもこの光景はすごいと思いますが
その隠れた要因をここでお教えしたいと思います

一番は奥深い山が背景になり、綺麗な空気を生み出し、
時折飛び交う野鳥の群れが一層盛り上げます

比叡山まで続く山脈は時折、猿や猪まで出没する大自然に囲まれ、
虫の付きやすい楓の害虫を食べてくれる野鳥の群れが
葉の保護の役割を果たしてくれています

もし、高層ビルがこそっと顔を覗かせていたらその雰囲気は一気に下落するでしょうね

次は手前に見えている撮影場所

ここがもしも鉄骨の近代化した橋なら
やはり雰囲気は一気に変わってしまうと思います

この橋はとにもかくにも「重要文化財」

造られたのが江戸時代後期の木造だからこそ雰囲気を盛り上げるのだと思います

しかしこの橋の委細についてはどこに聞いても
誰に聞いても何を読んでも江戸時代(弘化四年)の創設

それは公式な記録とされているのでそれで良いのでしょう。。

その公式記録から推定すると江戸時代中期の人はこの渓谷を平気で行き交うぐらい
体力と根性のある人ばっかりだったと言う事になってしまいます

まあ私の性格を知る人なら解るでしょうが
次回はその実態に迫りたいと思います

2008/10/30  17:12

広島カープ  分類なし

全日本の監督やタイガースの新監督で新聞が賑わう中、
ひっそりと元広島カープ監督の死が掲載されていました

最後の広島休場を見たさにわざわざ広島まで行く人ですから
この人の存在を忘れる事はありません


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元々、原爆投下で沈む街を活性化させようと市民が協力して出来たこの球団は
25年間でAクラス入りはたったの一度。。。

その弱小チームを何とか強くしようとアメリカ野球を浸透させるため
ルーツ氏はコーチとして土台作りを続けておられました

その成果がそろそろ発揮される頃、ついに監督に就任したものの
当時、あまりにも閉鎖的な日本野球界では進化したアメリカ思想は受け入れられず
わずか一ヶ月で退任する事になってしまいました

それを引き継ぎ、日本野球とうまく調和させた人が有名な「古場竹識監督」

この年はいきなりの見事な初優勝を遂げ赤ヘルブームが巻き起こり、
その後15年間で6度の優勝とBクラスはたったの一度だけという
広島カープの黄金時代だったわけですが、思想の原点はルーツ氏と
常に口にされていた様です

今もこの思想を受け継ぐ球団も多く、選手は買うものでは無く育てるものと
常に前向きに励む姿はとても気持ち良いものですね

いよいよ来年は新球場のお披露目です
金は無くても思想はたっぷりの精神で頑張りましょ〜!!

2008/10/29  20:27

リフォーム  分類なし

この夏、いよいよ暑さ真っ盛りになる頃
こんな記事を書いていました

http://diary.jp.aol.com/applet/h3dje84wfp/20080705/archive

その後、得意のベンガラと松煙墨を混ぜた塗料を塗って完成し、
違和感無くメーターを覆っています

三年前からあちこちの町屋を見て歩き、
随分考え抜いて出来た割には誰も何も言ってくれないのは
目立たぬ様に・違和感の無い様に・・・
の目的が叶った事と思います

そして店外・店外を貫く太いガス管を覆い隠すには、、、

実は決して口を開かない町屋改装デザイナーから
無理やり聞き出した言葉をそのまま採用しました

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写真では暗いから解り難いですね

なかなか立派な和竹を使って違和感無く落ち着いていますが
以前の違和感丸出しのメーターとガス管の姿を見ていない人には
更に何の為にこんな事をしているのかわからないと思いますね

町屋リフォームは目立つ所より
目立たぬ所をどうするのかがポイントだと思います

そういう箇所に気づく人が時々おられる事が
私の一番の楽しみなのかもしれませんね

2008/10/28  9:52

竹材  分類なし

先日、綺麗に開花した月下美人を翌日に見に行くと御覧の通り

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すっかり「お役目ご苦労さん」と言わぬばかりの萎み方に驚きましたが
このお宅に伺った本当の理由は他にありました

