2008/8/20  13:54

伊達政宗  分類なし

昨年末、「伊達政宗と東福寺の関係」を調べたいとこのブログに書いていました

http://diary.jp.aol.com/applet/h3dje84wfp/20071217/archive

それが不思議な事に正宗の影すら見つからぬまま
半ば断念気味にこの時代の東福寺を調べ続けました

難しい歴史書を何度も読み直し、その時代をイメージし続けていると
秀吉・秀吉・秀吉・・・・

とにかく豊臣秀吉はこの地(藤原領)に関与する事に神経を集中し、
他の武将が関わりを持てなくしていた様です

その結果、「関白秀吉」の誕生に及び、
更に秀吉が次の目的(海外進出)に神経が向け
この地への執着心が薄れた文禄三年
正宗は水面下で練りに練った策略をついに決行した様です

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「月渓聖澄」は222世東福寺管長の事で、
「東昌寺」は仙台「伊達五山」のひとつに当たります

淡々と記されたこの雑記から正宗の知略が伺えます

この事で仙台(伊達領)と東福寺(藤原領)が太いパイプで結ばれる

京都の情勢、公家や朝廷の動きを知る事が出来る

つまり、豊臣政権を脅かす一歩を踏み出した証と思うべきでしょう

今日のブログはかなり時間を掛けて出来るだけ解りやすくしたつもりですが
少し難しかったですね(笑)

特に雑記は隠れた日本史を何気に現しているので
淡々と書かれた文もその説明を詳しくすると
一冊の本になるぐらい奥が深いものです

文には無くても正宗がずっと東福寺への侵入を企んでいた事が伝わってきます



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