ここは以前にも紹介した「和竹」の竹材元締めで、
肉質の厚い柔軟性のある丈夫な竹を求める一流職人達が出入りする所であり、
高級料亭や高級和菓子の方も青竹を求めにやってこられます

実は私も店の装飾にこの竹を分けていただこうと訪ね
最近は盛んに出入りしていた結果「月下美人」を拝見することになりました

その時目に留まったのは多くの廃材

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「欲しいだけ持って帰りなよ〜」と気さくな言葉!!

いつでもいくらでも新鮮な青竹の切れ端をいただける事になり
来年はその使い方を工夫する事になりそうです

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でも今回使うのは廃材ではなく正規の竹材で、
年期の入った大切な竹用ノコギリをお借りし、
いよいよ自作装飾の開始となりました

原料と工具は高価でも腕は安価なプチリフォームになりますが
その出来栄えは後日お知らせいたします

2008/10/26  14:18

回想  分類なし

今から七年前、私は大変厳しい時期を迎えていました

秋の紅葉シーズンを迎える大切な時に
この年に限っては全く思考から除外ていました

その要因は父親の家庭介護と二歳の姪っ子の子守の板ばさみ

父親が何かと私を呼びつけると姪っ子もダダをこねだし
どちらのオムツを替えたのか、どちらの食事の世話をしたのか
頭が混乱しながらひたすら我慢の日々を過ごしていた事を思い出します

そしてちょうど七年前の今日10月26日

姪っ子は珍しく妙に大人しく
父親は朝からすやすや眠ったまま。。。

脈拍は安定しているものの不安を抱きながら
姪っ子を連れて東福寺へ散歩に出ました

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出て三十分程度経った時、日頃泣くことの無い姪っ子が突然「号泣!!」

いやな予感を抱きすぐに帰宅したら父親が息を引取っていました
享年70歳

「家の畳の上で死ぬ」と言い張っていた父親の言うとおりになりましたが
実は父親の生まれた場所もまさにこの場所
この地この家この場所に縁深い人だったと思います

生涯忘れる事の無いだろう七年前のこの日を
今日はじっくり回想することにします

2008/10/25  9:56

月下美人  分類なし

最近、合間に出入りするお宅があります

「まだかな〜?」「そろそろでしょ〜」と言いながら待つ事一ヶ月
「いよいよですよ」と声を掛けられたのが昨日の夕方でした

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元来、中米メキシコに生息していた「常緑多肉植物」である「月下美人」は
夜光虫を栄養源にしていたのか深夜にすごい香りを放ち
ものの見事な花を咲かせます

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「つぼみが少し膨らんでいますね」なんて言っている間にも
わずか15分間に更に口を開きつつあります

風も無いのにずっと揺れ続け、葉の色の深さや香りの強さを考えると
動物に近いオーラが感じられ何気に威圧されてしまいます

その後風呂に入り食事をして二時間後に見に行くと
雨で湿気が多いのが影響するのか予想外に早く満開しておりました

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苦労して咲かせた割には花の寿命は短く
朝にはすっかり萎んで垂れ下がっていますが
小さく長く咲く花と、派手に咲いて一気に散る花は
人の生涯と何か共通点を感じるのは私だけなのでしょうか。。。

2008/10/23  14:48

店紹介  分類なし

もう一年以上前の事で脳裏から離れつつあった漫画の掲載は
子供達の頭には未だにしっかり残っている様です

http://diary.jp.aol.com/applet/h3dje84wfp/20070912/archive

時々、近所の子供達から漫画のおっちゃんと声をかけられたりしますが
それより私の姪っ子にとっての影響が最も強く残っており
「店主の一日」と題して漫画を描いき
それを全てのお酒の箱の中に入れろと説得され続けています

「私は芸能人じゃないのだから。。。」と拒み続けていますが
聞く耳は持たず「朝は何時に起きるの?」「次は何するの?」と質問攻め!!

でもね・・・酒通の方が箱を開けていきなりこんな物を見たら・・・

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言う事を聞いていたらすっかりおちゃらけ酒屋に変貌しそうですね

もし将来、お酒を買ってこんな漫画が入っていたら
姪っ子に負けた伯父馬鹿酒屋と笑ってやって下さい

(-´д`-)ハァ〜〜

2008/10/22  13:51

通天橋 (3)  分類なし

険しい渓谷の険しい架け橋を
夢の架け橋の如く変貌させた人が「豊臣秀吉」です

慶長二年三月、橋の大修復と共に渓谷を整備し
危険な修行場から雅で優雅な紅葉名所へと移行しました
これは豊臣秀吉が死去の前年の事でした

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この景色は400年前もほぼ同じであったと考えられ
長い戦乱地であった京都の庶民にとって秀吉人気は絶大であったと考えて当然です

しかしここでひとつ問題が生じます

ここで厳しい修行を続ける僧達の目的はやはり「修行」なのです

苦しい修行をして耐え忍んでいてもこの橋を渡っている姿は
庶民から見れば「雅で優雅な修行僧」にしか見えず
禅宗を守り抜く本来の姿を理解され難くなりつつありました

その後、江戸時代に入り幾度の楓木伐採記録が残っている事から
観光地?修行場?の見解が何度も討論されている様です

伐採、植樹を何度も繰り返す歴史が多種多様・多異樹齢の楓を自然に生み出し
今のカラフルな通天橋が生まれております

通天橋の紅葉を何気に見るより
歴史文化を把握して見る紅葉は
また何か違うものを感じられると思います

2008/10/21  11:51

通天橋(2)  分類なし

「通天橋」創建はずばり1380年、
東福寺創建から140年以上経てから架けられた事になります

架け橋が出来る以前の渓谷の様子は
「諸人若従這狸特入則、龍子龍孫飛天文有・・・」
難しいでしょうが何となく当時の様子がわかってきます

昭和初期まで「狸橋」が存在した事や
この渓谷を今でも「洗玉澗」と呼ばれている事から
野獣が多く存在し樹木の入り乱れた深く危険な渓谷であったと想像できます

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修行とは言えあまりにも僧に危険が伴うと判断し「通天橋」の創設に至りましたが
恐らく簡単な架け橋程度で屋根のある頑丈な橋の完成まで
何度も倒壊と補修を繰り返しています

直後、「三門」始め多くの文化財がこの時代に建立されておりますが
そのまま「応仁の乱」を皮切りに次第に戦国時代を迎える事になります

救世主を待つのみですね 続きは次回、

2008/10/19  14:40

通天橋  分類なし

せっかく多くの方に「通天楓」をお届けしたのなら
ここで誰も知らない「通天橋」の歴史を書き記したいと思います

東福寺中央に流れる「三の橋川」には三つの古い架け橋があります

それぞれの呼び名は上流から「堰月橋」「通天橋」「臥雲橋」

それをあわせて「東福寺三代銘橋」と呼ばれております

その中で重要文化財に指定されているのは二つ。

指定されていないのはなんと中央にそびえる「通天橋」だけなのです

その理由は簡単!
昭和三十年の大型台風で倒壊した為、歴史的建造物と認められていないからです

では、倒壊前の様子は?
昭和初期の写真を手に入れましたので御覧下さい

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これを見ると今とあまり変わらぬように見えますが
倒壊後、昔の趣を大事に再建された事が良くわかります

標高も高く強風や水害の影響を受けやすいが為に倒壊したと考えられますが
今は見え難い箇所に驚くほど鉄骨を仕組み
災害にも大人数の重みにも耐えられる工夫がなされています

その事は橋の下で遊びまわった昔のやんちゃ坊主なら
誰もが知っている事です

では東福寺創建時から「通天橋」の歴史を解り易く記したいと思います

当然、誰に聞いても何を読んでも見つからない話なので
次回をお楽しみに。。。

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